独立と出版を振り返って
──ここまではゲームシナリオライターとしてのお二人に迫ってきましたが、ここからは少し未来の話をしていこうと思います。
小高氏:
僕は独立して2年ぐらい経ったんですが、やっと立ち位置が分かってきて。まず、大手に媚を売るのはやめました(笑)。やっぱり大手と仕事をすると、どうしても一本に集中しろと言われるし、振り回される。
だから、やりたいことをやる──俺たちはこういうカラーでやっているんだという感じで、極論、人がやらないことをやらなくちゃいけないというのが、やっと分かってきたんです。
一番直近の目標としては、全部の表現・規制を取っ払ったインディーゲームを作ること。それがゴールというかスタートライン。
実際にはやらないですけど、人種差別とかもやっちゃうぐらいの勢いでやって、それで文句言われても「すみません。でも取り下げません」みたいな。
藤澤氏:
トゥーキョーゲームスを傍から見ていると、フリーランス集団に見えるんですが、そこはどうなんですか?
小高氏:
まぁそう見えますよね。基本的には僕が持ってきた仕事をみんなでやるという会社で、それぞれが個々の仕事を受けることはほぼほぼないですね。
とはいえ、今は社員が7人で契約としてもう何人かいるんですが、その全員で1つの作品を作っているわけではないです。それは自分たちがインディーでやりたいと思っていて、その時のために取ってあるんです。
ただ、打越と共作みたいなことはやっていて。僕がプロットを書いて「あとはどうぞ」と。
藤澤氏:
打越さんは打越さんで自分の味を持っていると思うんですけど、プロットをもらってそこから文体をフィニッシングしていく作業って、上手くいくんですか?
小高氏:
上がってきたものに対しては、多少は「ここはこうだよ」と言うこともありますが、基本僕から何かを言うことはしないようにしています。どっちも個性強めなので。
それよりはむしろ、僕の場合はプロットに超常的な出来事やその展開は書くんですけど、そこに対する具体的な議論とか書いてなかったりするので、それをやってくれみたいな。
藤澤氏:
書いてない部分を埋めてくれるってことですか? それめっちゃいいな。一緒に仕事したい(笑)。
小高氏:
ただ、最初に打越が「これは面白い」と思わなきゃやってくれないです。そこはもうお互いにずっと勝負というか。共同でやるというより勝負なんですよ。
藤澤氏:
まず最初に、打越さんを納得させる必要があると(笑)。
ところで、今のメンバーって実力と実績のある方だと思うんですが、新人教育みたいなこともされるんですか?
小高氏:
新人……新人といっても20後半ですけど、『ダンガンロンパ』でサブライターをやっていたやつがいて。
ずっと一緒にやっているんですが……教育……しているのかな?(笑)。厳しいことをただ言っているだけな気がしますね。
藤澤氏:
言葉の暴力(笑)。
小高氏:
言葉の暴力というか(笑)、プロットが上がってきて「つまんない」とか「盛り上がらない」とか、そういうのは言ったりしますね。
だから細かく添削とかはしなくて、僕の場合は正直自分で書いちゃいます。昔はそれで泣いたと言っていましたね……。自分が書いたシナリオと全然違うと。
藤澤氏:
シナリオライターの仕事の本質とは、そういうものですよね。自分の書きたいものなんて書けないし、意に沿わないものでも書けなきゃいけない。そして自分の書いたものは容赦なく修正される。
シナリオライターは作家じゃないから、作家性なんてものは存在しないということを最初に理解してもらわなくちゃならない。
自分も一緒に働く人には必ず最初にこのことを説明するんですが、その場では「分かりました」と言っても、実際にその時が来ると傷ついてしまう人もいる。
小高氏:
でも、ゲームにおけるシナリオライターを職業としてちゃんと成立させていくためには、先ほど藤澤さんが言われていたやり方を浸透させていったほうがどんどん人は増えるし、そこから煌めく才能も出てくるんだろうなと思いましたね。
今までは、そういうのがなかったから、なろうとかラノベとかそっちに行ってしまった人もきっと多いわけで。結局ゲームの人材不足って、そういうところから来ていると思うんですよね。
逆にソーシャルゲームの会社って、シナリオライターいっぱいいるじゃないですか。それはきっと、藤澤さんと似た方法でやっているからだと思うんですよ。
藤澤氏:
僕も聞く限りですけど、スクラム式でやっている会社もあるようです。何度も言いますが、日本人は作家主義的な考え方が根付いていて、例えば邦画の脚本家って大体一人じゃないですか。
僕からしたら「え、一人?」って思うんですけど、大勢で物語を作ることを良しとしない風潮がある。最近はそういうのがやっと取り払えてきて、邦画でも脚本家が複数人の作品が出てきましたけどね。
だからモノづくりという意味で、スマホのゲームのような、個人の作家性に依存することにリスクがあると理解している人たちは、グループで作ることをちゃんとやっているのかなと感じますね。
小高氏:
そういうところのトップになって部下を引き連れたかった人生です(笑)。
── 一方で藤澤さんも小高さんと同じように独立され、さらには小説も出されましたよね。
小高氏:
これ本当に昔に書いたんですか? 全然直してない?
