1990年代 “奇ゲー” 全盛期、その代表作のひとつとしていまなお語り継がれる伝説のタイトル『太陽のしっぽ』。
原始人を操作してオープンワールド型の広大なフィールドを駆け巡りマンモスの象牙を集める本作は、移動中でもその場で急に寝てしまう「スライディング就寝」や進行方向と逆に飛んでしまう「法線ジャンプ」など、そのあまりに不条理で独創的なシステムから奇ゲーの代名詞として知られてきました。

しかしながら、その根底に「震災」というテーマが流れていることは、あまり知られていないのではないでしょうか。
1995年に起きた阪神・淡路大震災で、復興に向かう人々のたくましさから「人間の力強さ」をテーマに据えて企画が立ち上がった本作。
わずか10ヵ月という制作期間で生まれた『太陽のしっぽ』は熱狂的なファンに支持され続け、近年では2024年にサウンドトラックのLP盤が発売される盛り上がりを見せています。さらに、2025年12月にはSteamとNintendo Switch向けに復刻版が発売されました。
そこで電ファミは、主要開発メンバーによる座談会を実施。本作のディレクターを務めた飯田和敏氏、サウンドクリエイターの鈴木康行氏、グラフィックデザイナーの櫻井平八郎氏をお招きして『太陽のしっぽ』発売から30年という節目に、挑戦と野心に溢れた当時の開発現場を振り返っていただきました。

30年前、若きクリエイターたちがいかにしてこの唯一無二のゲームを生み出したのか。なぜ人々の記憶に残り、いまなお語り継がれているのか。“30年越しの答え合わせ” から、その真実を紐解いていきます。
【ご注意】
この座談会ではエンディングについて言及しているのでご注意ください。しかし『太陽のしっぽ』はエンディングを知ってもなおそこに余白があり、むしろ「知ってからが本番」まであるので、この記事を読んでもゲーム体験が大きく損なわれることはほぼないと思っております。とはいえ、それでも「ぜったいに情報を入れたくない」という方はご自身でプレイされてから、ぜひ戻ってきてください。
アートディンクの尖ったゲームづくりと組織づくり
──飯田さんは1996年に『太陽のしっぽ』が完成してすぐアートディンクを退社されているので、今日は30年ぶりにお集まりいただきました。「人が30年ぶりに再会する瞬間」に立ち会える機会はそうそうないので、たいへん光栄です。
櫻井平八郎氏(以下、櫻井氏):
会う機会が30年に1回のペースだと今回で最後の可能性すらありますから(笑)。
鈴木康行氏(以下、鈴木氏):
もうこの歳になるとみんなだいたいなにかあるよね。健康面は大丈夫ですか?
飯田和敏氏(以下、飯田氏):
指が動かしづらいんですよ、朝とか。
鈴木氏:
ああっ、わかるわかる。神経でしょ。一緒に働いていたとき飯田さんってすごく若い印象があったから自分よりだいぶ下だと思ってたんだけど、やっぱりそういうのは出てくるよね。
──それでは改めて『太陽のしっぽ』開発当時の役割と、現在にいたるまでの「30年分の近況報告」をお願いできますでしょうか。
櫻井氏:
当時は大学を卒業したばかりで、新人のグラフィックデザイナーでした。「平八郎」という目立つ名前から「平ちゃん」と呼ばれています。アートディンクに入社後すぐは『カルネージハート』【※】というゲームの開発に携わっていたのですが、それが終わったタイミングで自ら志願して飯田さんのチームに入れてもらいました。そこから、すでに企画が動いていた『太陽のしっぽ』の開発に参加しています。
※『カルネージハート』
1995年に発売されたプレイステーション用ソフト。木星の衛星を舞台とした、ウォーシミュレーションゲーム。命令チップを組み合わせて思考プログラムを組んだ自律ロボット兵器(OKE)を戦場へ送り出すという異色の設計で、PCゲームで古くから存在する「プログラミングゲーム」をコンシューマーに持ち込んだ作品。
飯田さんの退社後、残されたチームは解体の話も出ましたが、会社から企画を出すよう指示があったんです。そこでチームメンバーがそれぞれ企画を出した結果、私の企画が通ってしまい、ゲーム開発の進め方もよくわかっていない入社1年数ヵ月の私がディレクターに任命されました。
飯田氏:
『風のノータム』【※1】だ。
