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無職の青年が持ち込んだゲームが歴史を変えた。約20年ぶりに再会を果たした初期メンバーが語る「大戦略」開発秘話

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最もリソースを割いた「思考ルーチン」

――それにしても、これほどシミュレーションゲームに詳しい方々が、どうしてある意味でなんとも日本的な割り切り方というか、まるで「軍人将棋」のような発想のゲームを作れたのでしょうか? 

石川氏:
 海外との比較で言うと、向こうはボードゲームの歴史が長かったせいで、コンピューターが登場したとき、いかにボードでは出来ないシミュレーションゲームを作るかという、ちょっと先鋭的な方向に発想が行ってしまったんだと思いますね。

 実際、当時アバロンヒルがコンピューターゲームを出していたんだけど、ボードゲームほど楽しくもないし、見た目もしょぼいゲームなんですよ。まあ、「索敵」みたいな要素を入れたりする努力はしていたのだけど、ちょっとね……

――カセットのミッドウェイとかビスマルク(※)みたいな作品ですよね。

※カセットのミッドウェイとかビスマルク
家庭用パソコン・ゲームの黎明期、アバロンヒルがカセットテープを媒体として発売した一連のシミュレーションゲームシリーズ。パソコンのグラフィック機能が乏しかったころで、ゲーム中の表現は文字情報に限られていた。

福田氏:
 そうそう、あとはひたすら正確に当時の戦局を再現する人たちだよね。まあ、頑張っていたゲームもあったんだけどね。

石川氏:
 そういった状況もあったので、ある意味雰囲気を重視して割り切ったんです。8bit版の『スーパー大戦略』なんて普通のオリジナルの『大戦略』の再現すら難しかったから、さらに抽象的に置き換えたんですよ。「兵器の射程処理が無理そう」みたいなときも、隣接戦闘だけど射程の長い兵器が先に撃てるようにしたりして、ちゃんと雰囲気が出るような置き換えが出来る作りだったんです。 

福田氏:
 別に名前の付け方にしても、「なんとなくリアルっぽければいいでしょ」くらいのリアリティでやっていましたからね。

石川氏:
 別にリアリティは、追求してなかったですよね。結局はゲーム性の面白さが大事でしたから。

福田氏:
 後半になってくると、結構リアルなデータをもとに数字を作った上で、それを抽象化していたんですけどね。『空軍大戦略』(※)やったときなんかそうで、担当者がやたらと凝っていて、元のデータをまんま持ってくるから、逆にどう丸めるかに苦労したくらいです。

※『空軍大戦略』
1994年にシステムソフトから発売された、航空戦を題材としたシミュレーションウォーゲーム。

石川氏:
 パワーアップ以降は僕が数字をいじっていたのですが、叩き台的にカタログスペックの数字を入れて、世間の評判を加味して若干補正する感じでした。それで、最後は値段を調整するんです。というのも、「こいつ性能良すぎるから性能落としちゃえ」だと、少しがっかりするじゃないですか。だから、入手の難しさで調整をかけるんです。

――F-15は強いけど高い」みたいなことですよね。でも、『大戦略』は戦車が600だと飛行機が1桁上で一千台の数字みたいに、子供心にも戦車と飛行機の価格の差を肌で感じさせる作りだったなと思います。

福田氏:
 イメージは大切にしていましたよね。

石川氏:
 とはいえ、国が増えてくると、だんだん難しくなってきた覚えがありますね。アメリカとソビエトの兵器だったらよく比較もされるけど、スウェーデンの兵器とかになるとよく分からないですからね。 

福田氏:
 あと、僕らにとっては、そもそも開発上の一番のリソースポイントは思考ルーチンだったんですよ。『大戦略』のナンバーシリーズで常にネックになっていました。

 結局、遊んでいてコンピューターが不格好なことをやらかしたら、全然楽しくないでしょ。人間らしく応対ができるかは気にしていました。とはいえ、残念ながら我々に大層な専門的ノウハウがあるわけではなかったから、とりあえず作ってみてどう感じるかを試行錯誤してただけですけどね。