藤澤氏:
『夏の呼吸』は、ほとんど直してないですね。あからさまに変だったところは多少直しましたが、それぐらいです。
小高氏:
いくつぐらいの時に書いたんですか?
藤澤氏:
二十歳です。
小高氏:
二十歳!? いや、というのもめちゃめちゃ文章上手いなと思って。
藤澤氏:
ありがとうございます。自分で読み直したときは、ひどい下手くそな文章だなと思ったんですけど(笑)。ただ、なんというか、ずいぶん頑張ってたんだなあっていう感覚はあって。
当時、報酬のないことを一生懸命やっていたことが今の自分の礎になっているし、もしも当時の自分に会えたら、褒めてやりたいなって思います。「お前ようやったな」って(笑)。
小高氏:
あと読んで思ったのが、すごく器用だなと。ゲームシナリオとは全然違うんで。
藤澤氏:
いやいや(笑)。というか、あれを書いた時は、まだゲームシナリオを書いたことがなかったんですよ。
小高氏:
ああ、そうか。そういう視点で見るとなおさら面白いですね。僕からしたら、藤澤さんはゲームの人なので、“ゲームの藤澤さんが書いた小説”って認識なんですけど、でも小説を書いたのは同じ藤澤さんだけど、“ゲームシナリオを書く前の藤澤さん”ってことですもんね。
でも僕が器用だなと思ったのにはほかにも理由があって。というのも、小説ってやっぱ描写なんです。
でもゲームシナリオって描写がなくて。アニメのシナリオもそうですけど、表情って実はト書き──指示なんですよ。「こういう顔にしてくれ」とか「こういう動きにしてくれ」みたいな指示で、それは絵になってやっと完成品になるけど、小説の場合、描写自体が1個の表現であり、それが小説にとって一番の強み。
だから他のジャンルからやって来て、小説でよくやってしまうありがちなパターンが、たとえば「何とかは悲しかった」とそのまま書いちゃうこと。でも藤澤さんの場合は、それがなかった。完全に小説にアジャストしていたんですよ。
藤澤氏:
まあ、そうですね。悲しい時に悲しいって、いかに言わないかみたいな芸が、小説の持ち味ではあります。
小高氏:
だからその表現が小説か否かの分かれ道だと思っていて。だからこの小説はすごいですよ。
藤澤氏:
ありがとうございます。あと今回小説を出版させてもらって改めて思ったんですが、小説って発想から完成までを一人で完結できる数少ないメディアじゃないですか。
そういうものを自分の中で持っておくことが、ゲームシナリオを職業とするうえで精神衛生上とても良いんだなと。
小高氏:
なるほど。それとは少し違うんですが、ゲームを引退したら小説やろうと思っているんですよ。
実は僕も小説を出したことがあるんですが、正直もうやりたくないと思っていて、ぶっちゃけ僕のキャリアの中で1番大変だったんですよ。だけど引退してからならいいかなって。
藤澤氏:
おお、いいじゃないですか。最後に1人でコツコツやれるものが残っているのは、すごくいいですよね。
小高氏:
だから小説という最後の逃げ道があると思って。
にしても、なんでそんな昔に書いた小説が残っていたんですか? タイムカプセルとかで?
