ライトノベルはマンガを徹底的に研究した
決定打としての涼宮ハルヒ
佐藤氏:
そして決定打だったのは『ハルヒ』です。それが2003年。スニーカー大賞を受賞した。
鳥嶋氏:
『涼宮ハルヒの憂鬱』だね。
佐藤氏:
『ハルヒ』を書いた谷川流さんというのは、相当な読書量を誇る、ミステリーの読み手だということが、“長門有希の100冊”【※】を読むと判ります。とくにイギリスのハードなSFが好きだと何かのインタビューに答えていた。『ハルヒ』にもそういう影響が濃厚に感じられるハードなSF作品の側面があります。
※長門有希の100冊……『ハルヒ』に登場する読書好きの女の子(詳しくは作品を参照)である長門有希の本棚にあるとされる、SFを軸とした書籍100選。『ザ・スニーカー』2004年12月号で紹介された。
チョイスは古今東西多岐にわたり、中には30冊を超えるシリーズもの、絶版されてしまったもの、単行本未収録作品、マンガ、未知の媒体や言語で記されたものなどがある。詳細はこちらで確認可能。
その彼が応募してきたとき、「バツグンに面白いのに、このままじゃ売れない」と、早川書房から来た野崎(岳彦)という編集者が思ったんだよね。野崎くんの発言【※】を読むと、「これをどうやって売ったらいいのか悩んだ」とある。
※野崎くんの発言……『東大・角川レクチャーシリーズ 00 『ロードス島戦記』とその時代 ──黎明期角川メディアミックス証言集』(監修:マーク・スタインバーグ/編:大塚英志、谷島貫太、滝浪佑紀/KADOKAWA)にある。
谷川さん自身も広く言えばオタクで、『エヴァンゲリオン』などああいうものも経ていたので、バリバリのSF小説に、『エヴァンゲリオン』以来の女の子のキャラクターの特徴をカテゴライズして、涼宮ハルヒを始めとする3人の女の子キャラに貼り付けて登場させたんだ。
野崎はそのキャラクターに着目し、キャラクターを売りにした。難解な小説をアニメにしやすい形に落とし込んだんだね。だから『ハルヒ』は、小説もヒットしたけど、アニメになってからもの凄くヒットしたんですよ。
鳥嶋氏:
それはマンガの方法論と一緒だよね。キャラクターを立てることで魅力的にし、そこに乗れれば、読者にはどんなストーリーでも入ってくるから。作りかたが非常にマーケティング的で上手いね。
キャラクターに熱中する少女たち
鳥嶋氏:
類型化されたキャラクターの居並んだ姿に人気が出たというのは、それ以前に『キャプテン翼』から始まる男の子版があったわけだよね。
じつは昔、『キャプテン翼』の映画のときに、映画館で女性がスクリーンに向かって声援を送っていると聞き、実際に見に行って目の当たりにしたところ、軽いカルチャーショックを受けたんだ。
当時の『ジャンプ』には、一部、女性読者がもの凄く熱狂的な形で入ってきていたんだけど、声援を送っている相手が主人公じゃなかったんだよね。「私は○○くん」、「私は××くん」みたいに。これが僕にはショックで。
そうやって女性が少女マンガから少年マンガに引っ越してくる大きな流れが始まり、それに気付いた頭のいい編集や作家は意図的に狙うようになった。新撰組がモチーフの『BLEACH』とかね。
そうした「キャラクターを並べて集団で売る」ということを女の子版でやったのが『ハルヒ』なんだね。
佐藤氏:
そうなんですよ。
いまのKADOKAWAで言うと『文豪ストレイドッグス』がまさにそれで。あれが「頭いいな」と思った点は、みんな教科書で知っている作家ばかりなんだよね。キャラクターの説明に下拵えがある。
鳥嶋氏:
僕が仰天したのは日本刀のゲームですよ(笑)。歴史が好きな女子ってのはいるから、それらをキャラクター化して惹きつけるっていうのは上手いよね。じつに頭がいい。
『刀剣乱舞』ファンがこの3年間で巻き起こした覇業を振り返る。107万円の公式Blu-Rayに約70件の申し込み、刀1本の展示で経済効果が4億円、幻の日本刀復元に4500万円を調達!
