2017年でクトゥルー神話は誕生100周年を迎えた。ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの作品に始まったその世界は、彼と彼の友人を繋ぐコミュニケーションツールとして広がり、やがてその世界は神話となった。
こと日本では、アナログゲーム『クトゥルフ神話TRPG』や、テレビアニメ『這いよれ!ニャル子さん』の影響が大きく、クトゥルー神話自体には詳しくなくとも、「SAN値」というワード、あるいは「ニャルラトホテプ」といった名前などを一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
また人気のスマホアプリ『Fate/Grand Order』では、2017年11月からクトゥルー神話ネタが登場している。そのため、そこからクトゥルー神話の存在を知った方もいるかもしれない。
しかしクトゥルー神話がどのようにして日本で広まり、神話の体系がどう生み出され、いまクトゥルー神話界隈がどうなっているのか──ということを整理する機会はなかなかない。
そこで今回電ファミが企画したのが、クトゥルー神話研究家の森瀬繚氏へのインタビューである。
氏は『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』や『図解 クトゥルフ神話』の著者であり、テレビアニメ『がっこうぐらし!』や『ダンガンロンパ3 -The End of 希望ヶ峰学園-』では、脚本の一員として参加している人物だ。
本稿ではそんな森瀬氏に、クトゥルー神話の定義に始まり、1950年代から現代に至るまでの日本におけるクトゥルー神話の広まりかた、そして2018年からスタートしたラヴクラフト作品の新訳に関する取り組みまでを尋ねた。
クトゥルー神話がここまで広がった起爆剤のひとつである『クトゥルフ神話TRPG』についても、神話体系とビジュアルイメージという両面からその実像に迫っている。氏が言う「我々は『クトゥルフ神話TRPG』が作り上げたクトゥルー神話像の中に生きている」とはどういう意味なのか。
なお本稿では、森瀬氏の方針に則り、今日のゲーム業界では一般的にクトゥルフ(Cthulhu)と呼ばれているものをクトゥルーと表記している。氏いわく、『クトゥルフ神話TRPG』の影響で「クトゥルフ」という発音が広がったが、小説では「クトゥルー」が主流であり、なおかつアメリカ・ヨーロッパにおける国際的な標準発音は、2017年現在「クトゥルー」となっている。
そのため、「クトゥルフ」と呼ぶのは日本特有の文化であるとのことだ。
ニコニコ動画×『クトゥルフ神話TRPG』×『ニャル子さん』が生んだクトゥルーブーム
──専門家の方を前に告白しますと、じつは……あまりクトゥルー神話に詳しくないんです。唯一知っているのが、あのアニメの……。
森瀬繚氏(以下、森瀬氏):
『這いよれ!ニャル子さん』(以下、『ニャル子さん』)ですね(笑)。
──それです! あの作品はクトゥルーをずっと研究されている森瀬さんの目から見ても評価すべきものだったんですか?
森瀬氏:
じつは2008年ごろ、版元のソフトバンククリエイティブ(現・SBクリエイティブ)から、「夢見るままに待ちいたり」という第1回GA文庫大賞の受賞作品の内覧版が、自分のところに回ってきたんですよ。
それが、『這いよれ!ニャル子さん』との出会いでした。もう初めて読んだときは本当にビックリしましたね。贔屓目もありますが、「これは間違いなく売れる」と思いましたよ。
──ヒットしたこととその影響は理解していますが、専門家から見ても凄かったと。
森瀬氏:
「“クトゥルー神話もの”もついにここまで来たか」という衝撃を受けましたね。実感したのはテレビアニメの放送開始後ですが、「これでクトゥルー神話が一気に広がるぞ」という確信は発売前からありました。
何年か前まではコミケでサークル出展をしていたんですが、実際、そこに来られる年季の入ったSF関係者や怪奇小説を楽しまれている方々が、すごく楽しそうに『ニャル子さん』の話をするんですよ。それぐらい『ニャル子さん』への抵抗は界隈のファンからも少なくて。
──それはめずらしいことなんですか?
