マイケル・ジャクソンからじきじきの “ご指名” で対面──そのとき周囲の反応は?
──みなさんは、いのまた先生が仕事をされている場面をご覧になったことはあるのでしょうか?
川村氏:
先生のアトリエで先生が絵を描いているところを見せてもらったことがあるんですけど、1枚の絵がすごく大きいんです。
永野氏:
すげえ、俺は見たことないな。
川村氏:
ああ、そうだよね。男の人は仕事場まで上がっていかないもんね。
永野氏:
そう、一応遠慮はしていたんですよ。1階の『バーチャ』が置いてある部屋と、その隣の仮眠室ではぎゃあぎゃあ騒いでいたけど、2階から上はむっちの寝室もあるから、さすがに男性陣は遠慮していました。
川村氏:
そうそう。
永野氏:
だから僕はむっちの仕事机も見たことがなくて、遺品整理のときに初めて見たんですよ。
橋本氏:
ジャッキーのポスターが張ってあるんだよね。
川村氏:
むっち先生は大きな絵をずっと立ちっぱなしで描くんです。「これ、完成まで立ったまま描くんですか」と聞いたら「そうだよ」って。
そのテンションを保ったまま、体力的にもすごくハードな作業をしてらっしゃるんだと思いました。
──いのまた先生の絵といえば繊細で華やかなタッチが印象的ですが、実際の制作風景はハードな一面もあったわけですね。橋本先生から見て、いのまた先生に対して「すごいな」と思うところはどんなところでしょうか。
橋本氏:
アニメーター上がりだからかもしれないですけど、特に鉛筆で描いたときの線がすごくて。
川村氏:
アニメーターさんって、1発でバシっと描きますもんね。線の強弱も含めて、すごいです。
橋本氏:
あとはやっぱりむっちといえばキャラクターの「瞳」ですかね。瞳の力。
川村氏:
あとは色の選び方も。「これは楽園かな? 天国かな?」と感じるほどで。
もちろんシックな絵も描かれるんですけど、色をたくさん使った絵になると特に「百花繚乱とはこのことか」と思います。これだけの色数をすべて破綻しないで描けるのはすごいなって思いました。
橋本氏:
あと、言葉選びが難しいのですが、ゲスなことが嫌いな人でした。人間として「これはどうなの」と感じることは大嫌いだったんです。
──信条にもとることはしないタイプというか。
川村氏:
高潔なんですよね。
橋本氏:
そう、言い方が難しいけど、高潔。
川村氏:
あと、先生はオペラがすごく好きだったんですよ。以前、先生が選曲したオペラ曲のアルバムをいただいたことがあるんです。「この曲を選ばれるんだ!」という選曲ばかりで、とてもセンスがよかったです。
アルバムのジャケットに描かれている『サムソンとデリラ』【※1】もすごく素敵で。私はオペラを数回しか見たことがないんですけど、「このサムソンが出てくるなら私も劇場に通い詰める!」と感じるほど、それくらい素敵な絵を描かれていたんです。
橋本氏:
ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』【※2】が好きだったんですよ。感動的だからなのかな。
※1『サムソンとデリラ』
カミーユ・サン=サーンスによる、旧約聖書の物語を題材にしたオペラ。
※2『トリスタンとイゾルデ』
中世を舞台にする恋愛物語を元にした、リヒャルト・ワーグナーのオペラ。
川村氏:
本当にセンスがよかったですね。
──いのまた先生といえば、『宇宙皇子』【※】の画集を見たマイケル・ジャクソンが先生のイラストを気に入り、『月刊ニュータイプ』の誌面上で対面を果たしたということがありましたよね。周囲のみなさんは当時どう受け止められていらしたのでしょう。
※『宇宙皇子』
藤川桂介氏によるライトノベル。いのまた氏は挿絵やカバーを担当。
永野氏:
それに関しては、もはや呆れましたけどね(笑)。
一同:
(笑)。
川村氏:
「これ、本当に!?」という感じでした。むっち先生がマイケルと一緒に写真に写っているのを見て、「これは私の妄想じゃないよね!?」と思いました(笑)。
なんでも、『宇宙皇子』のイラストを見たマイケルが「これは僕だ」みたいなことを言ったそうですよね。
橋本氏:
マイケルから「僕をこういう風に描いて」と頼まれて、イラストを描いていましたよね。
永野氏:
じつはこの話には前置きがありまして。それよりも前、マイケルが初来日したときに、客席の最前列にいた女の子をステージに上げてハグしたことがあり、それがニュースになったんですよ。その女の子というのが声優の富沢美智恵【※】でした。
※富沢美智恵
1961年生まれの声優。マイケル・ジャクソンの大ファンで、代表作に『美少女戦士セーラームーン』の火野レイ役など。
──へええ、そんなことがあったんですか。富沢さんと永野さんはお知り合いだったのでしょうか。
永野氏:
そう。知り合いがマイケルにハグされて驚いていたら、次はむっちがマイケルと一緒に写真に写っていたわけ。だから「このマイケル・ジャクソンという人はなにを考えてるんだ」と思いましたよ(笑)。
川村氏:
本当にびっくりしましたよね。
そういえば、10年以上経ってから伊豆に旅行に行ったんですけど、たまたま入ったレストランにマイケルが訪れたことがあったらしくて。そこに、マイケルのサインが入ったむっち先生のイラストが飾ってあったんですよ。確か。
橋本氏:
えっ、なんで伊豆に……?
