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ファミコンではわざと押しにくくされていた!?──「スタートボタン」の歴史を徹底的に調べてみた

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「ゲーム&ウオッチ」のスタートボタンの秘密

 そうすると、“1回いくら”で運営するアーケードゲーム機との前提がないなら、スタートボタンと通常の操作ボタンを分けなくてもいいことになる。実際日本でも、ファミコン登場前の1980年代序盤におもちゃ業界を席巻した電子ゲームには、操作ボタンでゲームをスタートさせる例がごく簡単に見つかる。

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By Studio Alijn – 2009-086-010, CC0, Link
※トミーが1982年に発売した電子ゲーム『キングマン』。左側のジャンプボタンがスタートボタンを兼ねる。

 ただ、スタートボタンを独立させたものも多数あり、電子ゲーム機全体としては明確な傾向があるとは言えなかったのも事実だ。バンダイなどは、同じメーカーの中ですら、スタートボタンと通常の操作ボタンのどちらでゲームをスタートするかが統一されていなかった。

 一方これとは対照的だったのが、任天堂の「ゲーム&ウオッチ」だ。通常の操作ボタンよりもかなり小さい、「GAME A」・「GAME B」の2種類のスタートボタンと時計に戻す「TIME」ボタン。これらを並べるスタイルを、国内展開末期まで一貫して採用した。

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By Joshua Murphy – C Link
※1980年4月発売の「ゲーム&ウオッチ」第1号機『ボール』。

 これは、「ゲーム&ウオッチ」の当初の製品コンセプトと密接な関係がある。ポケットサイズが追求され、しかもその名のとおり時計兼用のため、電源スイッチはなかった。すると衣服のポケットやカバンに入れて持ち運ぶ際に、何かに当たってボタンが押されるかもしれない。それでゲームが始まってしまわないように、操作ボタンでのスタートを採用しなかったと考えられる。しかも凸形になっている画面枠には、スタートボタンをガードする効果もあった。

 このようにアーケードのビデオゲーム機と「ゲーム&ウオッチ」には、背景の事情は異なるにせよ、「ゲーム開始の誤操作を防ぐデザイン」という共通項があった。ファミコンのコントローラーで、セレクト・スタート両ボタンの周囲が凹んでいるのは、このデザインを受け継いでいたわけだ。

 もっともファミコンの場合、モード選択を誤ってスタートしたならリセットで解決できたし、実際にそうした覚えのある方は多いはずだ。ただ本連載の「リセット」の回でも触れたように、ファミコンのリセットスイッチは、もともとはソフトや本体の誤動作の解消のために備えられたもの。開発段階では、操作のミスまでリセットで解決させるより、まずコントローラーの構造でミスを防ぐのがスジだと考えられていたのだろう。

ファミコンとCD、ポーズの操作が似た理由

 こうしてファミコンのハードウェア上では、通常の操作ボタンとスタートボタンは切り離された。その一方で、ファミコンのスタートボタンはポーズ(一時停止)ボタンを兼ねている。コントローラーの操作でゲームを一時停止できる機能には前例があったが、スタートボタンにその機能を与えるデザインは、ファミコンがスタンダードに押し上げたものと言える。

 これについては、CDプレーヤーに再生ボタンとポーズボタンを兼用にしたものがあったことと、共通性を感じた向きもあるだろう。のちの話にはなるが、1994年発売の「プレイステーション」がスタートボタンの形状を右向き三角形にしたのは、この印象を最大限に活用しようとした一例だ。

 ただ筆者が確認した限りでは、CDプレーヤーにこのような操作系が採用されたのは、早くても1983年秋ごろ。ようやく10万円を切る製品も出はじめた、普及モデルから広まっていったようだ。

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By Binarysequence – Own work, CC BY-SA 4.0, Link
※ソニーがCD普及の切り札として1984年秋、当時としては破格の49,800円で発売した「D-50」。

 CDプレーヤーが初めて正式発売された1982年秋から各社が投入した、“CD第1世代”にあたるハイエンドモデルは、まず例外なくポーズボタンは独立していた。その理由はいくつか考えられるが、中でも「ボタンやツマミが多いほうが多機能・高級」とする価値観が支配的だったのが大きいだろう。これは、先に触れた「ひとつのボタンにはひとつの機能」を反映して、長年にわたり醸成されていた風潮だ。

 ファミコンは1983年夏の発売だから、それと普及モデルのCDプレーヤーのどちらか一方が、他方に直接影響を与えたとは考えにくい。さらに言えばファミコンも、そもそもはスタートボタンでポーズさせるつもりではなかった。“ファミコンの父”上村雅之氏が当初まとめた基本仕様には、以下のように記されていたという。

