1993年12月10日、そのゲームは世に出陣した。
『ロマンシング サ・ガ2』(以下、『ロマサガ2』)。

『ロマンシング サ・ガ』に続くシリーズ第2作目(『サガ』シリーズとしては第5作目)であり、プレイヤーは一国の「皇帝」となり、数千年の時をかけて、帝位を継承しながら戦っていく独自のゲームシステムが搭載されていた。
それは、RPGで「歴史」を体験させるタイトルだった。
そこにバトル中に技を習得する「閃き」や、年代経過に合わせて強くなっていく「七英雄」などの要素が合わさり、本当の意味で「自分だけの大河ドラマ」を作り出せるRPGでもある。
自分だけが生み出したドラマ、自分だけが作り上げた国、自分だけの「世界を救った」感動……発売から30年以上の時が経っても、他に類を見ない“ロマンシングな”体験ができるタイトル。2024年10月にリメイク版『ロマンシング サガ2 リベンジオブザセブン』が発売されたことも記憶に新しい。
- 『ロマンシング サ・ガ2』
そんな『ロマサガ2』の「ロマン」は、どう生み出されたのだろう?
ふとそう思ったことが、この企画の始まりだったりする。
そして今回、『サガ』の生みの親である河津秋敏氏と、『ロマサガ2』開発当時の企画書・キャラ設定画を見ながら、今作の「ロマン」がどう作り上げられたのかをお聞きする特別企画を実施させていただくこととなった。
そう、本当に開発当時の資料とキャラ設定画である。
マップの方眼紙、謎のリスト、キャラクターのラフ。1992〜93年の開発当時に作られた秘蔵の資料とともに、『ロマサガ2』に宿る「ロマンシング」の謎を解き明かしていく。
『ロマサガ2』独自のシステムは、どう組み上げられたのか? 河津氏が作り上げた『サガ』の鋭い空気感と、徹頭徹尾ゲームデザイン的な視点の源流はどこにあるのか? そして一体、なにが人を「ロマンシング」させるのか?
『ロマサガ2』を通して、『サガ』シリーズ全体のこと……さらに「河津秋敏」というゲームクリエイターの「異質さ」にも迫った内容となっている。この異質さ、ぜひ堪能していただきたい。
『ロマサガ2』の始まりと、1993年の設定画
──いきなり当時の設定画っぽいものが置かれているんですが、これはテンションが上がりますね!
河津秋敏氏:(以下、河津氏)
これは、発注をした時に小林(智美)さん【※】からFAXで送られてきたラフです。
※「小林智美」
イラストレーターの小林智美氏。『ロマサガ2』を含め、数多くの『サガ』シリーズにて、キャラクターデザインやイラストを担当している。
──このデザイン周りのやり取りは、企画のどの段階でされていたものなのでしょうか。
河津氏:
キャラ設定には、それなりに時間がかかっていたと記憶しています。
ゲーム内のドットが先にできていたキャラもいるので……そう考えると、作り始めて半年くらい経ってからだと思います。もちろん、それまでに設定はほぼできていました。
逆に、絵に合わせてドットを少し変えていった部分もあります。
──よく見ると、資料に制作日時っぽいものが書かれていますね。「1993年9月7日」とか。
河津氏:
発売日が93年の12月なので、9月くらいにはもう終わっていました。開発も割と順調に進んでいたので、これは攻略本用に起こしたデザインかと思います。
──なるほど、発売後の攻略本に載せるための発注をしていたものもあるんですね。
河津氏:
全員のイラストがゲーム発売タイミングで揃っていたわけではないので、
攻略本用に追加でデザインをしてもらったものもあります。
──ジェラールの日付には「93年4月7日」と書かれてますね。おそらく、これが開発中にやり取りをされたデザインですよね。
河津氏:
ジェラールは主要キャラなので早めにデザインをしてもらっています。
それこそジェラールは、小林さんに描いてもらったからあの衣装になったわけではなく、こちらでドット絵を起こす段階からあの衣装になっていました。
──改めて、本日は貴重な機会をいただき、ありがとうございます。まず、こちらの企画書などは当時のいつ頃に作られたものなのでしょうか?
