「背水の陣」だけで良いものは作れない。あらかじめ生活の限界ラインを知っておけば、無理ができる
──「ゲーム開発にはビジネス感覚も必要だ」とおっしゃっていましたが、その点で言えば、『グノーシア』は逆にかなり危うい開発をしていたようにも思います。聞くところでは、川勝さんが自分の稼ぎでメンバーを食べさせていた時期もあったとか。
川勝氏:
というより『グノーシア』の開発チームに制作へ集中してもらうために、僕とサウンド担当のQflavorだけが別の仕事をして収入源を変えた、というのが正しいですね。
プチデポットとして1作目に開発した『メゾン・ド・魔王』が結構売れてくれたので、しばらくはそのロイヤリティをみんなで分け合って生活できていたんですけど、さすがに発売から4、5年経って、『グノーシア』の開発の途中でそれが難しくなってしまったんですよ。
──『グノーシア』自体、開発に4年間もかけられていましたからね。
川勝氏:
そこで途中からは、Qflavorと僕はロイヤリティを受け取るのをやめて、その分をほかのメンバーに回すことにしました。僕自身も、その期間は専門学校の講師の仕事をしてなんとか生活を維持していました。
僕だけでなくQflavorへのロイヤリティを止めたのは、「サウンドは一度作ってしまえば、基本的には手が離れる仕事だから」という理由です。作業が終われば、並行で他の仕事をすることもできますから。
でも、プログラムとデザインは違います。ゲーム開発が完全に終わるまで、ずっと関わり続けないといけません。仕様変更や修正などスクラップ&ビルドしまくるので。だからこそ、彼らには余計な心配をせず、創作に集中してほしかったんです。そのためには、生活の心配をしなくていいだけの収入を保証する必要がありました。
──食べさせていたというより、チーム全体で開発完了までの命を繋いでいたようなイメージだったのですね。
川勝氏:
状況としてはギリギリではあったんですが、「もう後がない」というほど追い詰められていたわけではありませんでした。
自分たちで対処できる範囲のやりくりというか、別の仕事をしたり、とにかく何かしらで最低限必要なお金さえ作れれば、どうにかなるもんです。欲とプライドがなければ。(笑)
背水の陣っていうのは、失敗したら終わるという状態がよくないんですよ。「ここを下回らなければ大丈夫」という生活ラインと仕事、つまり自分たちの限界値をお金の面で把握しておくことが大事なんですね。
裏を返せば、そのラインさえクリアできれば生活費のストレスから解放されます。うちの場合、みんなが生活を続けるために必要な最低限の金額って、幸運にもそれほど高くなかったので。もともとフリーランスは収入の波が激しいので、みんな普段から質素な暮らしに慣れていますしね。
──そう聞くと、単なるクリエイティブへの執念というだけではないですよね。クオリティに対する執念の一方で、金銭面でギリギリまで妥協できるところも見ている。純粋なクリエイターとは違う泥臭さも感じます。
川勝氏:
最終的に、それでも資金繰りが苦しくなった時には、自分たちの物を売ってお金に換えていました。「ここまで来て中途半端なものを出すんだったら、これまでやったことが全部駄目になるじゃないか」と。まあそれも想定内ということで、背水の陣ではないということで(笑)。
だからこそ、みんなが納得できる完成形にたどり着けるまで、覚悟を決めて突き進もうと思っていました。独立してリスクをとってまでやる意味があることをしたいなと。IPも死守したいし。
──作りたいもののためにギリギリまでは無理をするけど、ギリギリのラインはしっかり持っておくということですよね。
とんでもないこだわり派の人に見えるけれども、一方ではビジネスとしての視点も外さない。傍から見ていると、その矛盾した二面性がとても興味深いです。
川勝氏:
そういう意味では、確かに僕はリアリストだと思います。基本的に、「物事はうまくいかない」という前提で動いていますし。『グノーシア』にしても「本当にこれって売れるのか?」という疑いの目を、もう一人の僕は最後までシビアにみてましたから。
自分の感覚をできるだけ自分から切り離して、なるべく客観的な視点を持つことを意識しています。そのせいで、自分の手がける作品に対しても、かなり冷静というか、冷たい見方をしてしまうところがあると思いますね。非情な判断もしますし。