 (7) コントローラには、ジョイスティック・レバーと2個の決定ボタン、スタート・ボタン、ポーズ・ボタンを付ける。
 (『日経エレクトロニクス』1995年1月16日号「ファミコン開発物語」)

 この「ジョイスティック・レバー」が、製品化の過程で、すでに「ゲーム&ウオッチ」で実績のあった十字ボタンに取って代わられたのは広く知られている。おそらくこれと同じように、「GAME A」と「GAME B」を直接選ぶ形のスタートボタンの有用性も、改めて検討されたのだろう。

 しかし製造コストを考えれば、特殊ボタンを増やす選択はまずありえなかったはずだ。さらに十字ボタンはボタン4個に相当するとして、これに通常の操作ボタン2個と特殊ボタン2個であれば、情報量が8ビットに収まる。そこで折衷案として、特殊ボタン2個をセレクトボタンとスタートボタンに割り振り、スタートボタンにポーズボタンを兼ねさせる形にまとまったと考えられる。

 普及モデルのCDプレーヤーも、コストの面からボタンの数に制約がかかるのは必然だ。そこでようやく、ボタンの機能を条件によって変えるコストが非常に低いという、CPUを使うことによるメリットを活かす方向に踏み出すことができたのだろう。

 とはいえこれだけでは、ファミコンとCDプレーヤーのポーズ機能の共通性を説明するには足りない。両者にとってヒントになった、先行例があったと考えるのが自然だ。それはおそらく、デジタル腕時計に組み込まれる形で日常生活に進出してきた、ストップウォッチだ。1980年ごろの時点で、1万円を切る製品でも、アラームとストップウォッチの機能はごく当たり前に盛り込まれるようになっていた。

 ストップウォッチはとにかく、面白半分にいじるには格好の機能だった。デジタル腕時計にあこがれる子ども時代を過ごした世代なら、これで遊んで叱られたなどという話にも覚えがあるはずだ。任天堂はもちろん、オーディオ機器メーカー各社の開発陣にしても、こういったものを好奇心満々で触ってみる手合いが多数いたであろうことは想像に難くない。そんな“共通体験”から、スタートや再生のボタンとポーズボタンを兼ねる発想が出てきたとしても、驚くにはあたらないだろう。

「スタートボタン」は“都合のいい名前”だった!?

 さて1985年以降、ファミコンブームはいよいよ本格化し、続々と参入したサードパーティーが互いにしのぎを削ることになった。その中で、まず最初にセレクトボタンでモードを選んでスタートボタンを押す“作法”が、次第に揺らいでゆく。ついには、これらのボタンをまったく使わずにゲームを始められるものも出てきた。

 もっともわかりやすい例は、ROMのデータ量の都合から、そもそもタイトル画面と呼べるものがなかった『ポートピア連続殺人事件』『ドラゴンクエストIII』だろう。それ以外でも、シミュレーションゲームでは光栄の『信長の野望』『三國志』。アクション型のゲームでもナムコの『ファイナルラップ』など、おおむね1988年ごろには、さまざまなジャンルでこのようなソフトが見かけられるようになる。

 にもかかわらず、1990年代の家庭用ゲーム機でもスタートボタンの名称が残ったのはなぜなのか。これを考えるうえで参考になるのが、セガの家庭用ゲーム機だ。1988年発売の「メガドライブ」のコントローラーのボタンは、通常の操作ボタンが3個とスタートボタンになっていた。

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By Solomon203 – Own work, CC BY-SA 4.0, Link

 これはなにより、アーケードゲームのマニアに強く訴求するものだった。このころゲームセンターには、パソコンや家庭用ゲーム機に対する優越をアピールする意図もあったのだろう、レバー1本とボタン3個で遊ぶビデオゲームが続々と登場していたためだ。セガの作品でも、1987年の『忍』や、メガドライブ発表時のラインナップとして移植された1988年の『獣王記』などがそうだった。

 さらに先に触れた『ガントレット』の影響で、汎用筐体向けにもふたり同時プレイ対応、かつ途中参加も可能な作品が増加していた。『獣王記』はこちらにも該当する作品で、当時のセガの最新筐体「エアロテーブル」とのセットでも販売された。そのコントロールパネルはレバー1本と操作ボタン3個が左右に2セット並んでおり、スタートボタンは、各々のセットの操作ボタンのそばに1個ずつ配置された。これは明らかに、途中参加のしやすさが考慮されたものだ。メガドライブのコントローラーは、ちょうどその1セット分を家庭用にアレンジした形というわけだ。

