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実は相性が悪かった「ゲーム」と「ホラー」~ホラーゲームが抱える問題点とは!?(寄稿:岩崎啓眞)

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  ホラーゲームについて書いてくれ、と話がやってきたので、ホラー大好きな僕としてはイロイロ書きたいことがいっぱいある。せっかくの機会なので、ここで僕なりのホラーゲームについて考えていることをまとめてみたい。

 本稿では、ホラーゲームの定義と、その歴史。そして、やっぱり外せない『Alone In The Dark』『バイオハザード』の功績に触れつつ、ホラーゲームが抱える問題点について書いてみよう。……と、いざ始めてみたら、普段自分のブログで書いているものよりも、さらに長文になってしまった。昔の歴史の話なんかは、興味がない人もいるかもしれないけど、最後までお付き合いいただければと思う。

左:『バイオハザード』 右:『Alone In The Dark』 ※ホラーゲームについて語るとき、この2作品の存在はやはり大きい。
ホラーゲームについて語るとき、この2作品の存在はやはり大きい
(左:『バイオハザード』右:『Alone In The Dark』)

そもそも「ホラー」の定義ってなんだ? 

 まず「何をホラーとするのか?」が難しいって面倒くさい話を書きたい。

 ホラーを直訳すると「恐怖」、要は“ 怖い”ってコトになる。
 では「怖ければホラーなのか?」というと、普通はちょっと「ん?」と思うのではなかろうか。

 例えば「エイリアン」という非常に有名な映画がある。「これはホラーなのかSFなのか?」と言われると、とっても微妙。少なくとも「エイリアン1」はゴシックホラーと呼ばれる系列の結構をなぞってはいるが、SFがベースになっているのは確かだろう。

 またロメロの「ゾンビ」はホラーなのかといわれると、これまた実は微妙。確かにゾンビがゴチャゴチャ出てきて怖いんだけど、ホラーとはちょっとテーマがズレてるような気がする。

 同じ理由で「ソウシリーズ」なんかに代表される、日本でソリッドスリラーと呼ばれるジャンルなんかは恐怖を感じるのは間違いないが、やっぱりホラーといわれると違う感じがするのが一般的な感覚だろう。

 つまりホラーとは、オカルトのようなちょっと超自然的な匂いが混ざりつつも「恐怖」がテーマなのが定義(じゃなかろうか)っていうとても微妙なジャンルで、「サスペンス」だの「SF」だの「ダークファンタジー」だのあたりとの境界がものすごく曖昧で困ってしまうのだ。

 ただ、そうは言っても、なーんの定義もせずに話を始めると違和感が出やすいので『スーパーナチュラル(超自然)的な力を持つ敵・何かが出てくること』を、今回のホラーの話ではベースとしておきたい。

 この定義を行うとウェス・クレイブンの「スクリーム」がホラーと呼べなくなる問題が発生したり、「エイリアン」は超自然なのかとか、『バイオハザード』のゾンビはTウイルスのせいで、超自然とはちょっとちゃうんじゃないのといった問題が発生はするのだけど、「スクリーム」はともかく、エイリアンとかTウイルスは超自然的なパワーなのは確かなので、それでいいことにしておこう。

 と、ホラーの定義を簡単ながらしたところで、ホラーゲームの最も難しいところは何か?
 それは「ゲーム」と「ホラー」の相性が悪いことだ。

 「え?」と思うかもしれないが、これはマジ。
 具体的にはゲームとホラーの相性の悪さには2種類あって、片方の問題は最近だいたい解決可能な領域に来た(それどころかもっとスゴいところに来るだろうって話も書きたい)が、もう一方の問題は、いまだある……という、そんな話を書いてみたい。

