6月26日、『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』(以下、デス・ストランディング2)の発売を記念してイベントが開催された。
本作を制作したゲームクリエイターの小島秀夫監督をはじめ、津田健次郎さん、星野源さん、押井守さん、兎田ぺこらさんらが登壇。YouTube Live ストリーミングで配信されている。
電ファミは、本イベント直前に実施された小島秀夫監督の合同インタビューに参加する機会をいただいた。本稿ではその様子をお届けしていく。
文/柳本マリエ
小島監督にとっての “繋がり過ぎ” とは?
──先日のインタビューで「コロナ禍を経験したことで繋がり過ぎたらダメなのではと思うようになった」とおっしゃっていましたが、小島監督にとってどういうことが “繋がり過ぎ” になるのでしょうか?
小島氏:
“繋がりすぎ” というより、「誘導されたから決める」ということを危険視しています。テクノロジーを否定しているわけではないのですが、たとえばスマホでAIが僕にいろんなものを紹介してくれるじゃないですか。それもちょっと僕としては嫌なんです。
というのも、人間の生活では「偶然」が必要だと思うんです。朝起きて学校に行く、会社に行く、そのときに偶然見つけた喫茶店に入ったり。たまたまだれかと出会ったり。そういうことの連続があって、選択の積み重ねが自分の人生を作っていくと思うんです。
ネットで繋がりすぎて、知らず知らずのうちに誘導されて、決められた生活になってしまうのではという心配があります。
──なるほど。繋がり過ぎている人に『デス・ストランディング2』はどういうメッセージが込められているのでしょうか?
小島氏:
いまさら「ネットなしにしろ」という気持ちはありません。すごく便利なので。コロナ禍もネットがあったからこそ生きながらえたと思います。だたやっぱりネットに依存してしまうのは危険かなと。
便利なテクノロジーを「自分がどう使っていくか」ということが重要だと思っています。僕のなかの答えは今作の最後のほうでキャラクターに言わせているのでぜひそこを聞いてください。
いろんな考え方があっていいと思うので、僕の答えについて考えてほしいです。このテクノロジーを使ってどういう生き方をしていくか、という “選択” ですね。
──小島監督は対面や肉体的な感覚といった、デジタルではないリアルな繋がりの意味を重要に捉えられていると思います。「繋がりすぎてしまった世界」において、人間の身体性がもつ意味を、小島監督はどのように考えていらっしゃいますか?
小島氏:
これも難しい質問ですね。人間は肉体がある以上、個として移動すると思います。それはぜったいに必要だと思っています。たとえば今日もここにお集まりいただくにあたって皆さんは移動をされてきていて。
車かもしれないし、バスかもしれないし、電車かもしれないし、ただの往復だけかもしれないですが、そのあいだにいろんな人と出会ったり、いろんな風景を見ると思います。
メタバースでハワイにも行けるけど、実際に行ったらぜんぜん違うんですよ。まず空港に行って、飛行機に乗って、現地に着いたらそこでしか味わえない匂いや温度感がある。
そういう冒険が自分の人生を彩ると思うので、そこをなくしてはいけないと考えています。答えになっていますかね。すみません。
──今作は、ホログラムではない生身の人間との関係性が強調されているように感じました。これはコロナ禍を経て前作から変化した部分と思われますが、ほかにも意識的に前作から変えた部分をお聞かせください。
小島氏:
今作は、「集団のなかの孤独」を描いています。今回は帰る家があり、そこにいろんな人たちがいて、いわゆる人間関係という厄介なものにサムが出くわします。あまり詳しくは言えないですが、サムが仲間たちのサポートをするようなドラマが展開されるので、そこが前作との違いです。
そういえば、ホログラムの人たちと親密度を上げていくこともできるのでぜひマックスまで上げてみてください。
今作は「マゼラン号」という帰る “家” がある
──前作と今作で反響の違いはありましたか?
