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『ガンダム』未履修の鶴巻ファンが『ジークアクス』を見たら、それでもめちゃくちゃ楽しかったので感想を聞いてほしい。ついに発表された新作は、まさに「待ち望んだ鶴巻作品」だった

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生きるためのコロニーが、人と世界を断絶する。BGMから読み解く、主人公・マチュのキャラクター性

さて、話を本作の主人公であるマチュに戻しましょう。マチュはコロニーのなかでの暮らしに、強い不自然さと不自由さを感じているキャラクターです。

映画が公開される前に発表された本作の予告のなかでも、「宇宙(そら)は頭の上じゃなく、足の下にあるんだ」という彼女のセリフは非常に印象的に使われています。

本物の重力、本物の空、本物の海。地球に生まれ育った僕たちが当然のように享受するそれらの自然を、コロニー生まれのマチュは一度も体験したことがありません。コロニーでは天気さえも人工的に再現されているに過ぎないのです。

なんという皮肉でしょうか。コロニーの外には、地球など影も形もなかったころから存在する“究極の自然”たる、広大な宇宙があるというのに。自然なままの宇宙空間で、人間は片時たりとも生きていけないのです。

360度どこを見渡しても一部の隙も無い人工物で宇宙空間を囲い込み、なんとか生存圏を確保しているコロニーという環境から考えるに、マチュは自然との耐えがたい断絶を感じ、世界との繋がりが阻害されている事実に苦しんでいると言えるのではないでしょうか。

本作のなかには、制服姿のマチュがプールの飛び込み台の上で逆立ちをするシーンがあります。スカートが容赦なくめくれ返り、パンツ丸出しとなった彼女の姿は実に不可解ですが、あれはなにも制作陣が美少女のパンツを見せたい一心でやっているワケではないと思うんです。

先述したマチュの苦悩を踏まえると、これは世界との断絶を感じ、自然を求め「頭上に空を感じたい」という、マチュのキャラクター性がゆえのおこないなのです。

多分……。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』感想・考察・妄想。『ガンダム』に無知な鶴巻ファンが見たら、めちゃくちゃ楽しかった話_008
(画像は【ネタバレ注意】『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)-Beginning-』Promotion Reel – YouTubeより)

そんなマチュの心境を見事に反映してみせているのが、本作のBGMです。一年戦争編で用いられていたオーケストラ的なサウンドは一気に鳴りを潜め、マチュ編ではエレクトロニックなサウンドが存在感を放ちます。

その良し悪しは別として、命のやり取りに終始していた戦争中に「生の実感」などを問題とするキャラクターは存在しません。戦争が終わり平和となったからこそ、マチュは自身の状態の不自然さに心を悩ませることになっています。

だからこそ裏で流れる音楽として、彼女を取り巻くコロニーよろしく人工的で機械的な音楽、すなわちエレクトロニックなサウンドが選ばれているのでしょう。

「ガンダム」に乗り、宇宙に‟落ちて”はじめて獲得できる生の実感

そして、世界との阻害に苦しむマチュを宇宙へと連れ出してくれるものこそが、ジークアクス。生身のままでは宇宙に出られぬ彼女が、ガンダムという体を手に入れ、足元の宇宙へと“落ちて”ゆく構成の巧みさが、たまらなく良いです。

これは「ガンダムが人型である必然性とはなんなのか?」という、おそらくは『ガンダム』シリーズ全体を通して、つねに付きまとうであろう疑問への、本作なりの回答だと思うんです。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』感想・考察・妄想。『ガンダム』に無知な鶴巻ファンが見たら、めちゃくちゃ楽しかった話_009
(画像は『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)-Beginning-』本予告 – YouTubeより)

というのも、自然との繋がりを求めるマチュにとって、壁越しの宇宙など端からお呼びではありません。
宇宙船に乗って飛び回るだけで自然を感じられるなら、コロニーのなかで事足ります。

ガンダムという、人工的に拡張された身体であるところの人型ロボットだからこそ。

とりわけ、操縦桿によって「間接的に動かす」のではなく、オメガ・サイコミュによって「思った通りに動く」ジークアクスだからこそ。マチュはジークアクスを自分の身体だと感じることができるのです。