河津氏:
たしか、1992年の4月頃……『ロマサガ2』の発売が1993年の12月だったので、1年半くらい前に作っていました。
1作目の『ロマンシング サ・ガ』(以下、『ロマサガ』)を作り終えて、スタッフの多くが『FINAL FANTASY V』(以下、『FF5』)の開発に参加することになりました。『FF5』はスクウェアが総がかりで作っていたので、こちら側のスタッフは少なかったです。
だから、前作から引継ぎで参加していたのは、自分と穴澤(友樹)くんと、小泉(今日治)くんと、髙井(浩)くん【※】くらいの少数スタッフで企画を作り始めました。そこから、当時の4月採用で若いスタッフが多く入ってきて、ようやく『ロマサガ2』の開発が本格的に始まりました。
※「穴澤友樹」
プログラマーの穴澤友樹氏。過去にスクウェアに在籍しており、『ロマサガ』シリーズ1作目からプログラマーとして携わっていた。
※「小泉今日治」
元スクウェア・エニックス、現グレッゾ所属のゲームデザイナーの小泉今日治氏。『ロマサガ2』以降のシリーズのバトルデザインを手がけた人物として、ファンの間ではお馴染み。
※「髙井浩」
スクウェア・エニックス所属のゲームクリエイターの髙井浩氏。スクウェア時代に『ロマサガ』シリーズに携わり、現在は『ラスト レムナント』『FINAL FANTASY XVI』のメインディレクターを務めている。
──では、『ロマサガ2』の企画を作るキッカケとしては、ストレートに「1作目を作り終えたから、2作目を作る」という流れだったのでしょうか。
河津氏:
そうですね。
1作目の開発が終わった直後に、次はどういうものを作ろうかと考えていました。その段階で、「代替わりしていく、引き継いでいく」というシステムは、ほぼほぼ決めていて。実際に企画が走り出す4月まで半年くらいはあったので、その間にマップや世界観を作っていました。

──では、「継承する」というシステムの構想が最初にあって、そこに対して七英雄などの世界観を作っていった形なんですね。
河津氏:
七英雄は、どちらかというと最後の最後に決まりました。
最初は「力を受け継いでいく主人公に対して、なにか敵がいる」といったことのみを決めて、敵の数すら決めていませんでした。ただ、RPGの中ボスの数として、「4体」というお約束はあって……でも、それは1作目でやっているから、また4体じゃ面白くないんですよね。
そこで、ちょうど当時のスクウェアが恵比寿に引っ越したので、そこから「七福神」を連想して、敵は7人で行こうと決めたんです。
──「恵比寿→七福神→七英雄」の順で連想されていたんですか!?
河津氏:
順番はそうですね。会社が恵比寿に移っていなかったら、また全然違う敵になっていた可能性はあったと思います。
──「七英雄の名前がJRの駅名をもじっている」というのは語り草となっていますが、その順で決められていたんですね。「池袋」が「ロックブーケ」なんかも、そこが最初にあると。
河津氏:
やっぱり7人の中には紅一点が必要なので、「なんか女子っぽく聞こえる名前はないか」と考えて……池袋をひっくり返してロックブーケに。
「ひっくり返すだけ」って、いかにも当時の業界人的ですよね。
一同:
(笑)。
──開発当初は3~4人で企画書などを作られていたとのことですが、当時のスクウェアの中では、「3~4人くらいで集まってから、企画を始動する」といった作り方は多かったのでしょうか。
河津氏:
当時のスクウェアは、開発チームがいくつかあって、そのチームごとになにを作るのかを決めていく形でした。当時は坂口(博信)さん【※】と自分のラインがあって、そこにプラスして『聖剣伝説』のチームがありました。
主な流れとして、まず坂口さんに「次になにをやるか」を書いた企画書を出します。10個くらいネタを書いて、それに優先順位を決めて提出する。でも、坂口さんに持っていった段階で「当然、次は『ロマサガ2』でしょ」みたいなことを言われるんですよね(笑)。
自分としては、全然RPGじゃなくてもよかったんですが、「当然、『ロマサガ2』だよね」と。
※「坂口博信」
『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親としてお馴染みの坂口博信氏。スクウェア時代には、同社の副社長も務めていた。
──開発チームとしては、1作目の『ロマサガ』に携わっていたメンバーを土台とした形なのでしょうか?
