『パックマン』はなぜジャンルの代名詞となったのか
「ドットイートゲーム」というゲームジャンルがある。
迷路状のフィールドに点在するドットを集めることで、ゲームが進行していくタイプのゲームを指す言葉だ。このジャンルの代表的なタイトルといえば、誰もが『パックマン』を挙げるだろう。
このゲームはまさしくフィールドに点在するドットを食べるゲームであり、「ドットイートゲーム」というジャンル自体が『パックマン』によって産まれたと言っていいだろう。
だが、ここで注意したいのは、『パックマン』が「ドットイートゲーム」の元祖ではないということだ。
1980年にリリースされた『パックマン』よりも1年前の1979年に、セガの『ヘッドオン』が存在しているのである。
「ドットイートゲーム」というジャンルの成り立ちがユニークなのは、元祖であるはずの『ヘッドオン』より、後発の『パックマン』が文字通りゲームジャンルごと「食って」しまった点にある。
なぜこのような逆転現象が起きたのだろう?
その秘訣は『パックマン』の「身体」にある。
ピザのひと切れを取った後の残りの部分から発想したというそのキャラクター【※】が、そのあまりに端的な見た目もさることながら、ゲームキャラクターとして真に卓越しているのは、「移動」と「捕食」というふたつの行為──ふたつの「機能」を、レバー1本の操作でひとつの「身体」の内に、何の不自然さもない形で集約している点にある。
さらに重要なのは「パワーエサ(パワークッキー)」の存在だ。
この要素により、一方的に敵キャラクターに脅かされる存在だったパックマンが、一転して敵キャラクターへの「攻撃」が可能になった。しかも、攻撃弾の発射や、攻撃専用のアクションをせずに、普段通りの「身体」そのままで、である。
ひとつの「身体」、ひとつの操作に、異なる複数の「機能」を集約したこと。さらにゲームキャラクターの「身体」そのものを「攻撃」の手段に変えたこと。
『パックマン』の最大の画期性は、この「機能的な身体性」にあると、筆者は考える。それゆえに、『パックマン』は『ヘッドオン』をジャンル名ごと「食って」しまえたのだ。
『スペースインベーダー』の画期性は、プレイヤーと敵側が互いに「攻撃しあった」点にあるといわれている。
それとは異なる形で、己の身体そのものを攻撃手段とし、「移動」と「攻撃」をひとつの操作に集約した『パックマン』は、「ドットイートゲーム」という枠組みを超えたひとつの潮流を作り、そしてそれは1985年にひとつの到達点に達することになる。
1985年、それは『スーパーマリオブラザーズ』が発売された年である。
TVゲームとは、「身体」と「空間」のふたつによって成立するメディアである。
特に、プレイヤーが操作することによってさまざまな「機能」を発揮する「身体」は、ゲームを考える上での根幹であるといっていい。
ゲームにおける「空間」のデザインに対しては「レベルデザイン」という言葉があり、海外においては「レベルデザイナー」という職種が成り立つほどの専門性も確立している。
しかし、「身体」について語る言葉は少ない。
というわけで、今回考えてみたいのは、TVゲームにおける「身体」についてである。
文/hamatsu
『パックマン』と『スーパーマリオブラザーズ』を繋ぐもの
『パックマン』からはじまった潮流が、『スーパーマリオブラザーズ』という到達点に至る。この見立てに違和感を覚える人は多いのではないだろうか。なぜなら、両者はまったく異なるゲームだからだ。
「ドットイートゲーム」の代名詞的な存在である『パックマン』と、2D横スクロールアクションゲームの代名詞的な存在である『スーパーマリオブラザーズ』では、両者ともにジャンルの代表的な存在という意味では共通していたとしても、ゲーム内容においては共通点のほうが少ないのではないか……と考えたとしてもおかしくはない。
では『パックマン』ではなく、『パックランド』と『スーパーマリオブラザーズ』を並べてみてはどうだろう?
