『モンスターストライク』(以下、『モンスト』)や『キングダム 乱 -天下統一への道-』(以下、『キングダム乱』)などを開発、運営する株式会社でらゲー。“でらゲー”は、ゲーム業界のレジェンドクリエイター岡本吉起氏とプロデューサー契約していることでも有名だ。そんな同社は、2025年12月、設立15周年を迎えた。
また、この節目を迎えるにあたり、つぎの15年、さらにその先の未来を見据え、経営体制の若返りと開発力のさらなる強化を目的に、新体制へ移行することが発表され、2025年10月1日に代表取締役社長が交代となった。
代表取締役社長には鄭 允哲(ジョン ユンチョル)氏が新たに就任。前代表取締役の家次栄一(やじ えいいち)氏は代表取締役会長となった。
鄭氏は韓国出身で、年齢はまだ39歳という若さである。同社を代表するクリエイターである岡本氏が2027年6月に引退することを発表している中で、この人事が発表されたことはどのような狙いがあるのか?
前社長である家次氏、そして新社長に就任された鄭氏に、“でらゲー”15年の変遷やこれからのビジョンについていろいろと語っていただいた。
聞き手/豊田恵吾
家次氏と岡本氏とは1989年のAMショー以来、30年以上の付き合い
──本日はよろしくお願いします。家次さんの経歴からうかがいたいのですが、岡本さんと出会ったのはいつごろなのでしょうか?
家次栄一氏(以下、家次氏):
最初に出会ったのは1989年ごろです。そのときは岡本さんがカプコンのアーケード事業の課長で、僕は広告代理店に勤めていて営業を担当していました。
──大阪の代理店に勤めていたのですか?
家次氏:
そうですね。当時は、ビデオゲームの広告案件が増え始めたタイミングでした。当時、カプコンさんがAMショー【※】に出展してブースを作るということになり、現場リーダーとして岡本さんが担当していたんですね。それが岡本さんとの最初の仕事でした。ちょうど同時期によく行く飲み屋がいっしょだったこともあって、じつはそこで出会っていたんです(笑)。飲み屋で知り合っていて、さらに仕事でもつながったという形です。
※AMショー:
JAMMA(日本アミューズメントマシン協会)が主催する展示会”アミューズメントマシンショー”のこと。2013年にはAOUアミューズメント・エキスポと統合され、以降はジャパンアミューズメントエキスポとなり、2023年にはアミューズメント・エキスポに名称が変更されている。
──AMショーが岡本さんといっしょに手がけた初仕事だったんですね。
家次氏:
1989年は『ファイナルファイト』が稼働し始めた年で、しばらくあとに『ストリートファイターⅡ』(以下、『ストⅡ』)が登場してアーケードの仕事も広がっていきました。ただ、僕はコンシューマー系の広告を担当していたので、岡本さんとは年に1回のAMショーや、『ストⅡ』のイベントでお手伝いをするといった感じのお付き合いだったんです。
ほどほどの距離感で仕事をしていたのですが、岡本さんがコンシューマーも統括することになったことをきっかけに、ガッツリと組んでいっしょに仕事をすることになりました。1996年に『バイオハザード』が発売されたあとくらいですね。

家次氏:
当時、僕も広告代理店のリーダーになっていて、商品の方向性を決める岡本さんや彼に付いているプロデューサーと接点を持って仕事をしていました。その流れのなかで、岡本さんから「カプコンのマーケティングを強化したいからウチに来ないか?」という話をいただいたんですね。「そこまで評価していただいているなら、ぜひやります」とカプコンに入ってマーケティング責任者を担当することになりました。
その後、3年ほどで岡本さんがカプコンを退社することになり、いっしょにゲームリパブリックという会社を作ったんですね。
──岡本さんとの信頼関係があって、ゲームリパブリックでともに働くことになったわけですね。
家次氏:
ゲームリパブリックのなかでも、僕はどちらかというとマーケティング、ビジネスプロデュースの仕事の担当でした。ただ、ご存じのとおり、ゲームリパブリックは2010年前後にたいへんな時期【※】を迎えまして…(笑)。
※たいへんな時期:
リーマンショックの余波で元請けの米国企業が倒産してしまい、多額の未払い金が発生。その影響を受けて、2011年6月にゲームリパブリックのすべてのオフィスが閉鎖となった。
──弊社でも何度か記事で取り上げていますが、もっとも苦労されたときですね。
家次氏:
当時、携帯電話がガラケーからスマホに移っていく過渡期で、「ここに勝機があると信じている」と岡本さんは強く言っていました。ただ、ゲームリパブリックはハイエンドゲームを作る会社だったので、社員がそのままスマホゲームを作れるのか、といった不安もあったんですね。ゲームリパブリックは東京、大阪、名古屋の3拠点があり、そのなかで有志を募ってスマホゲームを作る小さい会社として立ち上げたうちのひとつが“でらゲー”でした。
──そのとき、家次さんはどうされていたのですか?
