21世紀に“洋ゲー”でゲームAIが遂げた驚異の進化史。その「敗戦」から日本のゲーム業界が再び立ち上がるには?【AI開発者・三宅陽一郎氏インタビュー】

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北米の大逆転はインターネットから始まった!?

三宅氏:
 起点になったのは、やはりアメリカでした。90年代からPCコミュニティを起点に、インターネットを通じた情報のやり取りの中で盛り上がっていったんですね。 

――90年代なんて、日本のゲーム業界が「我が世の春」を謳歌していた時代【※】ですよね。

三宅氏:
 ところが、その流れを日本は、全く把握できていなかった。
 なにせ21世紀に入ってもしばらくは、PlayStation、PlayStation 2で、実際に素晴らしいオリジナルゲームがリリースされていましたから。

※「我が世の春」を謳歌していた時代
産業としてのビデオゲームが1970年代にアメリカで産声を上げ、これが日本に渡ることで、70年代の終わりに『インベーダーゲーム』を生み出し、80年代に入って花開くファミコンの土壌となる。90年代のスーパーファミコンからプレイステーションにかけての時期に至ると、さまざまなアイデアやジャンルが極めて日本的な職人技と絡み合うことで、日本は世界のビデオゲームの中心地のひとつとして君臨。存在感を示していた。

 そもそもの話をすると、アメリカはパソコンゲームが強いので、ゲームとパソコンが近い位置にあるんです。ゲームに付属しているMOD【※】をいじり倒して、その中でゲーム開発者になっていく流れもある。だから今でもゲームエンジンとツールを確立していく文化があるんです。
 そういった当時アメリカの中でも特にディープなコミュニティで生まれた様々な技術が、実際のゲーム開発を通じて外に広がっていきました。向こうでは、技術系の文書はGDCなどのカンファレンスでどんどん共有されて、インターネット上で公開されますしね。

※MOD
modificationの略で、変更や改造の意味を持つが、ゲームの文脈で使われる場合、キャラクターやフィールド、インターフェイス、さらにはゲーム性に関与する部分などの変更用プログラムを指す。プレイヤー有志により(ときにはメーカーオフィシャルで)作成され、広く配布されていく。『DOOM』や『Quake』に端を発し、前述の例を取るなら、『Half-Life』のMODから派生したものが『Counter-Strike』となる。メーカーによってはMODの頒布を禁止しているところも多い。

――臥薪嘗胆の期間に、アメリカが研究開発してきた技術が21世紀に花開いて逆転されてしまった……というのは有名な史実ですね。そのときに意外とインターネットの草の根ネットワークも大きな役割を果たしていたんですね。

三宅氏:
 そもそもデジタルゲームは、米国で60年代~70年代にコンピュータサイエンスと結びつく形で、広まっていったのですが、その動きは一度1982年のアタリショック【※】で消滅します。そのアタリショック以降の米国のゲームソフトのリリースの低下の間にどんどんゲームを盛り上げて、世界中からリスペクトを集めていたのが、日本の80年代~90年代だったということです。

※アタリショック
1982年のクリスマスシーズン後に起きた、1983年からのアメリカのコンシューマー市場の縮小を指す。当時、市場を席巻していたATARI Video Computer Systemをはじめ、コンシューマーゲームソフトの売上が減少。要因は複合的なものであるが、ソフトの粗製濫造による信用低下、販売価格の低下、需要予測の見誤り、ホビーパソコン市場の台頭などが影響しているとされる。1985年にファミリーコンピュータの北米版nintendo Entertainment Systemが登場するまでこれは続く。

※2015年のE3で、90年代の名作ゲーム『FF7』のリメイクが発表された際の会場の熱狂ぶり。その異様な盛り上がりは、様々な場所で話題になった。

 当時は正直なところ、彼ら自身も日本と比較して「日本のゲームのクオリティは高い」と思っていたんです。でも、70年代後半からずっと、今で言うところの3Dゲームやオープンワールドに向かう技術的な挑戦は続いていて、その技術的野望が当時のゲームのサイズとスペックに合っていなかっただけです。そして、そのベクトルは90年代のPCの3Dゲームへと流れ込んで来るのです。

