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“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門

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新学問、ゲームスタディーズ誕生の背景にあるもの

──そもそもゲームや遊びに関わる概念についての研究はいつ頃からあるんでしょう? 今回おふたりの論文や著書を読んで、「こんなに多様な研究があるんだ」という印象を持ったんですが。

松永氏:
 ビデオゲームじゃないゲームの研究自体は散発的ながらけっこう古くからあります。そのなかで「ゲームとは何か」みたいな本質論をやっている人は何人かいて、ヨハン・ホイジンガ【※1】やロジェ・カイヨワ【※2】がとくに有名です。
 彼らの言語だと「遊び」と「ゲーム」を区別しないんですが、ともかくゲームの本質とかゲームの定義についての議論というのはあったんですね。

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※1 ヨハン・ホイジンガ……オランダの歴史家。著書『ホモ・ルーデンス』で、人間を「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」として、あらゆる文化は遊びから生まれ、遊びこそが人間活動の本質であるとした。コジマプロダクションのキャラクター「ルーデンス」もここから取られている。
(画像はホモ・ルーデンス (中公文庫プレミアム) | ホイジンガ, 高橋 英夫 | Amazonより)

※2 ロジェ・カイヨワ
フランスの文芸批評家。社会学者、哲学者としても知られる。第二次世界大戦前後より西洋合理主義への行き詰まりから遊びや祭りに着目し、著書『遊びと人間』では遊びを「アゴン(競争)」「アレア(偶然)」「ミミクリー(模倣)」「イリンクス(目眩)」に4分類して考察した。

 冒頭でもお話ししたように、2000年頃にゲームスタディーズという新しい学問分野を作ろうという動きが出てくるんですが、これはもともとビデオゲームを「新しい物語媒体」として理解しようとする研究へのカウンターだったんですよ。

 つまり、ビデオゲームは物語のための媒体という側面もあるけれども、それよりもまず「ゲームをするものだ」と。たとえば、『スーパーマリオブラザーズ』って物語はどうでもいいじゃないですか(笑)。物語よりもゲームプレイに見どころがあるわけですよね。

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(画像はNintendo Switch|アーケードアーカイブス VS.スーパーマリオブラザーズより)

──たしかに、アクションや格闘ゲームで楽しいのはアクションや操作の気持ちよさとかであって、物語がメインではないですね。

松永氏:
 そういう「ゲームをプレイする」という独特の経験こそがビデオゲームの重要な特徴なので、そこをまずしっかり扱いましょうというのが、ゲームスタディーズが勃興するにあたっての強い動機だったんですよ。
 それでゲームスタディーズの研究者たちが最初何をやろうとしたかというと、昔ながらのゲームの定義論を参考にしながら「ゲームとは何か?」という問題を考えようとしたんです。

 具体的な書名で言うと、ケイティ・サレン(‎Katie Salen)とエリック・ジマーマン(‎Eric Zimmerman‎)による『ルールズ・オブ・プレイ:ゲームデザインの基礎』【※】、それから先ほどの『ハーフリアル』がゲームの定義をまとめた本として有名です。どちらも2000年代の研究ですね。

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※『ルールズ・オブ・プレイ:ゲームデザインの基礎』……エリック・ジマーマンとケイティ・サレンによって2003年に出版されたゲームデザイン論。「ルール」、「プレイ」、「文化」という3つの大きな観点からゲームについて論じた。2011年にソフトバンククリエイティブより邦訳が出版(絶版)、2019年にニューゲームズオーダーより再販されている。
(画像はRules Of Play – New Games Order, LLC.より)

──ビデオゲームを含まない遊びの研究と、現代のビデオゲーム研究は、接続していく方向性にあるのか、それとも一回離れようみたいな方向性なんでしょうか?

吉田氏:
 遊びとゲームの両方があり、研究としてもどちらかに回収していくのではなく、その両方をどう関係づけていくかということがポイントになると思います。

 いまの松永さんが言ったことを補足すると、文化人類学がその両方を研究してきたんですよね。
 文化人類学では、子供の遊びのようなものをふくめ、ゲームが20世紀後半から研究されていました。たとえば(ブライアン・)サットン=スミス【※1】が有名です。ホイジンガとカイヨワからの直系なのですが、日本でその伝統はあまり強くなくて、文化人類学者がゲーム研究に入ってくることはほとんどない。
 それよりは、ゲーム研究者が勉強していく過程で文化人類学の蓄積に出会って、その豊かさに驚くことが多いです。