1984年、つまり『スーパーマリオブラザーズ』の1年前に出た『パックランド』こそが、2D横スクロールアクションというジャンルにおける、直接のルーツであると捉える人は現在においても少なくない。
『パックマン』の続編である『パックランド』、そしてその後を追う形でリリースされた『スーパーマリオブラザーズ』。こう並べて見れば、『パックマン』と『スーパーマリオブラザーズ』には繋がりがある。
ではここで、ひとつの証言を提示してみよう。以下は飯野賢治との対談の中で『スーパーマリオブラザーズ』のディレクターである宮本茂が、『パックランド』について直接言及した非常に貴重な証言である。
飯野:
なるほどね。でも、『スーパーマリオ』の登場は、すごく突然な感じがしたんだけど。ゲームの進化の中で突然あの世界は(笑)。
宮本:
『パックランド』がありました。それまでにジャンプゲームというのをつくってましたでしょ。僕はナムコシンパで、ジャンプゲームをやってこないナムコにすごい敬意を払っていたんです。僕らがつくっているジャンプゲームをいじってこない。ところが、『サーカスチャーリー』とか、よその会社からその手のゲームがどんどん出てきて、我が社も当然、一番最初の『ドンキーコング』のときにスクロール的なものを始めている。あの頃すでに、『スクランブル』とかはあったから、スクロール基板が欲しかった。それが、『マリオブラザーズ』で一応完結しましたね。しかし、でかいキャラクターのスクロールジャンプゲームとなると、うまくいかない。唯一あったのはカメを上から踏むっていうアイデアだけ。
飯野:
何で突然、カメを踏もうと思うんですか(笑)。そこが変ですよ。
宮本:
キャラクターが小さいと分かりにくいから、大きくなった時に踏むというジャンプゲームの実験はしてたんです。そんな時にナムコから『パックランド』が出てきた。ゲームセンターで、僕、東京に行ったときに『パックランド』が置いてあって、ナムコがジャンプゲームに手を出してくるのかと、それなら俺がやってやろうじゃないかと。それがきっかけ。
飯野:
そういえば、僕もナムコが好きでしたね。
宮本:
まあ、尊敬するゲームというとナムコの『パックマン』やからね。僕は、目に刺激が少ないし、シンプルでゲームの原理が見えやすいので黒バックをずっと守ってきたんだけど、もうそろそろ潮時かなとも思ってたしね。ハードで刺激的なものをつくろうと思ったら、そろそろ青空バックでとも思っていたし。最終的に制作に入っていったとき『パックランド』が影響してますね。だから、詳しい人は『パックランド』の真似をしましたみたいに言う人もいるけれども、『パックランド』とは全然違うゲームなんですよ。でも、ナムコがあれをやってきたから、僕のマリオは動き出したというのはありますね。
この発言は非常に興味深い。
ここからわかることはふたつある。宮本茂という人は、ナムコという会社、特に『パックマン』を非常に強くリスペクトしているということ。そして『パックランド』というタイトルに関しては、悪い言い方をしてしまえば「後追い」されたと認識しているということだ。
『スーパーマリオブラザーズ』の先行作であるはずの『パックランド』が、なぜ「後追い」になるのか?
その答えは「ジャンプ」にある。
1981年に登場する宮本茂がディレクターを務めたタイトル『ドンキーコング』は、初の「ジャンプ」を取り入れたゲームである。そう、『パックランド』は横スクロールという形式こそ先行していたものの、「ジャンプ」を使用したアクションという点、つまりゲーム中の「身体機能」を軸にゲームを評価した場合、『ドンキーコング』の後発だとも言えるのである。
1980年の『パックマン』には多大な敬意を示しつつ、1984年の『パックランド』は後追いとして認識する。では、その間に登場する1981年の『ドンキーコング』とはどのようなタイトルであり、「ジャンプ」とはどのようなアクションだったのだろうか。当事者の発言を交えつつ振り返ってみよう。
「ジャンプ」という革命
まず、宮本茂は『パックマン』をどう認識していたのだろうか?
幸いなことに、宮本茂はさまざまな媒体のインタビューにおいて『パックマン』から受けた影響について隠すことなく率直に語ってくれている。『パックマン』の制作者、岩谷徹との対談での発言を引用しよう。
岩谷:
宮本さんは最初に『パックマン』を見たときどう思いましたか?
