2024年11月23日に行われたコンピュータエンターテインメント業界向けのカンファレンス「CEDEC+KYUSHU」にて、株式会社アトラスの和田和久氏による基調講演「ペルソナのこれまでとこれからの話」が行われた。
同氏は、1998年にアトラスに入社。2006年発売の『ペルソナ3』のデザインディレクターなどを経て、現在は『ペルソナ』チーム全体を統括するプロデューサーを務めている。講演は、CEDEC+KYUSHU主催企業のひとつである株式会社サイバーコネクトツーの代表取締役で、和田氏とは旧知の仲の松山洋氏をモデレーターに迎えた2人体制で進行された。
本記事ではその中で語られた、1986年設立、1度は吸収合併により会社として消滅するも、セガグループの子会社として復活し、今年ブランド35周年を迎えたアトラスの「激動の歴史」と、同社を代表するタイトルであり、今や世界でも人気のRPG『ペルソナ』シリーズがこれまで歩んできた道のりや、IPプロデュースのノウハウや開発の苦労、そしてこれからの展望についてをレポートする。
:会社消滅・親会社の倒産──。激動の「アトラス」の歴史を振り返る
第1章では、『ペルソナ』シリーズの話題に先駆けて、今年35周年を迎えるアトラスという会社の歴史が、和田氏が携わったタイトルを中心に年表形式で紹介された。
アトラスの設立は1986年。会社としての第一作は、翌年発売された『デジタル・デビル物語 女神転生』だ。本作はパブリッシャーをナムコが務め、アトラスはデベロッパーとしての参加だった。和田氏は当時中学生で、本作を熱心にプレイしていたという。
その次に発売されたのは、1989年のゲームボーイ用ソフト『パズルボーイ』。本作から、アトラス自身がパブリッシャーとして販売を行うようになった。2024年の「アトラス35周年」は、「アトラスブランド」が誕生したこの年から起算している。
1992年に発売されたのが『真・女神転生』だ。和田氏も大いにのめり込み、ここからアトラスというメーカーを本格的に意識し始めたという。
1995年には、プリントシール機、いわゆるプリクラの第一号である『プリント倶楽部』が発売。社会現象になるほどの大ブームになったが、アトラスは特許を取得していなかったため、他社も同様のシール機を開発して追随した。「あの時特許を取得していれば、アトラスという会社の未来が変わっていたかもしれない。もしかしたら『ペルソナ』も生まれていなかったかもしれない」というほどの転機になりえた機種だ。
翌年の1996年には『ペルソナ』シリーズ第一作である『女神異聞録ペルソナ』が発売。
和田氏が最初に携わったタイトルは、1999年に発売された、ドリームキャストの『魔剣X』。同氏はゲーム内イベントに関わるアセット関連を担当。デザイナーとして入社するも、美大や専門学校などには通っていなかったため、入社当時はPhotoshopの経験もないなかで経験を積んでいった。
2000年には『ペルソナ2 罰』が発売。同時期には角川書店と資本提携をしたが、和田氏によれば「この頃から雲行きがおかしくなってきた」という。
2003年には『真・女神転生III-NOCTURNE』が発売。もともと『真・女神転生』シリーズに憧れてアトラスに入社した和田氏は、「死に物狂いで、楽しんで働いた」とのこと。和田氏は引き続き「イベント班」に所属。今では考えづらいことだが、モデル・モーション・背景など、イベントに関係するアセットは全てイベント班が担当していたのだという。特に和田氏は、主人公のモデルからオープニングムービー、全滅時のムービーなども担当。担当範囲は販促用のPVまでに及ぶほどだったが、それでも同氏としては楽しい開発体験だったそう。
同年にアトラスは玩具メーカー「タカラ」の子会社に。背景には、1997年ごろをピークとして下り坂になったゲーム業界の情勢が、アトラスにも影響したことがある。リリースする作品自体の評価は高いものの、経営的には順風満帆とはいかなかったようだ。
和田氏は翌年・2004年発売の『DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー』にも参加するも、本作も売り上げは振るわず。和田氏にとっては「わかりづらいタイトルで、プロモーションの大切さを感じた」作品になった。
翌2005年には、アトラス開発部が東新宿に移転。
そして同年、希望退職者の募集が開始。退職者がどんどん増え、これまでのアトラスの歴史で社内のムードが一番落ち込んでいた時期となる。ただ、和田氏は当時『ペルソナ3』の開発を担当。開発中からかなりの手ごたえがあったということで、希望を持ちながら働いていたという。
