「生き残れば勝ち」という構成のおもしろさ──19歳のレイナル氏が映画から感じたゲーム性
──セッション内容と重複する部分もあるかもしれませんが、改めて根源的な質問をさせてください。レイナルさんがホラーというジャンルをビデオゲームで表現しようと考えた「初期衝動」は、どのようなものだったのでしょうか。
レイナル氏:
語り出すと長くなってしまうのですが、要点を絞ってお話ししますね。
当時の背景として、私の父親はビデオレンタルショップを経営していました。私は店内をよく歩き回っていたのですが、とくに心を惹きつけられて長居していたのがホラーやSFのコーナーでした。なかでも強く興味を持ったのが、1970年代から80年代にかけてのイタリアのホラー映画です。
当時のそうしたホラー映画の典型的な構造といえば、登場人物たちが特定の空間に集まり、ひとりまたひとりと犠牲になっていき、最終的に生き残った最後のひとりが勝利する(生還する)という展開でした。このプロット構造を見たとき、私は純粋に「これは非常にゲーム的だな」と感じたのです。
そのとき19歳くらいだったので、その時点では自分が将来プログラミングや数学を用いてゲームを作る姿を明確に思い描けていたわけではありませんでした。しかし、イタリアンホラーの構造が持つ「ゲーム体験との親和性」は強く印象に残っていました。
もうひとつ、私の中でインスピレーションの核となっていたのが「ゾンビ」の存在です。『アローン・イン・ザ・ダーク』にクトゥルフの要素が組み込まれるより前、私はまず「ゾンビを題材にしたゲーム」を作りたいと考えていました。ゾンビという存在そのものが、非常にゲームというメディアに向いていると感じていたからです。
ただ、1986〜87年当時は、技術的な制約からゾンビを題材にした本格的なゲームを作るのは到底不可能だろうと諦めていました。

転機が訪れたのは、セッションで外山さんとともに話題に挙げた『アルファ・ウェーブ』【※】という作品に関わったときでした。私はこのタイトルの移植作業を担当していたのですが、数学者でもあるクリエイターが、「高速で3Dを描画する」という革新的なシステムとテクニックを見せてくれたんです。
※『アルファ・ウェーブ』
1990年にインフォグラムが発売した初期の3Dアクションゲーム。レイナル氏がPCへの移植を担当した。
Atari ST【※】からPCへの移植作業を担当していた約6ヵ月のあいだに、「この3D技術を活用すれば、ずっと不可能だと思っていたゾンビのゲームを3Dで表現できるかもしれない」という強い確信が芽生えました。それこそが、私のホラーゲーム制作における真の「初期衝動」だったのです。
その後、いかにして『アローン・イン・ザ・ダーク』というかたちに結実させていったかはあとから組み立てたプロセスですが、すべての始まりとなった「種」や背景はまさにそこにありました。
※Atari ST
1985年にアメリカのアタリ社が発売したパーソナルコンピューター。とくにヨーロッパで普及し、多くのゲームが開発された。
外山氏:
本当におっしゃる通りだと思います。とくに日本のゲーム開発は「既存の作品に新しいアイデアを掛け合わせてアップデートしていく」というアプローチをとることが多いのですが、『アローン・イン・ザ・ダーク』という作品は、あまりにも唐突に、かつ革新的なアイデアが凝縮されたかたちで世に現れましたよね。
プリレンダー背景の活用やサバイバルホラーというジャンル性、あるいは緻密なリソース管理の概念など、ひとつの作品の中に組み込まれた発明があまりにも多すぎます。抽象的な3D空間を描く『アルファ・ウェーブ』の技術から、いったいどのようにしてあの境地にまでたどり着いたのか、ずっと強い興味を抱いていたのですが、先ほどの映画からの影響や発想の原点をお聞きして、その謎のヒントが見えた気がします。
レイナル氏:
そうですね。少し補足すると、じつはインフォグラムに入社する以前から、父の店で個人的に小規模のゲームを制作していた時期がありました。そのころに作ったのが『ポップコーン』【※】というタイトルです。
※『ポップコーン』
1988年にレイナル氏が手がけたPC用のブロックくずしゲーム。画面下のパドルを左右に動かしてボールを打ち返す。現在はメガドライブ版の開発が進められており、専用のスピナーコントローラーで遊ぶかたちを目指している。
