2001年、任天堂の携帯ゲーム機『ゲームボーイアドバンス』用ゲームソフトとして誕生し、一時代を築き上げたカプコンの看板タイトル『ロックマン』の新シリーズ『バトルネットワーク ロックマンエグゼ』(以下、エグゼ)。
そんな『エグゼ』は、2005年発売のシリーズ第6作『ロックマン エグゼ 6 電脳獣グレイガ / 電脳獣ファルザー』を以て完結。以降におけるシリーズが確立した新ジャンル『データアクションRPG』の系譜は、次なる『ロックマン』に託される形となった。
そんな『エグゼ』の後継作品としての使命を背負い、誕生したのが2006年12月発売のニンテンドーDS(以下、DS)用ゲームソフト『流星(りゅうせい)のロックマン』(以下、流星)だった。
舞台設定を『エグゼ』の時代から約200年後、220X年のワイヤレスネットワーク技術並びに宇宙開発技術が発達した未来に据え、『ブラザーアクションRPG』なる新ジャンル名を掲げて始動した『流星』。
しかし、2008年11月発売のシリーズ第3作『流星のロックマン3 ブラックエース / レッドジョーカー』(以下、流星3)を以て『流星』のシリーズの展開は終了。翌2009年、DSで発売された『エグゼ』第1作のリメイク『ロックマンエグゼ オペレートシューティングスター』へのゲスト出演を最後に、事実上幕を下ろしてしまった。
以来、『エグゼ』から始まったRPGとしての『ロックマン』の歴史も途絶えてしまっている。
一般に「難しいゲーム」との印象が浸透していた『ロックマン』に新風を吹き込み、新しいファンの獲得に成功するといった偉業を残した『エグゼ』。『流星』もそんな『エグゼ』に比類する活躍が期待されたが、現実はそれに大きく反するものになってしまった。
『流星』はそのような結末を迎えても仕方のない作品だったのだろうか?
そのように問われれば「半分その通りで半分違う」という、煮え切らない回答になってしまう。事実、『流星』は誕生間もなくネガティブな話題を呼んでしまい、以降もそれが足かせとなったまま、展開していくことになってしまったからだ。
だが、自信を持って言えることもある。それは『流星』も「誰もが楽しめる『ロックマン』」という、『エグゼ』と同じ志を掲げた作品であったこと。
そして、『エグゼ』とは方向性の異なる「答えを探す面白さ」と、「チャンスを突く楽しさ」を突き詰めた『ロックマン』だったことである。同時に今なお色褪せない話題性に加え、小さな子供から全く『ロックマン』を遊んだことのない世代への取っつきやすさにも秀でた”万人向け”の色も濃い『ロックマン』だった。
さらに『流星』は筆者個人の意見を言ってしまうと、数ある派生『ロックマン』シリーズの中でも3本の指に入るほど好きな作品でもある。同じRPG系統の『エグゼ』よりも強く印象に残っていたり、評価している部分も多い。
2021年12月14日を以て第1作の発売から15年の年月が過ぎ去った今、改めて『流星』が辿った軌跡と目指したものを誕生間もなく降りかかったネガティブな話題のことにも触れつつ、掘り下げていこう。
文/シェループ
『エグゼ』を下地に「チャンスを突く楽しさ」を追求した『流星』の戦闘システム
『流星』は『エグゼ』の後継作品ということから、ジャンルは引き続きアクション要素を持つRPGとなった。公称ジャンル名こそ前述の通り『ブラザーアクションRPG』と改められているが、厳密には『エグゼ』の『データアクションRPG』の流れを汲んだもので、カードゲームとアクションゲームの要素を併せ持った戦闘システムを最大の特徴としている。
この戦闘システムがいかに独創的で、なおかつアクションゲームの『ロックマン』本来の遊び方を分かりやすく伝えるものであったかは以前の『エグゼ』の記事で言及した通りである。
『流星』は『エグゼ』の時代において完成された仕組みを継承しつつ、「バトルチップ」の名称を「バトルカード」にするなど、作中の世界観を踏まえた変更を実施。さらに戦闘フィールドと戦い方の基本も大きく改めた。