2006年には、インデックスホールディングスの子会社化。同年の『ペルソナ3』、2007年の『ペルソナ3 フェス』、2008年の『ペルソナ4』、2009年の『ペルソナ3 ポータブル』と、ナンバリング級のタイトルを1年に1作のペースで発売。順調に業績を伸ばしていき、開発部も東新宿から、元いた飯田橋への復帰を果たすことができた。
2009年には、本講演のモデレーターを務める松山氏が所属するサイバーコネクトツー社と技術交流会を実施。ペルソナチームがサイバーコネクトツーの本拠である博多へ赴き、当時開発中だった『.hack//G.U.』のチームとお互いに講演をしたそうだ。
『ペルソナ3』以降の作品が好調で、社内の雰囲気も良いなか訪れた事件が、2010年の「アトラス消滅」だ。ブランドとしての「アトラス」は継続するものの、会社自体は親会社のインデックスによる吸収合併で消滅。開発オフィスも、インデックスのオフィスがある三軒茶屋に移動した。
2011年の『キャサリン』、翌年の『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』『ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ』などの発売で立て直しを図る中発覚したのが、インデックスの債務超過だ。2013年には民事再生手続が開始され、ゲーム自体は好調にもかかわらず「アトラスが完全になくなってしまうのではないか」という心配をされた時期だった。
そうした状況が一変したのが2014年。セガがインデックスからアトラス部門を切り取る形で買収。セガのグループ会社として復活を果たしたのだ。
そこからは2016年の『ペルソナ5』を中心に、関連作を発売。2017年には同タイトルのUIデザインに関する講演でCEDEC+KYUSHUにも初参加をする。2018年のセガのオフィス移転に合わせて、アトラスも品川区に移転し、2024年のブランド35周年を迎えることができた。
セガグループとなってからは、のびのびとしたゲーム制作ができていると答えた。
アトラス社の激動の35年間をおさらいしたところで、第一章の総括として「なぜ、ATLUSは復活できたのか?」というトピックへ。和田氏によればその答えは「苦境の中でも、ATLUSのブランド価値を高めていくことができたから」だという。
大きな転換点となったのは『ペルソナ3』。アトラス社としても、『ペルソナ』シリーズとしてもターニングポイントとなった作品だ。本作以降のゲームに感じる手ごたえは、「会社が苦しくてもどうにかなるだろう」というほどものだったという。
年表でも説明があった通り、アトラスには2度の大きな危機、つまり、2005年の希望退職者募集と、2012年のインデックス債務超過があったが、両者の間には大きな違いがあったという。『ペルソナ3』開発前の2005年は「価値観がゆらいでいた時期」で、社内の雰囲気もどんよりとしたものだったが、『ペルソナ3』を経た2012年の危機に際しては、退社する社員はほとんどいなかったというのだ。
そんな『ペルソナ3』を経てアップデートされた「ゲーム開発において重要視する価値観」とはなんだったのか?アトラスのゲーム作りの価値観は、それ以前の「ONLY ONE」から、「UNIQUE & UNIVERSAL」に変化したのだと和田氏は話す。
『ペルソナ3』以前の価値観である「ONLY ONE」は、それ以前のタイトルに象徴されるような、「とにかくインパクト重視で、尖った作品であること」という意味だ。邪道を地で行くような、「好きな人は好きだけど、興味がない人は全く触れない」マニアックな作品が多かった。
それに対して『ペルソナ3』からの価値観である「UNIQUE & UNIVERSAL」。日本語では「独創と共感」と呼ばれるこの価値観は、「UNIQUE」、つまり以前の「ONLY ONE」的な独創性をベースに持ちつつ、ユーザーが共感して楽しむことのできる「UNIVERSAL」な作品を作ろうという考え方だ。「ウケなくても良いからとにかく尖った作品を作ろう」という姿勢から、「尖った要素を保持したまま、多くの人々に遊んでもらうにはどうしたら良いのか」と考えるなかで、こうした変化が起きたのだという。
この「UNIQUE & UNIVERSAL」を、和田氏なりに解釈して言語化したものが「猛毒を、甘い衣で包んで、たくさんのお客さんに食べていただく」という表現。強烈でユニークな体験である「猛毒」を、オシャレさやキャラの魅力といった「甘い衣」で包むことで食べやすくするという、今の『ペルソナ』シリーズをまさに言い表したような言葉だ。
