見知らぬ他人の交換日記を買ってしまった……。
いや、言い訳をさせてほしい。これは決して怪しい取引とかではなく、きちんとフリマサイトに出品されていたものだ。商品説明は以下の通り。
2010年 暁ヶ丘小学校 5年2組
小笠原 紗菜 / 生駒 ねね / 古賀 峰花 / 藤岡 満里奈 によって書かれた交換日記。使用済み。
彼女たちは人殺しです。

「人殺し」として名前が書かれている4人は、おそらくこの交換日記を使用していた人物だろう。軽く開いてみると、子どものかわいらしい字がたくさん並んでいる。ここには、彼女たちが小学5年生、すなわち10~11歳の時の個人的な思い出がたっぷりと詰まっているはず。
興味に駆られて買ってはみたものの、これが「女子小学生の日記」であることを意識すると、1人で読むのは流石に気が引けてきた。ここには多感な時期の子どもの、それも複数人の秘密が書かれているのだ。

どうしよう、「近所に家から出てこない謎の大人がいて怖い」とか書かれてたら。2010年当時はリモートワークなんて言葉は広まってなかったし。
ということで、ギリギリ他人の日記を読む背徳感が興味に勝ってしまった筆者は助っ人を召喚!親戚の若い女性が2名、どちらも2000年代生まれの“平成女子”である。
彼女たちにはこの日記が「人殺しの日記」であることは隠し、「何かが隠されていそうな日記を手に入れたが、交換日記をやったことがないので読み方が分からない」ということで手伝いをお願いした。
3人で机を囲みながら交換日記を開いていく。ページをめくるたびに「わかる~」と盛り上がる女子2人。キラキラ女子のオーラに圧倒される筆者。この両者の関係がのちのち逆転することになろうとは、この時はまだ分かっていなかった……。
※この記事は「人の交換日記」公式のネタバレガイドラインに沿って制作されています。物語の核心に触れる内容は避けていますが、物語や謎解きの内容についてのネタバレが含まれますので、閲覧の際はご注意ください。
子ども心を思い出す、なつかし単語や子どもあるあるといった“平成ノスタルジー”の数々
助っ人の2人に協力を依頼した際、交換日記の表紙を見た2人は開口一番にこう叫んだ。
「『一期一会』じゃん!」
あー何だっけそれ、なんか四字熟語とは別で聞いたことあるような。そう思いながらググってみたら、まさに平成の女子学生に大流行した文具ブランドだった。なるほど、確かに雰囲気は似ているが、一目見てすぐ名前が出るとは、そんなに人気だったのだろうか。
表紙を開いてもすぐに日記は始まらず、まず現れたのは「メンバープロフィール」や「性格診断チャート」。書かれているのは誕生日、血液型、兄弟やペットの有無……個人情報の塊じゃねえか!これ本当に読んでいいやつ?!

しかし「実際にこんな感じの交換日記をやっていた」という助っ人2人いわく、交換日記とはこういうものらしい。そういうもんなのか。困惑する筆者をよそに、助っ人たちはガンガンページをめくっていく。怖いものなしか?
なんでも、彼女たちが使っていた交換日記には似顔絵を描く欄まであったり、性格診断の結果で回す順番を決めるタイプだったりしたそうだ。個人情報や秘密を共有することで連帯感が深まったりするのだろうか……などと言うのは野暮なのだろう。交換日記の実物を見たことがない自分には分からない世界だ。
改めて内容を見ていくと、おお、期待通りの内容が広がっているではないか。仲のいい友達と同じクラスになれた喜び、新しい先生の話題、好きな給食や外遊び……この辺りは自分にも覚えがある。大人の今となってはちょっと眩しい、無邪気な子どもの他愛ない話がとてもイイ。

それから、2010年の日記なだけに「なつかし単語」のオンパレードがすごい。芸人の「はんにゃ」に、サンリオのキャラ「ジュエルペット」、シュシュが作れるハンドメイド玩具「シュシュルン」、いきものがかりの曲「じょいふる」……女子小学生でなくとも、CMなどを通じて何度も見た名前が自然に出てくることに感動する。懐かしすぎる。

面白いのは、これらのなつかし単語はただノスタルジーを感じさせるだけでなく、謎解きの役にも立つということだ。
交換日記の中にはメンバーが考えたと思われる暗号が登場するのだが、解読表は日記の中には見つからない。なので、単語が推測できるものから文字の対応表を自力で作って解いたのだが……そんな暗号のひとつに、誰もが知るあのなつかし単語もあったのだ。5文字中2文字が分かるだけで単語が特定できるの、すごい。

