「戦争とは、まずこちらがよりよくなろうという希望であり、次に相手がより悪くなるだろうという期待であり、やがて相手もよくならないという安堵であり、最後にどちらもわるくなる一方という驚愕である」
(カール・クラウス、オーストリアのユダヤ人作家・ジャーナリスト。1874年-1936年)
「全ての戦争を終わらせるための戦争」(The war to end all wars)という、今から振り返ればむしろ牧歌的ですらある理想を標榜して始まり、結果として3000万人以上が死亡するという人類史上もっとも悲惨な戦争のひとつに終わった第一次世界大戦。その戦いを描いた前作『Battlefield I』から2年が経った。
シリーズとしては『Battlefield 1943』以来、本格的なヨーロッパ戦線をメインにしたものとしては『Battlefield 1942』以来となる、第二次世界大戦がモチーフの『Battlefield V』が2018年11月にリリースされている。
シリーズを通じてマルチプレイモードに注目が集まりがちなタイトルだが、前作『Battlefield I』では第一次世界大戦中にあり得たかもしれない局地的なドラマを丁寧に描き、好評を博した。その連作形式のシングルモード「大戦の書」は、本作でも採用されている。今回の大戦の書も短編の連作であり、主人公、舞台、背景は違えど、さまざまな局面で「世界大戦」と関わるストーリーが展開されている。
そしてリリースから少し遅れて、現状最後のシングルモードのストーリー「最後の虎」が配信された。それはビデオゲーム全体を通しても非常にめずらしい、第二次世界大戦のドイツ視点のシングルプレイキャンペーンだ。
物語は1945年春、ドイツのラインラント。恐らくライン川を挟んでエルペルとレマーゲンを繋ぐルーデンドルフ橋周辺。敗色濃厚なドイツ軍。プレイヤーはティーガーI型戦車の車長として迫りくるアメリカ軍と対峙することになる。
当然のことながら、エンターテイメントの世界で大戦時のドイツ、つまり「ヒトラードイツ」や「ナチスドイツ」は非常にデリケートな存在ではある。西欧諸国はもちろん、むしろドイツという当事国の中で当時のドイツ、つまりナチスドイツに対しての嫌悪感はいまだ根強い。ドイツ国内では“ゲーム作品で鉤十字やヒトラーの口ひげを描くのは不可”などレーティング機関においても厳しい規制があったが、今年8月にようやく表現の幅が緩和された。
それでもなおナチスとその周縁に付きまとう悪印象は根強く、どういう形であれ大戦時のドイツ軍に関するゲーム内描写は、世界中で社会的妥当性の洗礼に晒されることになる。まして今回はエネミーとして出現する「悪」の象徴としてのドイツ軍ではなく、プレイヤーがキャラクターを操作するプレイアブルの物語である。
しかし、開発に細心の注意が払われたであろうその物語は、ゲームにおいてナチスドイツと戦車でなければ描けないであろう傑作と呼べるキャンペーンとなった。「最後の虎」が示した物語とはなんなのか、その背景を少し深く掘ってみよう。
文/Nobuhiko Nakanishi
編集/ishigenn
「機甲師団」と「電撃戦」で緒戦を勝利したドイツ
非常におおざっぱな言い方ではあるが、第一次世界大戦は「塹壕」との闘いという側面を強く持つ。塹壕を掘り兵を配置するという原始的な戦術に、銃器の発達が暴力的な噛み合い方をするという世紀の発見により、戦争の形は野戦で兵力をぶつけるものから塹壕を挟んで睨み合うという形へ変化を遂げた。
第一次世界大戦の長期化の要因のひとつとしてその戦争の在り方があるが、それ故にその塹壕を突破するためのあらゆる方法論が考えられた。そのひとつが「戦車」であり、そしてそのひとつが後にドイツ機甲師団「電撃戦」の発想の基になる「浸透戦術」であった。
