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ヴァニラウェアを「卒業」し、奈良の山奥で6年かけてゲームを作り続けたゲーム職人の物語──畑を耕しながらゲームを作る「晴耕雨ゲーム制作」の先に見えたもの

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奈良県宇陀郡曽爾(そに)村。

信号がひとつしかない、人口約1,200人の小さな村で、一人のゲーム職人が、6年かけてとあるインディーゲームを作っていた。

西村芳雄(にしむら・よしお)。

新卒でカプコンに入社し、『ストリートファイターIII』『CAPCOM VS. SNK』『ダンジョンズ&ドラゴンズ シャドーオーバーミスタラ』などの開発を経て、最終的には『モンスターハンター』の背景制作チーフを務めた人物だ。

31歳でカプコンを離れ、ヴァニラウェアの「8人目」として神谷盛治【※】のもとに合流。『オーディンスフィア』から『十三機兵防衛圏』まで、20年以上にわたって背景チームを牽引してきた。

※神谷盛治(かみたに・じょうじ)
ヴァニラウェア代表取締役。アトラス時代に『プリンセスクラウン』(1997年)のディレクターを務めた後、2002年に前身となるプラグルを設立し、2005年にヴァニラウェアへ改組。『オーディンスフィア』『朧村正』『ドラゴンズクラウン』『十三機兵防衛圏』など、緻密な手描き2Dビジュアルと強い作家性で知られる作品群を手がけてきた。

いわば、神谷盛治というカリスマクリエイターの背後で、ヴァニラウェアのビジュアル面の一翼を実質的に担ってきた人物である。

その西村氏が、ヴァニラウェアを退社した。

理由はネガティブなものではない──コロナ禍で一念発起して移り住んだ奈良の山村が気に入りすぎて、出社できなくなったから。

神谷氏も、それを「クビ」ではなく「卒業」として送り出した。

むしろ、ヴァニラウェアの未来戦略として、いずれ西村のような独立組がのれん分けのように出ていく動きを、神谷氏自身が意図的に作っている。その第一号が、西村なのだという。

独立後の西村が立ち上げたレーベル「ジギタリス出版」の第一作が、本作『ヴェリタステイルズ:暗黒城の魔女』

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▲『ヴェリタステイルズ:暗黒城の魔女』

ファミコン以前の時代に流行した「ゲームブック」を、現代のデジタル環境で再構築するという、極めてニッチで、極めて偏愛的な企画である。

だが同時にこれは、神谷氏がヴァニラウェアに対して構想する「新たな取り組み」──ラーメン屋ののれん分けのように、看板を背負わずにディレクターを世に送り出していく未来戦略の、最初の実験例でもあった。

『モンスターハンター』や『十三機兵防衛圏』などに携わってきた男が、なぜ農村でゲームを作り続けているのか?──ゲーム業界の周縁に立つ職人の声に、耳を傾けてみた。

聞き手・文・編集/TAITAI


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西村芳雄氏。背景に雄大にそびえるのは、曽爾村の名勝である「屏風岩(びょうぶいわ)」。

バブル崩壊の年、就職票は「2枚」しかなかった

──まず、西村さんがどういう方なのか、基本的なところから聞かせてください。そもそも、なぜゲーム業界に入ることになったんですか。

西村氏:
話はバブル崩壊になります。私は大阪デザイナー専門学校でイラストレーションを学んでいたんですが、卒業のとき、学校に来ていた就職票がその年だけ2枚しかなかったんです。前年度までは100枚以上あったのに、です。

──いきなり厳しいですね。

西村氏:
どこにも就職できないぞ、となっていたときに、友達が「カプコンが募集しているよ」と教えてくれました。私は愛媛県の宇和島出身で、絵を描きたくて大阪に出てきていたので、就職しないともう後がない。藁にもすがるような思いで受けたら、受かりました。

──ゲーム自体は好きだったんですか?

西村氏:
もともとゲームは大好きでしたね。

ただ、自分がゲームを作る人間になるとは思っていなかったんです。絵を描く仕事に就ければいい、くらいの気持ちでした。

──そこでカプコン側の面接官だったのが岡本吉起さん【※】だった、とか。

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岡本吉起氏
(画像はレジェンドクリエイター・岡本吉起氏インタビュー。17億円の借金から大復活を遂げたゲーム業界の風雲児の過去、現在、そして未来を聞くより)

※岡本吉起(おかもと・よしき)
元カプコン専務取締役。『ストリートファイターII』をはじめ数多のヒット作をプロデュースし、1990年代のカプコン黄金期を牽引した人物。2003年にカプコンを退社後、ゲームリパブリックを設立。近年はYouTuberとしても活動している。

西村氏:
そうなんです。第二次面接で岡本吉起さんがいらっしゃいました。これが、めちゃくちゃ面白かったんです。

3人同時の面接だったんですが、こちら側にどんどん仕掛けてくる。自分がどれだけ面白い人間か、どれだけ役に立つ人間かを言わざるを得ないような掛け合いをさせるんです。

──具体的にはどういう感じだったんですか?