 そこについては、今だからこそ藤本さんに何を考えていたのかを聞いてみたいですね。

藤本氏:
 いやあ、もうやめたからなあ。よくわからない(笑)。 

福田氏:
 いやいやいや、当時の目標はあったでしょう。

藤本氏:
 やっぱりコンピュータを賢くしてあげたかったですよね。最低でも、私と同じような手を打てるところまでは持っていくようにしていました。

石川氏:
 軽く言ってるけど、それ、普通は難しいですよ(笑)。

 実際のところ、現在の最先端のコンピュータが将棋を打つにしたって、純粋な思考で本当に人間に敵っているかは怪しいんですよ。でも、藤本さんはプレイヤーから見たときに、なんとかそれらしくなるように作ったわけですよね。

無職の青年が持ち込んだゲームが歴史を変えた。約20年ぶりに再会を果たした初期メンバーが語る「大戦略」開発秘話_013

福田氏:
 僕も藤本さんと一緒にやってましたけど、結構こねくり回してましたよね。

 例えば、生産で何を作るのか一つ取っても、自分の資源や相手が何を作ってるかの評価を数字で見て、何を生産するかを決めてくわけですが、そこはもう遊びながらひたすら試行錯誤ですよ。戦闘のときも、『大戦略』はユニットの行動順序が決まっていなかったので、どこから探索するか、行動は歩兵を優先すべきか、いやいや歩兵より先に戦闘ユニットを動かすべきじゃないか、みたいなことを延々と議論しては工夫していましたね。 

――面白いですねえ。ちなみに、ちょっと興味深いのですが、歩兵と戦闘ユニットのどっちを優先させるかの結論はどうなったんですか?

福田氏:
 それが……実は出なかったんです(笑)。

 途中で、「もうそこを考えるのはやめよう」となったんです。それからは、数式で評価を返すロジックや、何ターンで到達するかをチェックするルーチンなどをバラしてもらって、歩兵がそれをもとにデータでどう評価するか、みたいな順番をスクリプト的に書いたんです。つまり、行動を「歩兵の移動」「索敵」「戦車の攻撃」「戦車の移動」「生産」のようにパーツごとに分けて、それを実行する順番やその行動の範囲を変えるなどの細かい手順を、プログラムのように記述できるようにしたんですね。で、あとはそれを元に面白そうなスクリプトを何種類も作って、面白そうなやつを思考ルーチンで残したんです。そのへんはもう試行錯誤でした。

石川氏:
 結局、4のときに戦況の評価を統一路線にしたんですよね。マップを何分割かして、エリアごとに有利不利を判断して、不利なところへのフォローや有利なところへの並べ方の戦略を考えていくような仮説を立てました。

福田氏:
 でも、キッカケは3で藤本さんが持ってきた手法だったんですよ。

 まずは大きくメッシュで切って、そのメッシュ内にどれくらい敵がいるかを評価して、どの方面に敵を向かわせるかのような、漠然とした意思決定みたいなのをやるんです。ただ、この手法の弱点は容易に思いつくわけです。メッシュのちょうどコーナーに置いたら絶対におかしくなるんです。

 そこを僕らは、重ねあわせで解決したんですよ。例えば、1616だったら、これを8個ずらした別のメッシュを作って、その2つを同時に評価して、総合的に判断したんですね。 

――ちなみに、大戦略の思考ルーチンにズルは入れなかったんですか?

福田氏:
 いや、僕たちはそれをやらなかったんです。まあ、相手の計算パターンをチラ見する要素を途中から入れたりはしたんですけどね。

石川氏:
 ゲーム全体で言うと一箇所だけ、「生産」に関してインチキを入れてます。例えば、相手の飛行機や戦車が多めかどうかを比率で判断して、何を生産するかを決めてるんです。逆に比率しか見てないので、実は飛行機が前にあるかとかは考慮してなかったんですけどね。

――それは、マップ全体を判断すると時間がかかるからですか?

石川氏:
 いや、計算が楽なのもあるけど、そもそもあんまりそこを考えるのは意味が無いんです。結局、人間の方がコンピュータよりズルいんで、そこに拘泥すると足をすくわれる要素になるんですね(笑)。

福田氏:
 そうそう。だから、あのゲームでは何を生産したかだけが、実は決定的な要素なんですね。こっちがこっそり生産して、これでイケると思ったら、向こうから対抗兵器がうじゃうじゃやってくるという展開があったでしょ。

――そういうのに出くわすと、我々ユーザーは「あぁ! インチキしてやがる」となりましたよね(笑)。 

福田氏:
 まあ、そこは露骨にやっちゃうと楽しくないんで、適度なところに加減したんですよ。

 ただ、僕らは相手に関係なく、こういう戦略目標だからこれを生産しよう、みたいな積極的に攻めていく生産ルーチンに関してはあんまりうまく作れなかったという反省があるんですよ。相手がこう来たから、こっちはこう攻める、みたいな受け身の生産ルーチンにしかならなかったんですね。

石川氏:
 あの辺のルーチンは本当に難しかったですね。

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『ファイアーエムブレム』をなぜ高く評価する?