第一次世界大戦期において、戦車の運用は必ずしも完成されていたとはいえない。戦術云々の前に、その居住性、踏破力、火力、さらに数も含めて戦局を大きく左右するほどには発達していなかった。言い換えれば、戦車そのものの運用論が完成する前に終戦を迎えたということでもある。
1918年に終戦を迎え、敗戦国となったドイツはヴェルサイユ体制の元に身動きを封じられたが、厳しすぎる条約にドイツは長く苦しむこととなり、その怨嗟の声はドイツ労働者党を台頭させる大きな後押しになった。
そして確たる運用法を確立できなかった戦車という兵器は、いくつかの国で不要論があがる中、ドイツはその可能性と運用に関して明確な道筋を見出していた。それがハインツ・グデーリアンの「電撃戦」だ。
先の大戦時には、敵戦線の薄い部分を突破し機動力で迂回して戦線を崩すという「浸透戦術」が有効で、グデーリアンはそれが敵戦線から奥に行けば行くほど効果を発揮するという事実をよく認識していた。そして、それを戦車および機動力のある戦闘車両で行うことで大きな戦果を挙げられるのではないかと考えた【※】。
※実際はその発想と共に、全車両に「無線」を配備してお互いの通信を可能にすることによって、より流動的で統率のとれた軍隊の指揮が可能になったことを要因にする向きもある。第一次世界大戦では、無線搭載の戦車は指揮車両に限られており、おもに後方の支援火力との連動を目的にされていたとされる。
第二次世界大戦におけるドイツ軍の緒戦にみられる、文字通り炎が燃え広がるが如き快進撃は、その考えが正しかったことを示している。特にフランスが頼みにしていたマジノ防衛線の突破は、ドイツ軍の圧倒的な慧眼の成せる業だったと言って差し支えないだろう。第一次大戦末期において示されていた可能性を、ドイツ軍は機甲化部隊における戦術のひな型のひとつとして昇華せしめていた。
ドイツ軍を当時世界最強たらしめていたのは物量でも軍備の精強さでもなく、一重にその速さにこだわった戦術によるものであり、そして分不相応と言える緒戦の大戦果こそがドイツという国そのものを泥沼の戦争に引きずり込む罠でもあった。
伝説の重戦車「ティーガー」が戦う“劣勢”という意味
シナリオの冒頭でも紹介されるが、第二次世界大戦で活躍したなかでも、ティーガーは伝説の戦車だ。I型であるティーガーIは、その当時に他国の戦車で採用され始めていた傾斜装甲でこそないものの100mmの前面装甲を有し、ソビエト連邦の主力戦車T34の76.2mm砲、アメリカの主力戦車M4シャーマンの75mm砲では、少なくともティーガーの前面装甲を正面から撃ち抜くのはほとんど不可能だった。
逆にティーガーIの主砲8.8cm砲は、掠れば相手を大破せしむるほどの威力を有していた。「最後の虎」でプレイヤーは無双状態でM4シャーマンを撃破していくが、多少のゲーム的誇張はあれど、実現不可能な動きというほどおかしくもない。
しかしながら、高コストで大量生産に向かず、ソ連のT34が約58000台、アメリカのM4シャーマンが約50000台の生産台数に比して1347台【※】しか生産されず、物量に押し込まれる結果になる。その上、57tという重量、時速37キロという低機動に加え、さらに足回りに多く問題を抱えていた。
※ティーガーIの生産台数に関してはゲーム内の表記や著述によって多少のばらつきがある。
低機動高火力というコンセプトが設計思想として間違っていたということでは決してないが、前述のようなドイツの快進撃を支えた電撃戦の用兵思想とはまったくそぐわないものであったのは間違いない。電撃戦が主に攻勢に適した戦術だとしたら、ティーガーは守勢に回った場合にその真価を発揮する戦車であった。
つまり守勢に適したティーガーが活躍するという事実自体が、ドイツ軍の戦略的な劣勢の証明でもあったのだ。圧倒的な物量の前に崩れていったドイツ第三帝国の滅亡をもっとも間近で見ていた戦車。圧倒的な強さを見せつけながら、ドイツの敗戦処理を担った戦車。それがティーガーであり、それはドイツ敗戦のシンボルでもある。