西村氏:
誰かが答えると、「次はもっとすごい答えだよな」という空気を出してくる。ここでは言えないような僕の恥ずかしい話もして、その場で「君、採用!!!」みたいなことまで言って、周りの人が止めるくらいの勢いでした。

でも、それが本当に面白かった。こちらも興奮してくるんです。「もっと自分を売り込まなければ」と思わせる面接でした。それで、「この会社にどうしても入りたい」と強く思いました。

──最初はゲーム会社志望というわけでもなかったのに、岡本さんの面接でカプコンに入りたくなったと?

西村氏:
そうですね。最初は「絵を描ければ」という感じでした。でも岡本さんに会ってからは、俄然カプコンでした。「ここで働きたい」と思うようになったんです。

──カプコンに入って、最初の仕事は何だったんですか。

西村氏:
『サイバーボッツ』です。ロボットものの背景にあるオブジェクトや、コックピットUI、ヒットポイント表示、デモ周りなどをやりました。

ただ私は当時、絵がそんなに得意ではなかったんです。だからドット絵を描いても、上司から「西村くんは絵がね」と言われるような人材でしたね(苦笑)。

──えええ?

西村氏:
ただ、動き物だけは得意でした。壊れるもの、アニメーションするもの、そういう背景の中の動きをよく作っていました。

だから、アニメーションやUI全般、『ストリートファイターIII』などでは車を壊すボーナスステージなんかも作らせて頂きました。

──背景デザイナーというポジションながらも、いろいろされていたんですね。

西村氏:
そうですね。割とそういうみんなで作るみたいな意識も強くて。デザイナーであっても、どんどんゲーム内容に口を出すような文化がありました。だから、自分で手を挙げさえすればいろいろやらせてもらえたんです。

関わったタイトルとしては、『ダンジョンズ&ドラゴンズ シャドーオーバーミスタラ』、『SNK VS. CAPCOM』『CAPCOM VS. SNK』、『超鋼戦紀キカイオー』、『パワーストーン』、『ストリートファイターIII』あたりですね。あと最後に関わらせて頂いた作品なのですが、やはり『モンスターハンター』が代表作になるでしょうか。

青春だったカプコン時代と、そこで得たもの

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(画像はモンスターハンター | CAPCOMより)

──『モンスターハンター』では、どういう立場だったんですか。

西村氏:
背景制作のメインチーフでした。ゲームシステム的なものも、ある程度は私の方で決めさせてもらっていました。

──へえ。具体的にはどういう提案をされていたんですか?

西村氏:
分かりやすいところでいうと、マップの仕様とかでしょうか。

もともとは、オープンワールドのような大きなステージを作ろうとしていたんですが、当時のPlayStation 2ではとても難しかったんです。

しかもカプコンとしては、複数のハードで同時に作れるようにする、いわゆるマルチプラットフォーム的な枠組みも考えていました。任天堂さんのハード、セガさんのドリームキャスト、そういった各ハードの最大公約数で作ろうとすると、テクスチャー容量もメモリもかなり制限される。

だから、大きいステージは無理だと判断しました。小さいステージに分けて、それをつなげよう、と。

──それはかなりゲームの根幹部分ですね。

西村氏:
いま振り返ると、確かにそうですね。ワイバーンが水飲み場に行った、今度は北の草原へ行った、というのをマップで確認しながら追いかける。そういうゲームにしようと考えました。

──当時のカプコンって、デザイナー側にもそこまでゲーム内容を決める権限があったんですか。

西村氏:
たぶんですけど、会社全体がそうだった、というわけではないと思います。

チームの企画の子が私の後輩だったこともありますし、私がそのチームの中で古くからいたことも大きいと思います。

今はわかりませんが、当時のカプコンには、みんながゲームデザインに口を出す空気がありました。また開発のトップだった岡本さんの考え方として、「アイデアを出すのは誰でもできる。数を出さなければダメだ」という雰囲気がありました。