宮本:
デザインがキレイだなって思いましたね。それまでのゲームは、プログラマーがデザインして、音楽まで作っているゲームがほとんどだったので、ストレスを感じていました。だから、最初に『パックマン』を見たときは感動しましたよ。筐体デザインもキレイでしたしね。筐体に使っている素材は、任天堂のものより良いものでしたね(笑)。任天堂ではコストに縛られることも多かったので、うらやましかったです。『パックマン』のゲーム性も気に入っていて社内に機械を持ち込んで運ぶくらい、熱中していました。当時は、企画のスタッフではなく、デザインのスタッフだったため、あまり遊んでいてはマズい立場だったのですが、永久パターンに入るところまでは、よくプレイしていました。
岩谷:
すごい、私はそこまでいけないですよ(笑)。
宮本:
『パックマン』の面白さは、ポパイのほうれん草のような「逆襲」にありますよね。あとは「すべてのドットを食べる」わかりやすいゲームルールかな。いろんな意味で、バイブル的存在です。
興味深いのは、『パックマン』を“自身のバイブル”とまでいう宮本茂が、『パックマン』のデザイン面に強く惹かれつつ、ゲーム面においては明確に「逆襲」のゲームであると、このゲームに潜む攻撃性を正確に見抜いている点だ。
この「逆襲」という要素は、『ドンキーコング』にも「ハンマー」という形で取り入れられている。
このアイテム──現代においては『スマブラ』における“強力な攻撃アイテム”として認識されているかもしれない──を獲得さえすれば、一定時間、障害物を破壊(攻撃)しながら目標めがけて突き進めるという点において、『パックマン』における「パワーエサ」と同系統のアイテムであるといっていいだろう。
『逆襲』という点において、『ドンキーコング』は『パックマン』の影響下にある。
だが、この両者を決定的に違えている要素もまた存在する。レバーひとつ以外の操作を必要としない『パックマン』と異なり、『ドンキーコング』にはボタンを押すことで発生するアクション、「ジャンプ」が存在する。
「マリオ」というゲーム史上最も有名なキャラクターの最も有名なアクション、それが「ジャンプ」だ。このアクションの画期性とはなにか。
それは、レバーや十字キーではなく、ボタン操作によって発生する瞬間的な「移動」のアクションだということだ。
「弾を撃つ」、「殴る」のような攻撃手段としてボタン操作を用いるのではなく、「移動」のアクションをボタン操作で行うことによって、ゲームキャラクターは「瞬発力」を獲得した。
『ドンキーコング』とは、そのような形でゲームキャラクターの「身体」に革命を起こしたゲームなのである。
現代のアクションゲームにも「横っ飛び」、「サイドステップ」のような形で主に敵からの攻撃を回避することを目的としたアクションは存在するが、この源流は『ドンキーコング』における「ジャンプ」にある。
では、この「ジャンプ」というアクションについて、宮本茂はどのように考えていたのか、彼自身の発言を引用しよう。
──マリオのジャンプが非常に気持ちよかったのをおぼえています。ジャンプ中に方向転換できるなど、現実の動きに忠実ではないけれど、気持ちが乗りうつるアクションの数々。ファンタジックで面白かった。
宮本:
操作のアイディアはすごく深いんです。「物理法則という毅然とした現実」「ゲームデザイナーとしてこうあるべきだというつくり方」そして「自分自身のゲーマーとしての要望」。その3つの視点の駆け引きがあるんです。『ドンキーコング』の時には、マリオは左右には動けませんでした。飛び上がったら、着地点は決まっていたわけです。『マリオブラザーズ』では、マリオの走るスピードによって横に飛ぶ距離が変わりました。そして『スーパーマリオブラザーズ』では、空中でかなり動けるようになった。徐々に「物理的な現実」よりも、「遊び手としてこうあってほしい」という方向に歩み寄っているんです。