川村氏:
だいぶ昔のことだから、よく覚えていないんですけど。でも「もう日本中の人たちが知っている出来事だったんだ」と感じました。
──それだけ話題になった出来事だったということですね。
橋本氏:
マイケル・ジャクソンが主人公のゲームもありましたよね。
川村氏:
あったあった。
──『マイケル・ジャクソンズ ムーンウォーカー』ですね。ゲーム好きだったマイケル本人が監修した作品です。
橋本氏:
そうそう。むっちゃんはそのゲームも熱心に遊んでいましたよ。すぐ死んじゃうから「くそ~!」とか言いながら(笑)。
一同:
(笑)。
──川村さんは、いのまた先生のイラストで「これが特にお気に入り」という作品はあるのでしょうか?
川村氏:
わたしは先生の作品だと『風の大陸』【※】の月の絵が好きなんです。ものすごく立体的な絵を描いてらして、展覧会の会場で見たときにとても神々しく感じました。思わずその場でボロボロと泣いてしまって……。
そうしたら「もらい泣きしたよ〜」と、むっち先生が隣に来て(笑)。
一同:
(笑)。
※『風の大陸』
竹河聖氏によるファンタジー小説。いのまた氏がイラストを担当。

永野氏:
自分の絵で泣いてんのかよ(笑)。
川村氏:
いやいや、私が泣いているのを見てね。そうやって、ふたりでオイオイ泣いたり、そういう熱いところもありました。
永野氏:
いのまたと川村のやりとりをハタから見ていると、もう漫才なんですよ(笑)。
だいぶ前のことですけど、川村が夜中に泣きながら電話をしていたことがあって、相手はやっぱりむっちなんです。なにを話していたと思います?
「なんでふたりして泣いてるんだよ」と聞いてみたら「家の中が片付かない」っていう話題だったんですよ。
一同:
(笑)。
川村氏:
やめて、やめて(笑)。
永野氏:
むっちが「おいら、もうこの家に火をつけたいよ」って言ってんの(笑)。ね、完全に漫才でしょ。
川村氏:
む、むっち先生は他者に共感をしてくださる方だったんです!!
橋本氏:
でもそれは全員に対してじゃないと思う。相手が万梨阿さんだからだよ。
川村氏:
えーっ、嬉しい。
──おふたりの間には、なにか共通する感情の波のようなものがあったんでしょうね。
川村氏:
仕事でなにもかも疲れ果てていて「家が片付かない、もうおしまいだ」と思っていたんですけど、そのときなぜかむっち先生と電話をしていて。
「先生、家が片付きません」「おいらもだよ〜」と話をしているうちに、電話の向こうで泣いている声がするものだから、私も号泣してしまったんです。
永野氏:
なんでだよ!
川村氏:
「私なんかこの世にいない方がいいんだね」「おいらも家に火をつけたい」とか、どんどん話が飛躍してしまって(笑)。ふたりでわんわん泣いて、それで最後はスッキリするという。
永野氏:
おかしいでしょ。なんでその話題で号泣するかな(笑)。
川村氏:
でも、巨匠のいのまた先生とそんな風に電話をし合える関係だったというのは本当に嬉しかったです。
永野氏:
いつもふたりで電話して泣いていたじゃん。別の話題でもそんなことがあったよね?