森瀬氏:
ええ。僕自身もその最たるものでしたが、1990年代あたりまでは「こんなのはクトゥルーとは認めない!」というようなことを声高に主張するうるさ方が数多くいたのですが、後述する『デモンベイン』が出て、そしてその『ニャル子さん』が出て、そういう人たちも「こういうのもありなんじゃないか?」、「これはこれで面白いよね」という方向に変化していきました。
そして2010年に突入すると、クトゥルー神話はさらに広まっていくことになります。
──『ニャル子さん』がテレビアニメ化されたのが2012年で、そこから一気にクトゥルー神話が広まった気がしますね。
森瀬氏:
アニメ放送で爆発的に広がったこと自体は間違いではありませんが、本当に注目すべきなのは『ニャル子さん』がアニメ化する前のタイミングなんですよ。
2010年代のクトゥルー神話を紐解くキーワードには、まず『ニャル子さん』、それからこちらも後述する『クトゥルフ神話TRPG』、そしてニコニコ動画の3つがあります。先ほども少し話をしましたが、まず『ニャル子さん』はアニメ化する前から、このジャンルのファンのあいだではすでに話題だったんですよ。
もちろんアニメ化されたわけですから、ライトノベルを普段から読んでいる層にも広く浸透したと思います。
そして時を同じくして、ニコニコ動画で『アイドルマスター』のキャラクターたちがTRPGを遊ぶファンメイド動画が流行り始めました。その中に『クトゥルフ神話TRPG』のものがあったんです。
よく『ニャル子さん』のアニメ化によって、クトゥルー神話、あるいは『クトゥルフ神話TRPG』が流行ったという話がされますが、それだけではないんです。
アニメがスタートする前──2010年代に入るころ、すでに『クトゥルフ神話TRPG』はニコニコ動画で盛り上がっていて、クトゥルー神話に関連する商品が売り上げを伸ばしていたんですね。
ですので、『ニャル子さん』の影響で手を出した方も当然いらっしゃるでしょうけども、因果関係としては、どちらかというとニコニコ動画の影響が大きく、そこにブーストをかけたのが『ニャル子さん』のアニメなんです。
言ってみれば相乗効果ですよね。
──なるほど。すでにキーワードがいくつか登場しましたが、本日はそれらを含め、「クトゥルー神話とはどういうもので、どういう歴史を経て、いまどのように楽しまれているのか」など、ぜひご解説をよろしくお願いいたします。
クトゥルー神話はどのようにして神話体系の形になったのか
──「いあ! いあ!」ですとか、「SAN値」など、昨今クトゥルー神話にまつわるフレーズが耳に飛び込んでくることが多いのですが、なかなか裾野が広く、理解のためにはどこから手を着けていいのかわからない、という悩みがありまして。
まずは“クトゥルー神話”というものの定義、あるいは範囲を教えていただけますでしょうか。
森瀬氏:
定型文になるのですが、20世紀前半にアメリカで刊行されていた『ウィアード・テールズ』などのパルプ・マガジンで活躍していたハワード・フィリップス・ラヴクラフトを中心とする一連の作家が、「自分たちが創造した太古の神々や魔道書などの固有名詞を、お互いの世界で共有していく」という楽屋落ち的なお遊びを通じて、意図せずして作り上げた架空の神話体系のこと──という説明をいつもしています。
──まず複数の人物が関わった創作物の体系であると。そしてその体系化ゆえ、神話的とされているんですね。
ここでお伺いしたいのは、この“体系化”の部分です。体系化することが神話になる条件となるなら、体系化の形が複数あったり、時間経過とともに変化したりなど、場所や時代によってクトゥルー神話というものが違ってきちゃうんじゃないでしょうか。
森瀬氏:
おっしゃるとおりです。順に説明していきましょう。
まずは“クトゥルー神話”という名称から。ラヴクラフトは“架空の神様や書物について自分の作品中で言及する”というスタイルの物語を、架空の神話体系「ペガーナ神話」の創造者であるダンセイニ卿の作品から学びました。そして『クトゥルーの呼び声』や『ダンウィッチの怪異』などのアメリカはニューイングランド地方を舞台とする作品を手掛けたころから、ラヴクラフトはその作品群を「アーカム・サイクル」などと呼ぶようになります。
この時点ではまだ、みずからの作品中で言及している神話について、体系めいたものは考えていなかったようです。
ですが、1930年代ごろになると、徐々に何らかの構想が浮かび始めたようで、『狂気の山脈にて』という作品の執筆にあたって著した覚書の中に〈クトゥルーその他の神話〉という言葉が現れ、その後、クトゥルー神話という言葉がラヴクラフトと友人の作家たちのあいだで使われるようになっていきます。
──しかしその段階ではまだ、クトゥルー神話という言葉と神話体系が結びついていませんよね。
森瀬氏:
ええ。体系化の試みは、ラヴクラフトの死後(1937年)から行われるようになりました。最初に体系化を始めたのは、クトゥルー神話作品を書いていた初期の作家たちのコアなファンでした。
彼らはバラバラだった作品をひとつのワールドだと捉え、それを熱心に体系化していったのです。これは、現代の作家や作品においても、よく見かける光景ですね。
また1939年、ラヴクラフトを師と慕っていたオーガスト・W・ダーレスという人物が、ラヴクラフトの小説を刊行するために「アーカム・ハウス」という出版社を設立します。そして、ラヴクラフトの物語群を含む神話体系の名称として、改めて「クトゥルー神話」という言葉をアピールするようになりました。
