いま読まれている記事

「最高峰のピッチへようこそ!」──耳と心に残る名実況はいかにして生まれたのか? 『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』の実況を30年続けてギネス世界記録に認定されたジョン・カビラ氏に30年の知られざる舞台裏とサッカー愛を聞いた

article-thumbnail-260410d

1

2

3

かつて『ウイニングイレブン』の名前で親しまれ、リブランディングを経てさらに進化を遂げた、コナミデジタルエンタテインメント(KONAMI)のサッカーゲーム『eFootball™︎』は、2025年7月に30周年という節目を迎えた。

2025年7月21日には、シリーズ30周年を記念したイベント「eFootball™︎ World Festival in Tokyo」を開催。同イベントでは30周年を祝うとともに、シリーズの実況を務めているジョン・カビラ氏が、「サッカービデオゲームコメンテーターの最多出演数(Most prolific football (soccer) videogame commentator)」としてギネス世界記録に認定されたことも発表された。

30年ものあいだ、同一シリーズで実況を担当し続けたということはもちろん偉大な記録なのだが、『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ファンはきっとこう言うはずだ。

カビラ氏の実況のすごさは数字上に見えることだけではない、と。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』を一度でもプレイしたことがあるゲーマーは、カビラ氏が発する言葉のチョイス、リズム、テンポ、抑揚に心を動かされ、「記憶」に残る実況となっていることだろう。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』を語るうえで、カビラ氏の存在は決して外すことができない、記録と記憶に残る名実況なのである。

電ファミニコゲーマーでは、ギネス世界記録の認定を受けたあとのジョン・カビラ氏にインタビューを打診。『ウイニングイレブン』との出会い、そして名実況がどのようにして生み出されたのか、30年の歩みとサッカー愛について語っていただいた。

聞き手・文/豊田恵吾
撮影/永山 亘

※編集部注:『ウイニングイレブン』は1995年7月21日にシリーズ第1作となる『Jリーグ実況ウイニングイレブン』がプレイステーション用ソフトとして発売。カビラ氏は1作目から実況を担当。2021年、ゲームタイトルを国内・海外ともに刷新されることが発表され、『ウイニングイレブン』から『eFootball™︎』に名称が変更されました。本記事では、名称変更前のタイトルは『ウイニングイレブン』と記載しています。

ラジオでサッカーへの思いを熱く語ったことから
『ウイニングイレブン』実況のオファーが生まれる

──本日はよろしくお願いいたします。まずはギネス世界記録の認定、おめでとうございます。

ジョン・カビラ氏(以下、カビラ氏)
ありがとうございます! これはひとえにプレイしてくださっている皆さんのおかげでもありますし、30年の長きにわたって起用いただいたKONAMIさんのお力添えの賜物です。もちろん、30年前に『ウイニングイレブン』(現『eFootball™︎』)がスタートした時点から、私自身もある程度の精進をさせていただいたゆえの結果、だとは思います(笑)。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_001

──30年にわたって実況を続けられたというのは、本当にすごいことだと思います。

カビラ氏:
『ウイニングイレブン』がスタートした当初、サッカーゲームという世界が、ここまで大きく、ここまで広く展開されることになるとは、まったくイメージしていませんでした。

KONAMIさんから最初にお申し出をいただいたときは「サッカーゲームというものがあるんだ!?」と初めて知った状態で、未知の世界でしたので。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_002
『ウイニングイレブン』シリーズ記念すべき1作目『Jリーグ 実況ウイニングイレブン』

──カビラさんがゲームの仕事に関わったこと自体、『ウイニングイレブン』が初めてだったのですか?

カビラ氏:
初めてですね。これ以外はございません。これ1本で完全エクスクルーシブです(笑)。

──(笑)。30年の歴史があるタイトルですから、開発・発売元であるKONAMIさん側のスタッフの方々も顔ぶれが変わられているとは思いますが……。

カビラ氏:
そうですね。当時、起用していただいた方は、自分と同い年だったんですよ。ダイレクトにKONAMIさんからお話をいただいたので、まさに青天の霹靂でした。

「サッカーのビデオゲームの新作があるのですが、実況を……」というざっくりとした説明からはじまり、実際に開発中のゲームを見せていただいたら、リアルな選手が動いてサッカーをしていたんですね。「ゲームでこんなことが可能なんですか?」と当時は本当に驚きました。

──カビラさんはもともとビデオゲームにはあまり触れていなかったのでしょうか?