この発言からわかることは、宮本茂は「ジャンプ」というアクションについて、『ドンキーコング』から『マリオブラザーズ』を経て『スーパーマリオブラザーズ』に至るまで、複数のタイトルをまたがる形で継続的なブラッシュアップをし続けていたということだ。
だからこそ、その過程に登場する『パックランド』に対しては、「後追い」という認識を持ったのだろう。
「パワーエサ」と「ハンマー」という無敵アイテムによって『パックマン』と『ドンキーコング』が線で繋がり、「ジャンプ」というアクションによって『ドンキーコング』と『スーパーマリオブラザーズ』が繋がる。
ちなみに『スーパーマリオブラザーズ』における「スター」というアイテムもまた、「パワーエサ」に連なるアイテムとして位置付けられるだろう。
このようにして、『パックマン』からの影響を受けながら「ジャンプ」という新しいアクションを得ることで、『ドンキーコング』は単なる模倣に留まらないオリジナリティを獲得した。
そして『マリオブラザーズ』を間に挟みながら『スーパーマリオブラザーズ』に至るまで「ジャンプ」の機能を磨き続けたことで、『スーパーマリオブラザーズ』は歴史に残る名作になった。
しかし、これだけでは「ジャンプ」に対する考察は不十分だ。
『スーパーマリオブラザーズ』を遊んだことがある人ならば、「ジャンプ」は単なる「移動」手段ではなく、ブロック越しに敵を弾き飛ばしたり、直接踏みつけることができたりという、「攻撃」手段でもあるということをご存知だろう。
1981年時点の『ドンキーコング』における「ジャンプ」は、「移動」だけのアクションだった。しかし、1985年の『スーパーマリオブラザーズ』における「ジャンプ」は、「パワーエサ」や「ハンマー」のような特定のアイテムに頼ることなく、敵キャラクターへの「攻撃」が可能になっている。
いつの間に「ジャンプ」は「移動」機能だけでは飽き足らず、「攻撃」機能を有するに至ったのか? この疑問について考えるためのヒントとなる、ひとつのタイトルを振り返ってみよう。
「攻撃」する身体
1982年にウィリアムス社から発売された『ジャウスト』というゲームがある。
※動画は87年版のものです
※掲載時「アタリ社」と記載していましたが、正しくは「ウィリアムス社」となります。訂正するとともに、お詫び申し上げます。(2018年6月19日 22:45更新)
このゲームを知っている人は、あまり多くはないかもしれない。このタイトルは、国内ではHAL研究所がファミコンに移植しリリースする予定だったが、『ジャウスト』の権利元になったアタリと権利関係で問題が起こったようで(真相は不明)、予定した時期に発売ができなくなっている。
その代償として、『ジャウスト』を参考にしながらアレンジを加え、別のタイトルがリリースされることになる。
それは、1984年に任天堂からリリースされたタイトル『バルーンファイト』だ。
※『バルーンファイト』は1984年にアーケード版が、1985年1月にファミコン版がリリースされた。
『ジャウスト』、そしてそれをベースにアレンジを加えられた『バルーンファイト』、この両者には共通する特徴がある。それは、「パワーエサ」や「ハンマー」のような特定のアイテムを使用せずに、敵キャラクターに対する「攻撃」が可能になっていることだ。
さらにそれは、「弾を撃つ」、「殴る」といった攻撃専用のアクションによる「攻撃」ではなく、ボタンを押すことで「飛ぶ」という「移動」を伴うアクションと同時に発生する「攻撃」である。
この『ジャウスト』、『バルーンファイト』における「攻撃」こそが『スーパーマリオブラザーズ』における「ジャンプからの踏みつけ」によって行われる「攻撃」のルーツであると、筆者は考える。
横井軍平が企画し、岩田聡元任天堂社長がプログラミングをしたということで、現在では伝説的な存在と化しつつある『バルーンファイト』だが、『バルーンファイト』と『スーパーマリオブラザーズ』の間に繋がりがあったことを示す証言が任天堂公式サイト“社長が訊く”に残されているので、引用しよう。