 しかしこれは表向きで、“裏の意味”はまた別にあったと考えられる。要するにライバルであるファミコンのコントローラーから、スタートボタンでポーズできる点を最優先で取り入れたかったのだろう。これは、メガドライブの前にセガが展開していた「SG-1000」から「マスターシステム」までと比較するとすぐわかる。これらのコントローラーには特殊なボタンはなく、通常の操作ボタンを押してゲームを始める。そしてポーズは、本体に設けられた「ポーズボタン」(SG-1000は「ホールドボタン」)を使う仕組みになっていた。

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By Muband – Own work, CC BY-SA 3.0, Link
※1985年に発売された「セガ・マークIII」。

 もしメガドライブで、コントローラーの特殊ボタンの名称を「ポーズボタン」としていたらどうなったか。おそらく、ゲームの開始には操作ボタンを使うことになっただろうが、一方でゲームによってはポーズボタンを持て余したのではないか。なにしろ、RPGやアドベンチャーなどの非リアルタイムのゲームでは、ポーズ機能の需要が少ない。それらのゲームで別の機能を割り当てる可能性まで織り込むと、「ポーズボタン」はかえって都合が悪い。

 すると、「スタートボタン」が持つ長所が浮かび上がってくる。その名称が、ゲーム開始前の機能だけを指しているからだ。逆に言えば、暗黙の了解の範囲ではあるものの、ゲーム開始後の機能が別にある可能性が高いことをも示している。しかもCDプレーヤーの再生ボタンの印象を重ねやすく、ゲーム開始後の機能の第一候補がポーズとの連想が働くことまで期待できた。

 このように考えると、「スタートボタン」以上に都合のよい名称はそう簡単には出てこない。それでもなお、コントローラーの特殊ボタンの呼び名をまったく別のものに変えるほどのメリットはあるのか。1980年代から90年代にかけては、それを見いだせなかったとしてもやむを得ないだろう。

スタートボタンに残された“時代の転換点”とは?

 つまり1990年代以降の家庭用ゲーム機にもスタートボタンが残ったのは、特殊なボタンの名称として、言外にある意味あいまで含めて有用だったからだと言える。前例踏襲の面もあったにしろ、「ポーズの機能は重要だが、それだけではない」というところにちょうどよかったのは無視できない。

 この件は言葉を変えれば、「ボタンの機能はソフトウェアが決める」典型的な例だ。もっともこう言われても、いまとなっては「だからどうした」との印象しかないかもしれない。近年の家庭用ゲーム機やパソコンゲームでは、ボタン機能を大幅に入れ替える設定も当然のように可能になっている。

 しかしこれは、かつての「ボタンの機能はハードウェアで決まる」といった“常識”を、根底から覆すものだ。1980年代序盤は、そんな「パラダイムシフト」の入り口に立ったことすら、多くの人はまだ意識していない時代だった。だからこそ初期のファミコンには、スタートボタンがポーズボタンでもある一方、操作ボタンではゲームを開始できないという、ややチグハグなところがあったわけだ。

 もちろんファミコンも含め、ビデオゲームの開発者やプレイヤーたちの多くは、この転換に早いうちに順応できた。その意味で、ファミコンのセレクト・スタート両ボタンが次第に“名ばかり”になっていったのは、当然の成り行きだったことになる。

 とはいえ、この「スタートボタンには、ゲーム開始後の機能が別にある可能性が高い」などといった暗黙の了解は、ファミコンブームの裏打ちがあって成立していたものだ。そのブームがいかに巨大だったとしても、余韻が薄れれば字面以外のものはわかりにくくなってしまう。ビデオゲームに新たな時代と市場を切りひらいた、2000年代のモバイルゲームの隆盛は、やはりスタートボタンの存在を再考するきっかけのひとつではあったに違いない。

 家庭用ゲーム機においては、よく使う通常の操作ボタンでゲームを始められるほうが、特定の特殊なボタンに限るよりもプレイヤーに優しいのは確かだ。一方で、ポーズしたいときにどのボタンを押すのかについて、機種をまたいでおおむね通用する“共通言語”が失われつつあるのも否定できない。筆者にはこれは少々惜しいと感じられるのだが、それもつまるところは懐古の念に小理屈をつけているだけなのだろう。そんな感傷で、ビデオゲームの進化に一瞬でも「待った」をかけられるはずがない。

謝辞:
 本稿の作成にあたり、以下の方より情報をご提供いただいた。(敬称略)

おにたま(OBSLive/基板大好き)
Twitter:@onionsoftware
Web:https://onitama.tv/obsweb/

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ライター
コンピューター文化史研究家。2013年より約2年間、ブログにて 「やる夫と学ぶホビーパソコンの歴史」を連載。その際、1999年末まで約20年分の日経産業新聞縮刷版にヘトヘトになりながら目を通した。
Twitter:@Kenzoo6601

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