家次氏:
自分の食い扶持を稼ぐためにゲームリパブリックを出ていた時期です。“でらゲー”が創業して『モンスト』を当てた時期、僕は外にいたんですよ。ただ、岡本さんとの接点は継続的にあって、“でらゲー”の業績がよくなったあと、「会社としてさらに地に足をつけてしっかりとやっていきたい」とお声がけいただいて、「ぜひお世話になります」と“でらゲー”に入社したのが2016年で、そこから9年間、社長を務める形となりました。
創業期の苦労や『モンスト』の事業をしっかりとわかっている人でないと“でらゲー”の社長は務まらない
──“でらゲー”が15周年を迎えたことについて、率直な感想をお聞かせください。
家次氏:
“でらゲー”は、『モンスト』が好調に推移し、MIXI(以下、ミクシィ)さんとの協力体制もしっかりと作れた、初期の5年ぐらいの時期がやはり大きかったと思います。その後、『キングダム乱』の立ち上げがあり、ミクシィさんと『モンスト』以外のところで新しい柱を作っていこうという動きがあったときに、僕が“でらゲー”に入社しているんですね。そこから先は、ミクシィさんとのパートナーシップがベースでありつつ、そのうえで「新しい柱をどう作るのか?」ということを社長としてやっていきました。自分の中でいちばん大きかったところはそこですね。
ゲームはつねに当たるものではないので、開発やサービスを中止したゲームがたくさんあるなかで、『キングダム乱』が2026年2月には運営8周年を迎える、“でらゲー”の新しい柱として育ってくれました。
──社長に就任されたときに、どのような経営ビジョンがあったのですか?
家次氏:
僕が入った当時の“でらゲー”は言うなれば『モンスト』チームでした。あとは新規に取り組む企画、管理セクションの人間が何人かいるという形で、オフィス自体も、ミクシィさんに間借りしてやっているような状況でした。管理部門も、多くはアウトソーシングしていました。そういった状況を会社としてきちんと整理していこうというということがひとつ。そして、さきほどもお話した「新しい柱を作ろう」というのがもうひとつ。このふたつのことをおもに取り組んできた9年間でしたね。
──社長が家次さんから鄭さんに交代された意図について、お話できる範囲でお聞かせください。
家次氏:
岡本さんがゲーム業界を引退するという話が出たのがきっかけですね。2027年6月10日の誕生日に引退すると。
岡本さんがいるというところで僕は仕事を引き受けたし、その流れだったらいくらでも社長としてやるべきことを尽くしますが、そうではない状況になったときには、新しい“でらゲー”の未来を作る人が絶対に必要でした。
ここから先を考えたときに、やはり“でらゲー”のベースは『モンスト』なんですね。でも、僕は“でらゲー”創業期のたいへんさを知らずに入社して、新しい取り組みをやってきました。ここから先、この会社を切り盛りしていく人はやはりそこを知っている人じゃないとダメだと強く感じました。
求めるのは、創業期の苦労や『モンスト』の事業をしっかりとわかっている人。 若さがあり、『モンスト』事業をしっかりと把握しており、つぎの新しいチャレンジもできる人材。そういった考えのなか、最適だったのが鄭。経営陣とも意見が一致したので、鄭に新社長を任せることになりました。
──鄭さんは「社長を頼む」という話を聞いたときに、率直にどう思われました?