そして1940年代に、フランシス・T・レイニーというファンジン(ファンどうしの交流が目的で制作される同人誌)の発行者が、『クトゥルー神話用語集』(青心社『クトゥルー13』に収録)という用語集を作り上げます。
これをダーレスが気に入りまして、彼自身も協力して作った改訂版をアーカム・ハウスの刊行物に載せたんですね。
──ダーレスという人物がかなりキーになっていますね。それが「ダーレスがクトゥルーを体系化し、それがクトゥルー神話になった」と言われている由縁ですね。
森瀬氏:
昔はそのように言われていましたが、実情は微妙に違っていたわけです。
それに、『クトゥルー神話用語集』はアーカム・ハウスの刊行物に掲載されはしましたが、アーカム・ハウスの公式設定というわけでもありませんでした。
そのあたり、裏を取る人間がいないままに日本にも紹介されて、「ダーレスが体系化した」という先入観だけがそのまま残留し続けていたわけです。
──ああ、アーカム・ハウスが──しかもその設立者であるダーレス自身が、アーカム・ハウスの刊行物という場で『クトゥルー神話用語集』を掲載したのだから、それがクトゥルー神話の公式設定、つまり公式の神話体系だと受け取られていたわけですね。
森瀬氏:
ええ。ただし、仮にそうだったのであれば、アーカム・ハウスから刊行されたクトゥルー神話小説は、その公式設定に沿っていたはずですよね。でも、実際にはそうではなかった。
そこで最近、ラムジー・キャンベルとブライアン・ラムレイというふたりのホラー小説家に質問をしてみたんですよ。
彼らはアーカム・ハウスの刊行物を通してクトゥルー神話を知り、自分でも書くようになったクトゥルー作家なんですが、「アーカム・ハウスから公式設定に基づいた監修や口出しをされたり、独自の設定を出したときに何か言われりしたか?」と聞いてみたら、「まったくそんなことはなかった」と。
とくにブライアン・ラムレイ氏は「そういった共通設定のガイドブックみたいなのがあるのは知っていたけど、読みもしなかった」とハッキリと仰っていました。つまりアーカム・ハウスは、とくにクトゥルー神話を公式に体系化していなかったんですよ。
──そこまでしっかりとした枠組みを定めていなかったと。森瀬さんの研究が通説を変えたわけですね(笑)。
森瀬氏:
そうなってくれればいいなとは思います(笑)。体系化といえば、やはり熱心なファンのひとりだったリン・カーターという人物が20代だった1950年代に書いた『クトゥルー神話の神々』(青心社『クトゥルー1』掲載)というテキストも有名で、やはりアーカム・ハウスの刊行物に載っているんですが、これも公式設定というわけではありません。
ただ日本では、この『クトゥルー神話の神々』がクトゥルー神話の公式設定のような形で1970年代の怪奇小説雑誌で紹介され、基本資料と認識されてしまったんです。
最初から「体系」という形で概要を把握できたのは良いことだったかもしれませんが、後にプロの作家・編集者として活躍したとはいっても、20代のアマチュアがざっくりとまとめた設定が根付いてしまったという点では、悪いことでもあったかもしれません。
ちなみにカーターは生涯を通してずっとクトゥルー神話の体系化を続けていきました。そして、『クトゥルー神話の神々』と、彼が後にまとめた体系を比べると、全然違うんです。
たぶん、カーターとしては、不本意だったということでしょうね。
──同一人物であっても、時代によって体系が変わっていると。
森瀬氏:
そうです。クトゥルー神話の体系は複数あって、体系化した人間や時代によって内容も異なってくるわけです。ある意味ではクトゥルー神話というものは、時代によって違うと言えると思います。
──あくまで緩い枠組みであるということですね。
1950年の日本上陸からクトゥルー神話がマニアならば“避けては通れない道”になるまで
──そんなクトゥルー神話ですが、次にお伺いしたいのが「それがいつごろ日本に入ってきて、どのようにして広まっていったのか」ということです。
森瀬氏:
日本でのクトゥルー神話の始まりは、1950年代にまで遡ります。当時、江戸川乱歩が小説雑誌で怪奇小説のコラムを連載していたんですが、そこで紹介されたのが最初の本格的な日本上陸のようです。
それ以前に、日本の作家がラヴクラフトの作品を翻案したりしているのですが、これについては省きましょう。ともあれ、乱歩の紹介を皮切りに、『宝石』などの当時の文芸雑誌に、関連作品の翻訳が載るようになっていきました。
そして1970年代になると、荒俣宏先生や仁賀克雄先生を始めとした有名な翻訳者の方々により、『幻想と怪奇』や『S-Fマガジン』といった雑誌に、クトゥルー神話の記事や作品が掲載されるようになります。
日本でクトゥルー神話がまず広まったのは、このあたりじゃないでしょうか。
しかし、この段階ではまだブームやムーブメントにはなっていませんね。
──では最初にブームを起こした作品や出来事はなんだったのでしょうか。
森瀬氏:
栗本薫先生の小説『魔界水滸伝』だと思います。雑誌掲載は1981年から1991年ですが、栗本先生は何しろ当時の大人気作家ですから、「『魔界水滸伝』の影響でクトゥルーものを読み始めた」という読者さんは本当にたくさんいました。
当時、クトゥルー関連の書籍を数多く出版している国書刊行会の編集者だった作家の朝松健先生は、そういった関連書のアンケートハガキに「『魔界水滸伝』がきっかけで手に取ったと書かれていた方が本当にいっぱいいた」と仰っています。これがたぶん最初のブームだったと思います。
ブームの影響は、児童書にも及びました。1982年に勁文社から『世界の怪獣大百科』という本が出ます。
