ゲームの話を言語化することに使命感を燃やす、岩崎氏の開発者ならではの視点とは? 長らく続いた「RPGメカニクス」の話も、ついに今回で完結します。初めての方は、ぜひ前2回の連載も併せて読んでみてください。
当時のゲームの常識、「解けなくなったらオワリ」を解決する究極兵器として現れたRPGメカニクス。はたしてこのRPGメカニクスは、ゲームデザインにどんな影響を与えたのでしょうか?(編集部)
『ゼルダの伝説』はなぜRPGではないのか
前回、RPGメカニクスを以下のように定義した。
【RPGメカニクスの定義】
1. プレイヤーの持つ回復可能なリソースと交換で、なんらかの成長のリソースを手に入れる。プレイヤーの持つ回復可能なリソースとは、具体的にはMPやHPということになるが、ここではHPやMPと表現せずに探索リソースと呼ぶ。そして成長するのに必要なリソース(たいていの場合には経験値)は成長リソースと呼んでおく。
2. 成長リソースが一定の閾値(いきち=限界値)を超えると、プレイヤーが強化される。パラメータ毎に成長リソースが設定されている場合や、スキルポイントを“1”投入することで小ジャンプが大ジャンプに変化するような、成長リソースをどこに振るかを自分で決められるスキル形式でも、プレイヤーが強化されることに変わりはない。
この定義に当てはめると、「なぜファミコン版『ゼルダの伝説』がアクションアドベンチャーに分類されるのか?」が理解できる。
ファミコンディスクシステム版『ゼルダの伝説』がリリースされた1986年ごろ、つまり最初期のコンピュータRPG(以下、CRPG)の時代には、「何を以てRPG(メカニクス)とするのか?」という定義が日本では混乱していた。
RPGとつけると目新しく、かつ売れたので、売り手はともかく何にでもRPGとつけたがったし、「経験値があればRPG」とか「レベルがあればRPG」といった、かなり粗雑な議論が当時はまかり通っていて、『ゼルダの伝説』は当時の雑誌などでは、かなりの確率でRPG扱いされていた。
なぜならプレイによってキャラクターが成長し、なおかつ物語はファンタジー世界で繰り広げられる(当時のCRPGの世界観は、ほぼファンタジー一色)。そりゃあCRPG扱いされても仕方ない。
※ハイドライド
1984年にT&Eソフトが発売したPC-8801用のRPG。RPGとアクションゲームの両方の要素を取り入れた「アクティブロールプレイングゲーム」と銘打たれていた。これをファミコンにアレンジ移植したのが『ハイドライド・スペシャル』(1986)。
そんなわけで、当時『ゼルダの伝説』は、一部ではRPG扱いされていたり、また別のところではアドベンチャー扱いされていたりしたのだけど、いまではアクションアドベンチャーと定義されている。
なぜなら『ゼルダの伝説』には成長要素は存在するが、その成長は探索リソースとの交換ではなく、プレイヤーに与えられる謎や問題(ゲームデザインの世界では“パズル”と表現される)を解いた報酬として得られるアイテムによって行われるため。
だから成長要素は存在しても、RPGメカクニクスの定義には当てはまらないというコトになるわけだ。
『THE LEGEND OF ZELDA 2 リンクの冒険』(1987/FCディスクシステム/任天堂)のようにRPGメカクニスがゲームのメインの要素として存在していれば、「ともかくこのゲームはRPGね」と、わかりやすく分類できる。
メカニクスでジャンルを考えるようなロジックベースの分類は、こうしたわかりやすさがいいところだ。
※Zork I
1980年にインフォコム社からリリースされた、テキストに対してインタラクトするタイプの黎明期のアドベンチャーゲーム。最初のモノは、PDP-10というコンピューター上で動かした。冒頭、プレイヤーのキャラクターは一軒家の前に立っており、提示されたテキストに対してプレイヤーは、自分の行動をほぼ名詞+動詞で回答。それが制作者の想定している内容であれば話が進んでいく。リリース時から当時のさまざまなハードに移植され、オリジナルの三部作をはじめ、21世紀直前まで数多くの続編が登場した。
銀の弾丸その1:本当の「クリア保証」の始祖『ドラクエ』
と、いきなりどのようにしてゲームを分類するかの話を書いて脱線したけど、ここからが本題。
前回は、前述のRPGメカニクスを説明するにあたり、「成長することで、ゲームのクリアを保証してくれることが大きかった」という「クリア保証」【※1】の話を最後に書いたわけだけど、これこそが疑いもなくRPGメカニクスが銀の弾丸【※2】となり得た、第一の、そして最大の要素だった。
※1 クリア保証
