アンダーワールド版の『Rez』が存在していた。そしてエイフェックス・ツインも、『Rez』に参加する寸前だった。
2001年に発売された『Rez』は、音楽ゲームと3Dシューティングを融合させた作品だ。敵を撃つたびに音が鳴り、その音がビートに乗って重なり、次第に“音楽”になっていく。
音と光、そして振動が連動する「音楽を見る、映像を聴く」ような“共感覚”の体験は、発売から四半世紀を経た今も色あせていない。
その『Rez』の25周年を記念したステージイベントが、9月22日、23日に東京日仏学院で開催されたゲームカルチャーの祭典「The Tenth Mosaic」で行われた。前半は水口哲也氏による講演。後半は、オリジナル版のディレクターを務めた小林潤氏、本作の音楽面を取りまとめた音楽プロデューサーの弘石雅和氏、そして楽曲を提供した日本を代表するテクノミュージシャンであるケン・イシイ氏を迎えた座談会だ。

冒頭の一文は、その座談会で水口氏の口から飛び出した話である。『Rez』は、当時のダンスミュージックシーンで活躍していたミュージシャンたちが楽曲を提供したことでも知られる。
だがその舞台裏では、アンダーワールド、ファットボーイ・スリム、エイフェックス・ツインといったビッグネームの楽曲が使われていたかもしれないこと、Ovalがマスターアップ直前に滑り込んだことなど、これまで語られてこなかった衝撃の事件が次々と起きていたという。
本稿では25周年にふさわしい、豪華なトークセッションレポートをお届けしよう。
文/ホドウ
編集/りつこ
撮影/Alexander Degiorgio
水口哲也氏講演。『Rez』の軌跡
イベントの冒頭では、プロデューサーの水口氏による『Rez』を巡る講演が実施された。
本講演では、水口氏が『Rez』が生まれるまで、そして生まれてからの25年の軌跡を辿った。
『Rez』の原点は1997年。水口氏がチューリッヒで電子音楽のストリートパレードに出会ったときだった。街を占拠して音楽に身を任せる人の群れを見て、水口氏が連想したのは、画家のワシリー・カンディンスキーだった。

(画像はワシリー・カンディンスキー, パブリック・ドメイン, via Wikimedia Commonsより)
音を聴くと色や形が見えるといった、ある感覚の刺激が別の感覚を呼び起こす現象を“共感覚”と呼ぶ。
ワシリー・カンディンスキーはこの共感覚を持っていたとされ、自分の音に関する体験を抽象的な絵画として描いた20世紀の画家である。水口氏は、音をビジュアルにするという彼の発想を、電子音楽とインタラクティブな仕組みで新たに表現できるのではないかと思い至った。
こうして始まったのが『Rez』の前身である「Kプロジェクト(カンディンスキー・プロジェクト)」だ。プロジェクトメンバーは、皆で音と映像の組み合わせを模索しながら、「グルーヴがどこから生まれるのか」を探求した。
そして、佐渡島の鬼太鼓やケニアのポリリズムなどにもヒントを得て、辿り着いた答えは「コール&レスポンス」だった。音を出せばどこからか返ってくるのが、グルーヴの始まりだったのだ。
水口氏は、これを「撃つ」というアクションにすることで、ゲームに落とし込めるはずだと発想する。これが『Rez』の骨格になった。
そして「発射と着弾」を「コール&レスポンス」と見なして、クオンタイゼーション【※】で調整することで、ゲームの基礎部分が完成したのだ。
※クオンタイゼーション……演奏や入力のタイミングのズレを、自動的にリズムの拍に揃える処理。音楽制作においてはシーケンサーやサンプラーに搭載されている機能で、「クオンタイズ」とも呼ばれる。
音楽ゲームとして、アート面は極力プリミティブにする方針を採用。技術的制約もある中で、「受胎」と「ハッキング」をテーマに据え、『Rez』の世界はできあがった。

2001年に満を持して『Rez』は発売される。革新的なゲーム性は高い評価を受け、共感覚というコンセプトを振動で体感するための周辺機器「トランスバイブレーター」の発売や、次世代機へのエンハンスなど、時代を超えて展開は継続。2016年にはVR版も発売され、こちらもオリジナル版と同様に高く評価されている。