河津氏:
メインのプログラムを担当していた穴澤くんは、ゲームボーイの『魔界塔士 サ・ガ』の時からいたプログラマーです。だから、「彼さえ残っていれば作れる」という確信はありました。
他には、小泉くんが1作目の『ロマサガ』を作っている最後の方に加入して、あとは髙井くんがいました。ただ、髙井くんも『FF5』を手伝っていた時期があったので「少人数で作っていた」という感じですね。
だから、「最初は少人数で始める」というルールは特にありません。
開発末期……特にマスター提出が終わると、発売までの間は待機になります。その間に、「次はなにをやろうか」と話し合っているような状態でした。

「皇帝が戦う」という発想の元、実は『ロマサガ』のアイツが……
──初期の段階で「継承する」というシステムの構想はあったとのことですが、そもそもの「継承する」というアイデアの発想はどこから出てきたのでしょうか?
河津氏:
当時は『ロマサガ2』だけじゃなくて、『ヘラクレスの栄光Ⅳ』【※】などが、キャラを乗り移って進んでいくようなシステムだったりして、「いろんな形で代替わりしてくのもアリだよね?」的なムードがあったと記憶しています。
最初に「お前は英雄だ」と言われた人間が、そのまま悪いやつを倒して終わるだけの話じゃ、もう持たない。遊ぶ側も、当然「もう、そういうのはいいよ」という気持ちはあるわけです。じゃあ、どうやってそこに変化球を投げていくのか。面白くしていくのか。
だから、「キャラクターを成長させていく中で、思い切った変化が与えられる」という仕組みの中で、「能力を別のキャラに渡していく」といったシステムはいろいろな人が思いついていたと思います。
※「ヘラクレスの栄光Ⅳ 神々からの贈り物」
『ヘラクレスの栄光』シリーズの4作目。「トランスファーシステム」という、旅先で出会うさまざまなキャラに乗り移るシステムが特徴的。のちに『FINAL FANTASY』シリーズ(以下、『FF』)に深く携わる野島一成氏が、ディレクターとシナリオを担当している。
──そう考えると、『ロマサガ2』が作られるまでの大まかな流れとしては、最初に「継承する」という大まかなシステムの構想があり、そこに「フリーシナリオ」の仕組みや世界観をくっつけていくような形だったのでしょうか。
河津氏:
そうですね。
ただ、「能力を引き継ぐ」というアイデアは、どちらかというとストーリー的なものというより、ゲームシステム的な発想でした。要は、『ドラゴンクエスト』(以下、『ドラクエ』)の転職なんですよね。戦士だったものが魔法使いになることで、「戦士と魔法使いの両方の能力を引き継いだキャラ」を作れるという発想です。
やっぱり、プレイヤーはいろいろなキャラで遊びたいわけじゃないですか。そして、ゲームもいろいろなキャラで遊べるように作られていますが、実際にはそのいくつかしか選ぶことができない。それはもったいないですし、作っている側としても「全部遊んでもらえていない」感じがあります。
であれば、最初にキャラを選んだら、あとはどんどん好きなようにキャラを変えられて、ゲームとして用意したものを全部遊んでもらえるようにしたい。そういう意味では、完全にシステム寄りの発想ですね。「ゲームのシステムとして、こういう遊びができる」という提示が最初にありました。
そこから、「引き継ぐ」というシステムへの理屈付けや、それをドラマにするための設定として、自分は「皇帝の継承」という歴史ドラマに当てはめていくことを考えました。
──つまり、「ジョブチェンジ」のシステムを強制的に全キャラで遊んでもらえるような発想だったんですね。
河津氏:
そうです。それをパーティーの中で横に展開するのではなく、『ロマサガ2』は継承を使って「縦」に繋げたイメージですね。

──ただ、『ロマサガ2』は同じ「フリーシナリオ」を取り入れていても、1作目とはまた大きく違った仕組みだと思うんです。河津さんとしても、「フリーシナリオの解釈を変えよう」と考えられていたのでしょうか。
河津氏:
「皇帝を引き継いでいく」という設定を作ろうと思った時に、まず「皇帝だから、帝国を運営するのが仕事だな」と考えました。社長ですから。皇帝というのは。