実は相性が悪かった「ゲーム」と「ホラー」

 ところで、ホラーにかぎらず、ゲームの歴史をたどるのは難しい。

 ゲームの歴史はある一定以上古くなると、発売日があいまいになり(ひどいものになると年単位の誤差がある)、そもそも発売されたかどうかも怪しくなり、さらに昔になるとアマチュアが作っていた自作のハード上で動いているゲームだの、メインフレームの片隅に置かれていた学生が作ったゲームだのって話になってしまい、記憶以外はほぼ残っていないなんて話になる(例えば、僕がMZ-80B用に書いた『ガンダム』のコックピット型のゲームなんて、誰も知らないだろう)。

 ただホラーに限ると、最も古いホラーを題材にしたゲームの一つと断言できるゲームは、ありがたいことに自分が覚えている月刊アスキー上で公開されたMZ-80K用の迷路脱出ゲームだ(1979年10月号もしくは11月号。たぶん10月号の作品)。

 ゲーム内容はどのようなものかというと、制限時間内に3D迷路から脱出するのだけど、迷路にはエイリアンがいて、エイリアンはもちろん追いかけてくる。バッテリーが限られており、徐々に視界が失われていく中、出口にたどり着くというゲームだった。

 どうしてこんなものを覚えているのかというと、エイリアンが題材で、月刊アスキーの1979年5月号で“APPLEII”用の3D迷路が公開され、その未来的でスゴくかっこいいイメージから、(主に月刊アスキーで)大流行していた3D迷路のゲームのアレンジ版として強く印象に残っているからだ。実際に遊ぶと描画速度が遅くて、自分の期待よりは全然ガッカリだったのだけど、まあそれは言いっこなしだろう。

 これをホラーと定義しているのは、ゴシックホラーの結構を持つ「エイリアン」をベースにした作品だからだ。もちろん、これより前にパズルゲームなどで「モンスターに捕まらないようにする」というようなゲームは存在するのだけど、曲がりなりにもホラーのような緊張感をゲーム内の演出に取り入れた作品としては、ほとんど最初期の一つであるのは間違いない。

 ……だけど、では「怖かったのか?」と質問されれば、答えは「カケラも怖くなかった」。

 これが第一の問題。
 つまりホラーはゲームのテーマとしてはテレビゲームの初期から何度か取り上げられてるのだけど、「ちいとも怖くなかった!」のだ。
 そして、ちいとも怖くなかったがゆえに、ホラーは映画や小説で極めて普遍的なテーマなのに、ゲームの世界ではちいとも主流になれなかったのだ。

 そりゃそうだ。
 当時のMZ-80Kはオールインワンのパソコン(セミキットで組み立てが必要だった)で、ディスプレイは10インチ。もちろんアナログモニタで全領域に表示できるわけではないので、表示面積では今どきの気の利いた8インチぐらいのタブレットの方が広い。

 その上に表示されるのは40文字x25行のキャラクターグラフィックで、白黒だ(仮にビットマップディスプレイで表示可能だったとして320×200になる。なお40文字×25行の表示はコモドールのPET-2001と同じ)。

 しかもサウンド回路が鳴らせるのは1音だけ。もちろん音色もない。そんなグラフィックとオーディオで人を怖がらせるのは正直難しい。

 ではテキストで……と言いたいところだが、残念ながら、この当時、まともに漢字が表示できるパソコンは一台もない。
「ドコカラトモナク ブキミナコエガ シタ」では相当読みづらいし、怖くもなんともない。

 ホラーゲームはプレイヤーに怖さを味わってもらうことが最大の目標で、お話の面白さとか、そういうのなんてのは、ともかく“怖さ”があってからなのは誰もが納得するところだと思う。ホラーと銘打たれているが、全然怖くはなく、でもお話は面白いゲームがあったとして、これを「恐怖を味わいたい人」が買うのかと考えれば、そう言い切るのも理解できるだろう。

 そして、当時のゲームマシンにもパソコンにもアーケードマシンにも恐怖を感じさせるに足る表現力がまったくといっていいほどなく、前述したMZ-80Kの表現力なんて、どちらかというと上等な方だった(音が出るだけマシだし、解像度的にもレベルは高い方に入る)。