それでも成功するかどうかは不確実なわけで、だからこそ最後に残る原動力っていうのは、僕もメンバーも「これがいまの全力か」という清々しい気持ちがあるかどうか。究極的には第三者の評価がどうとか、そういうことより自身と最後まで向き合って超えられたかどうかです。
アニメとゲームでは情報の密度も作り方も違うので特性を見極める
──『グノーシア』はアニメにもなっていますけど、これは映像化がすごく難しいタイトルだったのではないかと思います。物語がゲーム的なシステムや表現と深く結びつきすぎていますから。
川勝氏:
『グノーシア』をアニメ化するにあたっては、いくつか大きな課題がありました。
1つ目は、ゲームの物語をアニメの放送枠に収まるように再構成しなければならないこと。2つ目は、ゲームならではのシステムを、どう物語として表現するかということ。3つ目は、ゲーム版のエンディングのオチを、アニメでどう見せるかという点です。
ただ、これは同時に作品の「興味」になり得る部分なので、しっかり認識すべきところですね。市川監督、脚本家の花田さん、プロデューサーの木村さんを中心に、100人以上のアニメチームとともに膨大な時間をかけて作り込んでいきました。

──その中で言うと、「ゲームならではのシステムを、どう物語として表現するか」という点が一番重要だと感じますね。アニメとゲームというのは根本的に全く表現技法が違うメディアですから、その差を乗り越えることが最も難しいように思います。
川勝氏:
アニメとゲームで大きな違いを感じたのは、作り手の側が視聴体験をコントロールできないことです。アニメだと時間と共にお話が進んでいきますので、できるだけ視聴者が置いてけぼりにしないよう工夫する必要があります。
その一方でゲームは、選択肢やストーリーの分岐など、ボタンを押せばプレイヤーが好きなタイミングで体験をコントロールできます。分からないことがあれば、そこで一度立ち止まって考えることもできるし、ゲームの中で試行錯誤できますから。インタラクション前提で作られているので「私だけのゲーム体験」としての物語を味わえます。逆に言うと、プレイヤーが分からないまま先に進むこと自体が難しい構造とも言えます。
だから、ゲームのインタラクションではなく「映像に託しても楽しめる」作品にすることが重要で。グノーシアのゲームだと無数のエピソードの解放順番が無数にあり、それがプレイ体験に直結した設計なのですが、逆にアニメだと意図的にそのエピソードを自由に繋ぐことができます。どの話数で盛り上げていこうかといった全体話数から逆算で。
だからこの仕組みを使って、毎週視聴し続けてもらうために何が必要かをアニメチームの方々はものすごく考えてくださいました。これはグノーシアだからできるアニメ化の強みじゃないかと思います。
──一般論としては「ゲームは物語体験をコントロールできないから難しい」と言われがちだと思いますが、川勝さんからすると逆なんですね。ゲームはプレイヤー自身の意思で最適化できるが、アニメはそうではない、と。
川勝氏:
そうですね。放送時間の尺もありますし、アニメは一瞬の理解度を一定数あげる必要があると感じていました。ゲームウィンドウのテキストを自分のペースで読めるのと違い、流れる音声によって一瞬で意味や機微を聞き取れないといけないじゃないかと。さらに連続したカットの中で映像表現されるので、情報接種の体感が違います。
川勝氏:
また登場人物が長ゼリフだと、視聴者は疲れちゃいますしね。セリフは短く抑えつつ、キャストさんの演技や画面上の演出で、文字をセリフに置き換えていく必要があります。
要は情報の密度と伝達のタイミングがゲームとアニメで違うんですよね。だから毎週収録スタジオにいき、会話のテンポ感、セリフ回しなど、アニメにおける最適解を音響監督を中心にプロデューサーたちと模索し続けました。
本気でヒットする名作を作りたければ、「王道」から逃げてはいけない
──川勝さんは今回のアニメで、原作者の立場として以上に、アニメ自体のプロデューサーのひとりとしても名前を連ねていますよね。アニプレックスの担当の方にもお話を伺いましたが、こうしたことは稀なことだと聞いています。
川勝氏:
これはあくまで僕個人の考えではあるんですが、ゲーム原作者がアニメ制作において身近な存在というのは、関係者の方々の安心感とクオリティに寄与する部分が大きいんじゃないかと思っています。

──実際にはどんな形でアニメ制作に関わられていたのでしょう?