さらに、水口氏の後続作品である『ルミネス』『チャイルド・オブ・エデン』『テトリス・エフェクト』などにも『Rez』が影響を与えているほか、トランスバイブレーターの発想が「Synesthesia Suit」や「Synesthesia X1」といった機器の開発につながるなど、水口氏の人生においても『Rez』は重要な役割を果たしているようだ。
今もなお愛されている、息の長いゲームとなった『Rez』。水口氏が、開発を支えてくれたセガとその魅力を人々に届けてきたジャーナリストたちに感謝を述べ、講演は終了した。
小林潤氏、ステージへ。『Rez』を代表作と呼ぶ理由
水口氏の講演が終わったあとは、ゲストがひとりずつ登壇する形式で座談会が行われた。以下に、その様子をお届けしよう。
水口氏:
それでは、トークセッションを行いたいと思います。まずはひとり目のゲスト、『Rez』オリジナルのディレクター小林潤くんです。

水口氏:
どうですか、最近は。
小林氏:
最近でも「『Rez』がすごくよかったです」と言われることがけっこうあります。
自分は『ファイナルファンタジー』シリーズなども作りましたが、『Rez』がいちばんの代表作だと思っているんです。理由は3つあって、制作がすごく大変だったこと、できあがったときの達成感、そして遊んでくれた人がリスペクトしてくれることです。
水口氏:
わかります。特にアメリカとかヨーロッパに行くと「作ってくれてありがとう」って言ってくれる人が、けっこういらっしゃいますよね。
小林さんとはじめて出会ったのは『Rez』にも楽曲を提供してくれたEbizoさんに紹介されたときですよね。『Rez』の構想を初めて聞いたとき、どう思いましたか。
小林氏:
すごくおもしろいと思いましたね。話を聞いたとき、僕も水口さんに見せるためのビデオを自分なりに作ったんです。それは「音が映像と共に変化し、音楽を積み上げていく」というイメージで、いま振り返ると、すでに完成した『Rez』に近いものだったのだと思います。その後は、ゲーム性についていろんな話を水口さんとしていきました。

水口氏:
最初は少人数で、とにかくイメージのアイデア出しを繰り返していました。あるタイミングで、他のプロジェクトで手の空いた人が新メンバーとしてチームに加わってきましたね。アイデアが固まっていない状況で新メンバーが来ちゃって、「適当に遊んでて」とも言えず「なんかしないとまずいよね」という状況になったりもしました。
小林氏:
何も決まっていないけど、何かデザインしたいみたいな状況もありました。何より当時はUGAが立ち上がったばかりで、社長業も忙しかった。確か『スペースチャンネル5』というゲームも作っていました。
水口氏:
あのころはてんやわんやでしたね。
※動画は『スペースチャンネル5』続編のトレーラー
水口氏:
それで、次の作品はじっくりと試作から作りたいと思ったんです。
そのときに、ビジュアルをなるべくシンプルにして、どんな表現が効果的なのかを試してみたかった。たとえば、効果音の連なりが、音楽的になっていく様子などですね。皆さんすごく大変な作業だったと思います。
小林氏:
最初はプログラマーがいなかったので、僕が映像でプロトタイプを作ったりしていました。水口さんと映像を見て、是非を検討していた時期ですね。高橋くんというプログラマーが入ったことで、一段階ステージが上がったんです。
水口氏:
当時、日本テレビの『スーパーテレビ情報最前線』という番組で取り上げられました。今だから言えますが、僕は確信犯的にテレビ局を呼んだんですよ。というのも「このままだとできない」と思ったので、第三者の目を入れて逃げ場のない状態を作ろうとしたんです。いま番組を見ると、全然楽しい雰囲気で作っていないですね(笑)。
みんな悩みや毒を吐いて、しまいには怒っている人までいる。申し訳なかった気もしますが、実際あの番組に背中を蹴られて制作できたところはありそうです。
水口氏:
そういえば小林くんは最近、横田くん(『Rez』のアートディレクターを務めた横田勝己氏)に会ったらしいですね。
小林氏:
はい。横田くんと会って、いろいろと懐かしい話をしました。
