今回で3回目の開催となる、デジタルからアナログまで古今東西のゲームが集まる日本最大級の“ユーザー参加型”ゲームイベント“闘会議”。2017年2月11日(土)、12日(日)に開催される“闘会議2017”は、「ゲームと一緒に、生きてきた。」というテーマを掲げている。
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電ファミ編集部では、この「ゲームと一緒に、生きてきた。」というテーマを体現し、ゲームを通して人生を謳歌している人々に、インタビューを行っている。
本企画の最終回となる今回は、対戦格闘ゲームのプロゲーマーとして、日本や海外の数々のゲーム大会で優勝し、トップクラスの成績を誇っている、ときどさんにお話を伺った。
ときどさんは10代の頃から数多くの格闘ゲーム大会に出場し、優勝を重ねた一方で、東京大学教養学部理I類に入学し、東京大学工学部を卒業している。その後、同大学院に進んだものの、それを中退してプロゲーマーの道を選んだという“東大卒プロゲーマー”だ。
格ゲー界でも屈指の理論派として、徹底して勝利を追求する合理的なプレイスタイルから、“アイス・エイジ”という異名を取っていたときどさんだが、ここ数年はそのプレイスタイルに変化が生じているという。その背景には、ときどさんの“プロ”としての矜持と、格闘ゲームに対する思いがあった。
このインタビューで語られたときどさんの言葉から、「プロゲーマーとは何か?」ということが見えてくるはずだ。
取材・文/伊藤誠之介
このまま平穏な人生を送るのに耐えられなくて、大学院を中退してプロゲーマーの道を選んだ
――いきなりお金の話で恐縮なんですが、プロゲーマーの収入というのは、どのような形で得られるものなのでしょうか? やはりスポンサーがつくのが、いちばん安定するのでしょうか?
ときどさん(以下、ときど):
そうですね。
――それ以外だと、こういった取材やネット配信など、メディアへの出演もあるとは思うのですが、基本的には大会の賞金ということになりますよね?
ときど:
人によると思いますね。僕の場合はマネージメントしてくれる事務所に所属していて、そこからお給料をもらっているので、1人で食べていくぐらいはなんとかなります。そうは言っても、最近は賞金もかなり高額になってきているので、やっぱり重視せざるを得ないですよね。
――ふだんから毎日、練習されているんですよね? まる1日まったくゲームをやらないと、手の動きが悪くなるといったようなことはあるのですか?
ときど:
僕自身はあると思っています。気分の問題だとは思うのですが、やらないと“あっ、サボったな”って思っちゃうタイプなので、毎日ちゃんと触るようにはしています。
――1日にどれぐらい練習されているんですか?
ときど:
プレイの時間自体は、最近は減っていますよね。3時間もやらないんじゃないでしょうか。
若い時はもう、ただひたすら対戦していましたね。対戦を何時間もやって、トレーニングモードでも何時間もやるっていうだけだったんですけど。
今はそれよりも、動画を見て研究したりする時間が増えましたね。キャラクターとキャラクターの組み合わせがあって、実際の対戦ではお互いにどういう動きをするんだろうっていうのを考えてみたり。そういうことに割く時間が増えたぶん、本当に気合を入れてプレイするのは、3時間ぐらいになったわけです。
――ときどさんがプロゲーマーになろうと思ったきっかけは?
ときど:
僕が大学を卒業して大学院に入った時に、僕とも面識のある梅原大吾【※】という人が、プロになったって聞いたんですよ。
“僕らがただ遊びで、好きでやってたものが、プロとして仕事になるの?”って驚いたと同時に、“なんで僕じゃないの?”って思ったんですよ。その当時の僕は怖いもの知らずでしたので、自分がナンバーワンだと思ってましたから。
――じゃあそこで、自分もプロになれるかもしれないと思ったわけですか?
ときど:
その時というよりは、その後ですね。東大の大学院に進んだんですけど、そこで大きな間違いをしてしまって。大学院の研究がぜんぜんつまらなかったんですよ。まったく自分に合わないということがあるんだなって。
その時に思ったのが、自分の周りにいる梅原さんたちがプロゲーマーとして戦っている一方で、自分はこのまま大学院を修了して普通に就職して、結婚して子どももいるっていう将来を想像したら、その状況はとても耐えられないと。彼らがプロとして切磋琢磨しているのに、自分はそこに飛び込まずに平穏な人生を選んでしまう……それは無理だなと思ったんです。
――そこで自分も、勝負の世界に入ろうと?
ときど:
大学院を中退して、一般企業に就職しようか公務員を目指そうか、それともプロゲーマーをやってみようか、という選択の中で、プロゲーマーを選んだんです。すごく迷ったんですけど。
――ときどさんはその以前から、大会で優勝して賞金をもらっていたわけですよね。でもご自身としては、大会で勝って賞金をもらうだけでは、まだプロじゃないという意識だったんですか?
