「『スーパーマリオ』の一番大きな発明は、“マリオがクッパと戦わないこと”」技術的な困難に光明をもたらす、アイディアという名の魔法
──『スーパーマリオ』を生み出されたときの裏話をお聞かせいただけますか?
宮本氏:
……どの裏話が一番『スーパーマリオ』に相応しいか、ちょっと考えたんですが、今回はゲームシステムの話にしましょう。
たとえば昔、『パックマン』というゲームがありました。迷路の点々を全部食べていって、なくなったらオッケー。誰が見てもわかりますよね。『テトリス』も、上からパラパラ降ってくるものをはめていって、横に1列並んだら消える。これも誰が見てもわかります。
ところが、僕が作った『ドンキーコング』には、ちょっと難しいところがありました。この人がA地点からB地点まで行く、というのが、「誰が見てもわかる感じはしない」んです。
全部クリアしたらきれいになる、全部満たしたらオッケー、というものがないので、けっこう苦労しました。「ここからここへ行くんだ」とわからせるために、ゴリラが逃げていって、女の子をさらって、それを自分が助けに行く、というゲームにしたんです。

そのころは、画面がずっとスクロールしてもっと遠くまで行けたらいいのに、と思っていました。ただ、当時の技術では難しかった。そういうこともあって「ジャンプするマリオが延々と走っていけるゲームが作れたらいいな」というのがまず下地にありました。
そこにいろいろアイデアを出していくなかで、キノコを食べて大きくなれば、1回やられても大丈夫という仕組みを入れるかどうかなども考えて、『スーパーマリオ』になっていきました。
このとき、「人が走っていくんだから、地上も走るし、海も泳ぐし、空も飛ぶ、やりたいことが全部アクションでできたらどうか」と考えたんです。これを、僕は「陸海空」と呼んでいました。たぶん、それが「発明」だったんですね。
きっとみんな、横にだーっと走りながら、空を飛んだり、泳いだり、やってみたかったんですよ。子どものころ、窓の外を見て指をさしながら、人が走っていって、飛んで、川に落ちて……と想像しながら電車に乗ったじゃないですか。それが、『スーパーマリオ』では実際にできる。やってみると、そこに世界観のようなものも残る。
そして、『スーパーマリオ』の一番大きな発明というか裏話は、マリオがクッパと戦っていないことなんです。ふつう、最後にボスがいたら戦わないとダメですよね。でも、戦いを作るのはたいへんで、どうしようかとすごく悩んでいました。
「このままでは戦いは作れへんな」と思ったときに、ずっと右に走っていくゲームなんだから、一番右に行ったら勝ちでどうだろう、「じゃあ戦わずに上を飛び越したらいいやないか」とひらめいたんです。
クッパを飛び越すだけで、あとはクッパが落ちてくれる。やってみたら意外と面白くて、それに気がついたときはすごくうれしかったですね。

「どうしようか」とずっと悩んでいたのが、「この発明によって解決されるんじゃないか」と思ってやってみたら、それが意外と面白かった。これが、『スーパーマリオ』の裏話です。なので、2作目、3作目と作っていくにつれて、徐々にクッパとちゃんと戦うようになっていったんですね。
「ゲームを遊ぶ面白さは、『次にこうしたら、どうなる?』と考えるところ。そして、“そこにどういう答えを返すか?”こそが、作り手の作家性」
──これまでどのようなことを大切にしてゲームを作ってこられたのでしょうか。
宮本氏:
一番大事にしてきたのは、「遊びでも頭を使って考えている」ということですね。インタラクティブなものの面白さは、遊ぶ人が「つぎにこうしたらどうなるかな」と考えるところにあると思います。試してみて、どんな答えが返ってくるか。そこにどういう答えを返すかが、たぶん作家性と呼ばれるものです。
そのやりとりを、すごく大事にしています。ネガティブかポジティブか、意地悪かサービス精神旺盛か、人によっていろいろですが、遊ぶ人にとって心地よいかどうか、ということですね。作っていると、つい意地悪になってしまうので、あまりやりすぎないように気を付けたり(笑)。
そうしたやりとりを繰り返すうちに、遊ぶ人のなかに思い入れが生まれ、自由に広がっていく。そこまでいけば、こちらは好きなものを展開すればいい。あとは遊ぶ人が勝手に消化してくれる。そういう関係が作れるのが理想かなと思っています。
──いまの若いゲームクリエイターに伝えたい心構えがあれば、お聞かせいただけますか?
宮本氏:
いつも言うのは、「自分が何かのゲームの大ファンだとして、そのゲームを『こうしたらもっと面白くなる』というところからスタートするのはやめたほうがいい」ということです。自分がすごく面白いと思ったところまでは、自分で作らないとダメです。
何かをベースに改良しても、それは誰かが作ったものと同じです。、大元の「こんなことをしてみたら面白いんじゃないだろうか」ということを一生懸命作り上げていくほうが、きっと楽しいし仕事のやりがいがありますよ、という話はよくしています。
──宮本さんが文化勲章を受章されるまでの50年間というのは、ゲームが文化として社会に認められ、成熟していった時代であり、今回の受賞はその証であるようにも感じられます。宮本さんは、この50年間におけるゲームの文化としての広がりについて、どのように考えていますか?