櫻井氏:
はい。『太陽のしっぽ』を出すような会社ですから、組織づくりも尖っていましたね(笑)。
アートディンク退社後は、映画監督の深作欣二さんが映像演出をされている『クロックタワー3』【※2】や、桜井政博さんがゲームデザインをされている『メテオス』【※3】の携帯通信対戦アプリ『メテオスモバイル』【※4】の開発にも参加しています。
飯田氏:
“さくらい” つながりですね。
櫻井氏:
でも、桜井さんが携わっていたのはニンテンドーDS版で、そのあと展開された携帯電話版・ディズニー版・Xboxオンライン版についてはもう桜井さんの手から離れているんですね。それは、ご自身のYouTubeチャンネルの動画でも言及されていて。

だけど僕の名前が櫻井だから、当時のプロデューサーに「携帯のアドレス帳は五十音で並ぶから “さくらい” がふたり並んでいてややこしい」と言われました(笑)。
飯田氏:
ああ、それはややこしいね(笑)。
──たしかにそれは混乱を招いてしまうかもしれません(笑)。
※1『風のノータム』
1997年に発売されたプレイステーション用ソフト。熱気球を操作して、競技種目に挑戦するフライトシミュレーションゲーム。
※2『クロックタワー3』
カプコンとサンソフトの共同開発による、ホラーアドベンチャー。プレイステーション2用ソフトとして、2002年に発売された。過去シリーズ作とはシステム、世界観が異なっている。イベントCGムービーにて、深作欣二氏を監督として起用。
※3『メテオス』
Q ENTERTAINMENTが開発を手がけ、2005年に発売されたニンテンドーDS用パズルゲーム。ゲームデザインを桜井政博氏、プロデュースを水口哲也氏が担当。桜井氏がフリーになって初めて開発したゲームとして知られる。
※4『メテオスモバイル』
2006年にEZweb向けに配信された、ニンテンドーDSの人気パズルゲーム『メテオス』の携帯アプリ版。基本ルールはそのままに、最大4人の通信対戦などが搭載され、月額315円で提供されていた。
櫻井氏:
また、アートディンクを退社して10年以上経過してから再びアートディンクと仕事をしています。船団都市育成ゲーム『翠星のガルガンティアONLINE』【※】でプロデューサーとして開発に参加しました。そうして10年くらい前からいまの会社で開発部長をしています。
※『翠星のガルガンティアONLINE』
アートディンクが開発を担当し、DMM.comから2014年に配信されたオンライン専用ブラウザゲーム。テレビアニメ『翠星のガルガンティア』を題材とした船団都市育成シミュレーション。2015年12月にサービス終了。
飯田氏:
へええ。出会ったころは「高校の先生になりたい」って言ってたよね。じゃあ高校の先生にはならずに、ずっとゲーム業界にいるわけだ。
櫻井氏:
当時は言っていましたね。高校の先生ではないのですが、教育面でいうと2019年までの数年間は大学でゲーム業界を目指す学生向け開発体験授業を担当していたり、現在も専門学校でゲーム業界を目指すコースに携わっています。
──鈴木さんはいかがでしたか?
鈴木氏:
アートディンクには中途で入っているので、当時の役職としてはサウンド部門の主任でした。
飯田氏:
サウンドだけ部屋が別だったんだよね。
鈴木氏:
そうそう。さっき平ちゃんが言っていた『カルネージハート』を担当するはずだったんだけど、しばらくしたら「原始人(仮)」みたいな紙があって、飯田さんのチームに配属になったんです。
──それが『太陽のしっぽ』だった、と。
鈴木氏:
はい。『太陽のしっぽ』のあとは平ちゃんの『風のノータム』も担当して、そのあとアートディンクを退社しました。退社後はフリーになり、飯田さんの『巨人のドシン』【※】も担当しています。
※『巨人のドシン』
1999年に任天堂から発売された64DD用ソフト。のちにニンテンドー64へ移植。プレイヤーは巨人を操作し、島の住民たちと触れ合っていくのだが、基本的になにをしても構わないという自由度の高さが魅力。ジャンルは「アゲ・サ・ゲーム南国風」。
飯田氏:
鈴木さんには『巨人のドシン』以外にもいろいろお願いしましたよね。中途でアートディンク入る前はなにをしていたんですか?
