「サービスイン1ヵ月で200万ユーザー突破!」――そんな景気のいい話で持ちきりのソーシャルゲーム界隈を傍目に、眠っている名作をいま一度現行ハードでプレイできる日を夢見て、コツコツと磨き続ける職人たちがいた。
“移植”の匠集団・エムツーである。
彼らは、結成当初から名作ゲームを他ハードに移植する術に長け、今では「SEGA AGES」シリーズや『ナムコミュージアムDS』、『コナミアーケードコレクション』など、大手老舗メーカーから多くの復刻版開発の依頼を一手に受けている。その移植再現度の高さゆえクライアントからも、そしてユーザーからも信頼が厚い存在だ。
そんな彼らが、新たに独自ブランド「エムツー ショットトリガーズ」を立ち上げ、眠れる名作を再び活かす活動を開始、2017年11月2日にはブランド第3弾『魔法大作戦』【※】をPS4にてリリースした。
ついには自らがパブリッシャーとなって、数々の名作を眠りから覚ますという。これは、オールドゲーマーにとって、とても喜ばしいことである。……とはいえ同じ業界である華やかりしソーシャルゲームのような需要とは縁遠い、地味な事業と言わざるを得ない。だが、それを承知で彼らはクラシックゲームを移植し続けている。
「自分が好きなモノは、きっと他の誰かも好きだから」
聞き手には、同じくエムツーに所属する駒林貴行氏(BEEP秋葉原店・元店長)を迎え、ゲーム愛に満ちた彼らの言葉から、移植仕事人の素顔に迫る。
門外不出? “移植”の技を垣間見る
――エムツーさんって、これまで数々のオールドゲームを現役ハードに移植して復刻しているので、喩えるなら“ゲーム業界における骨董品修復に長けた職人集団”だな、と思っています。そういういわゆる “移植”って、具体的にはどういう工程を経るのでしょうか。
堀井直樹氏(以下、堀井氏):
元になるプログラムがあればそのまま使うんですけど、「わかる人が誰もいないからなんとかして」っていうパターンが多いですね。
元のプログラムといっても、プログラマーが書き記した可読性のある“ソースコード”【※1】と、実際の基板やゲームカセットに乗っている“バイナリー”【※2】という2つの形態があります。バイナリーはそのままでは読めないので、なんとか解析して元のソースコードに戻す作業が発生するんですね。
とはいえ、バイナリーは元の基板やロムカセットなどから引き出せるので、現物があると言えばあるのですが、我々が欲しいソースコードは、管理されていないことがほとんどで……。
※1 ソースコード
人の理解できる言語によって書かれたテキストデータで、CPUに行わせる処理が記述してある。この記述を元にして、バイナリーが生成される。
※2 バイナリー
プログラムコードや、グラフィック、サウンド等に使うデータを、CPUが直接処理することのできる形式にしたもの。数値化されているため、人が直接バイナリーを理解することは難しい。
――そこで、修復家としての匠の技が活きてくるのですね。具体的にはどんなことをするのでしょうか?
堀井氏:
基本的にはバイナリーの解析になりますね。ソースコードが手に入らないときは、バイナリーから1つずつ解析していきます。喩えるなら「古文書を読めるように戻す」という感じでしょうか。
長野敦也氏(以下、長野氏):
基本的には動いているメモリ【※】の中身を直接見るんです。
ゲームを動かしながら別のウィンドウで、メモリの「いま中でこういう風に数字が動いてますよ」という部分を見て、「じゃあこの辺にキャラクターの絵の情報があるな」、「ここには音譜の情報があるな」、という。かなり解析作業は大変なんです。
※メモリ
データの記憶装置のこと。ゲームのプログラムにおいて、数値や画像、音楽などのデータはメモリ内で処理されている。
――まさに古文書解読ですね。いっそのこと目コピ耳コピのほうが早い! みたいなことってあるんでしょうか?
堀井氏:
エムツーの最初の大きな仕事となったメガドライブ【※1】版『ガントレット』【※2】の開発は、まさにそういう方法でした。解析を進めていると、どんどん移植するゲームの情報量が膨大になってきて、「コレ、全部人力で複写するよりも作った方が早いよ」というような感じで……時代ですね。
※1 メガドライブ
1988年にセガ・エンタープライゼス(当時)より発売された16ビットの家庭用ゲーム機。翌年以降にはヨーロッパや南米でも販売開始され、世界での累計売上台数は3000万台を超えているとされる。
長野氏:
そのうえで我々がこだわっているのが、プレイフィーリングです。
堀井氏:
いま移植されているゲームの大半は、元のコードを利用しての移植だと思うのですが、その移植の中でも“タイミング”や “プレイフィーリング”を、なるべく本物に近づけていこうと考えてるんですね。
――元のコードを使っていても変わるものなんですか?
