“世界一ピュアなキス” でお馴染みのあの名作『ファイナルファンタジーX』(以下、『FF10』)を原作とした歌舞伎「新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX」が、3月4日から4月12日にかけて公演されています。
『FF10』の歌舞伎化は多くの人に驚きを与えたのではないでしょうか。もちろん筆者もそのひとり。なんていうか、その……
大丈夫なの???
白状すると、上記ポスターが公開されたとき歌舞伎独特のビジュアルで表現する『FF10』に動揺してしまいました。だって『ファイナルファンタジー』といえば西洋的なキャラクターたちが織り成す映像美が特徴のひとつじゃないですか。歌舞伎とは世界観があまりに遠い印象です。
不安な点はそれだけではありません。クリアまで50時間くらいかかるゲームをどうやってまとめるのでしょうか。 ストーリーをめちゃくちゃ削ることになるのでは……?
しかしながらその不安についてはすぐに払拭されました。
【上演時間】
前編:3時間35分
後編:3時間25分
な、な、な、ななじかん……!?
たとえば人気ゲームなどが映画化したときは「どうやって2時間前後にまとめるんだろう」と思いますが、7時間もあったら45分のドラマ全9話(最終回は15分拡大スペシャル)くらいの尺ですからね。
逆にどう切り取るの?
ちなみに休憩を入れると、12時から21時までの約9時間という長丁場。余裕で東京からハワイに行ける時間です。そしてここで「長丁場に耐えうる体力がなければならない」という新たな問題も発生しました。
第一幕<55分> 12:00~12:55
休憩<20分> 12:55~13:15
第二幕・第三幕<75分> 13:15~14:30
休憩<20分> 14:30~14:50
第四幕<45分> 14:50~15:35前編・後編間休憩
第五幕<55分> 17:30~18:25
休憩<25分> 18:25~18:50
第六幕・第七幕・第八幕<125分>18:50~20:55
さらにもうひとつ見逃せない点といえば、高額なチケット代ではないでしょうか。
「新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX」においてはいちばん安いB席で19800円でした。もちろん体験の対価としては適正価格かもしれませんが、ふらっと新宿に映画を観に行くくらいの気持ちでは買えないです。
SS席:32000円
S席:28000円
A席:24000円
B席:19800円
※前編・後編通しチケットの価格
そもそも筆者は歌舞伎を観に行った経験がないため、作法もまったく知りません。つまり、時間もお金も歌舞伎という体験そのものに対しても、すべてにおいてハードルが高い。
しかしながらここまでハードルが高いとむしろ吹っ切れる。『ファイナルファンタジー』という慣れ親しんだ題材のいまこそ歌舞伎を体験するときなのかもしれません。そこで、清水の舞台から飛び降りる気持ちでB席(19800円)のチケットを購入し、自分の目で確かめてきました。
本稿では歌舞伎独特のビジュアルで表現する『FF10』に抵抗があった筆者が、「新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX」でユウナの美しさに嗚咽した話をお届けします。
文/柳本マリエ
上演時間は7時間超え……!『FF10』のどこをどう切り取るの?
まず最初にお伝えしたいのが、『FF10』のストーリーについてはほぼ余すことなく描かれているということ。遵守されています。バトルはもちろんブリッツボールの試合や異界送りなど、筆者が「あの台詞言うかな」「あのシーンあるかな」と思っていたところはすべてありました。
特に、主人公・ティーダとその父親・ジェクトとの確執、のちに対峙することになるシーモアが抱えている問題、登場キャラクターそれぞれの関係性などが丁寧に描かれていた印象です。
それもそのはず、冒頭にも書いた通り「新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX」は前編3時間35分・後編3時間25分という長編歌舞伎。ストーリーにおいての “物足りなさ” は感じにくいと思います。
とはいえ、いくら時間があったとしても『FF10』の世界を舞台上でどう表現するんだ……?