鈴木氏:
えっとね、それは言えない(笑)。
一同:
(笑)。
──飯田さんはいかがでしたか?
飯田氏:
僕はアートディンクを辞めたあと自分の会社を立ち上げて『巨人のドシン』を作りました。そこまでは順調だったんだけど、そのあと燃え尽きてしまったんです。
鈴木氏:
えっ、燃え尽きたの?
飯田氏:
うん……。もう、なにをしたらいいのか、わからなくなっちゃって……。
鈴木氏:
へええ。
飯田氏:
ありがたいことにいろんな方から「ゲームを作りませんか」とお声がけはいただいていたのですが、なにも浮かばなくてお断りしていました。だから2001年から2006年くらいまではなにもないんです。
そんな状況にもかかわらず、『牧場物語』の和田康宏さん【※1】はずっと声をかけ続けてくれて「ああ、この人は社交辞令ではなく本気で言ってくれているんだ」と感じました。
そうして和田さんと一緒に作ったゲームが『ディシプリン*帝国の誕生』【※2】という問題作です。実在の悪人をモデルにした囚人たちと刑務所の中で会話をするゲームで、これまでとは作風もぜんぜん違うんですけど、ゲーム開発の喜びを思い出しました。
それから須田剛一さん【※3】にお声がけいただいて、グラスホッパー・マニファクチュアに3年ほど在籍しています。
鈴木氏:
そうだったんだ。
※1和田康宏
人気シミュレーションゲーム『牧場物語』シリーズの生みの親として知られる。派手な戦闘ではなく「作物を育て、動物を飼い、結婚する」という日常を描く作風を確立。現在はトイボックス株式会社の代表取締役を務める。
※2『ディシプリン*帝国の誕生』
2009年にマーベラスエンターテイメントから発売されたWiiウェア用ソフト。監獄の中で「規律(ディシプリン)」に従いながら排泄や食事といった生理現象を管理し、壁の穴を覗くなどの奇妙な行動を通じて物語が進む。その独創的な作風から、コアなゲームファンの間で語り継がれる異色作。
※3須田剛一
株式会社グラスホッパー・マニファクチュア代表。『シルバー事件』や『ノーモア★ヒーローズ』シリーズなどで知られるゲームデザイナー。パンク精神溢れる独創的なシナリオと、原色を多用したスタイリッシュな映像表現が特徴。
飯田氏:
在籍中は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 -サウンドインパクト-』【※1】を作ったり、お台場にある日本科学未来館で「アナグラのうた 〜消えた博士と遺された装置〜」【※2】という展示の演出も担当させてもらいました。でね、それがすごくおもしろかったんです。
櫻井氏:
へええ。
※1『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 -サウンドインパクト-』
2011年にバンダイナムコゲームスから発売されたPSP用リズムアクションゲーム。グラスホッパー・マニファクチュアが開発を担当。新劇場版の映像とシンクロしたスタイリッシュな視覚演出が特徴で、単なるキャラクターゲームの枠を超えた、視覚と聴覚で『ヱヴァ』を再構築する実験的な試みがなされた作品。
※2「アナグラのうた 〜消えた博士と遺された装置〜」
日本科学未来館で2011年から公開されていた常設展示。空間情報科学をテーマに、来場者の足元に現れる「ミー」というナビゲーターを通じて、情報の共有が人々の暮らしをどう変えるかを、物語仕立てのインタラクティブな歌と映像で体験することができる。
飯田氏:
というのも、展示ってゲーム業界外の方々との共同作業になるから勉強になることが多いんです。それで「ああ、こういうことをもっとやりたいな」と思っていたんですけど、東日本大震災が起こってしまい……。
震災後、東京で制作を続けるのがだんだんしんどくなって、いったん場所を変えようと思いました。
鈴木氏:
ええっ。
飯田氏:
ちょうど展示の仕事で、ゲーム業界外の人たちと一緒に作るおもしろさを知っていたので、「教える/一緒に作る」ほうに軸足を移してみようと決めたんです。
それで立命館大学に移りました。いまは京都に通勤しつつ、生活は兵庫です。
櫻井氏:
東京にはいらっしゃらないと思ってましたけど、なぜ兵庫に?
