どうすればよかったんだろう。
初めて『OFF』をプレイしたあと、2週間くらい落ち込んだ。もう何年も前のことだ。
『OFF』は2008年に公開されたフリーゲームだ。開発したのは、Mortis Ghost氏が率いるベルギーの開発チーム。当時は公式の日本語版なんてなかった。有志で翻訳されたバージョンをプレイし、エンディングではボロボロと泣いた。『OFF』は本当にすばらしい作品だった。
ゆるい筆致で描かれたイラストや愛嬌のあるキャラクター、印象的なセリフ、そして世界観を支える音楽の数々。どこを切り取っても個性的で、面白かった。あとになって、このゲームが『UNDERTALE』にも強い影響を与えていたことを知った。
私は「戦闘」が好きではない。そんな自分が、音にノりながらバトルに入り込んでしまう──こういった経験は、後にも先にも『OFF』だけかもしれない。ただ、プレイ後に残ったのは、ゲームを“遊んでしまった”ことについての大きな虚無感と、ひとつの問いだった。
そして2026年。『OFF』のリメイク版が、とうとう日本語に対応した。音楽はすべて新録され、新たなエリアやボスも追加。かつて有志翻訳を手がけたサラチ氏による新訳で、当時の感触を残しながらも、確実に生まれ変わっていた。
やっぱり、とんでもない作品だった。
はじめてプレイし終えた時と同じように、私の心は「終わりのない迷路」に再び突き落とされていた。
はじめは、ちょっと変わった世界で普通にゲームを楽しんでいただけだった。けれど、進めれば進めるほど主人公が信じられなくなっていき、最終的には自分自身のことさえ信じられなくなった。ゲームを遊んでいただけなのに、なぜこんなに苦しいのか。ただひとつの問いが脳裏にこだまする。
じゃあ、どうすればよかったんだよ。
※この記事には『OFF』のネタバレが一部含まれています。あらかじめご注意ください。
※この記事は『OFF』の魅力をもっと知ってもらいたいFangamerさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
「王道RPG」のカタチをしているけれど……
ゲームを始めてプレイヤーが自分の名前を入力すると、「あなたは『バッター』という存在の操作を任されました」といきなり伝えられる。
そして、彼こそが本作の主人公だ。プレイヤーはこの「バッター」と呼ばれるキャラクターを操作し、“世界の浄化”を進めていく。浄化とは、簡単に言えば世界にはびこる「亡霊」たちを倒していくことだ。

ゲームの流れはシンプルだ。各ゾーンごとにエリアを探索し、敵と戦い、ゾーンを統治するガーディアン(エリアボス)を倒して次のゾーンへ進む……。基本的な構造だけ見れば、驚くほどオーソドックスな王道RPGと言うこともできそうだ。
けれどそうした「普通さ」は、序盤からあっさりと裏切られてしまう。
その異質さを否応なしに気付かせてくれるのが、本作のキャラクターたちだ。たとえばプレイヤーが最初に出会う案内役の猫「ジャッジ」。不思議なことに、この猫はプレイヤーに対して普通に喋りかけてくる。主人公のバッターではなく、彼を通り越したプレイヤー自身に、だ。プレイヤーと主人公が別個の存在であることもしっかりと認識している。
ジャッジだけではない。プレイヤーが操作しているはずの主人公・バッターさえもプレイヤーの存在をはっきり認識しており、あまつさえジャッジから“操り人形”と揶揄されても、言い返すこともしない。

