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ごめん、同窓会には行けません。いま、『龍が如く8』が楽しすぎてハワイから帰れません。

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人間の寿命は短いってわかっていたのに……なんでもっとサメやでかいタコと戦わなかったんだろう……

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やっぱり、『龍が如く8』では「この男」の存在が外せない。
伝説の元極道、「桐生一馬」

ここで一旦、私の「如く遍歴」をしっかり共有しておこう。
『龍が如く0 誓いの場所』、『龍が如く7』、『龍が如く 維新!極』、友達が遊んでいるところを傍目で見ていた『龍が如く OF THE END』の4作である。我ながら結構エキセントリックな遍歴を辿っていると思う。

とはいえ、かなり「美味しい部分」を取りにも行っている。もうファンのみなさまには「如く泥棒がコノヤロー!!」と怒られても文句が言えない。

だから、私の中では「龍が如くの主人公と言えば?」と聞かれると、ちょうど半々くらいで「桐生一馬」と「春日一番」になる。桐生一馬の存在感と強さは『如く0』と『如く7』の修羅の如き強さで知っているけれど、やっぱり自分の中では一番の方が主人公かな……みたいな。なんとも白黒ハッキリしない温度感である。

端的に言うと、桐生さんのことはちょっと知ってる。
そして今作には、シリーズファンにはたまらない「エンディングノート」という要素が存在している。癌によって余命半年と宣告されている桐生さんが人生に悔いのないよう、「やり残し」を次々と埋めていく。

中には本当に「エモい思い出」が含まれていたり……。
ただ何度も言うけど、私は桐生さんのことは「ちょっと知ってる」温度感である。

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どういう思い出??????????

悪ぃ桐生さん、その思い出オレ知らねンだわ。
何をどうしたら「なんだかんだでサメやでかいタコと戦うことになる」状況になる?

もはや私から見ると「事ある毎に全く知らないエモい思い出を語り始める葬送の桐生一馬」になっていますね。思い出の語り口がほぼフリーレンだよ。ヒンメルとのエモい思い出を語るか、サメと戦う思い出を語るかの二択です。

シリーズファンの方、どうか「7から入るとこういうことになるんだな」というサンプルケースとして、生暖かい目で見守ってください。

なんなら、作中で「憧れの桐生一馬だ……!」と尊敬している人が出てきたり、行く先々で「あの堂島の龍……!」とすさまじい歓待を受けたりするのもだいぶ「葬送の桐生一馬」してると思う。伝説の元極道になると、もうほとんど伝説のエルフと扱いが同じ。ナンバはフェルンだった……?

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桐生さん、それ以上はいけない。

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でも、そんな自分でも泣けるエンディングノートがあった。
そう、『龍が如く0』に登場していたあの「ポケサーファイター」とのイベントである。

『如く0』から『如く8』に至るまで、およそ30年続いたポケサーファイターと「カズマ君」の友情が描かれるこのイベント……正直、このゲームの中で最も心を掴まれた物語かもしれない。ここでは「伝説の極道」でもなく、「堂島の龍」でもなく、ただ30年来の友達の「カズマ君」としての思い出が描かれる。

「カズマ君、いい男だったでしょう?」
「はい! めちゃくちゃ! もしかして、社長のお知り合いなんですか?」
「ああ。僕の大事な大事な……友達なんだ。」
「そうだったんですか! カズマ君、言ってましたよ。ファイターは今でも、大切な友達だって。」

(中略)

「今でも大切な友達、か……」
「一生モノの友達ができるんだもんなぁ。ポケサーって最高だよね。カズマ君。」
「いつか…… いつかまた巡り合えたら……」
「また、あの頃みたいに……子どもみたいに泣いたり笑ったり、怒ったりしながらさ。」
「ポケサーやろうぜ。……カズマ君。」

いけない、マジで泣いちゃうやつ。

個人的に『龍が如く8』は、「人生」を描いているゲームだと思う。人生での出会いに無駄なんてない。存在が消えてしまったとしても、紡がれた縁が消えることはない。この世界を生きてきた証が、消えることはない。そうして築き上げてきた「人生」は、決してあなたを裏切りはしないのだと。

