ゲーマーであれば「いままで遊んだゲームの中でベストはどの作品か?」と考えたことが一度くらいはあるだろう。
その中で選ばれるのは、何か尖ったゲームではないだろうか?
物語はふつうだけど、最後のどんでん返しで心を鷲づかみにされた。
ラスボス戦の演出と音楽、刹那の激突の手触りがすばらしかった。
システムが発明と呼べるほど奥深く、寝食を忘れてプレイに没頭した。
正解のない問答ではあるが、作り手の熱量から生み出された特異性はプレイヤーを魅了し、その作家性に代わりがないことにプレイヤーが気づいたとき、心の奥底にずっと大事にしまわれるタイトルになるのだと思う。
筆者が心の琴線に触れるビデオゲームで思い出すのは、2005年に発売された『ワンダと巨像』だ。上田文人氏がディレクターを務めたこのプレイステーション2用タイトルを初めてプレイしたときの衝撃はいまでも忘れていない。
境目のない世界にいるのは自分と愛馬、そして恐ろしく巨大な敵。
巨像と呼ばれる強大な相手の体を「つかみ」、「よじ登り」、弱点に剣を突き刺して倒す。
雑魚敵もおらずファストトラベルもなくミニマップもない。
ゲームを構成する要素をギリギリまで削ぎ落とした『ワンダと巨像』は、多くのゲーマーの心に残るタイトルとなっている。
ここで詳細を語るべくもなく、『ワンダと巨像』の魅力はこれまでいたるところで伝えられているが、20周年を祝して本特設サイトを用意させていただいた。
20年前にプレイした方は「あのときの心の揺さぶり」を思い出してみてほしい。
そして、未プレイの方は特設サイト内のコンテンツを眺めていただき、わずかでも興味を持っていただければ幸いだ。
2025年10月27日 電ファミニコゲーマー編集部
『ワンダと巨像』が誕生して20年の月日が経つが、作品の影響力は今だに輝いている。
そのサントラ自体も、世界中のオーケストラが、度々コンサートのリストに入れて演奏してくれている。
世界のゲーム音楽の作曲家たちが、「もっとシリアスで、自由な作曲をして良いのだ!」と、この作品で気付いたとも伝え聞く。
なぜこのような曲たちが生まれたかと言えば、『ワンダと巨像』という作品の世界観自体が、そのような世界の曲を生み出せ! とまさに要求してきたからだ。
作品の世界観がなければ、この音楽たちも生まれはしなかった。
アメリカのある若い作曲家が、苦しい時代にこのサントラを聴き、精神的に随分救われたと言ってきてくれたことがある。
今はその彼もアメリカで活躍し、日本に来た際には酒を酌み交わす良き友となった。
ゲームは人と人を繋ぐ、音楽も人と人を繋ぐ素晴らしい芸術だ。
これからも『ワンダと巨像』が輝き続け、人々の心の奥になんらかの光を灯していってくれることを願っている。
20周年、おめでとうございます。
作曲家 大谷 幸
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