――最後に『大戦略』のゲーム史的な位置づけについて考えてみたいんです。福田さんはどうお考えですか?

福田氏:
 まず、「ユニットが成長領域を持つ」とか「マップ間でそれをユニットが受け継いでいく」みたいなことは、後の『ファイアーエムブレム』のようなゲームに受け継がれていったとは言えます。

 でも、やっぱり根本的な考え方は相当に違うと思います。というのも、『大戦略』が持つシミュレーターとしての面白さを、後の派生系はバッサリと切っていったんですよ。だから、「これは全く違うものだ」と思いながら見ていました。 

――シミュレーターとしての面白さ……ですか?

福田氏:
 ゲームでの志向性で言えば、『大戦略』は、『ファイアーエムブレム』よりもむしろ『ウィザードリィ』とかの方が近かったと思うんですよ。

 ――どういうことですか?

福田氏:
 みんな『ウィザードリィ』をRPGだというけど、僕にとってはシミュレーションゲームですよ。確かにファンタジーの世界観ではあるけど、いかにユニットを効率よく育てるかや、『大戦略』の「あとちょっとでエースだったのに」にも通じる失敗したときの悔しさまで含めた面白さのデザインなどが、よく似ているんですよ。

 しかも、パーティ構成がフリーで、結局はどうすれば一番効率がいいかを常に考えながらプレイするわけじゃないですか。シミュレーションゲームを遊ぶときの思考によく似ていると思います。

 ――そもそも『ウィザードリィ』は「ロール(役割を演じること)」をしないですからね。 

福田氏:
 自分の頭の中で脳内ロールをするのが必要でしょう? コンピュータがロールを与えているわけじゃないので、「主人公は俺だ」と勝手に思うしかないわけですよ。その意味で、『ウィザードリィ』も『大戦略』も、同じことなんですよ。『ウィザードリィ』は冒険シミュレータであって、同じシミュレーションなんです。

 そして、そういう楽しみ方からしか生まれない感動は、確実にありますよね。「これだけは絶対に育てたい」と思ったのが、1ユニットになって辛くも守れたりすると、すごく嬉しいじゃないですか。あのハラハラ感というか達成感というか、ね。思い入れが生まれてしまうんですね。

 ――合理性はないんだけど、「初期からいる部隊の使い捨てにすごく躊躇してしまう」みたいな。

福田氏:
 ところが、コンピューターは徹底的に合理的だから、そこは躊躇しない。この心理的な弱さは人間に特有のもので、コンピューターは効率さえよければ突っ込んでくる。でも、人間は自己満足みたいな、戦術の立て方ででも、楽しめてしまうじゃないですか。

石川氏:
 あの当時は、まだまだそうやってゲームをプレイするのが面白かった時代だったのもあるんでしょうけどね。

 だって、思考ルーチンなんかも毎回苦労しながら作ったじゃないですか。福田さんもコンピューターがプレイヤーに合わせて、プレイヤーを楽しませられるような思考ルーチンにしたい、なんて言ってましたよね。あの時代の、目の前に自由なルールが広がっている中で、俺たちはゲームでどこまでやれるのか――そういうチャレンジ魂に満ちていた時代でした。

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――『ウィザードリィ』の感動体験というのは、データ構造やゲームのルールがたまたま生み出すドラマみたいなものが、人間にはかけがえのない体験を与えてくれた気がするんです。例えば、村正を入手して帰ろうとしたら全滅したとか、そういう言わばコンピュータが生み出す「偶然のドラマ性」みたいなものが、ゲームのプレイ体験として語られているじゃないですか。一方で、そのプレイ体験が、徐々に「物語の感動」とかに置き換えられていく(そちらの比重が大きくなっていく)という流れが、ゲーム史全体を俯瞰したときに言える気がして。

