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どうすれば「物語」を「体験」にできるのか? フィクションを「自分ごと」として感じられるようにするには?── 「第四境界」作品が目指す新しい「物語=体験」の表現手法について、総監督・藤澤仁が語る【BitSummit PUNCH】

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京都・みやこめっせにて5月22日から24日にかけて開催された日本最大級のインディーゲームの祭典「BitSummit PUNCH」(ビットサミット パンチ)。

本イベントにて5月22日、ARGブランド「第四境界」の総監督・藤澤仁氏と参謀長・平信一氏がステージに登壇し、「ARGブランド『第四境界』の仕掛け人たちが語る『物語』と『体験』」という題目で対談を行った。

本セッションは、藤澤氏が6年間ARGに携わってきた末に体系化した理論を公開するという貴重な場となった。

藤澤氏は『ドラゴンクエスト』シリーズに20年近く携わってきたゲームクリエイターで、ARGブランド「第四境界」を始動させた人物だ。第四境界は“日常侵蝕型”ARGブランドとして『人の財布』『かがみの特殊少年更生施設』などじつに約20作の体験を世に送り出している。

そんな氏が今回披露したのは、「虚実軸」という新たな概念
それは今回のセッションのテーマでもある「物語」と「体験」の意味合いの違いを説明するものだ。

ひとつの事象が、虚構と現実のどちらにより近いか。その尺度を使えば「ドラクエもARGも全て説明できる」と藤澤氏は語る。つまり、より虚構に近ければそれは「物語」だが、人はそれが“自分ごと”であればあるほど「体験」としてとらえるようになる。あらゆる作品は、そのグラデーションの中に存在するというのが氏の理論だ。

そして、その尺度において「どこまで物語を体験に近づけられるか」を目指したのが第四境界の作品群──ということになる。

本稿では、そのようなARG作品の「仕掛け人」たちによるディープな対談が30分にわたって繰り広げられたセッションレポートをお届けする。

取材/海ソーマ
編集/実存


第四境界とは何か。「現実を舞台としたゲーム」を作るブランド

平信一氏(以下、平氏):
今日は「第四境界」が普段何を考えながら作っているのか、ということについて話していければと思います。まずは藤澤さんから自己紹介をお願いします。

藤澤仁氏(以下、藤澤氏):
はい。第四境界総監督の藤澤仁です。昔は『ドラゴンクエスト』をずっと作っていたのですが、今はARGブランド「第四境界」で基本的にはすべての作品のディレクションを担当しています。本日はよろしくお願いいたします。

平氏:
僕も自己紹介させていただきます。平信一と言います。元々4Gamerというゲームサイトのほぼ初期メンバーで、ゲームメディアの仕事を25年ぐらいやってきました。最近では「電ファミニコゲーマー」というゲームメディアの編集長をしながら、今回のテーマである第四境界のプロデューサーもやっている、という感じです。今日はよろしくお願いします。

それでは「そもそも第四境界とは何ぞや」というところから説明できればと思います。藤澤さんからご説明をお願いします。

「第四境界」BitSummitセッションレポート:新しい「物語=体験」の表現手法について、総監督・藤澤仁が語る_001

藤澤氏:
BitSummitはインディーゲームの祭典じゃないですか。だから、ここで「第四境界」がどれぐらい認識されているのか、僕には全く分かっていない部分もあります。なので、今日は丁寧めに説明していこうと思います。

ARGは一般的には「代替現実ゲーム」みたいな言われ方をしています。だけど、あまりにもその言葉が分かりづらすぎるので、僕たちは「日常侵蝕ゲーム」という言い方をしています。
要するに、その物語が「実際に現実に起こっている」のか、それとも「仮想の物語」なのか──その境界線を極めて曖昧にしながら表現する物語を作っているのが、第四境界というARGブランドです。

その中でも、僕たちの名前を広く知らしめてくれた代表作が『人の財布』です。誰かの財布を手に入れたところから物語が始まり、「その財布の持ち主は誰なのか」を調査していくところから、また新しい物語が始まっていく。こういうものを作っているチームです。

平氏:
僕からもう少し補足すると、第四境界は「現実を舞台としたゲーム」を作る──かっこいい言い方をすると、現実世界そのものをプラットフォームとして使う。そういったゲームを打ち出しているブランドです。