『エグゼ』は縦3×横6のマス目、自陣と敵陣に分けられた2D構造のフィールドを舞台にしていた。対し『流星』は縦5×横3のマス目の3D構造のフィールドが舞台となり、自陣は一番手前の縦1×横3マスに限定。残る縦横計12マスを敵陣に設定した。そのため、プレイヤーの分身たるロックマンの移動範囲も左右の横方向のみに。
端的に言えば、狭くなったのである。
基本縦横計9マス動けた『エグゼ』を思えば、著しく窮屈になった『流星』での変更。なぜこのような形になったのか?それについては、「小さな子どもでも遊べるようなシンプルなゲームに戻したかった」という意図があったことを、本作のディレクターを務めた元カプコンの安間正博氏が関連書籍のインタビューにてコメントしている。
「『6』(※『ロックマン エグゼ6』)はシステムが複雑になりすぎたので、まずそれをリセットして、小さな子どもでも遊べるようなシンプルなゲームに戻したかったんです。射撃ゲームのエレメカとかあるじゃないですか。あんな感じに近づけたいなと。それで最初はロックマンの腕しか見えない1人称視点のバトル画面にして試したりもしました。核にあるカード+アクションの楽しさは同じでも、それを『エグゼ』とは違う形で表現できないかな、と。視点を変えることによって、『エグゼ』っぽさを出しつつ、新しいゲーム性を出していけるんじゃないかなと考えたんです。」
事実、『エグゼ』は続編が出るたびに新しいシステムが追加されていき、次第に複雑さを高めていった。同時にゲームの難易度も上昇傾向となり、シリーズ第5作『ロックマン エグゼ 5 チーム オブ ブルース / チーム オブ カーネル』はそのピークとも言える難しさに到達してしまっていた。正直、この辺りのナンバリングシリーズに関しては「難しいゲーム」と指摘されても致し方なかったように思う。
『流星』は完全新作ということで、まさに心機一転を図った格好だ。さらに移動範囲を絞り込むなりのアイディアも導入され、『エグゼ』とは異なる戦闘スタイルも確立した。
それを演出する象徴的存在とも言えるものが「ロックオン」と「ウォーロックアタック」である。
十字キーの下を入れると緑色の矢印が3つ表示。この矢印が敵1体と合わさってサイト(照準)が付くと対象が「ロックオン」状態になる。そこから「バトルカード」を使う(Aボタンを押す)とロックマンが敵の目前へと自動で瞬間移動し、攻撃を行うのである。
これにより、例えば「ソード」に代表される近接攻撃系の「バトルカード」を用いた攻撃も簡単に命中させられるようになった(※なお、使うと画面が暗転する演出のあるカードは「ウォーロックアタック」の対象外となる)。『エグゼ』の時は敵が攻撃範囲内に入った瞬間を狙って使わなければ当てられなかったが、『流星』では「ロックオン」で敵1体に狙いを付ければ、例え相手との距離が離れていようがお構いなしに攻撃を当てられる。
これにより、より直感的かつスピーディな攻撃を展開可能になった。また、このシステムはアクションゲームの『ロックマン』特有のスリリングで気持ちよい瞬間を手軽に味わえるものにもなっている。それは「チャンスを突くこと」だ。
『ロックマン』というゲームが「答えのあるアクションゲーム」を目指して制作されたことは、『エグゼ』の記事でも言及したことだ。ただし、その「答え」を突く過程においては、基本的にプレイヤーの技量が問われるようになっていた。
それは「答え」に相当する「特殊武器」による攻撃を確実に当てること。
だが、相手はずっとその場に立ち止まり続けることはなく、ロックマンを倒すために縦横無尽に動き回っては攻撃を仕掛けてくる。よって、こちらの「答え」が確実に当たる「ここ!」と言える瞬間を見つけ出さなくてはならない。
その過程に当たって、敵の攻撃を避ける、動きを見切るというプレイヤーの技量が問われる。ゆえにアクションゲームが不得意な人には厳しく感じやすいと同時に、「難しいゲーム」という印象も持ちやすい箇所でもあった。