そこに「どういう風に国を広げていけばいいのか」「どうやって国を運営すれば、もっと豊かになるのか」といった、シミュレーションゲームのストラテジー的な要素を組み合わせると、ゲームとして面白くなるんじゃないかと考えていました。
自分自身、元々シミュレーションが好きで、作ってみたかったこともあり、坂口さんに持っていった企画書にも「『シムシティ』みたいなゲームがやりたい」と書いていました。
──なるほど、皇帝の設定に対して「シミュレーション」をかけ合わせた形なのですね。
河津氏:
皇帝の設定を考えてから、「この国を広げていくシステムだったら、シミュレーション的な要素も入れられるよね」と。そうなると、ゲームとして「大陸内のどこから行くか」という選択肢が生まれるので、それ自体がフリーシナリオのベースになります。
1作目の『ロマサガ』は、その選択が「どのエリアに行くか」がベースになっていて、ストーリー的にも「行った場所で誰と出会うか」が主となっていました。だから『ロマサガ2』は、プレイヤーの「帝国をどう広げていくか」という判断によって、ドラマが変わっていく形にしました。
──普通に考えると、「異なるジャンルの要素を組み合わせる」というのは、どうしても取り散らかったり、かみ合わせが悪くなったりすると思うんです。『ロマサガ2』の開発では、そういった問題は起こらなかったのでしょうか?
河津氏:
「帝国の運営」とは言いつつ、プレイヤーが社長になって経営シミュレーションをするゲームではありません。アバロンの皇帝は、七英雄を倒すという役割を背負わされているので、普通の会社の社長とは違います。皇帝なのに、とにかく最前線で戦っていますから(笑)。
あくまで、「皇帝を強化するための軸線として、帝国を強化する」という順番です。「皇帝を強くするためには、どうしたらいいのか」というモチベーションで、プレイを続けていけるようにするのが目的のストラテジーです。
ストラテジーのゲームには「現実のシミュレーション」みたいな要素が入っているのですが、『ロマサガ2』はそこをかなり無視しています。あくまでゲーム的に面白く、ストーリーがドラマチックになればいいネタとして割り切っているから、ひとつのまとまりができているのだと思います。
──1作目の『ロマサガ』を作りきった時に、「次はこうしよう」と考えていて、それが『ロマサガ2』で解消されたところなどはあるのでしょうか?
河津氏:
自分の経験や能力が足らなかったこともあり、1作目には容量的な問題で入らなかったエピソードや、もっと完成度を上げたかった部分もありました。そこは2作目でもう一段レベルアップして入れていこうとは思っていたのですが、まずゲームとしては全然違う設計ですからね。
ただ、1作目に「ナイトハルト」という、ローザリアの皇太子……つまり実質的な王であり、権力を持っているキャラが登場しており、実際に彼で冒険できるようにしたかったんです。だから、『ロマサガ2』ではその立場で冒険できるようになりました。
──たしかに「ナイトハルトが主人公」とイメージすると、すごく納得感がありますね。
河津氏:
ナイトハルトは、仲間に入ってくるときは影武者を置いていきますが、『ロマサガ2』では、影武者ではなく、正々堂々と皇帝自ら戦う。
でも、「王様なのに最前線に行って、冒険していい立場を作らなきゃいけない」と考えると、難しいんですよね。そもそも、そんな国は普通成り立たないじゃないですか。
一同:
(笑)。
「閃き」を、どう閃いたのか
──『ロマサガ2』では、お馴染みの「閃き」も初登場していますよね。開発当時は、小泉(今日治)さんから「閃きの原型となるシステム」が上がってきて、そこから「閃き」が完成したとお聞きしました。
河津氏:
1作目の『ロマサガ』の技システムは、武器ごとのレベルを上げていくと、そのレベルに応じた新しい技を覚えていく形でした。当時は「スキルツリー」というシステムもなかったので、「どうやって技の分岐を入れていくか」で考えていました。
そこで「技の分岐」のシステムに小泉くんがランダム性を入れて、「閃くことでいろいろな分岐を入れていく」というアイデアを思いついてくれたんです。自分も、「たしかにそれは面白いな」と。