長野氏:
とくにアーケードゲームの移植で苦労するのは、当時はブラウン管にジョイスティック【※】が直結して動いているものだから、家庭用ゲーム機にそれを持ってくると、「操作の遅延」という違和感が出てしまいます。
ところがいまはBluetoothや液晶という、反応速度が遅めのデバイスを使うので、その違和感をどうするのかは、常にスタッフ間で揉みながら作っている感じです。
※ジョイスティック
レバーを上下左右に動かすことで方向入力をするコントローラーのこと。
堀井氏:
ユーザーの皆さんに「反応速度が速いテレビを買って!」と言いたいトコロなんですけど(笑)。
――しかもブラウン管(笑)。
長野氏:
あとは、光過敏【※】の対応にも苦心していますね。
※光過敏
光過敏性発作のこと。連続的な激しい光の点滅などによって、頭痛や吐気等の体調不良を引き起こす症状。日本では、1997年に大規模に発生した「ポケモンショック」の症例が有名。
――ピカピカっと画面が明滅する演出などですね。
長野氏:
当時のアーケードゲームで何も考えないで作られているモノを、いまの大きな画面にそのまま出すと、すごい光りかたをするんですよ。
ですから光で発作を起こす可能性のある方に対しての配慮が必要なので、自分たちの裁量で演出の一部にも手を入れているのですが、そこにかなり時間がかかっちゃいますね。
堀井氏:
とはいえ、そんな技術的な苦労は麻痺するぐらいに経験してきたので、慣れてきてはいるのですが……。
――別の苦労があるんですか?
堀井氏:
いまは“どれだけきちんとした資料が残っているか”とか、“作った人がいまどんなトコロにいてどう話を聞けるのか”とか、あといちばん大きいのは“コンテンツのライツホルダーがどこで、どういう条件ならもう一度世の中に出すことを許可してくれるのか”とか……その辺をクリアするのに、ものすごく苦労していますね。
ゲームの権利の保持をしていても、必ずしもそれをビジネス的に活用するとは限らないという話になったりするんです。我々が復刻を提案しても、「すでにわかる者や担当者がいない。……ゴメンね」って、やんわり断られることは当然あるわけです。
――大企業“あるある”な感じですね。
堀井氏:
たとえばエムツーにいる内藤時浩さん【※1】は、オリジナルの『ハイドライド』【※2】を作り上げた偉大な方です。その内藤さんが続編である『4』をどれだけ作りたがっているかというのは、本人から口にしなくてもよく分かるしね……。
※1 内藤時浩
1963年生まれのゲームデザイナー。T&E SOFTにて『ハイドライド』シリーズ等を手がける。元祖スターゲームプログラマー。
――そんなレジェンドクリエイターがエムツーにいらっしゃるんですね!?
堀井氏:
ただのおっかない筋肉おじさんなんですけどね(笑)。ただ、ホント、規律というか「基本的な社会性を身に着けろ」ってことに関しては、自分の父よりもおっかないぐらい常識のある方です。
匠たちは、オールドゲームを愛して止まなかった
――最初から濃い話で引き込まれましたが、そもそもエムツーさんは、いったいどんな人々の集まりなのでしょうか?
堀井氏:
そもそもボクがこの業界に入ったのは、隣にいるこの男の責任なんです。
長野氏:
そうやっていつも人のせいにして……(笑)。
堀井氏:
僕は小学生の頃に、シャープのX1C【※1】を買って『マッピー』【※2】とかいろいろ遊んでいたほど、もともとゲームが好きだったんですけれど――1989年くらいかな? 高校生くらいのとき、パソコン通信によってほかのゲームファンと交流できるようになると、パソコン通信ができる家がハブになり、そこに様々な方が出入りするようになるんです。
そこでモノや情報が集まってゲーム作りのノウハウが集積されていくわけですが、長野さんの家こそ、そういう場だったんです。
※1 X1C
1983年にシャープX1の後継機として発売されたモデル。シリーズ唯一のキーボード一体型で、別売りだったG-RAMを標準搭載しているうえに、値段も安くなった。
――当時、そういう体験をしたクリエイターは多いかと思います。
堀井氏:
長野さんはその頃、「オレらが作った方が絶対いいモノできるから、ゲームを1本作るか」と言い出し始めて、周りの人たちに「お前は曲を書けるから」とか「お前はコード組めるから」みたいに指示して、あれよあれよという間にシューティングゲームを1本作っちゃうんですよね。
『リボルター』【※】というシューティングゲームで、ゲームのバランスが著しくタルいことを除けば、あの時点では勝算がある作品でした。
※リボルター
1988年に同人サークルA.S.C.Groupより発売された、PC-8801mkIISRシリーズ用のシューティングゲーム。
――貶してます(笑)? それにしても、周りにいる人もすごそうです。
堀井氏:
ええ。概ねプロで活躍するような人たちばかりでした。
で、長野さんが作った同人ソフトがバカ売れして、今度は「サイバーテックカスタム」という会社を作って……という流れがあって、「ゲームだけじゃなくて会社まで作れるんだ!」というのがボクにわかったワケです。で、これは就職なんて考えるよりも……。
長野氏:
そこに飛ぶのはおかしいだろ(笑)! でも、そういう夢があった時代だったよね。
――アメリカンドリームじゃないですけど、2Dの頃は「ゲームで一発当てるぜ!」っていう夢がありましたね。
堀井氏:
延々とゲームをやっていても怒られない環境って、やっぱり「ゲームを仕事にすること」だと思ったんですよ。
長野氏:
それが逆に辛い場合もあるからね。趣味と同じモノを仕事にすると。
堀井氏:
そんなこと、全然考えなかったなぁ。
長野氏:
あの当時は若かったからね、そんなこと考えないよね。オレもそうだったし。実際、やっていて楽しかったし、あのころは。
堀井氏:
体力も無限にあったしね。
――……しみじみしちゃいますね。
気になっているのは、先ほどお話にも出た『ハイドライド』の内藤時浩さんのようなレジェンドクリエイターの皆さんが、ほかにも集まっているというウワサですが、どうして皆さんがエムツーを選んだのかというところ。人々が集まるその魅力ってなんでしょう?