考えてみれば、2010年といえば「LINE」がサービス開始する直前の年。まだスマホやSNSが浸透する前、小学生は誰しもアナログな方法で連絡を取り合っていた最後の時代だ。
テレビの話題で盛り上がったり、消費税が5%だったり、日記に書かれた生活の端々から「平成」が滲み出ているのが読んでいて分かる。確かに、当時の生活ってこんな感じだったな。これが平成ノスタルジー……。
そんな「あるある」とは逆に、思わず「うわぁ」と声を出してしまうような内容もあった。クラスメイトの格付けであったり、好きな男子の話題であったり、「いくらなんでもそれは赤裸々すぎないか?」という内容がちょいちょい挟まってくる。「あるある~」と笑う助っ人たちの笑顔が笑えない。え、女子小学生ってこんな感じなの?怖!!!

実際のところは分からないが、年相応に背伸びをしてませた女子たちの恋愛談義はほほえましさを通り越してどこかグロテスクな残酷さを感じる。お互いの好きな相手を共有し、その情報をクローズドな空間で「密告」しあうやり取りは、小学生だからこそ「若いねえ」で許されるものだろう。
でも、そんなえげつないやり取りにどこか既視感があるのも事実。考えてみれば、小学生の時は通学路とクラスメイト、そして学校と家にいる大人が世界のすべてだったのだ。その中で精いっぱい背伸びをしようと思ったら、みんな同じような形になるのかもしれない。

小学生の気分で盛り上がりながらも「大人の自分」が警鐘を鳴らす
「こんなことやったね~」と助っ人たちが盛り上がる横で、筆者はページをめくるたびにだんだんと頭が冷えてきていた。この日記、やっぱり何かがおかしい。内容はちょっとませた女子のほほえましいやり取りなのに、どこか引っかかる違和感が続く。
最初に違和感を抱いたのは、プロフィールのページだ。交換日記の商品説明には4人分の名前しか書かれていなかったにも関わらず、ここには5人分のプロフィールがある。それもそのはず、この日記は「5人用」なのだ。では、「人殺し」として名前を挙げられていなかった最後の1人は一体誰なのか?

ほかにも、「微妙にかみ合っていない会話」「特定のメンバーに対して変わる態度」など、気になる部分はあちこちに点在している。「小学生の日記なんだから」と言われればそれまでなのだが、それでも気になる。いや、気になって“しまう”。
そんな違和感の中でもいっとう心に来たのが、交換日記を書いているメンバーの「生活環境」に対する違和感だ。無邪気なやり取りの間で生まれる無視できないズレが、否応なしに目に入ってくる。

読み進めるたびに、違和感は確信へと変わっていく。そしてその過程で気付いた。違和感を覚え、脳内で警鐘を鳴らしているのは、社会に出て世界の仕組みを知った「大人の自分」だ。
何かを買ってもらったという自慢。五人五色な休日の過ごし方。家族構成、行動範囲、生活リズム。子どものころなら、「よその家はそうなのか~」で終わり、すぐに忘れてしまったであろう相違点。
小学生の自分が懐かしさに興奮する横で、自分の中の大人の部分が、そこに確かに歪みがあることを訴えている。この「違和感」のバランスがあまりに絶妙で、時折首をかしげつつも、具体的なことを口にできないまま日記のページはどんどんめくられていく。

だって、些細な違和感さえ気にしなければ日記を読むのは楽しいのだ。余計なことを言ったら、その楽しさに水を差してしまう。気のせいかもしれないことで、わざわざこの空気を壊したくはない。
それに助っ人の2人にはこの日記が「人殺しの日記」であることを伝えていないので、もしかしたら彼女たちは違和感には気付いていないかもしれない。2人はすっかり日記の登場人物に共感してしまっているし、なおのことその粗を突くようなことを言うのは非情だろうし、ならば言わない方が……。
……後から思えば、この時点で我々は完全にこの日記の「術中」に嵌まっていたのだろう。
あとで2人に聞いてみれば、同じような違和感には2人も早い段階で気付いていたという。にも関わらず口に出さなかったのは、「今回の主催者である筆者が何も言わなかったから」だそうだ。