たとえば当時の『Rez』の背景の作り方の話です。そのときは、ごちゃごちゃした背景からツールでひとつひとつポリゴンのラインを消していって、あのワイヤーフレーム風の背景を作っていたんです。ゲーム機にデータを移したうえで地道に作業をしていました。あれが本当にしんどかったと話していました。
当時は、全部自分たちでネイティブツールを作ってゲームを制作しないといけない時代でしたからね。
水口氏:
そんな時代だったので、僕の仕事はとにかくひたすら待ち続けることでした。作るものが決まって、「どれぐらいでいけますか」と聞いたら、「3週間ください」と返ってくることが当たり前でした。
だから、待っている間に妄想が膨らんでしまい、気持ちのコントロールが大変だったんですよ。
小林氏:
でも、作業はいきなり言われることも多かったですよ。PS2への移植の話や、周辺機器の「トランスバイブレーター」の実装も急でした。あのときの僕は、発売ギリギリまで波形をいじっていましたからね(笑)。
水口氏:
その節はすみません(笑)。トランスバイブレーターはどうしてもやりたいことだったので。
小林氏:
今から思うと、結果的にはよかったと思います(笑)。
アンダーワールド版『Rez』は存在していた──弘石雅和氏が語る、幻のアーティストたち
水口氏:
『Rez』は、作品の形がある程度できてきたあたりから、「音楽をどうするか」がテーマとしてありました。当時、『ワイプアウト』に収録されたケミカル・ブラザーズの楽曲といった例外を除けば、ゲーム音楽に「ゲーム業界外で活躍している人の音楽」を使うことは、ほとんどありませんでした。
僕らは「『Rez』の体験の感動と直結するから、音楽は絶対譲れない」と考えていたので、最初に弘石さんに相談したんです。ということで、弘石さん、登壇お願いします。
水口氏:
僕らは弘石さんがソニーミュージックで仕事しているときに出会っていたと記憶しています。僕が『Rez』の構想を話したとき、弘石さんはちょうどソニーミュージックをやめようとしていたときでした。だから『Rez』は、弘石さんご自身の会社での最初の仕事だったんですよね。
弘石氏:
ソニーミュージックにいたときに、「ソニーテクノ」と言われるケン・イシイやアンダーワールド【※】などのテクノだけをたくさん出していたプロジェクトがあったんです。そこで自分はテクノ一筋でずっとやっていきたいと思っていたのですが、ちょうど音楽業界も会社の体制も変革する時期に差しかかりまして。
※アンダーワールド……1980年代末から活動するイギリスの電子音楽ユニット。映画『トレインスポッティング』(1996)で使われた『Born Slippy .NUXX』で世界的に知られている。2012年ロンドンオリンピック開会式の音楽監督を務めた。

弘石氏:
進路に悩んでいた時期に、水口さんから『Rez』のお声がけをいただいたので、本当にいいタイミングでした。
水口氏:
最初はいろんな音楽の構想があったんです。弘石さんとはがっぷりと組んで、いろいろと相談させてもらいました。まず候補に挙がったのがケン・イシイさん。続いてThe Future Sound of London、アンダーワールド、そしてファットボーイ・スリム【※】。さらに弘石さんの紹介で、アダム・フリーランドやコールドカットも候補に入ってきました。
※ファットボーイ・スリム……イギリスのDJ・プロデューサー、ノーマン・クックの名義。1990年代後半の「ビッグビート」を代表する存在で、アルバム『You’ve Come a Long Way, Baby』(1998)は全英1位を記録した。
じつはアンダーワールドがライブで日本に来ていたときに、僕らは彼らが泊まっているホテルまで行って、制作中の『Rez』を見せたんです。そしたら「おもしろいね。やろう」と良い反応をもらいまして。「よし」と思っていたんですが、最後に「シューティング」という点で引っかかってしまいました。
ですから、発売こそされませんでしたが、アンダーワールドバージョンの『Rez』が存在しているんです。今やプロトタイプがどこにあるかもわかりませんが。