結果、ゴールデンタイムでのアニメが終わり、朝の時間帯にしか残らなくなった。その朝の枠も土日しかない。
そうなるとみんな深夜枠に移るんだ。深夜枠は全国ネットに繋がってないから、僕らのような部数を売りたいマンガサイドやメーカーからすると、あまり注目していない時間帯だったわけ。
ところが、佐藤さんたちが先ほどの話のように仕掛けたことで、深夜枠のアニメを観る、いわゆるオタクが増え、そして世の中が“録画してアニメを観る”という時代になっていく。
日中のアニメと違い、既存の制作会社だけでなく、テレビ局や出版社、そのほかあらゆるところがみんなプレイヤーとして参加するようになった。さらにメーカー、原作サイド、テレビ局などからいちいち面倒くさいことを言われず自由にモノが作れるなら、深夜への流れはおのずと増えていくよね。
そうなると、今度は作るために原作が必要となる。ライトノベルはその供給元だったんだ。振り返って見れば、ラノベに流れが来ていたのは判ることなんだよね。
佐藤氏:
1980年代当時の角川の雑誌からすれば『ジャンプ』ブランドは夢のまた夢だし、まして自分たちの作品がアニメになるというのも本当に夢だった。それがいまはもう当たり前になっちゃったけど、当時はそのくらいキッズ・ファミリーが主流だった。
鳥嶋氏:
その後、メインだった出版社は──とくに講談社、小学館あたりは、時代的にメジャーなものが売れなくなっていくんだけど、そのときに「マスを狙ったものではなく、テーマなどが特殊なものでも、ファン層と合致すればしっかり売れる」と考え、いわゆるオタク向けのものやニッチなものののほうへ行くんだよね。それで『月刊アフタヌーン』などニッチなマンガ誌が伸び始めた。
それに合わせて深夜アニメも隆盛していくわけで、これはつまりそれまでメインだったマンガ業界が、ライトノベルの後追いをし始めたってことなんだよね。
製作委員会の話
──製作委員会についてはどうお考えですか? いまはその作りかたがメインですよね。
鳥嶋氏:
製作委員会方式がなぜメインになるかというと、それだとたいして強くない作品でも出したお金に応じたリターンがあり、リスクが減るから番組が成立しやすいんだよ。だから本来そんなにテレビアニメを作っちゃいけないはずなのに乱立することになる(笑)。
──製作委員会の中で出版社の立場ってどうなっていったのでしょう? 弱くなっていったのでしょうか。
鳥嶋氏:
弱くなっていったね。なぜかというと、原作のホルダーである立場を捨て、「出資しなきゃいけない」という同じ地位に行っちゃったわけだから。
出版社の主観で話をすると、基本的にテレビアニメは18時台や19時台といった、いわゆるご飯を食べる時間帯の視聴率を取るためにキー局で始まったんだよね。そこで出版社は「本が売れればいい」ということで、権利を強行に主張していなかった。
テレビ局も視聴率が上がればいいので、こちらも権利を強行に主張しなかった。そこで儲けていたのはアニメ会社なんだ。東映アニメなんか典型だよね。
そんな形で80年代までやってきたんだけど、僕らは次第に「違うぞ」と思い始めたわけ。というのも、『Dr.スランプ』の時代に劇場アニメの興行収入が20億、30億あったとき、『ジャンプ』が原作で宣伝もしたのに、出版社に返ってくるお金が200万とか300万だったから。
それはなぜかというと、フィルム制作費を出していないから。
それであるとき、「これはおかしいんじゃないか」となり、アニメの『ドラゴンボール』でプロデューサーが変わるときにフジテレビと話をして、フィルム代も出資するなど座組を変えたんだよね。
そうしたら返ってくるお金が1億くらいになった。