そんな無意識の同調圧力が、いつの間にか日記を読む3人の中にも生まれていた。それはまさに、日記の中に描かれる「子どもの無邪気な残酷さ」が生み出す空気と同じものだった。
「何か変な気がする」「このままではよくない気がする」「でも、空気を壊したくない」。今はまだ何も起こっていないから、言わなくても大丈夫なはずだ、いやむしろ言わなければこのまま平和に終わるかもしれない……。
しかしそんな希望的観測とは裏腹に、交換日記の日数が進むにつれて、違和感はだんだんと露骨になっていく。そして、誰もが予想していながら口に出せなかった「最悪の事態」が訪れてしまった。
そして悲劇は起こった。物理的なページに込められた「重み」が辛い
このページが開かれた瞬間、3人分のため息が部屋に響いた。
うん、分かってた。こうなると思ってたよ。読み進めながら感じていた違和感は、どれもこれもしっかりと本物だった。
この日記は約15年前に書かれたもので、我々はこれを書いたメンバーの顔すら知らない。食い違っていく歯車を目の前にして何もできず、ただグループの崩壊を見届けるしかない。仲が良かった時の幸せなやり取りを知っているが故に、読み進めるのがめちゃくちゃ辛い。
3人で物理的に囲んで交換日記を読んでいるので、ページをめくろうとするたびに「めくりたくない~」「先を見るのが怖すぎる!」「ちょっと心の準備させて」「一回見返さない?」とひと悶着が発生する。崩壊が決定的になるにつれて、「ページをめくる」という行為がどんどん重くなっていくのだ。

日記の正体を知らない2人は、それでもまだ「なんとかなるかも……」と期待を捨てきれない様子で日記を読み進めていたのだが、ごめん。これ人殺しの日記なんだ。ここから入れる保険はないんだ。
日記に書かれた「いじめ」の内容はこれまた妙にリアルで、想像できてしまうのが嫌なものばかりだった。時には過去に書かれた内容に絡んだかなり手の込んだものもあり、謎解き慣れした筆者が助っ人2人にいじめの内容を説明する羽目になることも。こんなことに推理力を発揮したくなかった……。
残酷ないじめの実態を目の当たりにして圧倒される助っ人2人をなだめすかしながら、進まないので筆者が率先してページをめくることに。いつの間にか関係が逆転している。
そしてついに、日記の様子は完全におかしくなった。
この先はネタバレになるため詳細は伏せるが、このあたりから急に暗号が多用されるようになる。「人殺し」と書かれていた4人のメンバーには、そうして隠したい何かがあったのだ。
ここでようやく、助っ人の2人にネタバラシ。すっかり日記のメンバーに共感し、まるで実際の友人のようにグループの崩壊を悲しんでいた2人は思いのほかしっかりとショックを受けていて大変申し訳なかったが、いっぽうで「こうなって欲しくなかったけど、なんとなくこうなると思ってた」と感じていたとも教えてくれた。
さて、過去に起こってしまった悲劇はどうすることもできない。非情なようではあるが、我々にできるのはこの日記に残された謎を解くことだけだ。

交換日記はグループの結末が書かれたところで終わっているが、この「事件」にはまだ続きがある。実は、この交換日記が出品されているフリマサイトを通じて、出品者にコンタクトを取ることができるのだ。ここから先は、スマホとネットの普及した「現代」で謎解きをしていくことになる。
眩しくも懐かしい“平成ノスタルジー”に浸る時間は終わり、我々は謎解きを通じて過去の思い出から現実へ、残酷な子どもの世界から冷酷な大人の世界へと引き戻されることになった。
この『人の交換日記』の想定プレイ人数は1人~4人となっており、複数人での謎解きが想定されている。88ページにわたってちりばめられたヒントを集めるのはかなり大変だし、多人数だからこそ盛り上がれる作品でもあるので、都合が合う仲間がいればぜひ集まって遊んでみてほしい。
また、「人の交換日記」の物語の謎解きは、最後までほとんどがこの一冊の交換日記の上で完結するようにできている。
なつかしの平成の日々も、子どもの他愛ない雑談も、大人の心に刺さる違和感も、残酷ないじめと崩壊も、日記に書かれた「すべて」はひとつの事件へとつながっている。謎を解くために改めて読み返せば、「これってヒントだったの?!」が連発されること間違いなしだろう。

もちろん、物理的な交換日記の形であるからこそ実現できる謎解きギミックもたくさんある。何より、やはり様々な感情が込められたページをめくる「重み」は、ほかでは絶対に味わえない感覚だろう。
そんな『人の交換日記』は「リフリカ」という架空のフリマサイトから6800円で購入できる。なお、商品には交換日記の電子版も付属しているため、オンラインプレイも可能となっているそうだ。
ファンシーな形ではあるが、曲がりなりにも5人の人間の人生の一部を切り取った記録である「交換日記」。15年の時を経て動き出した事件の物語は怒涛の展開へと繋がっていくので、物語の結末はぜひ自分の目で確かめてみてほしい。