その後、1988年にプログラマーとしてインフォグラムに入社しました。そこでは連日のようにポリゴンやスプライトを扱い、他社作品の移植作業などを担当していたのですが、長年にわたって「自分自身のオリジナルゲームを作る」ことがまったく叶わない状況が続いていたんです。
他人の作ったゲームのプログラムや移植作業に明け暮れる中で、あの『アルファ・ウェーブ』の技術に出会い、「これなら諦めていたゾンビゲームを作れるかもしれない」とひらめきました。それが、のちの『アローン・イン・ザ・ダーク』となる企画の種です。
そのとき「これまで入社以来ずっと温めてきたアイデアをすべてこの作品につぎ込もう」と決意しました。『アルファ・ウェーブ』のおかげで技術的な基礎原理は見えていたからこそ、自分の持てるアイデアを “全部盛り” にしてぶつけたいと思ったんです。

しかし、最初にインフォグラムへ企画を提案した際、会社からの返答は無情にも「NG」でした。あっけなく却下されてしまったんです。
仕方なく、日中は引き続き他人のゲームの開発作業をこなしながら、終業後や休日のプライベートな時間を使い、自宅で自作ツールの開発を始めました。プリレンダー画像を描画するためのツールを自前で制作し、1991年ごろには自作のゲームエンジンを組みあげていました。そのうえで、「ここまで実現可能ですよ」と社内に提示したことで、ようやく正式に開発の許可を得ることができたんです。
そうして粘り強く開発を続け、1992年のクリスマス時期に、ついに『アローン・イン・ザ・ダーク』を完成させることができました。
ひとりひとりと向き合った3日間 『アローン・イン・ザ・ダーク』開発初期の集中合宿
──『アローン・イン・ザ・ダーク』は、何人くらいのチームだったのでしょうか。
レイナル氏:
チームメンバーは7人でしたね。
──真偽のほどはわからないのですが、こんなエピソードを拝見しました。「トイレや休憩以外はいっさい部屋から出ず、7人のチームメンバー全員で3日間に及ぶ集中合宿を行い、屋敷の構造からストーリー、敵の配置にいたるまでを決め切った」というお話ですが、これは事実なのでしょうか。
レイナル氏:
この「3日間の合宿」というのは、紛れもない事実です。実施したのはその一度きりでしたが、3日間全員で集中して議論を重ねました。
経緯をお話しすると、インフォグラムからようやく開発の許可が下り、そこで初めて正式なチームを結成することができたんです。メンバーにはシナリオ担当、音楽担当、3D・2Dグラフィッカーなど、必要なスタッフが揃いました。2Dグラフィック担当として背景のアートワークを手がけたヤエル(ヤエル・バロス氏(Yael Barroz))が、のちに私の妻となる人です。
私の中では、どのような要素を盛り込み、どのようなゲーム体験や導線をつくるかという全体像がある程度見えていました。そこでチーム全員を一堂に集め、この3日間のセッションを通じて「自分が思い描くビジョンを全員に過不足なく伝えること」を試みました。
単に「これが私のビジョンだからあとは各自でやっておいて」と丸投げするのではなく、各パートの担当者ひとりひとりと向き合って対話を重ねました。シナリオ担当には「どのタイミングでどんなテキストが必要か」、音楽担当には「どの場面でどういう音楽がほしいか」、3D担当には「どういうモデルが必要か」を細かく説明していったんです。
この3日間のセッションにおける最大のゴールは、メンバー全員が「自分はどんな役割を担い、なにを制作すべきなのか」、そして「チームとしてどんなゲームを目指すのか」を完全に理解した状態をつくることでした。そのすり合わせと説明に、丸々3日間を費やしたわけです。
当時の私は各担当者の間をあくせく動き回り、「なにか質問はある?」「もう少し詳しく説明しようか?」と絶えず声をかけ続けていました。ピザを囲みながら全員でひたすら集中し、私が思い描くゲームデザインを徹底的にプレゼンテーションし、共有するための3日間だったと言えますね。
ひとつおもしろい後日談があります。当時インフォグラムに入社したばかりだったシナリオ担当のユベールは、クトゥルフ神話に非常に造詣が深い人物だったのですが、この濃密な3日間を終えたあと、「この合宿のおかげで、自分がどういう仕事に採用されたのかをようやく理解できたよ」と話していました。
外山氏:
その3日間の合宿にのぞまれた時点で、完成形となるアイデアはどれほど出揃っていたのでしょうか。
