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上田文人作品を遊んだことがない男が『ICO』を遊んでみた。「Rボタンを押し続ける」というただそれだけの行為に、温かさ、優しさ、責任感が生まれる

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 私は……上田文人氏のゲームを一度も遊んだことがない

 開幕一行から最速タイトル回収を行ってしまったが、とにかく私は上田文人氏のゲームを遊んだことがない。ここで上田文人氏について一応説明しておくと、今回の記事で紹介する『ICO』、そして松本人志も激推ししていたらしい『ワンダと巨像』本田翼「10年先も語り継がれるような伝説のゲーム」と評した『人喰いの大鷲トリコ』など、数々の名作を世に送り出してきたゲームクリエイターだ。

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(画像は人喰いの大鷲トリコ | ゲームタイトル | PlayStationより)

 ……それなのに、上田文人タイトルを遊んだことがない。そのくせ、私はこの前発売された米津玄師氏と上田文人氏の対談が掲載されている雑誌『SWITCH』のゲーム特集号は買ったりしていた。いや、違うんや! 吉井添のエメトセルクコスが載ってるって聞いたから!!

 そしてなんと、上田文人氏の『ICO』『ワンダと巨像』『人喰いの大鷲トリコ』の3作が、新たにリニューアルされた「PlayStation Plus」【※】のゲームサブスクリプションに登場するとのことで、早速「プレミアム」プランに加入して『ICO』を遊んでみた。なんたる僥倖!

 とにかく今回はそんな私の『ICO』初見プレイの様子をお届けしよう。既にクリア済みの方も、これから「プレミアム」プランに加入しようか迷っている方も、楽しんでいただければ幸いだ。

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(画像はPlayStation Plus | 数百本のPS4 & PS5ゲーム・クラシックスカタログ・ゲームトライアルほか | PlayStationより)

※「PlayStation Plusの新プラン」
2022年6月から新たにリニューアルされた「PlayStation Plus」の「エッセンシャル」「エクストラ」「プレミアム」の3つのプラン。今回紹介する『ICO』はPS、PS2、PS3と世代の垣根を超えたタイトルをストリーミングで遊ぶことができる「クラシックスカタログ」機能を使える「プレミアム」プランにてプレイが可能。

文/ジスマロック
編集/実存

※この記事は、ソニー・インタラクティブエンタテインメントとのタイアップ企画です。


Castle in the Mist

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 『ICO』、それは2001年にソニー・コンピュータエンタテインメントより発売されたゲーム。角の生えた少年、「イコ」は霧の中に佇む古城へと連れてこられる。そこでイコは村の習わしによって、「生贄」に捧げられてしまう。しかし何とかその因習から逃れたイコは、自分と同じく檻の中に囚われている「ヨルダ」という女の子を見つける。

 同じ境遇、同じ運命、同じ生贄だったふたりの少年少女。ヨルダの手を取り、霧の古城からの脱出を目指すイコ。これはボーイ・ミーツ・ガールか、それとも姫を救い出す冒険活劇か、はたまた……。

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 『ICO』において最も重要なアクション、それは「手を繋ぐ」という行為。城からの脱出を目指すイコを阻むのは、数々の罠や影のような姿をした敵。そんな危険が待ち受ける城の中で非力なヨルダを守るために、「手を繋ぐ」必要がある。手を繋いで大きな段差を乗り越えたり、ヨルダを攫おうとする敵から手を繋いで防いだり、とにかく彼女を守るために、彼女を助けるために、彼女と城から抜け出すために、「手を繋ぐ」ということが大切なゲームになっている。

 『ICO』で手を繋ぐために押さなければいけないボタン、それは「Rボタン」。普通にデュアルショックを握っていれば右手の人差し指で押すボタンだ。あるゲームでは攻撃として、あるゲームではダッシュとして、あるゲームでは防御としてプッシュされるこの「Rボタン」は、今作では「手を繋ぐ」という行動へ変換される。

 正直に言おう。私は『ICO』ほど「Rボタンを押す」というただそれだけの行為に、ここまで重みが発生するゲームを知らない。ただ右手人差し指の第一第二関節に力をこめ、どうかこの手を離さないように、どうかこの手を握り続けられるようにボタンを押し込み続けるただそれだけの行為に、ここまで焦燥感を覚えるものか。ここまで緊張感が生まれるものか。