福田氏:
 そうね……例えば、インターネットでも最初の頃から、RPGで難しいクエストをクリアするのに「自分は解けないんだけど」とヒントを聞く人はいたのだけど、それがどんどん増えていったんですね。

 ただ、ある時期に質問が「質的に」変化したんですよ。例えば、あるボスが「嘘つき」であるという設定があって、ダンジョンのどこかにその設定を示すヒントがあったとしますよね。昔は、その「嘘つき」のボスが「俺には火が効かないぜ」と言ったときに、そのヒントだけで「ああ、嘘なのか」と判断して、火の魔法を使ってくれたんですよ。

 でも、今はこれではダメですね。「嘘つき」のボスが「俺には火が効かないぜ」と言っても、その二つを繋いで考えてくれないんです。だから、もう「あのボスは火に弱い」とヒントを出さざるをえないんです。それって、もうヒントじゃなくて「答え」を与えているんですよ。でも、これが現状なのであって、そういう時代では、なかなかユーザーが勝手に気に動きまわることで生まれる、「偶然のドラマ性」みたいなゲームを作るのは難しい面はありますね。

――もちろん、そういうゲームならではの感動が今のゲームからなくなったわけではないと思うんです。MMOでは「予想外のトラブルで迷宮の奥で死んで、装備を回収しに行った」みたいな体験が「思い出深いもの」として語られるし、今の世代にもマインクラフトのようなサンドボックス型のゲームや、GTAのようなオープンワールドのゲームが受けているわけで。
 ただ結局、その後のSLGの歴史は、『ファイアーエムブレム』(※)や『スーパーロボット大戦』(※※)のようなゲームが主流になっていったのも事実なんですよね……。シチュエーション毎にマップと敵ユニットが用意されていて、それを“解いて”いく。一種の「詰将棋」のような遊びに、物語が付加されたものというか。

※『ファイアーエムブレム』
1990年、任天堂から発売されたファミコン用シミュレーションRPG。シミュレーションRPGというジャンルとその人気を確立した作品で、現在に至るも続編が制作されている。

※※『スーパーロボット大戦』
様々なアニメに登場するスーパーロボットを一同集めクロスオーバーさせた世界で戦う、シミュレーションRPGシリーズ。1991年、バンプレストから発売された『第2次スーパーロボット大戦』から始まったシリーズは、現在も続編が制作され続けている。

福田氏:
 まさにそうです。でも、だからこそ逆に、僕は『ファイアーエムブレム』をとても高く評価しているんです。

 要するに、あれは「難しい思考ルーチンの開発なんてやめようよ」と考えたわけですよ。このユニットは敵がどこまで近づいたらどう動くのか、みたいなことは非常に固定的なアルゴリズムを置いておく。しかし、その代わりに弓兵などのユニットのタイプごとに違うアルゴリズムを埋め込んできたんです。そうして、それが攻めてくるときにどう配置しておくとゲームとして面白くなるかを考えた。

 彼らはそっち側で調整してみせたんですね。そりゃ高く評価せざるを得ないですよ。

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――しかも、FEの場合はユニットが個人なので、馬鹿な行動を取るCPだったとしても、そういうキャラクターなんだから、と物語的な理由づけを入れればいいですからね。

福田氏:
 僕自身、確かに当時から思考ルーチンの性格づけを意識はしていたんです。結局のところ、思考ルーチンのエンターテイメントの手法として、「強い・弱い」よりも「性格を明確にする」ことの方が強みがあるんじゃないかという気はしていたんです。

 当時、これを露骨にやっていたのが、麻雀ゲームの『ぎゅわんぶらあ自己中心派』(※)というゲームなんです。当時のAI型の麻雀ゲームって個性がなかったんです。代わりに「強い・弱い」はあるんだけど、そこは早い段階で良いパイを引いてくるようなズルを組み入れることで実装していたんです。

 ところが自己中心派は、キャラクターの性格づけをすることで、そこに居直ったんです。リーチをかけたら絶対に次ツモるやつとかいて、もうそんなのインチキにすぎないだろと思うんだけど(笑)。そういう性格なんだと言い張られてしまったら、すぐに鳴いたりして手を崩すしかないわけです。