岩田:
そのVS.システムとファミコンとで、同じゲームをつくることが多かったんですよね。で、『バルーンファイト』もHAL研究所が『バルーンファイト』の家庭用をつくり、SRDさんが……。
中郷:
業務用のほうをやったんです。で、つくったあとで「HAL研さんがつくった家庭用のほうがプレイヤーの動きがスムーズなのはなぜだ?」という話になりまして、それで岩田さんに相談させてもらったんです。
岩田:
そこでわたしは知ってることを中郷さんに洗いざらいお話ししまして。そのひとつが、キャラクターの位置を整数で計算するだけでなく、より細かく小数点以下の計算もして、精度を倍にして計算すると、重力計算とか、浮力の計算、あるいは加速・減速の計算が細かくできるようになって、動きがスムーズになるんです、というような説明をそのときにしたんですね。
中郷:
岩田さんのそのような説明を聞いて、わたしは目からウロコだったんですよ(笑)。ただ、宮本さんから「よくもまあ、よその会社に聞きに行くなあ」とは言われたんですけど(笑)。
岩田:
でも、わたし自身は聞かれてうれしかったんですよ。
中郷:
そうでしたか(笑)。
岩田:
「お役に立てるなら」という気持ちでしたし、実際、『スーパーマリオ』をつくるときにお役に立ったみたいですしね。
中郷:
ええ、すごく役に立ちました。『スーパーマリオ』の水中のステージがなめらかに動くのは岩田さんからレクチャーを受けたおかげですから。
『バルーンファイト』における「攻撃」が『スーパーマリオブラザーズ』における「攻撃」に影響を与えた、という決定的な証言にはなっていないものの、両者が互いに情報交換を行いつつ高め合うような関係性にあったことは間違いないだろう。
このような貴重な証言を、いくつも残してくれた岩田さんに感謝したい。
では、今日に至る「マリオ」の「攻撃」する身体を生み出したきっかけは、どこにあるのだろうか?
『ジャウスト』から『バルーンファイト』に繋がり、『スーパーマリオブラザーズ』に至るという流れは筆者の推論にすぎないが、『ドンキーコング』から『スーパーマリオブラザーズ』に至る流れの繋ぎとなる1983年にリリースされたタイトル、『マリオブラザーズ』については、「マリオ」が「攻撃」を行えるようになった過程についての発言が残されている。
発言者は宮本茂の師、横井軍平である。
ゲーム&ウォッチを作っていた頃は、誰でもが説明なしにゲームを遊べるかということばかり考えていました。パソコンに慣れている人はマニュアルを読んでから遊びますけど、一般の人は違いますからね。
その後、私は『マリオブラザーズ』という、私の企画したゲームの制作を宮本君にお願いしたんです。マンガ映画(アニメ)で、カメがひっくり返って甲羅をポイッと脱ぐシーンが面白くて、これをゲームにしようと。それで、下からカメを突きあげたらモガモガするというゲームになったんです。カメの他には、カニも出てきます。これは宮本君が出してきたキャラクターで、お伽話から発想がきているんじゃないでしょうか。
『マリオブラザーズ』における「かち上げ」という「攻撃」のアクションは、横井軍平の提案によってもたらされ、それは続く『スーパーマリオブラザーズ』にも継承されている。そして、その横井軍平は自ら『バルーンファイト』を手がけている人物でもある。
これらの事実から考えて、「マリオ」のジャンプが「移動」のアクションであると同時に「攻撃」のアクションになっていく過程において、横井軍平が与えた影響はかなり大きいと考えて間違いはないだろう。
かくして1982年の『ジャウスト』、1983年の『マリオブラザーズ』、1984年の『バルーンファイト』を経て、1985年の『スーパーマリオブラザーズ』における「ジャンプ」は単なる「移動」のアクションに留まらず、目の前の敵を排除し、蹴散らすための「攻撃」のアクションとなる。