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 手を繋がなければいけない相手、「ヨルダ」は、常にどこかへと消えてしまいそうな雰囲気を湛えている。だからこの人を守るために、この人がどこかへと居なくなってしまわないように、この人の手をどうか離さないように、プレイヤーはRボタンを押し続けなければならない

 「ゲーム」という媒体が持ちうる最大の特性のひとつ、それは「プレイヤーがコントローラーを介し、作品に介入することによって得られる没入感」だと思う。『ICO』は、「Rボタンを押す」ことによって、ヨルダの手をどうか離さないように握り続けているイコの感覚が、直接自分自身にフィードバックされているような感覚を覚える。

 ひとりぼっちだった城の中で、誰かと手を繋ぐことができる安心感。私と手を繋いでいるヨルダの掌の温かさ。ヨルダと手を繋ぐことによって、緊張とか、安心とか、優しさとか、そういったものが全てない混ぜになったイコの心情が、ヨルダの手の脈拍が、私の人差し指の腹に伝わってくる

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 「Rボタンを押し続ける」というただそれだけの行為に、ここまで優しさ、辛さ、温かさ、責任感をまとわせることはできるのだろうか。手を握っているのはイコとヨルダのふたりだけれど、プレイヤーもコントローラーを通して、ふたりと手を握っているような温かさを覚える

 「手を繋ぐ」という行為、それは人間の数ある接触方法のひとつ。頬に触れる、抱き合う、口づけをする、人肌に触れる数々の方法の中の、そのひとつ。しかしそれは、実際に目の前に人間が居なければ成立しないのだろうか? いや、それは『ICO』に限っては違うのかもしれない。コントローラーを通して、イコとヨルダのふたりを通して、本当は存在しない幻想と、手を繋ぐことができる。イコと、ヨルダと、肌を重ねることができる。

 本当は存在しないものとだって、人は温かさを共有できる。いや、そんなロマンティックなことが現実に起きているのかどうかはわからないけれど、少なくとも『ICO』はそういうことに挑戦したタイトルなのかもしれない。

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(画像はICO プロモーションビデオ – YouTubeより)

 ここまで書いて、「これは本当にゲームのレビューなのか……?」という疑念が湧いてきた。急に自分の理性が帰ってきた。私はカッコつけたことを書くけど、後から見返すのは恥ずかしいから自分の書いた記事はもう見ないようにしている! は、恥ずかしいだろっ! SIEさんだって困惑しているかもしれない!! ごめんね?

 なので、ここからは『ICO』のパズル部分の面白さに触れていこう。

 『ICO』はアクションアドベンチャー……というジャンルになっているが、実際のところ、かなりパズル要素が強い。先ほど「このゲームは『手を繋ぐ』という行為が重要な要素になっている」と書いた通り、イコ本人が目の前の障害物やパズルを越えるよりも、その後に「どうやってヨルダの手を繋いだまま先に進めるか」という点が最大の障壁である。

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 しかもこのゲーム、恐ろしいことにUIの類が一切合切取り払われている。体力ゲージもないし、スタミナゲージもないし、マップも何もゲーム画面には表示されていない。あるのはただ、霧に包まれた古城と、鳥のさえずりすら聞こえてくる穏やかな静寂のみ。

 「UIの一切合切が取り払われたパズルアクション」と言われると、中々に難しそうな印象を覚えてしまう方も居るかもしれない。いやまぁ、確かに「そんな解き方ある!?」とキレそうになる場面はいくつかありましたが、いつの間にかぬるっと誘導されてぬるっとクリアしちゃってるのだからこれが恐ろしい。

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既に鎖を起動した後に撮影したキャプチャなので少し伝わりづらいかもしれません。ごめんなさい。

 このアクションパズル部分における視覚やオブジェクトの配置、意識の誘導などが卓越しているのも『ICO』の面白さに起因しているのかもしれません。

 たとえば上記の画像、これは「奥にあるレバーを下げて、クレーンの鎖を起動して下へ降りる」という解き方が求められる部分なのですが、一度クレーンからぶら下がった時に「ここ!ここを押せばいいんですよ!!」と言わんばかりに画面奥のレバーが自己主張をしています。な、なんてわかりやすい配置なんだ……!