これには松山氏からも「そういった考え方で『ペルソナ』シリーズが作られていることは感覚として理解していたが、ここまで言語化して意識していたのか」と驚きの声が漏れた。
とは言え、そんな「UNIQUE & UNIVERSAL」な価値観を満たした作品を生み出すにはどうしたら良いのか?それには「間違いなく面白いゲームであること」が第一条件だとしつつも、「お客さんの目に留まり、手に取ってもらうこと」を、開発段階から設計していくことが肝要という説明で、第1章が締めくくられた。
ゲームだけじゃない、多方面への展開によってさらにクオリティを高めていく。『PERSONA』シリーズの歩み
続く第2章では「『PERSONA』シリーズの歩み」として、より『ペルソナ』シリーズにフォーカスしたこれまでの歴史について語られた。
まず表示されたのは、第一作『女神異聞録ペルソナ』から最新作『ペルソナ3 リロード』までの、28年にわたる累計販売本数の推移グラフだ。現在、累計販売本数2350万本を売り上げている『ペルソナ』シリーズだが、特徴的なのは2020年から2024年の間で売り上げが倍増していること。こうした躍進に関して、和田氏はいくつかの要因を示した。
まず一つ目のポイントは2020年。この年は、コロナ禍の巣ごもり需要が発生した中、アトラスとしては海外版の『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』と、Steam版の『ペルソナ4 ザ・ゴールデン』を発売したことが大きいという。これまであまりリーチできていなかった海外ユーザーとPCユーザーを取り込むことに成功したというわけだ。
2020年のゲーム業界と言えば全世界同時発売・マルチプラットフォーム展開が当たり前となっており、「アトラスは判断が遅い」という松山氏のツッコミも入った。ともかく、これを機にアトラスも世界に向けて躍進していくことになる。
続いて2022年、この年は各種過去タイトルのリマスター版が発売。こちらはようやくPCを含むマルチプラットフォームで全世界同時発売され、さらなる販売本数の増加に寄与した。
そして2024年、最新作の『ペルソナ3 リロード』も、PCを含む最新ハードで世界同時発売。業界全体の流れからは遅れを取るものの、『ペルソナ』シリーズもマルチプラットフォーム・世界同時発売の波に乗ることで、大きな飛躍を果たしたと言えるだろう。
続いて説明されたのは『ペルソナ』シリーズを取り巻くメディア戦略の歴史についてだ。アニメ・ライブ・2.5次元舞台など、シリーズとして展開してきたゲーム本編以外のメディア展開について解説があった。
アニメに関しては、『ペルソナ3』を原案とするオリジナルアニメ『PERSONA -trinity soul-』を皮切りに、各ナンバリングタイトルの映像化がされている。音楽ライブに関しても、二度の日本武道館公演や両国国技館での公演など、継続的に開催がされており、2024年には、初の海外開催となる台湾での公演が行われた。2.5次元の舞台に関しても、各種本編タイトルの公演が開催されている。
音楽ライブの初回である赤坂BLITZでの公演は、『ペルソナ3』とアニメ『PERSONA -trinity soul-』の合同ライブで、アニメの製作委員会に所属するアニプレックスの主催で行われたそう。この公演がなければ、その後に続くライブが開催されなかった可能性もあるとのことで、そういった意味でも、各種メディアが相互作用していると松山氏は分析した。
そのほかにも、スピンオフのリズムゲームシリーズでモーションアクターを務めたダンサーたちが『ペルソナダンサーズ』としてライブでパフォーマンスをすることが恒例になったりと、それぞれのメディアが絡み合うことでエンタメとしての質が向上したと和田氏は話す。今年はアトラス35周年を記念したリアルイベントが開催されるなど、ゲーム以外の側面からもIP全体が盛り上がっているようだ。
続いては、『ペルソナ』シリーズの成長のポイントとして『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』に焦点を絞った分析が語られた。先述の通り、海外でのシリーズ躍進に大きく貢献した本作だが、その背景にはいくつかのポイントがあるという。
まずは、前章で説明があった「UNIQUE & UNIVERSAL」なゲームであったこと。ゲーム関連メディアなどがレビューを投稿する海外の評価サイト「Metacritic」でのメタスコアは95点だ。これはアトラスの作品史上最高得点であり、2020年のMetacriticでも最高記録だという。『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』が全世界的に評価されたタイトルであると言えるだろう。