ときど:
プロ意識なんて、ぜんぜんなかったですね。賞金っていっても、当時はそれで生活できるという金額ではありませんでしたから。プロというのは少なくとも、その道で生計を立てられるぐらいの人を言うんだろうと。まぁ、ゲームのプロというよりは、プロと呼ばれる人はどういうイメージなのかって話ですけど。
この業界って、具体的なプロゲーマーの定義はないんですよ。プロのライセンスを発行している協会があるわけじゃないので。
――それはそうですね。では、ときどさんご自身がプロだと自覚されたのは、どういう瞬間だったんですか?
ときど:
これで生計を立てるんだ、って決めた時ですね。就職せずに自分でスポンサーを探して、これ1本でやっていくんだぞっていう。
――自分で自分の職業を決めた瞬間ですから、そこには覚悟ができますよね。
ときど:
覚悟したんでしょうね。本当にこの道を選んでしまっていいのかって、相当に悩んだんですけど……。親は「お前のやりたいようにやれ」と言ってくれたんです。今でもそうなんですけど、すごく理解のある親なんですよ。
ただ普通に考えて、東大を卒業して大学院に入って、この経歴でプロゲーマーになるヤツなんていないだろ、大丈夫なの? とは思いましたよ。でもやると決めてしまった以上は、やるしかないですからね。
攻略本で『バーチャ』の“鉄人”を見て、ゲーマーの存在を知った
――ときどさんがゲームを始めたきっかけは?
ときど:
テレビゲームということでいうと、3、4歳の頃から遊んでいると思います。最初は『スーパーマリオブラザーズ』をやった記憶がありますね。
――本格的にゲームにハマったのは?
ときど:
僕は小学生の頃に転校して、転校した先の学校でいじめられてたんです。小学3、4年生の頃に。誰も遊んでくれなかったんですよ、僕と。
そんな時に、5歳ぐらい年上のいとこと、セガサターンで『バーチャファイター2』【※】をやって。“こんなおもしろいものがあるのか!”って思ったんです。“学校に行ってもぜんぜんつまんないけど、これを練習することで、日々なんとかしのげそうだな”って。
それから半年間ぐらいは、そのいとこを倒すためだけに、ものすごく練習しました。それがゲームに本当にハマったきっかけでしたね。
――どのくらい練習して、勝てるようになったんですか?
ときど:
たぶん半年後とか1年後ぐらいだったと思うんですけど、その時はいい勝負になって。そうすると、いとこが攻略本を見せてきて、「ここに載ってる人たちは、もっともっと強いよ」って。
――あっ、当時の『バーチャ』の“鉄人”【※】の面々ですね!
※『バーチャ』の“鉄人”
1995年に開催された『バーチャファイター2』の全国大会“マキシマムバトル”の前夜祭で、新宿ジャッキー、池袋サラといった6人の有名プレイヤーが、セガ公認の“鉄人”として認定された。当時の彼らはプロゲーマーではなく、一般の社会人やゲーム雑誌の編集者だったが、全国各地のイベントに出演してブームを盛り上げたほか、TVなどのメディアにも登場した。
ときど:
そうなんですよ。ゲームの世界にも、そういうふうに本格的にやっている人たちがいるのを、その時に初めて知って、すごく印象に残ったのを覚えています。
それからずっとゲームを好きでやるようになって。学校の部活にも入部したりはしたんですけど、ほぼ活動もせずに幽霊部員みたいな感じで、ゲームばっかりやってました。
――では、対戦格闘ゲームの入り口は『バーチャファイター』だった?
ときど:
『バーチャファイター2』は家庭用でやってましたし、『バーチャファイター4』はアーケードでやりましたけど、『バーチャ』シリーズはそれぐらいですね。そこから『ストリートファイター』などの、いわゆる2D格闘のほうをやるようになったので。
――当時の『ストリートファイター』シリーズだと、どのあたりの作品ですか?
ときど:
僕が本格的にやるようになったのは、『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』【※】ですね。
――最初にゲームの大会に出場されたのは?
ときど:
大会に出たのは中学1年の時ですね。『ザ・キング・オブ・ファイターズ ’98』【※】でした。
――そういえば“ときど”というお名前は、『KOF』の八神庵(やがみいおり)から名付けられた【※】とお聞きしたのですが?
八神庵の連続技で、“飛んで”“キックして”“「どうしたぁ!」(必殺技のセリフ)”の頭文字が由来になっている。
(画像はTHE KING OF FIGHTERS OFFICIAL WEB SITEより)
ときど:
最初に大会に出場した時に、ゲーセン仲間からつけられたんですよ。いちばん最初はたしか、“ハックン”っていう名前で出場しようとしてたんです。本名が谷口一(たにぐちはじめ)なので、“はじめ”から取って。
でも、『KOF』では本当にその技しか使わなかったので、ゲーセンの兄貴分みたいな人から、「お前、そんなしょうもないプレイなんだから、もう“ときど”でいいじゃん」って言われて。それ以来、“ときど”を名乗ってます。