藤澤氏:
データとして残っていました。初めて小説を書いた時は手書きだったんですけど、これは効率が悪いなと思って、二十歳の初任給でワープロを買ったんです。
そのデータがそのまま残っていて。実は僕、人生で一度もハードディスクがクラッシュしたことがないんですよ。
小高氏:
ハードディスクの神に愛されていますね(笑)。
──そこからどういった経由で出版されることになったんでしょうか。
藤澤氏:
出版社の方から『予言者育成学園』の書籍化の打診をいただいたんですが、残念ながら諸般の事情によりそれは実現しなかったんです。その時、何か他の道を考えましょうとなり、昔書いたものを読んでもらったところ、「これを出しましょう」となって。
最初は「28年も前の作品なのに?」と思ったんですが、小説って書式が完成しているので、少し手を加えるだけで時代を超えて通用してしまうことに気付いて。これがゲームだと、古いゲームを今そのまま商品とすることは、なかなか現実味がない。
だから、小説って時間を超えてしまえるすごいフォーマットなんだと、とても感動しましたね。
小高氏:
やっぱりテクノロジーに乗っかれば乗っかるほど古くなっていきますからね。だからゲームはどんどん古くなっちゃう。
藤澤氏:
刹那的な芸能というか。
だからこそ“見てもらえる”というのはあると思います。ただ、作り手は、命を懸けて作品を作っているわけじゃないですか。それは漫画でも小説でもゲームでも同じことだと思うんですけど、ゲームは風化していく速度が速い芸能なので、僕は寂しく思いますね。
小高氏:
その刹那さが楽しいというクリエイターもいれば、虚しく感じるクリエイターもいますけど、僕もちょっと寂しいですね。もうちょっと残ってほしい。
藤澤氏:
『ダンガンロンパ』は、そんな中で根強く残っているほうだとは思いますよ。
小高氏:
『ダンガンロンパ』はテクノロジーにそんなに乗っからないゲームだからだと思いますね。
でもこれがアニメだと、例えば『エヴァンゲリオン』はもう20年ぐらい前の作品ですけど、別に今見ても古く感じない。
藤澤氏:
『ルパン三世 カリオストロの城』とかもそうで、ファミコンすら存在しなかった時代の作品ですからね。
今レトロゲームをやるのって、その場の話のネタにはなるけど、真剣に時間を掛けてやり込む対象にならないじゃないですか。
小高氏:
そうですね。だから「あのゲームは面白かった」は思い出補正ですし、そのゲームを今やるというのは、面白いからやるというよりも昔やった楽しい気持ちを思い出しているだけというか。
藤澤氏:
でも、古いアニメ――宮崎駿さんが作った映画は今でも面白いですし、小説も時間を経ても古びることがない。やっぱりゲームというメディアは、宿命的なハンディキャップを背負っているなというのは感じましたね。
ゲームシナリオライターの可能性
──さて、今回の対談では、ゲームシナリオライターの仕事の幅や新しい活躍の場についても伺いたいと思っていまして。これまでにもいろいろと語られてきましたが、ゲームシナリオライターの今後という意味ではいかがでしょうか。
藤澤氏:
メディアミックスへの挑戦、というのはあるんじゃないかと思っています。『妖怪ウォッチ』みたいな子供向けでは成功事例がありますが、ティーンエイジよりも上の人たちをターゲットにして、各メディアの垣根を越えて上手くいった例って、実はあまりないと思うので。
例えばスマホのゲームだと、ある一定以上当たるとアニメ化されますが、そのアニメが流行って新しいユーザーの獲得につながったケースって、ほとんどない。
小高氏:
基本アニメって、群像劇に全然向いてないですよ。でもソシャゲって群像劇じゃないですか。あとやっぱりアニメで大切なのって、どこまで行ってもキャラクターなんですよね。
でもゲームの場合はまたちょっと違って、特に話作りにおいてはもうちょい映画寄りの話を作っている人が多くて。
