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「フラグ」という言葉をプレイヤーも使い始めたのはいつから?──その起源はPCゲーム誌、堀井雄二、そしてパチスロ攻略本

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パチスロの「フラグ」の位置づけは?

 「フラグ」がコンピューター用語という枠をはみ出して早くから広まった領域として、ビデオゲームのほかに挙げられるのが回胴式遊技機、いわゆるパチスロだ。もちろんパチスロも、隆盛を迎えたのはマイコン(マイクロコンピューター)の導入後であり、開発関係者が「フラグ」を当たり前のように使っていたことは想像に難くない。

 では、パチスロの攻略情報の文章の中に「フラグ」が使われるようになったのはいつの話なのか。これを調べてみると、どうやら1988年ごろからのようだ。
 この年の3月に発行された双葉社の『パチンコ攻略マガジンNO.2』の中で、「パチスロ用語解説」のコーナーに以下の記述があるなど、複数の出版物で「フラッグ」という表現が確認できる。

「フラッグ ボーナスがくることを、マシンが100%保証している状態。その状態に入ると、「フラッグが立った」といういい方をされる。」

 一方で、1989年10月発行の『パチスロ機種別完全攻略本』では、次のように述べられている。

「フラグ 「旗」の意味で、(中略)「フラグが立つ」という形で使われる。「入る」と同じ意味であるが、一般には「入る」の方が愛用されている。」

 つまり1989年の段階では、パチスロの界隈では「フラグ」はまだ有力な表現ではなかったのかもしれない。それでもこの年の『週刊プレイボーイ』4月25日号には「パチスロ用語ではこの状態を“フラグが立つ”と言うのだ。」とあり、いまで言う“コアな層”以外にも「フラグ」が知られ始めていたと考えていい。

 するとコンピューターの周辺領域で、プレイヤー側までもが「フラグ」という言葉を使うようになったのは、まずパソコンゲームで1980年代後半。次がパチスロで1980年代末。家庭用ゲーム機などはそのあとということになりそうだ。

 したがって、アーケードや家庭用ゲーム機中心のプレイヤーたちのあいだに「フラグ」という言葉が広まった背景としては、「パソコンゲームの影響」、堀井氏のケースのような「ビデオゲームの制作に携わった人物による記事・書籍の影響」のほかに、「パチスロ関連記事の直接・間接的な影響」も考えなければならない。
 さすがに当時の中高生はパチスロ雑誌は読まなかったとしても、先に挙げた『週刊プレイボーイ』のような青年誌を読むことは当然あっただろう。また、ビデオゲーム以外にパチスロも趣味にしていたゲーム雑誌のライターが、自分の記事にも「フラグ」という言葉を使うようになり、中堅・マイナーなゲーム誌にはそのまま載った、というようなこともあっておかしくない。パチスロからビデオゲームには、「目押し」という言葉が輸入されている【※】ことを考えれば、その影響力は決して無視できないはずだ。

※パチスロ用語としてのそもそもの意味は、リールの特定の目(絵柄)を狙って停止ボタンを押すこと。ビデオゲームでは、双六タイプのゲームのルーレットで特定の目(数字)を狙うことや、対戦格闘ゲームなどで早すぎず遅すぎずという特定のタイミングを計ってボタンを押すことを言う。

 こうなってくると、1990年代に入ってからのゲーム用語としての「フラグ」の広がりについては、何がどう影響したのかを簡単には判断できないだろうと言わざるを得ない。

パソコン版『ポートピア』は一撃でクリアできるか!?

 1980年代に、コンピューター用語だった「フラグ」がゲーム用語として広まり始めた過程は以上となるが、筆者は記事をまとめる中で、ある噂のことをふと思い浮かべた。それは、堀井雄二氏の『ポートピア連続殺人事件』に関してネット上で数回見かけたことのある、こんな都市伝説じみた噂だ。

「パソコン用の『ポートピア連続殺人事件』は、最後に使う犯人をあばくコマンドを知っていれば、ゲーム開始直後にそれを入力するだけでクリアできる」

 確かに、『ポートピア』の真相を一度知ると、ゲーム開始直後にそのコマンドを試したくなるのが人情(?)というものだ。コマンド選択式のファミコン用では、ゲーム開始時点では該当するコマンドが表示されていないし、ほかのコマンドでも犯人をあばくことができないのは簡単にわかる。
 しかしコマンド入力式のパソコン版ならば、それが可能なのではないか……。そんな想像から出てきた話なのだろう。

 ところが、実際に試してみればわかることだが、ゲーム開始直後にそのコマンドを入力したところで、何も特別なことは起きず、効果のないコマンドを入力したのと同じようにあしらわれてしまう。
 パソコン版でもやはり、犯人をあばくには「フラグが立っている」必要があるわけだ。厳密にはフラグではなく、捜査進行度を表す内部パラメーターによって、そのコマンドを受け付けるかどうかを判断しているようだが【※】、その捜査進行度を上げるにあたり、別のいくつものフラグが関係することは言うまでもない。

 一方で、パソコン版『ポートピア』では、場面を移動する際の行き先はフラグで管理されてはいない。つまり、プレイヤーが地名を知ってさえいれば、ゲーム開始直後であっても行きたいところに行ける。
 ただし、そこで何か変わったことが起きるかどうかはフラグ(ないしは捜査進行度)に左右されるため、単に行くだけでは意味はない。

 にもかかわらず当時の子どもたちは、口コミや雑誌の紹介記事で知った地名をやみくもに入力して、行った先で何も起きずに困るということが少なくなかったらしい。山下章氏は、『マイコンBASICマガジン』での連載記事を再構成した書籍『チャレンジ!!パソコンアドベンチャーゲーム』の中で、そういった遊び方を少々諫めるようなコメントを残している。

