2億7000万の虐殺の果ての――私たちの「ケツイ」。待望の日本上陸!話題のメタRPG『UNDERTALE』の魅力を徹底解説。誰も死ななくていいRPGが問いかけた「罪」

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 去る8月16日、全世界で270万本を売り上げたインディーゲームの怪物『UNDERTALE』が、PS4 / Vitaにて発売された。

 同作は、もとはPCゲーム配信プラットフォーム最大手のSteamにて2015年に配信開始されたものであり、以来、空恐ろしいほどの圧倒的な好評を博しつづけている――この記事を執筆している2017年8月19日現在で、Steamに寄せられたユーザーレビューは約83,000件。そのうち、95%が同作に好評を付しているのである。

 そして遂に、開発者Toby Foxをはじめとする、たった数名のチームで製作された同作は、ファンコミュニティの力強い後押しによってめでたくPS4 / Vitaへの移植という日の目を見た。ファンによる後押しというのは、比喩ではない。発売からしばらくしてネット上でファンメイドの日本語化MODが配布されはじめ、また世界各国でも同様の動きがあり、売り上げは天を突く勢いで伸びていったのだ。

(画像はSteamより)

 ――嘆息するほかない。

 懐かしさと暖かみが同居するオールドファッションなピクセルアートで描かれたキャラクターの個性、ライトモティーフによって強化されたすばらしい音楽、一回性を確保するためのメタフィクショナリティ。これらはすべて、力強いアドヴェンチャーを語るというシンプルな目的と、プレイヤーを爆笑させる様々ないたずらのために捧げられている。

 本稿の執筆にあたって同作を二年ぶりにプレイした筆者は、本作の驚嘆すべき懐の広さに圧倒され、評価を改めた――これはただの素晴らしいゲームではない。『UNDERTALE』は、筆者の個人的な2015年度GotY【※】だ。

 正直に言えば、いますぐこんな記事を読むのはやめてPS Storeに走り、同作をプレイしてくれと読者には言いたいところなのだが、それでは仕事にならない。
 そこで本稿は前半に『UNDERTALE』のすぐれたゲームデザインの紹介を配し、後半に深い考察へと入っていく構造をとることにした。こうすれば、未プレイの読者は「ネタバレ」がきつくなってきたなと思うところで中断すればいいし、すでにプレイを終えた読者は、筆者が提示できるもののうち最上の、この傑作に関する一つの解釈を得ることができるだろう。

※ゲーム・オブ・ザ・イヤー(Game of the Year)、つまりその年のベスト作品。

※本稿で使用している画像は著者と編集部員が購入した『UNDERTALE』の日本語版と英語版からキャプチャしたものです。(編集部)

本稿ではゲームの重要な要素にも言及が及んでいるため、『UNDERTALE』をプレイ済みの上で読むことを推奨いたします。

著者
藤田祥平
1991年大阪府生まれ、文筆家。
Twitter : @rollstone
Website : http://shoheifujita.smvi.co/

この世界における“LV”の意味

 ゲームを起動すると、数色のカラーパレットで描かれた一枚絵と、テキストによるオープニング・ムービーがはじまる。ムービーのテキストは次のようなものだ。

  むかしむかし ちきゅうには ニンゲンと モンスターという 2つのしゅぞくが いました。
  ところが あるとき 2つのしゅぞくのあいだに せんそうが おきました。
  そして ながい たたかいのすえに ニンゲンが しょうりしました。
  ニンゲンは まほうのちからで モンスターたちを ちかに とじこめました。

 それは 「のぼったものは にどと もどらない」 といわれる でんせつの山でした。

 この山に登った主人公がおおきな穴に落ちてしまい、モンスターたちが暮らす深い地下世界で目覚めたあと、そこからの脱出をめざすというのが、本作の基本的な粗筋である。
 このオープニングの描き方は、古典RPGのスタイルを再現するものだ。つづくタイトル画面で名前を入力したあとに表示される、最初のプレイアブル・シーンは、つぎのようなものである。

これがほんとうに2015年のゲーム?