そういうふうにできたのは僥倖だったけど、それができずにいたところも多かったし、個人視聴率への移行もあって、メインの子ども向けアニメがなくなっていくんだよね。そのとき、僕含め『ジャンプ』が愚かだったのは、全国区で子どもに名を売るために時間帯にこだわるわけ。
「変な時間帯で番組をかけるくらいなら、やらないほうがいい」という判断だ。その結果、余程の大型案件じゃなければ、アニメ化を見送ることになっていくんだよね。
逆に言うと僕らは、つねに適切な時間帯を考え、1、2年後のテレビ局の編成表を見たり、代理店からの情報を聞きながら、変わりそうな枠を狙っていくやりかたになった。それが僕ら出版社の話。
一方そうやってキッズ・ファミリーのアニメはなくなっていったけど……。
佐藤氏:
角川も1980年代にお金を積んで波代を出したけど、権利は何も持っていなくて。こちらに原作があるのに、当時は局側にマーチャンダイジングがあるような仕組みになっていた。
そこで製作委員会方式というのも始まっていたし、アニメ自体を事業化して出版社として許諾するというところから始め、次の段階で製造権や販売権を押さえるために出資を多くし、権利を自分たちに全部戻す形に持っていく。
そういうことを、井上伸一郎【※1】と安田猛【※2】が業界に嫌われながら(笑)、20年くらいかけてやっていくんだよね。僕は現場で直接タッチしていた訳じゃないけど、KADOKAWAの映像チームがそれを上手にやっていったんだと思うよ。
※1 井上伸一郎……1959年生まれの編集者。大学在学中からアニメ誌に携わり、独立後、『ザテレビジョン』などを経て『月刊ニュータイプ』の創刊副編集長に就任。
以降、『ChouChou』や『月刊少年エース』の創刊編集長などを務める。角川映画取締役、角川プロダクション社長、角川書店代表取締役社長、富士見書房取締役会長などを歴任し、現在はKADOKAWA代表取締役・専務執行役員。
※2 安田猛……1962年生まれの編集者。アニメプロデューサー。
『ドラゴンマガジン』編集長、角川書店常務取締役、富士見書房取締役、角川プロダクション専務取締役などグループ会社の要職を歴任。
鳥嶋氏:
それって後発であったがゆえの知恵で、賢いし、まさに正しいんだよね。いまの流れはそうだしね。それはそれで、また違う弊害も出てくるんだけど。
佐藤氏:
キッズ・ファミリーが中心の出版社だと、日中の時間帯を押さえる必要があるから、金銭的な負担を相当強いられたうえでさらに博打になるんだけど、オタク向けで深夜でもいい、あるいは波代も要らないような座組の中で出資をすると、相応のリターンがちゃんとあるんだ。
鳥嶋氏:
補足するとテレビって、波代の単価を上げるため、「全国津々浦々で見られます」ということをアピールしてくる。これが全国ネットワーク。ところがいま佐藤さんが言ったのは、「関東だけでいいです。あと名古屋だけ足します」というような話で、すると俄然と波代が安くなるんだ。
──集英社はそうではなかったと。
鳥嶋氏:
そうだね。簡単に言うと、それまでのテレビ局って紳士的だったんだよ。根底にある作品の権利にはお金を出さない。そこはこちらに持たせてくれていた。ところがテレビ東京は、放送免許を持つ限られたメンバーの地位にありながら、そこで放送するフィルムに対してお金を出した。つまり権利を持ち始めた。
たとえばフジテレビで『ドラゴンボール』を放送したとして、そのまま数年経つと契約上、テレビ局には権利がなくなるんだ。そこをアニマックスなどが「再放送します、一挙放送やります」といって安く買い、そこのコマーシャル枠を売る。
TOKYO MXテレビは、この手法で伸びたんだよね。
ところがテレ東は『NARUTO』の権利を買って海外で売ったとき、アメリカや中国でお金になったので、川崎さん【※】という人があちこちに張るようになったんだよね。それがいまに至るんだ。
