今回プレイした、『Pain Pain Go Away!』。
全体的なカラースキームやキャラクターデザインなどからは、いわゆる「やみかわ系」な印象を強く受けるゲームです。
実際に触れてみても、ゲーム中で直接的いったアングラな要素(ドラッグとか不純異性交友とか)は薄いものの、キービジュアルにトーヨコらしき風景が写っていたり、「シャフ(社会不適合者の略称)」といったワードが使われたり、精神的な汚染を表現した各種アートなどの存在もあって……。
なるほど、「そういう系」のゲームだ。
だがゲームプレイを進めていくと、本作が「タイピング」、つまりキーボードを打鍵する……もっと言えば「書く」という行為をゲームシステムに織り込んだ、興味深いタイトルであると気付かされるのです。
※この記事は『Pain Pain Go Away!』の魅力をもっと知ってもらいたいLorebardさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
トラウマをタイピングで消せ!
本作はジャンルを「心療タイピング型アドベンチャーゲーム」と銘打っているとおり、プレイヤーはカウンセラーとして、悩みを抱える家出少女たちにカウンセリングを行う──という作品である。

カウンセリングの際に使われるガジェットが、「P2GA」というマシーン。タイトルの『Pain Pain Go Away!』と何やら関連性を感じる名前だ。
本作では、このマシーンを用いてカウンセリングを行う……というテイでタイピングゲームが進行していく。
カウンセリング(ゲームプレイ)のおおまかな流れは以下のような感じ。
今回カウンセリングするのは、明智心美さん。「すこし人間不信」で、「ひどくおびえてる」とのことだ。

第一段階は、「名前は?」といった基本的なものから、少女の悩みごとまで、表示される質問事項をタイピングしていくフェーズ。質問事項には少女が答えてくれる。なお、このあと起こることに比べれば、ジャブに過ぎない。

そうこうするうちに、第二段階として少女のトラウマに由来するワードが徐々に姿を現し……。
トラウマワードが3回登場すると、第三段階としてより深く患者の内面を探っていく「ダイブモード」に突入。彼女たちの心を蝕む「トラウマワード」をタイピングして打ち消していくことになります。