※1 ブライアン・サットン=スミス
遊びの多様性と流動性に注目し、『遊びの曖昧さ』など多くの著書を残した研究者。ニュージーランドからアメリカに渡り、後年はペンシルバニア大学教育学部名誉教授を務めた。

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 かくいう私もそのひとりですが、たとえばクリフォード・ギアツ【※】によるバリ島のギャンブル(闘鶏)の研究には、現在のゲーム研究に活かせる知見がたくさんあります。
 遊びとゲームも歴史をたどれば、古代ギリシャの時代から文献が残っています。遊びまで広げて考えると、本当に人間の文明全体をカバーできるような議論になる。
 「ルドロジー」(遊びについての研究、ラテン語の「ludus(遊び)」に基づく20世紀の造語)という言葉もそれを意識して作られているんですね。

※クリフォード・ギアツ
アメリカの文化人類学者。インドネシアでのフィールドワークでとくに知られ「アメリカで最も影響力のある文化人類学者」と長く称された。著書に『文化の解釈学』『ヌガラ』など。バリ島の闘鶏についての考察は『文化の解釈学』に収録されている。

 ただそこにゲームをどう位置付けるのか、というのは大事な問題で、遊びという枠で考えられることと、ゲームという枠で考えられることはけっこう違ってくる。そこを整理して、ゲーム研究ではすくいとれない遊びの問題がこんなに残っています、というのが今回松永さんが翻訳された『プレイ・マターズ:遊び心の哲学』【※】の主題かなと思っています。

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※『プレイ・マターズ:遊び心の哲学』……2014年にデンマークの研究者、ミゲル・シカールによって出版された「遊び」論。ゲームに絞って焦点をあててきたゲームスタディーズに異議を唱え、物、空間、人間関係など多様な事柄が関わる「遊びの生態系」全体の観点から遊びを捉えることの重要さを提示する。2019年に松永氏による翻訳版がフィルムアート社より出版された。
(画像はプレイ・マターズ 遊び心の哲学 (Playful Thinking) | ミゲル・シカール, 松永伸司 | Amazonより)

松永氏:
 「ゲーム」と「遊び」と「ビデオゲーム」をどこまでつなげるかという問題ですよね。ストレートにつなげると良くない面もあると思います。

 これは自分の研究のスタイルですけれど、まず割り切れないもやもやした現象があることを認めた上で、それをどう整理して説明し、理解するかという方向で話を進めたい。
 だからたとえば「ビデオゲームを遊ぶとかプレイするという言い方を我々はします。したがって…」とか「ビデオゲームはその名の通りゲームの一種です」というような、ただの言葉遣いからスタートする議論はしたくないんですね。

 「概念の研究」という言い方と矛盾するように聞こえるかもしれませんが、「遊び」とか「ゲーム」のようなはっきりしたカテゴリーが最初からあるのではなく、あくまで実際に起きている現象や実践がまずあって、それをどういう概念を使ってどう説明するかというふうに持っていきたい。

 その視点で考えると、たしかにいまのビデオゲーム文化には、ある面では従来の遊びやゲームにつながる部分もある。その一方で、ビデオゲームによって初めて出てきたような経験がある。あるいは遊びじゃなくて文学とつながる側面もある。
 そういう形でビデオゲーム自体がいろんな顔を持っている。

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 僕は基本的に遊びの研究というよりはビデオゲームという媒体の研究をしたいと思っているので、ビデオゲームのいろいろある側面のうちのひとつとして遊びやゲームがある、というふうに考えています。

吉田氏:
 松永さんの『ビデオゲームの美学』のもっとも重要な、かつ相当驚くべき前提は「ビデオゲームはゲームのサブカテゴリではない」と言い切るところですよね。
 ビデオゲームには何らかのシステムや法則の模倣という意味でのシミュレーションも含まれるし、ストーリーテリングも含まれる。それらが通常「ゲーム」と見なされないことを認めつつ、松永さんは、それらを含むかたちで「ビデオゲーム」を定義するわけです。
 「現象から始める」というのはきっとそういうことなのかな、と思いながら今の話を聞いていました。

──「これはゲームと言えるのか?」みたいな話はゲーム好きの間でもよくありますよね。プレイヤーの選択肢が少ないタイプのノベルゲームは、伝統的なゲームの文脈でゲームに入るかと言えばかなり怪しいけれども、ビデオゲームの文脈だとノベルゲームはすごく大きな部分を占めていたり。

