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3Dサバイバルホラーの “遺伝子” は、いかにして生まれ、受け継がれたのか? 『アローン・イン・ザ・ダーク』のフレデリック・レイナルと『サイレントヒル』『SIREN』の外山圭一郎が語る、名作の裏側【The Tenth Mosaic 対談】

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無口な少年はゲームを作って友だちを作った──レイナル氏の原点にある「おもちゃ」作りとは

──せっかくの対談ですので、ここからはおふたりがお互いに聞いてみたいことを展開していただければと思います。

外山氏:
では、私からよろしいでしょうか。レイナルさんのこれまでのキャリアやご経歴を拝見していると、本当に多岐にわたる挑戦をされているなと感じます。セガのコンソール向けタイトルに携わられたかと思えば、非常に実験的なプロジェクトに取り組まれたり、最近ではメガドライブ向けの開発も手がけられているとうかがいました。

そうした一貫した姿勢を拝見していると、根底にはやはりエンジニアとして「純粋に自分のやりたい技術や表現を追求する」という思いが最優先事項(ファースト・プライオリティ)としてあるのでしょうか。

レイナル氏:
純粋なエンジニア的マインドセットというより、どちらかといえば「自分自身でおもちゃを作り出したい」という感覚を常に強く意識しています。手を使って「おもちゃ」や「実体のあるゲーム」を作ること自体は、それこそ小学生のころからの原体験でした。

当時の私はとても無口で引っ込み思案な性格だったのですが、クラスメイトとコミュニケーションを取り、友だちをつくる手段として自作のゲームを用いていたんです。ビー玉を使ったゲームや、壁に加工を施したギミックなど、遊びを通じて人と繋がる体験を大切にしていました。

そうした体験もあって、「自分の手でおもちゃを作りたい」という衝動が自然と自分の中で高まっていきました。また、私の父もDIYや手仕事でモノをつくるのが大好きな人でした。私も父と同じようにモノづくりに没頭し、家にある機械や電化製品を分解しては「いったいどういう原理で動いているのだろう」と構造を調べるような子どもだったんです。

13歳のころ、父が通信教育で電気工学の基礎を学ばせてくれたことがありました。まだパソコンが一般に普及する前の1970年代末期のことですが、自分で電子ガジェットを組み立てる体験をしたのはそのときが初めてでした。

フレデリック・レイナル×外山圭一郎対談:3Dサバイバルホラーの “遺伝子” は、いかにして生まれ受け継がれたのか?
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そして私にとって最大の転機となったのが、個人向けPC「ZX81」【※】との出会いです。そのマシンを目にした瞬間、「これは自作のゲームを作り出せる究極のマシンだ」とひらめきました。これは機械であると同時に「人を遊ばせるためのデバイス」でもあります。これを使えば、自分の作った世界で人を楽しませることができると知りました。

※ZX81
1981年にイギリスのシンクレア・リサーチ社が発売した家庭用コンピューター。安価で欧州に普及した。

そこから私は、ソフトウェアを開発する道へと足を踏み入れることを決意したんです。「自分の手で作ったおもちゃ(ゲーム)で、プレイヤーを楽しませたい」という想いがすべての根幹でした。

それ以来、さまざまな実験的プロジェクトやゲーム制作に携わってきましたが、つねに意識してきたのはまさに「おもちゃを通して人を楽しませること」でした。

現在、私がさまざまな実験的アプローチを試みているのもそのためです。最近手がけているメガドライブ向けの専用コントローラー開発などもまさにその一環ですが、単なる「ビデオゲームのソフト制作」という枠組みを超えて、デバイスやアクセサリーといった物理的な「モノ」自体を制作することに焦点を当てています。「実体のあるモノの中に、いかにしてゲーム的な遊びの要素を落とし込めるか」というテーマに専念しています。

ですから現在の私の立ち位置を表すならば、単に画面の中のビデオゲームを作りたいというよりは、「遊び心あふれるおもちゃを作り、その中にゲーム体験を融合させたい」という表現がしっくりくるかもしれませんね。

