アンダーワールド版『Rez』は存在していた──弘石雅和氏が語る、幻のアーティストたち
水口氏:
『Rez』は、作品の形がある程度できてきたあたりから、「音楽をどうするか」がテーマとしてありました。当時、『ワイプアウト』に収録されたケミカル・ブラザーズの楽曲といった例外を除けば、ゲーム音楽に「ゲーム業界外で活躍している人の音楽」を使うことは、ほとんどありませんでした。
僕らは「『Rez』の体験の感動と直結するから、音楽は絶対譲れない」と考えていたので、最初に弘石さんに相談したんです。ということで、弘石さん、登壇お願いします。
水口氏:
僕らは弘石さんがソニーミュージックで仕事しているときに出会っていたと記憶しています。僕が『Rez』の構想を話したとき、弘石さんはちょうどソニーミュージックをやめようとしていたときでした。だから『Rez』は、弘石さんご自身の会社での最初の仕事だったんですよね。
弘石氏:
ソニーミュージックにいたときに、「ソニーテクノ」と言われるケン・イシイやアンダーワールド【※】などのテクノだけをたくさん出していたプロジェクトがあったんです。そこで自分はテクノ一筋でずっとやっていきたいと思っていたのですが、ちょうど音楽業界も会社の体制も変革する時期に差しかかりまして。
※アンダーワールド……1980年代末から活動するイギリスの電子音楽ユニット。映画『トレインスポッティング』(1996)で使われた『Born Slippy .NUXX』で世界的に知られている。2012年ロンドンオリンピック開会式の音楽監督を務めた。

弘石氏:
進路に悩んでいた時期に、水口さんから『Rez』のお声がけをいただいたので、本当にいいタイミングでした。
水口氏:
最初はいろんな音楽の構想があったんです。弘石さんとはがっぷりと組んで、いろいろと相談させてもらいました。まず候補に挙がったのがケン・イシイさん。続いてThe Future Sound of London、アンダーワールド、そしてファットボーイ・スリム【※】。さらに弘石さんの紹介で、アダム・フリーランドやコールドカットも候補に入ってきました。
※ファットボーイ・スリム……イギリスのDJ・プロデューサー、ノーマン・クックの名義。1990年代後半の「ビッグビート」を代表する存在で、アルバム『You’ve Come a Long Way, Baby』(1998)は全英1位を記録した。
じつはアンダーワールドがライブで日本に来ていたときに、僕らは彼らが泊まっているホテルまで行って、制作中の『Rez』を見せたんです。そしたら「おもしろいね。やろう」と良い反応をもらいまして。「よし」と思っていたんですが、最後に「シューティング」という点で引っかかってしまいました。
ですから、発売こそされませんでしたが、アンダーワールドバージョンの『Rez』が存在しているんです。今やプロトタイプがどこにあるかもわかりませんが。
あとは、ファットボーイ・スリムの『ロックフェラー・スカンク』という曲で、ステージ2が完成していました。ところが発売の3週間ぐらい前に「あの曲は、他の曲のサンプリングをしているようで、このまま使うのはリスクが高いです」と通達がありまして。
もうみんなで泣きそうになりながら取り下げましたね。そのときに「じゃあ俺がやる」と出てきてくれたのが、Ebizoさんでした。そうして彼が2週間で仕上げてくれたのが、ステージ2なんです。
弘石氏:
あと、エイフェックス・ツイン【※】、リチャード・D・ジェームズのエピソードですかね。彼は今でも世界的なテクノのミュージシャンですが、僕はソニー時代にワープ・レコーズ【※】というレーベルで彼の担当をしていました。彼がロンドンの事務所に遊びに来たので、その場で『Rez』のプレゼンをしたんです。
※エイフェックス・ツイン……イギリスの電子音楽家リチャード・D・ジェームズの名義。1990年代以降のテクノ、アンビエント、IDMを代表する存在で、『Selected Ambient Works 85-92』(1992)は名盤として今も参照され続けている。
※ワープ・レコーズ……1989年設立のイギリスのレコードレーベル。エイフェックス・ツインやAutechreなど、実験的な電子音楽を多く世に出した。
小林氏:
そのときはプレイする様子をリチャードに聴いてもらっていたんですけど、ドリームキャストの調子が悪くて、ガーガーとバグ音が鳴ってしまっていたんです。僕は「すみません、リセットします」と言ったんですが、リチャードが「その音めちゃくちゃかっこいいね!」って言いだしたんです。
こうして、喜んで『Rez』の仕事を受けてもらえました。ところがギリギリまで納品がありません。連絡も何度も無視され、最後に直接電話して「今日納品なんですけど」って言ったら、「ごめん、無理です」との答えが。
弘石氏:
もしあれが全部実現していたら、エイフェックス・ツイン、アンダーワールド、ファットボーイ・スリムというそうそうたるメンバーのゲームでしたね。
水口氏:
毎日が修羅場だった当時を思い出してきました。
ケン・イシイ氏、ステージへ。チューリッヒでの出会いと『Extra』。ダンスミュージックと『Rez』の共通点
水口氏:
さきほどの話を踏まえると、ケンさんは安定感がありますよね。僕は『Rez』以降も何度かケンさんとお仕事をしましたが、仕事が早くて確実なので、本当にいつもありがたいと思っています。
ちなみに、僕が1997年にチューリッヒのストリートパレードに行ったときの話ですが、クラブやレストランに行くとみんなが僕を見るんです。