――『ゲームの企画書』でクリエイターの話を聞いていると、日本のクリエイターは漫画やアニメの「二次元」表現からの影響が大きいなと思うんです。デジタルゲームの処理技術が貧弱な中で、ああいう表現で鍛えられた日本人のデフォルメの能力の高さが、2D時代にはかなり効いていた印象があります。

三宅氏:
 若い世代の間では低下しつつありますが、80~90年代を10~20代で過ごしたゲーム開発者には、日本のゲームへのリスペクトが今なお強いです。特にFPSが生まれるまでは、非常にリスペクトは強かったと思います。

 ただ、そこで登場したのが、95年の『DOOM95』【※】です。

※DOOM95……『DOOM』は1993年発売のMS-DOSベースのゲーム。これをWindows95用に移植したものが『DOOM95』。マイクロソフトによってDirectXのフラグシップとしてWindows95に移植された(移植したメンバーがのちにValveとなっていく)。『DOOM』はid SoftwareによるFPS(主観視点によるシューティングゲーム)黎明期の代表作で、世界的なヒットを博し、以降FPSはDOOM系と呼ばれながら、その名を確立していくことになる。ヒットの要因としては、WADと呼ばれるマップや音声などの集合ファイルをハッキングして改造し、そのファイル交換がユーザー間で盛り上がっていったこと、続く『QUAKE』で『QUAKE C』と呼ばれた改造用のコンパイラが配布されたことなどがあり、結果、FPSではプレイヤーによる自由な改修文化が育まれ、ジャンルの隆盛を生むようになる。
(画像はLet’s Play: Doom 95 Part 1 – The Pilot Episodeより)

 『DOOM』シリーズ(1993~・id Software/米国)を開発してきたid Software社が、なんとオープンソースにして、全部ソースコードをインターネットで公開してしまったのですね。すると、米国の開発者はみんなでソースコードを読み漁り、それぞれが思い思いのFPSを作り始めました。正直なところ、この『DOOM』のオープンソース化さえなければ、まだもうちょっと日本はどうにかなっていたくらい(笑)、非常に大きな歴史の転換点です。

 その後、開発元のid Softwareは「Quake」シリーズ(1996〜・id Software/米国)【※】いち早くキャラクターAIにステートベースの手法を取り入れたのですが、あの影響も大きかったです。あれは知能の構造化の端緒ですから。しかも、id Softwareは『DOOM』のあとの「Quake」シリーズでもゲームエンジン部分のソースを公開し続けます。

Quakeのモンスター(Shambler)のステートマシン図。ステートマシンとは、人間の状態(ステート)を遷移させていくことで、人間の行動を表現する手法。
(画像はPractical Analysisより)

 結局、その後に登場してきた『Counter-Strike』『Halo』(2001・Bungie/米国)、『F.E.A.R. -First Encounter Assault Recon-』(2005・Monolith Productions/米国)、『Left 4 Dead』なんかの海外製ゲームは、まさにこの流れから始まったAIの発展史の中で画期的なゲームだった作品たちです。 

※「Quake」シリーズ
『DOOM』ではなし得なかった“キャラクターを含めた完全3D化”や、それに伴う“高低差の概念”などを取り入れた、id Softwareによる1996年リリースのFPSタイトル。 TCP/IPをサポートしたネットワークマルチプレイ前提の構造、エンジンのライセンス化など、語るべきところの多い作品だが、三宅氏の言う、敵が置かれた状況によって行動を分岐で考えていく “ステートベースAI”もそのひとつ。

――それは、ほとんど日本人に知られていない「海外ゲーム業界」史という感じですね。そもそも、『DOOM』と『Quake』の開発元のid Softwareって、普通は3Dグラフィクスの方で有名な会社じゃないですか。AIでも重要な役割を果たしていたんですか?