──「おもちゃ」をつくるという思想の根底には、やはり「人の感情を大きく揺さぶりたい」という強い想いがあるのでしょうか。最初に『アローン・イン・ザ・ダーク』でホラーというジャンルを選ばれたのもまさにそうですが、プレイヤーの感情をダイレクトに動かせるからこそ、現在は物理的な「モノやおもちゃ」の領域へ向かわれているのかなと感じたのですが。

レイナル氏:
ええ、まったくその通りです。すべては先ほどお話しした私の「原点」へと繋がっています。

原点にあるのは、「自分がなにかを作り出し、それを人に手渡して、その人が触って楽しんでくれる」という体験です。すべてはそこから始まっていると思っています。

フレデリック・レイナル×外山圭一郎対談:3Dサバイバルホラーの “遺伝子” は、いかにして生まれ受け継がれたのか?
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(画像は『Alone in the Dark 1』Steamストアページより)

そこから長い年月を経て、ホラーゲームを通して人に恐怖や興奮を体験してもらい、楽しんでもらうこともありました。時代やかたちは変わっても、作品を通じてプレイヤーに「感情を届けたい」という一貫した情熱だけは、昔からなにひとつ変わっていません。

自分が生み出した作品を誰かに手渡し、その人が遊んで楽しんでくれている姿を目にしたとき、初めて私の中に大きな快感が湧き上がり、自分自身の “存在意義” を実感できます。

それはソフトウェアとしてのゲームであれ、ハードウェアとしてのコントローラーひとつであれ、変わりはありません。手がけたものを人に渡し、触れて楽しんでもらう瞬間こそが、私にとってなによりの快感であり、原動力です。振り返ってみると、そのときにこそ初めて「誰かの役に立てている」と実感できたのかもしれません。

これは決して義務感や使命感といった堅苦しいものではなく、私自身の純粋な “快感” であり、クリエイターとしての存在意義そのものなのだと感じています。

『2Dark』の陰惨なテーマを、ドールハウスのような見た目で描いた理由

──レイナルさんから外山さんに、なにか聞いてみたいことはありますか。

レイナル氏:
外山さんにぜひうかがいたいのは、先ほどタイトル名が挙がった『2Dark』についてです。ご存じない方も多いかもしれませんが、商業的にはあまり振るわず、知名度も決して高くない作品です。もし実際にプレイされたのであれば、どのような印象を持たれたのかをうかがってみたいです。

というのも、このタイトルは制作プロセス自体が非常に過酷で苦しいものでした。扱っているテーマの重さや精神的な負荷もあり、リリース後の数年間は「もうこの作品については語りたくもない」と感じていたほどだったのです。

しかし最近になって、周囲から「『2Dark』でレイナルが真に表現したかったことがようやくわかった」というポジティブな評価や声が再評価として届くようになってきました。もし差し支えなければ、外山さんが『2Dark』に対して抱かれた率直な感想をお聞かせいただけますか。

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(画像は『2Dark』Steamストアページより)

外山氏:
プレイして真っ先に感じたのは、非常に「独創的」な作品だということです。とくに操作系をはじめとする独自のシステムはかなりユニークなのですが、実際に遊んでみると理にかなっていて合理的でもある。そうした設計思想に、まさに “レイナルさんらしさ” を強く実感しました。

そしてもうひとつ興味深かったのは、扱っているテーマの陰惨さやシチュエーションに対して、グラフィックやキャラクターデザインのトーンを「あえて少し外して(ずらして)ある」という点です。

こうした表現手法は、日本のマンガ文化などにも通じる部分があると感じました。この一見ミスマッチとも思えるギャップがかえってテーマの深みを浮き彫りにし、効果的な演出として機能している点がおもしろいと感じましたね。

レイナル氏:
まさにその通りです。ビジュアルと扱っているテーマの意図的なミスマッチに関して言えば、あまりにも陰惨なテーマを取り上げる以上、リアルなグラフィックを利用するのは「論外」でした。そのままリアルに表現すれば、企画としてどこからも承認を得られないことは最初からわかっていたからです。

先ほどのおもちゃの話に戻るようですが、だからこそ表現のトーンを意図的にずらし、どこか「ドールハウス」を思わせるミニチュア感のある世界観として構築しようと考えました。非常に挑戦的で難解な作品であったことは確かです。