RPGへとジャンルを改めた『エグゼ』では、移動範囲の限定されたマス目のフィールドで戦闘が繰り広げられる作りになったことで、狙いを付ける瞬間は視覚的に分かりやすくなった。ただ、それでも相手が積極的に動き回り、攻撃を仕掛けてくる点はそのままで、多少ながら難しさは残っていた。
『流星』の「ロックオン」と「ウォーロックアタック」は、その部分を大きく緩和し、最小限の技量でより易しく、直感的に味わえるようにした。同時に「答えを探す面白さ」もより手軽に味わえるようになったのである。
そして、積極的に攻撃を仕掛けていけるようになったことで、戦闘全体のアクション性、スピード感も著しく向上。まさに『エグゼ』っぽさを出しつつ、『流星』ならではの独自性というものも確立させるに至っているのだ。
実際、このチャンスを突いて成功する楽しさを大事にしたのは、先の関連書籍でもディレクターの安間氏が言及している。その結果、『エグゼ』に限らず『ロックマン』を知らない、苦手意識がある人にも醍醐味が伝わりやすい枠組みが完成されているのは大変興味深い部分だ。また本作には「シールド」という、敵の攻撃を防ぐ防御アクションも新規に設けられたが、これも「チャンスを突く」楽しさを際立たせると同時に、アクションゲームの技量、具体的には回避に必要な瞬発力に自信がないプレイヤーにも確実な回避を保証する”安心感”を確立させている。
その意味でも『流星』は”万人向け”という表現がこの上なく似合う『ロックマン』だったと言えるだろう。無論、細かくシステムを掘り下げていくと複雑な様相が露わになるが、基本の遊びは取っつきやすく、小さな子供からアクションゲームが不得意な人にも安心して楽しめる。
まさに『流星』は『ロックマン』というゲームが持つ「答え探し」の魅力をこれまで以上に分かりやすくし、幅広い世代に伝えていくミッションを担う存在だったと言えるかもしれない。
同時に『流星』はゲーム以外の部分にも強烈な魅力を宿していた。
それはストーリーとキャラクターたちである。
露悪的な描写や設定も散りばめられたストーリーと、それを彩るキャラクターたち
前身の『エグゼ』は一部に重く、暗い設定やエピソードも存在したが、全体的なストーリーの作風は明るめで、とりわけ主人公「光熱斗(ひかり ねっと)」の元気で前向きな性格はその象徴でもあった。
『流星』の主人公は「星河(ほしかわ)スバル」。「孤独な不登校児の少年」という熱斗とは180度異なるキャラクターとなり、それに合わせる形でストーリーの作風もやや暗めになった。
『流星』本編(第1作『流星のロックマン ペガサス/レオ/ドラゴン』、以下『流星1』)はスバルが宇宙からやってきた謎の電波生命体「ウォーロック」と出会う所から本格的に始まる。以降、スバルはウォーロックと合体融合(電波変換)した「ロックマン」になり、地球を狙う「FM星人」との戦いを繰り広げていくのだが、彼らは孤独を感じている人間の心を掌握する術に長けた存在。そのため、作中では数多くの孤独を抱く人間とそこに圧し掛かる闇が描かれる。
親身にしてくれた上司に自らの研究成果を横取りされた過去から極度の疑心暗鬼に陥った男性、金儲け第一の大人にこき使われる少女シンガー、そして赤ん坊の頃にゴミ集積場に捨てられた捨て子の少年。他にも様々な孤独を抱く人間が登場してはFM星人と融合した「電波人間」へと化し、現実世界にて人間を巻き込む攻撃を繰り広げていく。それにスバルとウォーロックの2人(?)が「ロックマン」として、決死の戦いに挑んでいくのだ。嫌でも深刻な心持ちにさせられる設定になっている。
孤独を抱えた人間たちの描写も闇に満ちており、その背景も現実にも起こり得る事柄が大半を占めるため、主に年齢層の高い人ほど心を抉られやすい。「これが『ロックマン』……?」と、戸惑いつつ見入ってしまうほどだ。