あとは、ファットボーイ・スリムの『ロックフェラー・スカンク』という曲で、ステージ2が完成していました。ところが発売の3週間ぐらい前に「あの曲は、他の曲のサンプリングをしているようで、このまま使うのはリスクが高いです」と通達がありまして。
もうみんなで泣きそうになりながら取り下げましたね。そのときに「じゃあ俺がやる」と出てきてくれたのが、Ebizoさんでした。そうして彼が2週間で仕上げてくれたのが、ステージ2なんです。
弘石氏:
あと、エイフェックス・ツイン【※】、リチャード・D・ジェームズのエピソードですかね。彼は今でも世界的なテクノのミュージシャンですが、僕はソニー時代にワープ・レコーズ【※】というレーベルで彼の担当をしていました。彼がロンドンの事務所に遊びに来たので、その場で『Rez』のプレゼンをしたんです。
※エイフェックス・ツイン……イギリスの電子音楽家リチャード・D・ジェームズの名義。1990年代以降のテクノ、アンビエント、IDMを代表する存在で、『Selected Ambient Works 85-92』(1992)は名盤として今も参照され続けている。
※ワープ・レコーズ……1989年設立のイギリスのレコードレーベル。エイフェックス・ツインやAutechreなど、実験的な電子音楽を多く世に出した。
小林氏:
そのときはプレイする様子をリチャードに聴いてもらっていたんですけど、ドリームキャストの調子が悪くて、ガーガーとバグ音が鳴ってしまっていたんです。僕は「すみません、リセットします」と言ったんですが、リチャードが「その音めちゃくちゃかっこいいね!」って言いだしたんです。
こうして、喜んで『Rez』の仕事を受けてもらえました。ところがギリギリまで納品がありません。連絡も何度も無視され、最後に直接電話して「今日納品なんですけど」って言ったら、「ごめん、無理です」との答えが。
弘石氏:
もしあれが全部実現していたら、エイフェックス・ツイン、アンダーワールド、ファットボーイ・スリムというそうそうたるメンバーのゲームでしたね。
水口氏:
毎日が修羅場だった当時を思い出してきました。
ケン・イシイ氏、ステージへ。チューリッヒでの出会いと『Extra』。ダンスミュージックと『Rez』の共通点
水口氏:
さきほどの話を踏まえると、ケンさんは安定感がありますよね。僕は『Rez』以降も何度かケンさんとお仕事をしましたが、仕事が早くて確実なので、本当にいつもありがたいと思っています。
ちなみに、僕が1997年にチューリッヒのストリートパレードに行ったときの話ですが、クラブやレストランに行くとみんなが僕を見るんです。
嫌な感じだなと思っていると、みんなが「お前、ケン・イシイ知ってるか」と尋ねてくるんです。僕はまだテクノや電子音楽がよくわかっていなかったので、「誰?」って感じでした。それからホテルに帰ってMTV【※】をつけると、ずっとケン・イシイの『Extra』が流れているという。
※MTV……音楽専門のテレビ局。1990年代にはミュージックビデオの発信源として世界的な影響力を持っていた。
弘石氏:
『AKIRA』の作画監督の森本晃司さんが作った映像で、当時大流行したんですよね。その後には、ヨーロッパのMTVのミュージックアワードで「DANCE VIDEO OF THE YEAR」も受賞しました。
水口氏:
その仕掛け人が弘石さんなんですよね。僕は全然知らない状態でケン・イシイさんの作品に出会って「すごい、みんなが噂してる」と思い、その後に日本で弘石さんに出会って「そうだったんだ」と納得したんです。
それからは、森本晃司さんともプライベートで仲良くなって、結果的にケン・イシイさんと一緒に仕事をするという流れに至りました。だから僕にとってケンさんは、行く道を照らす光なんですよね。
というわけで、ケン・イシイさん、ご登壇ください。
水口氏:
ケンさんは最初にこの『Rez』の話を聞いたときにどう思いましたか。
ケン・イシイ氏:
僕は『Rez』以前にも映像やゲームに曲を提供したことはあったんですけど、過去に担当した仕事は普通に曲を作って、完成したら納品するかたちでした。ところが『Rez』の依頼は、最初の時点で「曲の要素を1個1個全部バラバラにしてよこしてください」って言われたので、驚きました。