これはその名のとおり、世界中の怪獣が載っている子ども向けの本でして、『ウルトラマン』や『ゴジラ』といったメジャーどころの作品からはもちろんのこと、それ以外の小説や伝説からも怪獣を引っ張って来ていたんですよ。
そして、クトゥルフをはじめ、クトゥルー神話の神々や怪物が紹介されていたんです。僕が初めてクトゥルー神話に出会ったのがこの本ですね。当時はまだ小学生でした。
ちなみに、小学館の『世界の妖怪全(オール)百科』という本にも、クトゥルー神話がらみのクリーチャーが載っていました。
──森瀬さんはそのころから深淵に足を踏み入れていたんですね(笑)。ではここからは森瀬さんの体験とともに、日本での広まりかたを追っていこうと思います。
それにしても、この大百科のクトゥルー神は何だか変わった外見をしていますね。
森瀬氏:
ご覧のとおりドラゴンのような姿に描かれていて、現在のクトゥルーのイメージとはまるきり違いますよね(笑)。
「タコ」もしくは「イカ」のような頭部があるという設定は原作小説にも出てくるとはいえ、まだまだビジュアル・イメージが固まっていなかった時代だったんだと思います。
この百科本には、巨大な半魚人「ダゴン」なども載っていますが、具体的にこれがクトゥルー神話というものに属するものだという説明までは載っていませんでした。
それにしても……なんてものを子どもに読ませるんだと(笑)。当時の子どもたちは『ウルトラマン』や『ゴジラ』に出てくる怪獣が大好きで、小学校ではみんな『ウルトラマン』の怪獣を知っていましたし、クラスでの話題はそういう方向のものばかりでしたが……、それにしてもマニアックな本でしてね。
こういう本からクトゥルー神話に入ったという方は、僕の同世代では結構多いのではないでしょうか。
──いい意味で罪深い本なんですね(笑)。
森瀬氏:
ええ、すばらしい本です。当時は僕もこのクトゥルフに対して「風変わりな怪獣の1体」というくらいの認識でした。ところが、その後も日々ファンタジー作品に触れていると、だんだんクトゥルー神話に関わる固有名詞が目に入るようになるんです。
小説では、『怪奇小説傑作集』(創元推理文庫・1969年発売)を最初に読んだのかな……怪奇小説のアンソロジーみたいな全4冊の文庫本なんですが、その3巻に「ダンウィッチの怪異」が入っています。
ただこの段階では、クトゥルー神話という枠組みは知りませんでした。その後が、栗本薫先生の小説『グイン・サーガ』の外伝『七人の魔道師』(ハヤカワ文庫・1981年発売)。
これを1985年ごろに読んだんですが、そこにクトゥルー神話のネタ──ク・ス・ルーの神という言いかたをされている、「ラン=テゴス」への言及がありました。この段階ではまだ、クトゥルー神話自体にはピンと来ていなかったのですけれど、印象には強く残りました。
ここまでが小学生のころです。その後、中学生になってPCのファンタジーRPGにどっぷりとハマっていたころ、ちょうど日本語版の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)が発売(1986年)され、年上の友人たちと集まっては遊びまくっていたんですね。
雑誌の『コンプティーク』でグループSNEさんの『ロードス島戦記』の連載(1986年)が始まったころのことです。
同じくその1986年に、テーブルトークRPG『クトゥルフの呼び声』の日本語版が発売されることになります。
──ここまでのお話では、森瀬さんはまだクトゥルー神話についてハッキリと認識はしていないわけですよね。するとやはりその『クトゥルフの呼び声』がきっかけで認識することになったんでしょうか。
森瀬氏:
厳密には、ちょっと違いまして。千葉県の松戸に“わらそう”という有名なホビーショップがあったんですが、そこにはテーブルトークRPGのルールブックだけではなく、グレナディア社から出ていた『D&D』のメタルフィギュアなどが大量にお店に並んでいたんですよ。
ある日、そのディスプレイをボーッと眺めていたんですが……そこに見たことのない容姿の怪物じみたフィギュアが並んでいまして。それが『クトゥルフの呼び声』のメタルフィギュアだったんです。
「『D&D』に出てくるようなモンスターはある程度知っているはずなのに、見たことも聞いたこともない怪獣がいるぞ」と(笑)。さらにその直後ぐらいから、『グイン・サーガ』を自分でも買うようになりました。
そもそも読んでいたのは叔父の影響だったんですが、26巻(1987年発売)が出たあたりからは自分でも買うようになり、本当に貪るように読んでいました。
すると、あとがきに『魔界水滸伝』という作品の、栗本先生の別の作品の話が繰り返し出てくるんですね。どうも『グイン・サーガ』の世界と繋がっているようなことが匂わされているわけでして。そうしたらもう……『魔界水滸伝』を読むしかないじゃないですか。(笑)
そしてついに──私はクトゥルー神話なるものと出会ったんです。
──これまでは断片的だったものが、ここにきて一気に繋がったと。それにしても1986年は熱いですね……。
森瀬氏:
ええ。これがきっかけで、ひたすらハードカバー版のクトゥルー神話の作品集を立ち読みするようになり、かいつまみながらクトゥルー神話を理解していったんです。
1986年もたいがいでしたが、そこからの数年が熱かったですね。たとえばグループSNEさんとハミングバードソフトさんが作られたホラーRPG『ラプラスの魔』(1987年発売)は、クトゥルー神話ものであることがゲーム雑誌で明言されていましたし、『幻想文学』という雑誌の別冊ではクトゥルー神話が特集されました。