鄭 允哲氏(以下:鄭氏):
これはしっかりやらないといけないなと思いました。いままではミッションを与えられてそれを最大限にこなしていくというマインドでした。社長就任というオファーをいただいて、「それほど大きな信頼をいただいているなら成果を出さないといけない」と、これまで以上に強い責任感が芽生えました。
──鄭さんの“でらゲー”での経歴を改めて教えてください。
鄭氏:
“でらゲー”に入社して11年間、『モンスト』の現場でコンテンツを作っていました。『モンスト』がリリースされてから1年後くらいのタイミングで、ちょうどセールスランキングで1位になった時期ですね。それから5年くらいはひたすらコンテンツを作る日々でした。
──なぜ“でらゲー”に入社しようと考えたのですか?
鄭氏:
ずっとIT業界で仕事をしたいという思いがありました。前職はGREE(グリー)だったのですが、最後に担当していたタイトルが比較的ニッチな層を狙うゲームで勉強になりました。次は大勢の方、幅広いユーザー層をターゲットにするタイトルに携わりたいという気持ちが自分の中にありました。ゲーム業界では岡本さんはやはりレジェンドで、そういった方の下でゲームを運営しながら学ぶのは間違いなく自分の身になると考えたんです。また、『モンスト』は幅広い層にリーチするタイトルだったこともあり、チャレンジしてみたいと思って転職しました。
──鄭さんは子どものころにどんなゲームを遊んでいたりしたのですか?
鄭氏:
私は韓国出身なのですが、日本の親戚がお土産でゲームを買ってきてくれることがありました。ですので、『ストⅡ』は遊んでいましたね。ゲーム歴でいうと、韓国はPCゲーム文化が盛んな国ですので、『スタークラフト』などのPCゲームをよく遊んでいました。
『モンスト』が本当に好きな人を採用する人材獲得施策が大成功を遂げる
鄭氏:
『モンスト』は2025年で12周年となりますが、ここまで来るのに、とんでもない量のコンテンツを量産し続ける必要がありました。しかし、アイデアを生み出すのは簡単な作業ではなく、なかなかネタが出てこなかったり、スタッフが抜けてしまうといったこともありました。そんななかで、「リーダーとしてチームをマネジメントしてみないか」と6年くらい前に言っていただき、チームを統括する立場となったんですね。
そのあと、『モンスト』ユーザーの中からスタッフを採用するという革新的な方法を、家次を始め会社の支援を得ながらやっていったんです。この人材採用を成功させて、組織としては安定してくるとこまで持っていけたこともあり、それを評価していただいて2年半ほど前に取締役に抜擢していただきました。その後の運営も自分なりにしっかりとやってきたこともあり、今回の社長就任に繋がったと理解しています。
────本当に『モンスト』好きな人たちが開発・運営しているんですね。
鄭氏:
そうです。 ゲームエンジニアであっても企画者であっても、その人にどれだけスキルがあったとしても、ゲームを理解して「ゲームを何とかよくしたい」という意思がないと、お互いのコミュニケーションが取れなくてバグが出たり、改善に繋がらなかったりします。どの職種であれ、ゲームをしっかりとプレイして楽しんでいたり、トップの座を奪われたくないという強い気持ちや競争力を持っていないといけない。いま“でらゲー”にはそういったスタッフが大勢いて成り立っています。
また、現場のことを任せていただくようになって、それまで曖昧に評価していたところに評価制度を導入しました。それを実現するためにはピラミッド型組織を作る必要があって、スタッフをリーダーが評価し、リーダーをマネージャーが評価するという形に変えていったんですね。
──鄭さんは“でらゲー”に入られて、どんなことを学んでいったのでしょうか?