その結果、テレ東は儲け頭に紐を付けて、「全部自分のところでやります」と手放さなくなった。これはKADOKAWAと一緒で賢いんだけど、僕らにじつに嫌がられるよね(笑)。
※川崎さん
川崎由紀夫 テレビ東京上席執行役員。アニメ局担当、ライツビジネス本部長。
──それまでのフジテレビなどは、あくまでコマーシャルを売るという立場でしかなかったのに、テレビ東京は製作にお金を出して権利を持ったわけですね。テレビ局からの視点で見れば、それはより利益を得るための手法ですが、出版社の視点からすると、それは悪い条件でいわゆる不平等条約だったと。
鳥嶋氏:
いまは残念ながら、すべての局がテレ東化したんだよね。
そこにテレ東と思惑が一緒の代理店も噛んで、番組制作に入ってくるんだ。自分たちがお金を融通してスポンサーを見つけてくるだけじゃなく、「だったらついでに」と、もっと割りのいい当たりそうな作品については、「俺たちがスポンサードするから、底地をちょうだいよ」と言ってくる。
結果、その先で何が起きたかというと、いま白泉社の人たちや集英社の少女マンガなど、『ジャンプ』グループ以外のものはみんなそうだけど、メディアミックスで本を売るために、アニメの権利を一部渡し続けている。
なおかつ番組化するとき、提供費、つまりスポンサーとしてのお金も払ってくれと言われている。要するに、圧倒的な不平等条約を強いられている。いまはそういう莫迦なことをやっているわけだ。
──部外者の感覚で言うと、集英社が『ジャンプ』を、つまり原作を持っているから最強に見えるんですが、じつは「不利な戦いを年々強いられていまに至る」というのが、いまの話から解りやすく見えてきます。
鳥嶋氏:
それを解決する方法って、たったひとつなんだよ。全著作権を出版社が持てばいい。これがアメリカ型。マーベルやDCコミックス、ディズニーは全部持っている。作家に権利はなく、会社が持っているんだよね。だからたとえば『ドラゴンボール』の権利をAという会社が持っているとき、このAをまるごと買収すれば、『ドラゴンボール』の権利は動くわけ。これがアメリカの権利の動きかた。でも日本とヨーロッパは、著作権があくまで個人に帰属するから、こうならないんだよね。
少し補足もすると、みんな「アメリカのビジネスが正しい」と思いがちだけど、アメリカは世界の田舎者だよ。ただし、勝っている。
勝っているから正しく見えるけど、実態としては「アメリカとそれ以外」なんだよね。
個人視聴率のはじめ
──代理店が個人視聴率を言い始めたのは、いつごろのタイミングなんですか?
鳥嶋氏:
言い始めは……たぶんアニメの『ドラゴンボール』(1986年)が始まる前後あたりじゃないかな。導入はもうちょっと後、1990年代半ばかな。テレビ関係者から、「F1」や「F2」という個人視聴率の用語を聞くようになったのがそのころだから。
視聴率って、昔はビデオリサーチとニールセンの2社が出していたんだ。僕らは彼らに高いお金を払い、FAXで送られる情報を見て、裏番組まで含めた視聴率をチェックしていた。
「ニールセンのほうが数字が高めに出る」とか、「こっちだとビデオリサーチのほうが」みたいな話もあったりしてね。だけどその個人視聴率の導入後、いつのまにかニールセンが業績不振で潰れたんだよ。
みんな知らないだろうけど、ビデオリサーチの筆頭株主は電通なんだよね。電通が営業でニールセンを追い込んだわけだ。
その結果、視聴率は一社からしか出なくなり、子会社で出した視聴率を、親会社が企業に持っていって話を持ちかけ、テレビ局とのあいだを繋いで枠を買わせる。これがどういうことか。恐ろしいでしょ?(笑)
──(笑)。
鳥嶋氏:
そういう時代を経て、いまに至るんだよね。このとき同時に、大手出版社がファッション誌や料理本で、それぞれ山のように入広(いりこう)型の雑誌を出したんだよね。
──「いりこう型」?