また、もうひとつの背景として『2Dark』を通じて伝えたかったのは、私たちが体験してきた1980年代から90年代初頭にかけての “ゲーム体験そのもの” でした。当時のゲームにおける醍醐味のひとつは、「このゲームはどう操作してどう遊べばいいのか」をプレイヤー自身が手探りで模索していく過程そのものにあったと思います。

あえてチュートリアルで過剰に説明せず、プレイヤーが自ら手探りで操作やルールを解き明かしていく体験、それこそが『2Dark』で挑んだ大きな実験でした。

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(画像は『2Dark』Steamストアページより)

当時はその難度の高さが裏目に出てしまった部分もあったかもしれません。ですが、近年のレトロゲーム再評価のムードも手伝って、「手探りで操作や攻略法を模索する感覚」のおもしろさが再び見直されつつあると感じています。

現代のメジャータイトルの多くは、コントローラーを握れば当たり前のように操作できることが主流ですよね。しかし『2Dark』においては、その操作も含めて「どうプレイしていくのか」をプレイヤーに問いかけることが重要で、とても意識したポイントでした。いま振り返ってみると、それは私の大きな間違いだったのかもしれませんが。

外山氏:
その点に関連して、私も強く感じていることがあります。近年の大型タイトルなどでは、いわゆる「決して変えてはならない標準フォーマット」のようなものが強固に確立されてしまっていますよね。カメラ位置は肩越しの三人称視点(TPS)に固定され、キャラクターの移動速度はこれくらい、グラフィックは高精細(ハイディフィニション)でフレームレートが高いものこそが至高、といったような風潮です。

しかしながらあえてその暗黙のルールを崩すこと、とくにカメラワークなどを歪ませたり固定化したりするほうが、ホラーゲームとしては格段におもしろくなる余地や表現の幅が広がることがある。

ところが、そうした標準から少しでも外れたアプローチをすると、それだけで評価を下げられてしまう場面もあります。私自身もそうしたゲーム開発の現状に対して強いジレンマを抱いているのですが、レイナルさんはどう思われますか。

フレデリック・レイナル×外山圭一郎対談:3Dサバイバルホラーの “遺伝子” は、いかにして生まれ受け継がれたのか?
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レイナル氏:
外山さんの抱かれているジレンマには、完全に同意します。繰り返しになりますが、私にとってビデオゲームとは、なによりもまず「手触り」から入るメディアだからです。実際に手を動かして触れてみたときに、どのような感覚やレスポンスが得られるか。すべてはそこから始まると考えています。

現在のメジャータイトルで見られるような「表現の標準化」や「絶対に破ってはならない共通ルール」が固定化していく現状は、クリエイティブにとって危機的でよくないトレンドだと感じています。

どのゲームも均一なルールにおさまり、誰もが迷わないよう極限まで簡略化されていく……そうした風潮の中で、私は「ゲームとは本来、手探りで試行錯誤しながら “いじる” ものだ」という原点に立ち返りたい。ゲームは、いうなれば「ルービックキューブ」のような存在であり、いかに手の中でもてあそび、解法や操作感を模索していくかという体験を重要視しています。

だからこそ、大手タイトルのフォーマットが一律に固定化されていく状況には強い危機感を覚えますし、このままでは業界全体の創造性をますます狭め、クリエイティビティを停滞させてしまうのではないかと懸念しています。

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最初の質問で「お互いの共通点」について問われましたよね。今回の対談を通して改めて実感したのは、共通点の根底には私たちが歩んできた「世代」の存在があるということです。私は現在60歳で、外山さんは56歳になられるかと思います。

私たちはまさに同じ時代を歩み、ビデオゲームがたどってきた目覚ましい進化の歴史を、第一線で目撃してきました。そうした確固たる下地や共有体験があるからこそ、技術の発展とともにゲームがどのように進化を遂げてきたのかという眼差しにおいて、自然と強い共通言語や共感が生まれるのだと強く実感しました。

ジャンルを作ったことを、レイナル氏が誇らしく思えるようになったのは「いま」だった!?