特定のアイテムを獲得しなければ「攻撃」が行えなかった『パックマン』や『ドンキーコング』と、初期状態からいきなり敵を倒すか倒さないか、クリボーを踏んづけるか否かの選択を迫られる『スーパーマリオブラザーズ』とでは、そのゲーム内容において“根本的な違い”が生まれるまでに至っているのである。
そして、この違いこそが、『スーパーマリオブラザーズ』と『パックランド』との大きな違いにもなっている。
改めて振り返ってみれば、『パックランド』には「パワーエサ」の獲得による敵キャラクターへの「攻撃」、「ジャンプ」という「移動」のアクションこそ存在するものの、その「ジャンプ」によって、『ジャウスト』や『バルーンファイト』のような、特定の部位を利用した「攻撃」ができない。
『パックマン』に影響を受けつつも、そこに自身が発想し、『ジャウスト』や『バルーンファイト』という他のタイトルからの影響も取り入れながら「ジャンプ」というアクションを磨き続け、ゲームにおける「身体」のブラッシュアップをし続けた『スーパーマリオブラザーズ』と、『パックランド』では、「ジャンプ」というアクションの質──特に「攻撃」の面で、大きな差が生まれてしまっているのである。
もっとも、『パックランド』は3つのボタンによって移動とジャンプを行うというその特異なアーケード版の操作系を、その後の移植作があまり再現できていなかったことなどから、正当な形で再評価することが難しい部分はある。
そして何より、2D横スクロールアクションの先駆者という部分、確かに「ジャンプ」というアクションにおいては、『ドンキーコング』以降の後追いであったとしても、横にスクロールする画面を縦横無尽に駆け回るという点においては、間違いなく『スーパーマリオブラザーズ』より先駆者といえるのではないか。
という“問い”に対する答えを探すべく、この“横スクロール”という点について、同時期に発売されたタイトルと共に振り返ってみよう。
「Bダッシュ」という「アクセル」
実は『スーパーマリオブラザーズ』の前年に当たる1984年に、任天堂は1本の横スクロール式のゲームをリリースしている。それが『エキサイトバイク』だ。
このゲームのディレクターは宮本茂である。『パックランド』がリリースされたのが1984年8月1日であり、『エキサイトバイク』がリリースされたのが1984年11月30日であることから、4ヵ月ほど『パックランド』のほうが早いが、ほぼ同時期の作品と見ていいだろう。
『パックランド』を『スーパーマリオブラザーズ』のルーツとして位置付ける人は多いが、『エキサイトバイク』を『スーパーマリオブラザーズ』のルーツとして認識する人が“なぜあまりいないのか”と言えば、それは『エキサイトバイク』がアクションゲームではなくレースゲームとして認識されているからだろうか。
キャラクターを操作するアクションゲームと、バイクを操作するレースゲームとではゲームの根本が違うということだろう。
しかし、よりゲーム中の「身体」に即して考えれば、『エキサイトバイク』は紛れもなく『スーパーマリオブラザーズ』のルーツであることを示す決定的な要素がある。
それは、『スーパーマリオブラザーズ』における「ジャンプ」に並ぶ重要アクション、「Bダッシュ」である。
『エキサイトバイク』ではバイクを操作する以上の必然ともいうべきか、Aボタンを押しっぱなしにすることでアクセルを開け、前進することができる。さらにBボタンを押すことで「ターボ」を発動することも可能だ。
このBボタンによる「ターボ」機能を、マリオにおける「Bダッシュ」のルーツとして考えることは、『エキサイトバイク』のディレクターが宮本茂であることから考えても的外れな推論ではないだろう。
ここで注目したいのは、ボタンを「押しっぱなし」にすることで前に進むという、レースゲームにおける「身体」操作の特異性だ。通常のゲームであれば、移動はレバーによって行うものだが、レースゲームにおいてレバーはあくまで“方向を調整する補助的な存在”であり、「移動」の起点には“アクセルを踏む”、つまりはボタンを押し続けるという行為を行う必要がある。