 正直私はこの辺のプレイヤーの視線誘導の理屈とかは何もわからんのでノリで書いてますが、「ある程度はヒントを提示しつつも、『自分で気付けた』という気持ち良さをプレイヤーに与える」という誘導のバランスの取り方が、『ICO』はしっかりしていると感じました。

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何気に何分か放置すると、ヨルダが攻略の鍵となっている部分を指さしてくれるのも気が利いています。私は勝手に「ヨルダヒント」って呼んでました。

 もちろん、ただ「分かりやすく」作られているのが『ICO』の面白さではありません。これはゲーム後半にて、「跳ね橋のロープを剣で切って橋を架ける」という解き方をしなければいけない部分なのですが、中盤でもここに訪れること自体はできるため、木の棒を片手に装備した状態で「アレ?何ここ?攻略と関係ないの?」と何分か彷徨った方も多いのでは!? 多いですよね!? 私だけなんでしょうか!?

 ゲーム後半、「ロープを切る」というアクションが可能となった剣を装備した状態で訪れた時に「そういうことかァ──ー!!!」と一本取られた気分を味わえるため、こういうちょっと難解な部分も面白さのひとつではあると思います。『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』で鍛えた私の『ゼルダ』回路<サーキット>が火を吹くぜ!

 ただ、やっぱりパズル的な要素だけでなく、アクション要素も最終盤では強くなってくる。数々のパズルとアクションが仕掛けられていた霧の古城、その終盤に待ち受けるのは……待ち受けるのは……。

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 これもうSASUKEだよ!!!

 おい山田勝己呼んでこい! 僕には……僕には『ICO』しかないんですよ……!

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  みなさんは、「えっちなゲーム」と言われて、何を思い出すだろうか。
 アドベンチャー、ブロック崩し、ソーシャルゲーム……色々思い当たる節はあると思うのだが……いや、決してこれはふざけている訳ではない。

 私は、割と真剣に『ICO』は……色気のあるゲームだと思っている。
 いや、『ICO』は別に直接的にそういう描写があるゲームという訳ではない。そこだけは断じて違う。CEROはB。至って健全なアクションアドベンチャーゲームだ。

 しかし、やっぱりそこはかとない「色気」を漂わせるゲームだと、私は強く思う。むしろ、セクシーに描かれていないからこその色気、そういう卑しい意図があって描かれていないからこその「綺麗な色気」とでも言えるべきものがある。

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 今作のメインヒロインでもある「ヨルダ」。檻の中に囚われていた謎の少女。
 私は『ICO』における、彼女の「実在性」が凄まじいと思っている。

 もはやこれは論理的に記せる内容ではないのだが、たとえば彼女をその辺に放っておいた時に、暇そうに髪をかき上げるあの仕草。その辺でさえずっている小鳥を追いかける、あの年頃の少女のような仕草。そもそも『ICO』自体、薄暗い石造りの古城と、生い茂る青の自然の色で描かれている雰囲気が印象的だからこそ、簡単に汚されてしまいそうな彼女の美しい「白」の服装がより鮮烈に映る

 これらのヨルダを取り巻く全ての要素が渾然一体となって、「彼女は本当に存在しているのではないか?」と、一瞬錯覚してしまう。

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 特に私は、セーブする時にふたりでソファーに座るシーンが一番大好き。ソファーに座る時まで手を繋いでるのも良いし、ずっと城の中の景色だけが続くこのゲームの中で、唯一家庭的で和むシーン。何よりこうして座ることでふたりの身長差が際立つ。イコよりもヨルダの身長のほうを高くしたのは本当に偉大だと思います。上田文人、天才かな?