川勝氏:
ゲーム原作の設定や思想についてアニメチームへ情報を提供し、そこから脚本を練っていただきました。アニメを成立させるために新たな解釈やオリジナル設定、演出などはアニメチームから「ここはこう演出したい」という提案もたくさん受けましたし、逆に僕の方から「これは絶対やって欲しい」と無理なお願いをしてきた部分もかなりあります。
ただ最終的な判断はアニメチームに委ねることも多かったです。内容だけでなく、予算、スケジュール、クオリティなど総合的に熟考した中での提案だったので。
あと今回のアニメは本当に多くの方に参加いただいたので、キャストさんや制作スタッフ一人ひとりが思う「グノーシア像」をできるだけ作品の中に取り込みたいと考えていました。そういう意味では、コラボレーションアニメとしてかなり振り切った仕上がりになりましたね。原作をベースに多くの方々の世界観が集結した、もうひとつのグノーシアです。
──これは少し本題からは外れますが、最近の原作つきアニメでは、「原作を忠実になぞるべき」という考え方と、「アニメはアニメとしてのオリジナリティを出すべき」という考え方の両方がありますよね。川勝さんは、どちらの立場に近いのでしょうか。
川勝氏:
僕自身もそうなんですが、原作が好きな人にとって「一番は常に原作」なんですよね。だからアニメを同じ軸で比較したら原作は超えられないと思います。『グノーシア』であれば、うちが作った唯一無二のゲームが一番面白いと、僕たちは思っているので。
だからこそ、アニメ化というのは、色々なご意見や反響があることを承知の上で、それでも違う着眼点から最高の面白さを新たなアニメで目指しました。多くのクリエイターが集まるアニメの強みを最大限に活かす。原作をベースに独立した単体のアニメとして成立させたい。──そんな気持ちでアニメに向き合っています。
──ユーザーさんの期待に応えるのは当然として、期待の範囲内に留まっても驚きがなくなってしまいますよね。この矛盾に立ち向かうことこそアニメ化の壁なのだと思います。
川勝氏:
アニメを作る以上は、「予定調和ではなく想像を超えたものでありたい」ですね。
例えば今回のアニメには原作になかった「主人公」のキャラクターが登場しますが、実はここにも議論があったんですよ。一人称のVR視点のような、主観的な視聴体験をすべきなのか、みたいな議論もありました。
しかしそれをやってしまうと、アニメとしては「変わったことをやっているだけ」のものになってしまいます。だからより多くの視聴者に楽しんでもらうためには、アニメとして一番の王道を目指すべきだと思いました。それが一番難しいことでもあるんですけどね。
──確かに、ジャンルの王道から外れたものは、マニア的な人気を得ることがあっても、ヒット作にはなりづらいですよね。本気で視聴者を楽しませたければ、王道を外すことはできないと。
川勝氏:
はい、正面切ってやりつつ、たまには予想外のこともやる(笑)。
アニメとしてのお約束や「これだけは見たい」と思っているアニメ的な王道ポイントが必ずあるはずで、グノーシアなら群像劇や人狼推理、ドラマチックな展開、ループものなどを真正面からしっかり取り組むことですね。
──王道っていうのも、難しい言葉なんですよね。要はマーケティングを放棄した結果として、何も考えずに「王道」云々と連呼するような作品は世の中にたくさんありますけど、今の話っていうのは、小手先の技術に逃げず、真っ当に勝負するっていう王道ですよね。
川勝氏:
そうですね。ゲームをアニメへ再構築し、IPを預けてアニメチームに全部お任せではなく僕もアニメチームの一員として頑張らなければ王道は目指せないと思ったので。