とくに「プリレンダーの2D背景に3Dモデルを重ね合わせ、カメラワークを切り替える」という構造は、実物を見たことがなければ他人が想像するのは難しかったはずです。そうした仕組みも、その時点ですでに頭の中で完成していたのでしょうか。
レイナル氏:
お答えすると、その3日間の合宿の前の段階ですでに最終的な完成形はクリアに見えていました。
というのも、インフォグラムへ企画を提案するにあたって、事前にプロトタイプを制作していたからです。会社から企画の正式承認を得るためには、実動する具体的なサンプルを提示する必要がありました。つまり当時、すでにゲームエンジンの基礎部分は機能していたんです。
ただ、そのエンジンを扱って実際のグラフィックを描き出せるクリエイターが必要でした。

そこで、製品版の『アローン・イン・ザ・ダーク』には登場しないテスト用の部屋をひとつ作成しました。その中にカメラをどう配置するか試行錯誤できるように、ワイヤーフレーム状態のプロトタイプを用意したんです。
企画の正式許可が下りていない段階で、そのテスト部屋を異なるアングルから捉えた4〜5パターンのカットを作成し、ひとつのフロッピーディスクに収めました。
そのフロッピーを当時のインフォグラムにいたグラフィック担当者たちに渡し、「このアングルに合わせて背景を描き、色を塗ってみてほしい」と依頼しました。キャラクターの描画領域と背景の干渉を考慮しつつ、詳細なディテールまで描き込んでもらう必要があったため、要求レベルとしてはかなり高いものでしたね。
社内のデザイナーたちに配ったものの、実際に課題へ応えて提出してくれたのはわずかふたりだけでした。そのうちひとりが提出してきた作品は、どこか『プリンス・オブ・ペルシャ』を思わせるクラシックなタッチで、目新しさに欠ける印象だったんです。
しかしもうひとり、先ほどもお話しした、のちに私の妻となるヤエルがあげてきたグラフィックはまったく違いました。彼女は美術学校を卒業してインフォグラムに入社したばかりだったのですが、当初から「どうせゲームはビジュアル的にはあんまりよくないから、とびきり美しいものを表現しよう」という強い意欲を持って取り組んでくれたんです。
彼女が描いた背景のアートワークを見た瞬間、「まさにこれだ!」と確信しました。ちなみに、このとき制作されたプロトタイプの画像は、現在でもインターネット上で検索すると確認することができます。
レイナル氏からご提供いただいた実際のプロトタイプの画像

※上記の背景画像が初めて実装された映像デモ
また当時は、PCの技術革新が爆発的なスピードで進んでいた時期でもありました。表示色数が16色から一気に256色へと拡張され、サウンド面でも「サウンドブラスター」をはじめとするサウンドカードの普及によって表現力が飛躍的に向上していました。
そうした時代背景と技術的進化が噛み合ったことで、「この最新技術とアプローチを組み合わせれば、思い描くゲームが完成する」という最終形態のビジョンを確信できたんです。
──とはいえ、あまりにも時代を先取りしたエポックメイキングなゲームですから、既存の作品を引き合いにして「こういうゲームだよ」とたとえることができませんよね。だからこそ、チームにどうやってそのコンセプトを伝えていったのかというプロセスを、外山さんはとくに気にされているのではないかと思います。
外山氏:
ええ、本当におっしゃる通りです。だからこそ、すり合わせに3日間という時間が必要だったのですね。
レイナル氏:
たしかに、「これからなにを実現しようとしているのか」という新しい見解やビジョンを正しくチームに理解してもらうための説明には、相応の時間を要しました。しかし、私の中で最終的なゲームのイメージそのものを固める作業自体はそれほど時間はかかっていません。
先ほどお話ししたプロトタイプの時点では、まだゲームプレイと呼べるシステムまでは実装されておらず、画面上を3Dキャラクターが通り過ぎていくだけのものでした。それでも、その段階から「窓の外から鳥が飛んでくる」といった演出の着想はすでに頭の中に存在していました。
それを起点として、完成形へといたるロジックを素早く組み立てることができたのです。目指すべきゴールは、最初から自分の中で明確に見えていました。