この別冊は、当時におけるクトゥルー神話の入門書として多くの読者に重宝された本でした。
そして翌1988年には、青心社から既に刊行されていたハードカバー版のクトゥルー神話作品集の文庫版が発売され、ほぼ同時期に発売された『ウィザードリィ4』には「ネクロノミコン」がモチーフのアイテムが登場してもいます。
こういった書籍や作品の影響により、「あれもクトゥルーだったし、これもクトゥルーだったし、それもクトゥルーだったじゃん!」ということに気づいていったんです。これがもう楽しくて……すっかりハマってしまいました。
──徐々に日本での広がりかたが見えてきましたね。1990年代に入ってからはどのように広がっていくんでしょうか。
森瀬氏:
1980年代がそういう時代でしたので、1990年代になると、クトゥルー神話はメジャージャンルとしてのファンタジーでは我慢できなくなった人々──つまるところ「マニア」であれば “避けては通れない道”になっていたように思います。
実際、オンラインゲームのプレイヤーが情報交換する同人誌や、『RPGマガジン』(ホビージャパン・1990年創刊)といった当時の雑誌なんかを読み返すと、記事や読者投稿のそこかしこにクトゥルー神話ネタがあるんです(笑)。
同じ年に始まったネットゲーム(いまで言うPBM)『蓬萊学園の冒険!!』の情報誌を見ても、クトゥルー神話ネタがたくさんありましたね。
【ゲームの企画書】リアルを舞台に数千人規模でゲーム…そんなのは約30年前に存在した! 「蓬萊学園」狂気の1年を今こそ語りあおう【新城カズマ×齊藤陽介×中津宗一郎 】
どこかしらでクトゥルー神話の洗礼を受けたクリエイターが、数多く台頭してきた時代でもありました。代表的なのは、大槻涼樹さんですね。
彼がシナリオを担当されたNECのPC-9800シリーズ用のアドベンチャーゲーム『黒の断章』(1995年発売)は本格派のクトゥルー神話作品で、セガサターンにも移植されて10万本売れたと聞いています。
ただ『黒の断章』を含め、1990年代までのクトゥルー神話ものの作品は、まだまだマイナーメジャーの域にとどまっていたように思います。
──つまりその後、それを突破する作品が出てきたと。
『斬魔大聖デモンベイン』の衝撃、クトゥルー神話ってここまで無茶をしていいんだ
森瀬氏:
ええ、2003年発売の『斬魔大聖デモンベイン』(以下、『デモンベイン』)です。
──おお、『ニャル子さん』とともに古くからのファンを唸らせたという。
森瀬氏:
それです(笑)。僕自身、雑誌付録の体験版をプレイしたときには、「なんてことだ」と身震いしました。
そもそも当時のオタクやマニアの中でもとくに才能のある方々が美少女ゲーム業界に集まっていた時代だったわけですが……まさか、奇をてらうだとかちょっとした要素を入れるだとかではなく、本当にクトゥルー神話で巨大ロボットものを真正面から、あのクオリティでやってしまうとは。
それでもう完全にタガが外れましたね。当時、僕は美少女ゲーム雑誌のライターとして仕事をしていまして、実際に業界のいろいろな方に話を聞いてまわったのですけれど、「俺も(クトゥルー神話を)やらなきゃ」と思わせる影響力はもちろんのこと、「クトゥルー神話ってここまで無茶をしていいんだ」という安心感を『デモンベイン』は作り手に与えたんです。
それ以降の数年間は、本当に毎年のように次から次へといろいろな作品の中にクトゥルー神話の要素が入ったり、あるいはクトゥルフ神をがっつり取り込んだゲームであったりが、大量に出ていましたね。
──年代的には『デモンベイン』と被っていますが、虚淵玄さんの『沙耶の唄』(2003年)もそのうちのひとつですよね。
森瀬氏:
そうですね。とはいえ、これは虚淵さんのポリシーがあり、クトゥルーものだとは明言はしていないんですよ。クトゥルー的な用語が入っていて、誰が見ても「これはクトゥルーだろう」という内容ではあるんですがね。
というのも、もともと虚淵さんは『クトゥルフの呼び声』でキーパー(ゲームマスター)をやられていまして、昔からプレイの中では固有名詞をなるべく使わないでやるタイプの方だったそうで。『沙耶の唄』も、その延長線上の作品だと仰っていました。
──なるほど。そのように諸方面に大きな影響を及ぼした『クトゥルフの呼び声』は、1990年代や2000年代になっても普通に遊ばれていたんでしょうか。
森瀬氏:
もちろん遊ばれていたとは思いますが、ルールブックが1993年発売の改訂版以降、約10年間は更新されていないんですよ。ですから2000年になるころには絶版になっていましたね。
じつはそのころ、僕は復刊ドットコムさんのお手伝いで、いろいろな企画を提案させていただいておりまして、その一環で『クトゥルフの呼び声』を何とか再販できないかと動いていたんです。
そのときちょうど新紀元社さんから「うちから出るよ」という話を聞きまして。ただそれは従来の『クトゥルフの呼び声』ではなく、『コール・オブ・クトゥルフ d20』(2003年)という、当時の『D&D』とルールが互換の別シリーズでした。
その後、『クトゥルフの呼び声』については、『クトゥルフ神話TRPG』(以後、『クトゥルフの呼び声』は『クトゥルフ神話TRPG』と表記)という皆さんの聞きなれたタイトルに改題されて、2004年にエンターブレイン(当時)から発売されたことについては、皆様もご存知のとおりです。
──ああ、そこでよく聞く『クトゥルフ神話TRPG』が登場するんですね。それは森瀬さんがエンターブレインに働きかけたんでしょうか?