なんというか、開発チーム内にヒエラルキーがあるとしたら、一番上にプログラマー、その下にデザイナー、いちばん下に企画、という感覚だったんです。

──企画がいちばん下、というのはかなり面白いですね。普通は逆に見えることが多いと思います。

西村氏:
たとえばプログラム的に難しい処理があるとします。それをやるとバグが出るかもしれないし、コストもすごくかかる。そこはプログラマーが判断しやすい。

デザイナーも同じで、「装備を500個作ってください」と言うのは簡単ですが、実際にデザインするのは大変です。なら、色替えや素材の切り替えで表現できるのではないか、と逆提案できる。

──ああ、なるほど、企画が上流すぎると、変な形で「やらざるを得ない」が発生しやすいってことですか。

西村氏:
そうなんです。つまり、いちばん時間がかかる人、いちばんコストがかかる人が強く意見を言える空気が重要だということです。

もちろん完全な決定権があるわけではないですが、現場の人間が判断して、作り方を変えられる雰囲気はありました。

──それは、かなり現場的な強さですね。企画が絶対ではなく、実際に作る人間が「それは無理」「こうならできる」と言える。結果として、良い意味で企画が使い捨てられるというか、捨ててもいいものになっているのか。

西村氏:
そうですね。良くも悪くも、面白いゲームを作るためならば、という意気込みが強かったです。喧嘩もありました。でも、みんなモチベーションは高かったと思います。

「楽しんで作ったら、お客さんも楽しんでくれると思いたい」

──カプコンで学んだことをひとつ挙げるなら、何になりますか。

西村氏:
印象的だったのは、岡本さんの言葉を上司から聞いたことです。

「楽しんで作ったら、お客さんも楽しんでくれると思いたいじゃないか」。

この「思いたい」という願望の部分が、すごく好きなんです。

会社の雰囲気としては、辛いこともたくさんありました。泊まり込みもありましたし、ダメ出しもありました。ゲーム作りは、時間もかかるし、プライドもあるし、自分の限界を突破しなければならない。

でも、先輩方がなるべく楽しくいられるようにしてくれていた。みんなでワイワイと、どうしたら面白いだろう、どうしたらかっこいいだろう、と考えていました。

──素晴らしい環境ですね。

西村氏:
だから、カプコン時代には、ある種の青春のような思い出があります。ゲームを楽しく作る。その雰囲気作りが、いちばんの学びだったかもしれません。

──一方で、西村さんはカプコンを辞めることになります。なぜだったんですか。

西村氏:
少し暗い話になりますが、人がいなくなる時期がありました。

岡本さんが辞められて、会社内の編成が変わり、たくさんの方が辞めた。雰囲気が変わってしまった時期があったんです。

──会社が大きくなっていくと、そのあたりは仕方がない部分もありますよね……。

西村氏:
そうかもしれません。これは僕の肌感だったのですが、ゲームを作っている楽しい雰囲気というより、スケジュールに追われる、クオリティに追われる空気になってきた。

新たなプロジェクトに入った際に、私自身ストレスを溜めて、チーム内の問題を自分の責任だと思い込み、体を壊してしまいました。上司は「気にするな」と言ってくれたのですが、限界が来てしまった。

──なるほど。

西村氏:
それに、『モンスターハンター』が大きすぎました。大変でしたが、本当にいい仕事でした。

上司からも「入社して一番面白かった」と言っていただけたくらい、最高のチームで、最高の仕事ができたと思っています。ただ、それが大きすぎた。

──大きすぎた、というのは。

西村氏:
このままカプコンにいたら、私は「『モンスターハンター』を作る人」として生き残ってしまうかもしれない。

永遠にこれしかない、と言ってしまうかもしれないと思ったんです。体も壊したし、一度辞めて、別のことをやってみようと思いました。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、「第四境界」プロデューサー。 ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長を経て、KADOKAWA&ドワンゴにて「電ファミニコゲーマー」を立ち上げ、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、サイトの設計など運営全般に携わる。2019年に株式会社マレを創業し独立。 独立以降は、編集業務のかたわら、ゲームの企画&プロデュースなどにも従事しており、SNSミステリー企画『Project;COLD』ではプロデューサーを務める。また近年では、ARG(代替現実ゲーム)専門の制作スタジオ「第四境界」を立ちあげ、「人の財布」「かがみの特殊少年更生施設」の企画/宣伝などにも関わっている。
Twitter:@TAITAI999

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