いまでは国内外で高い人気を誇る『ダンガンロンパ』。
同作は、小高和剛氏が半年かけてもうまくいかない企画書に思い悩み、自宅の喫煙所で一服していたときに「高校生同士が殺し合うバトルロイヤル」「推理もの」「登場人物はみんな『超高校級』」といった核となる要素が一気に浮かんで誕生した。
同作を象徴するモノクマのデザインは、発注から5分で上がってきた。テーマ曲『DANGANRONPA』は、締め切り当日まで1小節もできておらず、20分で作られた。それから16年、『ダンガンロンパ』はシリーズ3作、アニメ2作、舞台へと広がっている。
半年粘る執念と、一瞬のひらめき。だが、それを16年残る作品にするには、別の何かが要る。
その答えが語られたのが、東京日仏学院にて9月22日から23日にかけて開催されたゲームカルチャーを祀る祭典「The Tenth Mosaic」だ。本イベントでは9月23日、『ダンガンロンパ』のシナリオを書いた小高和剛氏と、音楽を作った高田雅史氏による対談が開催された。
昨日、東京日仏学院で開催されました
— トゥーキョーゲームス (@TooKyoGames) September 24, 2026
ゲームカルチャーの祭典「The Tenth Mosaic」
小高×高田トークセッションにお越しいただきましてありがとうございました!
雨の中、ご来場いただき感謝の気持ちでいっぱいです!
対談の様子をお届けします✨
photo:©︎Kristof Sagna pic.twitter.com/vAPV3b7pYZ
ふたりの関係は、フリーターだった小高氏が、高田氏が音楽を手がけた『killer7』などをユーザーとして遊んでいたところから始まる。のちにその高田氏に『ダンガンロンパ』の作曲を託し、ともにTooKyo Gamesを設立。10人の会社で10億円を投じ、100のエンディングがある『HUNDRED LINE -最終防衛学園-(ハンドレッドライン)』を作り上げるまでになった。
対談では、作品ごとに思い出の曲を流しながら、その歩みが語られた。『超探偵事件簿 レインコード』(以下、『レインコード』)のテーマ曲は1ヵ月苦しみ、探偵映画のドラムラインで「掴めた」こと。『ハンドレッドライン』のあった年、高田氏は700曲を世に出したこと。
ゲームと、その音楽の話を往復するなかで見えてきたのは、自分の好きな作品のためにいっさいの妥協をしない、ふたりのストイックな仕事への向き合い方だった。そして同時に、小高氏自身が「再現性がなさすぎる」と語る、数奇な運命でもあった。
本稿では、小高氏と高田氏が音楽とともに明かした、名作誕生の舞台裏をお伝えしていく。
文/としあど
編集/りつこ
撮影/Kristof Sagna・Alexander Degiorgio
ふたりが『ダンガンロンパ』に至るまでを振り返る──小高氏が高田氏を知ったのは「ファン目線」から
小高氏:
TooKyo Gamesの代表でディレクター、シナリオライターをしている小高和剛です。
高田氏:
TooKyo Gamesでサウンドコンポーザーをしている高田雅史です。
小高氏:
高田さんがそもそもゲーム業界に入られたのは、どのぐらい前だったのでしょうか。どうしてゲーム音楽をやろうと思ったんですか。
高田氏:
もう30何年ぐらい前……スーパーファミコン後期ぐらいですかね。もともと、専門学校で音楽を学んでいたんです。
そこで、音楽業界に行くか、どこで食べていくかと考えていたんですが、ちょうどゲーム音楽が魅力的になりはじめていた時期だったんです。ただ、ゲーム音楽家は専門職としてはまだあまり存在しませんでした。だから「そっちに専門職として行けば美味しいんじゃないか」という考えはありましたね。

小高氏:
最初に担当されたタイトルは、プレイステーションのタイトルですか。
高田氏:
最初はスーパーファミコンの後期で、世に出した仕事としてはセガサターンがいちばん最初ですね。
その後は、『クロックタワー』などのホラーゲームを作っていたヒューマンという会社に入ったんです。そこで須田剛一さんと出会い、グラスホッパー・マニファクチュアを立ち上げて独立したという感じですね。
小高氏:
ヒューマンにいたころは、何を作られていたんですか。
高田氏:
小学館の作品などの音楽で、『らんま1/2 バトルルネッサンス』や『釣りバカ日誌』などに携わりました。
それからはホラーゲームの音楽を作ったり、河野一二三さんと一緒に『猫侍』や『御神楽少女探偵団』を作ったりしました。
小高氏:
『御神楽少女探偵団』などもヒューマン時代の作品なんですね。そこから、須田さんと一緒にグラスホッパーを立ち上げ、『シルバー事件』、『killer7』、『花と太陽と雨と』などの音楽を制作されてきたんですよね。
僕はその『killer7』などのゲームを、フリーターだった20代のころにユーザーとしてプレイしたんです。
いまも同じだと思いますが、グラスホッパーのゲームって、マニアが「俺しか理解できないぞ」と感じるような「古のオタクが勝ち誇るためのゲーム」ですよね(笑)。

高田氏:
ユーザー数は多くはなかったけれど、「俺はこういうのも理解できる」と感じさせる作品ですよね。
小高氏:
僕も最初、ゲームショップのアルバイト仲間にそういうふうに言われて。「いや、俺だってわかる」と思ってプレイしたらおもしろくて。「こんなゲームを出していいんだ」とすごく感動したんです。
高田氏:
「今までなかったものを感じる」みたいな感覚でしたね。
小高氏:
だから、僕が最初に高田さんと出会ったのは「ユーザーとしてプレイしているゲームの音楽を作っていた人」としてなんです。
高田氏:
そう考えると、すごく長い物語ですね。
小高氏:
そうですね。上田文人さんやヨコオタロウさんのような今のディレクター仲間も、だいたいみんな僕がフリーターのときにゲームを売っていたんです。だから最初は、本当に「ファン目線」で接していましたね。
僕は20代をフリーターとして過ごして、10年間で100万円ぐらいしか稼いでいないと思うんです。フリーターといっても、ほぼ働いていないほうのフリーターでした。
実家でパラサイトしていたし、姉にも「そろそろあなた就職しなさい」だったり「お母さんが悲しんでるよ」みたいに言われていました。
20代をパラサイトで潰した人の中では、いちばん成功していると僕は思います。その期間にめちゃめちゃインプットをして、それが今に生きていますね。
でも人生が綱渡りすぎて、知り合いのゲームプロデューサーにも「小高さんの人生は再現性がなさすぎるから、多分生まれ変わってもう一回やっても無理だと思います」と言われました。たまたまうまくはいっているけど、再現性がなさすぎるんですよね。