カビラ氏:
あまりやっていませんでした。『パックマン』とか、『スペースインベーダー』世代ですが、ビデオゲームというとそのくらいしか知識がなくて……。喫茶店にある筐体ゲームやブラウン管のドットの荒いゲームしか知らなかったです。

──実況オファーのきっかけは、カビラさんが出演されていたラジオ番組だったとうかがったことがあります。

カビラ氏:
J-WAVEですね。1993年にJリーグが発足し、サッカーのプロリーグがいよいよ日本でスタートする。いちサッカーファンとして、うれしくてうれしくてしかたがなくて、ラジオの番組内でずっとサッカーの話ばかりしていたんです(笑)。

──サッカー番組やサッカーコーナーではなく、ですよね(笑)

カビラ氏:
関係なく、です(笑)。「Jリーグがついに開幕するぞ」というときには、「いよいよです! 気運が高まってきました!」と、自由が丘の駅前に並んで、弟の分も含めてチケットを買いました(笑)。バックスタンドでJリーグのオープニングマッチを観戦したんですよ。

──ヴェルディ川崎と横浜マリノスの試合ですね【※】

※ヴェルディ川崎vs.横浜マリノス……1993年5月15日に国立競技場で行われたJリーグ開幕戦(オープニングマッチ)。5万9千人を超える観客が詰めかけた。マイヤー(V川崎)の先制後にエバートン、ディアス(横浜M)のゴールで逆転し、2-1で横浜マリノスが歴史的初戦を制した。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_003
画像は東京ヴェルディ公式サイトより

カビラ氏:
そうです。マイヤー選手のゴールはいまでも思い出しますね。あとは木村和司選手【※】の雄姿もありました。

※木村和司選手……「ミスターマリノス」と称された元サッカー日本代表選手。右足から繰り出される正確無比なフリーキックと、魔法のようなボールタッチでチャンスを演出するゲームメーカー。1985年のメキシコワールドカップ予選、韓国戦で決めたフリーキックは現在も語り継がれている。

──あの試合をスタジアムでご覧になられていたと。

カビラ氏:
木村選手と言えば遡ること1985年、山本浩アナウンサー【※】「曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいているような気がします」という名フレーズが本当に思い出深いです。中継の当日、自分も国立にいて、木村和司さんのフリーキックが決まって「世界が近づいた!」と思った瞬間は熱かったですね。結果、メキシコには到達できなかったんですけど……。すみません、サッカーの話をすると感極まってしまって(笑)。

※山本浩アナウンサー……1985年に行なわれたFIFAワールドカップメキシコ大会アジア地区最終予選の日本対韓国の実況を担当。東京・国立競技場の天気は曇り空だったが、山本氏が実況の中で「曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいているような気がします」と、メキシコ(ワールドカップ)への夢や期待を空の色にたとえて表現し、名フレーズとして後世に語られている。

──カビラさんはもともとサッカーをやっていらっしゃったとうかがいました。

カビラ氏:
僕は同好会レベルですよ。弟の慈英(川平慈英)【※】が読売ユースでやっていて、全国大会というか選手権で優勝した際、弟はスタメンだったんです。

※川平慈英……ジョン・カビラ氏の弟。熱狂的なサッカー好きとしても知られ、サッカー中継等でスポーツキャスターを務めている。サッカー中継の際のハイテンションな語り口調が有名。「いいんです!」(ジョン・カビラ氏が都並敏史氏とのやり取りの中で使っていたのを拝借したとのこと)、「ムムッ!」などのフレーズが広く知られている。

──兄弟そろって熱狂的なサッカーファンなんですね。

カビラ氏:
三菱ダイヤモンド・サッカー【※】を見ながら育ちました。1978年のアルゼンチン大会もフル中継をしていて、マリオ・ケンペスのゴールでアルゼンチンが優勝したことが思い出深いです。僕の親友と慈英とでテレビにかじりついて見ていたのですが、中継では紙吹雪が舞っていて、当時はそれが紙吹雪だとわからなかったんですよ。「そうだよね、南米だよね。日本と季節が逆だから、これ雪じゃね?」という、マヌケな勘違いをしていました(笑)。

※三菱ダイヤモンド・サッカー……1968年から1988年に放送されていたサッカー情報番組(1993年からは第2期が放送)。司会に金子勝彦氏、解説に岡野俊一郎氏を起用してスタート。1974年、FIFAワールドカップを全試合放送するなど、低迷期だった日本サッカーに海外のサッカーを紹介する窓口としての役割を果たした。1960年代後半から1980年代のサッカー少年たちのバイブル的番組であり、オープニングの「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?」という口上も人気を集めた。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_004

──(笑)。カビラさんがサッカーを始めたきっかけはなんだったのでしょう?