ふたつめは、年表でも解説があったマルチプラットフォーム・ワールドワイド戦略だ。拡大を続けるデジタル市場への進出で顧客層を増やし、全世界同時発売によってユーザー側の盛り上がりのピークを作ることができたという。
次に挙げられたのは、アニメ・ライブなどの多角メディア戦術。これにより、ゲームだけではなく「エンタメコンテンツとしての『ペルソナ』」というIPが成長した。
最後に、動画配信ガイドラインの変更だ。それまでのアトラスと言えば、ゲームプレイ動画の配信についてはプレイ前の予期せぬネタバレでゲームの楽しみが損なわれることを防ぐため厳しい規制をタイトルごとに設けているメーカーだった。その後時勢の変化もあり、ガイドラインを設け規制を緩和した時の宣伝効果・認知拡大効果は大きなものだったと和田氏は振り返った。
次に語られたのは、こうした躍進の背景にあった『ペルソナ』シリーズのIPとしてのブランディング戦略・プロデュース指針についてだ。
まずひとつは、「新旧ナンバリングの価値を最大化し、『ペルソナ』IPのユーザーエンゲージメント、エンタメ価値を最大化する」ということだ。新作のナンバリングタイトルが発売されるまでに、大きな開発期間が設けられる近年の『ペルソナ』シリーズ。その間もIPとしてのポテンシャルを最大化するために、過去作のリマスターやリメイク・スピンオフ作品や、多角的なメディア戦略によって、全シリーズのファンでIPを盛り上げていこうという戦略だ。
次に挙げられたのは、「ブランドの永続化のイメージ確立」だ。コンテンツがずっと継続していく姿をアピールできれば、ユーザーも安心してIPにコミットできるというわけだ。
最後に、「『ペルソナ』IPの認知拡大」だ。これからシリーズがより認知されていくために、打率の低い施策でも、広範囲にじっくりとトライしていく必要がある。ライセンスコラボレーションも積極的に行っており、『パズル&ドラゴンズ』『グランブルーファンタジー』『第五人格』など、すでに30タイトルほどのゲームとのコラボを実施したという。先述した動画配信の制限緩和も、大きな認知拡大効果があった。
2章の締めくくりとしては、和田氏が考える「IPプロデュースで大事だと思っていること」が紹介された。
ひとつめは、「開発展開のストーリーを描く」こと。制作の目的と展開を事前に描いておくことで、開発に投じるエネルギーをブレずに集中させる効果がある。
ふたつ目は、「一貫性と柔軟性」。ゲーム開発における変化は、十中八九、トラブルに起因する「悪い変化」であることが多い。そんななかでも柔軟な判断を下すことで、事前に描いた開発ストーリーの一貫性を保っていくことが重要だという。
続いては、「IP品質の保持と拡大のバランス」だ。一般的に、IP展開を拡大すればそれだけ品質を保つのが難しくなる。しっかりとした監修体制で品質をコントロールしていくことが大切だ。
最後に、「力学で状況をイメージすること」。和田氏が例に挙げたのは、先述の「動画配信の制限緩和」だ。こうした施策は、たしかに認知拡大効果はあるかもしれないが、実際に効果測定を行うことは難しい。それでもこうした状況に対する感覚をつかみ、客観視の精度を上げていくことにより、早めの判断が可能になるという。
大規模開発になっても、末端まで血の通ったエンタメであること。変わってゆく開発現場の中での『ペルソナ』開発とは
第3章「これからの『PERSONA』開発」では、これまでのゲーム開発で培ってきたノウハウや環境の変化、これからの展望について説明。事前に募集した質問に回答するQ&Aコーナーも設けられた。
まずは、「これまでのゲーム開発で学んだこと」として、これまでのシリーズで学んだ知見や、変化した点について説明があった。
これまで説明があった通り、「ゲームタイトルの価値観」の分岐点になった作品は、「UNIQUE & UNIVERSAL」を志した『ペルソナ3』だ。一方で、開発体制や開発環境の面で分岐点となったのは『ペルソナ5』だと和田氏は話す。
これは『ペルソナ』シリーズに限らないことだが、近年のゲーム開発は、大規模化や制作費の高騰、開発期間の長期化によって、事前の計画通りに進みづらくなっているという。働き方がホワイト化したということもあり、「昔の感覚ではゲームが作れなくなっている」そうだ。
『ペルソナ5』の制作時期は、こうした業界の変化が大きかった時期と重なっている。ましてや、『ペルソナ5』という作品は開発期間が長いため、刻一刻と変わっていく業界の変化とのギャップに苦心したようだ。一度開発を開始した後に環境をアップデートすることは難しいため、開発が長期化すると、それだけ相対的に環境が過酷になっていくのだという。
