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「あの瞬間」何が起きていたのか? キーマンたちが初めて語るポケモン GOリリース直後の熱狂、その舞台裏【ポケモン石原恒和×ナイアンティック川島優志×ゲームフリーク増田順一】

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そして『ポケGO』は走り出した

──さて、ここからは『ポケモン GO』がいかにして開発されたのかを、訊いてみたいと思います。

 このあたりのお話はネットや書籍ですでに証言が結構出ていますね。先ほども石原さまのお話にありましたが、2014年のGoogle マップのエイプリルフール企画だった「ポケモンチャレンジ」が、『ポケモン GO』に繋がっていったのですね。

川島氏:
 そうですね。2014年の3月28日に、「ポケモンチャレンジ」に関して、Google社内で「こんなものを4月1日にやりますよ」というプロモーションビデオが共有されたんです。

 このプロモーションビデオに、現実世界の砂漠に現れたポケモンを追いかけたり、海でみずタイプのポケモンを釣り上げたりと、ポケモンがまさにAR的に表現された状況が描かれていたんです。

 それを見たとき、偶然にもジョン(※Niantic, Inc. CEOのジョン・ハンケ)が近くにいて、しかもちょうどそのころ「ナイアンティックは『Ingress』の次に何をしよう?」というブレストをしていた時期でした。
 そこで、「ジョン! 見ろ、絶対これだよ!」と言いにいったら、ジョンが驚いた顔で画面を指して──「これだ!」と(笑)。

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Niantic, Inc. CEOのジョン・ハンケ氏
(Photo By Getty Images)

 その晩すぐに「ポケモンチャレンジ」の担当者だった野村(達雄氏)に「ジョンと会ってくれ!」というメールを送って、会って話をしたんです。

──それ、ほとんど川島さんが仕掛け人じゃないですか(笑)。

川島氏:
 すると、4月1日のプロモーションのために野村が日本に行くというので、「そのときに株式会社ポケモンの方と話してみます」ということになりました。

 そこからはもう、本当に早かったですね。1ヵ月後には日本にジョンと一緒に飛んでお話をして。さらに1ヵ月後には石原さんたちにアメリカに来ていただいて話を聞いて……という感じで、6月にはもうGOサインが出てました。

──なんだか怒濤の展開で進行していますが、ちょっと少し話を遡らせてください。そもそもこの「ポケモンチャレンジ」には、株式会社ポケモンは関わっていたんですか?

石原氏:
 ええ。ただ、そもそもは2012年のGoogleのエイプリルフール企画の「ファミコン版Google マップ8ビット」というものが発端なんですよ。
 実際にGoogle マップがファミコン時代の『ドラゴンクエスト』のようなグラフィックに置き換わり、そこを冒険できるという内容です。

 その企画の動画がYouTubeで600万回ほど再生されて、ユーザーからも実際に試して遊んでみたというリアクションがあったというんですね。
 それを受けて、今度は2014年のエイプリルフール企画として「ポケモンチャレンジ」が、我々に持ち込まれてきました。もちろんOKで、「『ドラクエ』の再生数は超えたいねえ」なんて話をしていました(笑)。

増田氏:
 僕はあの動画を見たとき、「あ、これは解っている人が作っているな」と思いました。

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 もちろん、「このポケモンはここには出ないな」なんて思う部分はあるんですよ。ただ、確実にポケモンの「捕まえて集めていく楽しさ」を体感したことがある人が作っているのは判るわけです。

 その後、実際に担当の方に会ったとき、最初に「『赤・緑』世代です」と言われたんです。「20年経つとこういうことが起きるのか」と感慨深い経験でした。それが『ポケモン GO』でも大きな役割を果たしてくれた、野村(達雄)さんですね。

野村さんのエピソード

──おそらくここで、今日はここに来ていないキーマンのお話をする必要があるでしょう。
 すでにインタビュー記事などでその存在を知っているファンもいるかもしれませんが、Googleに野村さんという「大のポケモン好き」のキーマンがいたことが、一連の『ポケモン』関連企画の要になっているように思います。

石原氏:
 ええ、そうですね。彼が『ポケモン GO』の最初のプレゼンを、当時の任天堂社長であった岩田聡さんの前でしたときのエピソードがあるんです。

 なんと彼は『ポケモン GO』そっちのけで、自分で作って持参したファミコンのエミュレータ上で『アイスクライマー』を動かして、「ここまでいったんですけど……」という話を始めたんです(笑)。

 そもそも彼はプログラムにハマった最初のきっかけが、『赤・緑』でのチートだったそうです。
 そこから、彼はコンピュータの中身を掘り下げていく中で、「コンピュータがこんな仕組みで動いている」と理解し、そういう興味から遂にはソフトだけでなくハードまで叩くようになったんです。