 だから書いた通りMZ-80Kのエイリアンゲームは、雑誌の煽り文句とは裏腹にちっとも怖くなかったし、サバイバルホラーの先駆者……と一部のゲームの歴史のサイトで定義されている、1982年のAtari VCSのゲーム『HAUNTED HOUSE』も、さっぱり怖くない(ウェブでプレイ可能)し、同じく1982年のシンクレア ZX81で発売されていた『3D MONSTER MAZE』も間違っても普通の人が怖いとはいえない。

左:HAUNTED HOUSE(Wikipedia)より 右:3D MONSTER MAZE(Wikipedia)より
左:『HAUNTED HOUSE』(画像はWikipediaより) 
右:『3D MONSTER MAZE』(画像はWikipediaより)

 83年にリリースされた「ホラー」という単語がモロについた『ホラーハウス』(PC/日本ファルコム)も、まあ怖いというのからは程遠い。
 もちろんジョン・カーペンター監督の傑作映画「ハロウィン」をベースに作られた『Halloween』(Atari VCS/Wizard)もやっぱり全然怖くない。

技術の進化が“怖い”を表現可能にし始めた80年代後期

 では、いつごろから、曲がりなりにもホラーっぽい作品……ちょっとは怖いといえる作品が作られるようになったのか?

 まずそれなりに容量が大きくなり、かつ、絵と音のどちらも扱えるようになった時代、具体的には85年よりあとぐらいから……ということになる。

 この時代になると、日本ではファミコン、MSXともにメガロム(といっても128・256キロバイトとか、そんな程度)の時代に入り、それなりの表現力を持つようになってくる。

 またPCではPC-8801Mk2SRなどを筆頭にフロッピードライブが標準搭載(とはいっても、当時のフロッピーメディアは原価が高く、実際にソフトにするときには枚数には厳しい制限があった)で、なおかつ640×200の解像度(1行漢字で40文字表示でき、それなりに精細な絵)で、漢字ROMを搭載していて(漢字かな交じり文を表示できる)、かつサウンドがそれなりに鳴らせるハードが登場する。

 つまり漢字かな交じり文のテキストと、それなりに精細な絵で、音を付けてゲームを演出できるようになり、ようやくそれなりに恐怖を表現可能になるわけだ。

 このころのホラーゲームにはどんなものがあったのか?
 1985年にはホラーというよりはモンスターがグロテスクなSFの方に近いけれど『ザ・スクリーマー』(PC88/マジカルズゥ)なんて作品があり、海外ではコモドール64用の『FRIDAY THE 13TH : THE COMPUTER GAME』、なんと映画「13日の金曜日」をテーマにしたゲームが出ていたりする。今見ても、それなりに迫力のあるグラフィックになりつつあるのがよくわかる2本だ。

ザ・スクリーマー(プロジェクトEGG)より
『ザ・スクリーマー』(画像はプロジェクトEGGより)

 そして1986年に、ホラーが直接のテーマではないけれどホラーのキャラクターをテーマにした『悪魔城ドラキュラ』(ファミコンディスクシステム/コナミ)が登場する。これはもちろんアクションゲームだけど、グラフィックの造形では、そろそろホラーといえる表現ができることがわかる。

悪魔城ドラキュラ(KONAMI コナミ製品・サービス情報サイト)より
『悪魔城ドラキュラ』(画像はKONAMI コナミ製品・サービス情報サイトより)

 87年にはホラーをテーマにした『Produce』(PC/db-soft)、クトゥルー神話をベースにした『ラプラスの魔』(PC/ハミングバードソフト)といった作品がPCで登場する。
 またホラーの要素は比較的薄いけれど、エイリアンオマージュの傑作『ジーザス』(PC/エニックス)、さらにはランダムエンカウンター型の戦闘がアクションになっているRPG『死霊戦線』(MSX/ビクター音楽産業)、同じくエイリアンをテーマにしたアーケードゲーム『エイリアンシンドローム』(アーケード/セガ)なども同年にリリースされている。