鳥嶋氏:
昔だったら「こういう記事を集めて売ります」と編集長が雑誌を創刊し、その内容に興味を持つ読者が集まることで、そこに向けた広告が集まってくる。それが本来だったんだけど、入広型雑誌というのは、これを逆から仕掛けたものなんだ。
「こういう商品が出ます。ということは、こういうスポンサーがいるからこういう風にコマーシャルを打ち、こういった形でお金が作れます。これに合わせて雑誌を作りませんか」と、代理店側から働きかけてくる。これがいまの雑誌なんですよ。
これって出版社にしてみれば営業的な保障として手堅いから、景気がよく、企業が広告を出すときは、たくさん刊行するよね。だけど景気が悪くなると、面白さを基準に作ったものじゃないから、中身のない雑誌が山のように残るんです。
これがいまの枯れ木も山の賑わいのもとなんですよ。雑誌の姥捨て山だよね。
マンガ~ラノベ~なろうという流れ
鳥嶋氏:
そういう作りかたからも、出版社の傲慢さを感じるよね。正直滅びが始まってるよ。
佐藤さんの話を聞いてつくづく襟を正さざるを得ないのは、ラノベの「中高生が必ず読む通過儀礼であり、いちばん多感な読者に向けて書きたい作家を育て、作品をヒットさせる」というところ。これはまさしくマンガが隆盛してきたときのパターンと同じなんだよね。
佐藤氏:
その話で言うと、じつは言いたいことがひとつあるんです。
いま流行りの“なろう系”【※】小説のことを書いた本に、「なぜ売れているか」の理由が載っていて、そこに書かれていた「ネットなら自由に小説が書ける」、「読者の反応がビビッドに返ってくる」など、理由がすべて「かつて自分たちがライトノベルを作ったときに感じていたこと」だったんですよ。
つまりいまのライトノベルが既成化しているということだよね。かつてライトノベルの強みだったものが、いまはネット系小説に負けているのだとすれば、これは問題が大きいなと思っているんだ。
※なろう系
小説投稿サイト『小説家になろう』で流行っているテーマやジャンルなどを扱った作品群に対して、サイトの名前をもじって広まった呼称。『小説家になろう』以外で発表された作品に対しても用いられる。
鳥嶋氏:
凄く大きな視点で見ると、小説から始まったものがマンガになり、ライトノベルになり、いまの“なろう系”になり……という流れだね。それは新しく現れる媒体の作り手が読者に近く、読者の空気感や読みたいものをうまく掬えているから伸びるんだよね。
ところがそれが売れた結果、空気感がパターンになり、権威になり、売ることありきで読者と乖離していった結果、媒体としての生命力を失い、次のものに追い越されていく。すべてこれの連続だ。
──YouTuberやニコニコ動画って、まさにその“近さ”だと思うんですよ。いまミュージックシーンでブレイクしている米津玄師さんという方がいるんですが、彼は高校のころからずっと自作の曲をボーカロイドに歌わせてニコニコにアップし、その反響を受けながら、受け手と近い距離で活動を続けてきた方なんです。
それでブレイクしていく。その近さと受け手の熱量の高さ、それをもたらす若さが鍵なんだなと思いますね。
鳥嶋氏:
出版に置き換えれば、「クリエイターに編集者は必要なのか」という議論がよくネットで起きることについて、僕らは耳を澄まさなきゃいけないね。
編集者の発想
──そういう声の編集者に対するイメージって、大きくふたつに分かれているのかなと思います。
黎明期に作家と一緒に取り組んだときの編集者像と、でき上がったときにマネジメントするだけの編集者像と。悪く言われているのはきっと後者で、単純に数が少ないのかもしれませんが、前者の姿はあまり表に出ていない感じがします。佐藤さん、鳥嶋さんは前者の典型で。
佐藤氏:
本人の気分としては、作家と一緒に遊んでいただけなんだけどね(笑)。
鳥嶋氏:
その「一緒に遊んでいただけ」というのは、僕は実感としてよく解る。「売ろう」じゃないんだよね。とにかく「面白いから知ってほしい」、「こうやるともっと面白くならない?」みたいな遊びの感覚でやるから楽しいんだよね。発想も豊かになるし、結果的に読者に近いものが作れる。
佐藤氏:
カドカワノベルズや角川ホラー文庫などの編集長を歴任した宍戸(健司)くんから聞いたんだけど、角川ホラー文庫を創刊したときに、亡くなった遠藤周作さんに「もの凄く面白いコンセプトだ。僕も書きたい」と言われたと。その後、実際に書いたり編纂してもらったりしてね。