そこについては、会場となっている「IHIステージアラウンド東京」が解決してくれました。この劇場の特徴は、高さ8メートルの巨大スクリーンが4枚設けられていること。つまり、巨大スクリーンからデジタルで『FF10』の世界を映し出すことができます。
そのスクリーンにザナルカンドの廃墟が映し出され、「最後かもしれないだろ? だから全部話しておきたいんだ」というティーダの声が流れると、一瞬で『FF10』の世界に入り込んでしまいました。
スクリーンは開閉型で、奥には高低差のあるステージが広がっています。スクリーンに街が映し出されていれば奥のステージは「街の中」に見えるし、敵が映し出されていれば「バトルフィールド」に見える。召喚獣が映し出されるとかなりの迫力です。
これだけでもだいぶ没入感が得られるのですが、「IHIステージアラウンド東京」の醍醐味はそこだけではありません。この劇場の最大の特徴は観客席が360度回転すること。回転式の巨大な円盤の上に観客席があるため、右にも左にもぐるぐる回る。
その観客席を取り囲むように4つのステージがあり、観客席を回転させることで観客を瞬時に別のステージへと導くことができます。
「7時間の上演時間」「巨大スクリーン」「回る観客席」によって、『FF10』の重厚なストーリーが見事に表現されていると感じました。
ストーリーについては詳しく書きすぎてしまうとこれから行く人の楽しみを奪ってしまうことになるかもしれないので本稿ではざっくりした説明となりますが、「原作を遵守しているから安心して大丈夫」ということが伝われば幸いです。
ユウナの可憐さ、ひたむきさ、芯の強さを細やかな振る舞いで完コピ
とはいえ筆者がいちばん抵抗を覚えた点は、歌舞伎独特のビジュアル。いわゆる歌舞伎メイクを施すことで『FF10』の世界観と離れてしまうように感じました。また、ヒロインであるユウナを演じているのは中村米吉さん。男性です。
慣れ親しんだ『ファイナルファンタジー』の世界観とはあまりに遠い。
……なんてことを思っていました。この目で米吉さんが演じるユウナを見るまでは。
実際にステージにユウナが出てきた瞬間、筆者は度肝を抜かれました。なぜならそこにいたのは、あの『FF10』のユウナそのものだったからです。ちょっと理解が追いつかない。
ユウナの可憐さ、ひたむきさ、芯の強さを細やかな振る舞いで完コピしていました。本当にすべてがユウナなんです。ポスターを見たときの印象とまるで違う。筆者のように抵抗があった人ほどめちゃくちゃ驚くと思います。いまとなっては「大丈夫なの???」という感想を抱いていた自分が恥ずかしい。
また、『FF10』の結末を知っているからこそ後半は涙が止まりませんでした。原作での台詞が先に脳内で再生されるため、「つぎはこの台詞がくるぞ」と思ってからの完全にユウナ化した米吉さんによる再現に嗚咽。ラストシーンは歯を食いしばって泣きました。
ちなみに台詞はキャラクターによって多少の差があるものの、独特の抑揚をつける歌舞伎口調ではなくほとんどが現代語の口調です。そのためティーダも語尾に「ッス」をつけて話していました。歌舞伎感が特に強く出ていた言い回しは、役者が出てくるときに自らの素性を語る「名乗り台詞」くらいかもしれません。
『FF10』を歌舞伎化するにあたって「どこまで歌舞伎に寄せるか」の調整が難しいところかと思うのですが、筆者としては『FF10』と歌舞伎のいいとこ取りのように感じました。
シーモア戦の臨場感は後方の席でもしっかり味わえる
『ファイナルファンタジー』といえばバトルも重要。なんとなくバトルについては歌舞伎と相性がいい気がしていたので、期待をしていました。筆者の印象に残ったバトルのひとつがシーモア戦。360度回転するという劇場を活かした演出で、回りながら(ステージを移動しながら)戦います。
冒頭に書いた通り、筆者が購入したのはいちばん安いB席(19800円)。
役者との距離はたしかに遠いです。しかしながら観客席が回ると臨場感がハンパない。遊園地のコーヒーカップのように勢いよく回るわけではないですが、直径33メートルの観客席が回るとB席のような外側の席はそれなりの遠心力が働きます。そのため、まるでキャラクターたちと一緒に進んでいくような臨場感はB席でもバッチリ味わうことができました。