 まあ、ちょっと待ってほしい。たしかにテキストには漢字があまり使用されないし、グラフィックはファミリーコンピュータのタイトルかと思うほどシンプルだ。こういう様式に触れたことのあるひとは、かなりたくさんいるだろう。冒頭の操作説明を読んでいないプレイヤーでも、おそらく感覚で、十字キーを押せばこのキャラクターが動き出すことはわかる。
 だが、それこそがこのゲームの「やり口」なのだ。

おはなのフラウィ。かわいい

 これが最初に出会うキャラクターである。シンプルで、とてもかわいいタッチで描かれている。彼は主人公にむかって言う、「キミは… この ちていのせかいに おちてきた ばかりだね」「このせかいのルールも しらないでしょ? それなら ボクが おしえてあげよう」

 ここで画面が切り替わり、一人称視点の対面に切り替わる。独特なのは、ここに弾幕もののシューティング・ゲームの要素が足されていることだ。
 フラウィの説明によれば、メッセージ・ボックスのなかにあるハートマークは、主人公の「たましい」であり、存在そのものと言えるものであるらしい。プレイヤーは十字キーをもちいて、このハートを自由に動かすことができる。はじめは弱いが、LVがあがるとどんどん強くなる、とのことだ。

LVっていうのは LOVE つまり「あい」のことさ!

 そしてフラウィは言う、「キミも LOVEが ほしいでしょ? まってね… いま ボクが LOVEを わけてあげるから!」そして彼はウインクをし、白いペレットのようなものを放つ。
 彼の説明によれば、この世界においては、「LOVE」はこうした白い形をともなってあらわれるらしい。フラウィはこの白いペレットを追いかけることを勧めながら、ハートマークにむかってそれらを飛ばす。言われるがままにプレイヤーはハートマークを動かして、白いペレットに触れる。すると――

 HPが1になる。

 フラウィは言う。「バカだね このせかいでは ころすか ころされるかだ こんな ぜっこうの チャンスを のがすわけないだろ!」

「しね」――のちに明らかになるが、この世界におけるLOVEは、“Level of Violence(暴力度)”の略称である

特徴1:ゲーム史上最速? 冒頭のフックの早さ

 付言しておかなければならないのは、上記に記した一連のイベントが、ゲーム起動からわずか三分のうちに起こることだ。

 たったの三分。それだけで、「ファミリーコンピュータのような牧歌的RPGだな」とプレイヤーに思い込ませ、そこにシューティングを持ちこんだゲームシステムで興味を惹かせ、最後にかわいらしいキャラクターのショッキングな本性を暴く。ほとんどのプレイヤーは強烈に引き込まれるだろう。

このシーンよりも早い
(画像は任天堂公式サイトより)

 断言しよう。この作品における序盤のフックは、2017年のマスターピース『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』よりも早い。
 あの作品の最初のフックは、主人公リンクが「回生の祠」から出たのち、目の前に雄大なハイラル王国のランドスケープが広がるところだろう。だが、初見のプレイヤーであれば、そこに行くまで(ロードを含めて)五分はかかる。いろいろな例を考えてみたが、引き込まれる早さだけでいえば、『UNDERTALE』はもしかすると数あるゲームの中で最上の作品かもしれない。

 そして、この序盤の展開の早さは、作品全体に通底するスタイルを十分に物語るものだ。
 本作は基本的に、細かく分かれたマップを進んでいく古典的RPGの形式をとるのだが、それらすべてのマップに、もれなくこういうフックとなる仕掛けが導入されている。大抵は短いイベントであるが、たまに長尺の重要なものもある。それぞれの仕掛けはシリアスなものであったり、ジョークであったり、あるいはメタフィクショナル【※】な言及であったりする。

 この仕掛けの豊富さのために、プレイヤーは――断言するが――最後まで飽きるということがない。マップのグラフィック自体はおおむね平素なつくりをしているものの、そこに盛り込まれた出来事の数と、その配分のバランス感覚が桁違いなのだ。

※メタフィクショナル
作品内のキャラクターが読者に語りかけるなど、作品の内/外という枠を超えて言及が行われるメタフィションの手法のように、対象が枠組みを超えるさま。