飯田氏:
もともと兵庫は縁もゆかりもない場所なんです。
鈴木氏:
えーっ。
飯田氏:
電ファミさんには僕の連載で記事にしていただいていますが、『太陽のしっぽ』は阪神・淡路大震災で被災した方々の “復興に向かうたくましさ” から「人間の力強さ」をテーマに定めているんですね。だけど、それってなんだか震災を利用したみたいで、ずっと引っかかっていました。
──事実として震災がきっかけではあるものの、いっぽうで罪悪感のような感情も持たれていたと。
飯田氏:
はい。東日本大震災で今度は自分が当事者になり、過去に作品を作るきっかけとなった場所のことをもっと詳しく知りたくなったんです。だったら住んでしまうのがいちばんいいと思いました。
櫻井氏:
なるほど。
飯田氏:
だから普段は皆さんとなかなか会えなくなってしまって。今日はすごく楽しみにしていました。
「そんなのダメだよ」って言われたら、燃えるじゃない?
──『太陽のしっぽ』のテーマやきっかけのお話が出ましたが、改めてどういう経緯で企画が立ち上がり、どのようにチームが集められたのか、お聞かせいただけますでしょうか。
飯田氏:
それぞれの視点から見え方が違うと思うんですけど、当時は僕の社歴が長かったんです。といっても3年くらいですが。
櫻井氏:
ここに来る前に電ファミさんで連載されていた飯田さんの記事を読み返したら、『アクアノートの休日』【※】を作っていたときの飯田さんが当時まだ入社3年目だと知って驚きました。
※『アクアノートの休日』
1995年に発売されたプレイステーション用ソフト。広大な海を探索し、魚や遺跡を発見する海洋探索アドベンチャー。敵との戦闘や明確なクリア目的を持たない「ただそこに居る」ことの心地よさを提示した飯田氏の代表作。
飯田氏:
態度がデカいからそうは見えないでしょ?(笑)
一同:
(笑)。
飯田氏:
前作の『アクアノートの休日』が幸いにもヒットして、会社にも貢献できました。とはいえ、挑戦的なタイトルだったということもあり、発売前は社内で反対意見も多かったんです。「そんなのダメだよ」って。
櫻井氏:
そうだったんですね。
飯田氏:
でも、「ダメ」って言われると燃えるじゃない?
鈴木氏:
だろうね! ぜったいそういうタイプだと思うよ!
一同:
(笑)。
飯田氏:
若かったからね。反対されると「じゃあ証明してやろう」と思ってしまうところがありました。
鈴木氏:
でも飯田さんって『アクアノートの休日』でディレクターをやる前は、複数いるグラフィッカーのひとりだったわけでしょ? それで企画を出したら通ったんだ?