宮本氏:
僕はゲームを作る時、まず「こんなことができたら楽しいかな?」というところから考え始めます。
「みんなは、こういうものがあったら、こういうことができたら楽しいかな?」ということを考える作業というのは、昔だったら映画を作るとか、マンガを描くとか、小説を書くとか、そういうものづくりに繋がっていたと思うんです。そこに、ゲームを含めた「インタラクティブなシステムを作る」という選択肢が増えたのが、現代だと思います。
だから、やっぱりゲームもひとつのメディアなんじゃないか、という話をするんですよ。ゲームがあくまでも「ゲーム機」だった時代から、今は結構メディアになってきたと思うんです。
そして、どうせメディアをやるなら、映画を作るのも何をするのも全部ひっくるめて、ひとつのメディアとして自分たちで扱ったらいい。その結果としてメディア自体が混ざって、新しいものが出てくるかもしれないですよね。
映像を作るというのは、メディアという意味では先祖返りでもあるんですけど、「それでも作ってみよう」と思ったのには、そういう理由もあるんです。
まあ結局、「ゲームが文化になった」というのは、ゲームが当たり前になったということなんでしょうね。
──そのことに対する、宮本さん自身のお気持ちはいかがですか?
宮本氏:
僕ですか? 僕は「選択肢が増えていいよな」と思いますね。
「僕が若い時にも、もっと選択肢が広かったらよかったのに」と思いますし、一方で「そんなに選択肢があったら選びきれへんかも」とも思います。
僕は楽しいことを探してるだけなので。またDSの頃の話をするんですけど、電車に乗ったらみんながガラケーでメールを打ってる姿を見たんです。みんなすごく楽しそうで、見てて悔しかったですね。
「こいつら、ゲーム遊んでるよりメールを打ってる方が楽しそうや」と思ったんです。ああいうものになりたいなと常に思ってます。
なんというか、もうゲームのことを「ゲーム」って呼ばなくていいと思うんですよ。tiktok見てるのもゲームしてるのも、あんまり変わらないじゃないですか。もちろん、ゲームの方がインタラクティブなので、そこのよさを活かしていけたらいいとは思うんですけど。
tiktokをずっと見てるのも人の営みなので。そこにもっとうまくインタラクティブを挟んでいけたらもっと面白いものになってくれるんじゃないか、と思うんですよね。「ゲーム」という形で壁を作るんじゃなくて。
モバイル機器がこれだけ発展して、外を歩いていてもコンピューターと同等のことができるようになったなら、「それを使ってどんな面白いことができるだろうか?」「どんな便利なことができるだろうか?」ということを考える時代になってきたのかなと思います。
──任天堂で過ごされた50年近い歳月の中で、特に影響を受けた方やエピソードがあれば、教えていただけますか?
宮本氏:
任天堂では、やっぱり山内さん(山内溥氏)と横井さん(横井軍平氏)は欠かせないと思っています。横井さんは、目の前にあるものをどうしたら面白くなるのかを一生懸命考える方で、そこから得たものはすごく大きかったと思います。
山内さんは、また別のタイプです。僕が「独創」を積極的に言うようになったのは、たぶん山内さんの影響だと思います。「お前ら喧嘩弱いんやから、喧嘩するよりは独自のことをやれ」みたいなことをおっしゃっていて。まさに現代における「ブルーオーシャン」や「レッドオーシャン」という話を、肌で感じ取られていたんでしょうね。
任天堂以外で言うと、糸井重里さんにはけっこう影響を受けています。家内には「糸井教の信者じゃないか」と言われるくらいです(笑)。目の前にあるものをどう捉えて、どう考えるかについては、ものすごく勉強をさせてもらいました。
流行の最先端にいるような人が、流行を追いかけるのではなく、自分のことをコツコツとやっている。その姿を見たり、話を聞いたりするなかで、ものすごく学ばせてもらいました。
あと、いまの仕事とは関係ありませんが、僕はもともとマンガ家を目指していたので、赤塚不二夫さんや手塚治虫さんからも、本当にいろんなことを学んだと思います。自分が新しいメディアの仕事をするようになってから、マンガというメディアを生み出し、育ててきた人たちが、晩年にマンガをどう変えていったのかにも、関心が向くようになりました。
「最初に作った人が変えないと、あとから入った人が変えるのはなかなか勇気がいる」と思ったんです。そういう意味だと、自分もゲームを作り始めた世代なので、「積極的に僕らが変えていかないと、後から入った人はやりにくいだろう」と思っています。(了)