たいていの人間は、ボタンを「押しっぱなし」にすることで前に「移動」するという行為が「車やバイクを操作する上では」あまりに自然過ぎて、そこに誰も疑問を持たない。
「Bダッシュ」とは従来のレバー主体で行う「移動」操作に、レースゲーム的な「アクセル」の思考を取り入れた操作方法なのである。
さすがに“Bボタンを押さなければまったく前に進まない”というほどにレースゲーム的ではないものの、レースゲームにおける機械的な「加速機能」を、人間的な「身体」操作に取り入れた点に、「Bダッシュ」の画期性は存在する。
逆に、『パックランド』のボタン連打によるダッシュは、むしろ人間の身体感覚に沿った自然な操作と考えることもできるだろう。
両足を高速で何度も踏みしめることで行う「ダッシュ」という動作とボタン連打は、親和性が高いからだ。1983年にリリースされた『ハイパーオリンピック』の流れを継承する操作だとも考えることができるだろう。
ちなみに「ジャンプ」と「ダッシュ」をどちらもボタン操作で行うという点において、『ハイパーオリンピック』と『パックランド』は、実は共通する部分が多い。
この「ダッシュ操作」の解釈の違いからも『パックランド』と『スーパーマリオブラザーズ』は、共通点よりも根底の思想レベルでの差異が多いタイトルなのではないかと筆者は考えている。
ちなみに、『エキサイトバイク』のコースエディットモードは後の『マリオメーカー』へと繋がる任天堂のコースエディットの歴史の原型として位置付けることもできるだろうし、任天堂のゲームの歴史において『エキサイトバイク』は改めて振り返るべき部分が少なくない。
マリオとは1985年時点での「身体」デザインの集大成である
ここまで『パックマン』に端を発する、ひとつのアクションに対して複数の機能(ファンクション)を有する「身体」が、さらに進化・発展を続け、『スーパーマリオブラザーズ』というひとつの到達点に達するまでを、『パックランド』との差異を検証しつつ、さまざまなタイトルを振り返りながら考えてきた。
任天堂による「ドットイートゲーム」である『デビルワールド』やナムコ黄金時代の各タイトル、まだ触れていない他のアクションや『スーパーマリオブラザーズ』と『パックランド』の類似点と相違点についてなどなど、まだまだ言い足りない部分は多いが、ただでさえ長いこの文章が永遠に終わらなくなりそうなので、そろそろまとめに入ろう。
『スーパーマリオブラザーズ』とは、いまさらいうまでもなく、2D横スクロールアクションの代名詞的な存在である。しかし、この記事を通して改めて振り返りたかったのは、2D横スクロールアクションというひとつのジャンル、カテゴリを越えて、1985年時点でのゲームにおける「身体」デザインの集大成であり、到達点であるということだ。
「マリオ」という「身体」が、いかに完成されているかについては『スーパーマリオメーカー』というプレイヤーの思うがままに「空間」の構成を行えるソフトが、逆説的に証明しているといえる。
相当に無茶なコース設計をしたとしても思いの外あっさりとクリアできてしまえるという「マリオ」の卓越した「身体機能」がなければ、『スーパーマリオメーカー』はヒット作にはならなかっただろう。
『パックマン』、『ドンキーコング』、『ジャウスト』、『マリオブラザーズ』、『バルーンファイト』、『パックランド』──これらのタイトルが影響し合うことで、マリオという「身体」、そして『スーパーマリオブラザーズ』は生まれている。
※ここまで、『パックランド』は『スーパーマリオブラザーズ』にそこまで影響を与えていないと散々書いてはきたが、ルーツのひとつであることは間違いないだろう。
しかし、1985年という時代を、『スーパーマリオブラザーズ』というタイトルをゲームの歴史における“ひとつの時代の区切り・到達点”として認識している人はどれくらいいるだろう?