堀井氏:
いやあ……実際、内藤さんとか、『ティンクルスタースプライツ』や『どきどき魔女神判!』を手がけた松下佳靖さんとか、皆さんいらっしゃいますが、皆さんにお訊ねいただければって感じです(笑)。
ただ、エムツーという会社には、“社長がビジネス寄りよりも好きなことを好き放題やっている会社”という印象があるようで、「この会社なら割とやりたいようにやれるんじゃないか」とレジェンドの方々に思われている節はありますね。
たとえば「欲しいな」と思ったネタや機能に関しては、いまでも相当腰を据えて作ることができるので、そういうことができるのはメリットといえばメリットなんじゃないかと思います。たぶん、そこらへんかな……。
――モノ作りをする人にとっては最高の環境なんですね。
名作への熱い想いが、“移植”の実績を積み上げた
――堀井さんがジャパニーズドリームを夢見て立ち上げたエムツーですが、その第一歩は先ほど話に出た、アーケードゲーム『ガントレット』のメガドライブへの移植だったわけですか?
堀井氏:
細々といろいろやっていたんですけれど、最初の大きな仕事はそうですね。
――初の大仕事が“移植”なんですね。宿命でしょうか。
堀井氏:
自分も好きでしたし、エムツーには『ガントレット』を知り尽くした人間がいっぱいいたんです。中には、高校時代は自主休講して10円ゲーセンで『ガントレット』を1日中やる、という生活を繰り返していた人もいます。
――そういったゲームに対して思い入れが強い方が移植に携わるとなると、ゲームに対しての思いが強いからこそ、クオリティの高いモノができるんでしょう。
堀井氏:
そういうことかもしれませんね。やっぱり“好きだから納得のいくところまで”という気持ちがあるからこそ、皆さんから支持をいただけて、いまに至るわけですから。
――それが “移植”の実績にもつながっているんでしょうね。
堀井氏:
最初はセガさんにはじまり、それを知った他社の方がエムツーに連絡をくださって……という流れがありましたね。大きな会社だと、別々の部署から別々のタイトルの依頼を受けることもありました。
――各社の「エムツー詣で」が起こっている!
堀井氏:
いえいえ(笑)。ですが、まだまだ移植されていない名作は多いので、「我々がやらないと!」という責任感はありますね。
たとえば、某社の方から依頼されたとき、「エムツーさんに断られたら他の会社に依頼するからいいよ」とおっしゃられたのですが、「そのデキで堀井くんは納得できるかな」と、言外に含まれているような……。
――そういうとき、どうするんです?
堀井氏:
仕方がないから、ビジネス抜きでやるんです!
――半ば脅迫ですね(笑)。
堀井氏:
大阪に我々と同じような仕事をしていて、私自身リスペクトしている集団「ゴッチテクノロジー」【※】があるんですけれど、あの人たちがやってくれるモノは、ボクは前評判を気にせずに買っています。
※ゴッチテクノロジー
ゲームの移植を専門に扱う下請け会社。X68000やセガの家庭用ハード向けに高度な移植を行っていた職人集団「ゲームのるつぼ」のメンバーによって設立された。
――そうしたメーカーさんだけでなく、オールドゲーマーにとっても、かなりエムツーの名は知れ渡っていますよね、移植の匠として。
堀井氏:
“知っている方は知っている”というところまで来られたみたいで、ホントにありがたいですね。