私も『龍が如く0』と出会っていなければ、このイベントでここまで心を揺さぶられることはなかった。これまでの人生で体験してきた「出会い」が、プレイヤーとゲームを繋いでいる。『龍が如く8』は、まさにプレイヤーが積み上げてきた「人生」が、還元されるようなゲームなのかもしれません。

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この「過去作で桐生さんのお世話になったキャラがしっかり歳をとって出てくる」というエンディングノートの展開……個人的に『ウルトラマンメビウス』の「思い出の先生」という回を思い出します。

これは「ウルトラマン80」がものすごく久しぶりに登場する回で……教師でありながらウルトラマンとして戦っていた「矢的猛」の生徒が、大人になって出てきます。
いわゆる、「同窓会」というやつです。そして大人になった生徒たちの目の前に現れた80に、「あれは!」「俺たちのウルトラマンだ!」「矢的先生──!!」と声を上げるという……最高の回ですね。

まさに「みんなとの思い出は消えたりしない」ことを語っている回で……。
ああいう「これまでのすべてが報われる瞬間」のために、人間は生を受けるんじゃないか、とすら思う。桐生一馬が救ってきた人々は、あの姿を絶対に忘れていない。むしろ、あの背中に支えられている。あの思い出が、あの記憶が、どうしようもないくらい焼き付いていて、誰かを動かし続けている。

このエンディングノートこそが、桐生一馬という人物の「存在意義」を証明している。名を失い、死んだことになっている人間だったとしても、誰も忘れちゃいない。もはやこれは、エンディングノートという名の「桐生一馬の人生の肯定」なのではないか。……あれ、記事終わる流れになってる!?

頼むから山井豊をプレイアブルにしてほしい

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数ある「いいゲームの演出」の中でも、特に好きなのが「システムとストーリーの連結」

それこそ、「すごく重要なボスバトルにおいて、キャラクターが根性値で攻撃を耐え続ける」なんてのも、「システムとストーリーの連結」と言えるのではないだろうか。すべてが数字とプログラムで管理されるゲームだからこそ、こちらを熱くさせてくれる「数値に“嘘”が宿った瞬間」を見せてほしい。

そして今作は、桐生さん周りでその「システムとストーリーの連結」をこれでもかと見せてくれた。

そもそも、『龍が如く』はゲーム全体を見渡しても、中々に面白い歴史を辿っているタイトルだと思う。だって、「アクションからコマンドRPGになる」なんてこと……そうそうなくない? 今や「コマンドRPGからアクション化していく」タイトルが多い中で、むしろ『龍が如く』は逆行している!

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今作の桐生さん周りのシステムは、そんな「アクションからコマンドRPGになった」という異色の変遷に対して、すごく真摯に向き合っていると思う。

だって、あれだけ単独でバッタバッタと敵をなぎ倒してきた桐生一馬がシステムに合わせてのんきにコマンドバトルを繰り広げていたら、それはそれでおかしくないだろうか? 癌にかかっているとはいえ、「いつも通り戦ってくださいよ」と思うでしょう?

そんな重箱の隅をつつくひねくれ精神に、結構真面目に答えてくれている。というか、真摯に向き合った結果として桐生さんが若干壊れキャラなのが好きだ。

まず、「ヤクザ」「ラッシュ」「壊し屋」のお馴染みの3スタイルを取り揃えてくれている。

だから桐生さんだけ平然と2回行動したり、何食わぬ顔のまま通常攻撃でとんでもない火力を叩き出したりする。「ヒートアクション」だって使える。さらにエンディングノートを見れば見るほど、3スタイルが強化されてどんどん全盛期(?)の桐生一馬に近付いていく。

ついさっき言及した「ターン制バトルでありながらも、アクション性も持たせている」ような今作のバトルシステムは、もしかしたら桐生さんのために用意されたものなのかもしれない。「桐生一馬のターン制バトル」として、何の違和感もない。ターン制バトルだって言ってるのにラッシュスタイルだとひとりだけ2回行動する。

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そして極めつけは、「絆覚醒」

これを発動すると「桐生が一定時間、自由に移動して敵に攻撃を叩き込み続けられる」ようになる。つまり、絆覚醒中だけ『龍が如く8』は「アクションゲーム」になる! 必殺技としての「原点回帰」!! ターン制バトルでうかうかしている相手を、ひたすらアクションのルールで殴りまくる!!