川村氏:
ああ、それは『王家の紋章』の話ですね(笑)。
橋本氏:
むっちゃんが落ち込んでいると、万梨阿さんが「『王家の紋章』の真似をしに行きます!」と言ってくれるんですよ(笑)。
川村氏:
「アリの役、得意です」とか言ってね。それで本当に「アイシスさま、おいたわしい……」みたいなことをやっていました(笑)。
一同:
(笑)。
『ブレンパワード』制作裏話・自分が好きで買った服をイラストに落とし込んでいく
──いのまた先生はファッションもお好きだったそうですね。
橋本氏:
そうそう。むっちゃんは『ブレンパワード』に携わる少し前から、万梨阿さんとふたりでお洋服を見に行くのが大好きだったんです。
『ブレンパワード』のキャラクターが着ている衣装なんかも、当時購入していた服のデザインを取り入れているんですよ。
──へええ、実在のモデルが存在する衣装もあったわけですか!
川村氏:
ホコモモラ【※】のウレタンコートを買ったんですが、それが『ブレンパワード』のヒロインである宇都宮 比瑪(うつみや ひめ)ちゃんのスーツになったんですよね。

※ホコモモラ
スペインのデザイナー・シビラがプロデュースするファッションブランド。
永野氏:
『ブレンパワード』はキャラクターデザインをむっちが担当したんですが、富野さんに「戦闘スーツだけは永野がやれ」と言われていたんです。
なので、戦闘服のデザインに関しては富野さんより先にいのまたにファックスで送り、「かわいい、いいと思うよ」「じゃあこれで仕上げちゃうね」というやりとりをしました。
お互いの仕事には干渉しないと言いましたが、一緒にやったことと言えば本当にそれくらいですかね。
川村氏:
バーゲンにもよく行きましたね。私はSFアニメへのキャスティングが多くて、関連するイベントへの出演も多かったんです。それに合うような少しエキセントリックなデザインの服って、なかなか買う人がいないから安く買えるんです。
永野氏:
そうそう、それでこいつらが「これクリスに似合うと思う」と言って買ってきたのが、ひざ下まであるヘビ皮のロングコートだったんですよ。「なにがクリスに似合うだ、ふざけんなバカ野郎!」って(笑)。
一同:
(笑)。
川村氏:
えーっ、だってまだ音楽ライブとかにも出ていたころだったから、大丈夫かと思って。3人で「この強烈なデザインでこの値段だから買いましょうよ!」と盛り上がっていました(笑)。
永野氏:
そのほかにも、ブルーのラメがついたスーツとかさ。それを着るのは演歌歌手か、吉本新喜劇の漫才師しかいないだろ!
橋本氏:
あとは「永野護」とかね(笑)。
川村氏:
当時はジャン=ポール・ゴルチエのショーで使ったアヴァンギャルドなデザインの服とかもけっこう出回っていたんですよね。たぶん、むっち先生の家にはヘンテコな洋服がたくさん眠っていると思います。
橋本氏:
いっぱいありますよ。
川村氏:
ファッションがすごくお好きでしたからね。ゴルチエ、ドルチェ&ガッバーナ、シャネルなど、最先端のものをたくさん買ってらして、そういうものをイラストに反映させるんです。
橋本氏:
『テイルズ オブ デスティニー2』のリアラちゃんが着ているような服も、実際にあるんです。
──「絵の資料のために服を買う」というよりは「自分が好きで買った服がイラストに落とし込まれていく」といった感じなのでしょうか?