『人のゲームカセット』BitSummitで実物を初お披露目

平氏:
藤澤さんは元々『ドラゴンクエスト』をスクウェア・エニックスでずっと作ってきた方なのですが、「物語」というものを非常に大事にされていますよね。

第四境界も当然物語を大事にしているのですが、世間的にはいわゆる「謎解きゲーム」と捉えられがちです。でも、実は本質はそこだけではない。ストーリーの部分をとても重視しているというのがひとつの特徴かなと思います。

なぜ物語を大事にしているのか、どういう体験を大事にしているのかを、藤澤さんから説明していただければと思います。

藤澤氏:
はい、その話はゆっくりしようと思うのですが──ちょっと話を巻き戻してください。今日、「第四境界と言えば」というものを持ってきていただいたので。

平氏:
そうです、忘れていました(笑)。

実物はBitSummitで初お披露目なのですが、こういうゲーム機を制作しました。
(アタッシュケースを開ける)

「第四境界」BitSummitセッションレポート:新しい「物語=体験」の表現手法について、総監督・藤澤仁が語る_002

「昔発売されていた架空のゲーム機」というコンセプトのものです。「このゲーム機で動くゲーム」を題材としたゲーム……と言うとちょっと日本語がややこしいですが、そういう商品がつい先日発売されました。これも説明は藤澤さんからお願いします。

藤澤氏:
ゲームっていろんな手に入れ方、出会い方がありますよね。新品を買って遊ぶこともあれば、たとえば友達からもらったとか、親戚のお下がりをもらったとか……

そして遊んでみると、「前のプレイヤーのデータが残っていた」という経験のある方も、いらっしゃるかもしれません。

このゲームも同じように、すでに一度市場に出たものであって、誰かのプレイした履歴、遊んだ形跡があるんです。だから、「実際に遊んでみる」ことと、「その元々の持ち主がどういう人だったのか」を考察すること──この2つの軸から物語が進んでいく体験が遊べるという作品です。

これは先ほどの『人の財布』から続いているシリーズで、その第5弾『人のゲームカセット』という商品として、今回お披露目しています。

平氏:
今日のテーマは「なぜこんな手間をかけたことをやっているのか」ということです。どういう体験、どういう気持ちになってほしくて、わざわざ架空のゲーム機を作っているのか。

『人のゲームカセット』のパッケージも、最初はとあるゲームショップにこっそり置かれていて、それを探し出すところから物語が始まっているのですが──なぜゲーム本体ではなくて「外側」から体験を作っていくのか。本日はそこの疑問に、お答えできればと思っています。

『ドラクエ』と『FF』の違いは「自己投影」。「主人公=自分」の追求がARGの始まり

藤澤氏:
僕は20年近く『ドラクエ』を作っていて、そこを離れてさらに10年くらい経っているので、長いことゲームに携わっています。

昔からゲームをやっている人の中で「ドラクエ派か、FF派か」という議論がよくあったじゃないですか。要するに、『ドラクエ』と『FF』は何が違うのか、という話です。

そこでよく言われていたのが、『ドラクエ』は「主人公が喋らない」とか「自分の名前をつけられる」、つまり「自己投影がしやすい主人公」だということです。

一方で『ファイナルファンタジー』も、自分の名前をつけることはできるけれど、やっぱり「クラウドはクラウド」だし「スコールはスコール」。どちらかというと、自分でつける名前よりは元々ある設定名のほうが強い性質があります。

つまり、『ドラクエ』と『FF』の違いは「自己投影のしやすさ」だったと思うんです。

だから、当時はよく「ドラクエは主人公=自分」みたいな言われ方をしていました。でも、僕も20年もドラクエを作っていたので、これを言ってもバチは当たらないと思うんですけど──本当のところ、主人公は自分ではないじゃないですか。

だって、自分は王子じゃないし、勇者じゃない。現在の東京なり京都なりで生活をしている、ゲームを作っている人だったりするわけです。だから、「自分が主人公に近い」けれど、「自分=主人公」という数式はどうしても成立しない。これがまず、問題として最初にあったんですよね。