そして第一次世界大戦に始まった戦争の新しい形は、ベルリン陥落、続く日本への原子力爆弾投下により、さらに姿を変えつつもひとつの決着をみることになる。それは同時に第二次世界大戦で各国の主要兵器となった戦車が、戦争の花形ではなくなったことを意味するものでもあった。
戦車は不要になったわけではなく、その後もNATOとワルシャワ条約機構の東西冷戦の中、あるいは中東危機、あるいは湾岸戦争や東欧独立運動など、歴史の紛争の多くに登場する。治安維持や市民や暴徒に対する示威行動の手段として、あるいはテロリストとの戦いにおいて。そのなかで戦車は、時に有用な点を、時に大きな欠点を露呈してきた。
ことに市街戦、主砲の仰角の取れない高所からRPGなどで弱点を狙い撃ちにするゲリラ戦術には苦戦を強いられ、第一次チェチェン紛争でロシア軍が被った損害戦車200両という歴史的な敗北は、戦車という兵器自体に懐疑的な目が向けられる大きな転換点になった。
いみじくも本チャプターは市街戦、建物の中から攻撃してくる兵士、プレイヤーが途中で対空砲での攻撃をせざるを得ない航空戦力に晒される。それは花形の座を降りた戦車がその後辿る運用上の苦難をなぞっているかのようだ。
そして欧州の戦いを象徴する場所「ラインラント」
舞台設定に採用された「ラインラント」も、実は第二次世界大戦という時代にとって重要な背景となっている。そもそもライン川周辺一帯は、ドイツとフランスの間でたびたび紛争地帯となっていた経済の要衝であり、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約体制で非武装地帯と定められていた。
しかしアドルフ・ヒトラーは1936年、非武装を確認したロカルノ条約に背き軍を進駐。英仏はそれに対し軍事行動に出なかった。ヒトラーも後に述懐しているが、ラインラント進駐は一種の「賭け」であり、英仏の軍事行動があれば当時のドイツ軍に勝ち目はなかった。その賭けに勝ったことによってドイツは自信をつけ、軍備拡張対外進出路線につきすすむ結果となった。
そのタイミングでなぜ英仏がなんの行動も起こさなかったのか。平和主義の敗北や、日和見主義が生んだ不幸と考えるかどうかは政治の議論なので差し控えるが、とにかく「ラインラント」という土地が陥落する場面というのは、第二次世界大戦を通じても文脈的に強い意味を持つ。この場所は転がり落ちるように次の大戦に突き進んでいった欧州全体の象徴的な土地だ。
冒頭引用したオーストリアのジャーナリスト、カール・クラウスは、30年以上にわたり評論を記し戦争のプロパガンダに風刺を持って戦った。彼は奇しくもドイツのラインラント進駐の数か月後に没している。社会と権力に反抗し続けた天才言論人は、死に臨して何を思っただろうか。そして1945年春には、逆にラインラントを連合軍が進行し、その後ドイツ軍は本土決戦を強いられる。首都ベルリンまで攻め込まれた同軍は、5月8日に無条件降伏をした。
敗戦濃色であった「ドイツの視点」であること、花形の座から降りる歴史をたどりつつ合った「戦車」であること、劣勢の象徴である「ティーガー」であること。そして、舞台が「ラインラント」であること。「最後の虎」キャンペーンはその全てを背景に第二次世界大戦を集約しており、終戦間際のどうしようもない末期感を静かに描くことに成功している。
これは今までゲームという媒体でほとんど描かれてこなかったドイツ軍の視点でなければ描けなかったものであり、同キャンペーンはその背景をもって作り込まれ、傑作と呼べる内容に達している。
もちろん、連作のひとつでしかない本キャンペーンをどう評価するかは、その人間の政治信条や思想によりある程度変化するだろう。だが、デリケートな問題をここまで丁寧に作り上げた熱量と手腕は決して見逃されるべきではない。
マルチプレイ主体のゲームのシングルモード、その一節に極めて優れた物語が隠れていることもある。ビデオゲームというジャンルに現れる非常に興味深い現象のひとつだ。