 ヨルダの所作、立ち振る舞い、イコと並んだ時の身長差、その写実的な色気に対する並々ならぬこだわり。先ほど『ICO』でRボタンを押している時の不思議な感覚を、「本当は存在していない幻想と、手を繋いでいる」と表現しましたが、ヨルダの実在感もこの独特な遊び心地に繋がっているのかもしれない……と感じました。「ヨルダ」という少女の実在性が、イコと、プレイヤーと、ゲームを繋げる「楔」となっている気すらしてきます。

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 少しメタ的な視点で考えると、「手を繋ぐ」というアクションが主軸に据えられているゲームにおいて、「手を繋ぐ相手」の存在は、そのアクション以上に重要な要素となります。そもそも手を繋ぐ相手が誰なのかもよくわからない人だったら、ここまで『ICO』は面白いゲームではないと思います。

 「ヨルダ」が魅力的な存在として、独特な色気を持った存在として描かれることによって、プレイヤーは「この少女の手を離してはいけない」と強く思うことができるし、イコ、プレイヤー、ひいては『ICO』というゲーム全体を牽引するパワーが、ヨルダの色気によって生み出されているとも思います。

 もし『ICO』が山田勝己と手を繋ぐゲームだったと考えると……いや山田勝己と手を繋ぐゲームは割とやってみたくないか……?

この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから。

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 私は、「善因善果」という言葉を、割と大真面目に信じている。

 善因善果、簡単に言えば「何か良いことをすれば、因果が巡って自分にも良いことが起きるかも!?」ということ。とんだ気休めの言葉だと思うし、きっとこの四字熟語を考えた人間は、相当自分の都合のいいように物事を考えることができるのでしょう。

 でも、私は割とこれを大真面目に信じている。たとえばスーパーに入った時、野菜コーナーの棚から白菜が転がり落ちていたらそっとその白菜を棚に戻したりとか、誰も拾う気が無さそうな空き缶が目の前に転がっていたら家に持ち帰って捨ててみたりとか、そういうあまりにも小さすぎる範囲で「ここで何か行動を起こせば何か良いことが起きるのではないか……!?」という変な気を起こして、そういう行動をしている。

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 正直私自身、書いていてとてもバカバカしいと思うし、特にそこまで高尚な願いがある訳でもなく、「ここで良いことしたら急に5兆円が手に入るのでは……!?」とか、「ここで良いことをしたらある日突然ヨルダぐらいかわいい女の子が目の前に現れるのでは……!?」とか、そういう俗物の考えで塗り固められたモチベーションで動いています。

 でも、同時に、「目の前で何か困ったことが起きていた時に、特に理由もなく動くことができる」ということは、人間の強さだと思います。いや、別に私自身はそんな高尚でかっこいいメンタルは持っていないんですが、「善果」とかもうそんなの関係なく目の前で誰かが苦しんでいる時に無償の愛を向けられるのは、理屈や理論を捨て去って動くことができる人間の美しさだと、私は思います。

 ……前置きが長くなりましたが、『ICO』はそんな人間の「特に理由も考えもないけど、目の前で困っているこの少女を助けなければならない!」という本能的な善意に訴えかけるゲームだと思いました。実際、私の『ICO』を進めるモチベーションの半分は、「何なのかはよく分からないが、このふたりの少年少女を助けてあげなければならない」という理屈も何もない善意だった気がします。

 特に強く印象に残っているのがゲームの終盤、城からの攻撃を受けたヨルダは髪も白髪になってしまい、手を引いてくれるイコについていくのがやっと……というほどに弱ってしまう。もはや息も絶え絶えで、手を引いたまま走ろうとするとヨルダは転んでしまう。

 そんな時に、私は「あぁ、ヨルダのためにゆっくり歩いてあげよう」と、無意識のうちに歩いていた。どう考えても走った方がゲームは早く進むけど、彼女が傷ついてしまうのであれば、私はたとえゲームの進行が遅れようとも、彼女のためにゆっくりと、そして優しく、手を引いたまま歩いてあげなければならない

 「Rボタンを押す」という私の行為が「手を繋ぐ」というイコのアクションに変換され、「手を繋ぐ」というヨルダのアクションが「コントローラーを通して本当に手を繋いでいるようだ」という私の感覚にフィードバックされる。このRボタンを通した「手を繋ぐことによる没入」が、この理屈も理論もない「ふたりの少年少女を助けてあげなければならない」という願いを生み出しているような感じがします。

 「この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから。」

 『ICO』の有名なキャッチコピーですが、これはおそらく主人公のイコ視点の言葉だと思います。しかし、プレイヤー自身の言葉としても捉えられると思います。実際私はRボタンを押して、イコとヨルダと手を繋いで、「この人の手を離さない! 僕の魂ごと離してしまう気がするから!」と感じたからそうなのでしょう! これもう私個人の感覚の話ですね!