鄭氏:
いちばんは「作る人がゲームを理解しないとダメ」ということです。僕もそこは共感していて、スタッフにも同じことを何度も言っていました。これは、社長になった現在は全社員に伝えていることです。開発・運営の立場にある人がゲームをやり込む。『モンスト』はそれがあってこその成功だと思っています。“でらゲー”のほかのプロジェクトにも、「ぜひ実践してください」と強く言っている方針ですね。
──僕らが思っている以上に“でらゲー”の皆さんは『モンスト』をプレイされていますよね。
鄭氏:
ただゲームを触るだけではなく……。何と言いますか、もうそういうレベルの話ではないぐらいやり込んでいますね(笑)。
──(笑)。
鄭氏:
スタッフはみんな、ちゃんと課金もしています。モバイルゲームのビジネスは、課金によって成り立っています。課金に至るまでの行程、「課金しよう」と思うプレイヤーの心理や感情の変化を、作り手側も理解していないとダメなんです。そこをしっかりと理解して、「納得感がありつつお金を出したい」という絶妙なバランスをうまく取ることが大事なんです。
『モンスト』は基本無料のゲームですが、ユーザーさんの中にはご自身の収入からお金を払って楽しんでくださる方もいます。そうしたユーザーさんが支払ったお金に対して納得できなければ、不満も溜まっていきます。この感情を理解できないと、ユーザーさんの心情と開発者のイメージに乖離が生まれ、コンテンツは終わってしまう。僕たち開発者は、そこを理解しようとして驚くほどの時間をプレイしていると自負しています。

──鄭さんが以前担当されていたのは、どの職種だったのですか?
鄭氏:
プランナーです。これまで『モンスト』のさまざまな仕様の提案を行なったり、量産しないといけないステージなどをひたすらに作ってきました。
──これまでもっともたいへんだったことはなんでしょう?
鄭氏:
やはり新しいものを生み出すことですね。同じアイデアは使えませんから(笑)。プランナーとして何年かやっているうちに、おかげさまで信頼されて、目玉コンテンツも任されることになりまして……。さらに気合を入れ、アイデアを絞り出してコンテンツを作っていくようになったのですが、いま振り返ると眠れないこともありましたね。寝ようと思ってもスイッチが切り変わらず、アイデアを頭の中で考えてしまったり。気分転換しようとサウナにいってもやはり考えてしまいました(笑)。
──つねに新しいアイデアを出し続けるというのは、想像以上にたいへんなことですよね。
鄭氏:
「新しいことを作らないと!」と思いながら3年ほどやっていたときは、地獄の中を歩いているような感じです(笑)。頭は働かないけどやらないといけないわけですし……。オフィスの外を延々とグルグル歩いていたこともありますね(笑)。
──家次さんがおっしゃっていた、『モンスト』をわかっている方に新社長を就任させたかったという条件に、鄭さんほど合致する人はいない気がします。
家次氏:
言葉で言うのは簡単ですが、やはり本当に自分で体験しているというのは得難いものなんですね。その経験があったからこそ、いま社長として社員たちを見てやっていけているわけです。
“でらゲー”は“武士道精神”溢れる会社
──鄭さんが“でらゲー”に入社されたときは、どんな会社だと思いましたか?
