武器によって変化する映画のリズム
次に、本作において最も『バイオハザード』らしい部分。複数の銃火器系の武器についても触れよう。
『バイオハザード』と言えば、様々な武器が登場する。そしてそんな武器以上にゲームの『バイオハザード』において重要なのは、自分が所持する弾薬のリソースマネジメントである。

なぜなら、『バイオハザード』に登場する脅威は大抵は火力でどうにかなるからだ。逆にいえば火力がないとどうしようもない。だからこそ『バイオハザード』は自分の所持している武器と、弾丸の数をいかに適切にマネジメントするかが肝となっている。
そんな肝を映画『バイオハザード』はきっちりと押さえている。最初のハンドガンからしてすばらしい。『バイオハザード』におけるハンドガンは有効な武器ではあるが、上手く扱わないと一撃で相手を仕留めることは出来ないので慎重、かつ確実に相手をよく狙う必要がある。しかもちゃんと相手との間合いを取らないとあっという間に間合いを詰められておしまいである。
そんな『バイオハザード』におけるハンドガンの「感じ」を、この映画はあますところなく映像化してくれている! 凄い! めっちゃわかってるよこの監督!!
序盤のハンドガン周辺の描写だけで、この映画への信頼度がうなぎのぼりになったところで、満を持して登場するのが『バイオハザード』定番の武器、ショットガンである。

私は『バイオハザード』というゲームはショットガンを手に入れる前、手に入れた後で明確にゲーム内容が変化すると考えている。なぜならショットガンは一撃で相手を仕留めることが出来る強力な武器だからだ。
ハンドガンが主力だったころは、残弾を気にして、間合いをとって、的確に相手を狙いすまして複数回攻撃を重ねることでやっと仕留められていた相手が、たったボタン一発で脳天を吹っ飛ばして仕留めることが出来てしまう。
文字通りショットガンを手に入れた瞬間に、『バイオハザード』というゲームはスイッチが切り替わる。冒頭で「入口」と「出口」で体験が「変化」するのが『バイオハザード』であると述べたが、ショットガンを手に入れた瞬間、明らかに違う扉が開いた感覚がある。もっとも、ゲームも映画もこの世界の錠前は非常に頑丈なのだが……。

そんな最重要武器ともいえるショットガンを手に入れ、相手の脳天めがけてぶちかます瞬間を、この映画『バイオハザード』ではたっぷりと時間をかけてキッチリと描く。家中をさらって弾薬を探すシークエンスも満点の出来である。私はもうこのショットガン周りの描き方で完全にこの監督に脱帽してしまった。これが、この映画こそが私の愛する『バイオハザード』であると。
「変化」する主人公と物語
その後も映画はさらに強力な火力をもつサブマシンガンを入手し、シリーズ定番の地下施設だったり謎の施設的なところへと舞台を移していくのだが、この辺りで大分物語の様相が「変化」していることに観客は気付くだろう。
映画の開始当初は目の前で起きていた異常な出来事に一つ一つ対処していったのが、次第に対処が大雑把になっていくというか、主人公自身もだいぶ目の前の事態に「慣れ」始めてくるのである。後半では相手の特性を利用すら、し始める。

序盤は純粋に目の前で起きる出来事に「恐怖」していたのに、中盤を過ぎたあたりからだんだんと「慣れ」始める感覚はまさしくゲームの『バイオハザード』そのものである。
既に述べたように『バイオハザード』とは目の前に迫る脅威に対して、火力さえ保持していればなんとかなるゲームである。だから中盤以降のショットガン以上の強力な銃火器を保持し、弾薬のマネジメントをまちがえてさえいなければ、大抵は「なんとかなってしまう」ので、どうしても迫る脅威に対する恐怖が薄れていく。
ではそれがゲームの『バイオハザード』の欠点なのかと言えばそういうわけでもない。なぜなら『バイオハザード』はクリアした後に、何度も周回することも楽しめるゲームだからだ。当然2周目3周目と重ねるほどにそこに恐怖はなくなっていく。だがそれでも『バイオハザード』が面白いのは、ホラーゲームであると同時にアクションゲームとしても優れているからだ。

この文章の冒頭の繰り返しになるが、ゲームの『バイオハザード』の最大にして最も重要な特徴、それは「入口」はホラーとして始まったにも関わらず、「出口」ではアクションへとその体験性が「変化」していく点にある。
映画の『バイオハザード』が優れている点もまた同様だ。この映画は序盤はホラーとして始まり、後半はホラーとは違う「何か」に物語が「変化」していく。そしてその「変化」のあり様に、この映画の核心がある。
火力さえあれば「なんとかなる」のがゲームの『バイオハザード』だとすれば、この映画の主人公もまた、人生を「なんとか」やり過ごしてきた人物である。物語の冒頭でパートナーから妊娠を告げられたことに対してその場しのぎの言葉で「なんとかしてきた」主人公は、クライマックス直前のどうにもならない現実に直面して、ある行動をとる。

ここからは特にネタバレになってしまうので詳細は伏せるが、最後の展開は明らかにこれまでとはトーンが変化し、一種コメディ的ですらある。この文章中でも触れた主人公視点で描かれる「ゲーム的」話法も終盤だけはそのルールから外れる。
この終盤の展開をどう受け止めるか、どう解釈するかは人によって意見も評価も分かれるだろう。しかし、先ほど述べたクライマックスの直前に主人公が残したあるモノの存在によって、やはりこれはあまりにも正当なる『バイオハザード』の物語であることを提示するあたり、ザック・クレッガー監督の『バイオハザード』への理解度、そして愛は本物である。
ここまでゲームの『バイオハザード』が好きなものの視点から映画の『バイオハザード』を語ってきたが、あらためて『バイオハザード』とは極めて優れた「器」なのだと思う。
序盤の犬の描写にシリーズファンなら『バイオハザード4』からの引用、そして漫画ファンなら『寄生獣』に登場する寄生された犬、通称・イヌーの影を見るだろう。まあ源流をたどれば『遊星からの物体X』に辿り着くわけだが、そもそも『バイオハザード』自体が、その手の70年代から80年代にかけてのハリウッド映画の影響が濃厚にあるシリーズである。

さまざまな作品の影響を受けていることを私は悪いことだとは思わない。むしろ「器」として優れているのだと評価する。「器」として優れているからこそ、30年の歴史を重ねた現在においても全盛期と呼べるほどの盛り上がりを見せているのだろう。
そんな様々な映画作品の影響によって作られてきた『バイオハザード』というIPが、映画という分野においても一つの到達点と呼べる作品を送り出した点は非常に感慨深いものがある。
本作は『バイオハザード』というIPにおける重要なピースとなると同時に、ゲーム体験を映像化するとはどういうことかという点を考える上でも重要な一作となるだろう。『バイオハザード』のファンのみならず、広くお勧めしたい。