橋本氏:
そうそう。
川村氏:
「これかわいい!」と言って即決で買われるんです。両手にてんこもりの服を持って帰ってくることもしょっちゅうでした。
橋本氏:
お洋服ブームが去ったあとは、『ロックマン』ブームでした。『ロックマン』のカードが段ボール4箱くらいにファイルしてあって、いまも片付けをしていると「また『ロックマン』がある……」と。自分で勝手に作った設定資料集なんかもあったりして(笑)。
──へええ、そういった二次創作のようなものも作られていたのですね。
橋本氏:
『沙羅曼蛇』というゲームがあったじゃないですか。むっちはあのゲームにも没頭していたんです。あのゲームがアニメになったとき、美樹本さんがキャラクターデザインを担当されていたと思うんですけど、「ゲームにはいるのにアニメには出てこないキャラクター」がいたんですよ。
「なんで出てこないんだろうね」などと言っていたら、むっちゃんが勝手に創作したキャラクターだったということがあって(笑)。
──ゲームにのめり込みすぎて、原作と脳内の区別がつかなくなっていたという(笑)。
橋本氏:
美樹本さんに「ミッキー、どうしてこのキャラクターは描かないの」と聞いたら「そんなキャラクター知らないよ」と言われました(笑)。
一同:
(笑)。
永野氏:
むっちの追悼企画のはずなのに、あいつがどれだけダメ女だったかを暴露する会になってる(笑)。
川村氏:
なんということを!(笑)。
永野氏:
むっちってある意味「サブカルクイーン」だよね。これだけひどいやつってほかにいるのかな。
川村氏:
でも、いくつ脳があるんだろうというくらい、いろいろなものに精通されていましたよね。
橋本氏:
きっと、おもしろいものならなんでも好きなんですよ。
川村氏:
『王家の紋章』とかね。我々の年代って『王家の紋章』が好きな人が多いんですけど、先生は特にお好きだったんです。私が電話で「先生、またキャロルが攫われましたよ!」と教えると「おいらも新刊買う!」みたいな(笑)。
永野氏:
『王家の紋章』に反応するかどうかで、そいつのオタク度合いが測れるよね。当時はオタクを自認しているやつでも、『王家の紋章』を知らなかったら偽物扱いされていた。
橋本氏:
『鎌倉ものがたり』【※】も好きで、『鎌倉ものがたり』ふうに描いた『テイルズ オブ』シリーズのキャラクターのイラストもあったりして……(笑)。
一同:
(笑)。
※鎌倉ものがたり
西岸良平による漫画作品。鎌倉を舞台に、推理作家の主人公とその妻が繰り広げるミステリー&ファンタジー。
川村氏:
そういえばご自宅の照明も自分で装飾されているんですよね。
橋本氏:
うん。自分でシャンデリアを作ってるんですよ。
──えっ……シャンデリアを……?
橋本氏:
いろいろなグッズを集めて、ツタを絡めたり、蝶々やお花をくっつけたりして飾って、そういうのを3つくらい作っているんです。
あとはデコパージュ【※】にもハマっていて、材料に紙ナプキンを使うんですよ。あるとき、メルカリから大きな箱が届いたから、「これなあに」と聞いたら、買い集めた大量の素材で。そんなのばっかり(笑)。
※デコパージュ
柄のついた紙ナプキンなど、イラストが印刷された紙を無地の日用品などに張り付けて装飾する手芸のこと。
──本当に、ハマるととことん深くまで突き詰める方だったんですね。
川村氏:
手芸もお好きでしたよね。バーゲンで買ったお洋服のサイズがちょっと合わなかったときも「自分で直すからいいんだよ~」と言って。
橋本氏:
編み物だけが苦手だったけど、手芸は好きでしたね。
──こちらの指輪も先生のデザインなんですよね?
橋本氏:
うん、むっちゃんのデザインです。大きいのが作りたかったんですよ。
いのまた氏の高校時代は? 親友・橋本氏との出会いは美術部
──いのまた先生は、特定のジャンルのお仕事のときにテンション高く臨まれるようなことはあったのでしょうか? たとえば、ゲームのお仕事の場合は気分が上がったり。
橋本氏:
とくにそんなことはなくて、満遍なくですね。ただ、『テイルズ オブ イノセンス』の依頼があったとき、仕事がたくさん重なっていたのでお断りをしないといけない状況だったんです。でも、主人公のルカ役の声優・木村亜希子さんが、アニメでロックマン役をやっていたと聞いて「じゃあやる!」と引き受けていました(笑)。

──「女性を描くほうが好き」だったり、あるいは逆に「男性を描くほうが好き」といった好みもなく、オールマイティな感じだったのでしょうか。
橋本氏:
筋肉もかわいいものも好きで、なんでも好きだと思います。
永野氏:
極端な話、アニメーターの仕事って自分のタイプではないキャラクターもメカもひたすら描かなければならなくて。そこから作画監督やキャラクターデザインを担当するようになったわけだから、それまでの蓄積がすごいんだと思います。そりゃなんでも描けるわけだ。
──先生はゲーム以外にも、アニメや映画もかなり観られていたのでしょうか?