三宅氏:
 あそこはジョン・カーマック【※1】が有名ですが、マイケル・アブラッシュという凄腕のプログラマーもいたんです。
 彼は現代ゲームAIの色々な基礎を作った人で、「BSP法」という当時としては画期的な環境認識のプログラムを書いています。ちなみに、あのクリス・ヘッカー【※2】をid Softwareで拾い上げたのは、彼だったりもして、まあゲームプログラマー界の「神」ですね。

  Doomにおける環境認識のための二分木分割ツリー法。三宅氏のHPにも関連したエントリーがある。(BSP, Binary Space Partition)
(画像は Technology of a 3D Engine – Part Two – Page 2より)

 ちなみに、最近はOculus社にいてVRを第一線でバリバリやってるらしいです。きっと「神」だから、年を取らないのでしょう(笑)。彼は当時のロースペックなハード上でいかに3Dプログラミングを行うかという技術について連載を持っており、『Graphics Programming Black Book』(Coriolis Group Books, 1997)は多大な影響をアメリカのゲーム産業に与えました。

※1 ジョン・カーマック
ジョン・D・カーマック。1970年生まれ。アメリカのゲームプログラマーで、id Softwareの共同設立者。FPSの生みの親と言われている。2010年にはその功績が認められ、Game Developers Conferenceにて生涯功労賞(Lifetime Achievement)を受賞している。『DOOM』『Quake』『Wolfenstein』などを手がけたことでも有名。

※2 クリス・ヘッカー
1970年生まれ。アメリカのゲームプログラマー・コメンテーター。『Spore』のエンジニアリングを担当したことでも知られている。1990年代前半に、後のDirectXとなる「WinG」の開発に携わり、『Quake』のゲームエンジンをジョン・カーマック(John Carmack)氏と共に作り上げるなど、ゲームの基盤となる技術に貢献してきた人物。こちらの動画では、自身が開発に携わってきたゲームについて語っている。

――ちょっと補足します。id Softwareやカーマックは、電ファミの読者には馴染みがない名前かもしれないですね。でも海外には熱狂的なファンがいて、開発者コミュニティすら存在しているんです。カーマックという人も、日本で言えば宮本茂さんのような0→1で作品を発明できるゲーム史上の天才です。でも、彼らがAI分野でも業績を残していたとは知りませんでした……。

三宅氏:
 これは90年代、アメリカの最も深いところで起きた変化なんですね。当時はまだ日本のゲームが「神扱い」で、彼らですら自分たちのゲームなんてダメだと思っていた頃です。でも、それはPCゲーム界隈のじめじめした、実にカルト的な世界から始まったんです。

GDCのクラシックゲーム・ポストモーテムで、歴史を振り返って講演するDOOMのゲームデザイナー、ジョン・ロメロ。
(画像はGDC Vault – Classic Game Postmortem – DOOMより)

 そこから『DOOM』のようなゲームが生まれて、一緒にその技術も広がっていって、ついにFPSが発見されるに至る――そのときに初めて、彼らは「自分たちのゲーム」を見つけました……テクノロジーと融合しながら、かつ彼らの嗜好に沿った大型の体験型ゲームを。
 そしてカーマックたちは、オープンソースで技術を全部公開して、「みんな、このコードを使って今からFPSを作っていいぜ!」と呼びかけたんです。この辺は、まるで『ソードアート・オンライン』の「ザ・シード」【※】みたいですね(笑)。でも、これこそが、日本が気づいたときには「大逆転」されるに至っていた歴史の始まりでした。一方で、日本でFPSが作られることは、ほとんど当時も今もありませんね。

※『ソードアート・オンライン』の「ザ・シード」
川原礫によるライトノベル『ソードアート・オンライン』に登場する、VRMMORPGを作成するための架空の基幹システム。

――それにしても、FPSやTPSの発展というときに、それこそ『Quake』の3D描画みたいな話は出てきますが、実はそこで下手すると3DCG以上に、どうやらAI技術への意識の差が日本にはあったような……。 

