子どものころ、トンボの羽を片翼だけちぎって、二度と飛べなくなった哀れなトンボを見て、どうしようもない悦に浸ったことがある。
そんなことを、『ワンダと巨像』で思い出した。
あの瞬間の快楽。
その切なさと後悔。
無邪気に、ただ快楽と欲求に任せて命を害することが、トンボの羽をちぎった時は楽しくて仕方がなくて……同時に虚しかった。あの後悔が、いまでもずっと忘れられない。そういう嫌な記憶を、『ワンダと巨像』は強く刺激してくる。
ということで、『ワンダと巨像』を初めて遊びました。
なぜって……ずっとやりたかったからです。
数年前に『ICO』をプレイしてから、上田文人さんの作品に心惹かれてしまっている自分がいた。あれから数年、『ワンダと巨像』をずっと遊びたかった。
そして今年、『ワンダと巨像』が20周年らしい。もう、このタイミングしかないと思った。私は「すいません、ワンダやっていいですか?」とお願いして、勝手にプレイして勝手に感想を書くことにした。つまり全部勝手にやってるだけです。
とにかく、私としては待望の『ワンダと巨像』でした。もう、気合い入りすぎてほぼ2日でクリアしちゃったんです。そのくらい自分勝手な感想ですが、よろしくお願いします。
※この記事には、『ワンダと巨像』のネタバレが含まれています。お気をつけください。
※この記事では、プレイステーション3版の『ワンダと巨像』をプレイしています。また、記事中の写真もすべてPS3版のものとなります。現在、リメイク版となるPS4版も発売中です。PS Plusのゲームカタログにも入っているので、気になる方は遊んでみてください。
このゲーム、超面白くないですか?
このゲーム、超面白くないですか?
「いや早い早い!!」と思われるかもしれないけど、1体目の巨像を倒したとき、率直に思いました。このゲーム、超面白くないですか?
巨大な像が、歩き回っている。
そいつの弱点を探して、身体をよじ登り、弱点を発見して……突き刺すッ! 噴出する黒い体液!! ゴリっと削れるHPゲージ!! 巨像はワンダを振り落そうとしてくる。負けじとしがみついて、何度も弱点を突き刺していく!!
巨像は倒れ、あの激闘が嘘だったかのように、世界は静寂に包まれていく。
ゲームを始めて、このワンセットを終えたとき、そう思ったのです。
「このゲーム、超面白くね?」と。
もう、それ以外に言葉はいらない。
根本的に「ゲームの面白さ」を突き詰めていくと、それは蓄積したストレスが解放された瞬間の「快感」に辿り着くと思う。
苦手だったステージをクリアできたとき、やたら強いボスを倒せたとき……その「ストレスから解放された瞬間」こそ、ゲームの醍醐味。『ワンダと巨像』は、「ボス戦だけを繰り返していくアクションゲーム」とでも言うような激闘の連続で、ひたすらにその快楽を与え続けてくる。
そして同時に、危険なゲームだと思う。すごいストレスの蓄積→すごい解放→またすごいストレスの蓄積……というサイクルを、何度も繰り返すってことでしょう? 気持ちよすぎて頭おかしくなっちゃうよ?
実際、私もかぶりつくようにプレイし続けていた。
1戦1戦の密度が高いから、体力の持っていかれ方は尋常ではないものの、巨像を撃破することで得られる莫大な快感キャッシュバックがそれを上回っていく。疲れているのに楽しい。大変なのに遊び続けてしまう。
快楽がストレスを上塗りし、それを上回るストレスが襲いかかってきて、さらなる快楽がそれを塗り潰していく。これなんらかの依存性があるゲームじゃないですか?
倒したのに、切ない
だけど、そんな快楽のあとに、「切なさ」がやってくる。
巨像を撃破すると、像が倒れるムービーが流れる。
その時の倒れ方に、「命」が宿っている。間違いなく、自分はこの生き物の命を奪った。そんな事実を、達成感と同時に突きつけてくる。この「巨像の倒れ方」のモーションに、尋常じゃないこだわりを感じます。必死に倒したけど、同時にそれは命を奪うことだった。終わってみると、静寂だけがあった。
戦っている最中。命を奪い合っているあの瞬間。
あんなにも滾っていた血潮が、勝った途端に鎮まっていく。
倒れる巨像を見ている時、なんだか言葉が出ない。無様なようで、神々しい。圧倒的な存在が崩れ落ちるその瞬間に、「生命の輝き」を垣間見た。言葉に詰まる。おおよそ人の言葉で表現できるものではない。
「切なさ」とは、思ったことが言葉になる直前の感情だ──といった話を、どこかで聞いたことがある。このゲームで巨像を倒した瞬間は、きっとそうなのだと思う。言葉にならない。だけど、あの崩れゆく様を見届けている時……確実になんらかの「気持ち」が生まれている。
トンボの羽をちぎったら、二度と飛べなくなった。その様が哀れで気持ちよかった。でも、ずっと見ていたら、虚しくなった。トンボは飛べないまま命を終えていくのだと思うと、悲しくなってきた。
興味本位で羽をちぎったくせに、ものすごく身勝手な子どもだと思う。だから、私はこの記憶を忘れ去りたい。でも、忘れられない。あの快楽と後悔が、ずっと消えてくれない。いまでも夢に見る。
「切なさ」というと、私はこのことを思い出す。
幼少期に味わった、一番の「切なさ」だと思う。
『ワンダと巨像』で巨像を倒すたび、このことを思い出す。自分で殺したくせに、心は寂しくなっている。人間はどうしようもない生き物なのだと突きつけられる。なにかを害さなければ生きていけないのだと、思い知らされる。
命を奪うその瞬間を通じて、「思い出したくないこと」を刺激されるのが……『ワンダと巨像』の好きなところです。