森瀬氏:
いえ、自分はノータッチでした。そのころの僕は、クトゥルー神話そのもののガイドブックを作る企画を立てて、営業をかけていました。
というのも、2000年代になってクトゥルー神話が盛り上がったのはいいものの、最新の情報をフォローしたガイドブックが存在しなかったんですよ。
そこで企画書を新紀元社さんに持って行ったんですが、ちょうど朱鷺田祐介さんというライターの方がガイドブックを作られていて、枠が埋まったような状態になってしまっていたんです。
ただその後、ちょうど立ち上げ準備中だった「F-Files」という図解シリーズの方でクトゥルー神話をやらないかという話をいただきまして、2005年に『図解クトゥルフ神話』を刊行しました。
こちらはクトゥルー神話の世界観全体のガイドのようなものです。当時そうしたものがなく、わりと好き放題に書かせていただいたんですが……正直、振り返って見ますと少なからぬ原作の誤読もありましたし、いま現在の僕のクトゥルー神話観ともだいぶ違っているので、ぶっちゃけ全部書き直したいですね(笑)。
──10数年経って研究が進んだんですね(笑)。
森瀬氏:
まあそんな感じです(笑)。ちなみに、『図解クトゥルフ神話』の前から作ろうと思っていたガイドブックのほうは別の版元から刊行させていただきました。それが、2006年発売の『クトゥルー神話 ダークナビゲーション』(ぶんか社)です。
それまでのガイドブックには、怪奇小説やSFの畑の方々が作られたものが多かったんですが、こちらはもっとライトな──つまりはコミックやライトノベルやゲームが好きな層をターゲットにして作りました。
なぜそうしたかというと、それまでは怪奇小説やSFのマニアがクトゥルー神話を楽しんでいるメインの層でしたが、“クトゥルー神話もの”である『黒の断章』や『デモンベイン』が10万本規模でヒットし、それを買った多くの方々がライトな……いまでいう「アキバ系」のオタク層だったからです。
また、クトゥルー神話もののライトノベルが出始めたころでもありましたしね。
当時は「クトゥルー神話を汚しやがって」、「ラヴクラフトを冒涜するな」といった厳しい批判もいただきましたが、自分としては、「クトゥルー神話を楽しんでいるメインの層がメジャーな層に移りつつある」という強い確信があったんです。
クトゥルー神話が広く受け入れられた理由と海外事情
──なるほど。そして最初にお話いただいた『ニャル子さん』の話に繋がっていくわけですね。
でも、古くからのファンの方の受容はともかく、アニメやニコニコを通じたとしても、なぜ「クトゥルー神話がそんなに受けいれられたのか」という疑問が浮かびます。そこはどう分析されていますか?
森瀬氏:
『クトゥルフ神話TRPG』のシナリオで例えると、1980年代から1990年代は禁酒法時代のアメリカ(1920年~1933年)が舞台として多かった印象があるんですが、2000年代から2010年代になると、現代を舞台に遊んでいる方が目に見えて増えてきました。つまり“現代怪奇”ものとして楽しまれている方々ですね。
商店街と言えば商店街が、学生と言えば学生がすぐにイメージできますよね。
たとえば、これがファンタジーで『指輪物語』や映画『ロード・オブ・ザ・リング』のような世界を舞台にした場合、異世界を思い描くためには相応の前提知識や想像力が必要です。でも、クトゥルーだったらそれが不要なんです。
この物語の乗せやすさ、そして「現代に恐ろしい恐怖の存在がいて、それになんとか対処しないといけない」という“等身大の人間たちの物語”が、ニコニコ動画という媒体や、いまの若い世代にマッチしたのではないかと思うんですよ
──言われてみればそうかもしれません。現代怪奇ならば物語を作りやすいですし、参加する側も見る側も想像しやすいですもんね。
森瀬氏:
ここからのニコニコ動画を中心としたブームは、過去のブームとは打って変わった異質なものだと言えますね。これまでは何かしらの作品がきっかけでブームが起こっていたんですが、それが作品でなく、ユーザーあるいはユーザー動画主導のブームになったんです。
もちろん『クトゥルフ神話TRPG』というのが核だとしても、作品というか物語としては、ユーザーが作ったものがどんどんどんどん発表されていきましたからね。
──そして、それらが増え続けて現在に至ると。
森瀬氏:
現在は2010年代のブームに影響された作家さんたちが、「小説家になろう」や「カクヨム」というサイトでクトゥルーものの作品をたくさん投稿されていますね。
そこでクトゥルー神話を題材にした作品が本当にどんどんどんどん、いまこの瞬間にも増え続けていると思うんですよ。それが2010年ぐらいからの現在に至る流れですね。
──ちなみに海外ではどうなんでしょう。
森瀬氏:
日本と同じで、尖ったアンテナ感度の強いクリエイターはそれなりにラヴクラフトの影響を受け、作品に反映していると思います。ゲームで判りやすいところで言うと、『Fallout 3』のDLC「Point Lookout」でダンウィッチビルというロケーションがあり、禁断の書物「クリブニー」を巡るクエストがありますし、『Fallout 4』や『Skyrim』ですらそういうイベントがあるわけじゃないですか。
また完全にクトゥルー神話もののゲームとして、『Call of Cthulhu: The Official Video Game』(Focus Home Interactive)が2018年10月に発売されます。こちらは日本でもよく話題に挙がりますよね。
それからゲームでも若手でもありませんが、映画監督のギレルモ・デル・トロも、1980年代~90年代ぐらいにクトゥルーの洗礼を受けた作家のひとりだと思います。
つい先日の『シェイプ・オブ・ウォーター』にも、ある程度はクトゥルー神話の意識があるでしょうし、『狂気の山脈にて』をずっと撮りたいと言っていると伝わっていますしね。