そういうふうに「これは新しい、面白い」というのは直観的に判るものなんだと思うんですよ。ホラー文庫も新鮮だったからこそ輝いていた時代があった。
ミステリーにも近いし、SF的なものもあるし、「こういうのを書いてみたい」と刺激する何かが、当時きっとあったんだと思う。「そういうものが発掘、発見できるといいな」といつも思うんです。
鳥嶋氏:
「ないもの」を見つけたり作ったりするほうが、勝負は早いし、勝てるんだよね。競争率が低いから。
佐藤氏:
『ジャンプ』で鳥嶋さんが果たした役割で確実にあるのは、『ジャンプ』はもちろんそれまでも売れていたんだけど、キャラクターに注目するなど、それまでになかった発想で取り組んだことだよね。アラレちゃんなんて、もの凄く新鮮だった。読者も新鮮に感じ、「なんだか判らないけど面白い」と感じるときって、きっとあるんだと思うよ。
鳥嶋氏:
「鳥山さんと鳥嶋くんが作るマンガは、『ジャンプ』の掟破り。『ジャンプ』のセオリーから外れている」と言われたことがあってね。『ジャンプ』のマンガにも、約束事がないように見えてあったんですよね。たとえば「男の子はこうあらねばならない」というような。すると作っていてもの凄く息苦しいんだ。
あともうひとつ……それまでの『ジャンプ』のマンガって絵が下手なんだよね。ただコマの中の画を描き込んでばかりいて連続体で見せていない。それは効率が悪いし。
徹底的に画をコマの連続の動きで見せていくこと、キャラクターで押していくこと……たとえば『ドラゴンボール』って、簡単に言えば、とことん手抜きのマンガなんだよね。描き込んでいないから。そういう意味じゃ『ジャンプ』らしくなかったかもしれないね。
そもそも『ジャンプ』や集英社も、源流が同じ小学館からすればもの凄く野蛮な会社なんだけどね(笑)。さらに集英社は少女マンガから始まった会社。その中で『ジャンプ』グループというのは輪をかけて野蛮でね(笑)。
『マーガレット』や『nonno』などを作った若菜(正氏・故人)という、僕が『ジャンプ』に戻されたときの社長で、集英社のいまの雑誌スタイルを作った人がいるんだけど、彼が『ジャンプ』に言っていたのは、「君たちは育ちが悪い」ということ。『ジャンプ』の連中のやりかたは、スマートじゃないって思われていたんだね……。
『ジャンプ』も後発で、「こういうやりかたでしかやれない」というスマートでないものを磨いていったんだけど、KADOKAWAはそこが同じなんだよね。
佐藤氏:
僕は歴彦さんから言われましたからね。「君たちは集英社や小学館だったら、こんなに大事にされていないよ」って(笑)。
一同:
(爆笑)。
佐藤氏:
でも歴彦さん自身がオタクだったからか、僕らはちやほやはされなかったけど、少なくとも蔑まれてはいなかった(笑)。
ラノベ黎明のころのゲーム業界は
鳥嶋氏:
マンガがある種の生命力を失いつつあるなかでライトノベルが現れ、アニメーションも視聴率の取りかたで形を変えていったとき、そのころのゲーム業界ってどうだったんだろう?
──ライトノベルの黎明期はファミコン、スーパーファミコンの時代です。さまざまな企業が、「ゲームが儲かる」と気づいて続々参入してきます。
もっとも、山師的なノリでいろいろな企業がいちばん現れたのは、ファミコンのころですが。
鳥嶋氏:
あの時代のゲーム制作でたいへんだったのは、カセットロムの時代だから任天堂に対して「○○本作ってほしい」と、あらかじめ委託製造の発注をしなきゃいけなかったこと。さらにその委託製造費とロイヤリティでだいたい定価の半額程度をあらかじめ払わなきゃいけなかったこと。スーパーファミコンで『ドラクエ』を作るとき、その費用がかさんでエニックスが借金しないといけないときもあったからね。
あのころのゲーム業界は、一時期の出版と同じで、ベストセラー倒産というものがあるんじゃないかというくらいだった。それが媒体がCD-ROMになって圧倒的に楽になったよね。すぐに重版できるし。
──ゲームで言うと、電撃文庫の創刊(1993年)や盛り上がりと、日本におけるプレイステーション(1994年)の台頭というのは、わりと同時代なんですよね。
鳥嶋氏:
そうか。俺もそのあたりでゲーム業界との関わりを退いていくわけだ。
佐藤氏:
『Vジャンプ』の創刊はいつでしたっけ?