飯田氏:
そうそう。アートディンクって「ゲームになりそうにないものをゲームにしよう」という気風があるから、常日頃からチームごとにおもしろいアイディアを競い合っていたんですよ。
それで、新しいゲームハード(プレイステーション)が市場に出るタイミングで、PCゲームで高く評価されていた『A列車で行こう』【※】と並行して、もうひとつ新規タイトルを開発することになったわけ。
※『A列車で行こう』
1985年にアートディンクから発売された鉄道経営シミュレーションゲーム。プレイヤーは鉄道会社の社長となり、線路を敷き、列車を走らせることで都市を発展させていく。40年近く愛され続ける、日本を代表する長寿都市開発シリーズ。
──『A列車で行こう』という高い評価と多くのファンがいる人気シリーズを主力にしながらも、尖った新規タイトルも開発する攻めと守りのような体制ですね。
飯田氏:
そういった経緯のなか、「プレイステーション最大の特徴である3D空間で静かに海底を散策する “だけ” のゲームを作る」という企画が通り、そのまま自然と僕がディレクターを担当することになりました。しかしながら、「ゴールとルールが存在しない」とコンセプトを過激な方面に強化したため社内では反対の意見も出たんです。
鈴木氏:
へええ、なるほどね。
飯田氏:
ところが、『アクアノートの休日』が出たあと僕以外のメンバーがいろいろな理由でほとんど辞めてしまいました。でも僕は「もう1本作ってくれ」と言われていたこともあり、それはやろうと思ったんです。
というのも、さっき「反対されると燃える」と言いましたが、とはいえ、このゲームがゲームファンに受け入れてもらえなかったら別の道に進むことも考えるくらい思い詰めていました。ありがたいことに、結果としてヒットしましたが、それが1発屋なのかどうか自分の力をもっと試してみたいと思ったんです。
──クリエイターであればそう思うのは自然なことだと思います。
飯田氏:
また、そういった会社の都合や自分自身の力試しとは別に、「プレイヤーとの交流」も大きくて。ヒットしたおかげでいろんな反響をいただくことができたのですが、なかにはわざわざお手紙をくださる方もいました。つまり僕はプレイヤーに恵まれていたわけですね。
『アクアノートの休日』という野心作を気前よく受け入れてくれた当時のプレイヤーの懐の広さへの感謝が、次回作への大きな原動力となりました。
……って、ぜったいにこの話をまず先に言うべきだったよね。
一同:
(笑)。
飯田氏:
本心を隠しちゃうタイプなんですよ。
「ジャングー・キバオ」のモデルは電車で遭遇した酔っ払い
──では、そこからどのようにして『太陽のしっぽ』の企画が生まれたのでしょうか?
飯田氏:
ある朝、会社から「全員集まれ」と指示があったんです。もともと全員で朝礼をするような会社ではなかったので、なにごとかと驚きました。そしたらそこで、阪神・淡路大震災の状況を知らされたんです。「このなかで神戸に実家や家族がいる人はすぐに連絡を取ったほうがいい」と。
──地震は1995年1月17日の早朝に発生していますよね。
飯田氏:
現地の状況を聞いて、本当にビックリしてしまって……。
鈴木氏:
…………。
櫻井氏:
…………。
飯田氏:
実際に何人かは帰省していました。それからしばらく震災のニュースに釘付けになる日々が続いたんだけど、そこでよく復興のプロセスが紹介されていたんです。
道路は曲がって使えなくなってしまっているから、クルマではなく自転車や原付バイクがいい、と。ボランティアの方々が食料などを届けるために足を使って走り回っている姿がすごく印象的でした。「クルマがダメなら自分の足を使えばいいじゃん」というメッセージを感じて、感動したんです。
ちょうどそのころ原始人にまつわる本もたまたま読んでいたこともあって、次回作は「人が生きていく力そのものをテーマにすること」が自分にできることだと思いました。復興へと向かう人々の気持ちを賞賛したかったんです。
鈴木氏:
……で、ジャングー・キバオを電車で見たわけだ。
飯田氏:
そう。『太陽のしっぽ』の名前入力画面に出てくるキャラクターにはモデルがいるんですよ。この画面ではインパクトを与えたいと思っていたんだけど、その気持ちに反してなかなか納得できる絵を描けずにいました。
そんなとき、帰宅するために京葉線に乗っていたら僕の目の前でお酒の匂いをプンプンさせたスーツ姿の男性が野性味溢れる姿で寝始めたんです。「これは!」と、思わずスケッチしてしまいました。そうして完成したのが、コンクリートジャングルを牙(キバ)1本でしのぐタフガイ「ジャングー・キバオ」です。

いまだったら怒られてしまうかもしれませんが、僕は美大出身ということもあり、バスや電車で目の前にいる人を描く「ランダムスケッチ」をよくしていました。
櫻井氏:
わかります。そうでしたよね。
鈴木氏:
キバオの話は当時の開発現場で聞いた記憶があるね。「モデルがいる」って言ってた。
飯田氏:
帰りの電車でキバオに出会ってしまったから、そのホットな状態を忘れないために会社に引き返してPCに入力をしたんです。この絵が『太陽のしっぽ』のひとつの方向性を示したよね。
櫻井氏:
飯田さん、じつはキバオの名前入力画面について僕もアイデアを提供しているんですよ。
飯田氏:
えーっ!
