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【対談:「ゲームキッズ」渡辺浩弐×赤野工作】「そのゲームが面白くないなら、遊んでるヤツがつまらない」ゲームレビューの文学性とメタフィクションの可能性とは?

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オチは妄想の中に住むゲーマーたちが決める

ーーお二人とも近いテクノロジーを題材にして小説を書いていますが、丁寧に読むと方向性はだいぶ違いますよね。とくに渡辺さんはショート・ショート。オチを重視しているように見えるのですが、どのような手順で書いているのでしょうか。

渡辺氏:
 作家さんに会うたびに僕もどうやっているのかと聞くんですが、とりあえずプロットを先にきちんと書くかどうかで二分される印象ですね。乙一さん【※1】や奈須きのこさん【※2】はきちっとプロット決めてから書いているそうで、逆に滝本竜彦さん【※3】は先のことを考えずに一行ずつ書いていると聞きました。

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※3 滝本竜彦……1978年生まれ。日本の小説家。『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』(第五回角川学園小説大賞特別賞受賞)『NHKにようこそ!』などを手がける。
(画像はAmazonより)

 僕はショート・ショートの場合、短いのでネタとプロットを同時に頭の中で作っていきますね。長編は展開を複数考えて、書いてみて収まらなかったらボツにするという形です。宮崎駿さんのような天才なら先のことを考えなくとも書いていけるのでしょうが……それで物語として成立するのはスゴいことですよね。赤野さんはどうなんですか?

※1 乙一
1978年生まれ。日本の小説家、映画監督。『夏と花火と私の死体』『ZOO』『“The Book” jojo’s bizarre adventure 4th another day』などで知られる。

※2 奈須きのこ
1973年生まれ。日本のシナリオライター・小説家。『Fate』『月姫』シリーズなどのシナリオを手がける。

赤野氏:
 僕はプロットなどは作っていませんね。つね日ごろからゲームのことばかり考えているので、「未来になったらこういうゲームが出るだろうな」と蓄えてあるイメージを元に、「そのゲームはネットではこういう批評をされるだろうから、どう反論するか」を想像し、それを文章に起こすという感じです。何か細かく決めて書いていることはまったくないんですよね。

ーー『VGNN』は短篇集形式ですが、ひとつひとつがそれなりの長さで、しかも一本ずつきちんと落としどころがあります。そのオチも流れの中で落着させているということですか?

赤野氏:
 そもそも僕の妄想の中にいるゲーマーたちがあまりにも強いので、勝手にオチをつけてしまうんですよ。

 僕が考えるゲーマーと呼ばれる人たちは、どんなテクノロジーが出てきてもどんな政治体制ができても、いい方向にひねくれているので「楽しく遊んでやろう」となってしまうんです。だから想像がどんな方向に行っても「でもゲーマーは楽しく遊んでます!」という流れで自然にオチへと繋がるんですよね。

渡辺氏:
 それは科学技術の進歩や政治体制の悪化という、場合によってはヘビーな状況ですら楽しんで遊んでしまうということですよね。「ゲームを遊ぶ」というゲーマーの姿勢そのものに創作性があると。

赤野氏:
 そうです、そのとおりですね。

渡辺氏:
 赤野さんの場合、妄想のデティールを作っていくパワーや勇気がすごいですね。

同じテーマが導く対照的な未来観

ーー渡辺先生の作品、とくに『1999年のゲーム・キッズ』では「引きこもりと家族」、「夫と妻」、「先生と生徒」のような人どうしの繋がりを感じさせるテーマが多いように見えますが、そこはあえて意識して書いているのでしょうか。

渡辺氏:
 あー、それはあまり意識したことがありませんでしたね。ただ、ネットが普及したあとの世界を僕なりにシミュレートしたとき、家族関係や社会の構造が劇的に変わるなと思っていたんです。たまたま家族になったからいっしょにいるとか、近くに生まれて同じ年齢だからクラスメイトとして仲良くなるとか、これらはたまたまあった環境によって関係が強引に作られているわけですよね。でも、ネットがあれば親よりももっとわかりあえる人に出会うことができるのではないか」と考えたわけです。

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 ですので、家族や地域共同体の崩壊は明るい未来として捉えていました。当時のネットやVRに関する妄想はいまよりもすごく自由で、僕はもっと早く時代が変わると思っていたんですね。

赤野氏:
 渡辺さんと対極的なんですが、僕は逆の考えかたなんです。『VGNN』のテーマのひとつは「テクノロジーが変化しても、人間のやることは変わらないのでは」というものなんですよね。

