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『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』で我々はいったい何を楽しんでいるのか?ーー現代エンタメにおける「文脈消費」の拡大と深化

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大塚・東・宮台の議論から見る、現代の「文脈消費」

ここで、大塚英志・東浩紀・宮台真司のそれぞれが示した視点を整理してみよう。

  • 大塚英志:ビックリマンシールに見られる「断片的な設定を収集・再構築する」物語消費のあり方。
  • 東浩紀:オタク文化における「データベース消費」。属性・設定を組み合わせをッ楽しむ消費スタイル。
  • 宮台真司:サブカルチャーがメインストリーム化し、コミュニケーションのプラットフォームとなっていく社会学的変遷。

現代の文脈消費は、これら3つの視点が複合的に交差した結果として、SNS上で大規模に展開している。つまり「大きな物語の断片をデータベース化してサブカルの文脈に乗せ、作家自身の人生を投影し、それをファンが盛大に語り合う」という超雑多なプロセスが、同時並行で動いているのが、現代的なエンタメ消費のありようなのではないだろうか?

特に興味深いのは、宮崎駿や庵野秀明、富野由悠季といった作家の“出発点”や来歴が、作品の世界観そのものと同じくらい重要視されていることである。ファンは監督の発言やエピソードを取り入れて「こういう過去があるなら、今回のシーンにはこんな意味があるかも」と考える。これは一種の作家の人生ドラマを消費する構造であり、現代のエンタメでは当たり前になりつつある。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』で我々はいったい何を楽しんでいるのか?現代エンタメにおける「文脈消費」の拡大と深化_008
(画像は出発点―1979~1996 | 宮崎駿 | Amazonより)

さらに、ファン側も“受け手”であると同時に“参加者”である。SNSを通じて作家への質問や要望をダイレクトに投げかけたり、二次創作やファンアートで作品世界を拡張したり――そうしたファン活動自体が新たな文脈を生み出し、また別のファンを呼び込む。ここに大規模な文脈の共有と拡散が起こり、作品・作家の影響力は雪だるま式に膨れ上がるわけだ。

これからの文脈消費:ユーザーとクリエイターが紡ぐ新たな地平。「作品」を超えた無限の情報フィールド

SNSがこれだけ普及し、ファン同士が一瞬でつながれる時代において、作品一本だけの情報量はもはや“入り口”に過ぎないのかもしれない。むしろ作品そのものはきっかけとなり、その先にある作者のインタビュー、関連作品、ファンの考察、関連グッズ、コラボ企画、リアルイベント……といった膨大な情報フィールドへアクセスしていくための“ゲート”として機能する。

たとえば『GQuuuuuuX』の場合、初代ガンダムや富野由悠季作品の履修、あるいは庵野監督のエヴァンゲリオン&特撮愛の理解、さらにはコアなガンプラ文化まで含めて「知りたくなる」きっかけが散りばめられている。ファンが「もっと知りたい」と思って調べれば調べるほど、無数の枝が伸びてきて、それが「自分だけの文脈」を形作っていくのだ。

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(画像は【ネタバレ注意】『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)-Beginning-』Promotion Reel – YouTubeより)

今後、VRメタバースなどの技術が進化すれば、文脈消費はさらに加速するだろう。作品の世界観を仮想空間で体験し、そこに監督や声優が登場し、ファン同士がリアルタイムで対話する──そんな状況は、既に一部のゲームやイベントで実験的に行われている。そこでは「公式設定」「ファン設定」「二次創作設定」が入り混じり、一つの作品世界をみんなで“共創”する形が極まるかもしれない。

作り手と受け手の境界が溶け合い、文脈はさらに複雑に絡み合う。
「作品」を超えた体験を求める人が増えるほど、文脈消費の射程は広がり、エンタメの新たな地平が拓かれるのではないか、と私は感じている。

おわりに:インターネットと消費様式の変容が生む、新たなエンターテインメントを求めて

繰り返しになるが、「文脈消費」とも言えるこの現象は、決して新しいものではない。

アイドルやプロレスで昔から見られたように、“作品外の情報や人間関係”を含めて楽しむのはエンタメの本質の一端だとも言える。ただ、インターネット──特にSNSの普及によって、その規模とスピード、参加者の多様性は大きく変化した。

かつて大塚英志が「ビックリマンシール」に見出した“断片を組み上げる楽しみ”や、東浩紀が論じた“キャラ属性のデータベース消費”は、さらに細分化・高速化しながら巨大化している。
同時に、宮台真司が言うようにサブカルチャーが社会のメインストリームに踊り出て、「好きなもの語り」が人々のコミュニケーションの軸になりつつある。そこでは、作家の個人史や哲学までもがファンの語りの材料になり、作品の評価と作者の人生が不可分な形で消費される。