藤澤氏:
どうなんだろう……アニメで群像って、難しいですかね。
小高氏:
いや、やっぱアニメで群像劇をやると、ついてこれないんですよ。漫画もそうなんですけど、誰の漫画なんだろうって思ってしまう。
後半になれば変わってもいいと思うんですけど、やっぱり最初はルフィだったり、ナルトにカメラが当たるべきだと思います。
藤澤氏:
僕の肌感覚ですけど、ゲームとアニメって同じサブカル領域でも、実はそれぞれファンが被っていないと思っていて。
小高氏:
被ってないと思います。特にコンシューマだと結構違いがあって、だからこそもうちょっとできることがあるんじゃないのかなと。
例えば『ペルソナ4』なんかは大人のメディアミックスという意味では成功していて、あれが巧みだったのは、ゲーム側がキャラクターに乗っけてストーリーを展開していくスタイルだったんですよ。だから無駄なくアニメに変換できた。
藤澤氏:
『ペルソナ4』がアニメ化を前提に作っていたかわからないけど、他の作品でも最初からアニメ化を前提にしたゲームという方向性でスタートすれば、新しいことがやれる余地がまだあるのかもしれないですね。
小高氏:
そういうことを考えられるのが弊社の強みなので、いつかアニメ化前提の企画はやってみたいですね。
──小高さんは『ダンガンロンパ』がアニメ化されていますが、その時はどういったことを感じたんでしょうか。
小高氏:
いろいろあるんですけど、一つ印象深かったのは、ファンから「動いているのが嬉しい」って言われて。そこでああ、なるほどってなったんですよ。
例えば『ペルソナ4』の場合、バトルになると頭身が小さくなるじゃないですか。そういう作品がアニメになって動くと、ちょっと嬉しいんですよ。
藤澤氏:
「実際にはこういう感じで戦っているんだ」みたいなね。
小高氏:
そうなんですよ。ただそれゆえに、『ペルソナ5』のアニメは「う~ん」と思っちゃって。
藤澤氏:
ゲームのほうが頭身高いんですよね。
小高氏:
そうなんですよ。しかもゲーム版『ペルソナ5』の中にもアニメの演出が入るんですけど、正直CGよりクオリティは低い。
藤澤氏:
ああ……。
小高氏:
何が言いたいかというと、話は面白いけどキャラクターは動かないゲームって、アニメ化に向いているんですよ。『Fate』なんかもそうですよね。
藤澤氏:
動かなかったものが動くこと自体に価値がある。
小高氏:
そうなんですよ。Key作品もそうですけど、やっぱちゃんと動いて表情豊かにあの素晴らしい物語をやってくれるのが嬉しい。
逆にアニメにしなくても十分動いて十分感情が豊かなものがアニメ化すると、もうお腹いっぱいになっちゃう。
藤澤氏:
アニメにする必要ないじゃん。ゲームで充分じゃんって。
小高氏:
そうそう。だから今って、昔よりもゲームのアニメ化が難しいのかなって感じますね。だから手法を考えなくちゃダメで、ただ単にゲームをアニメ化だともうキツい。
藤澤氏:
先ほどからさんざん言っているように、ゲームシナリオライターって器用さであったり適応能力が高いので、例えばアニメとゲームという2つのメディアの橋渡し役になれる可能性を持つ唯一の職業だと思うんですよ。
だから、そういうことをできる存在が生まれてきたらいいなと思っています。
──それこそ小高さんとか……
小高氏:
ちょっと違うかもしれないんですけど、実は僕、版権もののゲームを作ったことがあって。『名探偵コナン&金田一少年の事件簿 めぐりあう2人の名探偵』って言うんですけど。マガジンとサンデーの50周年記念作品で、コナンと金田一が出てくるゲームです。
藤澤氏:
メインシナリオライターだったんですか?
小高氏:
そうですね。
藤澤氏:
それって、もっと評価されるべき仕事じゃないですか。
小高氏:
評価されるべきなのかな……。でも死人がめっちゃ多くて、ちょっと話題になったんですよね。
藤澤氏:
ダンガンロンパ級に死ぬやつ?