三宅氏:
 そうなんですよ……。正直なところ、こういう北米のインターネット上での動向は、日本はほとんど把握できていなかった。当時は3Dへのキャッチアップで忙しかったですし、海外の開発情報も今ほど迅速に把握はできませんでしたから。 

――とはいえ、AIを巡るその状況は今も続いていますよね。いや、もっとヒドいかもしれない。だって、先ほどの『Left 4 Dead』のようなタイプのAAAタイトル群にあって、今や日本市場は蚊帳の外ですから。もちろん、AIという文脈で本格的に話を聞いたのも、ほとんどの人が初めてではないでしょうか。

ゲームAI史――1.パックマンがAIの起源な理由

――ただ、実際のところ「ゲームAI」と言われても、僕もよくわからないですね。リアルの世界なら、「生命体じゃないものが思考してたらAIなんじゃね?」みたいな感じですけど(笑)、「だったらゲームのキャラは全部AIなんじゃ?」とも思ったりして。例えば、『スーパーマリオブラザーズ』(1985・任天堂/日本)のクリボーがトコトコ動くのだって、ある意味ではAIですよね。ゲームAIの定義ってあるんでしょうか?

三宅氏:
 まずは、その話からしましょう。おっしゃるとおり、「何をもってゲームAIとするか」という点について、ぼやけているというのはその通りです。

 しかし「定義論」に陥っても不毛ですので、「狭義」と「広義」のゲームAIがあることを指摘しておきます。
 まず、広義には、キャラクターは全部AIと言ってしまう場合もあります。ただ、「狭義」にはどう考えたらよいかというときに、「クリボーがAIなのか」は重要な問いです。なぜなら、広義にはAIとも言えるんですけど、狭義には単なるマップ上のギミックとも言えるからですね。というのも、少なくともファミコン時代のクリボーは我々プレイヤーを認識せずに、左右に動いているだけなんですよ。

――確かに、こっちがどういう動作をしようが同じ動きをしていますよね。実際、クリボーやノコノコをギミックのように使ってクリアしていく場面もありますし……。

三宅氏:
 まさに90年代初頭くらいまでのアクションゲームのレベルデザイン、敵キャラはマップの一部が動いているようなものでした。ゲーム業界の用語で言うなら、「レベルデザインとAIが未分化」だった時代とも言えますね。
 『スペースインベーダー』(1978・タイトー/日本)は、その典型でしょう。キャラクターたちは自分で動きを考えているわけではなくて、パターンに沿った動きをします。まさにゲーム内の空間やギミックの設計としての「レベルデザイン」と、そこで動き回る「キャラクター」が切り離されていないデザインです。あの当時の70年代、80年代のゲームデザインの主流がそういうもので、いわば「動く障害物」「動くマップの一部」としてのキャラクターです。

(Photo by Getty Images)

 ではゲームにおいて、レベルデザインとキャラクターが切り離された瞬間はいつだったのか――実のところ、AIの歴史研究はまだ十分ではないので、定説はありません。ただ、『パックマン』(1980・ナムコ/日本)をエポックだと考える人が多いんです。僕も一つの大きな転換点だと思います。

――『パックマン』ですか! それはなぜですか?

三宅氏:
 『パックマン』は世界で初めて、規則正しいパターンによって動くのではなくて、「各キャラクターの独立した思考によってプレイヤーを程よく追い詰めるAI」を実装したんですね。

Play PAC-MAN Doodle:Googleがパックマン登場30周年記念にDoodleで公開したパックマン。上記ページから遊ぶことが可能。
「IEEE CIG (Computation Intelligence and Games)や AIIDE (AI and Interactive Digital Entertainment)というデジタルゲーム系の学会でも未だにパックマンのAIの研究が発表されているくらいですね」(三宅氏)

