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うつ病の自分が『DEATH STRANDING』を遊んで、“実感”を取り戻した話ーーコロナ禍を経て改めて感じられた小島監督が伝えたかったことを考えてみる

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「ありがとう」と「いいね」で響き合う、ゲームだからこそ感じられる繋がりと喜び

 他のプレイヤーとの繋がりも重要なポイントだ。

 『デススト』では、ネットワークを通じてほかのプレイヤーと建造物やアイテム、車両、荷物などを共有したり、自分や、多くの人が歩いた足跡が“道”になって繋がる「ソーシャル・ストランド・システム」がある。

 険しい崖を越えるために設置したハシゴやロープ、川を渡るために作った橋、途中で乗り捨てたバイクなどが、他のプレイヤーの世界に共有される。

 それだけではなく、自分が歩んだ道が、復旧した国道が、自分の後に続く人たちの道となる。

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 自分のやったことが誰かの役に立ち、その恩恵を受けた人が「いいね」をしてくれるのだ。
 同じように、自分も他の誰かが通った道や建造物を利用させてもらい、助けられることもある。

 ちょうどいいところに橋がかかっていたり、一息つきたいところに雨宿りできるシェルターがあると「ありがとう、助かった!」と感謝の気持ちが高まる。そこで、たくさん「いいね」をすれば、設置したプレイヤーのもとに「いいね」が届く。

 この「ありがとう」からの「いいね」の繋がりが、幸せの連鎖を生み出す。

 『デススト』をプレイすればするほど、これだけ他の人たちに良くしてもらっているんだから、自分も何か返そうかなと、シェアボックスに物資や装備品を入れてみたり、「ここに休憩用のセーフハウスを建てれば、自分だけでなく他の人も便利だろうな」とか、自然と利他的なことをしようという気持ちになってくる。

 敵に襲われたときも、“自分以外の誰か”がこちらの窮地に駆けつけ、血液グレネードや血液袋など、戦闘の役に立つアイテムを投げ込んで助太刀してくれる。

 このように『デススト』では、助け合うこと、支え合うこと、繋がりを感じることを、ゲームシステム全般を通して促すように構築されている。

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 現実においても、社会のインフラや現在の生活は、多くの人によって支えられていることは言うまでもない。そもそも、生命として今の自分があるのは、先祖代々からの繋がりと肉親のおかげである。

 今、自分がこうして本稿を執筆しているのも、信頼して仕事を与えてくれる人がいるからだ。
 人は一人では生きられない。
 ただ、自分も誰かの役に立っていて、きっと誰かを生かしている。

 本作、『DEATH STRANDING』がとにかく素晴らしいのは、この当たり前かもしれないが普遍的なテーマ(人との繋がりの大切さ)を、理屈や言葉だけではなく、自身の体験として感じられること、実感できるところだろう。

 「考えるな、感じろ!(Don’t Think. FEEL!)」ということである。

 これはゲームというインタラクティブな媒体だからこそ表現できることであり、どんなに素晴らしい映画でも、音楽でも、小説でも、その言葉や内容に感動することはあっても、ここまで「自分の体験として」感じられることは、少なくとも私の知る限りでは無い。

 サムという役割を通して、自分で能動的に考えて、操作して、自分の手で荷物を配達する。だからこそ、フィクションでありながらも、自分の体験として強く「実感」することができる。

 これこそがゲームの素晴らしさであり、そんなゲームという媒体が持つ可能性を引き出しているのが『デススト』の凄いところなのではないか?

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ときには拳を握り、男同士の肉弾戦を繰り広げることも。どこぞのサイボーグ忍者のように、肉と肉のぶつかり合いで生きる実感を噛みしめろ!