特徴2:音楽表現の拡張—パピルスの例から

 もう一つ語っておきたいのは、主人公とキャラクターの関係性の描き方と、その技術を補強する音楽的手法である。

パピルスは、序盤で出会うモンスターのひとり

 このキャラクターは、主人公が「いせき」から脱したのちに登場するモンスターだ。名前は、パピルス。王国を守るロイヤル・ガードに入隊することを日頃から夢見ており、主人公と出会うなり、モンスターにとって脅威であるニンゲンを捕らえれば、すぐにその夢も叶うだろうと考える。 

 一方、そんな彼は大変なパズル好きでもある。さっそく彼は主人公の行く手を阻もうとするのだが、そのやり方はマップにさまざまなワナや迷路をしかけることだ。

 なんと言うべきか、彼はその見た目に反して、かなり子供っぽい。なにしろ、彼が作ったある迷路においては、主人公にその仕組みを解説しながら、自分で正しい道を歩いて解法を差し出してしまう。その後、主人公がパズルを解いたと勘違いして、そのパズル・センスを褒め称えたりもする。

 まったく、憎めないやつだ。そんな彼が、いくぶん大人びた彼の兄であるサンズとかけあう姿は、まるで上等な漫才を見ているようで、何度も笑わせてくれる。

ここで「兄」としているのは、日本語版の設定。オリジナルの英語版においては、ふたりは互いを「Brother(兄弟)」と呼び合っているのみなので、どちらがお兄さんなのかはわからない。この訳を訳者による作品世界への変更だと批判するむきもあるだろうが、筆者は、これこそがローカライズの妙技――ある言語をべつの言語に移し替えたときに失われるものを補填しようとする、「ケツイ」の現れだと感じた。冷静に考えてみてほしい、日本語を話すわれわれは、日常会話のなかで、自分の兄あるいは弟のことをただ「兄弟」と呼ぶだろうか?

 しかし、はじめのうちは彼なりの敵意をむきだしにしていたパピルスだが、主人公が(彼が必死になって考えた)パズルをつぎつぎと解いていく様子を見て、だんだんとその考えを改めはじめていく。
 そうして、様々なパズルを解き終えた主人公がひとつめの町にたどり着いたあと、パピルスとの物語は一時休止といった感を迎える。

 そこで人々の話を聞いているうち、どうもこの町のモンスターたちは、主人公をめずらしいモンスターの一種だと勘違いしているらしいことに気づく。気さくに会話してくれるし、あの印象的なガイコツの兄弟についても語ってくれる。この地下世界にいる「モンスター」たちは、それぞれの事情を抱えて暮らしているわれわれ人間とそこまで変わりないようだとすら思えてくる。

 しかしながら、主人公は地上を目指さなければならない。町を出て、さらに先を目指すのだが、そこにまたしてもパピルスが立ちはだかる――しかし、今回はパズルぬきだ。彼は空手のまま行く手をはばみ、主人公に対して独白をはじめる。

 今やパピルスは、ふたつの感情のあいだでおおきく揺れ動いていた――「主人公と友達になりたい!」という気持ちと、「主人公を捕まえれば、夢見ていたロイヤル・ガードの一員になれる」という希望のあいだで。

“BGMによるナラティブ”の美学的分析

 そしてついにパピルスとの「バトル」が始まるのだが、ここで流れる曲が非常に重要なのだ。
 そのことは、それまでパピルスが登場しているときに流れていた、シリアスさと諧謔が入り交じったメロディーの、以下のメインテーマと聞き比べることで分かる。

 まず注意してほしいのは、ここで使用されている音色とその数である。そう、これはファミリーコンピュータでも再生できるスペックの楽曲なのだ。使用されている音色はFCのそれに近いし、音色の数もFCが同時に再生できる3つに抑えられている。

 それが、このバトルでは、こんな複雑な構成になる。

 ただちに理解されるのは、それまでプレイヤーが耳にしていたFCふうのテーマと、まったくおなじメロディーを用いながらも、使用する音色とその数をおおきく変更していることだ。

 これによって非常にリッチな仕上がりとなった楽曲自体のクオリティもさることながら、より注目したいのは、このテーマがパピルスというキャラクターに与えている意味の深化である。