橋本氏:
けっこう観てますよ。最近では「『ウマ娘』がおもしろい」と言っていました。
川村氏:
私がむっち先生をすごいと思ったのは、先生のお宅に行ったとき直木賞を受賞した小説が置いてあったんです。「どんな作品でした?」と手に取って開いたら、ほぼすべてのページの余白に先生の絵が描いてありました。
「どんどん描けちゃうんだよ〜」とおっしゃっていて「文章を読んでも頭の中ですべて視覚化されているんだ」とびっくりしました。
──すごい……。小説を読んで浮かんだ情景を、つぎつぎその余白部分に描かれていったわけですか。
永野氏:
でもそれって、絵描きにとっては当然かもしれません。
僕とむっちが好きな漫画家で、花輪和一先生【※】という方がいるのですが、彼は銃刀法違反で刑務所に収監されていたことがあるんです。
出所後に、獄中での経験を描いた『刑務所の中』という漫画を出すのですが、鉄格子のボルトの数から、ネジの大きさまですべて克明に描かれているんですよ。刑務所のなかはもちろん撮影禁止ですが、カメラも不要なくらい鮮明に、刑務所の風景を記憶している。絵描きはそういうものなんですよね。
※花輪和一
1947年生まれのイラストレーター、漫画家。ガンマニアとして知られる。1995年に銃砲刀剣類不法所持と火薬類取締法違反で実刑判決を受け服役。出所後、自らの獄中体験をエッセイ漫画『刑務所の中』に残している。崔洋一監督によって映画化もされた。
橋本氏:
私とむっちゃんは花輪先生の大ファンで、『ジュネ』という雑誌の編集部に頼み込んで花輪先生のお宅に遊びに行かせてもらったことがあるんです。「これをあげるよ」と言われて、数枚の絵をいただきました。
──いのまた先生は、高校時代からマキプロダクションでアニメのお仕事をされていたんですよね。
橋本氏:
彩色のアルバイトをしていました。でも当時、1枚塗ってもらえるお金ってすごく安かったんです。
永野氏:
めちゃくちゃ安いね。さっき「ひと月1200枚で一人前」と言いましたけど、元請けが1枚100円で出しても、下請けに来るころには60円になってしまう。それを1200枚描いたところで、月給にすると6、7万円でしたから。
──それって、1枚がどれだけ精密なものでも、おおざっぱなシーンであっても同じ金額なのでしょうか。
永野氏:
それに関しては、たとえばいちばん大変なところだと「メカ動画」があるじゃないですか。メカ動画を担当した人は、そのあとしばらく目や口がパチパチするだけのカットを請けるんです。そうしたシーンなら一瞬で描けますから、そういうバランスの取り方をしていましたね。
──なるほど。単価は一緒だけど、複雑なカットのあとは簡単なカットを回してもらっていたと。
永野氏:
でも、なかには「メカだけやりたい」という奇特な人もいて、そういう人が大抵有名になるんですよ。仲くんとか大張くんですね。むっちもそんなようなことを全部やっていたと思う。
──ちなみに、高校時代のいのまた先生はどんな方だったんでしょうか?
橋本氏:
普通に、絵が好きなおもしろい人でした(笑)。高校生のころから川崎に行って仕事をもらったりしていたくらいですから。
そういえば当時、原付で山道を走っていたときに、ガソリンがなくなってしまったことがあったんです。困っていたら暴走族が来て「俺たちがガソリンを取ってきてやるよ」と言われたんですけど、私は「暴走族、怖いじゃん」と思っていたのに対して、むっちゃんはまったく物怖じせずに落ち着いていました。
──当時から物怖じしないタイプだったんですね。
橋本氏:
そうそう。そのあとお巡りさんが来て、それを見た暴走族は逃げていったんですけど。
永野氏:
当時の女子高生って、とんでもなく行動力があったよね。とんでもないパワーでアニメ業界を盛り上げてくれたじゃん。
いまこんな話をしても「嘘つけ」と言われるかもしれませんが、ファンクラブを作ったり、アニメスタジオに突撃して出待ちをするのってみんな女子高生だった。
──失礼ながら、いまの感覚だと声優さんはともかく、作画スタッフの方にそうした高校生のファンがつくことは想像しづらいですよね。
橋本氏:
私も杉野さんのところに行って、絵を描いてもらった。
永野氏:
そうそう。当時東京ムービーでコンビを組んでいた杉野さんと出﨑さん【※1】のところにも、絶えず女子高生のファンが来ていたのも有名な話ですよね。
サンライズだと、『コン・バトラーV』『ボルテスV』のキャラクターデザインをやった金山さん【※2】も『重戦機エルガイム』のとき女性ファンがよくスタジオに来ていて、「すげー」とか思ってました。
本当に、学生服のまま訪れているような感じで、とにかくパワーがすごかった。
※1 杉野昭夫、出﨑統
アニメーター、アニメ監督。『あしたのジョー』『エースをねらえ!』など、複数のアニメ作品でタッグを組んだ。
※2 金山明博
アニメーター、キャラクターデザイナー。『超電磁ロボ コン・バトラーV』『超電磁マシーン ボルテスV』『闘将ダイモス』などでキャラクターデザインや作画監督を務めた。
──いのまた先生は、高校生のころから絵はお上手だったのでしょうか?