 そして88年になると、『アンジェラス~悪魔の福音~』(PC/エニックス)、『スナッチャー』(PC88/コナミ)、『邪聖剣ネクロマンサー』(PCエンジン/ハドソン)、『スプラッターハウス』(アーケード/ナムコ)、89年になると『スウィートホーム』(ファミコン/カプコン)、『ファミコン探偵倶楽部 PARTⅡ うしろに立つ少女』(ファミコンディスクシステム/任天堂)など、いかにもホラーがテーマ、もしくはホラーに近い作品が多々登場することになる。

 このあたりになるとかなりホラーな雰囲気は作れるようになっていて、ファミコンでもかなり「怖い!」という感じにはなっていた。
 だけど、どこの誰もがぞっとするといえるような作品ではなかった。

 それまた当たり前で、どんなにがんばっても512色程度の色数で、しかもムービーも使えなければ、ポリゴンも実質不可能同然。良くてスプライト+背景画でしかなく、まだまだ表現力が不足していたのが現実だった。

世界のホラーゲームに影響を与えた『Alone In The Dark』

 ここに革命を起こしたのが92年の『弟切草』(スーパーファミコン/チュンソフト)。

弟切草(任天堂ホームページ)より
『弟切草』(画像は任天堂 WiiUバーチャルコンソールページより)

 パソコンで何度か試されていたが(システムサコムの『ノベルウェア』など)、いまいちメジャーになり切れなかったテキストを読ませる、文字ベースのゲームに挿絵+サウンドで演出をかける方法で大成功を収めることになる。

 スーパーファミコンでは、容量の都合で贅沢に使うわけにはいかなかったが、サウンドの性能向上でかなりリアルな効果音を鳴らすことができたし、3万色あったのでかなりリアルで不気味なイラストを表示できるようになった(これまたアニメとかさせると容量問題が大きかったろうが挿絵的な使い方ならなんとかなった)。つまり絵と音で文章を強化して演出する方法が成り立つようになったのだ。

 このチュンソフトのサウンドノベルの成功から、リーフのビジュアルノベルにつながり、パソコンゲームのいわゆるエロゲーのスタイルが作られていくことになるので、日本のゲームシーンに対しては極めて大きな影響を与えたことになる。

 また『弟切草』がホラーだったせいなのか、それともリーフの初期作品『雫』『痕』はホラーの要素が強く入った作品だったせいなのか、以降、パソコンではずっとホラー要素のある作品が出続けるし、小説+絵+音を使った演出はもちろん「怖い!」のだけど、世界的に見たとき、ホラーというジャンルに大きな影響を与えたとはいいがたい。

 では、何が世界的にはホラーゲームに強い影響を与えたのか? 同じ92年にPCでリリースされた『Alone In The Dark』(PC/Infogrames)と、その子孫が決定的な影響を与えている(以下、『アローン1』)。

Alone In The Dark(Wikipedia)より
『Alone In The Dark』(画像はWikipediaより)

 『アローン1』は、ホラーアドベンチャーゲーム(RPGに分類されることもある)で、常に映画のようなカット割りされた視点から画面を眺める三人称視点のゲームだが、革命的と呼んでいいホラーゲームだった。

 『アローン1』が革命的だった理由は?
 3Dで作る=一つのシーンを様々な角度から見ることができる=カメラアングルがあるのを利用して、映画のようなカメラアングルを持ったゲーム画面を作り出したことだ。

 これがどれほど革命的だったか?
 『アローン1』より前はなんとかムービーはあっても、ゲーム画面のカメラアングルは固定が常識だった。

 これまた当たり前の話で、『アローン1』よりほんの少し前までは、ポリゴンでゲームを作ること自体が難事業で、フライトシミュレータのように空と地上物があれば、描画が雑でもなんとか成り立ちうるゲームや、閉鎖空間のサーキットならいざ知らず、日常生活の世界をそれなりのディテールで、リアルタイムに描画するのは実質不可能だった。