 ちゃんとプレイヤーを認識して動いていて、アカベイ・ピンキー・アオスケ・グズタの4体それぞれに個性もある。一方で、「完全に追い詰めない」ような気づかいまでもある。まだまだレベルデザインの一部と言えなくはないのですが、クリボーに比べたときに動きの独立性が高いのも事実でしょう。技術の中身はもちろん他社からは見えませんが、少なくとも多くのゲームAI開発者から「独立した思考を持つキャラクター」の出発点としてみなされていることは確かです。 

――なるほど。「プレイヤーの存在を認識している」というのは、一つのキーになりそうですね。確かにそういう行動を取られると、知能があると言っていい気がします。

三宅氏:
 とはいえ、これは少し難しい話になるのですが、ゲームで「知能がある」と感じるのは、あくまでもプレイヤーの主観においてなんですよ。とすれば、プレイヤーが「これは知能があるぞ」と思える状況さえ作ってしまえばよい、とも言えるんです。

 適切な用語が既存のAI研究にはなくて、僕は「知能感受性」と呼んでいるのですが、いくつか典型的な状況はあります。「追い詰められた状況」はその一つで、あまり敵が賢くなくても高い知能を持っていると、プレイヤーが「思い込んで」くれやすいんです。
 たとえば、真昼に友人と通りを歩いているのと、真夜中に森を一人で歩いているのとでは、後者の方が自分以外の知能の存在に鋭敏になりますよね。だから『パックマン』は、まず敵がプレイヤーを追い詰めてます。『マッピー』(1983・ナムコ/日本)や『ゼビウス』なんかもそうです。「ユーザーの心理やスキルを想定しながら作成する」発想を持つ点で、当時のナムコはAIに関して、まさに世界の先を行く企業でした。これはパックマンの作者である岩谷徹先生の影響が大きいかと思います。

 ただ、こういうナムコの作品たちは例外中の例外ですよ。僕はこういう時代のAIを「お化け屋敷型AI」なんて呼んでいます。

――お化け屋敷の役者に指示するように、決まった場所にキャラクターを配置して、決まった行動をさせているだけ……という感じですかね。 

三宅氏:
 まあエンタメのAIなので、必ずしも本当のAIを作る必要はなく、当時はそれで良かったんです。ゲームが単純だった時代でもあります。しかも、日本人はゲームのレベルデザインが巧みでした。欧米が「もっと頑張って自在にキャラクターを動かそう!」と挑んではおかしな挙動をしていた時期に、日本は「うーん、引っかかるんだったら、動かさなきゃ良くない?」みたいな発想でどうにかしちゃって、しかもそれが巧みなんです(笑)。 

「だから、3Dに入ってもしばらくは、ファミコンと同じようにAIの挙動を制限して、日本人はAI技術なしに上手いことやりくりしてしまいました。例えば、ユーザーの心理的に盲点となる場所から敵を出現させたり、登場する時に台詞を言わせて裏で必要な情報処理を行ったり、登場シーンだけ素早い動きにしてユーザーを驚かせたり……というような工夫ですね」(三宅氏)

 その一方で、欧米のゲーム開発者は不器用でしたので、正面からAI技術の導入を進めました。

――まあ、わかります(笑)。特に90年代までの2D時代のレジェンド級クリエイターの人って、言ってしまえばそういうトンチの利いた発想力が豊富な、才気煥発という感じの人がいますよね。

三宅氏:
 ただ、この日本人の「自分たちの出来ることで良いものを作ろう」という発想は良いところでもあり、悪いところでもあります。それが徐々に通用しなくなっていったのが、まさに3Dゲームが本格的に普及して、ゲームが複雑化した21世紀に入ってからでした。「なんとかしてキャラクターを上手に動かしたい!」という北米の開発者たちの想いが遂に「パス検索」【※】などのテクノロジーに辿り着いたんです。そのとき、遂にレベルデザインとAIは分かれざるを得なくなりました。
 ここから一気に形勢は変わり、欧米が日本を逆転していくことになります。

※パス検索
ゲーム内の位置に関する情報を、ナビゲーションメッシュと呼ばれる連結したデータとして取得。そしてキャラクターが移動できるところ、移動できないところを判断し、2点間の最短経路を導き出す仕組み。

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