鄭氏:
武士道精神がある会社です。
──意外な回答でした。もう少し詳しく教えてください。
鄭氏:
クリエイターであればスキルを磨く必要は当然ある。先ほどお話したように、“でらゲー”は本当に自分のコンテンツを誰よりも理解するべきというところを徹底してやっている。あとは、とても仲間を大事にしている会社なんですね。
『モンスト』が12年以上続いてるのは、ミクシィさんとのすばらしい関係があるから成り立っているんですね。「(関係性が)珍しい」とか、「違う会社がどうやってここまでうまくやれているのか?」というご意見を耳にすることがあるのですが、ミクシィさんから多大な配慮をいただいていることはもちろん、岡本さんから「絶対にミクシィさんに失礼にならないように」と徹底して指導されていたんですね。それはたとえば、ミクシィさんより早く出社する、といったところから実践していました。
いっしょに仕事をする相手の方には丁寧に接しながら、自分たちのスキルは業界の誰にも負けないように磨いていく。そういった点で、武士道精神がある会社だと感じました。
家次氏:
仕事に対しての向き合い方に関しては、“でらゲー”の社員たちは昔からそうでした。自分の生活を厭わないぐらい、徹底的に入り込む。そういう大勢の社員の姿をずっと見ていました。そういった姿勢は会社設立15周年を迎えても変わることなく“でらゲー”の精神として、とくに『モンスト』チームにしっかりと根付いていると思います。
僕は社長として“でらゲー”に入社したので、経営として見たときに「“でらゲー”ならでは」というのを、社員への報酬面からも感じました。
家次氏:
月収、年収、賞与、いずれもほかの会社さんではあり得ないような数字で、“でらゲー”に入ったときには驚かされました。もうすべてが常識外れだったんです。すべてを捨てて仕事に打ち込む。そうやって得た利益はその利益のために尽力した社員に徹底的に還元する。そういう思想のもとに報酬設計がなされていました。
──人材こそが資産だと思っていらっしゃるということですよね。
家次氏:
そうですね。しかし、「これで会社が成立するのか?」とも最初は思いました(笑)。いまは上場企業の子会社なのでそのままではないですが、この報酬制度の思想が“でらゲー”の個性なんだと実感しています。働けば働くほど、利益貢献すればするほど成果報酬がもらえる。逆もしかり。これは鄭がみずからしてきたことでもありますので、当然それは今後も守られることなんだろうなとは思っています。
──会社の中で組織ピラミッドを作るときに揉めたりしなかったのですか?
鄭氏:
もちろんありました。僕や別の人物がマネージャーとして評価するとなると、不安に感じる人もいました。ただ、そこを飲み込んで組織力を上げていかないと、会社として成長できない。
ピラミッド構造を構築したことで隅々まで見ることができるようになって、現場でがんばっている人が正当に評価されますし、何をがんばっているかが把握できて、伸びしろがある人は給与も上がっていくという流れができました。
──社歴の長い方や、鄭さんよりも年齢が上の方からの反発はなかったのでしょうか。
鄭氏:
そういったことはなかったですね。マネージャーになる前にもいちスタッフとして、自分のスキルで勝負してきたという自負があります。その部分に関しては誰にも負けないという自信がありました。マネージャーになったタイミングで体制変更を行うことへの不安はありましたが、「なぜ?」という声は少なかったと思います。
──鄭さんが“でらゲー”に入られて、驚いたところだったり、“でらゲー”ならではの文化ややり方で印象に残っていることはありますか?
鄭氏:
前職はKPI【※】を中心に進めることが多かったんですね。一方、“でらゲー”は「その企画がなぜおもしろいと感じたのか?」、「ユーザーが遊んだときにどこに魅力を感じると思うのか?」といったところを重視しているんです。
※KPI:
Key Performance Indicatorの略で、重要業績評価指標のこと。中間目標を意味し、最終的なゴールへ向かうプロセスにおける具体的な数値目標などを表す。
──ユーザー目線、ゲーマー目線に立つと。
鄭氏:
「数値目標を達成しよう」ではなく、「どうやっておもしろいものを作っていくのか?」が大事なんです。それがほかの会社とは決定的に違うと感じるとともに、“でらゲー”の強みだと思いました。おそらく、コンシューマーゲームを作られた方々が多いこともあって、そういった意識があったのだと思います。
──そこを突き詰められるのは、ものを作る会社として、本当にすばらしいことだと思います。
鄭氏:
ただ、「おもしろいかどうか」というのはどうしても主観的な話になってしまうので、幅広くいろいろなゲームを理解していないと成り立たない会話でもあるわけです。
──だからこそ、ゲームを徹底的に遊ぶというのが必須になるわけですね。鄭さんは社長に就任されてからは経営に専念されているのですか?