そうした環境化では、仮に1本のタイトルを完成できたとしても、それを継続的に作り続けていくことはできないと考えた和田氏は、「持続可能な『ペルソナ』開発」をするための施策を実施した。
まず前提として掲げているのは「UNIQUE & UNIVERSALな、ユーザーの期待に答えるゲームであること」だ。当たり前のことだが、良いゲームでなくては作り続けることはできない。開発が大規模化しても、末端まで血の通ったエンタメであることを志しているという。
その上で、「これからの『ペルソナ』開発に必要なこと」として、いくつかのポイントが挙げられた。
まずは、「開発環境の効率化」だ。開発効率化のための管理ツールやAIの活用などは、ゲーム業界では既に導入されつつあるソリューションだが、アトラスでもそうした施策を『ペルソナ3 リロード』の開発時から取り入れ始めたそうだ。
続いて、「挑戦する意思を無くさないこと」。昔の小規模なゲーム開発であれば、トライ&エラーの繰り返しで良いゲームにしていくような手法が取りやすかったが、近年の大規模開発になると、ひとつのトライ&エラーが、半年や1年の遅延に繋がる可能性もある。そんな中でも「攻めの姿勢」を忘れないために、最小回数のトライでゲームのクオリティを高めきる集中力が重要になってきている、と和田氏は話す。
3つ目として挙げられたのは「トップダウンからボトムアップ組織への移行」だ。これに関しては、アトラスも現在試行錯誤をしている最中。和田氏が掲げる「全てのスタッフに、自分たちの作るべきゲームのビジョンが見えている」という目標は、半ば理想論的な側面もある。しかし、これほどまでに大規模化した開発の現場では、トップダウンで全てを管理することが難しくなってきているという現実もある。ただボトムアップの組織にするだけならば簡単だが、その中でもユニークさを失わず、品質や規律を両立した組織にしていくことが難しいところだと和田氏は語った。
さらに、CEDEC+KYUSHUを主催するゲーム企業団体のクリエイターから、事前に募集した質問に和田氏が回答するQ&Aコーナーも実施。このコーナーでは、プロデューサー業のスキルの培い方、他ジャンルのゲームを制作する際の苦労などを語った。
ゲーム開発は「変わっていくのは当たり前」、ゲームだと思って楽しむ。
講演の締めくくりでは、「ゲーム業界に思うこと」として、和田氏が個人的に考える、ゲーム制作やゲーム業界に対する思いや、仕事をしていく上でのコツが語られた。
まず掲げられたのは「ゲーム制作という名のゲームを楽しむ」ということ。自身の能力を駆使してミッションをこなし評価を獲得したり、周囲とのコミュニケーションや、突発的なアクシデントを経験して成長したりと、ゲーム制作の過程そのものをゲームとして捉えることで、開発体験が楽しいものに感じられると和田氏は話す。
その上、作品が完成した暁には、多くのユーザーに喜んでもらえるゲーム制作の仕事は、和田氏のキャリアを通してずっと楽しいものだったそうだ。
次に語られたのは「変化していくことが当たり前だから、そう割り切って楽しむ」ということ。ゲーム制作の計画は、想定通りに行かないことがほとんどだ。そうしたアクシデントに見舞われた時こそ、プロデューサー・ディレクターの腕の見せ所だと和田氏は話す。
また、自分が楽しいと思えることに関するスキルは自然と成長していくことから、いかに自分が楽しいと思えるような「波に乗っていくか」が重要だそうだ。制作現場が大規模化し、失敗がしづらくなっている環境の中、コミュニケーション力や、アウトプットの精度を高めつつ「面白い仕事」であるゲーム開発を楽しんでいくことが肝要だ。
講演全体の締めくくりとして語られたのは、ゲームという文化や、それを取り巻く業界全体に対する和田氏の思いだ。「ゲームは体験型の総合芸術」と言う和田氏。その他のエンタメと同じように、ゲームというジャンルに対する評価は近年高まりつつある。一方で、小説や映画、アニメなどと比べると、ゲーム機などのプラットフォームに依存するゲーム文化は保存が難しいジャンルだとも言える。それゆえに、アトラスが積極的に行っているリメイク・リマスター戦略は「文化の保存」の一面もあるのだそうだ。
良い作品は、消えずに残り続けて多くの人に遊ばれ続けるべきだと語る和田氏。CEDECなどのカンファレンスを通すことで、ゲーム業界がお互いに高めあって良い作品を作り続けていくことが、ゲームの文化的価値を高めることにも繋がる。「これからも、ゲームに関わる皆さん、共にゲーム業界をもりあげていきましょう!」という呼びかけで、1時間にわたる講演は幕を閉じた。