特に第1作の『流星1』はこの色が濃い。逆を言えば救いの描写も多く、おかげでスバルが心を徐々に開き、強くなっていく成長の様子が描写されており、思わず応援したくなってしまうキャラクターになっている。消極的なスバルを強引に引っ張るウォーロックもそんな魅力を引き立てていると同時に、性格も粗暴という対照的な設定も相まって、やり取りを見ているだけでも微笑ましい気持ちにさせてくれる。
また、第2作『流星のロックマン2 ベルセルク×シノビ / ベルセルク×ダイナソー』(以下『流星2』)以降は成長後のスバルが活躍するなど、ゲーム側に留まらずストーリー上の明確な進化(変化)が描かれているのも独自の見所だ。
作風も成長後は明るくなるが、それでも心の闇を抱えた人間などの暴走が描かれたり、ショッキングな展開を挟むなりと事欠かない。そんな毎作、見入ってしまう場面が沢山あるのも『流星』特有の売りと言えるだろう。
そして、キャラクターたちである。前述のスバルとウォーロックもさることながら、脇を固めるキャラクターたちにも強烈な魅力を秘めた面子が揃っている。特に女性キャラクターたちの存在感は『ロックマン』の全シリーズの中でも屈指と言ってもいいだろう。
若干、『流星1』のネタバレになるのをご容赦願うが、スバル最初の友人となる少女シンガーの「響ミソラ」、スバルを意地でも登校させようと強引な行動を取りつつも、彼が変身した「ロックマン」にメロメロになってしまうツンデレな少女「白金ルナ」の2人はその象徴だ。この2人は古くから『ロックマン』を知る人から見れば、『ロックマンDASH』の「ロール・キャスケット」、「トロン・ボーン」のヒロイン2人を匂わせるものがあるのも面白い。
また、後発の『流星2』では女性の黒幕「ドクター・オリヒメ」の暗躍が描かれたり、『流星3』では教育実習生と偽ってスバルに接近する敵組織の一員「クインティア」、そしてスバルたちを暖かく見守りつつ協力する話好きの老科学者、その名も「ヨイリー」が登場する。さらにスバルは父親で宇宙飛行士の「星河 大吾」を宇宙ステーションの事故で失っており(※実際は消息不明との設定、つまり……?)、そんな彼をただひとり支える母親「星河あかね」の献身的な姿も見逃せない。
もちろん、男性側でも『流星2』以降に登場するライバルポジションの「ソロ」、『流星3』にてヒーローとしての壮絶な生き様が描かれる「暁シドウ」、そして父親の大吾などの魅力的なキャラクターが登場し、様々なドラマが描かれる。
こうしたキャラクターたちの存在感が際立って高いことは、シリーズ展開が終えた2022年現在も語り草になっていて、とりわけミソラとルナの2人はスバルを差し置いて新規のイラストが描き起こされたり、2015年のロックマンシリーズ28周年の誕生日企画時に2人のクリアポスターが景品のひとつにされたりと、事実上『流星』の顔になっている。
彼女2人に限らず、『流星』には本当に心から応援したくなったり、忘れられなくなるキャラクターが多い。それもあって、発売から15年以上が経過した今も話題性が色褪せない。そのようなゲーム以外の部分にも記憶に強く残る要素を持った作品になったことは、『ロックマン』シリーズ全体で見ても素敵なことだったと言えるだろう。
なお、筆者の推しはヨイリー博士です。
大規模な値崩れを起こすという不運の幕開けとその受難
このような独自の魅力を持って生まれた『流星』だったが、その始まりは順風満帆とはいかなかった。『流星』を当時から知っている人なら、恐らくこのような印象を今なお持っているかもしれない。
「大規模な値崩れを引き起こしたDS用ゲームソフト」というものだ。
年末から2007年の年始にかけ、市場に新品在庫が大量に残った反動による需給バランスの崩壊が生じ、定価4800円(税別)が500円近くにまで値を下げてしまう異常事態を引き起こしてしまったのである。
2006年当時は、2005年発売の『脳を鍛える大人のDSトレーニング』、『おいでよ どうぶつの森』などの爆発的大ヒットに端を発したDSブームの真っただ中。