松永氏:
 その通りで、ビデオゲームにはいろんなジャンルがありますけど、やっぱり時代ごとに「このジャンルはゲームじゃない」という議論は必ずあるんですよ。肯定的な意味でも、否定的な意味でも。ノベルゲームもそうだったし、最近だとウォーキングシム【※】とか。
 僕はそれがゲームかゲームじゃないかはどっちでもいいと思うんですけど、全体としてビデオゲームを見たときに、いわゆる典型的なゲームに還元できないものがあるのは明らかだし、にもかかわらずそれらはビデオゲームというひとつの大きな文化のなかに含まれているというのも明らかだと思います。

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※ウォーキングシム……ゲーム内空間を移動することに主眼が置かれたジャンル。パズルや謎解きは盛り込まれていることもあるが、戦闘や成長、駆け引きは少ないかまったく存在せず、あくまでもそのゲーム内空間での物語や雰囲気の体験に主軸を置いている。代表的作品に『Dear Esther』など。
(画像はSteam:Dear Estherより)

 そういう形でまず現象ありきだと思うんですよね。
 「ウォーキングシムはゲームじゃない」と言いたければ言ってもいいと思うんですけど、そこで線引きをする意味はそんなにない。意味があるとすれば、ウォーキングシムを好きな人と好きじゃない人が実際にいて、「好きじゃない人はたぶんいわゆるゲームらしくないから好きじゃないんだ」という説明ができるようになるというくらいですね。
 いずれにしても、それがゲームかどうかはともかく「ビデオゲームとはそういういろんなものが含まれているものなんだ」という理解でいいんじゃないかと思います。

まだ本気出してないだけ? 日本のゲームスタディーズはいつ始まるのか

──昔から「ゲーム」や「遊び」についての研究がされてきたなかで、それとは別に新しく「ビデオゲーム」そのものを研究しよう!というのがゲームスタディーズの大きな動機であったと。海外でその潮流が広まった一方で、国内ではまだまだ馴染みがない印象がありますが、日本ではどういう状況なんでしょう?

松永氏:
 先ほども言いましたが、日本でゲームスタディーズに馴染みのある人はほとんどいないと思います。「その議論をして何がうれしいのかわからない」という反応はよくもらうので、読者のみなさんに興味を持っていただけるかどうかは気になりますね。

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──電ファミの読者で言うと、本当にゲームが好きな人が読んでくれているという感じはあって、集合知的なゲームの歴史に興味を持っている人が多い印象はありますね。「こういう表現の最初はどこだ」みたいなことが話題になったり、文化の継承に興味を持っている人が多いので、親和性は高いと思います。

松永氏:
 少なくとも僕の研究はゲーム史の知識を直接提供することはないので、そういう関心からはちょっと外れるかもしれません。ただ、どういう見方で歴史を見たらいいのかとか、すでにある知識をどうやってまとめるのかとか、そういうところに「概念の学」の使い道があるということを知っていただけるといいなと思います。
 でもみんな自分で概念を定義するのは好きなんだけど、定義について議論するのは嫌いじゃないですか(笑)。

──定義についての議論というと、どんな感じでしょう? 「ゲームとは○○だ」みたいな話に対して、「いや、ゲームは××だ」というような?

松永氏:
 たとえばナラティブをめぐる議論で言えば、僕自身はナラティブを定義したことは一回もないんですね。
 自分で定義するのではなくて、「ナラティブなるものを定義している人々がいっぱいいるなあ」というのを眺めている感じなんですよ。それで、それぞれの人がその言葉をどんな意味で使っているのかを整理して、うまくいけばそこから共通の理解を引き出す。ゲームの定義でも同じ感じになると思います。
 上から目線に見えるのでそういう態度にあまりいい印象を持たない人もいると思いますが、概念を分析したり整理するというのは、そういうメタな視点で議論することだと思っています。

吉田氏:
 自分が言いたいことをブログやSNSのような手近なメディアで言ってしまうと、それで満足してしまうことが多いですよね。自分も書いていて楽しいし、読者の反応や批判もある。とはいえ、私もよくやってしまうので自己批判にもなるんですが。
 ただ、それで終わってしまうと知識や議論が蓄積されていかないんですよね。オンラインメディアは、議論を蓄積して共有するには不向きな場かもしれません。過去の議論がすぐに忘却されて、歴史的蓄積を活かした学問の発展がなかなか起こらない。ゲーム研究はそのもどかしさがあります。