むしろ逆の印象を持っている人の方が多いのではないだろうか。
なぜなら、『スーパーマリオブラザーズ』は日本国内だけでも600万本を超える空前のセールスを記録する大ヒットタイトルとなり、むしろここから「はじまった」という印象を強く残しているからだ。
ファミコンと一緒に買ったゲームが『スーパーマリオブラザーズ』だったという人は、当時かなり多かったのではないだろうか。
さらに、『スーパーマリオブラザーズ』が発売された翌年の1986年、ふたつのゲーム史に残る非常に重要なタイトルが登場する。
『ゼルダの伝説』と『ドラゴンクエスト』だ。
これ以降の1980年代後半から1990年代にかけて、「成長する身体」を主軸に据えたゲームジャンル、「RPG」が全盛の時代に突入していくことになる。
この1980年代後半から1990年代にかけての「RPG」の時代は、また機会を改めて振り返ることにしよう(それ以前のRPG黎明時代については、電ファミの多根さんの連載を読んでください)。
【ゲーム語りの基礎教養:第一回】初代ドラクエはRPGへの逆風の中に生まれた――“ドラクエ以前”の国内RPG史に見る「苦闘」の歴史
ひとつだけ言及しておくならば、「成長」する「身体」という一点において『ゼルダの伝説』と『ドラゴンクエスト』は同一線上で語ることが可能だ。
『ゼルダの伝説』が「RPG」というジャンルに収まるかどうかということには興味はないが、『ゼルダの伝説』が「成長」するゲームであるということは、最新作の『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』に至るまで一貫している。そしてそれは、『ドラゴンクエスト』シリーズもまた同様だ。
なぜ自由度が「高いのに」ゼルダ新作は面白いのか? “リズム”からその魅力を読み解く:「なんでゲームは面白い?」第八回
話を戻そう。なぜ今回、30年以上昔のタイトルである『パックマン』や『スーパーマリオブラザーズ』の「身体」について振り返ってみたのか。
それは日本のゲームシーンが「身体」を軸に発展していったと筆者は考えているからだ。
TVゲームは、プレイヤーが操作する「身体」と、それを取り囲む「空間」によって成立するメディアだが、日本のゲームシーンは明らかに「身体」に偏る形での特異な発展をしていった、というのが筆者なりの考えである。
それは現在においても変わりはない。
色を塗ると同時に「空間」の「機能」を塗り替えてしまう『Splatoon』シリーズの「身体」、あらゆる「壁」に登れてしまうことで、視線と動線を一直線に繋げてしまう『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の「身体」、ひとつ武器を変えるごとにゲームの内容が根本から変わるほどに精妙にデザインされている『モンスターハンター:ワールド』の「身体」。
近年、日本のゲームが世界的に再び高く評価されはじめているのはなぜか。
それは、日本のゲーム的な「身体」が、広大かつ精妙な3Dで描画される「空間」に順応し、その「機能」によって「空間」を制圧し始めたからだ。
1980年代から1990年代にかけてのゲームシーンは、ゲームにおける「身体」のイノベーションが多数起きる時代だった。今回は1980年から1985年までを振り返ったが、それ以降もいくつもの「身体」のイノベーションが起きる。
先ほども軽く触れたRPGの隆盛、ベルトスクロールアクション、格闘ゲームなどなど……枚挙に暇がない。そしてそれは、主に日本のゲームによって起こされた。だから当時の日本のゲームシーンは、世界最先端だったのだ。
しかし。
2000年代以降のゲームシーンにおいて重要なのは、「身体」のデザインと同等、またはそれ以上に「空間」のデザインが重要になる。3D時代の到来である。
「銃」を携えた「身体」と、それを囲むレベルデザインの行き届いた「空間」の両輪が噛み合うことによって、欧米のゲームシーンは1990年代後半から2000年代以降、大きく発展することになる。
その流れに上手く乗れなかった2000年代以降の日本のゲームシーンの停滞については、当サイト、電ファミニコゲーマー上でもさまざまな意見が交わされているが、筆者としてはそもそもの根本、「身体」を軸に考えてみたいと思っている。
実はこの記事は、まだゲームにおける「身体論」の第1弾に過ぎない。なんせまだ1980年から1985年の5年間の一部しか振り返っていないのだから。
というわけで、連載3年目を迎える当連載だが、2018年は「ゲームにおける身体」について、今後もいくつかの記事を書いていこうと考えている。
今回は1985年の『スーパーマリオブラザーズ』に至る道を振り返ってみたが、ではその後の「マリオ」の歩んだ苦難の道と辿り着いた境地、2017年の『マリオオデッセイ』はどのようなゲームになったのか、「身体」を軸に考えてみよう。
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電ファミ執筆陣の超めんどくさいオトナたち(岩崎啓眞、島国大和、hamatsu、TAITAI)が言いたい放題! 2017年歳末ゲーム大放談【特濃】ゲームを語りたくて仕方がないオトナたちが、2017年のゲームを振りかえる座談会! 『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』や『スーパーマリオ オデッセイ』の「身体」と「空間」についても言及があります。