嫌な感じだなと思っていると、みんなが「お前、ケン・イシイ知ってるか」と尋ねてくるんです。僕はまだテクノや電子音楽がよくわかっていなかったので、「誰?」って感じでした。それからホテルに帰ってMTV【※】をつけると、ずっとケン・イシイの『Extra』が流れているという。
※MTV……音楽専門のテレビ局。1990年代にはミュージックビデオの発信源として世界的な影響力を持っていた。
弘石氏:
『AKIRA』の作画監督の森本晃司さんが作った映像で、当時大流行したんですよね。その後には、ヨーロッパのMTVのミュージックアワードで「DANCE VIDEO OF THE YEAR」も受賞しました。
水口氏:
その仕掛け人が弘石さんなんですよね。僕は全然知らない状態でケン・イシイさんの作品に出会って「すごい、みんなが噂してる」と思い、その後に日本で弘石さんに出会って「そうだったんだ」と納得したんです。
それからは、森本晃司さんともプライベートで仲良くなって、結果的にケン・イシイさんと一緒に仕事をするという流れに至りました。だから僕にとってケンさんは、行く道を照らす光なんですよね。
というわけで、ケン・イシイさん、ご登壇ください。
水口氏:
ケンさんは最初にこの『Rez』の話を聞いたときにどう思いましたか。
ケン・イシイ氏:
僕は『Rez』以前にも映像やゲームに曲を提供したことはあったんですけど、過去に担当した仕事は普通に曲を作って、完成したら納品するかたちでした。ところが『Rez』の依頼は、最初の時点で「曲の要素を1個1個全部バラバラにしてよこしてください」って言われたので、驚きました。
他のミュージシャンの曲を再構築する「リミックス」というエレクトロニックミュージックの技法もありますが、その場合でもトラック別や楽器別などのざっくりとしたトラックの分け方で作品を渡すことが多いんです。『Rez』のときはハイハットの1音1音とかも全部バラで、ベースも1音1音切ってくれ、と言われたわけです。
最初はアーティストとしての手の内を明かしてしまう感覚がありためらったのですが、よくゲームコンセプトを聞いてみると考え方が変わりました。
僕の音が入ったゲームをユーザーがプレイして、ゲームプレイがうまくいけば、ステージの最後に流れる曲が「僕が作った完成形の曲」に近づいていく。トラックを細かく分割して納品する理由は、こういった仕組みを作るためだったんです。それを理解して「これは革命的だ。すごいものができる」と思いました。
弘石氏:
ミュージシャンとしては、真っ裸にされるような心地ですからね。だから説明をした時点で、「いやもうダメです」っていう人と「おもしろそうだから、挑戦してもいいかな」っていう人に分かれるんですよね。
小林氏:
弘石さんがそこをうまく説明してくれたからこそ、引き受けてもらえたとは思いますね。
弘石氏:
確かに『Rez』での自分の役割は、水口さんの感覚を言語化して先方に伝えることであったような気がします。
水口氏:
アダム・フリーランドの家に『Rez』をプレイしてもらいに行ったときも、弘石さんが一生懸命説明してくれたのも覚えています。思えばいつも弘石さんが間にいたから引き受けてもらえていましたね。
水口氏:
コールドカットのときもそうです。当時の彼らはもう電子音楽界の重鎮だったので、会うときは僕らも緊張していたんですが、弘石さんの口から「シナスタジア」っていう言葉が出てきたときに「この人はわかってる人だな」と受け入れてもらえたのを感じました。
結果的に、共感覚的なものに興味を惹かれる、普通とは違った感覚を持つミュージシャンたちが参加してくれたと思うんですが……弘石さんは僕らがリクエストしたアーティストや楽曲の候補を作るとき、どんなことを思っていたんでしょうか。
弘石氏:
コールドカットで言えば、彼らは「カット・アンド・ペースト」という技法で曲を作っていて、一般的な曲を作るタイプではなかったんです。だから水口さんから『Rez』のコンセプトを聞いたときは、まずコールドカットがハマるんじゃないかなと思っていました。
あとは、テクノミュージックはループで音楽が作られたり、各パーツを取り出しても音楽として成立したりすることが多いんです。『Rez』の基本構造は、ひとつひとつのパートやベースラインを「シューティング」にすることじゃないですか。
だからテクノやクラブカルチャーでの曲の作り方と合致しているところがあるんです。ゲームにおいて、プレイヤーが収録された楽曲をリミックスしているような感覚ですね。
水口氏:
ケンさんは、『Rez』に参加したことで変化した音の作り方や考え方ってありますか。
ケン・イシイ氏:
自分は、作品を作るときに他の人の要素を頭から抜く傾向がありました。ただ、他の人が『Rez』をプレイしているのを聴いていたら、「自分だったらこうする」という考えが生まれたんです。そのおもしろさが自分の音楽に生きるかもしれない、と思うようになりました。
つまり「委ねる楽しみ」が新たにできた、と言えるかもしれません。それで一時期流行ったリミックスコンテストみたいなのも、エンジョイできるようになりました。
水口氏:
自分が音を提供したゲームで、委ねる楽しみに気が付いたと。つまり音楽のやり方に幅が生まれたということですかね。
ケン・イシイ氏:
僕らが出てきた頃のテクノって、新しい音楽ではあったんですけど、いわゆるミュージシャンシップとしてはまだオールドスクールな空気感もあったんですよ。
だから僕にも無意識的なところで「これは俺の作品だ、誰も触らせないぞ」という気持ちがあったと思います。それが『Rez』に携わってから少しずつ変わってきましたね。
別に触らせたところで自分のアーティスト性が崩れるものでもない。むしろ、新しい要素が入ってきて自分にも新しい気づきがあるな、と。『Rez』はそういう考えに至る最初のステップだったような気がします。