ただ、ライト層への広がりということについては、日本よりも狭いかもしれません。
──ライトな層への広がりって、日本特有の現象なんでしょうか。
森瀬氏:
結局、『狂気の山脈にて』の映画化も実現しなかったわけですし、ラヴクラフト原作の大作ハリウッド映画というものがないんです。アメリカ発の新しいクトゥルー神話ものの、お茶の間レベルでのヒット作って、いまだに存在しないんですよ。
あれほどファンタジー世界に影響を与えたトールキンの『指輪物語』ですら、映画化されたのはわりと最近ですしね。ただ時間の問題だとは思います。それがデル・トロ監督の『狂気の山脈にて』なのか、ほかの作家の別作品なのかはわかりませんが。
一方、日本以外でクトゥルー神話が人気なのは、ドイツと中国ですね。ドイツはボードゲームが盛んで、クトゥルー神話もののゲームがたくさんあるんですよ。
そして中国は、21世紀になって流行り始めました。現地の作家さんに話を聞いてみると、日本同様に『デモンベイン』や『ニャル子さん』の影響が大きかったようで、最近ではオリジナルの作品も書かれ始めているそうです。
我々は『クトゥルフ神話TRPG』の世界に生きている
──状況は整理できました。一方で、現在のクトゥルー神話の内容には変化など見られるものなのでしょうか。
森瀬氏:
2018年現在におけるクトゥルー神話がどんな内容なのかと言われると……『クトゥルフ神話TRPG』の設定にある世界観が実質的に現在のクトゥルー神話の世界を規定していますよね、という状態です。このルールブックに採用されている設定が、現在もっともよくまとまった体系だと思われますので。
──書籍などではなく、テーブルトークRPGが、現在もっともよく体系化されたテキスト、というのは何だか不思議ですね。
森瀬氏:
『クトゥルフ神話TRPG』をデザインしたのはサンディ・ピーターセンというゲームデザイナーなんですが、確かに彼はラヴクラフト作品のファンでした。
ただし、ラヴクラフトやクラーク・アシュトン・スミスなどの第1世代の作品は結構読んでいるんですけど、そこまでコアなマニアという訳ではなく、そこから広がっていった第2世代の作品は、少なくとも当時はそれほど読みこんでいなかったようです。
だからルールブック上の設定もシンプルで、レイニーの『用語集』やカーターの『神々』とも違うものでした。
──それが版を重ねるごとに変わっていったと。
森瀬氏:
『クトゥルフ神話TRPG』という製品の展開が始まり、ライターとしてクトゥルー神話マニアが続々と加わっていった結果、どんどん設定が増えていったんです。
その中には当然、サンディ・ピーターセンは知らなかった──リン・カーターの作品群であるとか、アーカム・ハウスからデビューした第2世代作家たち──ラムジー・キャンベルやブライアン・ラムレイの作品が含まれていたわけです。
そうしたアップデートが続いた結果、第6版の段階で、アメリカで発売されているクトゥルー神話の有名どころの設定はだいたい盛り込まれているようになったんです。
──そして現在の形になったわけですね。
森瀬氏:
ええ。そして『クトゥルフ神話TRPG』が現在のクトゥルー神話を規定していると言える理由はもうひとつあるんです。
というのも、『クトゥルフ神話TRPG』はクトゥルー神話のビジュアル・イメージを標準化したんですよ。
──なるほど。そういえば冒頭に見せていただいたクトゥルフ神は、ドラゴンみたいな姿をしていましたね。
森瀬氏:
『クトゥルフ神話TRPG』以前のビジュアルって、じつは標準的なイメージがなかったんですよ。ですから、我々は『クトゥルフ神話TRPG』が作り上げたクトゥルー神話像の中に生きていると言えますね。
──言われてみると、パッと思いつくビジュアルのイメージと『クトゥルフ神話TRPG』のイラストは一致しますね。
森瀬氏:
とくに外見描写などは本当にテーブルトークRPGに引っ張られていますね。
──だとすると、『クトゥルフ神話TRPG』以前のビジュアルは、どういう描かれかたをしていたんでしょうか。
森瀬氏:
スタンダードなものはなかったと先ほど申しましたが……敢えていうなら、アメコミが参考になると思います。
──アメコミ!?
森瀬氏:
僕が手を出したのはわりと最近なのですが、ついうっかり読み始めたところ、無人の道なき荒野と言いますか、恐ろしくも豊穣の海が広がっていました(笑)。
1950年代まで遡ってあれこれ調べていくと、ラヴクラフトやクトゥルー神話の作品を題材にしたアメコミが大量に存在していたことがわかったんです。
たとえば、2016年に映画の作られたマーベル・コミックスの『ドクター・ストレンジ』。
シュマゴラスというドクター・ストレンジの宿敵がいて、カプコンの格闘ゲームに登場していることで日本でもよく知られていますが、明らかに……というか、もうあからさまにクトゥルー神話ネタの邪神なんですね。
あと有名どころで言うと『バットマン』。
アーカム・アサイラムという、ヴィランを収容している精神病院兼刑務所みたいな屋敷の施設があるんですが、ニューイングランドにあったアーカムホスピタルが名前の由来なんですよ。
明らかにあのアーカムなんですね。ただ、いまはアマデウス・アーカムという病院の創設者が由来になっていますが。
『バットマン』にはほかにも、『ネクロノミコン』が出てきたエピソードがあったりします。ロビンがクトゥルー教徒に襲われる話もありますよ(笑)。
そういった細々とした小ネタがいろいろな作品に見つかりました。
──ああ、『バットマン』のアーカムは、クトゥルーのアーカムなんですね。
森瀬氏:
もともとはそうだったんです。ロバート・E・ハワードの『英雄コナン』もそうですよね。彼もラヴクラフトの友人だったので、クトゥルーものを書いているんですが、『コナン』の世界って、じつはクトゥルー神話と微妙に繋がっているんですよね。