 荷物を届けて「ありがとう」と言ってもらう。人の役に立つことをして「いいね」をしてもらう。そして、自分も他の誰かに「ありがとう」「いいね」を返していく。

 そんな小さな実感がたくさん積み重なって、気持ちがだんだんと前向きになっていく。

 プレイヤーの感情とリンクするように、次第にサムも依頼人に挨拶をするようになったり、カットシーンの最中に「いいね」をしてみせたりと、ポジティブになっていく様子がわかる。

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結ばれた若いお二人に祝福のサムズアップをするサム。このカップルには試練が待ち受けているのだが、幸せいっぱいのこの瞬間には知る由もない。

 最初はあからさまに他人と距離をとって、微かに触れることすらも大げさに嫌がっていたのに、途中からは少しずつではあるが、拒否感を示さなくなっていく。

 プレイヤーの感情とサムの感情を繋げることによって、人と繋がる喜び、助け合っている、支え合っているという喜びを、「実感」として得られるようゲームの中で増幅させているのだ。

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完全に余談だが、誕生日に本作をプレイすると特別な演出があり、プレイヤーを祝ってくれる。デンマークの至宝、マッツ・ミケルセン氏に「ハッピーバースデー!」と言ってもらえると、年齢的にもはやあまり嬉しくなくなった自分の誕生日でもありがたく感じる。

「実感する」ことの大切さ

 実感すること、それは現実においても、本当に重要なことだと思う。

 人間関係、仕事の評価、趣味や娯楽など、何においても「実感」が大事だ。

 実感が得られないと、好ましい結果だとしても、それが自分自身に正しく反映されない。

 何をやっても虚しい、楽しくない、納得できない、満足できない状態というのは、「実感できていない」からだ。

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 では、どうすれば実感できるのか?

 それはシンプルに自分のやったことを「認める」ことだ。自分のやったことを認めて、自分自身を「受け入れる」のだ。

 サムは過去に大きな喪失を経験し、絶望した。世界にも、自分自身にも。

 繋がっていたはずのこれまでの人との繋がりも、その過去さえも認められず、受け入れることができなくなった。

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 育ての親であるブリジットでさえも、「最初から繋がっていなかった」と拒絶するサム。理屈で考えれば、そんなはずはない。たしかに絆はあったはずだ。

 だが、これは理屈ではなく感覚の問題なのだ。それゆえに根深く、難しい。

 しかし、征く先々で荷物を届けた人々に感謝され、フラジャイル、ママー、デッドマン、ハートマンなど、多くの人の過去と想いを共有し、サムは繋がりを実感した。

 そして、長い旅の果てに自分が世界を繋いだ、未来を守ったという事実を、実績を認めたからこそ、サムは変わることができるのだ。
 自分を認めることで、自分を受け入れることができた。その結果、他人も受け入れることができるようになった。

 接触恐怖症を乗り越えて、人に触れることも、触れられることもできるようになった。

 物語の終盤、世界の命運が決まろうとしている重大な局面に、サムは力強く語る。

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「人も世界も、いつかは壊れる。たとえ壊れたとしても修復し、ボロボロになっても、また壊れないように努力することはできる。それが応急措置でも、それが生きることなんだ」

 続けて、このようにも語る。

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「俺が荷物を届けた人たちは、俺が到着する未来を、いつまでも待ってくれていた。荷物が届く明日を、信じてくれたんだ。“待つ”ということは、未来を生きることなんだ。だから、俺も未来を壊したくない。」

 サムの言葉には、数え切れないほどの実感を積み重ねることで得た「確信」がある。

 そして、サムとして自らの手で長い道のりを歩み、いくつもの困難な配送をこなしたプレイヤーにも、確かな「実感」がある。
 さらには、オンライン上で他のプレイヤー、つまり“他の世界のサム”との繋がりもまた、プレイヤーに人と繋がることの価値や喜びを「実感」させてくれるのだ。

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ライター
ゲーム、模型、ファッション、ドール、オーディオなどさまざまなジャンルの沼を渡り歩くスワンプウォーカー。関心のあるものに後先考えずに全てを捧げる狂戦士。手がけた代表的な記事は 「人はなぜ少女にメカをくっ付けるのか」 「最高のゲーム用ヘッドフォンを求めて」など。
Twitter:@Leyvan44
編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999

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