同年には久しぶりの2Dマリオシリーズ最新作『New スーパーマリオブラザーズ』、Nintendo Switchのリメイク版発売が記憶に新しい『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』が発売されたのもあって盛り上がりは最高潮に達しており、特に家電量販店などにおいてはDSタイトルの売り場が拡大傾向にあった。
そのため、当時そこへ通っていた人ならば、異常な低価格で販売される『流星』(厳密には『流星1』)の姿が記憶に残っているかもしれない。店舗で働いていた、流通業務にあたっていた人であれば殊更だろう。
なぜ、そのような事態に至ったのかは諸説ある。最も考え得るものとされるのは、「『エグゼ』の劣化」と誤認されやすい広報が展開されてしまったことだ。
特に戦闘システムは前述の通り固有の特徴を持ちながらも、移動範囲が極度に制限された見た目が『エグゼ』からの退化と見なされやすかった。
「電波人間」、「宇宙人」という新しい世界観におけるキーワードも、特に『エグゼ』を初代こと第1作から最終6作まで追いかけ、成長してきた世代には抵抗を抱きやすい側面があったことも否定できない。
さらに『流星』は『エグゼ』時代、作品評価の足かせとなり、一部のファンから煙たがれていた(しかし、それなりの成果を出していた)『光と闇の遺産』と称せるものを引き継いでしまっていた。
具体的には高額な玩具とゲームを連動させることによって貰える限定アイテム、バージョン分割商法である。これらは『流星』の始まりと同時にリセットされることが期待されたのだが、現実は続行どころか、進化まで遂げる事態になってしまった。
中でも3つのバージョンの同時販売は、前身の『エグゼ』や『ロックマン』を知らないゲームファンからも(言い方がきついが)「金を巻き上げようとしている」との印象を持たれやすかった。バージョンごとの独自要素がゲーム中の最小限の要素を切り離しただけという、小規模なものであるのが判明したことも追い打ちになったと思われる。
値崩れにより、最低限の資金で3バージョンが揃えられるという皮肉すぎる恩恵もあったが、この出来事を機に『流星』にはマイナスイメージが付き、『流星2』以降の続編も引きずる形になってしまった。
さらに『流星1』はゲームとしての出来も粗削りな所も多く、主に戦闘システムとバランス調整面に批判が集中していた。(少し端折った紹介になるが)「バトルカード」の選択ルール、そのルールを崩す自由選択を可能にする「ホワイトカード」(フェイバリット指定)、そしてカードを連続して使って大ダメージを与える「ベストコンボ」及びそれをひとつのカードにする1回限りの大技「レジェンドフォース」がそれに当たる。特に「ベストコンボ」は火力任せな戦いこそが正義、と言わんばかりの状況を作り出すなど、バランスの大味化を招いていた。
オンラインを通して現実の友人と関係を結び、ロックマンの強化を図れる新要素『ブラザーバンド』も『流星1』では6人限定、しかもゲーム内で関係を結ぶキャラクターとの兼ね合いのため、増やしたい場合は(後で結び直せるとは言え)彼らとの関係遮断が優先されるという問題も抱えていた。
一応、『ブラザーバンド』の問題は『流星2』でゲーム内キャラクターとリアルの友人とを分ける形にすることで改善はされている。一方、戦闘は「ウェーブコマンドカード」なる新要素に付随するバランス崩壊が問題視されたり、マップ上の戦闘発生率(エンカウント率)が高めに設定され、難易度の上昇も招くなど、課題を残していた。
だが、そのような経緯を経たのもあり、『流星3』では大規模な進化を遂げる。
その進化は、まさに”覚醒”と称するに相応しいものだったのである。
名実ともに『エグゼ』とは別の作品へ化ける”覚醒”を見せた『流星のロックマン3』
事実上のシリーズ最終作となった『流星3』こと『流星のロックマン3 レッドジョーカー / ブラックエース』は、まさに『流星』が『エグゼ』とは全く異なる方向性を持つアクションRPGになったことを決定付ける、正真正銘の傑作であった。