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──なるほど。SNSなどで言いたいだけ言いっぱなしだと、たとえその定義や考えがよいものだったとしても、埋もれていってしまうと。そうなると、「ゲームとは○○だ」「いや××だ」みたいな話がその都度繰り返されてしまうわけですね。

吉田氏:
 そうですね。その一方で、松永さんの本は、確実に研究者の仕事と言えます。つまり、既存の議論をきちんと押さえているからですね。
 それは研究者としては当たり前のことなのですが、いわゆるゲーム研究者を名乗っている人でも、既存の議論を押さえていないことがしばしばある。もちろんこれは自己批判のつもりで言っていますが。
 だからゲーム研究という名前が一応あるけど、実はあまり「研究」と相性がよくないんじゃないかとすら思います。そのわりには「いまからゲーム研究が始まる」ということばかりいつも言われています(笑)。

──始まりっぱなしなんですね(笑)。

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松永氏:
 そこから一回も始まったことがない(笑)。「いまから始まる」とか「これから始まる」とか「ついに始まる」とかばっかりですよ。残念ながら自分の本の帯にも書かれてますけど。

吉田氏:
 研究にとっては蓄積が大切なはずなのに、過去の議論がなぜか放置されたまま「ゲーム研究がこれから始まる!」とだけ繰り返し言われている。「いや、もうすでにこんだけあるやんか!」と言いたくなります。
 10年前、20年前のことが忘れられてしまうのだとすれば、ゲームの世界にそもそも研究は不要ということになるので、さてどうしたものかなと思っています。

松永氏:
 本当にゲームに興味を持っていてもっと考えたい、という人がまだ少ないのかなという気もしています。開発者の方はもちろんゲームに関心があると思いますが、我々がやっているようなゲーム研究にどれだけ関心を持ってくれるかというと現状はけっこう難しいだろうなという印象です。

ゲーム批評とゲームスタディーズの違いとは?

──研究には過去の議論の蓄積が重要という点で言えば、いわゆる「ゲーム批評」的な言説もそこに入ってくるのでしょうか? ゲームについて人文学的なアプローチから語る、という観点ではゲームスタディーズにも近いところがあると思うのですが。

松永氏:
 ゲーム批評とゲームスタディーズでは、最終的に目指すところが一致することはあると思いますが、求められる手続きがはっきりと違うと思います。
 ゲームスタディーズは学問なので、理論研究であれば高度な論理性や明晰さが求められますし、実証研究であればそれに加えていろいろな科学的な手続きが求められます。それから、先行研究との関係とか、先行研究に対してどの点でオリジナリティがあるかを示す必要もありますが、批評の場合はそういうのがなくても、たいていは許されます。

──学問だから、エビデンスや再現性とか実証のような、客観的な記述が求められるわけですね。

松永氏:
 そうですね。ただ学問と一口に言っても、適切な手続きの基準が専門分野によってかなり違うので、ある分野からすれば適切に見える手続きが別の分野からすれば適切ではないということもあり得ます。「客観的な記述」の種類が専門分野によって違うことがあるということですね。
 とくにゲームスタディーズでは複数の専門分野の研究者が入り交じるので、その辺の判断がけっこう難しくなるケースがあるとは思います。

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 研究と批評の別の違いとして、批評のほうが規範的な主張を含みやすいという点があります。規範的というのは、たとえば「ゲームはこうあるべきだ」とか「この作品は良い」とか「このようにゲームの歴史を見るべきだ」とか「こういうふうに時代を見ると面白い」みたいな、「べき」とか価値判断が入っているようなタイプの主張です。
 もちろんそういうのを部分的に含む研究もありますし、逆にそういうのを含まない批評もあるので、この辺はおおまかな傾向として違うというくらいのことです。

 とくに歴史記述は、研究であろうがなかろうがある種のストーリーの構築であることに変わりないので、規範性を含みがちです。過去の作品や出来事の重みづけが必然的に含まれるということですね。だとしても、歴史研究において適切と認められた手続きをとっているかどうかという点で、研究と批評は区別できるとは思いますが。

──たしかに歴史記述は難しいところですね。電ファミに「日本モバイルゲーム産業史」という企画があるのですが、なるべく客観的なものを目指したいとは思いつつ、規範性は少なからず含まれてしまうなと。あまりに当時の資料が残っていないため、どうしても当事者や関係者の証言に頼らざるをえないという事情もあるのですが……。

松永氏:
 研究と批評の線引きはある程度はできるとは思いますが、完全にできるわけではないし、境界事例もたくさんあると思います。
 それから批評が研究を参照したり、逆に研究が批評を参照するというのも普通にあります。