他のミュージシャンの曲を再構築する「リミックス」というエレクトロニックミュージックの技法もありますが、その場合でもトラック別や楽器別などのざっくりとしたトラックの分け方で作品を渡すことが多いんです。『Rez』のときはハイハットの1音1音とかも全部バラで、ベースも1音1音切ってくれ、と言われたわけです。
最初はアーティストとしての手の内を明かしてしまう感覚がありためらったのですが、よくゲームコンセプトを聞いてみると考え方が変わりました。
僕の音が入ったゲームをユーザーがプレイして、ゲームプレイがうまくいけば、ステージの最後に流れる曲が「僕が作った完成形の曲」に近づいていく。トラックを細かく分割して納品する理由は、こういった仕組みを作るためだったんです。それを理解して「これは革命的だ。すごいものができる」と思いました。
弘石氏:
ミュージシャンとしては、真っ裸にされるような心地ですからね。だから説明をした時点で、「いやもうダメです」っていう人と「おもしろそうだから、挑戦してもいいかな」っていう人に分かれるんですよね。
小林氏:
弘石さんがそこをうまく説明してくれたからこそ、引き受けてもらえたとは思いますね。
弘石氏:
確かに『Rez』での自分の役割は、水口さんの感覚を言語化して先方に伝えることであったような気がします。
水口氏:
アダム・フリーランドの家に『Rez』をプレイしてもらいに行ったときも、弘石さんが一生懸命説明してくれたのも覚えています。思えばいつも弘石さんが間にいたから引き受けてもらえていましたね。
水口氏:
コールドカットのときもそうです。当時の彼らはもう電子音楽界の重鎮だったので、会うときは僕らも緊張していたんですが、弘石さんの口から「シナスタジア」っていう言葉が出てきたときに「この人はわかってる人だな」と受け入れてもらえたのを感じました。
結果的に、共感覚的なものに興味を惹かれる、普通とは違った感覚を持つミュージシャンたちが参加してくれたと思うんですが……弘石さんは僕らがリクエストしたアーティストや楽曲の候補を作るとき、どんなことを思っていたんでしょうか。
弘石氏:
コールドカットで言えば、彼らは「カット・アンド・ペースト」という技法で曲を作っていて、一般的な曲を作るタイプではなかったんです。だから水口さんから『Rez』のコンセプトを聞いたときは、まずコールドカットがハマるんじゃないかなと思っていました。
あとは、テクノミュージックはループで音楽が作られたり、各パーツを取り出しても音楽として成立したりすることが多いんです。『Rez』の基本構造は、ひとつひとつのパートやベースラインを「シューティング」にすることじゃないですか。
だからテクノやクラブカルチャーでの曲の作り方と合致しているところがあるんです。ゲームにおいて、プレイヤーが収録された楽曲をリミックスしているような感覚ですね。
水口氏:
ケンさんは、『Rez』に参加したことで変化した音の作り方や考え方ってありますか。
ケン・イシイ氏:
自分は、作品を作るときに他の人の要素を頭から抜く傾向がありました。ただ、他の人が『Rez』をプレイしているのを聴いていたら、「自分だったらこうする」という考えが生まれたんです。そのおもしろさが自分の音楽に生きるかもしれない、と思うようになりました。
つまり「委ねる楽しみ」が新たにできた、と言えるかもしれません。それで一時期流行ったリミックスコンテストみたいなのも、エンジョイできるようになりました。
水口氏:
自分が音を提供したゲームで、委ねる楽しみに気が付いたと。つまり音楽のやり方に幅が生まれたということですかね。
ケン・イシイ氏:
僕らが出てきた頃のテクノって、新しい音楽ではあったんですけど、いわゆるミュージシャンシップとしてはまだオールドスクールな空気感もあったんですよ。
だから僕にも無意識的なところで「これは俺の作品だ、誰も触らせないぞ」という気持ちがあったと思います。それが『Rez』に携わってから少しずつ変わってきましたね。
別に触らせたところで自分のアーティスト性が崩れるものでもない。むしろ、新しい要素が入ってきて自分にも新しい気づきがあるな、と。『Rez』はそういう考えに至る最初のステップだったような気がします。