お客さんに評価される以前にやっぱり、少なくとも自分が「面白くないかも?」と思うようなものは出せませんからね。
──多くの人が関わる巨大なプロジェクトであればあるほど、作品の面白さを信じないまま出してしまうこともあると思うんですが、そこに対する川勝さんのある種、愚直さみたいなものが見えて、僕としては今日すごく安心しましたね。
それでは最後になりますが、『グノーシア』はじめプチデポットのファンの方に向けて、ゲームやアニメを楽しんでくれている読者の方に向けて、一言いただけるでしょうか。
川勝氏:
プチデポットとして『メゾン・ド・魔王』と『グノーシア』の2作品リリースし、皆さんに評価いただいてここまでやってこられました。本当に、本当にありがとうございます。これからも僕たちらしくマイペースに創作活動をしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
──本日はありがとうございました。(了)
“純粋なクリエイティブ”のすごさを見せつけられてしまうと、嫉妬してしまう。本当に面白いものっていうのは、「問答無用」なんだなって──
そう語ってくれた川勝氏の言葉には、ある種の諦観らしきものが感じられた。そういうものには「勝てない」という、悔しさと憧れが混じった諦めの感情だ。
ゲームというのは、数時間──時に数十時間ものプレイを要する娯楽で、その「面白さ」を伝えるのは、本来簡単ではない。その意味で、適切なプロモーションによって「面白さ」を伝えることは、ゲームにとってなくてはならないものだ。
しかし川勝氏の言葉を借りれば、そうしたプロモーションは、しょせん小手先の技術に過ぎない。本当に面白いゲームは、誰の言葉を借りずともひとりでに突き抜け、多くのプレイヤーを熱狂させる力を持っている。
川勝徹という人物は、クリエイターであると同時に、誰よりもそのプロモーションの重要さを理解し、実践してきた人物だ。そしてだからこそ、その諦観めいた言葉には、クリエイティブというものに対する底抜けの信頼が感じられる。
本物の純粋なクリエイティブには、こんなすごいことができるんだ。こんなにたくさんの人を熱狂させられるんだ──そういった信頼だ。
『グノーシア』の制作に対する狂気的ともいえる情熱は、そうしたクリエイティブの力を信じていたからこそ発揮されたものだろう。とてつもないパワーを持った──小手先の技術など入る余地もないような──クリエイティブがありえると信じていたからこそ、そこへ向かう憧れもまた色褪せなかったのだろう。
だからこそ、そうやって生みだされた『グノーシア』は、多くの人に愛され、熱狂される作品になったのだろうと感じられる。
2019年に初めて世に出た『グノーシア』は、初めから万人の期待を受けていたわけではない。
開発したのはたった4人の小規模チーム、発売されるのは生産終了が決定していた最末期のPS Vita。リリース前は、何度も「大丈夫なのか?」と囁かれたという。
けれど『グノーシア』は物語を持っていた。
チームの収入が落ち込むなか副業で生活費を稼ぎ、それでいて4年という開発期間をかけ、6000回を超えるテストプレイを繰り返す。恐るべき創作への執念によって生み出されたその作品は、リリースされるや否や高い注目を集め、多くの熱心なファンに支えられながら、彗星のように時代を駆け抜けていった。
優れた作品はクリエイターから生まれてくる。しかしクリエイターが作りたいものだけを作っていては、商売にならない。ゲームである以上、売れなければ話にならない。
そして優れたクリエイティブとは、この情熱と冷徹さのはざまにある矛盾を突き抜けて生まれてくるのだろう。