キャラクターが、プレイヤーをどう認識しているのか──ごく普通のRPGなら、こんなことは気にするまでもないし、そもそも気にする必要がない。
なぜなら、プレイヤーとはゲームの世界における“神様”のような存在だからだ。キャラクターが、「画面のこちら側」を認識することはない。乱暴な言い方をするならば、ゲームクリアのために、ただ駒として働いてくれればいいのだ。
けれど『OFF』は違う。物語のはじめから、プレイヤーとキャラクターのあいだには、一方通行ではない双方向の関係性が生まれてしまう。キャラクターは単なる駒として配置されているのではなく、プレイヤーが自分たちにどんな行動を「させる」のかを監視している。
だから、このゲームを遊んでいると、嫌でも思い知らされることになる。
「このゲームの中では、私は神様になれない」のだ。
ゾーンを進み、敵を探す。武器を構え、攻撃し、さらに強い敵を求め、やがては強力なボスを倒して、主人公を強くしていく。基本的な流れだけを追えば、『OFF』はいかにもな「RPG」だ。
なのに、どこか異質な息苦しさを感じずにいられない。ゲームの中でなら、プレイヤーは自分の望むままに好きなことをできるはずなのに、『OFF』はそれを許してくれない。いや、許してはくれているのだけれど、その一挙手一投足をじっとみつめている。
主人公のすべての行動は「キャラクター」のものではなく、「プレイヤー」自身のものだということを突きつけてくる。“無責任な傍観者”であることを許してくれないのだ。
超カッコいいのに、何かがおかしい主人公「バッター」

バッターの仕事は、世界を「浄化」することだ。そのために彼は敵を倒す。これはそういうゲームだ。
けれど順調にゲームを進めていくうちに、そうしたゲームの大前提に対して、どうしても違和感が拭えなくなってくる。
自分は何か間違ったことの片棒を担いでしまっているのではないか。バッターというキャラを操作しているつもりで、自分がバッターに導かれて”操り人形”になってしまっているのではないか。そんな感覚さえ覚えてしまう。
バッターは、とにかくカッコいい。無駄なことは言わないし、自分の使命について迷いも見せない。世界を浄化する、その目的のために一途に行動している。
浄化──すなわち亡霊を倒すことを、バッターは「聖なる任務」と呼ぶ。まるで崇高な行為のように聞こえるが、プレイヤーの視点からすると、ときにそれはただの「殺し」のようにも見える。
さまよう亡霊に困っていたNPCたちは、それを倒すために救世主のごとく現れたバッターの存在に最初は大喜びする。けれどバッターがガーディアンを倒してしまうことは恐れている。というのも、ガーディアンが倒されてしまうと、そのエリアはNPCごと「浄化」され、彼らまで消滅してしまうからだ。
病気を治すための薬が、本来からだにとって必要なものまで壊してしまうことがあるように、バッターの浄化には一切の容赦がない。この世界を救っているのか、それとも壊しているのか判断がつかなくなる。救世的であるように思えた行為が、世界そのものを消し去っていく。まるで、神様のように。
彼のいう「浄化」とは一体なんなのか、その意味についてプレイヤー自身が問いかけることはできない。プレイヤーからキャラクターに直接話しかけることはできないからだ。せいぜいわかるのは、浄化が上手くいけばいくほど、その言葉の意味が少しずつ揺らいでいく、ということだけだ。
そうしたことを繰り返すうちに、熾火のような小さな疑念だったものは、次第に大きく広がってしまう。
知らないうちに目隠しをされて、手を引かれていたような感覚。キャラクターの身体を共有してゲームの世界を旅していたはずなのに、いつのまにか彼の信念に導かれて、こちらが“操り人形”になっているような気さえする。

少し話は逸れるが、ヨーロッパ生まれの本作には、キリスト教を思わせるモチーフが断片的に散りばめられている。過度に宗教色を感じさせるゲームというわけではないのだけれど、よく見ると意味を見出せそうなパーツが、そこかしこに転がっている。
たとえばバッターの仲間である「アドオン」は三位一体の構造をとっており、ジャッジという存在もまた「最後の審判」を思わせる。それらについて作中で明言されることはないが、コラージュ的に提示されることで、バッターの“聖なる任務”という言葉に妙な説得力が生まれてくる。
そもそも「浄化」とは、祓い清めることだ。バッターは決して、魂の腐った外道などではない。彼の破壊的な行動は、むしろ、正義感を剥き出しにした「聖職者」のもののようにも見える。