 いまボンクラなゲーマーは100年後もボンクラでしょうし、僕自身も生きていれば孤独にゲームを遊び続けているだろうなという思いがあります。それこそ先ほど言ったように、「テクノロジーが変化してゲームがどうなってもゲーマーはうまく楽しんでしまう」、「テクノロジー側が人間の社会に取り込まれて利用されていくだろう」という書きかたをしています。

ーー20世紀末に出た『ゲーム・キッズ』はショッキングな結末が多いのにむしろ「明るい未来」を描いていて、一方21世紀に出た『VGNN』は楽しくゲームを遊ぶのに「未来に期待をしていない」というのは対照的で興味深いですね。

赤野氏:
 渡辺さんが仰ったように、1990年代はダイノバイザー【※1】やバーチャルボーイ【※2】が登場してVRへの期待が高まったわけですが、時間が経ってPlayStation VRやOculus Riftが出てきたいま、「この技術ではこれくらいのことができ、ここまでいくとできない」というラインが具体的にわかってきており、「未来はもしかしたらそこまで変わらないのでは」となっているのでしょうね。

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※2 バーチャルボーイ……任天堂から1995年に発売された3Dゲーム機。当時の技術で廉価に立体視を行うため、ゲーム画面はすべて赤色のLEDで表現されていた。持ち運びには不適切だが、電池でのプレイが可能。国内では1995年に発売された19本の対応タイトルのみで終了した。
(画像はWikipediaより)

 ただ、『VGNN』の舞台になっている100年後の未来は僕にとってすごく都合のいい世界なんですよ。現実の僕はゲームの遊び過ぎで腱鞘炎になっていますが、そこをサイバネティクス【※3】に入れ替えればなんとかなるとか、まだまだゲーム業界は盛り上がり続けて新作タイトルがこれからもたくさん遊べるだとか、ハードが進化してどこでも遊べるようになっているとか、「こうなっていってほしい」という妄想も含まれた未来なんです。

 ちなみに、『VGNN』で僕は、体のほとんどをサイバネティクスにしてでも未来のゲームがやりたいと思っているんですよね。そして暗い部屋でひとりゲームを遊び続けているという。これは僕にとって理想の未来なんですが、ほかの人から見るとホラーでしかないんですよ。「それを読者はどう思うのか?」と問いかけるということも作品の大きな要素です。

※1 ダイノバイザー
1996年にタカラ(現タカラトミー)から発売されたヘッドマウントディスプレイ。3メートル先の230インチディスプレイ相当という惹句で売られたが、画質がそれほど高くなく、先行して発売されたバーチャルボーイにできた立体視もできなかったため、大きく売れることはなかった。

※3 サイバネティクス
生体を機械工学やシステム工学で再現しようという学問。人体に機械を埋め込んだり、あるいは体のパーツや生体物質を機械で代用するといったもの。ここではそれに基づいて作られたパーツに自分のカラダを差し替える、という話をしている。

渡辺氏:
 僕も、「そのとき手元にあるゲームだけで残りの人生を遊び続ける」というような物語を1990年代から考えていましたね。僕自身は「生きかた次第でなんでも楽しめるだろう」という答えになったのですが、世間的には「引き籠もりはいけないことだ」と言われたりしてましたし、あまり肯定的ではなかったように思います。読者からの答えは……まったく返ってこなかったですね。

「あのニュースを見て書けないなと思った」

ーーただ、確かにかつてのSFにはアシモフの『ファウンデーション』【※】のような、国家などの大規模なモチーフが取り扱われることが多かった印象がありますが、いまはアンドロイドなどの小さい規模のモチーフも多くて、それほどドラスティックな変化を描いていないのかもしれませんね。

※ファウンデーション
1940年代にアイザック・アシモフが書いたSF小説。一万年以上続いた銀河帝国が存在する宇宙を舞台に、銀河百科事典を制作する目的で立ち上げられた財団「ファウンデーション」の物語が描かれる。

渡辺氏:
 確かに、大きなフィクションからパーソナルなフィクションになっていますね。
 VRという考えが普及し始める1980年代から90年代にかけて書かれた、現実とフィクションが入り混じるメタフィクションは、サイバーパンク【※】として定義されていたんですね。