櫻井氏:
もちろん描いたのは飯田さんですが、僕が相談を受けた時点でのキバオはもっと控えめに描かれていたんです。そこで、「もっとガッとくちを開けて「カナ」「ABC」など選択部分を歯に入れたらどうですか」と提案しました。
飯田氏:
そうかそうか、平ちゃんに相談してたんだ。
櫻井氏:
はい。僕の提案がイメージに合っていたのか、翌日見たらものすごく荒々しいタッチになっていたんですよ(笑)。
一同:
(笑)。
飯田氏:
1回描いてみたけど、弱かったから相談したんだろうね。平ちゃんに言われて「それだ!」と思って描き直したんだ。
櫻井氏:
ブラッシュアップをされていました。
飯田氏:
もはやブラッシュダウンなのかもしれない(笑)。
一同:
(笑)。
鈴木氏:
平ちゃんは男性原始人の声優もやってるもんね。
櫻井氏:
はい。グラフィックデザイナーをやりながら、なぜか男性原始人の声【※】もやっています。ある日、飯田さんから「ちょっとちょっと」と呼ばれて、鈴木さんたちもいるサウンドの部屋に連れて行かれたんですよ。
飯田氏:
ふふっ。
櫻井氏:
そしたらいきなり「この原稿読んでみない?」と言われて男性原始人の声を録ることになりました。
一同:
(笑)。
※原始人の声
ゲーム内で原始人同士の会話はないが、原始人たちは木にぶつかったり敵から攻撃を受けたときに「うっ」などと声を発するときがある。
鈴木氏:
原始人が和菓子を食べる音も、ポテチを渡して「食べてみない?」って録ったよね。マイク持ってさ。

一同:
(笑)。
──ちなみに女性原始人の声はどなたが担当されているんですか?
櫻井氏:
女性原始人の声は僕と同期の女性社員が担当していました。彼女はさらに、原始人を選択するとき頭の上に出てくるカーソルキャラクターのモデルにもなっているんですよ。
──ええっ、あのキャラクターにもモデルがいらっしゃったんですね。

飯田氏:
写真に加工をしているので本人とは特定できないけど、知っている人が見ればもしかしたら面影があるかもしれないね。
櫻井氏:
そういう、声やモチーフすら社内で対応していました。
“悪魔” を呼び出して描いたバリエーション豊かな原始人の顔
飯田氏:
そういえば今日はひとつ確認したいと思っていることがあるんですけど、僕が過去のインタビューなどで何度も話している「深夜のドローイングセッション」って、実際にあったよね? 僕の妄想じゃないよね?
一同:
(笑)。
──飯田さんと新人グラフィッカーの方が背を向けて座り、夜中の12時から明け方まで「原始人の顔」を男女合わせて100種ほど描いたというエピソードですよね。弊誌の連載でも語っていただいております。

櫻井氏:
実際にありましたよ、だってその「新人グラフィッカー」というのは僕ですから(笑)。電ファミさんで掲載されていた飯田さんの連載をリアルタイムで読んでいたので、「これ俺のことじゃん!」と驚きました。
一同:
(笑)。
飯田氏:
そうだよね。平ちゃんと描いたよね。ふたりしか知らないことだから自分の記憶を疑ってたんだけど、間違ってなくてよかった。このエピソードはいろんなところで話しているから(笑)。
櫻井氏:
飯田さんの求めている「原始人の顔」は当時やっぱり苦戦したんですよ。スケジュールも押していたこともあり、時間を取っていっきにやらないとマズいと。そんなときに飯田さんから「今夜残れる?」と聞かれたので「いいですよ」とふたつ返事で引き受けました。
飯田氏:
夜中の12時に呼ぶなよって思うよね(笑)。
櫻井氏:
残業手当はちゃんといただきましたから(笑)。
飯田氏:
それで、合宿気分で始めたものの、だんだんとネタが尽きちゃうんですよ。そしたら平ちゃんが目を3つ描いているのが見えて「そうきたか!」と思いました。最終的に4つ目や5つ目も登場するんだけど。
──(笑)。
櫻井氏:
もう、自分のなかの “悪魔” を呼び出さないと描けないんです(笑)。
飯田氏:
だったら僕はヒゲだらけにしてやろう、と深夜の力を借りながら表現の壁を壊していったんだよね。
櫻井氏:
飯田さんから言われ続けたのは「もっと壊せ」という言葉でした。『太陽のしっぽ』の開発には「壊す」という行為がすごく必要で、原始人の顔も普通に描くと「もっと壊して」と言われるんです。
ゲーム開始後すぐ出てくる原始人はわりとノーマルな顔をしているんですけど、だんだんフェイスペイントが増えていき、目の数が増えていき、最終的にはお面みたいなデザインに制作の幅が広がっていきました。


飯田氏:
後半の原始人は、選択したくないもんね(笑)。
櫻井氏:
制作中にも同じ事を言われたのですが、普通は「選択したくない」と言われたらボツかと思うじゃないですか。でも飯田さんの場合、「選択したくない」は「OK(採用)」という意味なんです(笑)。
──逆に飯田さんから「これはやるな」など禁止されるような指示はあったのでしょうか?
櫻井氏:
それでいうと、金髪の原始人を描いたら止められました。
飯田氏:
ええっ、それってどうしてだっけ?
櫻井氏:
技術的な話になってしまうんですけど、原始人たちは男性と女性でそれぞれ3Dモデルのテクスチャーを変更できる部分が「顔部分」と決まっていました。頭部の顔以外は黒髪と決めていたので、金髪の原始人を作ってしまうと、ほかまで変える必要が出てくるので「黒髪に統一しよう」となりました。
飯田氏:
ああっ、そうかそうか。なるほどね。
櫻井氏:
つまり僕たちが作っていたのは、黒髪の3Dモデルの顔部分に貼り付ける用の顔面テクスチャーなんです。
『ときメモ』チームと呼ばれていた『太陽のしっぽ』チーム
飯田氏:
そういえば当時はみんな『ときめきメモリアル』(以下、ときメモ)【※】が好きだったよね。
※『ときめきメモリアル』
1994年に発売された恋愛シミュレーションゲーム。高校3年間の学校生活を通じて、勉強や部活で自分を磨き、卒業式の日に伝説の樹の下で告白されることを目指す。個性的で魅力的なキャラクターと高いゲーム性で社会現象を巻き起こし、その後の美少女ゲームやアニメ文化に多大な影響を与えた金字塔。
櫻井氏:
そうですね。『太陽のしっぽ』チームは、『ときメモ』チームと呼ばれていました。
──それはもう別の開発チームですね(笑)。
鈴木氏:
『ときメモ』をやってないと話題に入れないから慌てて買いに行ったもん。
飯田氏:
本当にみんなやっていたからね。『ときメモ』へのリスペクトで、『太陽のしっぽ』もマルチエンディングにしたんですよ。
──ええっ!? 『太陽のしっぽ』は『ときメモ』に影響を受けていたということですか!? 作風からはまったく想像がつかないので、予想外すぎる真実です。
飯田氏:
『ときメモ』を持ち込んだのは平ちゃんじゃなかった?
櫻井氏:
僕はほぼ強制的に買わされたので違います(笑)。『太陽のしっぽ』チームに入った直後に『ときメモ』が発売されたんですけど、先輩たちとお昼ごはんを食べに行ったら強引にゲーム売り場に連れて行かれて「さあ、買おうか」と促されました。
──それは逃げられない状況ですね(笑)。
櫻井氏:
社内にあるプレイステーション開発機は製品版も起動できるので、定時になると『ときメモ』好きのプログラマーさんが遊び始めるんですよ。
飯田氏:
そうだそうだ。それを見てみんな影響を受けたんだよね。
櫻井氏:
でも影響の受け方がひどくて(笑)。普通は出社したらまず開発タイトルの進捗を共有したりするじゃないですか。でもうちのチームはまず『ときメモ』の報告会が始まるんです。「詩織がさ~」って。
鈴木氏:
あのころって、ゲームの熱量がすごく高かったよね。斬新なタイトルも多かったから。
飯田氏:
それを言ったら『太陽のしっぽ』も斬新でしょうね(笑)。
一同:
(笑)。
──先ほどエンディングのお話がありましたが、今日は櫻井さんがエンディングの「発注書」を再現して持ってきてくださいました。当時、飯田さんからこういうテキストを渡されたと。
飯田氏:
ええっ、そんなのあるの!?