鄭氏:
現場からは3~4年前に退いていて、マネジメント業務に注力していますが、コンテンツを運営しながら全般を見ていくという形ですね。
──今後の取り組みや将来的なビジョンについてお聞かせください。
鄭氏:
まず『モンスト』は20年、30年と続けていけるようにしっかりと開発を続けていきたいと思います。一方で、当然ながら新しいタイトルにも挑戦しないといけません。『モンスト』で培ったノウハウを活かして、「第2の『モンスト』」と言えるくらいのヒット作を生み出したいと考えています。
アジア、世界を代表する会社を目指してさらなる飛躍を続ける“でらゲー”
──“でらゲー”としてここは守らないといけないといった部分はありますか?
家次氏:
逆にないんですよね。鄭がやりたいようにやるべきだと思っています。2年間、取締役としていろいろなものが決まっていくのを見てくれていますし、僕のやり方も知っている。そこから学んできたものを鄭流に消化して、実現していくべきだと思っています。仮にそれで僕がこれまでやってきたことが否定されたとしてもそれはぜんぜん構わないですし、そうあるべきだと思っています。
──鄭さんは現在のゲーム市場をどう分析していらっしゃいますか?
鄭氏:
いくつかの会社がスマホで大ヒットゲームを作っていたときに、僕らはスマホゲーム市場に乗り遅れていました。大ヒットを狙える好機が、12、3年ぐらい前にあったんです。
現在はスマホもスマホゲームもとんでもなく進化していて、さらにはゲーム以外で楽しめるものもたくさんありますから、「おもしろいゲームを作れば売れる」というのはきびしいと思っています。ライバルはゲームだけではなく、エンターテインメント全般。SNSやマンガアプリ、動画サイトなど、可処分時間を奪い合う状態になっています。
AIの進化と浸透で言語、国の障壁もどんどん薄くなっていて、技術の高いアジアの会社も増えています。ゲームでいいものを作るだけではなく、もっと視野を広げて、ゲーム以外のパートナーと組む可能性も十分ありますし、新しい隙間を狙ってサービスを作っていくことが重要だと思っています。
国境のボーダーが薄くなったり、ゲーム以外のコンテンツも溢れている状況ですが、逆に言えばそこをうまく繋げられやすい時代にもなってきていると感じています、まだ誰も思いついていない組み合わせがあると思いますので、そこを探して狙っていくことが重要だと思っています。
──タイトルの具体的なビジョンはありますか?
鄭氏:
カジュアルな短期間制作のタイトルもやっていくべきだと思いますが、理想は『モンスト』のつぎの柱になる大ヒットです。もちろん、確実な成果も大事だと考えていますので、ゲーム業界以外の方々にも「“でらゲー”と組むとおもしろそう」と感じていただける会社にしたいですね。今後は多様化していく必要もあると思っています。
『モンスト』というビッグタイトルを成功させて、長年運営できているというのは、珍しいことだと捉えています。“でらゲー”のターニングポイントを僕の観点で言わせていただくと、まずひとつ目が『モンスト』が大ヒットしたタイミング。そして、僕が社長のバトンを受け継いだ現在が、まさに変換期だと考えています。
僕が考えているつぎのイメージは、とにかくバットを振ること。これまでもチャレンジはたくさんしてきたので、失敗も含めて経験、ノウハウがあるわけです。培ったノウハウを社内で活かし、予算を抑えながらクオリティを高め、成功確度の高い作品を生み出していくことが大事だと思っています。型に縛られず、さまざまなパターンで挑戦していくことが、今後必要だと思っています。
──社長として実現させたいことはありますか。
鄭氏:
『モンスト』のスキームを活かした、別バージョンの成功を収めたいです。成功を形にして社長を任せてくれた会社、社員に恩返ししたいですね。
──家次さんは会長になられましたが、会長としてどういう関わり方をされていくのでしょうか。
家次氏:
自分なりにこの9年間、会社の流れを作ってきました。その経験を活かして会長という立ち位置で、鄭社長の新しいチャレンジをどうスムーズにサポートしていくのかが大きな仕事だと思っています。
これまでとは方向の違うことにチャレンジした際、いろいろな障害も出てくると思いますが、そういった障壁をいかに取り除けるかが自分の役割ですね。
──家次さんから見て、鄭さんの実績をどのように評価されているのですか?
