電ファミニコゲーマー編集長のTAITAIです。
任天堂の宮本茂さんが、文化勲章を受章されることになりました。ゲーム関係者として初めての受章となり、業界を越えて大きな話題を呼んでいます。
まずは、本当におめでとうございます。
同じゲーム業界で仕事をしてきた人間として、とてもうれしいですし、誇らしく思います。
そして、受章に際して行われた記者会見も、さすがの内容でした。
電ファミでも詳しく記事にしていますが、ひとつひとつの質問への答えがおもしろく、読み進めるほどに、改めて宮本さんという人の “すごみ” を感じるものでした。
僕がとくに惹かれたのは、その言葉の端々から、ゲーム、あるいはもっと広い意味での「インタラクティブな遊び」について、宮本さんが考え抜いてきた時間や深さが伝わってくることでした。
そして、この感覚には、覚えがありました。
これまで取材してきた、さまざまな「すごい人」たち。その中の何人かと話しているときにも、僕は同じようなものを感じていたからです。
そこで本稿では、僕が思う「すごい人たち」から感じる共通の感覚について、少し話してみたいと思います。
文/TAITAI
言葉の端々からにじみ出る「考え抜いた跡」
と、その前に、まずは会見の中身に少し触れておきましょう。
受章の感想を聞かれて「照れくさい」と笑い、ゲームはひとりで作るものではないから、大勢の人の代表としていただくつもりだ、と答える。ここまでは、まあ、宮本さんならそう言うだろうなという話です。
ただ、そこから先、記者の質問に答えていく言葉の端々に、宮本さんが50年かけて考え抜いてきたことが、にじみ出ていたんですよね。
たとえば「ゲーム作りで大切にしてきたことは?」という質問。これ、どうとでも答えられる質問です。「お客さんの笑顔」でも「驚き」でも、無難な答えはいくらでもある。でも宮本さんは、こう返しています。
いちばん大事にしてきたのは、「遊びでも頭を使って考えている」ということですね。インタラクティブなもののおもしろさは、遊ぶ人が「つぎにこうしたらどうなるかな」と考えるところにあると思います。試してみて、どんな答えが返ってくるか。そこにどういう答えを返すかが、たぶん作家性と呼ばれるものです。
うーん、すごい!
これほどまでに「ゲームにおける作家性」を明確な言葉にした例を、少なくとも僕は聞いたことがありません。しかも、誰もがわかりやすいかたちで。
インタラクティブとは何か、作家性とは何か。ふたつの定義が、一息で出てきている。その場で考えた言葉では、まずこうはなりません。
生成AIについての受け答えも、とても印象的でした。
宮本さんは、技術の進歩と創作の関係を、「作る」ことと「作業」の違いから捉えています。
何を作ることと考え、何を道具に任せられる作業と考えるのか。その物差しが先にあるからこそ、新しい問いも、自分の言葉で考えられるように感じます。
それこそ生成AIなんて、ここ数年で急に出てきた問いです。
それに対して、慌てて新しい答えをひねり出すのではなく、ずっと前から持っていた物差しをそのまま当てている。物差しが先にできあがっているから、新しい問いにも迷わず回答できてるんですね。
「考え終わってる」人のすごみ
宮本さんを筆頭に、こういう「すごい人たち」に話を聞いていると、こちらが何を質問しても、ほとんど間を置かずに、めちゃくちゃ芯を喰った答えが返ってくることが多いんです。
ちょっと意地悪な質問をしても、禅問答のような問いをぶつけても、ときには話が脱線して、自分の悩み相談(取材で何を聞いてるんだ、という話ですが……(・_・;)
になってしまっても、
「ああ、それはね。つまり、こういうことなんですよ」
と、すぱっと答えが返ってくる。
しかも、ただ話がうまいとか、その場を切り抜ける答えだとか、そういう感じではありません。こちらが抱えている疑問をきちんと受け止めたうえで、何が問題なのかを整理し、別の捉え方まで示してくれる。聞く前よりも、目の前の問題がはっきり見えるようになっているんですね。