でも、ここからが大事で。「どこまで『主人公=自分』を追求できるのか」という発想が、実はARGの始まりなんです。

たとえば、さっき出ていた『人の財布』。皆さんも普段、お仕事をされていたり、学生さんだったり、人によって違うそれぞれの生き方をされていると思うのですが、「誰かの財布を手に入れちゃう」ことは「ありうる」じゃないですか。

「自分にも起こりうる」という事象から物語が始まる──こういう描き方が、ARGにしかできないことであり、大きな特徴だと思うんです。

「第四境界」BitSummitセッションレポート:新しい「物語=体験」の表現手法について、総監督・藤澤仁が語る_003

「虚構」と「現実」のどちらに近いかを示す「虚実軸」という考え方

平氏:
今回の講演にあたって、藤澤さんとどんなテーマにするかご相談した際に、「物語と体験というのは実は同じもの」というお話をされていました。

その視点についてもう少し詳しく説明していただいたほうが、今の話がより理解できると思います。

藤澤氏:
僕は、第四境界を始める前から、さらに5年前ぐらい遡って、『Project:;COLD』というARGを始めています。ですから2020年から2026年まで、もう6年間ぐらい、ARGというもののことを毎日考え続けてきたんですね。

その中で、「自分が作っているものは何なのか」を体系的に理解しようとして、ようやく出てきた答えが「物語と体験は同じ意味」という言葉なんです。

それはどういうことなのかというと──ちょっと話が飛ぶのですが、ファンタジーの世界でよくある概念で「時間軸」ってあるじゃないですか。「過去と未来に向けて線が1本通っている」という考え方があり、この線のことを「時間軸」と言うわけですよね。

昔からSFでは過去に行ったり未来に行ったりするし、「タイムリープもの」のような物語はみなさんもよくご存知だと思います。つまり、僕たちはみんな「時間軸」という概念をかなり明確に理解していると思うんです。

もうひとつ例を出します。これは2000年代以降のトレンドなのかもしれませんが、「世界線」ということを、僕たちは理解できるじゃないですか。あるところにAとBという分岐のルートがあって、Aを選んだルートから見たBの世界は「異世界」になるという発想です。これも今の我々は、容易に理解できる状態になっている。これがまず前提です。

そこで僕が思っているのは──「現実」と「仮想」というものを1本の線で結んだ時に、そこには「濃淡」があって、この濃淡というものを1本の軸と呼ぶという発想です。これを僕は「虚実軸」と呼んでいます。虚は「虚構」の虚、実は「現実」の実。そして、全ての物語はこの「虚実軸のどこに置かれるのか」という考え方で説明ができる。さらに言うと、これでドラクエもARGも、全部説明できると思っています。

「現実」と「虚構」のメーターをどこまで「現実」に近づけられるかがARGの挑戦

藤澤氏:
「虚実軸」という発想に気づいたときに、「体験と物語は同じ意味」という結論にたどり着いたんです。

たとえば、「ある人が車に轢かれました」という悲しい出来事があったとします。それが自分に起こったら「体験」じゃないですか。でも、自分と全然関係ない人のところで起こったら、それは「物語」なんですよ。

ここに「現実」と「虚構」の違いがあるんです。先ほどの話で言うと『ドラゴンクエスト』は、現実と虚構で言うと「虚構」に近い。でも、『ファイナルファンタジー』よりはちょっと現実寄り。とはいえ現実ではないから、たぶん50パーセントよりは絶対虚構側にある。それが『ドラクエ』と『FF』の違いなのだと説明できます。

そして、この「虚実軸」のメーターを、どこまで「現実側」に持ってこられるか──という挑戦が、僕らARGがやっていることなんです。

しかし、僕たちが今作っている第四境界の作品──たとえば『人の財布』とか、さっきの『人のゲームカセット』などがどれだけ現実に近いかというと、6年間かけてやっと「50パーセント」なんですよ。

そして、この50パーセントより先、本当の現実側に近づけることはもうできないかもしれない。「もしかするとARGというものの限界が、この辺なんじゃないのか」というのが、最近見え始めています。

