あなたはソニックのことをどのくらいご存知だろうか。SEGAの看板キャラクター、1991年に発売されたゲームソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の主人公。
長い歴史のあるキャラクターだが、筆者が彼について知っているのは「青くて足の速いハリネズミである」ということくらい。つまりは何も知らない。彼を初めて見たのがWiiの『大乱闘スマッシュブラザーズX』だったので、任天堂のキャラクターだと思っていた時期もあるくらいだ。
果たしてそんな人間が、いきなり実写化映画の『ソニック・ザ・ムービー』を楽しむことができるのか。見る前はちょっと心配していたのだが、映画が中盤を過ぎる頃にはすっかり忘れて手に汗を握って興奮していた。大変面白かったし、見終わった後にはソニックのことが大好きになっていた。
筆者がこの映画を観て一番気に入ったのは、「ソニック」というキャラクターが、決して「完全無欠のスーパーヒーローではない」というところだ。
本作を観る前は、そのいかにも自信家っぽい(?)ビジュアルから、ソニックのことを強くてかっこいい正義の味方のようなキャラクターなのかな、と思っていた。しかしそのイメージはとてもいい意味で裏切られたと言える。
誰よりも早い音速の足を持っているけれども、パンチを何発当てたって大男を倒すことはできない。故郷の星を追われ、敵に見つからないようにこっそりと、10年間誰とも接することなく孤独に生きている。地球の文化に馴染み、漫画を楽しんだりしているけれど、ハイタッチを交わす相手がいないことに寂しさを感じている。10年ぶりに誰かと会話すれば、幼い子供のようにうっとうしい絡み方をする。
だけど、そんな完璧でないソニックだからこそ思いっきり感情移入することができる。そんな彼が世界中を駆け回るところを見て、嬉しくなったり、爽快な気持ちになったりするのだ。
本作を監督したニール・H・モリッツ氏は、パンフレットにて「キャラクターになじみがない観客も楽しめるような映画になるよう腐心した」とコメントしているが、この狙いは完璧に成功していると思う。
筆者のようにソニックをまったく知らない人にはもちろん、子供の頃にプレイしたきりだなあという往年のファンにも、さらにはこのご時世で遠出が出来なくてちょっと退屈だなあと感じている人にもお勧めしたい、爽快な作品だ。
ソニックがとんでもない速さで駆け回る、爽快なアクションが気持ちいい
本作の魅力は何といってもソニックのアクションシーンである。どのシーンを見ても「なるほど、ソニックの足の速さはとんでもなくすごいんだな」というのがバッチリ伝わってくる。
アクションシーンを文章で説明するのは大変野暮だが、筆者のお気に入りのシーンを紹介したい。ソニックのとある行動がきっかけで、バーにいる十数名が全員巻き込まれる大乱闘が起こるのだが、ここの演出がすごかった。
ソニックが超高速で動いてひとりひとりにトイレットペーパーを巻き付けていくのだが、合間合間でちょっとした悪戯をする描写──わざと飲み物をひっくり返したり、トイレットペーパーを人物だけではなく換気ファンにも巻き付けてみたり──が挟まるのだ。
「ソニックさすが! かっこいい!」という要素だけでなく、彼の自信や余裕がたっぷりと表現されていて、すごく気持ちが良かった。
もちろんこのシーンだけではなく、あらゆるアクションシーンのクオリティが高い。それもそのはず、本作監督のニール・H・モリッツ氏は映画『ワイルド・スピード』シリーズやドラマ『プリズン・ブレイク』等で知られる名監督だ。本作でもその見事な手腕を発揮していた。
予告編で流れたすごそうなアクションシーンに期待して見に行ったけど、気合が入っているのは予告編に使われているシーンだけだった……というようなことは、本作では全く起こらないのでご安心いただきたい。
足の速さはすごいけど、寂しがり屋だったり腕力は低かったりする。ソニックは完璧じゃないからこそかわいらしい
上記の通り、この映画はソニックのかっこいいところを余すことなく描いている。けれどもそれと同時に、ソニックが完全無欠のスーパーヒーローではなく、「できないこともある」というキャラクターとして描かれているところも魅力のひとつだ。
この映画のソニックを語る上で欠かせないポイントが、故郷の星を追われて以降、10年間誰とも接することなく、孤独に生きてきたということだ。敵に見つからないためにこっそりと暮らさなければならず、友達をつくれない寂しさを抱えている。