橋本氏:
上手かったです。アトリエに通っていたので、油絵とかも描いていたんですよ。むっちとは美術部で一緒だったのですが、彼女の絵を見て「絶対にこの人と友だちになりたい」と思いました。
──へええ、絵を見ただけでそう思わせるほどの力があったと。絵柄なども当時から変わらず、昨今の先生のような画風だったのでしょうか。
橋本氏:
当時の絵柄だと……。なんだろう、『巨人の星』寄りかな(笑)。
一同:
(笑)。
──いのまた先生のイメージといえば「細さ」だったり「柔らかさ」のような印象ですが、当時はけっこう太めの感じだったのですか。
橋本氏:
『宇宙戦艦ヤマト』が好きだったから。デスラー総統のイメージがありますね(笑)。
永野氏:
あの時代の女子高生が好きだったのって、まかり間違っても少女漫画の系統ではないんですよ。ごついおっさんとか男のキャラクターとか、そういうのばかり描いてました。
川村氏:
『ポーの一族』【※】も描いたんじゃないの。
橋本氏:
うん、『ポーの一族』も描いてます。
※『ポーの一族』
萩尾望都による漫画作品。永遠の時を生きる吸血鬼の一族を描いた物語。
永野氏:
ああいった人たちって、自分の趣味に合う絵を描いているんじゃなくて、「絵としておもしろいもの」を描く姿勢なんですよ。そういった資質がないと、アニメーターにはなれませんから。
──アニメーターはメカでも人でも、なんでも描くお仕事だとおっしゃっていましたね。
永野氏:
反対に「自分の理想の絵を描きたい」という人はアニメーターには向いていないですね。
一周忌を経て、いのまた氏との思い出を振り返る
──ちなみに、細かいところになってしまいますが、いのまた先生の一人称は「おいら」ですか?
永野氏:
そうですね。「おいら」です。
──永野さんはいのまた先生を「むっち」と呼ばれてらっしゃいますが、同年代の方はみなさんその愛称で呼ばれているんでしょうか?
永野氏:
80年代から一緒に仕事をやっていたような人たちはそうですけど、それ以外の人たちは「いのまた先生」とか「いのまたさん」ですよね。
アニメ業界って、立場的な上下関係はなくても、1年2年の差がすごく大きいんです。それくらいでも離れた人だったら永久に「さん」付けになりますね。
──いのまた先生が永野さんを「クリス」と呼ぶようになったのも、最初からなのでしょうか。
永野氏:
そうですね。もしかしたらいちばん最初は「永野さん」と呼んでいたかもしれませんが、その次に会ったくらいから「クリス」と「むっち」でした。
──先生は口癖であったり、そういったものはおありだったのでしょうか。
川村氏:
先生は語尾を伸ばすクセがおありでしたよね。「万梨阿さ~ん、聞いてくれよーう」といった感じで、ちょっと語尾を伸ばす独特の甘い声が耳に残っています。
橋本氏:
「ねこ言葉」も使っていましたね。「にゃあにゃあ!」と怒っていました。
──いのまた先生は、猫もお好きだったとうかがいました。猫に関するエッセイ漫画も描かれていますよね。
川村氏:
そうですね、むっち先生の家に行くと、いつも猫ちゃんがいました。だから先生の家には猫とゲームとおいしいもの、「これさえあれば生きていける!」というものが揃っていたんです。帰りたくなくなっちゃう。
永野氏:
『バーチャ』の筐体があった隣の部屋に、俺らが寝るための万年床が敷いてあってさ。めちゃくちゃだよね、あいつの家をなんだと思ってたんだろう(笑)。
川村氏:
先生のお宅の猫さんたちはすごく賢くて、ぜったいに我々の邪魔をしないんですよ。でも、遊び疲れてそのへんに座り込んでいると、寄り添ってきてくれるんです。
橋本氏:
ハチワレの「クロちゃん」は特に頭がよかったですよね。
川村氏:
クロちゃんは、先生のイラストにもけっこう登場しますよね。
橋本氏:
「MIA」というむっちの新しい画集にも猫のイラストがすごくたくさん入っているんですよ。

──お話を聞いている感じでは、先生はおおらかで、穏やかにされていることが多かったような印象です。
永野氏:
い、いや……(笑)。
橋本氏:
うん、怒りっぽいところもあったね(笑)。
永野氏:
そこは作家ですからね。
川村氏:
なるほど。私の前ではまったくそんなことはなかったです。
永野氏:
あんたとむっちは変なシンパシーがあったから(笑)。
川村氏:
常に大笑いして、かと思えばガーガー泣いたりして。情緒がジェットコースターみたいになっていました(笑)。
永野氏:
もちろんお互いリスペクトはしているんだろうけど、むっちがしょっちゅう泣きついたりしていたよね。
川村氏:
たぶん、私が作家じゃないからだと思う。ぶつかる要素がひとつもないし、会話の題材も「『王家の紋章』が……」とか「諸星大二郎先生の新作が……」とかだから(笑)。
永野氏:
趣味が合ってるんだ。
橋本氏:
諸星先生の漫画のなかでは、特にコドワ【※】が好きだったの。コドワとか、『ゼルダの伝説』シリーズのリンクとか、ひとりで一生懸命やっている孤高の人みたいなタイプが好きだったね。だから歩荷になって、山に行きたかったのかも。
※コドワ
諸星大二郎氏の漫画『マッドメン』に登場するキャラクター。パプアニューギニアの少数民族出身でありながら、現代日本の文明にも精通しているという、特殊な立ち位置の人物として描かれる。
川村氏:
でも、先生は高所恐怖症なんですよね(笑)。
橋本氏:
そうそう(笑)。高いところにある駐車場に行ったら「ダメだ、ここですら怖い」って。
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』って空を飛べるじゃないですか。あれも「怖いよ~」と言いながらやってました。雪山をちょっと歩くだけで死んじゃって。

──残念ながら、そろそろお時間が近づいてきました。最後に本日の感想や、いのまた先生との思い出を振り返ってひと言いただければと思います。
川村氏:
あっ。では、締めは橋本先生で。
永野氏:
我々もむっちとは親しかったけど、橋本先生は桁違いだから。ほとんど一緒に暮らしていたようなものでしょう。
橋本氏:
一緒には住んでいないけどね。
川村氏:
でも、ソウルメイトと言っていいくらいのご関係でしたから。
──では、永野先生からお願いします。
永野氏:
うーん、あんまりこうした話をするのは嫌なんですが……。
今日はバカな話ばかりしてきましたけど、話した以上にもっと、いろいろなことがありました。ここでは言えないようなこともたくさんあるくらい、我々は近かった。
僕ですらそうなんだから、橋本先生はなおさらです。だから、「過去形では言いたくない」というのが正直なところです。
橋本氏:
……うん。
川村氏:
今日はあまりにも爆笑してしまったけど……。
永野氏:
あいつの話はそんなんばっかりだから。
川村氏:
ひと言か……ひと言……。なんだろう。むっち先生、今晩にも……また、またファックス、送ってきてくれないかな……? 電話、鳴らないかな……?
