2026年9月22日、23日の2日間、ゲームカルチャーを“祝福”する祭典「The Tenth Mosaic」が東京日仏学院で開催された。国内外のクリエイターを迎えたステージ対談も数多く実施された本イベントのなかでも、ひときわ目を引いたのが、4名のホラーゲームクリエイターによる特別座談会だ。
集まったのは、『サイレントヒル』の外山圭一郎氏、『零』の柴田誠氏、『クロックタワー』の河野一二三氏、そして3Dホラーゲームというジャンルの礎を築いた『アローン・イン・ザ・ダーク』の生みの親、フレデリック・レイナル氏である。

ホラーゲームの制作者たちがその制作哲学について語り合った座談会では、それぞれの持つ独特な感性のみならず、ホラー表現に対する共通した考えも見えてきた。
たとえばレイナル氏が『アローン・イン・ザ・ダーク』で描いたという「想像力を働かせることによる恐怖」。1992年に発売され、世界初の3Dサバイバルホラーとも言われる同作が、技術的制約のなかで生み出した「見えないけど、何かがいるかもしれない」という感覚を刺激するゲームデザインは、時代を下ったほかの3人のゲームにも引き継がれていた。
『サイレントヒル』の深い霧、『零』の目には見えない幽霊、そして『クロックタワー』のハサミの音。これらのホラー表現にも、歴史を超えた思想が息づいていることを知ることができた。
一方で“最も怖いものは何か?”という実にホラーらしい話題では、「霊をよく見る」と言う柴田氏や「現実が最も恐ろしい」と語るレイナル氏など、各々の個性ある恐怖への向き合い方も語られた。人によっては聞くだけでぞっとするような話もあるかもしれない。
ホラーゲームの歴史を作ってきた豪華なクリエイターが集結した、1時間半に及ぶトークセッションレポートをお届けしよう。

取材・文/ホドウ
編集/うきゅう
撮影/Alexander Degiorgio、Kristof Sagna
『アローン・イン・ザ・ダーク』、『サイレントヒル』、『零』、『クロックタワー』。名作ホラーゲームを手掛けたクリエイターたちが一堂に会する、豪華すぎる座談会が開幕
──まずは皆さん、自己紹介と代表作に至るまでの経歴をお聞かせください。
フレデリック・レイナル氏(以下、レイナル氏):
『アローン・イン・ザ・ダーク』を開発した、フレデリック・レイナルです。

レイナル氏:
私がプログラミングを学び始めたのは1980年、「ZX80」というコンピューターでした。その後はZX81、ZX Spectrumと移り、すっかりプログラミングにのめり込みました。
当時はコンピューターを家に持っている人はほとんどいませんでしたが、幸運なことに、父がレンタルビデオ屋とパソコンショップを開いていたおかげで、たくさんのパソコンとホラー映画に出会えました。
私はコンピューターに出会った途端に夢中になり、独学でプログラミングを覚えて、友達に遊んでもらうためのゲームを何年も作っていました。
1988年に友人と作った『Popcorn』というPC用の小さなゲームがきっかけで、翌年にインフォグラムズに入社しました。当時は今のようなプログラマーやグラフィッカーの学校が無かったので、人材を見つけるのも大変だったんですね。
レイナル氏:
入社当初の私はアセンブリ言語を使って、画面表示まわりを担当していました。そして1991年、Atari STの『Le Cube』の移植を手がけました。これは後に『Alpha Waves』として発売され、私が3Dに手を染めるきっかけになった作品です。
私はこの移植を通じて3Dの多くを学びました。『Le Cube』はシンプルでしたが、3Dは極めてよくできていました。それでもまだ「リアル」ではなかったんです。だから「3Dでやれることがあるぞ」と思いました。
そして私は、ロメロの『ゾンビ』以来、ずっとゾンビのゲームを作りたいと思っていました。だから、『アローン・イン・ザ・ダーク』の最初の「種」は、この「3Dのゾンビが作れる!」という思いでした。
レイナル氏:
そこから私は、当時は存在しなかったキャラクターのモデラーとアニメーションツールを、自分で作り始めたのです。
外山氏:
『サイレントヒル』や『SIREN』を作りました、外山です。
僕がコナミに入った頃は、『バイオハザード』がホラーゲームを代表していました。コナミとしても新しいホラーゲームを作りたかったのですが、同じことをやっても太刀打ちできないということはわかっていました。