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※サイバーパンク……1980年代から登場し始めたSFのジャンル。科学技術が発展した世界が舞台となっており、ネットワークに取り込まれた人々の暮らしの描写や、その社会や体制に抗う人々や苦悩する人々の物語、そしてメタフィクション的な構造が取り入れられている点も大きな要素となる。ウィリアム・ギブスンによる小説『ニューロマンサー』を始め、映画では『ブレードランナー』や『トータル・リコール』の名前などが挙げられる。画像は『ブレードランナー』。
(画像はAmazonより)

 その後、2000年代になると日本では水面下でこれらの影響を受けていた作品が登場するんです。それが新海誠さんの作品や『涼宮ハルヒの憂鬱』【※1】のような「セカイ系」【※2】というジャンルだと考えています。
 サイバーパンクが描く未来像は、未来への畏怖だったり発展しすぎた科学技術への警告だったりしたわけですが、セカイ系は個人の問題がいきなり世界や宇宙と繋がるという話ですよね。もちろん、いま現実だと思っているものが「じつは虚構なのではないか」と思わせ、読者を作品の中に取り込むという手法は同じではあるのですが。1990年代から2010年代のあいだは、こういったサイバーパンクのダイナミズムとセカイ系のパーソナル性が同時進行的に発展してきたのではないかと見ています。

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 なぜこうして時代が変化していったかというと、僕は現実があまりにもドラマチックになりすぎたからではないかと思っているんですよね。このあいだには地下鉄サリン事件(1995年)や阪神淡路大震災(1995年)、9.11(アメリカ同時多発テロ事件・2001年)や3.11(東日本大震災・2011年)など大きすぎる事件がありましたし、それこそ金正男の暗殺【※3】もそうですよね。

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※1 涼宮ハルヒの憂鬱……2003年刊行。谷川流が手がけるライトノベルシリーズ。ヒロイン・涼宮ハルヒと主人公キョンの関係性という小さな物語が、物語世界全体の存在にまで関与することが「セカイ系」といわれる所以。アニメ化もされ2000年代の大きな流行となった。
(画像はAmazonより)

※2 セカイ系
世紀末のサブカルチャーに大きな影響をもたらした『新世紀エヴァンゲリオン』後に現れた、サブカルチャーコンテンツの傾向分類。多彩な解釈があるが、おおむね、物語の語り手をとりまく小さな「環境(セカイ)」が、大きな世界の存亡やこの世の終わりなどに直結している(中間にあるべき社会や国家が詳細に描かれない)作品群を指す。代表的な作品として、秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』、高橋しん『最終兵器彼女』などがよく挙げられる。

※3 金正男暗殺事件
2017年2月にマレーシアで発生した事件。暗殺の実行犯はベトナムのインターネットアイドルと報道されており、アイドル当人はドッキリものとして依頼され、殺した相手が誰だかも知らなかったという。

赤野氏:
 本当、あのニュースを見て「書けないな」と思いましたからね。無茶苦茶ですよ、あれは。

渡辺氏:
 あれは書けませんねー……。「ゴミを運ぶ」、「ビニール袋を傘で刺す」など、いろいろな人が小さなことをした結果、殺人事件が起こるという話を書いたことがあるのですが、結局は「最後の実行犯をどうするか」で正解が見つからなかったんですよ。そのときは「人を殺したい」という欲望を持つイカれた人を登場させてしまったんですが、YouTuberを実行者にするという発想はものすごい。あれだったら本当にあり得るなと思いました。

赤野氏:
 「Youtuberに犯行を起こさせる」という発想はちょっと現実離れしすぎていて、作り話にしても書かないような話のはずなんですけど、そんな事件が現実に起こってしまったんですから、作家への皮肉のようにも感じましたね。

渡辺氏:
 かつてのサイバーパンクにはとてつもない宗教や巨悪が存在したわけですが、それを上回るような事件がたくさん出てきてしまい、小説が現実への警告としては成り立たなくなった。しかもネットが発展して個人に最適化された情報がいろいろ提供されるわけで、「社会に対する警告の物語」というより「パーソナルなフィクション」が求められるようになっていったのではないでしょうか。赤野さんの作品にもその流れがあるようにも思いますね。

フィクションを超えていく現実にどう立ち向かうか

ーー現実がフィクションを超えてしまうということですね。お二人は執筆中、そうした原因で困ったことなどありましたか?