小島氏:
それでいうと前作のほうが反響はあったと思います。なぜならこの世に存在しないゲームだったからです。僕のゲームとして期待してくださった人たちが「『メタルギア』じゃないのか」と(笑)。
ありがたいことにこの5年間で多くの方に前作を遊んでいただいたので、今作はこれまでの反響を反映させています。テンポ感やシステムを見直してすぐにアクションできるよう意識しました。とはいえ、『デス・ストランディング』からまったく違うものを作ってはいけないと思っていたので「続編」という範囲内で尖ったことをしようと意識しています。
──前作でできなかったことなど今作で挑戦した点があれば教えてください。
小島氏:
前作はサムがひとりで山を越え川を越え、人に届けていました。すごく孤独だけど自分みたいな人がネットの向こう側にいて、それを共有するというゲームだったんです。今回も新天地に行くときはやっぱりひとりなんですけど、「マゼラン号」という帰る場所があるんですね。
マゼラン号にはどんどんメンバーが増えていき、そこでのいざこざもありますが、絆を深めていく過程をサムが見ることもあります。登場人物の数は前作より増えているのでぜひ注目してください。
──前作を作っている最中に続編のシナリオを書いていたとうかがいました。サムの壮大な物語は早い段階から構想があったのでしょうか?
小島氏:
構想というほどのものではないのですが、サムの「妄想」はしていました。自然と頭のなかで考えていて、1.5とか2を作っていたんです。ただそこでコロナ禍を経て、考えていたアイディアはすべて捨てました。たとえば「サムとフラジャイルが待ち合わせてデートに行く」とか。そういうエンディングを考えたりしていました。これ言っていいのかな? いいか、言っちゃお(笑)
ふたりのデート姿のイラストを描いてもらったりね。そういうことを考えたりもしていたのですが、これはコロナ前の話です。コロナ禍を経験して、そういったところは書き直しています。
ノーマン・リーダスさんの “立っているだけでスター” という魅力を出したい
──今作でサムを再び主役として起用するにあたって、前作から描き方を変えた部分、もしくは変えなかった部分があれば教えてください。
小島氏:
ノーマン・リーダスさんを緻密にしたかったので、新しいテクノロジーを入れました。AIを使って筋肉のシミュレーションをしたり。すごくリアルに描かれていると思います。
──小島監督がノーマンさんに惹かれる点はどのようなところでしょうか? 注目してほしいパフォーマンスはありますか?
小島氏:
“立っているだけでスター” という魅力を出したいと思いました。といっても今回もサムにはいろいろなことが起きるのでけっこう「泣き」のシーンが多いんです。実際にノーマンさんに泣いてもらうのですが、あまりにも泣くシーンが多いので「朝いちから泣かせやがって」と言われることもありました(笑)。それくらい泣くので、ぜひ注目して見てほしいです。
──今作では無口なサムの代弁者のような「ドールマン」が一緒に旅をしますが、このようなかたちとなった理由をお聞かせください。
小島氏:
いくつか理由はあります。まずひとつは、僕がバディものが好きだからです。マゼラン号という帰る場所はあるのですが、呼べない状況もあるのでドールマンと旅をしてもらうことにしました。こういったパートナー的存在はゲームではよくあると思うんです。『ポートピア連続殺人事件』のヤスとか。
プレイヤーの疑問を解決してくれたり、サムの緊張を解いてくれたり、そういう役割をしてもらっています。ただこのさじ加減が非常に難しくて(笑)。
最初は実験でAIボイスを取り入れてあらゆるものに反応するバージョンを作ったのですが、「川がある、深いぞ、気をつけろ」など全部言ってしまうのでうるさいんです。かといって反応を減らすとドールマンの存在を忘れてしまうこともあって。ちょうどよい塩梅を見つけるまで苦労しました。
──インフラが整っていく快感が好きで、今作も国道を建設に勤しんでいましたが、今作ではさらにモノレールの敷設もありました。プレイヤーにどのように楽しんでもらいたいとお考えですか?
小島氏:
いろんなところで言ってますけど、僕はあんまり国道建設をしないんですよ(笑)。人が作ったものを使うっていうスタンスで。
でもデータを見ると国道ばっかり作っている人がいて、そういうことであれば、そういうことが好きな人のために建設物を増やしたいと考えました。モノレールを作ったら大量輸送ができるし、自分も乗れるし、バイクも車も運べるし、とことんお楽しみいただければと思います。
今作は前作の反響を踏まえてゲームのテンポを上げてプレイヤーがすぐにアクションできるようにしています。配達をするゲームなんですけど、あんまりそういうことを考えずに自由に遊んでみてください。
戦闘が苦手な方は遠回りして、戦闘やりたい人はまっすぐ行って、配達だけしたい人や道路だけを作りたい人はそれをずっとやっててもいいので、そのうえでストーリーを味わっていただけたらうれしいです。ぜひ自分に合った遊び方で楽しんでください。