小高氏:
ダンガンロンパよりもっと死ぬ。すげえ死ぬ。でもCERO Aなんですよ。CERO Aの中でもおそらく1番人が死んでるゲームだと思います。ほんとすげえ死ぬんですよ。
藤澤氏:
統計データを載せてほしいですね(笑)。
──ネットで検索した限りだと14人とか28人とか言われていますね。
小高氏:
そうそう、それぐらいですね。これ、さっきの話じゃないですけど、規制が…本当に規制が多くて……。そもそも推理ゲームなのに、CERO Aなんですよ。血が出せないっていう。
藤澤氏:
人は死ぬのに……。死に方に工夫が必要そうですね。
小高氏:
そうなんですよ。ほんと、CERO Aは死守しろって言われて……それって死んでも守れってことじゃないですか! つまりCERO Bだったら死んだほうがいいってことなんですよ!!
藤澤氏:
そりゃまあ、少年マンガの合同作品ですからね(笑)。
小高氏:
あとこれはネタバレになってしまうんですが、この作品はある島が舞台で、そこにコナンと金田一が行って、なんやかんやいろいろあって、金田一がその島の30年前に行っちゃうと。
で、コナンはそのまま事件を解決していき、金田一は過去30年前の世界で事件を解決してく。でも実は、タイムスリップしてないって落ちで。
藤澤氏:
めっちゃおもしろそう。
小高氏:
それをプロットとして書いて出したときに、講談社さんは『金田一少年の事件簿』にそこまで力を入れてなかったんで、たぶん読まずにまぁいいんじゃないみたいな感じでOKしてくださって。まぁ読んだかもしれないですけど。
でも小学館さんはもうめちゃくちゃ。「コナンでSFはダメです」って言われたんです。
藤澤氏:
ああ、タイムスリップとか。
小高氏:
でもそれで「え?」と思って。いやだって、めちゃめちゃSFじゃないですか! ちっちゃくなるし! って(笑)。
藤澤氏:
そうね(笑)。
小高氏:
「まぁでも違うんですよ。これはタイムスリップしたと見せかけて、でもタイムスリップしてないって落ちなんですよ。だから、ちゃんとミスリードだけなんですよ。」って説明したんですけど、「ミスリードでもタイムスリップとかSFダメです」って言われて!
藤澤氏:
意外とそういうとこ厳しいチェックが入るものですよね。
小高氏:
それで最終的になんやかんやで「直しました」と言って出したらOKもらえて。
藤澤氏:
あ、それ直してないやつだ……。
小高氏:
まぁ直してない(笑)。
藤澤氏:
それはまあ、まれにあるやつですよね(笑)。
小高氏:
時々そういう技術も必要っていう。
藤澤氏:
直してないけど直しました。
小高氏:
だから直属の上司には「直しました! タイムスリップとかそういうのやめました!」と言って提出して。
藤澤氏:
きっと見る方も忙しかったんでしょう…。
小高氏:
そういう隙をついたんですよね。というのも、最初の方なんかはすっごい赤の入れ方で。このペースなら何回もチェックできないなと僕は踏んだんですよ。
そこですごい量のシナリオを印刷して、この量ならきっと添削されるのは2回か3回ぐらいだろうと。
だからちょうどいいころ合いにタイムスリップみたいなSFワードだけを排除して、内容は変えてないものを提出したら無事に通って。
でもこれ、自分でいうのもあれですけど、よくできたストーリーなんですよ。だから僕としては、これは死守しないといけないなと思って。
藤澤氏:
売り上げや評判はどうだったんですか?