──『赤・緑』のチートから……というのは、なかなかドキッとするエピソードですが(笑) 、そういうコンピュータへのハマりかたは、なかなか本格派ですね。

石原氏:
 ええ、そういう彼の出自は、まさに岩田さんとリンクしているわけです。チートが……という意味じゃないですよ(笑)。
 ゲームや通信の仕組みがどのようにできているのか知りたいと思い、それを解明するために、ソフト面からもハード面からもアプローチする、その姿勢のことです。

 そして、そのデモを見た岩田さんは──「よくぞ、ここまで組み立てました」と言いました。
 岩田さんも僕も、「この野村さんという人は、こういうことに興味を持ち、そして熱中して仕事ができる人なんだ」ということを感じ取って、『ポケモン GO』にとてつもない可能性を覚えた瞬間でした。

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岩田聡氏
(Photo By Getty Images)

 あとから野村くんに聞いたら、そもそも彼は岩田さんに会って「自分がこれまで作ってきたもの」を見せるのが昔からの目標だったと言うんですよ。
 大学院にいたころから、彼はファミコンのエミュレーションを自分ですべて構築して、ハードも組み立てていました。そして、それをいつか任天堂の人、できれば岩田社長に見せたいと思い続けていたのだそうです。

──積年の夢を実現する場だったんですね。増田さんは、野村さんとお会いしたときにどういう印象をお持ちになりましたか?

増田氏:
 人を巻き込む力があるエンジニアだな、と思いました。
 僕もエンジニア出身なのですが、エンジニアはどうしてもコミュニケーションが苦手だったり、「ここは全部俺がやるからな!」というような発想になりがちなんです。

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 でも、彼は違う。「これ解らないんだよね」とか「どうやったらできるか教えて」というようなことを、ストレートに訊けるエンジニアなんです。それって開発の現場では本当に大事なことで、「彼にやらせてみたい」と思った、もっとも大きな部分です。

川島氏:
 結局、「ポケモンチャレンジ」から半年ぐらいして、彼はナイアンティックに加わってくれることになりました。僕自身は、「ドラクエマップ」のころから一緒にいろいろとやっていたので、人となりはよく知っていたんですけどね。

 実際のところ、野村がいたからこそすべてが上手く繋がっていったのだと思います。「ポケモンチャレンジ」を通して石原さんを始めとした信頼関係があったのも大きいですね。

石原氏:
 彼にとってみれば、この『ポケモン GO』を作り出すことで、いろいろな役割が演じられたのだと思います。

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野村達雄著『ど田舎うまれ、ポケモン GOをつくる』書影。
(画像はAmazonより)

 彼の企画提案したエイプリルフールジョーク「ポケモンチャレンジ」も、最終的に4500万回ほど再生されました。
 それは非常に大きなインパクトで、ここで初めて「実際に現実の場所で、ポケモンを捕まえる」という遊びの可能性が浮上してきました。

『ポケモン』と『Ingress』の相思相愛ぶり

──そうしてエイプリルフールから2ヵ月後には、すでに開発にGOサインが出ていたわけですよね。相当な速度だと思うのですが……。

川島氏:
 なにせアメリカ本社で行われたジョンを交えた最初のミーティングで、いきなり最初の企画書を石原さんたちが持参されたんですよ。
 まさに『Ingress』の上に『ポケモン』が乗っかっているようなサンプルイメージも自作されてもいて、一気に「ぜひ前に進めましょう」となったんですよ。

石原氏:
 僕が増田君に企画書をお願いしたら、「ちょっと考えてみました」という1cmくらいの厚さの企画書が届いたんですよ(笑)。

 長いあいだ『ポケモン』を作ってきた人間にとっては、新しい『Ingress』的なフィールドで広がる『ポケモン』の可能性を拡大していくと、ここまで世界が足し算できるぞ……というものがあったんでしょうね。

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 ところが一方で、『Ingress』を作ってきた人たちから見ても、こんな『ポケモン』ゲームを作りたいというものがあった。そちらも1㎝くらいの企画書でしたから、足すと2㎝ぐらいあるんです(笑)。

──分厚い(笑)。それぞれどんな企画書を提出してきたのですか?