カビラ氏:
母がアメリカのカンザス州出身で、中学生のときに祖父母の金婚式がカンザスであったんです。カンザスにヘストンカレッジというサッカーの強豪校だった短期大学がありまして、そこでサッカークリニックをやろうという話があり、僕はそのときに初めてサッカーのトレーニングを受けたんです。

ただ、スパイクも持っていなくてスニーカーのような靴でサッカーをやっていました。でも、そのときに「サッカーっておもしろい!」と思って。それからしばらくして、父の仕事が変わったことをきっかけに東京に行ったのですけども、そこではサッカー部に入らずなぜかバスケをちょっとかじったりしていましたが(笑)。そのあと高校はアメリカンスクールになり、サッカーはやはり好きだったので「サッカーをやろうかな」と思ったものの、アメリカンスクールは定員制で22人しか入れないんです。

──入りたくても入れない状況だったんですね。

カビラ氏:
完全に実力主義でした。トライアウトがあったのですが、足切りで切られてしまいまして。それでもやはりサッカーをやりたい人たちがいるので、アメリカンスクールの中にイントラミューラル【※】というのがあって、トライアウトに落ちてしまった人たちを集めて、同好会的なものをやっていたんです。

当時スペイン語を教えていた先生がコーチを務め、少し練習したらすぐ試合をするみたいな感じで活動していました。これが、楽しくて仕方ないんですよ。「最高じゃん!」って思いましたね(笑)。勝敗にこだわる活動とは真逆で、どちらかというとエンタメサッカーといった感じでした。

進学したICU(国際基督教大学)でも、たまたま先輩たちが作った学内リーグの初年度に僕が入学したこともあり、そこでおもに帰国生を中心としたチームに入って、エンターテインメントとして本当に楽しいサッカーをずっとやっていました。

※イントラミューラル……おもに大学や組織内で行われるレクリエーション主体のサッカー活動。プロや体育会系とは異なり、学生や職員がチームを組み、親睦や健康増進を目的としてカジュアルに楽しむもの。

──サッカー番組を見て育ち、実際にご自身でもエンターテインメントとしてのサッカーを楽しまれて、実況の素養を意識せずに蓄積されていたんですね。

カビラ氏:
三菱ダイヤモンド・サッカーの薫陶を受けつつ、昔のNHKの「タータラッタッタララーンタータラッタッタララーン」っていう、これがたしかスポーツ中継のオープニングだったんですよね。そのBGMが流れると、「お、きた!」とテレビにかじりついていました。

──当時はサッカーの情報を得ようとしても、なかなか入手できなかった時代ですよね。

カビラ氏:
まだプロもない時代ですし、『イレブン』【※1】を買っていました。あとは新聞の小さな記事を探して「アジア予選、どうなった?」という感じでした。

慈英が読売ユースに入ったおかげで当時のJSL【※2】も見るようになって、サッカー場にはよく行っていました。ハンチング帽をかぶったミドルエイジ、シニアエイジの方が観戦している姿が見られた、渋い時代でした。「この人も昔サッカーをやっていたんだろうな」という方々がひとりで見に来ている時代だったんですね。

※1 『イレブン』(サッカーイレブン)……1971~1988年に日本スポーツ出版社から発行されていた月刊サッカー情報誌。当時は貴重なサッカー専門誌で、1970~1980年代の国内サッカーのほか、欧米の情報も取り扱っていた。

※2 Japan Soccer League(JSL)……日本サッカーリーグ。1965年から1992年まで存在した日本のサッカーリーグ。日本初の全国規模のサッカーリーグとして、実業団8クラブにより結成。日本のサッカーの競技レベル向上を目的としていた。

──そんなサッカー愛のあるカビラさんだからこそ、ラジオのパーソナリティを担当されているときにサッカーのお話をされて、結果それが『ウイニングイレブン』実況のオファーにつながったと。