 しかし、それでもゲームは成立する。私は、このやり方は絶対に正しいと思ったんです。

※『ぎゅわんぶらあ自己中心派』
片山まさゆきの同名の人気麻雀漫画のコンピューターゲーム。1987年、ゲームアーツからパソコン用ゲームソフトとして発売され、漫画に登場する個性的な雀士のキャラクターを再現したことで人気を集め、その後、移植版、続編が多数制作された。

――『大戦略』の開発者がそう言い切ってしまうというのは興味深いです。でも、シミュレーターとしてのゲームの面白さを突き詰められての一つの結論なのでしょうね。

福田氏:
 それにね、私たちがやっていたああいうアルゴリズムの工夫が、プレイヤーさんが『大戦略』に徹夜までしてのめり込む理由になっていたかというと違う気がするんです。

――というのは?

福田氏:
 なんていうのかな……ねちねちとエースが沢山生み出されて、敵をバタバタと倒していける満足感だとか、バランス的に難しそうなマップをうまい具合に敵をゼロになるまで叩けるやり方を見つけたとか、妙なところに自分の勝利目標を勝手に設定できるじゃないですか。僕は『大戦略』の他のゲームとの違いは、むしろそういう部分にこそあったと思うんです。

――いまの感覚でいうと『マインクラフト』(※)みたいなサンドボックス系の、砂場遊びに近いような、一人でも何かを再現する楽しみが味わえるし、ハイレベルになるとパズルを解く楽しさが味わえるような、そんな喜びがあった気がしますね。

※『マインクラフト』
マルクス・ペルソンが開発し、2009年に公開されたサンドボックスゲーム。様々な種類の立方体のブロックで構成された世界で、ブロックを配置して自由な形のものを作り上げるゲーム。

石川氏:
 ああ、そういう側面はあるかもしれないですね。それこそ、スパロボみたいな楽しみ方ですよね。効率が云々よりも、おれは絶対にコンバトラーVは強くする、みたいな。

 ただ、福田の言いたいことは、プロセスの話なんじゃないかと思いますね。

 たぶん、普通のシミュレーションゲームの面白さって、自分で戦略を立ててその通りに上手くいくような満足感なんです。でも、それって最後までプレイして、初めて味わえる快感でしかない。そして、これこそがストラテジー系とかシミュレーション系のジャンルの最大の弱点なんです。一番の楽しさを味わうまでのタイムスパンが、とてつもなく長くなってしまうんですね。

 ところが、『大戦略』は「目の前の敵をA-10で全滅させたぞ」みたいな、そういう小さな楽しみ方が随所にあるんですよ。 

福田氏:
 しかも、それは「全滅させた爽快感」とかの、感覚的なものだったりするんだよね。ビジュアルや効果音も含めての快感というか。 

石川氏:
 最後にマップで勝ったところの爽快感はもちろん大事なんですが、実はそこにたどり着くまでの刻みの部分に細かく面白さがあったのは、やっぱり大きかったんだろうと思いますね。

 当時、演出としての「戦闘シーン」なんかも、僕らは、必要性があるのかと議論していました。無駄に時間がかかるし、本当に必要なのかなって思っていたときもあったんです。でも、やっぱりプレイヤーさんはみんなしっかりと戦闘シーンを見るんですね。

 最初の『大戦略』のときなんか、弾が1個ずつ飛んで行ったのですが、「イケっ!と言いながら気合を込めると、命中率が上がる気がする」なんて言ってる人がいたくらいです(笑)。でも、それだって、ゲームの楽しみ方だと思うんです。そう思うと、やはり重要なのかなと思いましたからね。

福田氏:
 そうそう。でも、そうやって頑張っていると奇跡が起きることもあるからね。実際、歩兵の航空機への命中率が、乱数の関係で実は1%あったんですよ。そうすると、「歩兵が戦闘機を落とせるわけ無いだろう」なんて怒るんだけど、実際に自分に起きるとみんな大喜びするというね(笑)。 

藤本氏:
 まあ、たまに当たることもあるでしょう、と(笑)。0%だとなんか悲しいですよね。

――でも確かに、この取材の前に宮迫さんに伺ったとき、宮迫さんの分析も、やはりそれまでのゲームは勝ち負けだけに焦点があったけど、大戦略の場合は途中の快感があって、プロセスそのものを楽しめるものだったという話でした。

福田氏:
 まあ、そういうことなんですよ。

――そういう話を聞いていると、『大戦略』というゲームがいかにデジタルゲームならではの楽しさを取り込んで作られていたのかが、見えてきますね。ちなみに、当の藤本さんとしては『大戦略』の面白さのコアはどの辺に見ていたのですか?