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 とくにゲームスタディーズのように新しい分野の場合は、批評やエッセイみたいなそれ自体としては研究とは言えないテキストが、アカデミックな論文のなかで「先行研究」として扱われるケースは普通にあると思います。
 そういう意味では、両者はそこまで明確に区別できないし、する必要もないでしょうね。

相思相愛? ゲームデザインとゲームスタディーズの関係

──ゲームスタディーズは、ゲームについての研究を学問として、つまり過去の議論や研究を適切な手続きで積み上げて、さらに発展させていこうとするわけですね。そこで得られた知見は、ゲームデザインや実際のゲーム開発の現場で役に立ったりしているんでしょうか?

吉田氏:
 まずゲームスタディーズと開発現場との関係で言いますと、世界的にはGDC【※1】が最新の理論が発表される場になっていますが、それはあくまでもゲーム開発者向けのカンファレンスです。そういうのはゲーム業界に独特のことかなと思います。
 あと日本だとCEDEC【※2】にも、かなりアカデミックなセクターが入っていますが、これも基本的に開発者や企業が主催する会議で、学会ではないんですよね。それが良いか悪いかということではなくて。

※1 GDC(Game Developers Conference)
ゲーム開発者による国際カンファレンス。年1回開催されており、ゲーム開発に関する何百ものセッションが数日間かけて行われる。開発者によって選ばれる賞「Game Developers Choice Awards」も恒例となっている。

※2 CEDEC(Computer Entertainment Developers Conference)
日本で年1回開催されているゲーム開発者向けの技術交流イベント。いわば日本版のGDCで、もともとは東京ゲームショウに合わせて行われていた開発者向けの勉強会という位置づけだったが、現在では規模を拡大し別イベントとして開催されている。

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松永氏:
 昔はゲームデザインとゲームスタディーズがそんなに分かれていなかったみたいですね。いまはある程度ゲームスタディーズの人数が増えてきて、制度化されていくなかでゲームデザインとははっきり違う方向に分化していくような感じになっています。
 GDCやCEDECは主にゲーム開発者が参加するんですが、基本的にみなさんエンジニアなので、アカデミックな素養はあるんですよ。その点はほかのポピュラーカルチャーの作り手とは少し違うのかなという気がしています。

吉田氏:
 日本では今は三宅陽一郎さん【※】がいらっしゃいますが、彼以前には博士の学位を持ってゲーム会社に就職し、研究活動も継続するような人はほとんどいなかったのではないでしょうか。そういう人が増えてくると面白いと思います。

※三宅陽一郎
デジタルゲームの人工知能の開発者。京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、人工知能研究の道へ。ゲームAI開発者としてデジタルゲームにおける人工知能技術の発展に従事。

松永氏:
 またナラティブの話に戻りますが、遠藤(雅伸)さんも簗瀬(洋平)さん【※1】も、基本的にはゲーム開発者なわけですよね。その人たちが理論的な概念を提唱した【※2】というのは、ゲームデザイン理論のオーソドックスなあり方だと思うんですよ。作り手の人が理論を打ち出して、場合によってはそれが消費者を含めてバズるっていう。
 そういうのは生産的な面が必ずあって、その理論や概念が使えるものであれば実践でも研究でも使われていくはずです。

※1 簗瀬洋平……1976年生まれ。SCE、アトラス、ゲームリパブリック、サイバーコネクトツー、スクウェア・エニックスなどでゲーム制作に携わり、現在はユニティ・テクノロジーズ・ジャパンで研究者として活動中。参加作に『Folks Soul 失われた伝承』『魔人と失われた王国』など。2017年に東京大学大学院と制作した『Unlimited Corridor』で文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門の優秀賞を受賞。

※2[CEDEC 2013]海外で盛り上がる「ナラティブ」とは何だ? 明確に定義されてこなかった“ナラティブなゲーム”の正体を探るセッションをレポート – 4Gamer.net

──なるほど、ゲームスタディーズの研究者とゲーム開発者の間にはそうしたかたちでフィードバックがあるんですね。

吉田氏:
 やはりゲームデザイナーの人たちは本当に理論を欲しているんですよね。かつ、そういう人たちは実例もよく知っていますし、経験も豊富ですから、こちらも話していて楽しいし、こういうのはいい関係だなと思います。