 そうなるとゲーム画面では、1枚絵を表示したり古典的なアクションのようにスクロールするのがせいぜいということになる。

 その視点の常識を木っ端微塵に打ち砕いたのが『アローン1』だった。
 『アローン1』は、すべての画面を基本的に3D(ポリゴン)で描画し、それを利用して、あらゆるシーンに映画のようなカメラアングルを持ち込んだ。

 ……ただし92年当時のマシンでは、現代のゲームマシンやPCのようにリアルタイムですべてをレンダリングするマネはとてもできなかったので、背景はあらかじめレンダリングされた2D画像(プリレンダリングと呼ぶ)で、その上にリアルタイムレンダリングされたポリゴンのプレイヤーキャラクタやモンスターが表示される形式を取った。

 つまり、PS1時代、『FFⅦ』や『バイオハザード』などの作品で散々使われた、高品位なプリレンダの画面の上にリアルタイムレンダリングのプレイヤーキャラクタを置く方式の元祖が『アローン1』だったわけだ。

ホラーゲームをメジャーに押し上げた『バイオハザード』

 この不滅の『アローン1』を、決定的な形で一般化したのが『バイオハザード』だ。

バイオハザード(PlayStation Store 公式Webマガジン)より
『バイオハザード ディレクターズ・カット』(画像はプレイステーション ゲームアーカイブスページ)より

 なんせ『1』だけで、日本だけで百万本も売れ、しかもアローン1方式で1、2、3、さらにはゲームキューブでゼロまで作ってしまったのだから、間違いなくアローン1方式を決定的に一般化したゲームだろう(『4』と『コード:ベロニカ』はアローン1方式ではない。また『4』は肩越しカメラのTPSをほぼ決定的な形で提示したゲームでもある)。

 そしてもう一つの重要なポイントが「表現力のあるハードウェアでちゃんとホラーを作ると、本当に怖くなる」という 、極めて重要な事実を示したことだった。

 というのも『アローン1』は確かに革命的なゲームではあったが、そのグラフィックは当時の非力なマシンスペックを反映して極めてチープで、人はかろうじて人の形をしており、屋敷も屋敷に見えないことはないという程度でしかなかった。
だから、まだまだ恐怖感は足りなかった。

 ところが『バイオハザード』は事情が違った。
 1996年当時、最強のハードウェア3Dエンジン/グラフィックスを持っていた(言い換えれば、コンシューマ向けで最強のグラフィックを持っていた)のはPS1で、そのグラフィックの能力はパソコンを圧倒しており、当時としては極めて写実的でリアルなグラフィックを作ることが可能だった。

 しかもメディアはそれまで主流だったスーパーファミコンのロムカセットと違い、大容量のCDを使っており、存分に演出に力を入れることができたし、オーディオももちろん現代のクオリティに近く、しかもある程度の制限はあるもののフルカラーのムービーを使うこともできた。

 つまり画像解像度の点を除けば、ほぼ最強に近い3Dハードウェアの上で説得力を持って発売された。すなわち、『バイオハザード』は当時考えられる限りで、最良のグラフィックを持ち、十分なクオリティのサウンドを持ち、誰もが恐怖を感じるに足る十分な演出が行われた「アローン型のゲーム」だった。

 そして、その迫力は当時のプレイヤーに恐怖を感じさせるに十分なクオリティだった。だからこそ、『バイオハザード』の与えた恐怖感はユーザーを満足させ、PS1初のミリオンセラーソフトとなり、カプコンの看板ソフトにまでなることができ、作り手側にも「3Dを使ってちゃんとホラーを作れば本当に怖い作品を作れる」と証明したわけだ。

プレイヤーの自由な視点が恐怖を減らす!?