ふと、子供のころに教会で見た「神の子羊」の絵を思い出した。聖書における「神の子羊」は、人間の罪を贖うために捧げられる犠牲者……つまりキリストを指し示す隠喩だ。
『OFF』における子羊は、バッターなのか。それとも、彼が浄化している亡霊たちの方なのだろうか。

バッターは、まるでこの世界を終わらせるために生まれたプログラムのようだ。たぶん、彼のことを信じるべきではないのだろう。しかし、いくらそう考えても、私はバッターについていくほかない。『OFF』という物語を知るためには、プレイヤーとしてゲームを進めなくてはならないからだ。
プレイヤーという存在を乗せて、『OFF』というゲームは否応なしに進んでいく。
彼についていくのが嫌なら、ゲームの画面を閉じて、さっさと寝るしかない。
シンプルに奇妙、そして最高。ありがとう
『OFF』は本当に変なゲームだと思う。
ちょっと変わった“王道RPG”かと思いきや、全然そんなことはない。変わっているのは”ちょっと”どころではないからだ。カッコよく思えたはずの主人公も、だんだん信じられなくなってくる。
世界全体が、まるでいろんなものを切り貼りしたようにチグハグで、ちょっとずつおかしく、愛らしい。そのアンバランスさが、最高だ。システムも、アートも、物語も、そして音楽さえも。

ちょっとだけ個人的な話をさせてもらいたい。
というのも、私が『OFF』を遊ぶきっかけになったのは、本作の音楽からだったのだ。みなさんは、「ペッパーステーキ」をご存知だろうか? もちろん、料理のステーキのことではない。原作に収録されていた曲のひとつだ。
「Pepper Steak」はかなり奇妙な曲だった。1930年代に録音された同名のジャズ曲がサンプリングされており、陽気でありながら、どこか不安定で落ち着かない。ゲームの戦闘BGMとしてはあまりに異質で、巨大な手で脳みそを轢き潰されたような衝撃だった。

当時の私は「人生を象徴するような曲だ……」と熱狂し、すぐにこの曲を「死ぬときに聴く用」というアホみたいな名前のプレイリストに入れ、大音量で流しながら狂ったように踊った。ドーパミン中毒の平成一桁ガチマダムは、感動がピークに達した時、踊る以外に方法がないからだ。
こんなやばい曲が流れるゲームなんて、そりゃあもうすばらしいに決まっている!!!!!!!!!!と確信し、すぐに『OFF』をプレイ。その後、奈落の底まで突き落とされたのは、最初に書いたとおりだ。
ちなみに英語圏でいう「ペッパーステーキ」は、青椒肉絲のことを指すらしい。ホェ~(学び)
Fangamerの公式YouTubeチャンネルでは、なんと本作のオリジナルサウンドトラックが全曲アップロードされている。まずは自分でプレイしながら聴くことをオススメしたい……が、私のような「曲から入る」人もいるかと思うので、未プレイでもぜひ聞いてみて欲しい。
プレイ中に心がぐらつくような不安定さを覚えるのは、音楽だけに限った話ではない。
独特としか言いようのない奇抜なアートワークはもちろん、バッターやジャッジといった主要キャラだけでなく、たくさんのNPCたちが見せる悲喜こもごもな振る舞いも、『OFF』というゲームのスパイスになっている。
たとえば、本作には「エルセン」と呼ばれる労働者種族がいる。彼らはほぼみんな仕事中毒の社畜人間で、なんだか現実世界に対するシニカルな視線を感じるようでもある。メタっぽい発言をするのはバッターやジャッジだけではないし、敵であるガーディアンたちさえ、ときに滑稽さと切なさをにじませる。



また、この世界を構築しているとされる四つの元素は「煙」「メタル」「プラスチック」「肉」という、一見するとふざけているとしか思えないようなものだ。
しかもそのひとつである「メタル」は、真っ二つにした牛の死体の中をまさぐって採掘するらしい。この世界の牛は一体どうなっているんですか?