小高氏:
これは売上も評判も良かったですね。これのおかげで『ダンガンロンパ』をやれる流れが作れたんで。
──今の話って、アニメや漫画をゲームにするって話じゃないですか。で、それを小高さんは成功させたわけですが、一方で企画がアニメ化を前提としたオリジナルのものだった場合、どういった考え方をされるのか気になります。
小高氏:
そうですね……アニメ化を前提としたオリジナル企画……自分なら、お客さんにどういうルートでどういう体験をさせるのかをまずは決めますね。
実はそこが曖昧な企画って結構あって。ゲームとアニメが同時並行で作られていても、どっちが先にリリースされるのかとか、片方が始まった時にもう片方の物語はどこまで進んでいるのかとか、そういうのって流動的で、作り終わってから決めよう、みたいなパターンが結構あったりして。
そういうスケジュールが見えないと、物語はちょっと作れない。そもそもゲームとアニメで同じ話はやりたくないですし、ちゃんとアニメとゲームが繋がっていて、それでいて違うところに行くみたいなことをやりたいですね。
──それはスケジューリングが大変そうですね。
小高氏:
でもそういうトータルで何を体験させるかが大切なんですよ。それが正解かどうか分からないけど、幸い我々は『ダンガンロンパ』でのノウハウがあるので、それを活かして新しい体験を作ってみたいというか。
ゲームはゲームで作って、アニメはアニメで作って、プロットは一緒でさあどうぞ、というのはいやなんですよね。
──それは従来のメディアミックスとは異なりますね。それこそ『ダンガンロンパ3』がやった仕掛けというか。
小高氏:
そうなんですよ。大人たちはアニメとゲームのどっちからでも入れるようにしたほうがリスクは少ないと言うんですけど、それって結局はアニメもゲームも一緒になっちゃって、メディアミックスをやっている意味はないんじゃないかと。
あと僕の考えでは、ジャンプにおける『ワンピース』とか、コンシューマにおける『ドラクエ』とか、ソーシャルゲームにおける『FGO』みたいな大ヒット作はもう出てこないだろうなと思っていて。
今後はどんどんコアになっていくと思っていて、だから間口広くどうぞというよりは、選ばれし者だけが通れる道にしてもいいんじゃないかなっていう。
──間口は広いべきだけど、濃くあるべきだと思っていて。ヒットしたときに元が濃くないと、味がしなくなるんですよね。
ただ、濃くするのと同時に、誰にどのように届けるかは、ちゃんと設計してあげる必要があるなと。
藤澤氏:
いまってSNS時代で、濃いものに人が集まって、それが共感を呼び、拡散していく世の中ですよね。
小高氏:
もっと濃く濃くしないと届かないし響かない。ストリーミングやサブスプリクションがもっと普及すれば、なおさらですよね。だから大切なのは、その作品でしか味わえない体験をどう作るかなんですよ。
──少し話が変わるかもしれないですけど、ドワンゴでゲーム実況の話を聞いていると、「ツッコめるゲームが良いゲーム」と言うんですよ。面白いとかじゃなくて、クソでもなんでもツッコめれば良い。
そういう視点って、ゲーム実況のようにオーディエンスがある環境だととても大切で、今後は今以上に大切になってくると思うんですよ。
藤澤氏:
ゲームの歴史的に見ると、元々ゲームとプレイヤーという1対1の構図だったわけじゃないですか。これがある時代から他のプレイヤーとも一緒に遊べるようになり、さらにはオンラインになって物理的に近くにいなくても一緒に遊べるようになった。
今は、ここにオーディエンス(観衆)という要素が入ってきたのは革命的な出来事だと思っています。しかも、プレイに対してコメントやデータを送って影響を与えることもできる。
この仕組みがゲームの1要素としてしっかりと組み込まれた時、全く新しいゲームができると思うんですよ。まあ、自分が言うまでもなく、世界中でそういうアイデアを考えていると思いますけど。
ただ、自分は個人的に、サブスクリプションが主流になってしまうのはイヤですね。
小高氏:
そうですね。サブスクは難しいですね。途中で切られちゃうというか。
──ビジネスモデルでゲームの質って規定されちゃうじゃないですか。だからサブスクリプションが前提になっちゃうと、体験の幅ってどうなるんでしょうか。
藤澤氏:
簡単に言うと、ダラダラと長時間遊べるゲームがかなり増えるんだろうと思います。つまり、プレイ時間が長いゲームですね。
だってサブスクリプションなんですから、プレイ時間稼ぎ合戦が始まってしまう。
小高氏:
意外とそこで物語のものが、なんかちょっと活躍できそうな気もしますね。
──Netflixの『ブラック・ミラー: バンダースナッチ』みたいなものはどうですか?