鳥嶋氏:
創刊が1992年で、月刊誌になったのは1993年。あのころ、子どもたちにアンケートを取ると、「将来ゲームクリエイターになりたい」という声が3位~5位くらいに入っていたよ。
佐藤氏:
ゲームクリエイターがクローズアップされて、スター扱いされた時期ですね。
鳥嶋氏:
『ファイナルファンタジー』の坂口博信さんに、写真撮影のときにスタイリストを付けたりね。
憧れの職業もそうだけど、何を遊ぶか、何を見るか、あの時期に子どもたちの選択肢が増えたよね。増えたことによって、たとえばそれまでメインだと思われていたマンガなどがその座を失っていったのかなと思うんだよね。
『Vジャンプ』創刊の3年後に、『週刊少年ジャンプ』の部数崩壊が始まるんだ。653万部を達成(1995年)する前後に、『幽遊白書』が終わり(1994年)、『ドラゴンボール』が終わり(1995年)、『スラムダンク』終了(1996年)が決まり。
──選択肢が多様化して、ヒット作が100万から10万単位などにバラける。それが「嗜好性によりマッチして幸せになったよね」と言えるのか、それとも「みんなで楽しめる何かがなくなって、つまんないよね」と言うべきなのか、その答えってまだ微妙に出ていませんよね。
鳥嶋氏:
その対になる問いが僕らにもあってね。それは「なぜ100万部ヒットが出ないのか」というもの。いま初版で100万刷れるのは、集英社では『ONE PIECE』くらい。講談社も『進撃の巨人』かな。あとは出版業界の中だとないんじゃないかな。
佐藤さんの意見を伺いたいんだけど、大手三社の中で小学館だけ違った強さを感じませんか? 『ドラえもん』、『名探偵コナン』、『ポケットモンスター』、どれも劇場アニメの興行収入が50億円を超えたりしている。
佐藤氏:
そうだね。そもそものテレビアニメも強い。
鳥嶋氏:
さらに、比較的に弱い雑誌から出てきた『クレヨンしんちゃん』も、いまもって映画を含めてあんなに売れている。『アンパンマン』もそうだよね。こうした家族を意識して作られたものって、業界ではよく「エヴァーグリーン」とか呼ばれたりして、強いんだよね。
集英社ではようやく『ドラゴンボール』がそうなりつつある。親子で楽しむコンテンツになってきてはいるんだけど、小学館のタイトルの在りかたとは、ちょっと違うんだよなあ。
『ドラえもん』のような強さが、いまはなぜ作れないんだろうね。
佐藤氏:
それは難しいですよね(笑)。角川では、『ケロロ軍曹』が少し近づいたんですけどね。
鳥嶋氏:
『ケロロ』に合わせて雑誌も創刊しましたもんね。
佐藤氏:
とてもいいところまで行ったんだけどね。
──いまって合理性を求める余り、細分化に突き進んでると思うんですよ。ヒット作というものを考えたときに、昔だったら「100万部」をイメージしていたと思うんですが、合理化されて細分化された結果、「10種類のものを10万人に届けるのがいまの時代なんです」というような言われかたをしますよね。
これがもっと先に進むと、「100種類を1万人に届けるのが──」と言われかねず、AIなどの技術革新を含め、よりダイレクトなマーケティングができるようになったとしても、はたしてそれが正しいやりかたなのかが疑問なんです。
結論を言うと、じつは「みんなで盛り上がりたい」、「祭りを体感したい」というニーズが絶対あるはずなのに……と、いま答えが出ない不毛な話になってしまいました……。
団塊の世代という基盤
鳥嶋氏:
そんなふうに、みんなが「少子化のせい」だとか、「ネットに時間を奪われた」などの理由で「もうヒットは出ない」と言ったあとで、じつはふたつヒットが出ているんだよね。
ひとつは『進撃の巨人』。もうひとつは『妖怪ウォッチ』。『妖怪ウォッチ』は、代理店に乗せられて展開を間違えたから萎んじゃったのがもったいなかったな。
ただやっぱり、ちゃんと歯を食いしばって入り口をきちんと作り、その良さが伝わればヒットするんだと思ったね。だからマンガ家も高めの直球を投げ続けなきゃいけない。直球を投げて撃たれないためには、本格派じゃないといけない。変化球でコーナーを狙っていくのは、わりと簡単にできる。だけど志と力がないと、真ん中高めの直球は磨けないんだ。