 『バイオハザード』の登場によって「ホラーゲーム」は、一気にジャンルとして大きくなり、ゲームの主力テーマの一つとして定着していくことになる。

 そして以降は表現力が強化されていくことで、ホラーを映像として表現するのは(予算の問題を除けば)難しくなくなっていくのだが……この“表現力”、実はホラーに対しては諸刃の剣で、困ってしまうのだ。

 というのも表現力が上がるにしたがって、もちろんモンスターの描写はリアルになる。
 しかし、当たり前だがプレイアビリティを上げるためにも、その表現力は使われ、常識的なゲームデザインの一つとしてTPS、すなわちプレイヤーキャラクターが画面の中心にいて、カメラは自由に回せる……のは、全く当たり前だ。

 ところがこの表現には実はホラーでは結構困る「カメラアングルの問題」が出てきてしまう。
 アローン1方式、すなわち背景にプリレンダの画像を表示し、その上にポリゴンのキャラを配置する方法は、PS1時代は全盛を極めるのだけど、PS2時代になると初期の『鬼武者』などでは使用されていたけれど、レンダリング技術のノウハウの蓄積による性能向上に伴って急速に使われなくなっていく。

 なぜかというとプレイアビリティがイマイチという問題が常にあり、加えて背景が1枚絵だと技術的に劣るイメージになって、使うのが難しくなっていく。

 そして、これこそが、ホラーにとって困る決定的な理由だ。
 今のTPS系のゲームで普通に使われる操作系は右スティックでカメラ回転。プレイヤーを中心に自由にカメラ位置を変えることができる。
 だからキャラクターの周囲を見回しながらプレイするのが当たり前だ。

 もちろんプレイアビリティの点からは問題ない。カメラは自由に動かせる方がプレイしやすいに決まっている。
 だが、このカメラアングルは「作り手側が効果的に見せたいカメラアングル」とは別物の、「プレイヤーが恣意的に決められるゲームをプレイしやすいアングル」でしかない。
 さらに書くなら、そのカメラはプレイヤーを中心もしくは少しずれた位置に表示する、常時プレイヤーを写すためのカメラでしかない。

 それと比較するとアローン1方式は基本的に背景は1枚絵で、カメラは固定されている。そして、このカメラアングルは作り手側が見せたいと思っているアングルだ。

 この画面が固定なのはゲーム内で何かを強調したいとき、とても効果的だ。例えばドアノブが手前側に大きく入るカメラアングルで、ノブがガタガタ揺れればなんとも怪しい雰囲気をかもし出せるが、TPS型では単にドアのドアノブがガタガタ動いているだけだ。TPS型でノブを強調しようとすると、ガタガタ揺れている⇒近づくと強制ムービースタートというような手段を使わなければならず、実は結構難しい。

 またカメラアングルが自由なTPSで、敵を登場させようとしたとき、ホラーの世界でよくあるような「振り向いたらモンスターがっ!」というような、突然敵が現れるという処理が非常に難しくなってしまう。

 だから『Dead Space』では恐怖感を煽るために、やたらめったら部屋が細かく区切られ、視界を悪くし、なおかつガラスで区切られた廊下を使って、その外で惨劇が展開されるとか、そういうテクニックを多用している(さらに書くと宇宙船の設定でそれを合理化している)。

Dead Space(公式サイト)より
『Dead Space』(画像は公式サイトより)

 同じような例を挙げるとFPS形式の『CONDEMNED』ではだいたいマップがやたら暗くて、グネグネ曲げてある。

CONDEMNED: Criminal origins(Monolith Productionsホームぺージ)より
『CONDEMNED: Criminal Origins』(画像はMonolith Productionsホームぺージより)

 どっちも視界を区切るのに四苦八苦しているわけだ。
 つまり作り手側が効果的に設定したカメラアングルは、TPS型のゲームではプレイヤーの介入がQTE程度に制限されるムービーにしか残っていない(インゲームのレンダリングまで含めてムービーと呼ぶ)。