また、シーモア戦ではシーモア役の尾上松也さんがステージの「穴」に背中から倒れ込んで落ちていくシーンがあるのですが、どう考えてもめちゃくちゃ怖いので注目して見てほしいシーンのひとつです。
一般的に、大きな穴に背中から倒れ込んで落ちていく機会って訪れないじゃないですか。でも想像してみてください。ものすごく怖くないですか……? 落ちる先にふかふかのクッションがあると信じて倒れ込むしかないわけですから。松也さんの役者魂にひたすら感服するシーモア戦でした。
擬人化した召喚獣が見せる「毛振り」がとにかく圧巻
歌舞伎を初めて体験する筆者がいちばんわかりやすく「これは歌舞伎っぽい」と興奮したシーンは、エボン=ジュ戦での擬人化した召喚獣のバトルです。もし「FFX歌舞伎でどのシーンがいちばんよかった?」と聞かれたら、(めちゃくちゃ悩むけど)おそらく筆者はこの召喚獣バトルと答えるでしょう。
擬人化する召喚獣は下記。
・シヴァ
・イフリート
・ヴァルファーレ
・イクシオン
・バハムート
・ヨウジンボウ(ダイゴロウ)
まず、召喚獣ごとの隈取と衣装がかっこいい。召喚獣の属性に合わせた隈取になるよう考案されているとのこと。
#イクシオン 🦄の#押隈 (おしぐま)、とりました‼️
— 市川蔦之助 (@IvyThe3rd) March 27, 2023
古典歌舞伎では絶対に使わない「紫」の隈❗️
今回イクシオンの為に考案された、
『⚡️』をイメージした隈取です
眉毛は獣眉と言って古典の手法です#召喚獣 、みんな、古典の隈取に則って属性に合わせた隈取になるよう考案されてます😉#FFX歌舞伎 pic.twitter.com/bZvlbwmX1l
召喚獣が登場するだけでもド迫力だったのですが、なんとみんなで同時に「毛振り」をします。毛振りは、その名の通り長い髪の毛を豪快に振る行為。ロックやメタルのライブで行うヘドバンの動きを想像してもらうとわかりやすいかもしれません。
この毛振りがとにかく圧巻。古典的な表現でありながらも、ちゃんとしっかり召喚獣。馴染みのある召喚獣たちが髪の毛を振りながら荒ぶる姿は、美しく感動的でした。召喚獣ごとに個性のある動きをしていたので、そこも見どころです。
歌舞伎のことをまったく知らなくても大丈夫
繰り返しになりますが、筆者にとっては初めての歌舞伎。作法もまったく知らないまま劇場へと向かってしまいます。しかしながら冒頭で23代目オオアカ屋の姿をした中村萬太郎さんが登場し、歌舞伎の作法を説明してくれました。
歌舞伎には「見得」(みえ)と呼ばれる決めポーズが存在すること、その見得が決まったときは拍手をすること、そして「ツケ打ち」と呼ばれる効果音についてなど、歌舞伎の楽しみ方を教えてくれます。
あらかじめ説明があったおかげで、見得が決まるたびに自信を持って拍手をすることができました。
筆者が驚いた点は、萬太郎さんが「『ファイナルファンタジー』をやったことがない人?」と観客に問いかけたとき、4割くらいが手を挙げていたこと。うっすらと「8割くらいが『FF10』ファンかな」くらいに思っていたため驚きました。
筆者のように初めて歌舞伎に足を運んだ人も同じく4割くらいいたので、いろんな人が「初めての場」となっていたようです。
筆者が「新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX」を観に行った日は春分の日でした。そう、WBCで日本がメキシコに逆転勝利したあの日です。日本がサヨナラ勝ちをしたのは上演10分前くらいの出来事でした。
前編にはブリッツボールの試合があります。そこで中村橋之助さん演じるワッカがペッパーミルのパフォーマンスをアドリブ(?)で行い、観客を湧かせていた姿が印象的でした。
そういうパフォーマンスは映画やドラマではなかなかできないことだと思うので、生でお芝居を観ることのよさを感じた瞬間でもあります。
また、『FF10』の歌舞伎化は主演の尾上菊之助さんが企画・演出をされているとのこと。菊之助さんご本人が熱望されていたことも原作が遵守された要因のひとつなのではないでしょうか。
上演時間7時間という長丁場ではありましたが、本当に本当に行ってよかったと思っています。感動しました。「新作歌舞伎 ファイナルファンタジーX」は4月12日まで公演しています。
いなくなってしまった人たちのことを思い出す、とてもよい機会になりました。