この「絆覚醒」、まさに「アクションからコマンド制RPGになった」シリーズにおいて、アクションタイトルを担当していたキャラの必殺技として完璧すぎると思うのです。もう否が応でもテンション上がる。まさに『龍が如く』でしか表現できない「原点回帰」がここにある!

しかも、ストーリー終盤の真島吾朗・冴島大河・堂島大吾との戦いでも使われるのが良すぎるっていうか……むしろ「ここから逆算して産まれたシステムじゃないか!?」とすら思うくらい最高の演出です。

「あの時代」を生きた男たちだけが理解できる戦いがここにある。そもそも名前が「絆覚醒」なのもさぁ……バックで歴代シーン流してるのもさぁ………。

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そして桐生一馬と言えば……やっぱりこの男も忘れちゃいけない!
そう、「山井豊」!!

私は『龍が如く8』から新登場したキャラだと、間違いなくコイツがぶっちぎりで好きっていうか……ていうか好きにならない理由がないというか……。

「このビジュアルでCV子安武人」なだけで10割持っていくのに、その後の活躍でもさらに株を上げてくる! 開発チームに一言言いたい、「なぜ山井豊をプレイアブルにしてくれなかったのか」と!!

もはや言いたいところは無限にあるのですが、山井は「『龍が如く7』から入った自分に“真島吾朗の衝撃”を見せてくれた」のが一番好きなところかもしれません。

私が『龍が如く』を認知した頃には、真島吾朗はとっくに大人気キャラクターだった。あのインパクトを、あの魅力をリアルタイムで味わえなかったことが、なんか悔しい。だけど山井豊は、それを見せてくれた! 山井ありがとう!!

ファッションセンス、バールを駆使したバトルスタイル、凶悪さとカリスマ性を兼ね備えつつもどこか憎めないキャラクター性、なぜか熟女に囲まれているだけで湧き出る強キャラ感……どこを取ってもパーフェクト。『龍が如く9』では、どうかよろしくお願いします。早くこっちに「あぁ……もう寒くねえ」って言わせてください。

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世界一、運が悪くて 世界一、ハッピーなヤツらの物語

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「世界一、運が悪くて 世界一、ハッピーなヤツらの物語」

これ、『龍が如く8』のキャッチコピーです。
このキャッチコピー、めちゃくちゃいい。
なんならクリア後の今だと文面だけで泣きそうになってくる。

どうしても、どうしても最後に言及したかったのが……上の画像にいる「大洋の暴君」です。このゲーム、残念なことにゲーム終盤にリヴァイアサンぐらい巨大なサメと戦うハメになります。あとクラーケンくらい巨大なイカと戦うことにもなります。これは間違いなく世界一運が悪いヤツの物語だね。

いや、何をどうしたらイカとサメと戦うことになるんだ……。
うん? なんかさっきも同じようなこと言わなかった?

………ハッ!?

これ、桐生さんのエンディングノートに出てきた「なんだかんだでサメやでかいタコと戦うことになったんだったな……」と同じ状況じゃない!? なにこの伏線回収。一番、やっぱりお前が新時代の龍だ!! 『龍が如く』の主人公はサメと戦わないと勇者の資格を持てないのだろうか!? どういう通例!?

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さて、だいぶ長めにお送りしてきた『龍が如く8』の記事ですが……実はここまで、あんまりメインストーリーの話をしてないんです。読み返してみてほしい、実際「ハワイでどんな事件が起きるのか」とか「桐生さんは日本に帰って何をしているのか」とかに、あまり言及していないのだ。

嘘だろ……いつもあんなに「またネタバレしてる」とか言われるのに……?