家次氏:
鄭が立ち上げた『モンスト』好きを集めて採用するという施策は、正直にいうと難しい部分もありました。たとえば、中途採用の人は何かしらのスキルを持っていますし、新人でも専門学校などで学んでいれば、それなりのスキルセットがあったうえでの採用になります。でも、『モンスト』好きな方は、タイトルに対しての愛情はあるけれどもゲーム制作のスキルや経験はないわけです。
『モンスト』が好きな人を集めて、ゲームの作り方をしっかりと教え込んで、はたしてそれがうまくいくのか? そういった不安があったのは事実です。でも結果でそれを払拭したわけですね。
そのときのスタッフたちがいまの『モンスト』を支えているわけですから、実際に形にして実現したというのは本当にすごいことだと思っています。
ほかの会社さんでもそういった人員がひとりふたりいるのはふつうのことかもしれませんが、それを組織化して会社として中核事業に据えていることに僕は感動しています。『モンスト』チームに僕がいつも言う決めゼリフがあるんですね。「君たちは先人のいない世界を歩んでいる。同じゲームを12年間作り続け、地獄の日々を経験しながらもやり続けている。ゲーム業界の誰も見ていない景色を、君たちは見て、作っているんだ」と。
『モンスト』チームはみんな本当に情熱もあって、どんどん新しいものを生み出し続けています。この組織、仕組みを作った鄭もすごいし、スタッフもすごい。僕は本当に『モンスト』に関わることができてうれしかったですし、今後さらに大きくしていってほしいと願っています。
開発チームは仲間でもありライバルでもあって、チーム全体として盛り上がっていこうという意識があります。年に4回、スタッフの中からMVPを決める社内表彰式を実施していたり。これまで数多くの開発チームを見てきましたが、ここまでしっかりやっているチームは稀有ですね。
──会社から褒められる場があるというのはモチベーションにつながりますね。
家次氏:
やっていることだけ見ると地味に見えますが、日々そんな細かなところまでこだわり抜いている人たちの気持ちや成果を、会社としてしっかりと顕在化させているのは鄭社長ならではです。新しいことにチャレンジする人たちにも、そういう目の向け方をしていてくれれば将来も安泰ですね。
鄭氏:
『モンスト』はそういったことをよく評価していただいているので、いい部分を会社全体の組織力強化に活かしていくことが、自分に期待されてることのひとつだと思っています。
また、グローバルにもっとチャレンジしてほしいというのも家次さんから期待されているところだと理解していますので、日々いろいろなネタを考え、相談しています。
──最後に、“でらゲー”のコンテンツを楽しんでいる方々へ、おふたりからそれぞれひと言、お願いします。
家次氏:
“でらゲー”の社長を9年務めてきた中で、新規開発からサービスの安定運営まで成長をサポートしてきた『キングダム乱』が運営8周年を迎えようとしています。ぜひ皆さん楽しんでください。そしてこれから新体制で創出される“でらゲー”の新しいコンテンツにもどうぞご期待ください。
鄭氏:
自分は “でらゲー”という会社に愛があります。“でらゲー”をアジアを代表するゲーム会社に進化させていきたいです。これからも応援、よろしくお願いいたします。
家次会長、そして若手新社長の鄭氏。
両者の目指すビジョンをうかがって、「第2の『モンスト』」が生まれる土壌がすでに出来上がっていると感じた。「ゲームをしっかりと遊んでいる開発チーム」、「ゲームをしっかりと遊んでいる経営層」。このふたつが両立できているゲーム会社は、それほど多くはないからだ。
本稿で“でらゲー”という会社を初めて知ったという方もいるかもしれないが、数年後に「あ、このヒット作を生み出した会社って、あの“でらゲー”じゃん」と思う日が訪れることを願いたい。