松永氏:
 『ハーフリアル』は開発者の方がけっこう読んでいるらしくて、わりとその関係が理想的な形で表れていると思います。ただ訳者としては実はアンビバレントな気持ちがあります。「ゲームについての理論書」ということで作り手の人に過剰に期待されている感じがあって、ドキドキしてるんですよね。

 ゲーム開発に使えないとは言わないですけど、基本的にはゲームスタディーズの本なので、作るのに直接使えなくてもがっかりしないでほしいんです。
 たまたま上手く使えることはあると思うんですけど、ただそれを目指している本ではないので、そこは勘違いしないでほしいと思って。

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──GDCやCEDECはあくまでゲーム開発者向けという場所ですけど、ゲームスタディーズ側にもそういったコミュニティは作られるんでしょうか。

松永氏:
 ゲームスタディーズというか、広い意味でのゲーム研究はまさにいまそういう状況なんじゃないですかね。
 もうちょっと進んでひとつの大学でゲーム研究の専攻ができて、そこにいくつかの研究分野の先生がいるみたいになるといいのかもしれないですけど。

──その点では、吉田先生が所属していた立命館のゲーム研究センターはどういう状況だったんでしょうか?

吉田氏:
 もともと立命館ではゲームに関連する研究をしている人がいろんな学部にいたので、その人たちが集まる場を2011年に作ったんです。それを大学が公的な組織としてオーソライズしてくれました。
 メンバーは、それぞれの学部に所属しつつ、ゲーム研究センターにも所属するかたちになっています。

 文理融合で学際的なセンターで、たとえば法学部で知的財産権の専門家もいるし、映像学部で実際にゲームデザインを教えてる人もいるし、情報理工学部で人工知能を研究している人もいます。
 そういうふうに人を集めて組織を作るのは他の大学でも可能だと思いますが、なかなか他では聞かないですね。

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松永氏:
 ゲーム研究の制度化が上手くいくかどうかはどれだけ真面目にやる気がある人が集まるかという話だと思うんですよね。ゲームが研究予算を取るための口実にされることもあり得るわけですが、それだといい結果にならない。

 専攻を作るところまで行かなくても、ゲームや、もうちょっと広くポピュラーカルチャー一般を対象にした研究があたりまえにできるようになるといいなと思っています。
 たとえば僕は美学という分野が専門ですが、美学のなかで扱える対象がもっと広がるといいと思うんですね。
 美学や芸術学に限った話ではないでしょうけど、卒論を書くときにみんな悩むんですよね。「芸術とかとくに好きでもないです」という人も何か書かないといけない。そういう学生に、自分が興味を持っているカルチャーについてちゃんと意義のある卒論を書いてほしいわけなんですよ。

──わかります。自分も卒論で何を書けばいいのか、というところでかなり悩んだ覚えがあります。ゲームについて書けばよかったんですね(笑)。

松永氏:
 卒論のテーマとしてゲームは全然ありだと思います。ただ、今はまだそうするための枠組みが大学に用意されていないんだと思います。
 学生がゲームで卒論を書きたいとなっても、自分の研究分野以外のことを教えられる先生はまずいないし、ゲームを語るための方法論とか、どうすれば研究として上手くいくかみたいな、そういう枠組みが共有されていないんですよね。

 英語の文献を読めばそういうのはいっぱいあるんですよ。ただ英語の文献をバンバン読める学生はそう多くはないし、先生たちもそれを教えられないので、けっこう不幸なことになっているのかなと思います。

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──ゲーム作りなら今では専門学校などもたくさんありますけど、ゲームを研究することについてはまだ制度化があまり進んでいないんですね。

松永氏:
 そうですね。僕個人の目標としては、ゲームに限らずアニメとかマンガとか、これまで美学の対象じゃなかったものを美学でも普通に扱えるようにしたいというのがあります。分析美学はまさにそれを可能にしてくれるツールなんですよね。

 『ビデオゲームの美学』はそういう面をかなり意識して書きました。ゲームスタディーズの本であるだけではなくて、オルタナティブな美学のあり方を示す本でもあるという。
 その成果かどうかはわからないですけど、最近は分析美学に関心を持つ若者がかなり増えてきたみたいでありがたいですね。そういう方向性が日本の美学という学問全体にも広がっていけばと思います。

吉田氏:
 私が松永さんの『ビデオゲームの美学』を読んだときの感想は、いま言われたことそのものです。こういう本はほかになかったです。
 分析美学でひとつの対象を鮮やかに論じきっていることがまず稀有で、そのケースがたまたまビデオゲームだった。そういう評価ができる本ですね。

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