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 「イコがヨルダを守るため」、「パズルを解くため」、「特に理由もないけど助けなければいけない気がするから」、「手を繋ぐ」というアクションに何重にも意味を持たせている『ICO』。

 そもそも「手を繋ぐ」という行為自体には、「人と人とが繋がる」という意味もある。結局どこまで行っても人はたったひとりでは生きられない。生きていくためにも、埋まらない孤独を埋めるためにも、本能的に生殖するためにも、結局人はひとりでは生きられない。どこまで行っても人間は永遠につきまとってくる。

 そして私は、「寂しさ」にだけはどうやっても耐えられない。純粋に私個人として、「寂しさ」だけはとにかく耐えられない。たとえば寝る前とか、スーパーで買い物した帰り道とかで、突然得も言われぬ孤独に襲われて、とにかく寂しくて、悲しくて、虚しい時がある。そういう時はゲームしたり、アニメ見たりして、どうにか底の抜けた植木鉢のような埋めても埋めても埋まらない孤独を埋めようとする。

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 『ICO』はそんな私の寂しさを「手を繋ぐ」というアクションで埋めてくれたゲームでもあると思います。ゲームなのに人肌の温かさがあって、それでいて恐ろしさもあって、それなのに色気もあって、どこか悲しさもある。それが『ICO』。

 「手を繋ぐ」というひとつのアクションからどこまでもどこまでも世界を広げていって、プレイヤーにまでその世界の全てが繋がってしまうゲーム。愛らしくも恐ろしい。悲しくも温かい。……まぁ要は「最近ひとり暮らし始めて寂しかったけど、『ICO』が手を繋いでくれて、その悲しさがちょっと和らいだ」ということです!

ICO -You were there-

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  ……ちょっとしんみりしすぎた気もするのでもうちょっとテンション高めに終わらせたい気持ちも山々なんですが、とにかく『ICO』はシリアスなこと書くのがあんまり好きじゃない私でもこんな感じになっちゃうくらい切れ味のあるゲームです。

 これまで書いた記事の中でも、私は何度か「終わった後に現実の自分の中に何かが残されている作品は良い作品だと思う」ということを書いているのですが、その意味でも『ICO』は様々な物が残ってしまうタイトルでした。コントローラーを通して伝わってきた、彼と彼女の手の温かみ。

 まさに女王の剣ぐらい一度刺さったら抜けることのないゲーム。

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(画像はPlayStation Plus ゲーム | ゲーム一覧・ゲームカタログ・クラシックスカタログ、ゲームトライアルほか | PlayStation (日本)より)

 そしてそんな切れ味鋭し『ICO』は「PlayStation Plus」の「プレミアム」プランにて大好評配信中!!!

 強引に行ったなぁ!? ええ!? 初代PSからPS3まで世代の垣根を超えたタイトルがたくさん遊べちゃうプレミアムプラン限定の「クラシックスカタログ」では、『ICO』に限らず、『サルゲッチュ』『WILD ARMS』などの往年の名作がPS4、PS5で遊べるんだって! もちろんプレミアムプランならPlayStation Plusの全プランの恩恵を受けられるので、『ワンダと巨像』『人喰いの大鷲トリコ』も遊べる!

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(画像はワンダと巨像 Value Selectionより)

 そしてもちろん、プレミアムプランに加入した暁には、『ICO』を遊んでみてくださいね。最近少し辛いニュースが続くこともありますが、そんな時こそゲームを遊んでください。ゲームには、希望も、楽しさも、温かさも、なんでもあります。

 「手を繋ぐ」というたったそれだけのアクションで、プレイヤーとゲームが繋がる『ICO』は、きっとあなたとも手を繋いでくれる。

ライター
転生したらスポンジだった件
Twitter:@yomooog
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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