リメイク版では新しいキャラクターも追加されているし、進化した戦闘システムやUIのおかげで遊びやすさも向上、戦略性も増している。
また、各章の開始時にあらわれる扉絵風のイラストやラブリーなタッチで描かれた背景画像などの新要素も、奇妙さと可愛らしさが同居した本作のアートワークをさらに際立たせている。過去作をプレイされている方でも、いろいろな発見があるのではないかと思う。

「スイッチをOFFにする?」と問われたとき、プレイヤーはもう引き返せない
本作におけるプレイヤーの目的は、バッターに与えられた“世界の浄化”という任務を達成するために、各ゾーンのボスを倒すことだ。
統治者であるボスを倒すと、そのゾーンは瞬く間に浄化される。浄化後のゾーンは、色彩を失って看板の文字なども読めなくなり、白い空間へと変貌してしまう。ついさっきまで働いていたNPCたちの姿もなくなる。
BGMも消え、その代わりに聴こえてくるのは、ヒソヒソとした囁き声や誰かの叫び声、ブランコの音、何かを叩く音……とてつもなく静かで、あまりにも虚しい。
誰もいなくなったはずのゾーンには、赤ん坊のような姿をした「セクレタリー」という霊が現れる。不気味な姿をしているが、あまりにも寂しい空間なので、出会うと少しだけ安心してしまう。しかし、浄化したはずの場所になぜ敵が?この世界が本当に清められたのか、それとも壊されただけなのかは、もはや判断がつかない。

変わり果てた街を歩いていると、罪悪感めいたものが芽生えてくる。
「これって、私のせいなんじゃないか?」
このゲームでは、浄化を拒否することができない。もちろん、逃げることはいくらでもできる。けれど、プレイヤーの役割は、ゲームを進めることだ。そのためには、戦って、勝たなくてはいけない。主人公を“正しく”操作しながら。
そう、私はいくつもの浄化に手を貸してきた。今さら「バッターについてきたら、いつのまにかこうなっていました」なんて言い訳できない。間違いなく、私の選択がこの世界を終わりへと導いていたのだ。そして死にゆく世界をモニター越しにボーッと見つめながら、「まあ、ゲームだからね」と自分に言い聞かせていた。
本当にこれで良かったのだろうか? 考えても、探しても、このゲームは答えを教えてはくれない。
「じゃあ、どうすればよかったんだよ」というどこにも回収されない問いを残して、物語は終わってしまう。
『OFF』は、余白の多い物語だ。断片的に提示される情報のあいだには埋められない隙間があり、多くのプレイヤーは自分なりにその意味を繋ぎ合わせようとする。それは、最初からピースが足りていないパズルのようなものだ。どれだけ組み上げても完全な答えには辿り着かないが、その欠けた部分を想像しつづけること自体が、この作品の体験になっている。
リメイクされた『OFF』をプレイして、改めて私の中で湧きあがってきたのは──“自分自身さえも信じられない”。そんな生々しい感覚だった。
はじめてプレイしたあの時と同じだ。「ただゲームを遊んでるだけなのに、考えすぎだ」と思われるかもしれない。でも人間として生まれちゃったんだから、考えすぎるくらいがちょうどいい。
「スイッチをOFFにする?」
物語を終える時、最後にこう問われる。そして、そのときには何もかも後戻りできない状態になっている。ここで手を止めても、これまでの出来事がなかったことにはならない。いつの間にか、私は”聖なる任務”を果たすための共犯者になっていた。
『OFF』は、プレイヤーを無責任な傍観者のままでは終わらせてくれない。どんなに後悔しても、このゲームをはじめたのは、私。
だからゲームのスイッチを切れるのも、ただ1人、プレイヤーの「私」だけなのだ。