面白いのがマーベルから出ているコミック版です。何百冊と出ているんですけど、それに対して原作は日本語の単行本にして6冊ぐらいしかないんですよ。
明らかに原作エピソードが足りない。ですからコミック版では、ラヴクラフトやクラーク・アシュトン・スミスの作品のエピソードをアレンジして使っているようでして。明らかにこれ『ダンウィッチの怪異』だよね、みたいな話であるとか、そういうものが大量にあるんですね(笑)。
──そうなんですか……全然知りませんでした。
森瀬氏:
『クトゥルフ神話TRPG』が生まれる以前、アメコミの世界においてさまざまな作家さんが四苦八苦しつつ、コミックの形で描き出したクトゥルー神話のビジュアルは、僕にとってはまったく未知の世界で、それまで頭の中で構築していたイメージが粉々になりました。
おこがましくも、クトゥルー神話について何かわかったような気になっていたんだけど、気のせいに過ぎなかったんだな、という(笑)。
──そこまで(笑)。
森瀬氏:
そうそう、この流れで言っておきたいんですが、日本人がクトゥルー神話を発見して、大胆に世界を拡げたことに対して「ラヴクラフトの誤算だ」と言われることがありますが、ポップカルチャーにクトゥルーを取り込むというのは、日本以前にアメリカでも散々やっていたことなんですよ。
このアメコミの話もそうで、すでに母国でたいがいな消費のされかたをしていたわけです。ラヴクラフトに誤算があったとしたら、まずアメリカ人として生まれてしまったところまで遡る必要があると考えています(笑)。
シェアード・ワールドではなくシェアード・ワード
──お話を伺っていて思ったんですが、よくクトゥルー神話はシェアード・ワールドと呼ばれていますが、どうもワールドを共有しているわけではなさそうというか。
森瀬氏:
ですから私は“シェアード・ワード”と呼んでいます。
結局、クトゥルー神話には公式の体系というものがないので、ある作家さんが考えているクトゥルー神話と、別の作家さんが考えているクトゥルー神話は間違いなく違うものになります。
書き手も読み手も、それまで読んできたものによって自身の中にあるクトゥルー神話が左右されるんです。だからそのイメージは絶対に同じものにはならない。こういう作品世界は滅多にないと思いますね。
だからクトゥルー神話は、厳密な意味では決してシェアード・ワールドではないんです。ひとつの特定の同一の世界があって、それについて誰かが書いたり読んだりしているわけではなく、クトゥルー神話のワールドというのはひとりひとりの頭の中にしかない。
そう考えると、始祖であるハワード・フィリップス・ラヴクラフトという人物の作品を読んでいるかどうかすら、誤差の範囲にすぎないと僕は思っています。
──そこまで言えるんですね。
森瀬氏:
仮にラヴクラフトを読んでいなくて、他の作家の作品をいくつか読んでいるなら、それでもう十分じゃないかと。そうして読んだ人の頭の中に「クトゥルー神話というものはこういうものだ」というイメージが浮かんだなら、それはもうその人なりのクトゥルー神話ですよ。
クトゥルー神話というものは、もう想像を凌駕するほどに広がっています。だから僕からのお願いとしては、フィクションに限ったことではありますが、解釈の違いで喧嘩したりするのはやめましょうと(笑)。
──解釈の違いで喧嘩って、実際にあるんですか?
森瀬氏:
昔からダーレス派対原典派といったような、よくわからない対立構造があったりしますね。そのへんを突き詰めていくと、ろくなことになりません。
そもそも、クトゥルー神話の世界を作り続けている作家さんには存命の方が結構いらっしゃいます。すると、いままで「こうだ」と思っていたことが「全然違った」となることが起こるんですよ。
実際、ブライアン・ラムレイというイギリスの神話作家さんにインタビューした結果、そういうことが起こりました。
──具体例があるんですね。
森瀬氏:
ちょっとマニアックな話になりますが、クトゥルー神話に「G’harne」という名のアフリカの地底都市がありまして、「グハーン」か「ガールン」かで日本語訳が揺れていたんです。
そこで、ラムレイ氏にインタビューする機会に「あなたの作品に出てくるこの地名はなんと発音するんですか?」と聞いたところ、何と「ゲイハーニィ」と言われてしまいました(笑)。
──ぜんぜん違う(笑)。
森瀬氏:
ビックリしました(笑)。こういうことは、まだまだいくらでも埋もれているように思います。
だから僕は解釈に違いがあっても、喧嘩するのではなく、むしろその相違いをコミュニケーションのネタとして楽しみに繋げていこうと考えています。
──それこそラヴクラフトとその友人の作家たちのようにですね。
森瀬氏:
ええ。“クトゥルー神話はコミュニケーションツール”というのは、そういうことだと思います。
クトゥルー神話は、もともとラヴクラフトとその友達たちが、自分の作品に登場させた神様や能書きなどを「好きに使っていいよ。俺もお前の作品に出ているそれを好きに使うけどね」というシェアによってコミュニケーションをはかり、お互いの友情を示したところがあるわけですね。
事前に使っていいとか質問すらない状態で、ときには事後承諾すらなく、どんどん書かれていたわけです。ラヴクラフトの弟子と言われているロバート・ブロックなどは、ラヴクラフトに「自分の作品の中であなたを殺していいですか?」というような質問をして、「全然オッケー」という許可をもらっていたりするんですよ(笑)。
そういったクトゥルー神話の伝統的な楽しみかたを僕はオススメしますね。
──そこがクトゥルー神話の醍醐味でもあると。
森瀬氏:
そうですね。だからクトゥルー神話が『クトゥルフ神話TRPG』という媒体で広がって人気を集めたというのは、ある意味必然だったのかもしれません。そもそもが会話型のコミュニケーションゲームですから。
──本質は変わっていないと……たしかに腑に落ちるところがあります。