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(画像はAmazon.co.jp: サブカルチャ-神話解体: 少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 より)

『GQuuuuuuX』の例でも示したように、大きな既存作品(ガンダム)と庵野秀明という強烈な作家性が融合すれば、その文脈は二乗三乗で増幅する。ファンは過去作品・作家の発言・SNS上の考察を総動員して物語を解読し、さらなる解釈をネットで共有する。その過程で「ガンダムをほとんど知らない層」までもが巻き込まれ、やがて新たなコミュニティが形成される。

こうした時代において、作品はもはや“単体”では終わらない。

制作者がいくら完成度を高めても、その後にSNSでの論争や二次創作が介入し、新たな意味づけが際限なく行われるのだ。作家はファンの創造力や行動力を計算に入れつつ、それを上手く取り込む作品をつくることで、さらなるブームを起こすことが可能になる。反面、ファンコミュニティとの齟齬が起きれば、炎上や誤解が拡散してしまう危うさもあるのだが。

ーーそれでも。私はこの“混沌を含んだお祭り状態”こそ、21世紀型のエンタメ消費の本質だと思う。

作品の発表はゴールではなくスタートであり、そこからファンによる無数の「文脈編集」が始まる。誰もが解説者になり、誰もがクリエイターになる。その相互作用が大きな渦を生み、やがてそれが新しい文化の姿として定着していく。

もしかすると、将来的には「文脈消費」という認識すら廃れてしまうかもしれない。なぜなら、いずれはそれがより当たり前の消費形態になって、「いまさら文脈消費とか言わなくても、みんなそうやって楽しんでるよ」となる可能性が高いからだ(すでにそうかもしれないが)。

だけど、現時点で改めて「文脈消費」というキーワードを掲げてみることで、いま起きてるさまざまな現象が、とても整理されて理解しやすいのではないか?と思い、今回、筆をとってみた次第である。

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(画像は【ネタバレ注意】『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)-Beginning-』Promotion Reel – YouTubeより)

また、ゲーム業界に席を置く筆者としては、こういった楽しみ方(文脈消費)が、ゲームの分野でももっと盛んになってくれれば良いのに、とも思っている。アニメや漫画、映画などと比べて、ゲーム産業の歴史がまだ浅いことも含めて、一次情報たるインタビューなどの文献が少ないのも、ゲームでこういった議論が少ない一因であろう。そこに対しては、私(および電ファミニコゲーマー)もできる限り貢献していければと思う。

ともあれ。
インターネットが生み出した情報量とコミュニケーションの変容、作家とファンの関係再編、そしてサブカルがメインカルチャー化する流れ。これらが重なり合う場所で、私たちは“作品”を越えた物語を、丸ごと味わう。そんな時代の真っただ中を生きているのだ──という認識が、次の創作や批評、あるいはファン活動に新たな視点を与えてくれることを願って。


※追伸

文脈消費? 社会学?
エンタメなんて楽しければそれでよし! 細けえことはいーんだよ!と思ったそこのあなた。

ーーはい。その通りです(´・ω・`)

そんなあなたにお勧めなのが、現在、『GQuuuuuuX』と同時に劇場公開中の『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』です。

ええ、名前がダサいって? いいから黙って観に行ってください。

『男たちの挽歌』『RRR』などといった、男の友情&アクション映画が好きな人なら間違いなし。いや、それらを知らなくても、まったく問題なし!!

香港ノワール的な友情と哀愁、そしてカンフーアクションの数々。いやもう、文脈消費とかなにそれ状態の、ただただ面白い傑作映画でした。

頭空っぽでも楽しめる……これもまた、エンターテインメントの理想でしょう。

いやー、エンタメって本当に良いものですね。
それでは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

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参考文献
大塚英志(1989)『物語消費論「ビックリマン」の神話学』
東浩紀(2001)『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』
宮台真司(1993ほか)『サブカルチャー神話解体』
宮崎駿(1996)『出発点―1979~1996』

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、「第四境界」プロデューサー。 ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長を経て、KADOKAWA&ドワンゴにて「電ファミニコゲーマー」を立ち上げ、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、サイトの設計など運営全般に携わる。2019年に株式会社マレを創業し独立。 独立以降は、編集業務のかたわら、ゲームの企画&プロデュースなどにも従事しており、SNSミステリー企画『Project;COLD』ではプロデューサーを務める。また近年では、ARG(代替現実ゲーム)専門の制作スタジオ「第四境界」を立ちあげ、「人の財布」「かがみの特殊少年更生施設」の企画/宣伝などにも関わっている。
Twitter:@TAITAI999

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