さらには、MAVとしてともに戦う赤いガンダムのパイロット・シュウジはマチュと同じくニュータイプと呼ばれる存在であり、精神感応なのかテレパシーなのか、とにかくなんらかの作用でお互いの考えを通じ合わせることさえできてしまう様子。

ずっと世界に接続できなかったマチュが、ジークアクスのお陰で世界にも他者にもつながることができ、それによって勝利まで得られるという劇的な決着が、本作の終盤では描かれていました。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』感想・考察・妄想。『ガンダム』に無知な鶴巻ファンが見たら、めちゃくちゃ楽しかった話_010
(画像は『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』特報 – YouTubeより)

映画『ジークアクス ビギニング』で描かれるマチュの「自由でない」という違和感。「世界から疎外されている感覚」。

これは、僕にとっても非常に馴染み深いものです。平和な時代と場所に生まれ、過酷な自然も、危険な敵も知らず、とうぜん命のやり取りをしないままに今日まで生きてきました。自然に放り出されれば10日と生き残ることはできないでしょう。

死に物ぐるいにならずともノホホンと生きていけるからこそ、「生の実感」という悩みに向き合うことができているとさえ言えます。

そして、同じような悩みに苦しみ「生の実感を得たい」と思っているのは、僕のほかにもたくさん存在していることでしょう。だからこそ僕(たち)は、脇目も振らずジークアクスへと乗り込むマチュに心を震わされるのです。彼女が自由を求めて抗う様に、心からの応援を送ってしてしまうのです。

いまは本作が公開されてからまだ間もないこともあり、一年戦争編で描かれる「イフ」のもたらした衝撃が本作の感想の大勢を占めている様にも見えます。

しかし、むしろ「マチュの物語」こそ、現代日本に幅広く通じる普遍性を帯びた、本作の大きな魅力だと僕は感じています。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』感想・考察・妄想。『ガンダム』に無知な鶴巻ファンが見たら、めちゃくちゃ楽しかった話_011
(画像は【ネタバレ注意】『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)-Beginning-』Promotion Reel – YouTubeより)

とはいえ、物語はまだまだ始まったばかり。あの鶴巻氏が監督を務める以上、そう素直に物事が転ぶはずもありません。

ここからは完全に妄想となりますが、マチュが手に入れたふたつの実感——ジークアクスを通じて得た「自然との接続」と、シュウジとの間で感じた「他者との接続」——はどちらも錯覚であるというひっくり返しが来たりすることでしょう。と、鶴巻ファンとしては勘ぐってしまいます。

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』感想・考察・妄想。『ガンダム』に無知な鶴巻ファンが見たら、めちゃくちゃ楽しかった話_012
▲「よくわかんないけど、なんかわかった!」と言ってる人が本当にわかってること、あんまりない。(画像は【ネタバレ注意】『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)-Beginning-』Promotion Reel – YouTubeより)

そもそもジークアクスは借り物のガンダムです。いずれは、マチュがマチュ自身の力によって手に入れた本物の体で、宇宙や他者へとぶつかって行くような展開が来るのではないでしょうか。そしてその展開の先にこそ、マチュにとっての「生の実感」が訪れる……のかもしれません。

先ほども申し上げたように上記は完全なる妄想ですが、僕はそのように感じ、想像します。

そして何より、映画『ジークアクス ビギニング』の演出意図を確かめたいという動機から、マチュが生の実感を手に入れるその時に流れる音楽がエレクトロニックなサウンドであるのかどうかには、強烈な関心を持っています。

それはマチュがコロニーという「不自然」の塊を「自分自身の世界」だと認識できるかどうかにも掛かってくるでしょうから。

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編集者
小説の虜だった子供がソードワールドの洗礼を受けて以来、TRPGを遊び続けて20年。途中FEZとLoLで対人要素の光と闇を学び、steamの格安タイトルからジャンルの多様性を味わいつつ、ゲームの奥深さを日々勉強中。最近はオープンワールドの面白さに目覚めつつある。
Twitter:@reUQest
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ゲームアートやインディーゲームの関心を経て、ライター/編集をしています。

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