1作目は、武器によって覚える技が決まっていたので、別の技を使う場合は武器を変えるしかありません。しかもメモリの制限もあって、一度武器を手放すと技を全部忘れてしまいます。そこに対して、閃きは「技はキャラが覚える」というシステムにしてくれました。

河津氏:
自分も『ロマサガ』の技のシステムに納得がいっていたわけではありません。武器にしろ何にしろ、「使い込むことでなにかを身に付けていく」というのはリアリティがあるし、RPG的なゲーム性ではありますが、「そこにもう一つなにかがほしい」と思っていました。
そこで、「閃き」にもう一つの可能性を見出しました。
ただそのまま「閃き」を入れたとして、単純にランダムで技を閃いてしまうと、突然すごく強い技を閃いたら楽勝になったり、多くの技を閃いても全然強くならないシステムになる可能性はありました。
当然、敵が段々強くなっていくシステムと歩調を合わせていけばコントロールはできますが、システムが上がってきた当初は「細かい部分の詰めをどうするか」と考えていたと思います。
──では、「閃き」のバランス調整などは苦労されたのでしょうか。
河津氏:
内部的な、「これを閃いたあとに、これを閃く」という組み合わせに結構苦労はしましたね。そういう意味で、閃きは「スキルツリー」でもあるんですよね。

──お話を聞いていると、「継承」と「閃き・見切り」は全く別のところから出てきたシステムですよね。ただ、実際のゲーム上では、クジンシー戦の「レオンがソウルスティールを見切り、ジェラールにそれが継承される」といった形で、別軸のシステムが上手くかみ合っている印象を受けました。
河津氏:
「見切り」も、小泉くんの発想でしたね。「見切り」というシステムがあったから、クジンシーの「ソウルスティールを食らって、死んで、受け継ぐ」というドラマが成立しました。つまり、クジンシー戦はシステムが先にあったんです。
だから、最初から狙ったように設計していたのではなく、システムができあがってきた流れで、「クジンシーのソウルスティールを見切る」というドラマティックな話ができています。
──そうだったんですね。これは『ロマサガ2』だけでなくシリーズ全体についてもお聞きできればと思うのですが、まず最初にシステムがあって、そこに世界観やストーリーを作っていくことが多いのでしょうか?
河津氏:
そうですね。
ゲームなので、お話を読んでもらうよりは、ゲームをプレイしてほしい。自分は「ゲームを通じてストーリーを描く」ということを理想としています。
だから、最初にあるべきなのは「システム」なんですよね。
ゲームとしての面白さは、常に「そのシステムにどういう面白さがあるか」を大事にしています。
──その「システムが先」というお考えは、当時のスクウェア全体がそうだったのでしょうか? それとも、河津さん独自のものだったのでしょうか?
河津氏:
そこは、もちろん人によって全然違いますね。
坂口さんは元々『ザ・デストラップ』【※】などのアドベンチャーゲームを作られていましたから、そういう意味では『FF』などもアドベンチャーゲーム的なストーリーですよね。
筋書きを追っていったところにどんでん返しが入ってきたり、フラグをひとつずつ立てて進めていくようなシステムを組んで……まず「ストーリーありき」でゲームを作っていたと思います。
逆に、自分は最初から「RPG」が作りたかったんです。
RPGは突き詰めると「サイコロを振ってどうなるか」というランダム性に左右されるゲームだと思っています。絶対にここで負けられないという時に、ランダム性で負けそうになりますよね。
その時に、TRPGだと「じゃあどうする?」と、プレイヤーはみんなで対応を考えて、結果として朝まで徹夜でプレイしたりする。ゲームマスター側も「これで負けられたら、この徹夜は何だったんだ?」と思いながら、なんとしても勝ってもらえるようにする。
ゲーム全体のために、プレイヤー側もマスター側も考えるんですよね。自分は、そういう思想でゲームを見ています。
※「ザ・デストラップ」
1984年にスクウェアから発売されたアドベンチャーゲーム。スクウェアのデビュー作であり、坂口博信氏のデビュー作でもある。