橋本氏:
…………。
永野氏:
…………。
川村氏:
……またいっぱい、アホアホな絵をっ……送ってきてほしいです。
橋本氏:
……うん。
川村氏:
先生はいつも、一瞬で、絵をパッと描いて送ってきてくれましたから。
橋本氏:
たくさん送ったね。
川村氏:
それが本当に楽しくて、いつもいつも爆笑してしまうんですけど。ふふっ……だから「先生、またファックス送って」と思います。
永野氏:
…………。
川村氏:
…………。
橋本氏:
わ、私は……ちょっと……えっと、すみません。ごめんなさい。
川村氏:
……。
橋本氏:
……私は、いまだに……いまだに留守番を、しているような……感覚で。
永野氏:
…………。
橋本氏:
だから……だから、なにかおもしろいことがあるたびに……っ。
川村氏:
……。
橋本氏:
おもしろいことがあると、「むっちゃん……あっ、いま出かけてるな……」って。
川村氏:
うん。
橋本氏:
むっちゃんは……。うっ、むっちゃんに対しては……。
永野氏:
…………。
橋本氏:
また……「また会えるのを待ってるね」って。
橋本氏:
そう……思います…………。
一同:
…………。
永野氏:
……そういえばさ、みんなでむっちの遺品整理で集まったとき、笑いしか起こらなかったよね。「いのまたのやつ、ばーかばーか」って(笑)。
橋本氏:
ふふっ、うん、そうだった。
川村氏:
ずっとみんなで笑っていましたね。
橋本氏:
友人たちが9人くらいで掃除をしに来てくれたんですよ。なのにクリスはオープンカーに乗ってきて。掃除するときの車じゃないじゃん(笑)。
永野氏:
でも、トランクの中には掃除用具しか入っていなかったでしょ?
橋本氏:
それは、万梨阿さんのやつでしょう。万梨阿さんだけは一生懸命掃除してくれたんですけど、あとの人たちは笑っているばかりで、ぜんぜん片付かなくて(笑)。
川村氏:
私はなにかにとりつかれたように掃除をしてしまいました(笑)。
遺品整理に行く前は「号泣しちゃったらどうしよう」と思っていたんです。でも、お家の門をくぐってすぐに、楽しかったことばかりが思い出されて。みんなの顔を見たら爆笑してばかりで、最後の最後までお腹がよじれるほど笑っていました。
永野氏:
荷物を開けるたびに、掘れば掘るほど「なにこれ~!」ってね。
川村氏:
「レンフロ出ましたー!」とか(笑)。
永野氏:
なんだかよくわからないものが出てくると、誰かしらがちゃんと説明してくれるんだよ。
橋本氏:
クリスの送ってくれた豪華本がまだ梱包も解かずに置いてあって、「俺の本が……」とショック受けたりね(笑)。
一同:
(笑)。
永野氏:
あのとき俺は初めてむっちの私室にあがらせてもらったんだけど、「バカじゃねえの、ジャッキーなんかもう25年くらいここに飾り続けてるだろ」と思ったね(笑)。
橋本氏:
手作りのジャッキーのお面もあるからね。
川村氏:
これまで過ごした日々を全部「これもあるよ、これもあるよ」と見せてもらっているような感じでした。
普通そういう思い出の品物が出てきたら泣き崩れると思うじゃないですか。でもみんなで大爆笑しちゃって。「ちょっと見て!」と語り合う、そんな1日でした。
橋本氏:
そうそう。だから9人もいたのに、万梨阿さんが掃除したところ以外はほとんど片付かなかったんです(笑)。
永野氏:
あいつの話をすると止まらなくなっちゃうんだよ。
川村氏:
ふふっ。
橋本氏:
最後の最後にこの話でいいのかな。まあ、いいか。(了)
取材を終えた率直な感想は「こんなにも素敵な友人関係があるものなのか」ということだった。
いのまた氏の逸話にはいつも “泣き顔” が入っていたという。それは、涙も怒りも笑いも、感情すべてをさらけ出せる信頼関係があったからではないだろうか。
『バーチャ2』の筐体を購入したことをきっかけにいまのた氏の自宅が「たまり場」と化した理由は、いのまた氏の “人柄によるもの” に違いない。どんなに環境がよくても、そこにいる人が愛されていないと人は集まらない。
どこに行っても、なにをやっても、どんな環境でも楽しめる。数々のエピソードを聞いていると、まるで太陽のように周囲を明るい気持ちにさせる人物だったことがうかがえる。
だからこそ、突然のお別れが信じられない。取材を終え、より信じられなくなった。
しかしひとつ確実に言えることとして、いのまた氏はこれまでも、これからも、ずっと愛され続ける。一周忌も二周忌も三周忌もこうして「いのまたむつみ伝説」が語られていくだろう。
今回の座談会では、数十年前のできごとがまるで目の前で起きているかのようにありありと語られ、いのまた氏の人柄の一端を知ることができた。
繊細で華麗な絵柄の一方で、パワフルでどんなことにも全力だったいのまた氏。本稿がそんな氏の駆け抜けた人生を偲ぶ一助となれば幸いだ。