個人的な評価で言えば、誇張抜きにDSの数あるRPGの中でも最高峰の作品と言ってもよいぐらいだ。
細かく紹介すると記事1個分が出来上がってしまうほど長くなる恐れがあるため、象徴的なものに留めさせていただくが、最も大きく進化したのが戦闘システムである。基本は前2作を踏襲しながら、「ノイズ」と「ノイズチェンジ」、「カードサイズ」、「ギャラクシーアドバンス」といった数多くの新要素が導入された。
この中で特に戦闘スタイルを急激に一変させたのが「ノイズ」だ。戦闘中に「ノイズ率」なるものが表示されるようになり、雑魚敵、ボスに対して無属性カードによる攻撃を当てると上昇(※上昇数値の詳しい仕様は説明すると長くなるため、割愛。なお対人戦では「ウォーロックアタック」を決めると上昇する)。その数値に応じた変化が生じるようになった。
特に大きいのは100%以上になった時。敵を吹っ飛ばしたり、吸い込む攻撃の効果が逆転したり、凄いものでは全ての攻撃に対インビジブル効果(いわゆる一定時間無敵)が加わるというものがある。これにより、戦闘の行く末が読みにくくなるなど、非常にスリリングな展開が繰り広げられるようになった。
「ノイズ率」を上昇させ、ロックマンの形態を変化させる「ノイズチェンジ」もそんな戦闘スタイルに大きなアクセントを加える存在として位置付けられ、もはやスピーディと表するのも生ぬるいほど派手な展開が繰り広げられるようになっている。
また、「カードサイズ」も戦術面に変化をもたらした。その名の通りに「バトルカード」にサイズの概念が加わり、火力の高いカードほど大きめのサイズになり、選択画面内のスペースを広く占拠し、それより小さなカードが下に隠れる弊害が生じるようになったのだ。
この隠れたカードは直接タッチすれば選べるのだが、その場合「サポートユーズ」か「シングルユーズ」のどちらかを決めることになる。
「サポートユーズ」だと、選んだカード本来の効果は発揮されないが、属性に応じたサポート系カードへと変換され、他のカードとの同時選択ができるようになる。逆に「シングルユーズ」はカード本来の効果が発揮されるというもの。ただし、これにすると他の残っているカードが選択できなくなってしまう。(つまるところ、1枚しか使えない)
サポート効果を重ね掛けした戦術で攻めるか、一点主義で攻めるか。あるいは隠れてしまったカードはそのままにして、他の選べるカードで乗り切るか。このような選択と判断に応じた展開の変化も起きるようになり、戦術性も一層深みを増している。また、火力の高いカードに頼った戦術も難しくなって、バランスの取れたデッキ(フォルダ)編集が勝敗のカギを握る調整に進歩したのも大きな見所である。
さらに前2作にはなかった戦闘開始時に必ず選べるカードを出現させる「レギュラー指定」機能も追加。これは『エグゼ』にも存在したシステムで、それが復活した格好だ。
他に「ノイズ」に関しては、100%まで高めた状態で戦闘に勝利すれば特殊なバトルカード「イリーガルカード」が手に入るといったやり込み要素が加わったり、「ノイズのかけら」なる便利なアイテムの交換に用いるものも得られるようになった。
若干、かいつまんだ紹介になったが、こういった遊びと戦術の幅を広げる要素が豊富に導入され、非常にやり込み甲斐のあるシステムへと進化した。元来のアクション性の高さ、スピード感、そして「チャンスを突く楽しさ」にも磨きがかかり、この『流星』の枠組みならではの独自の魅力を持つものへと覚醒するに至ったのである。
戦闘システムだけではない。前2作はDSの下画面にフィールド、上画面にステータス情報並びに戦闘フィールドを表示するよう分けていたが、『流星3』は上画面にフィールドと戦闘画面を集約。下画面にステータス情報のほか、メニュー画面などを集約させるなりしてゲーム部分、機能周りの明確な分担を図った。