赤野氏:
 社会制度や国家の話はとくに困りますね。
 ベネスエラを舞台にした話を考えてはいるんですが、「物価が一週間ごとにものすごい勢いで上がるので話が作れない」なんてことがあるわけです。こういうところを見ると、「人間の想像力は現実の未来に追いつけないのかな」なんて思ってしまいますね。

渡辺氏:
 僕も結構ありましたね。ただ、追いつかれるのは覚悟したうえで書いていて、もし追い越されてもテキストに作家性が残るようにしています。ノウハウとしては話にひねりを加えていて、オチをふたつ作っておくとか、話の設定に仕掛けを入れておくとかですね。

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※『プラトニックチェーン』……2001年〜2003年の間、渡辺氏が週刊ファミ通に連載していたショート・ショート。女子高生3人が正体不明のサイト「プラトニックチェーン」の力を借りて、都市伝説の謎に迫る。マンガ化やアニメ化もなされている。
(画像はAmazonより)

 たとえば、『プラトニックチェーン』という作品で言うなら、連載開始時が1990年代中盤だったので、女子中高生が動画の撮影・共有ができる携帯電話を持っているという設定だったんです。当時はiモード【※】くらいの時代なので動画が共有できるというのは近未来的だったんですが、そんなことはすぐに当たり前になりましたよね。ただ、もうひとつ大きいギミックとして相互監視社会というものを仕込んでいました。携帯電話のカメラや監視カメラによって、どこの誰でもつねに他人から見られているという。こういったツイストのギミックがあると、作家性を出すことができますよね。

※ iモード
NTT DoCoMoが提供している携帯電話向けインターネットサービス。1999年サービス提供開始。インターネットやメールなどができ、爆発的に普及したが、現代のスマートフォンと比べると利便性にもとる。

赤野氏:
 なるほど……いや本当に勉強になります。

渡辺氏:
 でも、先ほど赤野さんが仰ってたように、未来のテクノロジーを人間が意外とうまく使いこなしてしまうこともあるのかなとも思います。僕はかつてVRの未来像として、「引き籠もりがリア充のカメラ視点を見て疑似生活を楽しむ」という話を書いたことがあるんです。

――それは、もはやYouTuberそのものですね。

渡辺氏:
 いまになってみると現代のネット社会には近いところがあって、たとえばゲーム実況というのは、「ゲームをやっているほかの誰か」がスターとしてたくさん生まれている現象なわけですよね。

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ニコニコ超会議2017では、ゲーム実況者たちが一堂に介したステージが人気を博した
(画像はNintendo Switch「ARMS」実況者対抗バトル@ニコニコ超会議2017より)

 未来像として書いたものが現実化している。つまりこれは1990年代には「暗い未来」として書いた警告的な話であっても、思いのほかおもしろいかたちで現実化する可能性もあるということじゃないでしょうか。

未来を新しく考えるキッカケになって欲しい

赤野氏:
 あと『VGNN』を書き始めた目標のひとつとして、「読んだ方が未来のゲームを想像するきっかけになっていってほしい」というものもありますね。それこそ、小説としてフォロワーが増えてくれるくらいだと嬉しいです。

渡辺氏:
 「空想のゲームについてみんなで書こう」というのはカクヨムで大きなテーマになりそうですね。なんなら小説ではなく企画書でもいいかもしれません。田尻智さん【※】が書いた『ポケットモンスター』の企画書なんて小説として見てもピカイチですよ。

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※田尻智……ゲームフリークの代表取締役社長。『ポケットモンスター』を産んだゲームクリエイターとして有名。渡辺氏が指摘する『ポケモン』企画書の当該部分は、書籍『田尻智 ポケモンを作った男』(メディアファクトリー・2009)に掲載されている。
(画像はAmazonより)

 ゲームシステムなどを紹介するのではなく、「もし世界に『ポケモン』が広まったら子どもたちはこんな風に遊ぶよ」という未来を提示していて、SF作品として成立していますから。優れた企画は小説にもなりますし、その優れた小説がゲームになっていき、ゲーム業界の活性化に繋がるなんてこともあるかもしれません。

ーー『VGNN』に出てくるゲームは、ほとんどすべて失敗例なので成功例などは考えやすいかもしれませんね。

渡辺氏:
 なるほどね(笑)。

赤野氏:
 「Acacia(アカシア)」(後述)のちゃんと調整できているバージョンとかですね(笑)。

渡辺氏:
 SFが描く未来は現実には永遠に来ないんですよ。もちろん想像した科学技術が実現されることはあるけれども、SF小説が描く憧れや恐怖としての“未来像”という形で残り続けるわけです。ただ、そうやって科学技術を牽引するのもSF作家の役割だと思うんですよね。

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