カビラ氏:
ちょうど同じタイミングでフジテレビさんからもサッカー番組出演のお声がけをいただいたんですね。フジテレビスポーツ番組の伝説的なプロデューサーである村社さん【※1】。村社さんも奇しくもKONAMIの担当者の方と同い年だったんですよ。KONAMIさんもフジテレビさんも、同い年の皆さんにお声がけいただいたんです。

「J-WAVEで「Jリーグ、Jリーグ」と騒いでいるやつがいるらしい」、「ジョン・カビラ、こいつおもしろそうだな」と村社さんにも思っていただいたみたいで……。村社さんがJリーグの番組を作りたいと考えて生まれたのが『デタカルチョ』【※2】。この番組ではナレーターとして起用していただきました。

※1 村社さん……村社淳(むらこそきよし)氏。Jリーグ創設以前からサッカー番組制作に携わっていたディレクター・プロデューサー。フジテレビ系スポーツニュース番組『すぽると!』の編集長も務めていた。

※2 『デタカルチョ』……1993年4月から9月にかけてフジテレビ系列で放送された深夜のサッカー情報番組。さまざまなデータを駆使して試合予想を行う若干マニアックな内容が受け、Jリーグ開幕当時の人気を支えた。

──テレビの仕事は『デタカルチョ』が初めてだったのですか?

カビラ氏:
初めてでした。ナレーションオンリーでしたが、いずれにしてもサッカー好きが高じていただいたお仕事でしたね。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_005

手探りでスタートした『ウイニングイレブン』実況
選手名とプレイを繋げるシンプルな形で始まった

──KONAMIさんから実況のオファーをいただいた際、すぐにお会いして話を聞かれたのですか?

カビラ氏:
こんなにうれしいことはないですよ。もちろん、すぐに返事をさせていただきました。お会いして、担当者の方の人となりもそうでしたし、「この人ならユーザーの方々に楽しんでもらえる作品を作ってくれる」という確信を感じたんです。ナレーションの収録も非常にアットホームでありながら、ゲームの特性はもちろん、サッカーファンに求められるナレーションの特性もしっかり叩き込んでいただきました。

──カビラさんの中には「現在の『eFootball™︎』」のようなイメージはあったのでしょうか。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_006

カビラ氏:
……ありません(笑)。本当に手探りでしたね。KONAMIさんは『ウイニングイレブン』以前に、『実況ワールドサッカー PERFECT ELEVEN』【※】というゲームを発売されていたんですね。

そちらを見せていただいていたので「実況のあるサッカーゲーム」自体のイメージはつかめていましたが、『ウイニングイレブン』がここまで世界的な現象になるとは、当時の僕はまったく予想していませんでした。ただ、『ウイニングイレブン』の説明をKONAMIさんから受けたときに、「このゲームはサッカーファンの心に届くぞ!」と強く感じていました。

※『実況ワールドサッカー PERFECT ELEVEN』……1994年11月11日に発売されたスーパーファミコン用ソフト。『実況パワフルプロ野球’94』に続き、実況音声を取り入れており、2作目からは解説も導入。『ウイニングイレブン』シリーズとは別部署が開発を手がけており、ゲームシステムも大きく異なっていた。

──ちなみに、カビラさんはこれまでにサッカーの試合の実況の経験はあったのですか?

カビラ氏:
まったくなかったんです(笑)。

──(笑)。では、KONAMIさんから「カビラさんの実況でサッカーゲームをこう見せたい。こういう実況でプレイヤーを熱狂させたい」といったご説明はあったのでしょうか?

カビラ氏:
先に台本が届いて、あとで説明があった気がします。

──長尺の実況を収録するのではなく、選手名とプレイ内容に応じた実況を収録し、実際のゲームではそれが組み合わさって使われている形ですよね?