また、前2作ではタッチスクリーンを活かしたタッチギミックが存在し、フィールド画面と混在する形で表示されたが、明確に切り分けを行った『流星3』ではその表示が簡素化。操作も単純にタッチするだけの取っつきやすいものが中心となり、関連するイベント、仕掛けを直感的に楽しめるようになっている。(その影響で、全体的な操作性も大幅に向上している。)
肝心の本編にも特にイベント周りに大幅な強化が施された。特に印象的なのがフィールド上で繰り広げられるアクションゲーム全開なミニゲームイベントだ。スバル(ロックマン)を操作しながら、周囲から襲い来る敵を直接攻撃しながら追い払っていくという、アクションゲームそのものな展開が用意されたのである。
あくまでもフィールド上でのイベントのため、できることは戦闘に比べて限られている。だが、RPGの枠組みの中でアクションゲームが楽しめるだけでも大変に心が躍る。『エグゼ』から始まったRPGの『ロックマン』の極致とも言えるもので、非常に感慨深い気持ちにさせてくれる。
他に『流星2』に引き続きセーブを2つ作成できるようになったり、ボイスの演出強化、メニューデザイン全般をスタイリッシュなものへと一新するなどの見所がある。
ストーリーも前2作から一部設定の変更(推移)はありつつも、シリーズ最大の謎として残されたスバルの父親、大吾の行方に迫る展開が描かれたりと、多数の見所を押さえた内容になっている。
『流星3』の発売当時、プロデューサーを務めたカプコンの堀之内健氏は、今は亡きファンコミュニティサイト「u-capcom」に寄せたコメントにて「あらためてゲームコンセプトや世界観、はたまたロックマンのデザインまでじっくりと見つめ直して、“僕たちが流星のロックマンで表現したかったこと”や“ロックマンでは何が本当に面白いのか”について、開発チームのみんなでとことん考えました」と綴っていた。
また、「過去最高の面白さになったと思います★」(原文ママ)とも。
その言葉通り、『流星3』はタイトルロゴのデザインも変わるなど、明らかにこれまでの前2作との違いが目に見えて現れている。
そこに込められた気合は本物であり、結果として『流星』の目指したアクションRPGの完成形が詰まった珠玉の作品になっていた。様々な出来事を経て付きまとったマイナスイメージを吹き飛ばす、決定版が誕生したのだった。
とはいえその強化の反動で、”万人向け”というにはほど遠い作りになったのも事実だ。特にシステムの充実化、戦術・戦略性の深化は結果として『エグゼ』と同じ轍を踏んでしまっている。
だが、あえて思いきった方向に舵を切ったことにより『流星』は覚醒し、独自の魅力を持った作品へとなった。特にアクション性の高さ、スピード感をさらに強化させる方針に舵を取ったのは大きな成功だったと言えるだろう。
それだけに、これが事実上のシリーズ最終作になったことが惜しまれる。
変身ヒーロー”ロックマン”の活躍が今後も語り継がれていくことを
今にして思えば、DS時代に生まれた新しい『ロックマン』は、シリーズとして満足に成長・発展できないまま幕を閉じてしまった。
『流星』が誕生した2006年には、『エグゼ』と同じ時代を共にした盟友『ロックマンゼロ』(以下、ゼロ)の後継作『ロックマンゼクス』(以下、ゼクス)も発売。『流星』に先んずる形で、アクションゲームの『ロックマン』の新しい歴史を紡ぐはずだった。
だが、翌2007年発売の『ロックマンゼクス アドベント』を最後にシリーズ展開は終了。ストーリーもこれから、というところで終わってしまい、”打ち切り”を強く感じさせられるものになってしまった。『ロックマン』の全シリーズの中でも、シリーズ本数は『ロックマンDASH』を下回る2本のみと、史上最も短命に終わった作品として記録されている。
これもなぜ短命に終わったのかを考えたくなってしまうが……言及は避けたい。