──『アローン・イン・ザ・ダーク』の発売から約35年近くが経ちました。3Dサバイバルホラーとしてギネス記録にも認定されており、まさにこのジャンルの「始祖」として輝き続けています。

その後、『バイオハザード』や『サイレントヒル』をはじめ、数多くのタイトルにその「遺伝子」や血脈が受け継がれてきました。そうした現状をいまり返ってどう感じられているか、そしてこれからを担う若い世代に向けて伝えたいメッセージがあれば、最後にひと言お願いします。

レイナル氏:
若い世代へのメッセージをお話しする前に、まず自分が手がけた『アローン・イン・ザ・ダーク』がどのように受け継がれてきたかについてお話しさせてください。

というのも、いまになってようやく、自分がひとつのジャンルを創り出したという事実を誇らしく思えるようになり、実感が湧いてきました。

──ええっ、「いま」ですか!?

レイナル氏:
ええ、本当の意味で実感できたのはここ数年のことです。

私たちが開発していた1980年代から90年代当時は、当然インターネットも普及しておらず、ユーザーからのフィードバックを得る機会は限られていました。ゲーム雑誌のレビューで点数を確認し、それを見届けたら次の開発に移る……というサイクルの繰り返しだったからです。

『アローン・イン・ザ・ダーク』のリリース後、私は『リトル・ビッグ・アドベンチャー』や『トイ・コマンダー』【※】など、さまざまな作品に携わってきましたが、発売して10年から15年ほどのあいだは、「あの作品のことなど誰も覚えていないのではないか」「もはや話題にする人さえいないのではないか」とすら思っていました。たまに名前が挙がる程度だろう、と。

※『リトル・ビッグ・アドベンチャー』『トイ・コマンダー』
どちらもレイナル氏が手がけた作品。前者は1994年のPC用アクションアドベンチャーゲーム、後者は1999年のドリームキャスト用アクションゲーム。

フレデリック・レイナル×外山圭一郎対談:3Dサバイバルホラーの “遺伝子” は、いかにして生まれ受け継がれたのか?
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(画像は『Alone in the Dark 1』Steamストアページより)

しかし15年ほど前から、『アローン・イン・ザ・ダーク』について詳しく問われる機会が少しずつ増えていきました。世間が「ゲームにも歴史がある」という事実に気づき始め、関心を持ってくれる方々が徐々に広がっていったんです。最初はそのような評価に対して、気恥ずかしさや戸惑いのほうが勝っていました。

私自身、『アローン・イン・ザ・ダーク』によって有名になりたかったわけではありません。先ほどもお話ししたとおり、自分の創作の根源にあるのは、どこまでも「ゲームを通じて人を遊ばせ、楽しませること」というコアな衝動だけだからです。そのため、パイオニアとして神格化されるような位置づけには、少し気恥ずかしさを感じて距離を置いていた部分もありました。

ですがここ数年、ようやく素直に受け入れられるようになってきました。過酷な状況や制約の中で生み出したあの作品が、結果として多くのタイトルや後続のクリエイターたちに多大な影響を与えたのだという事実を、ようやく自分の中で咀嚼し、誇りに思えるようになりました。自分の仕事、クリエイターとしての役割を「しっかりとまっとうできた」のだと、いまなら胸を張って言えます。

フレデリック・レイナル×外山圭一郎対談:3Dサバイバルホラーの “遺伝子” は、いかにして生まれ受け継がれたのか?
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そして、ここからが若い世代に向けたメッセージになりますが、とくにこれからを生きる子どもたちに対して、最近とても強い危機感を抱いていることがあります。私の友人には教育現場で教師を務めている者が何人かいるのですが、彼らから話を聞くと、最近の子どもたちは「自発的に新しいゲームを探し、冒険する気持ち」がどんどん薄れてしまっているというのです。

おそらく、子どもたちの周りの環境や、その環境からのプレッシャーもあって、結局は数えるほどのタイトルしかプレイしていない。たとえば『ロブロックス』や『フォートナイト』だけで遊び、そこに「閉じ込められてしまう」という現象が起きていることを、非常に懸念しています。

──新しいゲームを探しにいかなくなっていることが問題だ、と。

レイナル氏:
だからこそ若い人たちには、つねにあふれんばかりの「好奇心」を持ってほしいです。周囲のトレンドやプレッシャーに流されることなく、みずからの手でまだ見ぬ新しい作品を発見し、自分だけの好奇心を豊かに育み続けていくこと。それこそが、私から贈ることができるアドバイスですね。