最初は、単純に「なんて頭の回転が速い人なんだろう」と思っていました。
僕が質問を口にしてからの、あの短い時間で、どうしてそこまで考えられるのか。自分とは、頭の中の処理速度がまるで違うのだろう、と。
もちろん、実際に頭の回転も速いのだと思います。でも、いろいろな人の話を聞いていくうちに、それだけでは説明がつかない気がしてきたんです。
そこで気がついたのは、僕が今、懸命に考えていることや、答えが出なくて悩んでいることは、その人にとっては、ずっと以前に向き合った問題なのではないか、ということでした。
つまりですね、僕が質問する程度の話は、
その人にとっては、もう考え終わっているんです。
僕の質問を聞いて、その場で考え始めているわけではない。
その問題に以前から向き合い、いくつもの答えを考え、実際に試してきたのだとしたら。こちらがどこで引っかかっているのかも、その先で何に困りそうかも、ある程度見えていて不思議ではありません。
こちらには「答える速さ」として見えているけれど、その手前には、何年、何十年という時間がある。言葉のひとつひとつの裏側には、それだけの研鑽があるんですね。
そう考えると、「すごい人たち」の即答の意味が、ずいぶん違って見えてきます。
考え終わっているのに、考え続けている
もちろん、ここでいう「考え終わっている」は、何もかもわかったつもりになって、考えるのをやめてしまった、という意味ではありません。
むしろ、僕がすごみを感じた人たちは、日々、考え続けている人たちです。だからこそ、僕らが今いる場所を、とっくに通り過ぎている。
その人にも、まだ答えの出ていない問いはあるのでしょう。
ただ、その問いが置かれている場所が、僕らよりもずっと先にあるんです。なんでも答えられるように見えるのは、自分がまだ、その人の悩んでいる場所までたどり着けていないからなんですよね。
ここは、単に「経験が長い人はすごい」という話とも、少し違う気がします。
過去の経験をそのまま当てはめるだけなら、新しい状況に対して、昔はこうだった、と言い続けることもできてしまう。でも、本当に考え抜いている人の答えは、もっと柔らかい。状況が変わったときに、以前と同じように考えていい部分と、考え直さなければいけない部分を分けているように感じるんです。
たぶん、その人の中に残っているのは、成功したときの結論だけではないのでしょう。
何を実現したくて、どんな条件のもとで、なぜその方法を選んだのか。そういう経緯ごと、自分の経験になっている。試行錯誤を実践して、「実感」としての経験もあるからこそ、解像度の高い理解につながっている。
受章を受けての宮本さんの言葉も、だからこそ、言葉に手触りがあると思うんです。
その話の向こう側に、作って、触って、うまくいかなくて、また考えてきた時間が感じられる。そんな試行錯誤を長く重ねてきた人間の言葉だからこそのすごみがあるんですよね。
岩田聡さんから感じたすごみもまた同じ
そして、僕の人生で、この「考え終わっている人」のすごみを、とくに強く感じた取材のひとつが、任天堂の元社長・岩田聡さんへの取材でした。
ドワンゴ創業者の川上量生さんとの対談「任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」」です。
当時の僕にとって、川上さんは「すごい人」の中でも最上級のひとりでした。話せば話すほど、自分とは見えている範囲が違うし、物事を捉える位置も違う。こちらがようやく理解したことの、さらに先を考えている。これは、いまも変わっていません。
そういう相手と話していると、同じテーマについて話していても、自分に見えているのは、そのごく一部分なのだと感じます。僕にとって川上さんは、それほど、物事を考えるときの視野の違いを感じさせる人だったわけです。
ところが、岩田さんとの対談では、そんな川上さんが考えていることや、悩んでいることまで、岩田さんが大きく受け止めていくように見えたんです。要するに、岩田さんがそれだけスケールの大きな人間として感じられたんですね。