櫻井氏:
エンディングは、飯田さんとデザインの先輩と僕の3人で作っているのですが、先輩と僕は飯田さんからこういうテキストだけを渡されたんですよ。
飯田氏:
覚えてる覚えてる。
櫻井氏:
飯田さんが渋谷系、先輩がエロ系、僕がアニメ系、と担当が分かれていて。9種のエンディングを3人で3点ずつ描きました。
飯田氏:
ああ、これは「魚人間」だね。ゲーム内で、知恵・繁殖力・水泳・脚力・飛躍力といった能力を向上させるタトゥーを入れられるんだけど、それにまつわるエンディングで、「人間は将来どんなかたちになっていくのか」を表現しています。
鈴木氏:
そうそう!

飯田氏:
泳いでばかりいると魚人間になっちゃうし、繁殖ばかりしていると性器人間になっちゃうし。そういうことを真面目に議論しながらやっていたよね。
櫻井氏:
僕は「鳥(空)人間」と「魚(水)人間」と「植物(地中)人間」を考えました。現場では飯田さんから「もっと壊せ」という言葉を言われ続けていたこともあり、普通に描いたらダメだと思って絵のテイストをけっこう変えたのですが、いま振り返ると技量不足だったと感じます。
飯田氏:
この魚人間は傑作だったよ。顔はかわいいアニメ調なのに体はタツノオトシゴみたいになっててさ。
櫻井氏:
ああっ、そうでしたね。
飯田氏:
あれはもう、気持ち悪くて1発OKを出したから。
一同:
(笑)。
飯田氏:
エンディングのテイストって僕が作ったと思っていたけど、トリガーを与えてくれたのは平ちゃんだったんだね。
鈴木氏:
パソコンの前で動けなくなっちゃうみたいなエンディングもあったよね。あれも好きだな。
櫻井氏:
それは飯田さんが担当したエンディングですね。
鈴木氏:
最近は「配信者がゲームをしてそれを見る」ことも多いじゃん。そのうち新しいゲームが出ても、AIにやらせて人間はそれを見てるだけになりそうな気もしない? それを予言したかのようなエンディングだよね(笑)。
飯田氏:
配信といえば、狩野英孝さんが『太陽のしっぽ』の実況をしてくれましたからね。愛憎入り乱れる反応がすごくよかった。
一同:
(笑)。

飯田氏:
こうしてわざわざ実況もしていただいていますけど、もともとこんなふうに評価してもらえるとは思っていませんでした。だって新人が集まって好き勝手やっていたわけだから。
じつは開発中に怒られたことがあったんだよね。あと2ヵ月くらいで完成させないといけないタイミングでの重役たちも参加する会議で「なんでこんなゲーム作ってるんだ」って。
櫻井氏:
ええっ!
飯田氏:
で、当時は若かったし、「ずっと放置しておいてどういうことか?」と、つい感情的にやり返してしまった記憶があります。
いま思えば、完全に余裕がなかった。スケジュールも詰まっていたし、被害妄想みたいな気持ちも膨らんでいたんだと思います。
でもそのあと自分で会社をやるようになって、組織を背負う側の気持ちがやっとわかりました。いまなら、あのときの管理側の立場も理解できます。
一同:
(笑)。
櫻井氏:
飯田さんのチームは「チャレンジ枠」だったんです。社内のプレイステーション開発チームはAチームとBチームがあり、ひとつは『A列車で行こう』などアートディンクらしいタイトルを扱うチーム。そしてもうひとつが新機軸タイトルを開発するチーム、という体制でした。
飯田氏:
でも、『太陽のしっぽ』は度が過ぎていたよね(笑)。