──ありがとうございます。では、本日はこれで……。

レイナル氏:
あっ、ちょっと待ってください! 最後に皆さんに見せたいものがあるんです。

(手元のデバイスを示しながら)メガドライブ用のスピナーコントローラー【※】です。いま、実際にこれを制作しているところでして。

※スピナーコントローラー
つまみを回して操作するダイヤル式のコントローラー。パドルを左右に動かすブロックくずしなどに向いている。

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──メガドライブに対して、なにか特別な思い入れやこだわりがおありだったのですか。

レイナル氏:
じつは、少し切ない理由がありまして……。

始まりは2年ほど前のことです。親しい友人からいきなり電話がかかってきて、「メガドライブのプログラミングの本を作りたい。C言語でのメガドライブ開発について、本を書いてもらえないか」と、仕事として執筆を依頼されました。彼からの頼みということもあり「よし、やってみよう」と引き受けることにしたんです。

正直に申し上げると、当時はメガドライブというハードに対して格別の愛着があったわけではありませんでした。もちろん現役時代に遊んでいた記憶はありますが。

プログラミングの解説本を書くにあたって、読者にとってわかりやすい「具体的なサンプルゲーム」があった方が理解が深まるだろうと考えたんです。

そのとき頭に浮かんだのが、1988年に私が初めて手がけた『ポップコーン』という作品でした。メガドライブが発売されたのもちょうど1988年でしたので、時代の整合性も含めてサンプルとして移植するのが最適だろうと思い立ちました。

しかし諸事情があって、最初に依頼してくれた友人が亡くなってしまったんです。非常にショックでした。ですが、彼からの依頼であり、彼へのオマージュとして、「このゲームは最後まで完成させたい」と強く思ったんです。

もともと『ポップコーン』は、画面下のパドル(バー)を左右に素早く移動させてボールを打ち返す、いわゆるブロックくずしゲームです。しかし、メガドライブの標準コントローラー(方向キー)では、こうした繊細な移動操作を快適に行えるデバイスが存在しないことに気づきました。

それならば、「彼のためにコントローラーそのものから自作しよう」と思い立ったわけです。実際にプロトタイプを自作して周囲の人々に遊んでもらったところ、非常に楽しんでもらうことができました。

現在はこのプロジェクトをクラウドファンディングにかけ、製品化までさせたいと考えています。そして無事にゲームとコントローラーを世に出せた暁には、パッケージの上に彼の名前を刻むところまでやり遂げたいと思っています。(了)


3Dサバイバルホラーゲームの始祖でありながら「不器用な作品だった」と控えめに語るレイナル氏と、その偉業に「発明が多すぎる」と敬意を隠さない外山氏。

外山氏が編み出した霧の演出にレイナル氏が称賛を贈る姿は、まさに冒頭で語られた「同じクリエイターという共通言語」を象徴する場面だった。

ふたりが歩んできたのは、ビデオゲームが爆発的な進化を遂げた同じ時代だ。師と仰ぐ者と、期せずして道を照らした者。互いへのあふれる敬意が行き交ったこの対談には、ホラーゲームの歴史とその根底にあるモノづくりの熱量が凝縮されていた。

名作の裏側にあった数々の試行錯誤のプロセスは、3Dサバイバルホラーという偉大な遺伝子の原点を色濃く示しているのではないだろうか。

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副編集長
電ファミニコゲーマー副編集長。元ファミ通.com編集長。1990年代からゲームメディアに所属しており、これまで500人以上のゲーム開発者、業界関係者、著名人インタビューを手がける。1970年代後半からアーケード、PC、コンシューマーゲームにのめり込み、『ウィザードリィ』のワイヤーフレームで深淵を覗き、現在に至る。
Twitter:@Famitsu_Toyoda
編集
幼少期からホラーゲームが好き。RPGは登場人物への感情移入が激しく的外れな考察をしがちで、レベル上げも怠るため終盤に苦しくなるタイプ。自著『デブからの脱却』(KADOKAWA)発売中
Twitter:@MarieYanamoto

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