これが「体験と物語は同じ意味」ということの、ひとつの意味付けですね。

「第四境界」BitSummitセッションレポート:新しい「物語=体験」の表現手法について、総監督・藤澤仁が語る_004

平氏:
もう少し噛み砕いた言い方をすると、藤澤さんは以前「物語であっても、より自分事に近いとそれは『体験』で、自分事からどんどん遠ざかると『物語』になる」とおっしゃっていました。

そして、この尺度は「0か1か」ではないんですよね。たとえば、『FF』は物語的だけれど、自分で選択するとか、自分が主人公的にふるまうみたいな、没入的で自分事的な要素は多分にあります。そのうえで、『ドラクエ』はさっきも言った濃淡で言うと、自分事の度合いが高くなる。

この「0か1か」ではなく「濃淡とグラデーション」で捉える──ここが藤澤さんの指摘されたところで、なるほど本当にそうだなと納得しました。

藤澤氏:
濃淡があるということは、線で結べるということだと僕は理解しています。ですから、この「虚実軸」というものが概念として浮かび上がったんです。もしかしたら、こういう概念のことをすでにお話されている方がいるのかもしれないのですが、僕は研究者ではないのでわかりません。自分で思いついたことだとは思っているのですが。

ただ、いまARGがある種ブームのようになっていて、多くの人がARGを作るようになってきています。世の中が変わってきているな、という感覚があるんですね。

そうすると、今度はその「虚実軸」を使った「現実なのか虚構なのか分かり得ない」というファンタジーが、「時間軸」や「世界線」に続く潮流として世の中にどんどん生まれてくるんじゃないのかな、という予想をしています。

平氏:
そういうグラデーションで捉えると、たとえばビジュアルノベルというゲームジャンルもずっと、「これはゲームなのか読み物なのか」という議論がありましたよね。しかし、自分で選択するとか、能動性がある以上、小説とは明らかに違う。物語に寄った体験性のゲームである、と言えます。

改めて、いま藤澤さんが取り組んでいる第四境界とARGというジャンルがなんなのかというと──この「虚実軸」の「実」の方にかなり寄っている取り組みなんだ、と説明できます。

さっき藤澤さんがおっしゃったように、『ドラクエ』って、自分で全てを選択していくかもしれないけれど、あくまでキャラクターは自分自身ではなくて、ゲーム中のキャラクターにある種「憑依」して操作するものなんですよね。

でも第四境界で藤澤さんが今作っているものは、本当に自分自身が「主人公」として事件や謎、あるいはお話に向き合う──やっぱりこの感覚が、実はすごく大きいということですね。

「第四境界」BitSummitセッションレポート:新しい「物語=体験」の表現手法について、総監督・藤澤仁が語る_005

藤澤氏:
今日、これを聞かれている方はたぶん、ゲームプレイが好きか、あるいは実際に自分でゲームを作るのが好きか、いずれかの方なんじゃないかと思います。

ゲームを作る人の究極の夢は「画面に映っているものを、本当のことだと思ってもらえる」ことで、それにどこまで近づけるかという戦いでもあると思うんですよ。

これは平さんが書いてくれたことの受け売りでもあるのですが──作品が「絵を綺麗にする」とか「物語にリアリティを与える」という方向を目指すのは、「いま目の前で起こっているこれはもしかしたら現実なのかもしれない」と少しでも思ってもらうために、世界中のクリエイターが腐心しているからだと思うんです。

でも、どこまで行っても映画は現実ではないし、宇宙船は目の前にはやってこない。「現実ではない」ということを割り切った上で、僕たちは映画館で物語を見ています。これをなんとか、スクリーンから「こっち側」に持ってくる──それが、まさに僕らの狙いなんです。

言い換えれば、『人の財布』が財布を拾ってしまったところから物語が始まるように、「自分の世界に物語を連れてくる」こと。これはまだ多くの人がやっていない新しい概念で、そこに可能性を感じていますね。

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編集・ライター
『The Elder Scrolls』や『Dragon Age』などの海外RPGをやり込むことで英語力を身に付ける。最も脳を焼かれたゲームキャラは『Mass Effect』のタリゾラ。 面白そうなものには何でも興味を抱くやっかいな性分のため、日々重量を増す欲しいものリストの圧力に苦しんでいる。
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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