それが端的に表れているのが、序盤の終わりごろ、ソニックが一人で野球をするシーンである。昼間、子供たちが賑やかに繰り広げる野球の試合を、目をキラキラさせながら見たソニックは、夜になってひとり、野球場を訪れる。持ち前の足の速さでボールよりも早く動き、投手や捕手、打者から外野までをひとりで熟し、孤独に野球を楽しむのだ。
さらに問題なのは、打者を務めていたときだ。ソニックはバッターボックスのラインを踏みしめて立っていたのである。
バッターボックスとは、ホームベースを挟むように置かれる長方形のエリアのことで、打者は投手と相対する際、ラインの内側に納まるように立たなければならない。野球にちょっとでも知識がある人間なら、誰でも知っているであろう基本的なルールだ。
しかし、この映画のソニックは、ラインを踏みつけ、バッターボックスからはみ出しながらバットを振るう。恐らくは、子供たちを見て「なるほど、野球とはこういうものなか」と知ることは出来たけれど、打者はバッターボックスに入らなければいけない、という細かいルールを知る機会はなかったのだろう。
9人いなければ成立しない野球を、たったひとりでやってのけてしまう。ソニックの常識外れな足の速さに思わず笑いがこぼれてしまうが、それと同時に敵に見つからないようにするため、友達を作ることもままならないソニックの孤独さにいじらしさを感じるシーンでもある。
また、前節で触れたバーでの乱闘シーンの直前も印象に残った。大男に喧嘩を売られたソニックは、勢いをつけて大男にぽかぽかと殴りかかるのだが、大男は「何だこいつ?」と言わんばかりの表情をして、乱闘になだれ込むのだ。そう、この映画のソニックは、なんと腕力が低いのである。
キリっとした顔立ちや、それまでの自信たっぷりな口調のせいで、筆者はてっきり「ソニックならチンピラなんて簡単に叩きのめしてくれるだろう」と思い込んでいたので、びっくりしたけれど、むしろそのギャップに強い魅力を感じた。ソニックは完璧なヒーローじゃないけど、そこがかわいらしくて、愛着が湧いてしまう。
とはいえ前述したように、力ではかなわなくても自慢の足の速さでもって乱闘に勝利するため、決して「弱い」という印象にはならない。ソニックは足りない能力を優れた部分で補うことのできる、クレバーなキャラクターでもあるのだ。
悪役・Dr.ロボトニックの「いかにも悪そうなやつ」感も魅力
そんなソニックに負けず劣らず、存在感を発揮していたのが悪役のDr.ロボトニック(Dr.エッグマン)だ。このDr.ロボトニックについては、『ソニック』シリーズを遊んだことがない筆者にとってさえ、ゲームの世界からそのまま飛び出してきたかのように思えた。
妙な話かもしれないけれど、知らないはずなのに「そのまま実写化されている!」と思えるほどのパワーがあったのだ。
登場してわずか10秒で「あ、悪いやつが出てきた」と分かるようなキャラクターが、いかにも悪の工学博士が使いそうなハイテクメカを使って主人公に襲い掛かる。Dr.ロボトニックを演じるジム・キャリーの怪演も素晴らしく、大変コミカルかつ魅力的で、実写の空間にいても何ら違和感のないキャラクターに仕上がっていた。
大量の機械に囲まれながら、上機嫌に鼻歌を歌っているシーンなど「こいつ、もしかしてちょっと可愛いのでは?」と思ってしまったくらいだ。もちろん、自己中心的な理屈を振りかざしながらソニックたちに襲い掛かるシーンを見て、「やっぱり駄目だよこいつ!」となったのだけど。
このご時世だからこそ、観てほしい映画
ここまで読んで「なるほどなあ、そう悪い映画ではなさそうだ。けど劇場に行くほどでもないというか、サブスクに来たら見よう」と思っている人もいるかもしれない。けれどできれば、ぜひ劇場に足を運んで本作を鑑賞してほしいと思う。
本作の制作時期を考えれば、昨今の新型コロナウイルスに関する意図があらかじめ込められていたとは言い切れない。けれど、ステイホームが叫ばれ、外的要因によって抑圧されることの多い情勢下で観る『ソニック・ザ・ムービー』は、さらに爽快に感じられること間違いなしだ。
スクリーンの中のソニックは、グリーンヒルズやサンフランシスコ、万里の長城やピラミッドに至るまで、家の中に閉じこもることを強いられている私たちの鬱憤を晴らすかのように、世界中を駆け回ってくれる。
繰り返しにはなるが、この映画のソニックは、完全無欠のスーパーヒーローではない。腕力が低かったり、寂しがり屋だったりという欠点がはっきりと描かれている。でも、そんな完璧ではないソニックが、自分のいちばん得意な足の速さを活かして頑張る姿に爽やかな風を感じるのだ。
このご時世に映画館に行くのもな……と思っている人にこそ、見てほしい作品だ。