そう、私は『龍が如く8』の真髄は、この「無限の寄り道」にこそあると思う。
もちろんメインストーリーも面白いけれど、今作は特に寄り道だけで無限に時間が奪われていく。基本的にサイドコンテンツは無視しがちな自分ですらここまで遊び倒してしまった。

つまり、前作『龍が如く7』からはそもそもゲームの構成が大きく変わっていると思う。もちろんサイドコンテンツもたっぷりありつつ、やはり主軸は「メインストーリー」だった前作に対し、今作はもう「さぁ寄り道してくれ!!」とでも言わんばかりの圧倒的なコンテンツ量

そんな膨大なコンテンツをこなしていく内に、いつの間にやらトミーやら千歳やらに愛着が湧いてくる。そう、いつの間にかたくさんの人と絆を紡いでいた、桐生一馬の人生のように……。一見無駄に見えるキャバクラでのお遊びだって、しっかり仲間との絆ランク稼ぎに使えるように!!

人生に無駄なことなんて、ひとつもない。
どんなお遊びだって、どんな寄り道だって、必ずいつかは思い出になる。
その思い出は、いつまでも残り続ける。

まさに「ライフ・イズ・ビューティフル」を謳った作品だと思う。

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「生きている限り、人はいつでもやり直せる」

多分これも、『龍が如く8』のメインテーマのひとつだと思う。
「人生」の積み重ねの美しさを語る一方で、すべてを失ったり、すべてを奪われてしまった人間も数多く登場するのが今作でもある。なんなら、春日一番は毎回すべてを失っているし、桐生一馬に至っては「死んだこと」になっている。そして私は三田村英二が大好き。

だからこそ、「生きている限り、いつでもやり直せる」ことを描く必要があったのだと思う。この「やり直し」には、いろいろな意味がある。どん底から這い上がる前向きな「やり直し」から、犯してきた罪を償う「贖罪」の「やり直し」まで。私は、特に後者の「償いのやり直し」が印象に残った。

『龍が如く』という作品で、ここまで真剣に「贖罪」を描くことに驚いた。
「ここまでやったらいよいよ次回作やれなくない?」と思わされるくらいには。

世界一ハッピーな奴にとっての「人生の美しさ」があると同時に、世界一不運な奴にも「人生の美しさ」がもたらされるべきなのだ。どれだけ罪を重ねていても、生きている限りは……いつかその罪を清算して、報われる時が来るかもしれない。おそろしいくらいに、優しいことを言っているゲームだと思う。

これは『龍が如く7』を遊んだ時も、同じことを思った。決して「光」とは言えない存在を扱いながらも、最後に言ってのけることは、おそろしく優しい。あれだけの憎しみと悲しみを描きながら、最後には「いい旅を!」と言ってのける。

「嫌われたっていいじゃないか」と。
「どんだけ人生最悪でも、やり直せるぞ」と。
無責任ながらも一番欲しい言葉を、キッパリ言ってのけるゲームなのだ。

あぁ、いま気づいた!
『龍が如く』は、「男前」なゲームだと思う!!

そう、「惚れるゲーム」だ。私は、『龍が如く』に惚れたんだ。
誰しも思っていても言えないこと。口に出したくても、あまりに綺麗事すぎて言えないセリフ。そんなことを、真正面から言ってのける。その男気に、私は心を掴まれたのだ。「人生は美しい」だなんて、ちょっと普段は言い出せないことを真正面から大胆にやる。そこに、惚れていたのかもしれない。

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だから……最後に言うことは「みんな、長生きしよう!」ですね!

生きていれば、いつか人生は美しくなるかもしれない。
いや、生きていなければ、楽しくなることもない。
長生きしてたら、なんか良いことあるでしょう!

そうして、人生は彩られていく。
私は、いま間違いなく「人生は美しい」と言い切れる。だって、こんなにも素晴らしいゲームに出会えたのだから。私の人生を彩ってくれる作品に出会えたのなら、これまで生きながらえてきた意味はあったというものさ! え、あざとい……? ハハハ、人生なんてあざとすぎるくらいがちょうどいいッ!!

ではみなさん、良い人生を!
そして、ボンボヤージュ<良い旅を>!

ちなみに、ちょうど本日3月15日より、Steamにて『龍が如く8』のセールが開始されています。通常版が20%引き、デラックスエディションとアルティメットエディションは25%引きで結構お得に買えます。まだプレイしてない人もボンボヤージュ!

©SEGA

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ライター
転生したらスポンジだった件
Twitter:@yomooog
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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