川島氏:
 野村と、当時いたもうひとりのプロダクトマネージャーと一緒に、「株式会社ポケモンの人にどうやったら受け入れてもらえるか」とブレインストーミングをして、とにかくポケモン側にリスペクトしたものを提出しました。
 率直に言って『Ingress』よりも、ずっと『ポケモン』に近いものだったと思います。

増田氏:
 僕のほうは、逆に『Ingress』がベースにあったので、その面白さはそのまま入れたかったんですね。

 最初の企画書では、ポータルにポケモンを置くだけじゃなくて、『Ingress』っぽい多重コントロールフィールド【※】を使った遊びもやりたいし、フィールドで絵も描きたいし……というような感じで、いま思うとてんこ盛りでした(笑)。

──うーん。だいぶ、相思相愛ですね。

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※多重コントロールフィールド……『Ingress』において、ポータルを設置する際に、コントロールフィールドとなる三角形の底辺を多重に共有させること。経験値をはじめ、いろいろな点で有利なことが起きる。画像では多数の多重コントロールフィールドが展開されている

川島氏:
 凄く印象に残っているのが、最初に石原さん増田さんとお会いした3日後に、石原さんから『Ingress』に関するハードコアな質問がいっぱい送られてきたことです(笑)。

石原氏:
 最初に話をいただいたときに、当時ベータテストが終わった後のころの『Ingress』を紹介されました。

 「こういうことがやりたいんだ」みたいな話をもらって、そこで初めて触ったんです。

 そしてハンケさんに会ったときにはレベル8だったかな。会ってそうそう「もうそんなにやり込んだんですか!?」って驚かれましたね。

──そりゃそうでしょう……。【※】

※レベル8に到達すると、アイテムが全て開放されるため、『Ingress』プレイヤーの最初の目標となる。レベル8到達までに必要なAP(いわゆる経験値)は、120万。基本的なAP獲得方法である「敵のポータルをハック」では100AP、「新規ユーザーを招待」(3000AP)を除けば、最もポイントの多い「コントロールフィールド(CF)の作成」でも獲得できるAPは1250。本文中に述べられている「多重コントロールフィールド」は、この「CFの作成」を多重に展開することでAPを効率的に獲得する方法でもある。

石原氏:
 自分でポータル申請を40ヵ所ぐらい出していたので、そのとき「申請がなかなか通らないんだよ」と文句も言ったりして……(笑)。

川島氏:
 実際、石原さんは相当にやりこまれているんです。なにせレベル13になったあと、もう一回最初からやり直すみたいなことまでされていますから(笑)。

 しかも、そのミーティングの直後ぐらいに石原さんがGoogleジャパンに招待されて、講演をされたことがあるんです。

 そこでのテーマは『Ingress』も『ポケモン GO』もまったく関係なかったんですが、最後の10分ぐらい、石原さんが唐突に『Ingress』で六本木ヒルズの周辺に多重コントロールフィールドを作る方法を話し始められたんですよ。

石原氏:
 懐かしいですね。シュミットさん(※Googleの元CEOエリック・シュミット氏)の著作『第5の権力』が出た直後ぐらいだったので、それをちょっともじって「第5のゲームパワー」というプレゼンをしたんですよ。

 結構真面目に「『ポケモン』とは何か」というような話と、ハンケさんとの打ち合わせに触発される形で「『ポケモン』とGoogleでこういうことができると面白いですね」という話を「ニューエイジ・オブ・ポケモン」なんて名づけて、語ったんです。

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多重コントロールフィールドのスライド

 ところが、それでやめておけばよかったのに、最後に「『Ingress』をプレイするとき、六本木ヒルズの多重コントロールフィールドはどう作ればよいか」というプレゼンをつい入れてしまって……(苦笑)。

 「ヒルズ周辺だとこうするのが効率がいい」というようなことをとても詳しく解説したのですが、もうその場にいたGoogle社員の150人ぐらいが、一斉に引いているんですよ(笑)。

──六本木ヒルズでインテリジェンスなトークをしていた人が突然、「廃ゲーマー」そのものみたいな話をし始めるわけですから、そうかもしれませんね(笑)。

石原氏:
 もちろんGoogleの中に、ハイレベルなプレイヤーも2〜3人くらいはいたみたいです。
 「俺も同じようにやっています」というような反応もいただいたんですけど、ほとんどの方は「この人はいったい何をしに来たんだ?」という感じでしたね(笑)。

 『Ingress』というのは地図上の陣取りなんだけど、その陣地の所有を二重三重に重ねると防御が強くなるとか、アレがあれば効率がいいとか、「そういうことをコアに語るのはいまが旬だ」と思って、もう一生懸命に語ったのですが……どうやら場違いだったようです(笑)。

川島氏:
 この多重コントロールフィールドというのは……まあ、非常にマニアックなんですよ(笑)。

 でも、僕と野村は、アメリカからビデオシステムで入って勉強させてもらっていて、最後にこの話が出たときには、凄くテンションが上がりました。素晴らしかったです。

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石原氏:
 ちなみに、増田君も『Ingress』をやりこんでいたんですよ。「オフ会に出た」とかいう噂を聞いたよ(笑)。