「ゾンビが徘徊する世界観」を構築するにあたり、最大の課題となったのは「いかにして広大な背景を描画するか」でした。その解決策として導き出したのが、プリレンダー画像を用いてカメラアングルを固定化するという手法です。
つぎに課題となったのは、ハードウェアの制限から生じる処理能力・メモリといった「リソースをいかに節約するか」でした。そこでの削減策として「画面上に登場する人間は主人公のみに絞る」という決断を下しています。登場人物を限定すれば、他者との対話イベントが発生せず、テキスト量や翻訳にかかるコスト・容量の負担も大幅にカットできます。これでリソースの問題もクリアできました。
そして作品の核となるインスピレーションは、映画『悪魔の棲む家』のように「不気味な館から脱出する」というシンプルな目的設定です。こうした基礎となる思考やゲームデザインの骨組みを構築するのには、それほど時間はかかりませんでした。
大枠のビジョンが見えて以降はチームにそれを共有し、パズルの仕組みや細部の仕様を調整しながらブラッシュアップさせていく工程に多くの時間を費やしました。
つまり、完成形のビジョンを思い描くこと自体は、非常にスピーディーになされたというのが実際のところですね。
真っ白な球体頭部のまま迎えたマスターアップ直前1ヵ月の緊急事態
──さきほどのプロトタイプ版でテストを繰り返していたがゆえに、キャラクターの顔を描くのを忘れていて、カーンビーの顔が目鼻も髪の毛もない、のっぺらぼうのような見た目だったことに発売直前に気づいた、という逸話は本当なのでしょうか?
レイナル氏:
半分以上は当たっていますが、正確には少し異なる裏話があります。
当時、3Dモデルのアニメーション設計において最大の課題となったのが、市場に出回っているPCの「スペック差(処理速度の違い)」でした。マシンによって性能が大きく異なるため、そのまま動作させると個体差が極端に出てしまいます。そこで「フレーム処理をいかに制御するか」を徹底的に考え抜きました。
全フレームを描画させるわけにはいかないため、導き出した解決策が「キーフレーム」をベースにしたアニメーションシステムの構築でした。これなら、処理能力の低いPCではキーフレームのみを表示し、ハイスペックなPCではそのあいだを補間して滑らかなアニメーションを表示させることができるわけです。
そして、この描画エンジンをベースにすることで、じっくりと探索を楽しむアドベンチャーゲームというジャンルに適していることが確信できました。
一方でキャラクターの頭部表現に関しては、当初「キャラクター特有の3Dエンジン」を別途開発できないかと構想していました。具体的には、ポリゴンではなく「ボクセル」【※】技術を用いて、非常にリアルな頭部・表情を描画するシステムです。これを使えば、当時としては画期的なリアルな顔表現が可能になるのではないかと考えました。
※ボクセル
立体を小さな立方体の集まりで表現する手法。ドット絵の3D版のようなもの。
そのため、開発初期段階で3Dスタッフに対しては「頭部に関しては専用エンジンを後から組み込むので、とりあえず真っ白な球体を乗せただけの状態で作業を進めておいてほしい」と指示を出していたんです。
しかし、ゲーム開発ではよくある話ですが、スケジュールが過密を極める中で、結局そのボクセルエンジンの開発まで手を回すことができませんでした。
気がつけば、マスターアップ(完成)まで残り1ヵ月ほど。キャラクターの頭部は、いまだに「ただの球体」のままでした。そこで、「これはもう専用エンジンは取り入れられないかもしれない」とわかったんです。
そこから急きょ、完成直前の1ヵ月間で頭部周りのグラフィックやアニメーションを大急ぎで構築し直しました。本作の頭部のアニメーションが少し独特な挙動をしているのは、そうした突貫工事が理由です。
すでにマーケティングチームからは広報用のゲーム画面素材を求められていた時期でしたが、提供したスクリーンショットに映るキャラクターもまだ頭部が球体のままでした。そのため、妻のヤエルともうひとりのグラフィッカーに頼んで、広報用画像の上から手書きで顔を描き足してもらった……というエピソードもあります(笑)。
最後の1ヵ月間で猛スピードでポリゴンによる顔の表現を作り込み、なんとか完成に漕ぎ着けました。
ですので、「顔を描くのを単に忘れていた」というよりは、「専用システムが間に合わなくなり、開発の最終局面で急きょ別の解決策に切り替えた」というのが真相ですね。