「このゲームは5番目に質問のハガキが多い作品だけど、大部分の人たちはさき走った質問をくれているようだ。たとえば、ゲーム中では「スミレ荘」なんて名前はまだでてきていないのに、友達から名前だけ聞いて「スミレソウ イク」と入力し、「スミレ荘では何をしたらいいんですか?」というハガキを送ってくるような人が多いのだ。ちゃんと順序だててプレイしていけば、こんなことはないんだヨ。」

「フラグ」という言葉をプレイヤーも使い始めたのはいつから?──その起源はPCゲーム誌、堀井雄二、そしてパチスロ攻略本_006
山下章『チャレンジ!!パソコンAdventure Game』電波新聞社、1987年、207ページより引用

 おそらくは、同じような質問がエニックスを通じて堀井氏の元にも数多く届いたことだろう。『オホーツクに消ゆ』以降、堀井氏がアドベンチャーゲームにコマンド選択式を採用してからは、フラグをしっかり使って、むやみに先走った行動を取れないようになっている。
 もっとも「虹色ディップスイッチ」でも触れられているが、『ドラゴンクエスト』では、子どもたちにテストプレイをしてもらったところ、ゲーム開始直後に目の前にある城に入ってくれず【※】、あわてて城の中(王様との会話)からゲームが始まるように変え、移動範囲も制限することになった。ゲームの制作側が抱きがちな「こう遊んでくれるだろう」という期待が、いかに裏切られやすいかを物語るエピソードだ。

※初期のテスト版では、ラダトーム城の外からゲームが始まるようになっていた。

「新しいゲーム体験」が生んだ行き違い

 それはともかくとして、改めて振り返ってみると、パソコン版『ポートピア』で少なからぬ子どもたちがやみくもに地名を入力していたのは、ある意味ではやむを得なかったのだろう。なぜなら1980年代中盤の時点では、日本ではアドベンチャーゲームそのものが「新しいゲーム体験」だったからだ。

 電子工作の入門誌で、パソコン(マイコン)情報も扱っていた『初歩のラジオ』では、当時、アドベンチャーゲームの新しさについて以下のように紹介している。

「一般にアドベンチャーゲームを完成させるのは、一冊の本を読むのと同じだと言われています。つまり、アドベンチャーゲームの中では、本の主人公があなたであり、実際にその世界で生き、そして物語を進めていくのですからね。」
(『初歩のラジオ』1984年5月号「アドベンチャーゲームの世界」より)

 いまとなっては少々大げさな気もする文章だ。しかし、コンピューターの中にひとつの世界が創造されていて、どこまで広がっているかも明らかではないその世界を探索する……というアドベンチャーゲームの魅力を、なんとか子どもたちに伝えようと工夫したことがうかがえる。

 アドベンチャーゲームがもたらした、この先に何があるのだろうという期待感、そして実際に新しい場面にたどり着いたときの興奮と喜び。これは日本のビデオゲームの最先端を行っていたはずのアーケードでも、1983年の『ゼビウス』などでようやくはっきり意識されるようになってきたくらいという、未知の魅力だった。
 だから子どもたちは、なんとしても新しい場面を見たいという欲求、そこに行けば何かあるはずだという期待に駆られたわけだ。

 つまるところ、『ポートピア』はそういうゲームとは趣が違うわけだが、なにしろ日本のアドベンチャーゲームの中でも、推理ものは『ポートピア』以前にはほぼなかったので、子どもたちに理解が広がらなかったのもやむを得ない。
 いやむしろ、しかるべき手順を踏んで犯人をあばいた子どもたちの中にも、推理はどうでもよく、とにかく新しい場面を見たいという欲求にだけ従っていた向きがあったとしてもおかしくはない。先にも触れたとおり、ゲーム制作側の「こう遊んでくれるだろう」という期待は裏切られやすいものだ。

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PC-6001版の『ポートピア』パッケージ。ファミコン版とも違って生々しい(資料提供:TinyProject)

 プレイヤーにとって、ビデオゲームのシナリオに仕掛けられているフラグは、制作側がプレイヤーを手玉に取るためのもののように感じられることもある。しかしここまで見てきたことを踏まえてみると、勝手気ままでわがままなプレイヤーの行動を、なんとか想定の範囲内に押しとどめようと制作側が苦心したすえに、設けられたフラグも少なくないのかもしれない。

 そのようなフラグは、プレイヤーの与り知らぬところで、制作側の意向を実現するために日夜立ったり降りたりしているわけだ。そう考えると、なかなか健気な存在のように思えてくる。……待てよ、さてはそう感じてしまうのも、何かの「フラグ」のせいなのか?

謝辞:
本稿の作成にあたり、以下の方々より情報の提供をいただいた。(順不同、敬称略)

 

TinyProject Twitter:@TinyProject6001 Web:http://p6ers.net/hashi/
のり Twitter:@nori6001
松原圭吾(攻略本研究家) Twitter:@zerocreate Web:http://vgsearch.info/

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 そしてこの言葉の普及の裏には、どうやらビデオゲームが大きく関わっているようで……。

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著者
「フラグ」という言葉をプレイヤーも使い始めたのはいつから?──その起源はPCゲーム誌、堀井雄二、そしてパチスロ攻略本_008
コンピューター文化史研究家。2013年より約2年間、ブログにて 「やる夫と学ぶホビーパソコンの歴史」を連載。令和になっても、昭和・平成のできごとをしっかり調べていこうと思います。
Twitter: @Kenzoo6601

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