藤本氏:
 うーん。そんなに深くは考えてないなぁ……。

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――(笑)

石川氏:
 でも、逆にいうと、あんまりそういうこだわりのないところが、藤本さんのいいところなんですよ。やっぱり、僕とか福田さんは、ゲーム作るときにある程度は理路整然と組み立てるんですが、藤本さんの場合は、「これ入れると面白そうじゃん!」ですからね。

 藤本氏:
 まあ、感覚でやってるから(笑)。

石川氏:
 だからこそ、あんな普通じゃないゲームが生まれたんですよ。

 最初の『大戦略』なんて、まさにそうじゃないですか。誰もが見たことのない組み合わせだったと思いますよ。そして、これが上手くいくと、すごく面白いものが連鎖反応的に生まれてくるのが、藤本さんのゲームの面白さなんですね。

福田氏:
 でも、そこが悪いところでもあるかな(笑)。逆にいうとゲームデザイン的な見立てとは違う面白さでもあるので、たくさん入れ過ぎると、整合性を取るのが大変になる。そこが良くも悪くも、藤本さんの特徴であり、『大戦略』というゲームだったように思いますね。

藤本氏:
 そうですね。まぁ、そういうことにしておきましょう(笑)。(了)

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  日本のコンピューターゲームシーンにおいて、シミュレーション(と敢えて呼ばせていただく)ウォー・ゲームの始祖的存在となった『大戦略』。その後、シリーズ化、移植版、そして無数のフォロワーを生み出し「大戦略」タイプは、一大ジャンルとなった。

 今回、最初の原型『エリア98』を作り上げた藤本淳一氏、その後システムソフトで藤本氏と共に『現代大戦略』から始まるシリーズを作り上げていった、福田氏石川氏にお話をうかがい、当時のパソコンゲームにまつわる熱気にあふれた雰囲気の一端を味わわせていただいた。

 松山出身の藤本氏は、寡黙にして飄々とした人柄、伊予人とはこのような人種なのか(と司馬遼太郎なら書いてしまいそうな)感じで、一見何のこだわりもなく感覚で作り上げていながら、その創造物は融通無碍な器を有したものであり、お話を聞きながら一種の天才性を感じさせられた。

 また、プロトタイプを持ち込まれたシステムソフト側の、宮迫、福田、石川の各氏が、最初からユーザーとしてハマって面白がると同時に、マニアックな側面を大いに刺激され、ディベロッパーとして手塩にかけて開発に携わっていった、という図式にも注目したい。コンピューターゲーム史上に名を残す、傑作タイトルや著名タイトルには、偶然揃った面々、たまたま人を得た、というスタッフに恵まれた逸話が存在することが多いが、『大戦略』もまた、その一例であったといえる。

 直感的な切り口から要素を盛り込んでいく藤本氏に対して、ロジカルな思考によってシステム全体をまとめ上げていく福田氏と石川氏。藤本氏の奇抜なアイディアに、当時のシステムソフト側スタッフが解釈を加えて実現化を図っていくという過程から、『大戦略』という、独自の抽象化により構築されたシステムが誕生した。

 時代も、その誕生を助けたといえるだろう。一個人の持ち込みタイトルが、ほぼそのまま採用されての製品化、それが日本のコンピューターゲーム史上屈指のヒットシリーズとなったのは、市場も制作側もファン層も未成熟ながら、それぞれが将来の発展に無限の期待を抱いていたからではないだろうか。本作は、そんな時代の熱気が生み出した賜物であったと言えるかもしれない。

 最後に。冒頭でも触れたが、この座談会は、十数年ぶりに顔を揃えた『大戦略』のキーパーソンたちにとって同窓会的なイベントでもあった。懐かしい話をふり返りながら、当時の時代の熱気に当てられたせいか、自分達の原点を改めて再確認した模様。その後、どうやら昔のメンバーで新たな「藤本版大戦略」を作ろう、という話も動き出した(?)とかなんとか。是非、実現することを期待したい。

(次回は『ダビスタ』開発者・薗部博之氏『ソリティ馬』を開発したゲームフリークの面々を招き、「競馬」の面白さを語って頂きます)

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