 分析していこう――まず注目したいのは、電子音に代えて挿入された生ドラムのイントロのリズムだ。オープンされたハイハット【※】のふたつ連続する音色によって、楽曲に浮遊感が生じている。この宙づりにされたような感覚は、そのままこの「バトル」におけるパピルスの複雑な心情を表す。

※オープンされたハイハット
ドラムセットなどで通常、左右どちらかの端にセットしてある、水平に2枚重ねたシンバルをハイハットという。重ねたハイハットを鳴らすとき、ピタッと閉じるか(クローズ)、隙間をとるか(オープン)によって音像をコントロールできる。

 さらに注目したいのが、ここに至るまでに何度も耳にしていた印象的なメロディーが、ごく微量のリバーブによって奥深さを与えられていることだ。そのことで、彼の決意が文字通り「さらに深まった」ことを我々は感じる。
 しかも、このメロディーは曲中で二度繰りかえされるが、二度目はハーモニーになる。それは単なる和音ではなく独立したメロディーであり、そのためにがっちりと組み合わさった「パズル」のような印象を与える。

 さらにメロディーを追いかけていこう。今度は、木琴、鉄琴、ホーンの音色が組み合わされていく。この質感は、まさにパピルスの身体的特徴である「骸骨」に非常によくマッチしており、彼の身体が充実した状態にあることが音色そのもので示唆されている。
 そうして――曲の終わりの小節がやってくる。すると楽曲は、もとのFC風の音色に帰結し、彼のアイデンティティがもういちど表現されるのだ。

 そう――ここには、ゲームBGMにおけるライトモティーフ【※】の優れた応用があるのだ。

※ライトモティーフ
人物、感情、物、事象、概念などを表現・象徴する、繰り返し使われる断片的な旋律。

 この技法によって、主人公とパピルスというキャラクターの関係性が、物語の展開に応じてより密度の高いものになり、二人の間の関係が深くなったことが感得される。プレイヤーは素晴らしい音楽とその使われ方に魅了されつつ、パピルスというキャラクターに対し、「たたかう」のか「みのがす」のか、いずれかのアプローチを取っていく。
 だが、いずれの道を選ぶにせよ、それが簡単な仕事でないことを察するのはたやすい。なぜなら、音楽によってここまでの「ケツイ」が表されているのだから。

 このライトモティーフの技法は、この場面にとどまらず、作品の全編にわたって応用されている。
 それはキャラクターの感情や本作に通底するテーマに関わり、時には注意深く隠された要素をあばくための考察のヒントにすらなっている。聞いたことのあるライトモティーフが、ゲームのどこで初めて使用されているのかを意識すれば、この作品がたたえている深みを感得することができるだろう。

 しかも、本作にはライトモティーフ以外にも、様々な優れた音楽的手法が入っている。とりわけ全編をつうじて、筆者がもっとも感心したのは、フラウィのテーマだ。定型的なFCの音源を用いて演奏されたテーマは、彼とのつぎの「バトル」の際に、脅迫的なブレイクコア【※】へとアレンジされる。

 このバトルにおいては、FCから初代PS程度にまで唐突に越境したグロテスクなグラフィックが用いられるが、とてもシンプルだったフラウィのテーマが、非常にこみいった複雑なブレイクコアに発展することは、グラフィカルな越境ととてもよく対応し、非常にすぐれた効果を生んでいる――というより、印象に残りすぎていて、なかなか忘れることができないほどだ。

 本作における音楽については、ぜひプレイしながら注意深く聞いてみてほしい。

※ブレイクコア
電子音楽の一ジャンル。重いバスドラム、ブレイク、変拍子などを駆使した変態的な高速のビートに、さまざまな音色を乗せていくもの。ゲーマー諸氏へのおすすめは、Venetian Snaresの”pwntendo”。(筆者注)

特徴3:「セーブ」を問い直す物語の“皮肉”

 ここまでゲームとしてのフックの素晴らしさや、BGMの独特の魅力について語ってきたが、最後の三つ目の特徴として、やはり物語が挙げられる。特にここで注目したいのは、「セーブ」機能にまつわる特徴だ。