アクションゲームの場合、難度が上がると、プレイヤーによってはそこで事実上ゲームの進行が止まってしまうため、これはゲームのクリアが保証されていない状態となる。RPGは経験値などを蓄積し、プレイヤーキャラクターが成長することで、時間さえかければ誰もがクリアを目指せるようになる。これが「クリア保証」という言葉で語られている。
※2 銀の弾丸
フィクションの世界では、通常の弾では倒せない狼男や吸血鬼などを倒すことができる弾丸としてよく登場する。“モンスターを一発で撃退できる”という効果から、「問題を一発で解決できる決め手や手段」の比喩的表現として用いられることが多い。
まず、その「クリア保証」の指し示すものが、アメリカや日本のPCと日本のコンソールゲームでは少し意味が違った、という話から始めていきたい。
そもそもアメリカで『ウィザードリィ』(1981/Apple II/Sir-Tech)【※1】が大ヒットしたとき、大流行していたのはグラフィックアドベンチャー【※2】だった。
※2 グラフィックアドベンチャー
テキストアドベンチャーに続いて重なるように隆盛した、アドベンチャーゲームの一種。グラフィックをともなったアドベンチャーゲームで、おもに名詞+動詞などの単語を入力してプレイを進めることが多かった。岩崎氏も言うSierra Online社の『MYSTERY HOUSE』(1980)がその嚆矢。
グラフィックアドベンチャーは、『MYSTERY HOUSE』(1980/Apple II/Sierra Online)【※1】と『Wizard and the Princess』(1980/Apple II/Sierra Online)【※2】の大ヒットで決定づけられたジャンルだ。
けれども、当時のアドベンチャーゲームは、大雑把には――
1. 状況を説明する絵とテキストが表示される。
2. それを見て、答えになる単語を入力する。
3. 正しければ先に進む、間違っていると一歩も先に進めない。
というゲームで、しかも解答の仕方を間違えると、ゲームが解けなくなってしまう=ハマるのも当たり前。そのうえ「ハマっているかもわからない」のが当たり前だった。
だからアドベンチャーゲームは、ブームになってすぐに「単語がわからないので解けない。謎がわからないので解けない」とフラストレーションがたまるイメージがついた。そこに登場したのが『ウィザードリィ』だった。
『ウィザードリィ』には当時のアドベンチャーゲームのような、とても解けない謎はなく(謎はあるし、いまの感覚からするとそれなりに難しいのだが)、キチンとマッピングして慎重にプレイすれば、キャラクターが成長して強くなり、誰でもクリア可能なゲームとして評価された。
実際の『ウィザードリィ』には、「テレポートトラップで通路でないところに飛び込む」、「蘇生に失敗する」などでキャラクターを失うリスクがある。だから「クリア保証」には「慎重にプレイすれば」という言葉がついていたわけだ。
では、日本ではどうだったのか?
日本でRPGがパソコンで決定的にメジャーになったのは、ふたつのゲーム『ザ・ブラックオニキス』(1984/PC/BPS)【※】と『ハイドライド』(1984/PC/T&E SOFT)の存在によってだ。
※ザ・ブラックオニキス
1983年12月にBPSがPC-8801用に発売した国産RPGのはしりとされる作品。発売に関しては1984年1月という説もある。プレイヤーキャラクターの体力や経験値が、数値でなくバーなど視覚的に表現されていた。のちにさまざまなパソコンでリリースされ、ファミコンにも1998年に『スーパーブラックオニキス』として移植されているが、大幅に内容が変わっている。
ただ、どちらのゲームも海外のCRPGと同様で、死んでもセーブポイントからやり直せないし、死んだキャラは復活しなかった。つまり「クリア保証」には、やはり「慎重にプレイすれば」という言葉がついていたわけだ。
これを本当の意味での「クリア保証」にしたのが『ドラゴンクエスト』(1986/FC/エニックス)【※】だった。
いまではむしろ珍しい形式になっているのだけど、プレイヤーがバトルに敗北したとき、『ドラクエ』は経験値やキャラクターをロストせず、所持金を半分にして、最後に訪れたリスポーンポイントから復活させるシステムなのだ。
これによってキャラクターの経験値がプレイ時間に比例して増加するのがほぼ保証され、『ドラクエ』は謎さえ解ければ本来的な意味での「クリア保証」のあるメカニクスになったわけだ。
また、RPGメカニクスは基本的に進行(成長)が保存できるのを前提としたメカニクスだ。だから外部記憶、バッテリバックアップ、パスワードなど、ゲーム進行(成長具合)を保存できるハードウェアやメカニクスとの組み合わさっているのがほぼ必須であった。【※】
※記事末尾の補論では、そうした「ハードウェアの進歩」と、「ビジネスモデルの変化」の2つが「クリア保証」を促していった理由を述べている。