増田氏:
 いえ、僕はそうでもないです(笑)。土日に外へ行って遊ぶくらい……な感じですから。

川島氏:
 いや、これは謙遜ですね(笑)。増田さんも最初から、エッフェル塔のポータルキーの話とかをバリバリしてましたからね。

──なるほど(笑)。ちなみに、増田さんは『Ingress』に触れて企画書を書いた結果、どんな風にゲームデザインを分析されたのですか。

増田氏:
 まずは「世界を自分のモノにしていく感覚」の面白さですよね。

 例えば、 東京タワーの足下に増上寺があって、近くがポータルだらけなんです。だから増上寺を見て真っ青に“水没”【※】していようものなら、僕は「緑にせねば」と思って土日にうろうろして全部ひっくり返していくんです。
 そのひっくり返すときの満足度が、とても高いんですね。そして、こうしたことを自分なりに成し遂げながらレベルを上げていく部分も面白い。

 だから、最初の『ポケモン GO』は企画段階から、あまりバトルの部分を想定していないんです。単純に「東京タワーのポータルに俺のピカチュウを置きたい」みたいなことがやりたくて、ポケモンを通じて「この場所は俺のもの」みたいにできる感覚を味わえれば……と思っていました。

※水没
『Ingress』の勢力には、緑の陣営(エンライテンド)と青の抵抗勢力(レジスタンス)があり、フィールドが後者に制圧され、青く染まった状態を「水没」と呼ぶスラングがある。

──それは、ジムに残っていった要素になるのでしょうか。

増田氏:
  そうですね、ただ、ポケモンどうしのバトルの要素のみでは作りたくなかったんですよ。ピカチュウを東京タワーに置く陣取りゲームにするのも、逆に他の人から見れば「敵」にもなってしまう。

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『ポケモン GO』の3つのチームとそのリーダー
(画像は『Pokémon GO』公式サイトより)

 そういう「敵」という関係性はあまり作りたくないなと思っていたのでチームにしたんです。
 しかも、ふたつのチームじゃなくて3つのチームにしてはどうか……などと、いろいろと考えていました。

プロデューサーとして「引き算」の決断へ

──こうお伺いしていると、なんだか「相思相愛」とは言うものの、双方ともにお互いに夢を見合っていて、なかなかたいへんそうな気もします。

石原氏:
 ええ、お互いの企画書がそれぞれ厚さ1cmずつという状態ですから。これでは作品は仕上がらないんですよ。

 じつは「難しいもの×難しいもの」で「超難しいもの」が出来上がってしまうというのは、物作りにおいてよくある失敗のパターンなんです。
 先鋭化した者どうしが、ますます先鋭化してしまい、尖った先の1万人ぐらいのプレイヤーしかプレイ出来ないものが仕上がってしまうという……。

 やり取りの中で、だんだんそういう傾向が強くなっていき、逆に「引き算のデザイン」をどのくらい一緒に考えられるかという風に、舵を逆に切ったタイミングがありました。

──もう「バシッと引き算しないとやばいだろう」と、石原さんがある種プロデューサー的な観点で判断を下したわけですね

石原氏:
 ええ、そうですね。そうしなければ目標がどんどん後ろにずれて行くし、なにより双方にゴールが見えなくなると思いました。

川島氏:
 あるとき、石原さんが「もうポケモンを捕まえるだけでも、いいぐらいだ」というような感じのことを言われたんです。ものすごくシンプルで、そして間口をできるだけ広く解りやすく取る発想です。「まさにそうだな……」と私も感じました。

増田氏:
 確かに、とにかくまずは「捕まえる」ところが絶対に必要なゲームだったんです。まずは、そこから手をかけて作っていくことになりました。

──なんともプロデューサーらしい発想ですが、結果的に見れば、間違いなく製作上における非常に大きな英断ですよね。『Ingress』をこれだけマニアックに遊びながら、一方でそういう客観的な判断を下せてしまうところは、なんとも石原さんらしいと言いますか。

川島氏:
  ジョンとアメリカでミーティングをしていたときにも、石原さんは「『Ingress』はまったく新しい革新的なゲームだけど、世界観がハードコアなSFで、非常にニッチだと思います。これに『ポケモン』を加えることで、とてつもないことが起きますよ」と仰ったんです。

石原氏:
 一方で私が『Ingress』をプレイヤーとして触りながら想像を働かせていたのは安全性でした。

 すでに1400万ダウンロードされているけど、『Ingress』はどの程度、安全に遊ばれているんだろうか。たとえば外にいるときに、どれくらいのバランスで画面を見るのだろうか。そういうことに注意して遊びました。

※『ポケモン GO』の起動画面は、周囲の安全に気を配るよう注意を喚起する内容になっている。

 だって、ずっと家の中、あるいは電車などでの移動中に遊ぶのが基本だった『ポケモン』が、今度は外で遊ぶ状況になるわけですからね。
 『Ingress』の3年間の安全性に対する配慮と実績は、たいへん参考になりました。そしてそこからPokémon GO Plus」の開発に向かって行きました。

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