セーブシーン

 そもそもの話だが、一般的なRPGというジャンルにおける「セーブ」は、慣例として容認されているものの、実際にはゲームの虚構世界への信頼度を著しく貶めるものだ。

 読者諸氏は、セーブ機能がついているRPGをプレイしながら、こんな根源的な問いを考えたことはないだろうか――何度でもやり直しがきく世界であるにもかかわらず、なぜ私はこの世界を救わねばならないのだろうか、と。

 私たちは、こうした疑問に行き当たったとき、「そうしないとゲームが難しくなりすぎるから」という、ゲームシステムに基づいた返答をするのではないか。だがそれは同時に、主人公がいくら殺されようとも、「ロード」され、なんども蘇ることについて、その世界をフィクションの観点から説明することをあきらめる行為でもある【※】

※この問題を突き詰めていくと、「なぜマリオには三つの命があるのか」という根源的な問いにまで戻っていく。その答えは、デンマーク生まれのビデオゲーム研究者、イェスパー・ユールの名著『ハーフリアル――虚実のあいだのビデオゲーム』に詳しい。(筆者注)

「キミが しぬシーンで うわがきして あげるよ。」と発言するフラウィ。ところで、彼はまた、あらゆる可能な世界のあらゆる可能な選択肢を見た、とも言明する。

 ところが、この作品の「セーブ」は、そう単純なものではない。

 たとえば、序盤にあらわれるトリエルというキャラクターを倒したあと、やはり倒すのはまずかったと考えてセーブファイルをロードし、もういちど相対してみる。すると、彼女はこんなことを言う――「あなた まさか… わたしの しらないことを しっているの…?」と。

 つまり彼女は、ひとつまえの「セーブデータ」において彼女を殺害した記憶をもつ主人公(=プレイヤー)の表情を見て、なにか不穏なものを感じ取っているのである。この台詞はもちろん、セーブデータをロードする前には見られなかったものだ。

 このような細かな操作は作中の随所に見られる。つまり、この作品はプレイヤーが「セーブ/ロード」をいつ行ったかを感知し、それによってシナリオやテキストに変化を加えているのである。

 筆者はここに、制作者Toby Fox【※1】の、RPG全般にたいする痛烈な皮肉を感じずにはいられない。その皮肉は、ゲームに対する一般的なプレイヤーの姿勢――「ゲームはゲームでしかない」、つまり「ゲームの世界にどのような変更を加えようとも、プレイヤーはどんな責任も負わない」ということへの苛立ちと悲しみから来るものではないだろうか。

 ゲームのなかでいつまでも遊んでいたい、その世界のなかで生きたいにもかかわらず、そもそも私たちは現実世界の住人である。そのなかに入って生きたいというわれわれの要求に応えられるほどには、現代のゲームの虚構世界は強度を持っていない。そのために私たちはいつかゲーム機の電源を落として、部屋の外に出ていかなければならない――こういった、愛憎入り交じった感情が表現されているのではないだろうか。

 物語が終盤に向かうにつれて、本作における「セーブ」の概念はだんだんと明らかになってゆき、最終的には「セーブ」という機能そのものがドラスティックにその意義を更新する。「セーブ」にこのような変更が行われていることで、この物語が(擬似的ではあるにせよ)「一回限り」のもの――現実のわれわれの人生とおなじように、やりなおしの効かないものに仕立てられていることは言明しておきたい。

 Toby Foxは、物語内の出来事にゲーム世界そのもののフレームワークを変更させる力を与えることで、逆説的にだが、その物語内に現実世界のような純粋な一回性をエミュレート【※2】してみせているのだ。

 そして、このToby Foxのゲームでストーリーを語ることへの独特な感性は、物語の最終局面で大きな展開を見せていく。それでは、ここからはプレイを終えた人向けに、ネタバレありで本作が込めたメッセージを考察していきたいと思う。

※1 Toby Fox
1991年生まれ。アメリカの作曲家、ゲームクリエイター。『UNDERTALE』の製作者。

※2 エミュレート
代替として動作させること。

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