佐藤氏:
先ほど例に挙がった『ドラえもん』などの作品は、いまもずっと続いてますよね。映像作品などが鍵になってるんですかね。
鳥嶋氏:
アニメの仕掛けかたが上手いというのは、あるだろうなあ。
僕が考える理由のひとつは、キャラクターの扱いがきちんとしているということ。あとは「いつも目にされている」ということ。そうすれば話題に上る。それと……必ず一定期間ごとに誰かが訪れるシーズナルな仕掛けをしていることかな。
『ドラえもん』なんていまさらマンガの単行本は売れないと思うんだけど、アニメを通してビジネスとして確立しているもんね。
佐藤氏:
鳥嶋さんが『ジャンプ』の編集長をやってたころまでというか、団塊の世代【※】やそのジュニアが子どもでいた時代までって、あらゆる局面でそうであるように、対象にされている人口の大きさの力がありますよね。
※団塊の世代……戦後1947~49年の第一次ベビーブームに生まれた世代。その子どもたちの年代とも言える1971~1974年の第二次ベビーブームの世代は団塊ジュニアと呼ばれる。「団塊ジュニアが子どもでいた時代」は、ファミコンブームとまさに重なる。
鳥嶋氏:
『週刊少年サンデー』、『週刊少年マガジン』(ともに1959年創刊)から始まるいろいろなマンガ誌の創刊や、当時の平凡出版(現マガジンハウス)が出した『平凡パンチ』(1964年)のようなサブカルチャー雑誌の創刊って、全部団塊の世代の好みや流れに合わせていたよね。
佐藤氏:
『平凡パンチ』はまさにそうだった。『週刊少年ジャンプ』も団塊のジュニアとともにあったし。
鳥嶋氏:
たとえば、僕らの先輩のときは「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」だったんだよね。こちらで思想と哲学を語り、こちらで『あしたのジョー』の力石の葬式をやる、みたいなね。
僕にすれば「はあ?」みたいな感じだけど、それがカッコイイという時代だった。
佐藤氏:
身も蓋もない話をすると、『コンプティーク』創刊のときに、「団塊の世代の子どもが小学5年生です」と媒体資料に書いたんだよね。1990年に『東京ウォーカー』が創刊され、最初の編集長のときは『東京ウォーカー ジパング』というタイトルだったんだけど、それはパリに『パリスコープ』という雑誌があり、ニューヨークに『ザ・ニューヨーカー』という雑誌があったので、「そういうものを作りたい」というのがコンセプトにあったからなんだよ。
鳥嶋氏:
高尚だね。
佐藤氏:
そう、高尚でとってもぶっ飛んだ雑誌だったんだよ。広告も海外のタレントを使ったりしてオシャレだったね。
鳥嶋氏:
集英社の『月刊プレイボーイ』みたいなもんだ。
佐藤氏:
だけど売れなくて編集長が交代し、新しい編集長は、上京してきた学生に向けて「500円以内で何が食べられるか」、「どこにデートへ行けばいいか」を徹底的にレクチャーする誌面にして部数が回復したんだよ。それがちょうど団塊の世代の子どもたちが大学生になったあたりでね。そこから広がって、「花火を観にいく」などというふうに変わっていくんだけど。
鳥嶋氏:
全盛期のころは、『なんとかウォーカー』ってあちこちにあったでしょ。
佐藤氏:
ありましたね。全盛期はミリオンまで行った雑誌だったんですよ。やっぱりどこかで、人口動態とリンクしているんですよね。
──団塊の世代の話ですが、ジブリの『コクリコ坂から』が、どうしてこんなテーマなんだろうと凄く不思議だったんですが、鈴木敏夫さんが「団塊の世代に向けて作った」という話を当時されていて、ハッとしたんです。
アニメって子どもや若者向けに作られることはあっても、シニア向けに、しかもメジャー作品として届けたものって、そうないんじゃないでしょうか。それを狙い済ましてやっているのが新鮮だったんですね。
佐藤氏:
団塊って60歳前後だよ?
鳥嶋氏:
『コクリコ坂から』ってどういうテーマなの?
──学生運動などを取り扱っていますね。
鳥嶋氏:
ああ確かに団塊の世代だ(笑)。でもそんな話が解るの、僕らの世代だけだよね。
──それほどマーケットとして考えたときの団塊の世代のボリュームというのは、凄いんだなと実感しましたね。