川上さんが問いをぶつける。岩田さんは、その悩みに共感を示しながら、自分はどう捉えているのか、どう考えてきたのかを話す。そして、そのうえで、川上さんの場合にはどうしたらよいのか、というところまで返していく。
僕から見ると、川上さんという、ずいぶん先を歩いている人の問いも、岩田さんが考えてきた範囲の中に入っているように感じられました。これは、なかなか衝撃的な体験でした。
たとえば、対談の後半では、組織の中で自分の意図が歪んで伝わってしまう、という川上さんの悩みに対して、岩田さんが、誰を頼り、どう認識を共有していくかという具体的な話をされています。
川上さんの問いを、簡単なものとして片づけるのではなく、その難しさを受け止めたうえで、見通しを与えていく。
あの場で僕が見ていたのは、知識の量の差だけではなく、考え、経験してきたことの広さや深さだったのだと思います。
任天堂のすごさが“実感”できた
実際、この対談の中で岩田さんは、「話す時間が同じ5分でも、その前に100時間考えていたのか、15分しか考えていなかったのかで、中身の密度は変わる」という趣旨の話をされています。
今回、記事を読み返して、この話が出てきたことに、改めて納得してしまいました。僕があの取材で感じていたすごみは、まさに、そういうことだったのかもしれません。
同じ5分の話でも、その場で組み立てた説明なのか、長い時間をかけて考えてきたことの一部分を取り出しているのかで、聞こえ方は違う。その場では語られなかった経験や、採用されなかった考え方までが、短い答えの奥行きになっている。
変な話ですが、僕はあの取材で初めて、任天堂という会社のすごさを、岩田さんを通じて肌身で感じ、実感として理解できた気がしました。
もちろん、それまでも任天堂がすごい会社だということは知っていました。
作品も、実績も、ゲームの歴史に残してきたものも、仕事柄、よく知っているつもりでした。でも、そうした実績を知識として知っていることと、そのすごさを体感することは、やっぱり違う。
こういう人が、こういうところまで考えながら、あの会社を動かしているのか。
僕が完成したゲームや、発表された商品を見ていたとき、その向こうには、自分が想像していたよりもずっと多くの問いと判断があったのかもしれない。そう感じられたことで、頭の中にあった「任天堂はすごい」という言葉に、具体的な手触りが生まれたような気がしたんですね。
今回の宮本さんの会見を見ても、まったく同じような感覚があります。
宮本さんの言葉がわかりやすいからといって、そこにいたるまでの思考まで簡単だったわけではありません。むしろ、複雑な問題に長く向き合い、何度も確かめてきたからこそ、あのように具体的で、身近な話として語れている。
宮本さんの言葉の向こうには、人は何を楽しむのか、どうしたら触ってもらえるのかを、ずっと考え続けてきた膨大な時間があるわけです。そして、その言葉にいま触れられることが、とてもありがたいことだと思いました。
最後に、ひとつだけ余談を。
僕はこれまで、本当に多くのゲームクリエイターや、ゲーム会社の経営者の方々にお話をうかがってきました。でも、じつは宮本さんには、まだ直接インタビューをさせていただいたことがありません。
いつか、お話をうかがう機会があればいいなと思っています。
そのとき、自分は何を聞けるだろう。きっと、宮本さんにとっては、もうずっと前に考え終わっていることを、また聞いてしまうのかもしれません。
でも、その答えに触れて、自分の至らなさを思い知ることも、取材の醍醐味なのだと思います。そして、その話を、より多くの人に伝えられたなら、ゲームメディアの編集者として、こんなにうれしいことはありません。
宮本さん、改めて文化勲章の受章、おめでとうございます。
これから先も、どんな遊びや驚きを見せていただけるのか。ますます楽しみです。