『流星』もゲスト出演した『ロックマンエグゼ オペレートシューティングスター』を除けば、最終的に発売されたのは3作のみ。短命に終わった『ロックマン』だったのは否定できない。とは言え、完全に打ち切り同然の終わり方をした『ゼクス』と異なり、『流星』は区切りのよいところでエンディングを迎えられたので、その点ではまだ幸いだったと言えるかもしれない。
それに『流星3』での覚醒を思えば、まだ続けるだけの底力と意義はあった。だが、『流星1』の順風満帆とは言い難い出だしはよほど大きな傷を残したのか、完成度の高さとプレイヤーからの高い評価とは裏腹に続けられなかったのが残念でならない。
本当に『流星1』がもう少し、波風を立てない形で出ていれば。完結した『エグゼ』から始まる新シリーズとして、純粋にゲーム単体で勝負するスタイルで始めてくれていれば。
考えれば考えるほど、「あれさえ無ければ……」との思いが出てくる。
筆者個人の感想になるが、『流星』における”変身ヒーロー”としての『ロックマン』は本当に面白い題材だった。また、『エグゼ』の時代ではアニメ版オリジナルだった題材をゲーム版はこう解釈するのかと、純粋にワクワクさせられるものがあったのだ。
『エグゼ』は2002年から2005年にかけ、テレビ東京系列でアニメ版が複数のシーズンに渡って放送された。第1シーズンは原作のゲーム版を踏襲しつつオリジナル要素を絡めた内容だったのだが、第2シーズン『ロックマンエグゼAXESS』はそのオリジナル要素を大幅に強化。”変身ヒーロー”としての『ロックマン』を描いた作品になったのである。
『シンクロチップ』と呼ばれる特殊なチップを用い、熱斗とロックマンが合体融合して『CF(クロスフュージョン)ロックマン』となり、現実世界に現れ、破壊の限りを尽くすウィルスたちとの激闘を繰り広げる。初代『ロックマン』のストーリーを『エグゼ』流に解釈したこの設定は、古くからロックマンを追い続けていた人間にとっては大変刺激的で、「このようなやり方があるのか!」と唸らされるものだった。
また、原作のゲーム版の構図をそのままアニメに持ってきてしまうと、ネットワーク世界で戦うネットナビたちに盛り上がり所が集中してしまい、人間側が目立ちにくくなるという難点を解消するアイディアとしても秀逸なものがあった。
この設定は第3シーズン『ロックマンエグゼStream』でも継続し、(第2シーズン途中で既にそれは起きていたが)熱斗以外のキャラクターたちも参加するなど、さながら特撮作品ばりの展開を見せている。
原作のゲーム版にはこの設定が逆輸入されることはないまま完結を迎えた。だが、続く『流星』にはそれが形を変える形で採用され、ゲーム版ならではの”変身ヒーロー”としての『ロックマン』が描かれたのは本当に興味深いものがあったのである。
作中のストーリーもその設定特有の見応えのある場面が多く、脇を固めるキャラクターたち共々、彼らの活躍が末永いものになればと思っていた。
そのような未来が紡がれなかったのは、しつこいが惜しまれる限りだ。
『流星』も『エグゼ』と同じく現行のゲーム機への復刻は本稿執筆時点において実現していない。また通信に絡む要素やバージョン別の仕様、そしてタッチスクリーンが関係するギミックの存在も相まって、その実現も茨の道になることが容易に想像される。
オリジナルのDS版も大規模な値崩れを起こした過去こそあるが、2022年現在は中古の価格が上昇傾向にある。特に『流星3』は高騰してしまっており、気軽に手を出せない稀少なタイトルになってしまっているのがもどかしい限りだ。
いつの日になるのかは全く読めないが、この苦難に見舞われながらも”万人向け”の『ロックマン』を目指し、奮闘した傑作が蘇る日を心待ちにしたい限りである。『流星』は3作で終わるような作品ではなかった。
とりわけ『流星3』の覚醒は今見ても、驚くべきものがあった。それに触れられる環境が構築されること、そして命がけの戦いに身を投じた”変身ヒーロー”としての『ロックマン』……星河スバルとウォーロックの名コンビの魅力が語り継がれていくことを願いたい。