外山氏:
僕は学生時代に書店でアルバイトをしており、「モダンホラー」というジャンルが密やかに人気だと知っていたんです。その知識を用いて『サイレントヒル』を作り、続いて『SIREN』も、というようにホラーゲームを作っていきました。
柴田氏:
コーエーテクモゲームスの柴田と申します。
私は元々『刻命館』という、人間を罠にかけて倒すゲームを作っていました。
それからPS2が出るときに「表現力が上がって誰も見たことのないホラーゲームができるんじゃないか」と思い至ったんです。

柴田氏:
外山さんが作られた『サイレントヒル』で、「精神的なホラー」をゲームにできる可能性が示されたので、もっと見えないもの・普段は捉えられないものを感じながらアドベンチャーをするホラーゲームを作ろうと考えました。
一番怖いゲームとは何かを考えて、幽霊を撮影しながら古い日本家屋を移動するゲームを作ることにしたんです。それが『零』です。

柴田氏:
つまり『零』は、先行するホラーゲームがいくつもあった上で、「これは確実にできるだろう」という見込みがあって開発に漕ぎ出したという経緯があります。
河野氏:
ヌードメーカー所属の河野一二三と申します。
僕は中学生ぐらいから、楳図かずお先生や古賀新一先生といった日本の漫画家からホラーを吸収していました。
そして、大学卒業後にヒューマンという会社に入りました。そこの企画公募で採用されて制作したのが『クロックタワー』です。

──皆さんがホラーというジャンルに感じる魅力はなんですか? その魅力をゲームに落とし込む手法についてもあわせてお教えください。
レイナル氏:
先ほど言ったように、若いころに多くのホラー映画に触れたのが、ホラーに惹かれたきっかけです。
80年代のゲームはリアルなものは表現できていませんでした。そんな時代に、ホラー映画を観て気に入っていたのがゾンビです。ゾンビはすごくゲーム向きなキャラクターだと思いました。
私は人を殺すゲームが好きではないんですが、ゾンビはもう死んでいるので良心の呵責なく倒せると思ったんです。それに動きが遅いので、3Dのゲームにも落とし込みやすかったというのもあります。
それに、ホラー映画の構造そのものも、とてもゲーム的だと感じていました。
70〜80年代のイタリアのホラー映画は「若者のグループが家や森にやってきて、恐ろしいことが起きて、一人だけが生き延びて脱出し、観客はホッとする」という構造が基本でした。「生き残ればいいゲーム」だったんです。
このように、『アローン・イン・ザ・ダーク』のインスピレーションの源は、「3Dでゲームを作ること」と「ただ生き残るという原則」でした。だからシナリオも初めは「脱出する」だけだったんです。

レイナル氏:
さらに具体的なインスパイア元としては、映画『悪魔の棲む家』のポスターです。ポスターには、はっきり「For God’s sake, get out!」(頼むから、出ていってくれ!)と書いてあります。この「get out」が、シナリオの根幹でした。
冗談のようですが、このたった数語にさまざまな「層」を重ねていって、恐怖の表現を作っていきました。
つまり全ての始まりは、ホラー映画を「ゲーム的」だと感じたところにあったんです。
河野氏:
ホラーゲームは「既存のゲームフォーマットを無視できる」のが強みだと思っています。
一般のゲームだと、主人公は基本的に最強の存在で、敵を倒して生き残ることが当たり前という世界。でもホラーゲームは、その文脈を破壊するところから始まるんです。そこが面白いと思って、制作に取り組みました。
あと、僕も『悪魔の棲む家』が大好きです。特にポスターの、家の窓が目のように光っているのがいいですね。
柴田氏:
私は複雑な経緯でホラーゲームを作ったので、ホラーについて一言で言うのは難しいです。
河野さんが今おっしゃったように、ホラーは「死が近い」ジャンルです。そしてゲームには「ゲームオーバー」があります。なので、死ぬかどうかを感じて楽しむジャンルとして、ゲームとホラーはすごく相性がいいと思います。
実は私は、もともと幽霊とかがたまに見える体質でした。だから、わざわざ映画でまで、怖いものは見たくないと思っていました。
ところが、ホラー映画が大好きな先輩にいろいろと観させられて、そのフォーマットやチープさの楽しさ、ブロックバスター(大作)映画にない「味」に気づいたんです。それがホラーに近づいたきっかけです。
外山氏:
私も、「ホラーは一般的なエンターテインメントとは少し違う文脈にある」と、ずっと感じています。
基本的には「共感することで気持ちよくなる」のがエンターテインメントの基本だと思うんです。でもホラーは、必ずしもそうではない。感情移入した対象が、悲惨な目に遭ったりします。それで普通なら嫌悪感を覚えるはずの話でも、その顛末を知らずにはいられないんですね。
だからホラーは、良くないことが起こった話を共有したい、という人間の本能に根差しているのではないかと考えています。