カビラ氏:
おっしゃるとおり、収録は分割されていました。ビデオゲームの特性もあって、本当にピンポイントでプレイのナレーションが入るというイメージですね。選手名があり、プレイ内容があり、ボールの流れがあり……。そこにエモーショナルなものを喚起させるとか、そういった話は当時はなかったと思います。

たとえば、入場のシーンひとつとっても、初期の作品では極めてシンプルでしたから。「選手入場です!」、以上、みたいな(笑)。前口上的なものはなく、徹底的に削ぎ落として、実用性のあるもの、必要なものだけを収録するというやり方でした。当時のゲームの性能・容量的に、音声でできることが限られていたんですね。もちろんゲームハードの性能が上がれば上がるほど、演出の精度は上がっていくわけですが。

『ウイニングイレブン』の進化は驚きの連続でした。いまやもう完全なシームレスになっていますし、なおかつスタジアムの解説や大会の趣旨、口上や解説が盛り込まれるようになった。まさに演出と技術、テクノロジーの両輪が加速していったというイメージがあります。これは、今後もさらに加速していくと感じています。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_007

──試合展開や選手のプレイ状況に合わせて膨大な音声パターンが瞬時に再生され、まるで本物のテレビ中継を見ているかのような臨場感を生み出す『ウイニングイレブン』は、当時のサッカーゲームの中で、頭ひとつふたつ抜けていると感じていました。

カビラ氏:
唯一無二の存在でしたね。実際、ものすごく売れ始めてベストセラー街道をぶっちぎりに進んでいくわけです。ただ、僕が体感する手応えというのは、たとえば家電量販店とかゲームショップに行かないとわからなかったんですよね。

──カビラさんの実況は、一度聞いたら忘れられないものになっていますが、実況時の抑揚だったり、リズムだったり、テンポだったりは、ラジオで培われたものなのでしょうか。

カビラ氏:
それもあるでしょうし、兄弟や友人と実際のサッカーの試合を見ていたのも大きいですね。もちろん、そのときに実況はしていなかったのですが、「試合ならではの高揚感」や「90分のあいだにゴールが入るか否か!?」といったサッカーならではのカタルシスを会場で存分に味わっていました。熱さとカタルシス、希望と絶望が瞬時に交錯するっていうところがサッカーの魅力のひとつだと思っています。

ただ、僕が昔サッカーを見ていたときは絶望を感じるタイミングが長かったんですね。ワールドカップ予選で神戸のユニバー記念競技場に行ったときも「なぜ香港に勝てなかったんだろう」とか、日韓定期戦で長崎の諫早【※】まで観戦に行って敗れるとか、そういう時代が長かったんですよ。

1998年のワールドカップフランス大会から本戦出場チームが32チームになって、いわばプレーオフのような形で本戦出場が決定したときの、あの高揚感は一生忘れないですね。そういった感情の振れ幅のアップダウンを体験していたからこそ、『ウイニングイレブン』の実況ができたと思っています。

※諫早……長崎県立総合運動公園陸上競技場がある、長崎県諫早市(いさはやし)。

──ご自身のサッカー観戦の経験、そしてサッカー愛からあの実況が生まれたわけですね。

カビラ氏:
ワールドカップに関しては1978年のアルゼンチン大会からずっと中継を見ていました。選手たちは各国のプライドを背負っているプロフェッショナルで、国でいちばんサッカーがうまい人たちが集結しているわけです。全国民の期待を背負ってピッチに入るときの心中は、どれだけ推し量っても推し量れない。どれだけのものなのだろう、と。

だからこそ、フランスワールドカップでの日本代表がピッチに入るときには、形容し難い高揚感があったわけです。ただ初戦のアルゼンチン戦では最小失点でそのまま負けてしまった。「これが、これこそが世界の舞台なんだな」と。よく「世界と戦う」という表現をしますけども、本当はそうじゃなくて「世界で戦う」んですよ。日本も世界の一部なんですから。「them and us」じゃなくて「we are going to the top」。サッカーってなんてすばらしいスポーツなんだろうっていう愛情というか、偏愛と言えるかもしれませんけど。

『ウイニングイレブン』、『eFootball™︎』ジョン・カビラ氏インタビュー_008

1

2

3

副編集長
電ファミニコゲーマー副編集長。元ファミ通.com編集長。1990年代からゲームメディアに所属しており、これまで500人以上のゲーム開発者、業界関係者、著名人インタビューを手がける。1970年代後半からアーケード、PC、コンシューマーゲームにのめり込み、『ウィザードリィ』のワイヤーフレームで深淵を覗き、現在に至る。
Twitter:@Famitsu_Toyoda

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合がございます

新着記事

新着記事

ピックアップ

連載・特集一覧

カテゴリ

その他

若ゲのいたり

カテゴリーピックアップ

インタビュー

インタビューの記事一覧