もう1本、おかしな路線のゲームを作ろう
「また見つけた 何を 永遠を 太陽と混じり合う海を」
アルチュール・ランボー【※1】の詩『永遠』の一節だ。『アクアノートの休日』【※2】開発の後半、並行して行われていた広報の会議に参加していたコピーライターがこの詩を教えてくれた。
『アクアノート』はまだ発売されていなかったが、おかしな路線のゲームをもう1本作ろう、という気運があったので、僕は次の作品のことも何となく考えていた。
「太陽」という言葉は強く印象に残った。
※1 アルチュール・ランボー
1854〜1891年。フランスの詩人。早熟の天才と呼ばれた、象徴主義の代表的な詩人。代表作に『地獄の季節』、『イリュミナシオン』など。本文中に引用された『永遠』は、詩集『地獄の季節』に収められている。ちなみに、『永遠』はジャン=リュック・ゴダールの『気狂いピエロ』のラストで引用されたことでも有名。
また、心理学者のユング【※】が集合的無意識の存在を意識したエピソードの1つに「太陽のしっぽがなびいて風が吹く」というものがある。
集合的無意識というものが本当にあるかどうかは、僕には判断できないが1つの考え方としておもしろく感じていた。
阪神・淡路大震災後に見た、復興へと向かう人々のたくましさ
そんなある日、神戸の地震があった。
高速道路がぐにゃりと曲がった写真に衝撃を受けた。
人類文明が崩壊するカタストロフのイメージはSF映画やマンガなどで繰り返し描かれてきた。それが現実のものになるとリアルな痛みがある。
生々しい現実に対して心配や不安を感じていたが、被災者支援の活動はすぐに始まった。食料などを届けるためには機動力がある原付バイクがベストだと、被災地に入ったボランティアの1人が情報発信していた。
僕はゲームクリエイターで、こうした現実の問題や困難に対してほとんど無力だ。ただ、復興へと向かう人々の気持ちを賞賛したかった。
なので次の作品では、文明が存在しない過酷な世界をタフに生き抜く人間の力強さをテーマにしようと思った。
そんなことを考えながら、家路に着こうと通勤電車に揺られていたある夜、僕の目の前の席でスーツ姿の乗客が、お酒の匂いをプンプンさせながら野性味溢れる姿で寝入っていたのを見た。
日中は自分を抑え真面目に働き、うっぷん晴らしの飲み会で弾け、いまは正体を失くしているが、朝になればきちんと日常に戻るのだろう。がんばってるなー、などと好意的な想像をしながら持ち歩いていたメモ帳に彼の姿をスケッチしていた。
その中の1枚を彩色して『太陽のしっぽ』の名前入力画面にした。
あらかじめ入力されている「ジャングー・キバオ」という名称は勝手につけたあだ名だ。コンクリートジャングルを牙一本で凌いでいくタフガイ。
企画書なしでスタートした、怒涛の疾走
『太陽のしっぽ』は、そんな風にはじまった。企画書は作っていない。
『アクアノート』が終わり、さぁ次を作ろう、という段になり新しいチームが編成された。ゲーム制作が初めてという新人が多く加わることになるのだが、僕はこの布陣を前向きに捉えていた。経験や実績がないぶんメチャクチャなことができる!
メチャクチャとはつまり“アクション”、行動のことだ。ある瞬間の行為の痕跡をゲームにする。これもいつか実行したいと思い、温めていたコンセプトだ。
これはジャクソン・ポロック【※】などの画家からの影響が大きい。
ただし、ビデオゲームは工業製品という側面があり、その視点からは一定水準の品質と堅調さが必要だ。
“アクション”のゲームでは作品制作のコントロールを放棄し、無謀であることを良しとする――この方法はあまりにもリスクが高い。そこまでわかっていて「では、やろう! 」となってしまうのは“性(さが)”としか言いようがない。
「では、やろう! 」の一択だった。若ゲ、ここに極まる。
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で、このメンバーたちと8カ月くらい、体感では6カ月くらいの開発期間を駆け抜けた。まさに怒涛の疾走だった。「リテイクなし」、「思いつきを全部投入する」これをゲーム作りのルールとした。
舞台を海から陸にしたことによって、作業量と技術的な課題が増大した。
原始人や動物を動かすので『アクアノート』の時のような荒ワザ【※】は使えない。時間の流れをシームレスに表現するため、光源の位置や色を常に調整しなければならない。水面を半透明のポリゴンで描画すると負荷がかかり、極端にフレームレートが低下してしまう。
※『アクアノート』の時のような荒ワザ
PlayStationの登場に伴う、2D→3Dの移行期に制作された『アクアノートの休日』のグラフィックは、PCで動作する建築用CADソフトを用いて、試行錯誤を繰り返しながら実験的に行われた。本連載のこちらの記事に詳しい。
「無謀上等」とかけ声こそ勇ましかったが、実際問題として簡略化できるものを見極める必要がある。時間的余裕がない中で取捨選択の根拠となるのは、各々の「勘」だった。
『太陽のしっぽ』のキャッチコピー「けものをみがけ!」は、ランボーの詩を紹介してくれたコピーライターがつけてくれたものだが、緊張感ある現場の様子をよく捉えている。
我々は原始人とほぼ一体化し、けもの的な直感力で突き進んだ。
明け方まで続いたドローイングセッション
『太陽のしっぽ』は、全体的に奇妙なテイストを醸し出しているゲームだけど、特に目につくのは原始人の顔の異様さだろう。
男女合わせて100程度のバリエーションを作った。これは僕ともう1人のグラフィッカーが背を向けて座り、「夜明けまでに顔面テクスチャー【※】を集中して作って一気に仕上げる」と決めて作業をはじめた。昼間は休み24時スタートにした。
※テクスチャー
ここでは3Dモデルの表面に貼り付ける模様や画像のこと。
半分くらいまでは合宿気分で順調だったが、それを超えると行き詰まった。振り向くと、目を3つ描いているのが見えた。ならばとこちらはと4つにする。やがて6つ目や8つ目も登場した。
明け方には様々なスタイルの顔が現れていた。深夜の力を借りた悪ふざけでもあり、表現の壁を越えようとした実験的ドローイングセッションでもあった。(続く)
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