 言い換えるなら、実は今のTPS型の自由にカメラが回せるゲームは、表現的には、どこかに行くとムービーが始まる、過去のスタイルに退化してしまっているわけだ。

 次にカットの問題。
 これまた背景が1枚絵と露骨に繋がるのだけどアローン1方式は基本的に1画面で固定され、キャラクターが指定の位置に移動すると「次の画面」に移る形式だ。

 そして1画面ごとにカメラアングルは違う位置に固定されている。言い換えるなら、マップの切り替えはアローン1型では、いわば映画のカットを切り替えるような挙動をするわけだ。

 ここで、例えば『バイオハザード1』(オリジナルPS版)のオープニングを考えると、基本的には以下のような流れになる(間のマップを幾つか飛ばしているが)。

①広い玄関ホールからゲームが始まる(オープニングは無視)
②食堂っぽいところに入る
③狭くて暗い廊下に入る。
④ゾンビとの初顔合わせ(ムービー)

 ミソなのは、狭くて暗い廊下でも、アローン1方式なので、プレイヤーはカメラをいじってあちこちを見ることができないし、曲がった先(ここでマップが切り替わる)に何があるのかを知ることはできない。

 だから画面に見える廊下の端に行ったところで画面が切り替わり、そこで初めてマップではなく、目の前でゾンビが死体をグチャグチャ食べているムービーを見ることになる。しかも、画面の切り替えは通常と同じなので、ムービーが始まることも推測できない。

 つまりプレイヤーをフォローするカメラではなく、固定されたカメラを置くことによって、画面が切り替わっていくために、映画のカットの切り替えのような効果を得られる。だから「アローン1方式の表現力は現在の標準的なTPS型ゲームより上の部分がある」わけだ。

 逆にカメラを切り替えるのが難しいTPS(やFPS)型ゲームでは、実は恐怖映画のような怖さを表現するのは難しい。ゲームとしてのプレイアビリティが進歩した結果、ホラーとしての表現方法が逆に制限を受けているという問題が、現在のホラーゲームにはあるわけだ。

 そして、“ 怖い” と有名な『OUTLAST』とかそーいったゲームをやるとき、ともかく視界を区切るために一生懸命なのがわかるので「アー」と思ってしまう。

 ただ、これはさらに技術の進歩が解決する可能性はある。
ホラー映画的なカメラアングルがなくても、視界すべてを奪ってしまう極限の体験型技術VRが登場したので、これで表現の大半はなんとかなってしまうかもしれない。

 ……と、ここまでは表現力の話をしてきた。
 ではこれでホラーゲームはOKなのかというと、そこに第二の問題が立ちふさがるのである。
 ……なのだけど、あまりに長いので、その話はチャンスがあったら、また今度。

 ところで、全く個人的な話を書くと、「8ビット時代に最も怖かったゲームはなんですか?」と言われると、PCエンジンの『サイレントデバッガーズ』。冗談じゃないぐらい怖いゲームだった。表現力の不足を音の演出で補った傑作だと個人的には思っている。

 そしてPS1時代に最も好きだったのは、実は『バイオハザード』ではなく『クロックタワー2』
 もちろんゲームの歴史書に大書されるのは間違いなく『バイオハザード』で『クロックタワー2』は隅にちらっと書かれる程度だろうが、自分が大好きな超常連続殺人鬼シザーマンに美女が追いかけまわされるという設定で、もう端から端までスラッシャー映画のオマージュだらけで全くたまらんゲームだった。

プロフィール
岩崎啓眞(いわさきひろまさ)
ゲームデザインディレクター。古くからゲーム業界に関わり、開発者の視点からゲームのことを言語化していくことに使命感を燃やす。電撃プレイステーションでもコラムを連載中。

個人ブログ:Colorful Pieces of Game
Twitter: @snapwith



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