藤澤氏:
もっと物語のリアクション速度がよくなったら、僕とか小高さんが60過ぎてからやれる仕事が増えると思うんですけどね(笑)。
小高氏:
60歳かー。僕的には今すぐやった方がいい気がするんですよね。というのも、今作ることができれば日本におけるカテゴリーファーストになるんですよ。まだどこの会社も出してないですから。
なので、例えば実写を使って1億ぐらいでバッとスピード命で作って、大きい会社入れずにスマホみたいな感じがいいんじゃないですかね。
──そろそろ終わりの時間が迫ってきたのでまとめに入っていこうと思います。アバウトな質問で申し訳ないですが、シナリオには今回話を伺ったようにさまざまなものがありますよね。その中でもゲームシナリオって何だと思いますか?
藤澤氏:
そうですね……これは堀井さんがくれた金言なんですが、ゲームっていうのは物語で人を感動させることに最適化されたメディアじゃないと思うんですよね。
じゃあゲームシナリオって何かというと、いかに遊んでいる人をビックリさせるか、が肝だと思うんですよ。だから堀井さんは「プレイヤーにどういう体験をさせるかということを一番に考えなさい」といつも言っていましたね。
これは小高さんが聞いても、しっくりくると思うんですが。
小高氏:
そうですね。それはほんとそうだと思います。
――堀井さんの教え、いいですね。そういうの、他にもありますか?
藤澤氏:
たくさんありますけど、中でも特によく覚えているのは、「前言撤回することをためらうな」ってやつですね。これには救われました。
「人間なんて、朝と夜じゃ考えていることが違って当たり前だから、本当はとっくに気が変わってるのに、メンツがあるから言えない、みたいなことはするな」と。
朝令暮改っていう言葉はちっともいい意味じゃないけど、それは仕方がないことなんだと堀井さんに言ってもらえたことは、モノづくりをするうえで大きな救いになりましたね。
小高氏:
それは奇遇にも新房昭之さんも同じことを言っていましたよ。
藤澤氏:
そうなんですね。もしかしたら、ある種、成功してる人が共通で持つメソッドなのかもしれない。いやー、本当に、こういうことを教えてもらえる環境にいられたことが、自分の人生の一番幸運なことだったかもしれないですね(笑)。
小高氏:
僕はそういう師匠みたいな人はいなくて全て独学なので、やりたいことをやっていきます!
藤澤氏:
(笑)。
──本日はありがとうございました。(了)
「誰が見ても面白い」という基準をもとに、作家性を排除して複数人でシナリオを磨き上げる藤澤氏と、指名買いされるほどの作家性を有し、ギリギリ一人でディレクション可能な範囲で縦に深いシナリオを作り上げる小高氏。
『ドラゴンクエスト』と『ダンガンロンパ』の作風が対照的であるように、両者の考え方やシナリオの作り方もまた対照的であった。
一方で興味深いことに、ゲームシナリオライターの可能性を探究し、独立してまで“新たな体験”を模索するその姿勢は、両者に共通していることだった。
今回の対談では、ゲームライターの強みから始まり、メディアミックスやサブスプリクションといったビジネスモデルの話まで展開されたが、ゲームシナリオライターにできる──いや、ゲームシナリオライターにしかできないことはまだまだあるのだと、その可能性を大いに感じた。
それを実現するためのストーリーノートであり、トゥーキョーゲームスなのだろう。彼らが作り上げる“新たな体験”がいまから楽しみで仕方がない。
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その違いとは、いったいどんなものだろうか?
今回、このテーマについて語ってもらったのは、ニトロプラスで活躍する実力派シナリオライター・下倉バイオ氏と、KADOKAWA在職時に『灼眼のシャナ』や『とある魔術の禁書目録』など数々の人気ライトノベルシリーズの担当を務めていた編集者・三木一馬氏(現在、編集/エージェント会社「ストレートエッジ」代表)のおふたりだ。