さらに3ウェーブ分のトラウマと立ち向かうことで、「ボストラウマ」が出現。第四段階だ。

こいつの体力を削りきってから、トラウマの根っこである「ファイナルワード」をタイピングすることで、ステージクリアとなる。

プレイしていて印象的なのは、カウンセリングに関わる大半の言葉をタイピング「させられる」ことだ。
トラウマを抱えた少女たちのトラウマワードと立ち向かう──という主旨だから当然といえば当然だが……
「苦しい」
「どうして」
「ゼッタイみんなのこと許さない」
「あの子に何がわかるの?」
タイピングさせられるのはイヤ〜な言葉ばかりだ。
とはいえ、モニターに文字として表示されているだけなので、だいたいは「うわっ 酷いなあ」と思うだけではあるのだが、プレイを続けていると(こんなことを思うのはカウンセラー失格なのだけど!)「わざとらしく露悪的な言葉を出してくるじゃん!」とか、「それはお前にも悪いところあるだろ! なんでも人のせいにしやがって!」と思うようなことも出てくる。
だがそうしたときに、ふと気づくのだ。
あれ? いま私、最初思っていたよりかなりストーリーに体重かけていたな、と。
そう、「タイピングさせられているだけ」のはずが、少女たちの悩みがただの文字以上の、情緒を揺さぶるエピソードとして自分に迫ってくるのが、本作の恐ろしい部分なのだ。
「書く」という体験を、ゲームに織り込む試み
前段でも話した、「自らの指で文字を綴るタイピングという行為を通して、半強制的に物語に入り込ませる」というシステムについて、もうすこし掘り下げて考えてみたい。
そもそもビデオゲームというのは、そのインタラクティブ性……「プレイヤーの操作によって画面や体験に変化が生じる」点が肝のメディアだと思う。
キャラクターを直接動かすアクションゲームや戦闘やバトルの要素があるRPG、シミュレーションゲームなどと違って、テキストを読ませるのが目的のノベルゲームやアドベンチャーゲームは、操作によって変化する部分が少なめになることもしばしば。
もちろん、本と違って選択が変化したり、ビジュアルの変化やアニメーションといった映像表現が可能という強みはある。でもやっぱり、令和の世になっても未だに「本を読めばいいじゃん」という評価が下されがちな、不遇なジャンルでもあると個人的には思います。
ですが、『Pain Pain Go Away!』は「テキストの間にゲーム性あるバトルを挟む」とか、「推理・謎解き要素を組み込む」のではなく、「物語に紐づくワードを直接タイピングさせる」というアプローチをとっている。これが新鮮かつ巧妙に映り、非常に魅力的に感じました。
たとえば、ゲームとかで「相手を殺したくないのにゲーム進行上そいつを殺さなきゃいけないし、その引き金を自分で引かされる」みたいなシーン、あるじゃないですか。あのプレイ感を、タイピングゲームでさせられるのがすごくグッと来るんですよね。
本作でも「いやこんな言葉タイピングさせないでくれ!!!! 嫌すぎる!!!!」みたいなシーンがあり、かなりその「嫌さ」が同時に心地よくて、あー これはいいゲーム体験でしたわ。となることができました。
もうすこし掘り下げると、文章を書くという行為は、内容が泣けるとかエモいとか的確な批評だとか、「情報」の部分だけが取り沙汰される傾向にあると思うんです。あるいは人の心を動かす文章を書くにはどうすればいいか? とか。
だが、そうした国語教育的な側面ばかりが見られ、身体的動作の点からはあまり省みられない気がしています。使う道具が筆にせよ、鉛筆やペンにせよ、キーボードやスマホのフリックだったとしても、「書く」というのは筋肉を動かして、他でもない自分自身の腕や指を動かすことで行う「動作」に他ならないわけです。
乱暴な言い方をすれば、「書く」というのはダンスやスポーツと同じカテゴリの行為と言えないこともないわけで、それは「ものを考える」や「ものを読む」といった行為とは一線を画したもの。
だからこそ「書く」という行為は、さまざまな動作や影響と紐づいて、脳に沁み込んでいくのではないでしょうか。それはたとえば、ペンが紙を擦ったり、キーボードを叩くことで生じる音、そこから発生するリズム。腕の疲れ。頭のなかにある朧気な感情が文字として少しずつ現実の存在としてそこに生まれていくのを、目で見ている感覚──こういった経験が「書く」行為には付随している。
だからこそ、昔からお経は写経されることで覚えられ、新入社員は「メモを取れ」と先輩に叱られる。
本作は身体と結びついている「書く」という行為を利用して、作中のストーリー、女の子の抱える悩みを強制的に「自分ごと」としてプレイヤーに向き合わせようとしてくるのです。
本作はマルチエンディングを採用しており、私も本原稿執筆時点で3つのエンディングを解放することができました。中には「これマルチエンディングというよりは……隠しエンドだろ!」って感じの仕込まれ方をされているものもあり、そこの探索もまだまだ楽しませてもらえそうです。
おまけ
すこし古い、オッサンすぎる話をしてしまうと……かつてタイピングゲームは「タイピング練習」から始まり、そこから段々と「なんでもタイピングでやらせたらおもしろくね?」と妙な方向に進んでいった時期、ありましたよね?
『北斗の拳』や『ビートマニア』がタイピングソフトとしてリリースされ、セガのゾンビと戦うガンシューティング『ハウス・オブ・ザ・デッド』は『タイピング・オブ・ザ・デッド』という派生作がリリースされた。銃で戦うプレイヤーキャラはなぜかドリームキャストを背負い、キーボードを抱え、ゾンビと戦うバカゲーと化していた。
あのブームって、なんだったんだ……?
あと、本作は助手を務めてくれるリオさんがかわいいです。口調はていねいで下手に出てるけど、ずっと言いたいことズケズケと言ってくる人って好きだ。お姉さんキャラだけど部下みたいな人、理想。














